番外編・ネギまIN横島~R~(仮)
《受け継がれしもの》
「あなた、これも置いて行くの?」
「持って行っても使わないだろう。 まあ残しても捨てられるだけだろうがな」
私は麻帆良亭の五代目にして最後の店主になった男だ。
ついさっき最後の営業を終えた店内で引っ越しの為の荷造りを始めている。
明治以来麻帆良では最古の洋食屋として代々の店主が伝統と歴史を守って来たが、私はそれを潰してしまった愚かな男だ。
もちろん後継者候補が居なかった訳ではない。
何人かの弟子は育てたし彼らも今は自分の店を持って立派に働いている。
中には店を継ぎたいと言ってくれた弟子も居たが、私はそれを拒否して店を閉める決断をした。
正直麻帆良亭の歴史と伝統は、少々重くなり過ぎたと言うのが私の本音だ。
本来の麻帆良亭は大衆洋食屋とでも言うような、庶民の身近な洋食屋だったのだから。
だが近年の麻帆良亭は過去の思い出を懐かしむ客がほとんどになってしまった。
そんな常連を私は何よりも大切にして来たが、一方で時代の流れに合わせて店を変えて行けなかった私の責任は限りなく重い。
学生の街である麻帆良で学生に見向きもされなくなったことは時代の流れなどという他人の問題ではなく、過去と未来を上手く繋げなかった私の責任なのは確かなのである。
しかし歴史と伝統がある店を変えるのは想像以上に難しい。
過去を懐かしみ変わらぬ店を求める客が多いこの店で、何を変えて何を残すのか私には判断出来なかった。
幸いなことは麻帆良亭の味を受け継ぐ弟子を育てられたことで、最低限の義務は果たしたことだと思う。
「持っていくのは包丁とフライパンくらいでいい」
長い歴史があるこの店には、今ではアンティークに見えるほど古いテーブルや椅子から始まり食器類に至るまでたくさんの物がある。
しかし私と妻が持って行って使うとすれば、本当に基本といえる調理器具くらいだろう。
厨房の冷蔵庫やオープンもだいぶガタが来ているので、私達が去ると間違いなく捨てられるだろうが持っていくことは出来ない。
私は店の入り口に掲げていた創業当時からある木製の看板を外すと、店を閉めることを謝るように綺麗に拭いてやった。
「庭の柿の木だけでも持って行ければよかったんだけど」
「仕方ないさ。 息子達に迷惑はかけられない」
妻と二人で涙を浮かべながら店内を隅から隅まで綺麗に掃除していく私だが、ふと動きが止まった妻を見上げると妻は庭を寂しそうに見つめている。
庭いじりが好きで今の庭にある物は全て妻が植えた物だが、柿の木だけは先代から店を受け継いだ時に二人で植えた物だ。
間違って渋柿の木を植えたことに何年も気づかなかった私達だが、今思えばあの間違いがあってから妻は庭いじりを本格的に始めたという思い出の木でもある。
ここの建物の権利を売却した不動産屋の話では、店内は完全に改装してしまい庭も潰してオープンテラスのようにする計画があるらしい。
もうあの庭を見ることが出来ないのかと思うと、私と妻は我が子を亡くしたように悲しみにくれてしまう。
そして閉店から三日後、私と妻は一階の店と二階の住居の引っ越しを終えて馴染みの人達に見送られて住み慣れた麻帆良の街から去った。
引っ越し先は東京に住む息子の近くのマンションだったが、私達夫婦はもう二度と麻帆良に来ることはないと心に決めている。
あの店がこの後どんな店になるのかを知りたくないという気持ちが何より大きい。
東京行きの電車に揺られながら、これからは妻と二人で今までには出来なかった旅行にでも行こうと話しながら私達の麻帆良での生活は終わりを告げた。
「あなた、ちょっと見てくださいよ!」
それから半年を軽く過ぎて秋が深まった頃、ようやく新居にも慣れた私達の元に一つの小包が届いた。
私でも滅多に見ないほど嬉しそうな妻は慌てるように見せてくる小包の中身には私も震えるように驚いてしまう。
「これは……、まさかあの渋柿か」
見間違えるはずがなかった。
毎年収穫を楽しみにしていた、あの庭の渋柿がそこにあったのだから。
私と妻は二月に麻帆良を離れた後も昔馴染みの人達とはそれなりに交流があった。
改装されるはずだったあの店が改装されずに若い青年により喫茶店として使われてると聞いた時は、妻共々どこかホッとして嬉しく感じたのも確かだ。
しかし私と妻はそれでもあの店に行く気はなかった。
