刀剣乱舞短編
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【呑まれる】
「あー!!待って主それは……!」
一振の刀の叫びが響く。だがそれは、肝心の主の行動を止めるには至らなかったようだ。
「へ?どうしたのー?」
本人は一体何事かと首をかしげている。声の主である燭台切は慌ててその手からコップを取り上げた。
審神者の様子を確認するが、笑顔で頭の上にはてなマークを浮かべているいつもと変わりない様子の彼女にほっと息を吐く。どうやら、彼の心配は余計なお世話に終わったみたいだった。
「ダメだよ、主、これ、お酒だから。ちゃんとよく見て飲むんだよ」
燭台切が取り上げたそのコップの中には確かに、ジュースと見分けのつかない甘めのお酒が入っている。
「嘘、お酒だったんだ!ごめんごめん、気をつけるね」
現在、大広間は宴会騒ぎの真っ只中。それなりに時間の進んだ机の上は誰のものともわからないコップがいくつか乱立している。間違えてしまうのも無理はないだろう。
幸いにも、あまり多く飲んだわけでもないし、何か影響があるほどのものではなかったみたいだ。
審神者は酒にめっぽう弱い。以前、そんなに強いわけでもないお酒をたった一杯飲んだだけで見事に酔いつぶれ、その何倍も飲んでいるであろう刀剣たちと同じように広間で眠りこけてしまっていたのは記憶に新しい。
そんなことがあったから、慌てて止めた燭台切だったが、さすがにまたぶっ倒れるなどということはなさそうで安心する。
「ジュースなら持ってきてあげるから、ちょっと待ってて」
また別の物を間違えて飲まれでもしたらたまらない。ちゃんと安全に飲める飲み物を確保するため、席を立つ燭台切。だが、それは、袖をクイッと引く審神者によって止められた。
「ん?どうしたの?」
うつむいたまま、無言で燭台切を引き止めた審神者に優しく問いかける。
「うわぁあああああんいっちゃ嫌だよ、燭台切ぃー!」
突然の泣き声。とは言っても本当に泣いているわけではなさそうだ。そうやって抗議の声をあげて、燭台切を引き止めるのは他でもない審神者。立ち上がった彼の腰に巻きつくようにして、その動きを妨害している。
「あ、主!?ちょっとなになに、どうしたの!?」
審神者の突然の豹変っぷりにさすがの燭台切も狼狽える。
しかし、そんなのにはお構いなし。審神者はさらにその腕の力を強めて、絶対に離さないと言った様子で燭台切を抱きしめ続ける。腰のあたりに抱きついたまま、燭台切を見上げる瞳はわがままを言う子供のように抗議の色を感じる。見事な上目遣いの完成だ。
そこまでされて、燭台切もやっと気づいた。
「あぁー……主、さてはめちゃくちゃ酔ってるでしょ……」
「酔ってないよ!!ちゃんとしてるでしょ!!」
ぷりぷりと怒ったように言うが、全く怖くない。その間も、絶対に手を緩めることなく、しっかり腰をホールドしている。
「いや、間違いなく酔ってるね……」
思い返すと、審神者が酒を飲んだのは酔いつぶれ事件一度だけ。その一度が許容範囲を超えて完全に潰れるという形だったために、普通に酔った時のことなど知らなかったし、考えたこともなかった。酔う前には潰れてしまいそうだからだ。
だが、たった一口。それが酒に弱すぎる審神者が気持ちよく酔える量だったみたいだ。
顔を火照らせた審神者は怒っていたはずなのに、どこか上機嫌にニコニコとしている。そして、楽しそうに頭を燭台切のお腹にすり寄せては満足げに安心した顔をしている。
正直、審神者のそんな様子は見ていて楽しい。こうして抱きつかれているのだって、悪い気はしないというのが燭台切の本音だ。別にこのままでもいいかな、と思わないでもない。だが、それにはいくつか問題があった。
