平和な日常~夏~

「ねえ、いなり寿司あるの?」

この日もいつもと同じ時間に店を開店する横島だったが、朝食のいなり寿司を美味しそうに頬張るタマモを見た客が次々にいなり寿司があるのか尋ねてくる

横島がメニューにない料理を作るのは常連ならば知っている有名な話なので、割と遠慮なく聞く者が多い

幸せそうに小さな口を大きく開けて口いっぱいにいなり寿司を頬張るタマモに、思わず食べたくなる客が続々と現れたのである


「ありますよ。 本当は賄いなんっすけど……」

「二個頼むよ」

「あっ、俺も」

朝に朝食を食べに来るサラリーマンらしき男性が定食とは別にいなり寿司を頼むと、次々に頼む人が声を上げていく

横島としてはタマモのリクエストで作ったいなり寿司だが、どうせ作るならと多めがいいだろうと結構余分に作ったのだがそれが次々に売れていった

まさかこれほど売れるとは思わない横島は驚いてしまうが、みんな味よりも何よりもいなり寿司を食べてるタマモの幸せそうな笑顔につい食べたくなったのは明らかである

しかし当の本人はそんな周りを見て、みんな自分と同じでいなり寿司が好きなんだなと普通に勘違いをしていたりする

そんな朝の時間が過ぎて社会人の客が居なくなると横島はようやく一息ついて朝食にしていた

以前は一人だったので開店前に食べたりもしていたが、タマモが来てからはきちんと食べてるため遅い時間になることもあるようだ


「どうだ?」

「うん、おいしい」

そんな訳で少し遅い朝食にする横島だったが、先程朝食を食べ終えたばかりのタマモも何故か食べたそうに横島を見つめていた

その姿に思わず笑い出してしまった横島が皿にあったいなり寿司を一つあげると、嬉しそうにニッコリと笑顔を見せていなり寿司を頬張る

よく味の染みたお揚げとご飯を味わうタマモの姿に、横島は自身の中に居るタマモとは別人なのだと強く意識していた

魂は同じ金毛白面九尾でも明らかに二人は違う存在であり、価値観や仕種などの個性がまるで違う

この世界のタマモはよくも悪くも人への警戒心が薄いし、種族としての記憶すら不完全なせいか本能的な働きが若干鈍い

まあそれは横島という絶対的な庇護者が居ることと、さよや木乃香達などの身近な者達の積極的な優しさの影響でもあるのだが


(環境や育ちで性格や人格なんて変わるからな。 こいつは誰よりも人に近い妖狐になるのかも……)

麻帆良という街は本当に異端な者に優しいと横島はシミジミ感じる

横島やタマモやエヴァのような存在が、平和に日々を暮らせるのはそれだけ難しい

極論を言えば力が無ければ虐げられ、力があれば疎まれるのが人間なのだ

タマモと横島がこうして平和な朝を迎えれることは、本当に有り難いことであった


「十時のおやつはメロンにするか? 食べ頃の美味しいやつ冷やしてるぞ」

「めろん?」

「そういや知らないか。 とっても美味しい果物だよ」

日々の幸せを噛み締めつつ今を生きる横島だが、タマモに甘いと微かな評判になりかけてることに本人は気付いてなかった



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