私達の麻帆良亭はもう終わったのだという想いが強かったし、何より若い青年に私達の過去を背負わせるようなことをしたくなかったこともある。
「あなた、これ」
そんな想いのある私にとって、二度と味わうことが出来ないと思っていたこの渋柿は最高の贈り物だと思う。
そして渋柿と一緒に入っていた手紙と数枚の写真を見ていた妻は、まるで子供のようにボロボロと涙をこぼして手紙と写真を見つめていた。
「これは……」
最早我慢出来なくなったのか手紙と写真を私に渡した妻は泣き崩れるが、その手紙はやはり私達の店を継いだ若い青年からの物だった。
突然一方的に贈ることへのお詫びと共に店の現状が僅かだが書かれている。
私は続けて写真を見ていくが、その写真は私の予想を遥かに超えるものだった。
綺麗な草花や野菜が青々と生い茂るあの庭と私達が植えた柿の木、そして若い少女達で賑わう店の様子だったのだから。
中には私達の時代からの常連が少女達に囲まれて、少し恥ずかしそうにしている写真までありそれが何より嬉しかった。
手紙の最後にはいつの日かご来店頂ける日が来ることを願ってますと書かれ、追伸として店も庭の木々も二人のことを待ってますとの言葉で締め括られている。
「……なあお前、柿のこと誰かに話したか?」
妻が感情を爆発させたのは当然だろう。
私ですら涙で文字が歪んで見えるのだから。
ただ一つだけ不思議なのは、青年が何故私達に柿を贈って来たのかと庭の木々のことを書いたかである。
私も妻も柿の木の思い出は誰にも話したことがないはずなのに。
「落ち着いたら一度行ってみようか」
麻帆良を離れる時、私は絶対に戻ることはないと心に決めていた。
しかし私は私達が守った店やあの柿の木が呼んでるような気がした。
そしてこの不思議な手紙をくれた青年に一度会わなければいけないと思う。
この時私はふと若い頃に先代に聞いた古い言い伝えのことを思い出していた。
麻帆良は御神木様に見守られた街であると。
御神木様はいつも人々を慈しみ見守ってくれているのだと。
なぜかそんな先代の言葉が今になって蘇ってくる。
涙の止まらぬ妻を抱きしめた私は、いつあの街のあの店に帰ろうかと考えながら贈られて来た渋柿を見つめていた。
「あなた、これも置いて行くの?」
「持って行っても使わないだろう。 まあ残しても捨てられるだけだろうがな」
私は麻帆良亭の五代目にして最後の店主になった男だ。
ついさっき最後の営業を終えた店内で引っ越しの為の荷造りを始めている。
明治以来麻帆良では最古の洋食屋として代々の店主が伝統と歴史を守って来たが、私はそれを潰してしまった愚かな男だ。
もちろん後継者候補が居なかった訳ではない。
何人かの弟子は育てたし彼らも今は自分の店を持って立派に働いている。
中には店を継ぎたいと言ってくれた弟子も居たが、私はそれを拒否して店を閉める決断をした。
正直麻帆良亭の歴史と伝統は、少々重くなり過ぎたと言うのが私の本音だ。
本来の麻帆良亭は大衆洋食屋とでも言うような、庶民の身近な洋食屋だったのだから。
だが近年の麻帆良亭は過去の思い出を懐かしむ客がほとんどになってしまった。
そんな常連を私は何よりも大切にして来たが、一方で時代の流れに合わせて店を変えて行けなかった私の責任は限りなく重い。
学生の街である麻帆良で学生に見向きもされなくなったことは時代の流れなどという他人の問題ではなく、過去と未来を上手く繋げなかった私の責任なのは確かなのである。
しかし歴史と伝統がある店を変えるのは想像以上に難しい。
過去を懐かしみ変わらぬ店を求める客が多いこの店で、何を変えて何を残すのか私には判断出来なかった。
幸いなことは麻帆良亭の味を受け継ぐ弟子を育てられたことで、最低限の義務は果たしたことだと思う。
「持っていくのは包丁とフライパンくらいでいい」
長い歴史があるこの店には、今ではアンティークに見えるほど古いテーブルや椅子から始まり食器類に至るまでたくさんの物がある。
しかし私と妻が持って行って使うとすれば、本当に基本といえる調理器具くらいだろう。
厨房の冷蔵庫やオープンもだいぶガタが来ているので、私達が去ると間違いなく捨てられるだろうが持っていくことは出来ない。
私は店の入り口に掲げていた創業当時からある木製の看板を外すと、店を閉めることを謝るように綺麗に拭いてやった。
