番外編・動き出す心

さて時は数時間前に戻り、横島はバイトに向かうためにアパートを後にしていた

無表情で着替えて部屋を出る横島だが、ふと落書きが消えて綺麗になったドアを見ると言いようが無い悲しみが込み上げてくる

あの落書きをいつ誰が消したのか横島にはわからないが、正直に言うと余計な事をしたとしか感じなかった

彼女が生きた証や痕跡が消されたようで、悲しかったのである


(どんどん消えていくな)

僅か二ヶ月にも関わらず、あの戦いの痕跡はどんどん消えていた

時は流れ人は進んでいく

それは当然であり仕方ない事なのだと理解しているが、横島には受け入れられなかった


(俺……、なんでバイト行ってるんだろ)

ここ最近バイトに行くたびに、横島は自分自身に疑問を感じている

自分は何故毎日のようにバイトに行くのか

最早令子の色香もおキヌの優しさも何も感じないのに

そんな疑問を抱える横島だが、何もする気が起きないために流れに身を任せるままだった

いつもの道を歩きいつもの電車に乗って美神事務所に向かう横島だが、結局全てどうでもいいだけなのかもしれない



「ふー……」

事務所が見える場所に差し掛かろうとした時、横島はふと立ち止まり深呼吸をする

いつからそうしていたのか何故そうするのか、横島自身もよくわかって無かった

しかし次の瞬間、横島は何故か昔のような軽い表情に変わっている

道化と本心の使い分けなど横島は意識して出来ないが、令子や知り合いに会うと思うと体や魂が自然に変わるような感覚だった


「じゃ今日も行くか!」

まるで別人のような気分だった

自分でも気味が悪いほどの変化を、横島の心は冷たく突き放して見つめてる


「おはようございます~!」

いつものように元気よく事務所に入る横島を、令子は冷静に迎えおキヌは優しく迎える

何一つ変わらない温かい美神事務所の空気


しかし……

横島の心に自分達の想いが届いてない事に、令子もおキヌも気付いて無い



この日令子は機嫌がよかった

久しぶりに入った億越えの大仕事に、気合いが入っていたのである

相変わらず行く先も仕事内容も知らされない横島は、最近令子が買った車の後部座席で目を閉じていた


「全く……、朝から移動中に寝るんじゃないわよ」

来て早々に車で寝てしまった横島に、令子はミラー越しに見つめて苦笑いを浮かべている

バイトや学校で横島が大変なのは理解してるが、大仕事に気合いが入っている令子としては小言の一つも言いたくなるらしい

それでも起こそうとしないのが、令子の性格を表しているが……


(なんか落ち着かんな)

一方、目を閉じて寝ようとしていた横島だが何故か胸騒ぎを感じている


(俺、死んじまうのかな?)

令子の仕事が危険なのはよくある事だし、横島自身も大怪我をするのは何度もあった

しかし今までに危険程度を胸騒ぎで感じた事はない

滅多にない胸騒ぎに、横島は原因が命の危機なのではと思う


(死ぬのだけはダメなんだよな……)

自分の命は彼女が守ってくれたモノなのだ

全てがどうでもいいと感じる今でも、横島は死ぬ訳にはいかなかった


この時、横島は気付いて無い

胸騒ぎの原因が、横島の運命を変える出会いの予兆だという事に……


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