プロローグ

「……ん?」

 目の前に迫るのは白と黒のボールだった。

「知らないボールだ」

 ついそんなことを呟いた横島は……。

 べしっと気持ちのよくない音と共に顔面で受け止めていた。

「横っち!」

 何処か懐かしい声が聞こえた。

「空が……」

「空がどないしたんや!」

「青いな」

 ボールの勢いに負けたのか仰向けに地面に倒れた横島の下に集まったのは、随分と懐かしい面々だった。

 ただ、横島はそんな面々よりも空を見上げていた。綺麗な青空だった。

 神魔戦争により失われたはずの青空だった。

「あかん! 横っちが壊れた!」

「先生!!」

 慌てる周囲の声に横島は死に際の夢にしては悪くないなと思いつつ意識を手放した。





「目を覚ましたか? 名前と年齢を言いたまえ」

「横島忠夫。三十幾つだったかな? ……あれ? アラサーで独身の佐倉先生じゃないっすか」

 またまた懐かしい夢だなと横島は思った。微かに香る消毒液とタバコの匂い。ストレートのロングの髪をした美人なのに女らしさがなくて独身だった保険医の佐倉若菜が、横島の横たわるベッドの脇でタバコを吹かしながら競馬新聞を開いていた。

「うむ。残念ながら正常だ。もう少しおかしければ解剖でもしてやったものを」

「先生……、そのレース、4-9は来ないっすよ」

「これだからガキは困る。買うのは馬券じゃない。夢なんだよ。ちなみに何がくると思うんだね?」

「3―8かな?」

「ふむ、ああ、起きたなら教室に戻りなさい。もしあとで頭が痛くなっても保険室の時は元気で何の問題もなかったと言うんだよ。いいね」

「了解っす」

 保険室を出ると横島は深々とため息をこぼした。夢でも幻術でもない。リアルな世界だ。

 過去。遠く記憶の彼方にある大阪の小学校とすべてが同じだった。

「あの野郎ども……」

 直前まで戦っていた神魔の最高指導者を思い出し、横島はいつかぶん殴ってやろうと心に決める。

 自分の胸に手を当てると、感じた。かつて自分が取り込んだ魂の欠片たちの力を。



「横島!? 生きていたんか!」

 ともかく教室に戻る横島だが、担任のウイットに飛んだ関西ジョークに教室は爆笑に包まれる。

 サッカーボールを避けそこない、気を失ったドジ野郎。そんな扱いだ。

 時は昭和の時代。SNSもなければインターネットもない。学校は聖域であり良くも悪くもおおらかな時代であった。

「横っち、大丈夫なん?」

 ひとりだけ心配していた少女がいた。夏子。横島の幼なじみでありボールを蹴った少女だ。

「うん。給食のデザートをふたつ食べれば元気になると思う」

「良かったわ。びびったやん」

 いつもと変わらぬ横島の姿に、夏子はホッとした様子でデザートの件をスルーした。良くも悪くも横島は変わった子どもだった。

「横島、ちょうどええな。これ解いてみいや」

 そんな横島を担任の教師はさっそく指名した。保険医と同じアラサーで独身という光明院静香。なにやら凄そうな名前だが、ショートカットの髪のこてこての関西人である。

 実は横島がちょっと苦手な人物だった。あからさまなほど横島をいじり、銀一との態度の差はクラスの全体に影響を及ぼした人だ。

 同じことをしても横島だけ怒られてしまう根源は彼女にあった。

 もっともこの時代はよくあることだった。体罰などと騒いでも誰も聞き届けない。叱りやすい子を叱り、いじりやすい子をいじるなど当然のことだった。特に横島の学校では。

「これでいいっすか?」

 出来ないといじられる。ちょっと現状を頭の中で整理したい横島はスラスラといつもなら解けないだろう問題を解いてしまう。

「……正解や。やっぱり頭、打ったんか?」

「そうみたいっす。寝ていいっすか?」

「いいわけないやろ!」

 何処か面白くなさげな静香に横島はあまりこの頃を変わらぬようにと接しつつ、結局いじられて席に戻る。

 窓から見える空の青さにしばし横島は見入っていた。



 授業は退屈だった。画一的な子供を育てることしか考えてない学校という枠に横島は絶望的なほど相性が悪かった。

 いじられキャラで事あるごとにいじられるが、それも大人になってみると少しウザい。

 給食はカレーだった。これだけは美味いなと思い食べる。

「はい、横っち」

 お代わりしようか悩むが、ついつい懐かしさからお代わりをしてしまう。元々それがいつものことだということもあり、違和感などないことだ。

 残るはデザートのみかんゼリーとなるが、その時、夏子が横島にみかんゼリーを差し出した。

「夏子……、太ったんか?」

「あほか!」

 余計な一言だった。ボールを当てたことで心配して悪いなと思い、先ほどの会話から好物のゼリーを横島にあげようとしたのだが、その一言で怒って引っ込めてしまう。

 温かいご飯って何時ぶりだったろうかという呟きが、心の中で響いていた。


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