「庭の柿の木だけでも持って行ければよかったんだけど」
「仕方ないさ。 息子達に迷惑はかけられない」
妻と二人で涙を浮かべながら店内を隅から隅まで綺麗に掃除していく私だが、ふと動きが止まった妻を見上げると妻は庭を寂しそうに見つめている。
庭いじりが好きで今の庭にある物は全て妻が植えた物だが、柿の木だけは先代から店を受け継いだ時に二人で植えた物だ。
間違って渋柿の木を植えたことに何年も気づかなかった私達だが、今思えばあの間違いがあってから妻は庭いじりを本格的に始めたという思い出の木でもある。
ここの建物の権利を売却した不動産屋の話では、店内は完全に改装してしまい庭も潰してオープンテラスのようにする計画があるらしい。
もうあの庭を見ることが出来ないのかと思うと、私と妻は我が子を亡くしたように悲しみにくれてしまう。
そして閉店から三日後、私と妻は一階の店と二階の住居の引っ越しを終えて馴染みの人達に見送られて住み慣れた麻帆良の街から去った。
引っ越し先は東京に住む息子の近くのマンションだったが、私達夫婦はもう二度と麻帆良に来ることはないと心に決めている。
あの店がこの後どんな店になるのかを知りたくないという気持ちが何より大きい。
東京行きの電車に揺られながら、これからは妻と二人で今までには出来なかった旅行にでも行こうと話しながら私達の麻帆良での生活は終わりを告げた。
「あなた、ちょっと見てくださいよ!」
それから半年を軽く過ぎて秋が深まった頃、ようやく新居にも慣れた私達の元に一つの小包が届いた。
私でも滅多に見ないほど嬉しそうな妻は慌てるように見せてくる小包の中身には私も震えるように驚いてしまう。
「これは……、まさかあの渋柿か」
見間違えるはずがなかった。
毎年収穫を楽しみにしていた、あの庭の渋柿がそこにあったのだから。
私と妻は二月に麻帆良を離れた後も昔馴染みの人達とはそれなりに交流があった。
改装されるはずだったあの店が改装されずに若い青年により喫茶店として使われてると聞いた時は、妻共々どこかホッとして嬉しく感じたのも確かだ。
しかし私と妻はそれでもあの店に行く気はなかった。
私達の麻帆良亭はもう終わったのだという想いが強かったし、何より若い青年に私達の過去を背負わせるようなことをしたくなかったこともある。
「あなた、これ」
そんな想いのある私にとって、二度と味わうことが出来ないと思っていたこの渋柿は最高の贈り物だと思う。
そして渋柿と一緒に入っていた手紙と数枚の写真を見ていた妻は、まるで子供のようにボロボロと涙をこぼして手紙と写真を見つめていた。
「これは……」
最早我慢出来なくなったのか手紙と写真を私に渡した妻は泣き崩れるが、その手紙はやはり私達の店を継いだ若い青年からの物だった。
突然一方的に贈ることへのお詫びと共に店の現状が僅かだが書かれている。
私は続けて写真を見ていくが、その写真は私の予想を遥かに超えるものだった。
綺麗な草花や野菜が青々と生い茂るあの庭と私達が植えた柿の木、そして若い少女達で賑わう店の様子だったのだから。
中には私達の時代からの常連が少女達に囲まれて、少し恥ずかしそうにしている写真までありそれが何より嬉しかった。
手紙の最後にはいつの日かご来店頂ける日が来ることを願ってますと書かれ、追伸として店も庭の木々も二人のことを待ってますとの言葉で締め括られている。
「……なあお前、柿のこと誰かに話したか?」
妻が感情を爆発させたのは当然だろう。
私ですら涙で文字が歪んで見えるのだから。
ただ一つだけ不思議なのは、青年が何故私達に柿を贈って来たのかと庭の木々のことを書いたかである。
私も妻も柿の木の思い出は誰にも話したことがないはずなのに。
「落ち着いたら一度行ってみようか」
麻帆良を離れる時、私は絶対に戻ることはないと心に決めていた。
しかし私は私達が守った店やあの柿の木が呼んでるような気がした。
そしてこの不思議な手紙をくれた青年に一度会わなければいけないと思う。
この時私はふと若い頃に先代に聞いた古い言い伝えのことを思い出していた。
麻帆良は御神木様に見守られた街であると。
御神木様はいつも人々を慈しみ見守ってくれているのだと。
なぜかそんな先代の言葉が今になって蘇ってくる。
涙の止まらぬ妻を抱きしめた私は、いつあの街のあの店に帰ろうかと考えながら贈られて来た渋柿を見つめていた。