平和な日常~冬~5
午後になると流石に行列もだいぶ減りお客さんの勢いは一旦弱まっていた。
ただ行列自体が無くなるほどではないし、麻帆良亭の食事以外にも普通にお茶しに来た横島の店の客も居たので店内は常時満席だったが。
限定復活も二度目なのでもう少し落ち着くかとも思ったが、日曜だったこともあり混雑してるのだろう。
「まあ、神戸からわざわざいらしたのですか?」
「この機会を逃したら次はいつ食べれるか分からないですからね。」
そして前回と今回の違いと言えば麻帆良やその近隣以外から来る客が多いことだ。
関東圏は元より西は関西から東は東北まで幅広いところから、わざわざ麻帆良亭で食事をしたいとやって来ている。
よくテレビの行列が出来る店では遠くから足を運ぶ客が居るとは聞くが、実際にそれを自分が体験すると驚きを通り越して申し訳ない気持ちにすらなってしまう。
「妻と息子です。 女将さんと旦那さんには本当にお世話になりました。」
遠方から来た客はほとんどが麻帆良亭に思い入れがあり料理を楽しみに来たのと同時に坂本夫妻にも会いに来ており、そんな客には厨房から夫の方も出て来て挨拶をするのだがそれは現役時代には考えられないことで驚かれることも多い。
ただ厨房は藤井が押し掛け助っ人で来たことで多少余裕があったことと、坂本夫妻自体がこの限定復活は現役時代にお世話になったお客さんへのサービスの気持ちも持っていたので積極的に挨拶に出てきていた。
「神戸にも昔ながらの洋食はあるんですけど、なんかちがうんですよね。」
男性はいつか家族を連れて来たいと考えてるうちに時間だけが過ぎてしまい、気が付けば麻帆良亭が閉店したと後になって聞いたと言う。
無論昔ながらの洋食は決して珍しいものではないが、それでも青春の思いでの味をもう一度と考えてわざわざ来たらしい。
「でもよく今日のこと分かりましたね。 市外に告知はしていなかったはずですけど。」
「実は息子がインターネットで見つけてくれたんです。」
そんな男性は現在四十代で彼が麻帆良亭に通っていたのは二十年ほど前になる。
大学まで麻帆良で過ごした男性は就職と共に麻帆良を離れた一人であった。
今回の限定復活は一応事前に告知はしているとはいえ告知期間は一週間ほどであり、そもそも県外向けの告知なんてしていない。
そんな県外から来た客の大半は芦コーポレーションのSNSで今回の一件を知った人がかなり多かった。
「麻帆良も変わりましたね。 でもここは本当に変わってない。 なんだかこのまま学校に行かなきゃいけない気がしてきますよ。」
かつて男性が学園に通っていた頃は、現在のような立派な寮が整ってなく麻帆良亭の付近には学生向けのアパートや下宿が多かった時代である。
麻帆良亭の二階と三階も昔は下宿だったことは以前説明したが、そんな寮が整う以前は今よりもっと地域住民と学生の距離は近く坂本夫妻のような人が麻帆良では学生達の親代わりをしていた時代でもあった。
風邪を引いたと聞けば看病に行ったり学校に行ってないと聞けば様子を見に行ったりと、地域全体で学園と生徒を支えてきた歴史がある。
この男性は麻帆良亭の近くのアパートに住んでいたのだが、坂本夫妻にはよく声をかけられて世話になったことは一度や二度ではない。
仕事の都合で関西に引っ越してからは年賀状の挨拶のみを続けていたが、閉店した麻帆良亭が限定復活すると聞きいてもたってもいられなかったようだ。
「そうね。 ここは本当に変わらないわ。 私達も不思議なくらい。」
変わらぬ店内を見ていると懐かしい想い出が次々と甦ってくる。
昔と変わらぬ店でかつて学生だった人が成長した姿を見られるのは坂本夫妻にとって本当に幸せなことだった。
そして坂本夫妻はこの時言葉には出さないがそれぞれに一つの決断を密かにしていた。
それは事前の打ち合わせで横島が提案していた麻帆良亭の定期復活というか定期営業についてである。
この男性のように来店をしたいと遠くから来たい客がまだ居るかもしれない。
