二年目の春・2

三月も残り数日となった翌日、麻帆良ではようやく桜の開花宣言が出されていた。

偶然にもこの日から試験販売されることになった二種類のカレーおでんは、そんな開花宣言を待ちわびていた人々で賑わう祭り会場でデビューすることになり肝心の売れ行きも悪くはなかった。

元々麻帆良カレーの屋台は祭り会場でも一等地と言える場所にあるだけに、会場に来たならば誰もが一度は目にする屋台の一つなのだ。

加えてこの時代ではカレーおでんは珍しく同じ料理を出す屋台はないので、極端な話をすれば味の良し悪しに関係なくしばらくは売れると思われる。

ただ当初横島の考えでは花見見物をする客が宴会しながらつまめる料理をと考えて考案したカレーおでんであるが、意外なことに麻帆良カレーと一緒に買う客も多かった。

値段も手頃なので一つ二つ買って味見する客も多く、関係者が半ば個人的な趣味で追加した細めのうどんのトッピングも結構好評のようだ。



「凄い量やわ。」

「わたしもがんばる!」

そんなこの日は朝から坂本夫妻が店を訪れていて、数日後に控えた麻帆良亭のイベント用の仕込みを始める日でもある。

前回までの麻帆良亭の限定復活は仕込みの大部分を坂本夫妻の自宅で行っていたが、今回は仕込む量も多いことから初めから店で仕込むことになっていた。

今朝一番で雪広グループから配達された麻帆良亭用の食材の量は木乃香達ですら驚く量で、それは昨年の麻帆良祭を思い起こさせる量になる。

仕込みは横島達はもちろんのことタマモも張り切って手伝っていて野菜を洗うなど活躍していく。


「あとはしばらく火加減に気を付けてじっくりと煮込むだけだ。」

相変わらず賑やかな横島達は坂本夫妻から見ると学校のクラブ活動のように楽しげであったが、それでも仕事はきちんとこなしていくのが横島達の特徴だろう。

坂本夫妻もそんな横島達に慣れて来たからか、この日は横島達に仕込みのコツやポイントなども細かく教えたがら仕込みをしていた。

その後タマモが入れるほど大きな寸胴鍋二つ分を仕込んだ坂本夫妻は、そのまましばらくは交代で火の番をして横島達に請われるように麻帆良亭時代の昔話をしたり料理について教えたりしていく。


「昔は大変だったんですね。」

中でも少女達が大きな興味を示したのは電化製品なんかがなかった時代の話である。

坂本夫妻自体はギリギリ電化製品などが導入された時代だったらしいが、坂本夫妻の前の店主の時代は薪のオーブンなんかを使っていたらしい。


「昔は井戸もあったが、水道が普及して冷蔵庫なんかを置くようになった時に潰してしまったよ。 よく明治時代の建物をそのまま残してなんて言われるが中は代々の店主が直したり改築したりしてるからな。」

他にもかつては厨房にあった井戸やトイレなど、建築当時から変わった部分は一階の店舗部分でも結構あるとのこと。

実際麻帆良では類似する明治期の建物が現代にも幾つか残っているが、一部を文化財として保存する以外は比較的簡単に取り壊したり現代風に大規模リフォームしてるところが大半であった。

中には保存運動などが起きた物件もあったが、麻帆良は第二次大戦で焼かれなかった街なので古い物件は数がそれなにりあったらしい。

保存するにも費用がかかるし、元々学園都市である麻帆良としては全部保存していたら学園の運営や発展に支障をきたすので戦後のとある時期に残す建物を決めてしまった過去があるようであった。




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