二年目の春・3

さて修学旅行中の少女達であるが二日目の最初の見学は真珠湾であった。

日本では第二次世界大戦の始まりとなる奇襲などで割と有名な場所であり、現在もアメリカ海軍太平洋艦隊の指令部があるなど軍事色が強い地域となる。


「横須賀みたいな場所なの?」

「そのようですね。 軍港ですが一部が観光施設になってるようです。 大学部の先輩は一度くらいは見ておいた方がいいと言ってたですよ。」

ただ十代の少女達にとって真珠湾というのは歴史の授業で聞いた記憶があるなという程度で正直あまり興味はない。

中にはあまりグロい見学は嫌だという声さえ聞こえるほどで真珠湾が何なのかすらきちんと知らない者も居たりする。

横島に近い少女達の中でも明日菜や美砂達はあまりというかほとんど興味がないらしく、麻帆良から比較的近い軍港とも言える横須賀を想像する程度だった。


「へ~、そうなんだ。」

「なんでも世界の常識の一端と戦争における勝者と敗者の現実がよく分かるからと。」

尤もあやかと千鶴に夕映やのどかなんかも最低限の知識はあるようだが彼女達もさほど興味がある訳ではなく、ある程度知ってるだけのようだが最近大学部の先輩と付き合いの多い夕映やのどかは一度見ておいた方がいいと言われたらしい。

ただその先輩は別に反戦や命の大切さを夕映やのどかに説いていた訳ではなく、世界の常識の一端がよく分かるからと言っていたらしいが。


「はい?」

「分りやすく言えば第二次世界大戦のアメリカの行動を正当化するための施設でもあると言ってたです。」

真珠湾をよく知らない明日菜はなんとなく夕映の説明を聞いていたが、正直半分以上ちんぷんかんぷんであった。

少し話は逸れるが実は麻帆良学園では二十年前の一件以来自分達の学園は自分達で守るんだという考えがあるので、あまり自虐的な歴史ばかり教えている訳ではない。

無論戦争を肯定してる訳ではないがそこに至るまでの様々な経緯をきちんと教えていて、麻帆良学園の特徴は第二次世界においては特にマスメディアの罪や責任なんかを積極的に教えていてマスコミには煙たがられていたりするが。

まあ原因は二十年前のメガロメセンブリアの日本撤退の際に一部のマスコミが近右衛門の麻帆良学園乗っ取りだと騒ぎ立てて対立した過去であり、麻帆良学園ではマスコミを第四の権力としてそれ以来警戒しているという事情があった。

2003年の現在では携帯電話やインターネットの普及によりマスコミを人々が見極める術があるのである程度マスコミの事情が世間に理解され始めたが、それがない二十年前の頃からマスコミの危険性を言い始めた麻帆良学園はかなり当時としては異端である。

実際雪広家と那波家が近右衛門を叩いていたマスコミとの全面対決も辞さずと近右衛門を後押ししたことと当時大学生だった者達がOBなどの協力により得られた情報からマスコミの裏側を暴露するなどした結果、慌てたマスコミ業界により一部の人間の先走りによる誤報だったと訂正することで一応の和解をしたのだが。

ただそれ以降麻帆良学園は規模の割にマスコミとは疎遠となっていて、マスコミ側は麻帆良学園について腫れ物を触るように扱わなくなっていた。

さて話は戻るが麻帆良学園では戦争の悲惨さを教えると同時にいかにして自分達の国や街を守るかということが自由に議論されている。

そういう意味で先に上げた大学部の先輩は最近活躍している夕映やのどかに対して、一般的な日本人的な価値観が必ずしも世界とは違うということを学べるからと真珠湾の見学の際に話していたらしい。


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