ならば横島の迷惑にならない範囲で定期的な営業を考えてみようと心に決めていた。
ただ行列自体が無くなるほどではないし、麻帆良亭の食事以外にも普通にお茶しに来た横島の店の客も居たので店内は常時満席だったが。
限定復活も二度目なのでもう少し落ち着くかとも思ったが、日曜だったこともあり混雑してるのだろう。
「まあ、神戸からわざわざいらしたのですか?」
「この機会を逃したら次はいつ食べれるか分からないですからね。」
そして前回と今回の違いと言えば麻帆良やその近隣以外から来る客が多いことだ。
関東圏は元より西は関西から東は東北まで幅広いところから、わざわざ麻帆良亭で食事をしたいとやって来ている。
よくテレビの行列が出来る店では遠くから足を運ぶ客が居るとは聞くが、実際にそれを自分が体験すると驚きを通り越して申し訳ない気持ちにすらなってしまう。
「妻と息子です。 女将さんと旦那さんには本当にお世話になりました。」
遠方から来た客はほとんどが麻帆良亭に思い入れがあり料理を楽しみに来たのと同時に坂本夫妻にも会いに来ており、そんな客には厨房から夫の方も出て来て挨拶をするのだがそれは現役時代には考えられないことで驚かれることも多い。
ただ厨房は藤井が押し掛け助っ人で来たことで多少余裕があったことと、坂本夫妻自体がこの限定復活は現役時代にお世話になったお客さんへのサービスの気持ちも持っていたので積極的に挨拶に出てきていた。
「神戸にも昔ながらの洋食はあるんですけど、なんかちがうんですよね。」
男性はいつか家族を連れて来たいと考えてるうちに時間だけが過ぎてしまい、気が付けば麻帆良亭が閉店したと後になって聞いたと言う。
無論昔ながらの洋食は決して珍しいものではないが、それでも青春の思いでの味をもう一度と考えてわざわざ来たらしい。
「でもよく今日のこと分かりましたね。 市外に告知はしていなかったはずですけど。」
「実は息子がインターネットで見つけてくれたんです。」
そんな男性は現在四十代で彼が麻帆良亭に通っていたのは二十年ほど前になる。
大学まで麻帆良で過ごした男性は就職と共に麻帆良を離れた一人であった。
今回の限定復活は一応事前に告知はしているとはいえ告知期間は一週間ほどであり、そもそも県外向けの告知なんてしていない。
そんな県外から来た客の大半は芦コーポレーションのSNSで今回の一件を知った人がかなり多かった。
「麻帆良も変わりましたね。 でもここは本当に変わってない。 なんだかこのまま学校に行かなきゃいけない気がしてきますよ。」
かつて男性が学園に通っていた頃は、現在のような立派な寮が整ってなく麻帆良亭の付近には学生向けのアパートや下宿が多かった時代である。
麻帆良亭の二階と三階も昔は下宿だったことは以前説明したが、そんな寮が整う以前は今よりもっと地域住民と学生の距離は近く坂本夫妻のような人が麻帆良では学生達の親代わりをしていた時代でもあった。
風邪を引いたと聞けば看病に行ったり学校に行ってないと聞けば様子を見に行ったりと、地域全体で学園と生徒を支えてきた歴史がある。
この男性は麻帆良亭の近くのアパートに住んでいたのだが、坂本夫妻にはよく声をかけられて世話になったことは一度や二度ではない。
仕事の都合で関西に引っ越してからは年賀状の挨拶のみを続けていたが、閉店した麻帆良亭が限定復活すると聞きいてもたってもいられなかったようだ。
「そうね。 ここは本当に変わらないわ。 私達も不思議なくらい。」
変わらぬ店内を見ていると懐かしい想い出が次々と甦ってくる。
昔と変わらぬ店でかつて学生だった人が成長した姿を見られるのは坂本夫妻にとって本当に幸せなことだった。
そして坂本夫妻はこの時言葉には出さないがそれぞれに一つの決断を密かにしていた。
それは事前の打ち合わせで横島が提案していた麻帆良亭の定期復活というか定期営業についてである。
この男性のように来店をしたいと遠くから来たい客がまだ居るかもしれない。
ならば横島の迷惑にならない範囲で定期的な営業を考えてみようと心に決めていた。