まずここはみんなのいる宴会場。それに、この状況を見て刀を持ち出しそうな刀剣が何振か思い浮かぶ。面倒なことになるのは避けられないんじゃないだろうか。
そう思うと、惜しい気持ちはあるが、審神者を早くひっぺがす方が良さそうだ。
「主、どこにもいかないからさ、離れようか?ね?」
できるだけ優しく、そう言いながらその腕を解くためにやんわりと手をかけるが、そんなのは許さないとさらに腕の力を強められてしまった。
「やだ」
頑として動く気はないみたいだ。
そんなにも自分にくっついていたいのか、そんなことを考えれば少し嬉しいような気がしないでもない。今ここが、静かな部屋だったならば。
「主ー?じゃあ僕と一緒に行こうか?夜風にでも当たらない?」
離れないのならば、考え方を変えたらどうか。何も離れる必要はない。人目さえなければ、気にすることなど何もなくなるのだ。彼女を支えるようにして部屋を出れば、介抱とか適当なことを言ってごまかせるだろう。
「おいおいおい、羨ましい状況じゃないか光坊!」
だが、そんな燭台切の作戦は無残にくだけ散る。
現れたのは、過激なことはしないだろうが、厄介なことには間違いない刀、鶴丸だ。
「もぉー……面倒なのに見つかった」
「ひどい言い草じゃないか。なんだ、そのお腰につけた主は。1つ俺にもくれないか?」
「主はお団子じゃないの。それに1人しかいないんだからね、あげられないよ。ほら立って、行こう」
バレてしまったが、燭台切は強行突破の姿勢に出る。鶴丸のことはなるべくスルーして、早く主をこの部屋から連れ出したい。
しかし、あんなにも頑として離さなかった審神者の手が、あっけなく燭台切の腰から離れていく。
「えっ」
突然の解放に、思わず声をあげる燭台切。そうしてあっけに取られている間に、審神者は次のターゲットに移ったみたいだ。
「お?なんだなんだ?積極的じゃないか」
審神者が燭台切を捨てて次に向かったのは鶴丸のもとだ。拗ねたような顔で、「ん」と腕を伸ばす審神者の意図をすぐに読み取った鶴丸は、それを受け入れるようにして抱きとめる。
「ははは、光坊よりも俺のほうがいいのか?そうかそうか!」
「ちょ、ちょっと、主!?ダメだよ主、ほらおいで?僕と行こう?」
べったりくっつかれていたのに、突然離れてしまうと少しばかり寂しさを感じる。だがそれ以前に、主が自分以外に抱きついているなんて耐えがたい状況だ。なんとかして主を取り戻すべく、腕を広げてみるが、もう燭台切からは興味がそれてしまったみたいだ。
次のお気に入り、鶴丸に乗り換えた審神者は、座ってしっかり抱きとめてくれる鶴丸に体重を預けるようにして、その肩口に顔を埋めた。
「なんだ?主は甘えたい気分なのか?」
「んー……」
曖昧な返事をして、その代わりにグリグリと額をこすりつける。その顔はさらに赤みが増していて、どこか目もぼーっとしているようだ。酔いが回っているのか、言葉数も少ないみたいだ。
「主、間違ってお酒飲んじゃって、今めちゃくちゃ酔ってるからね。間違っても間違ったことはしないでね」
燭台切がそうだったように、鶴丸もまた、審神者に抱きつかれて悪い気はしていないように見える。どこか嬉しそうに頬を緩ませている彼に釘をさす燭台切。
立った状態で腰に巻きつかれていた自分に比べて、お互いに座って完全に体を預けられるようにしている鶴丸の方が距離も近ければ、密着度も高い。正直に言ってしまえば羨ましいことこの上ない。こんなものをみるくらいなら、抱きかかえてでも無理矢理部屋から連れ出していた方がよかったかもしれない。
「主の浮気者……」
「おいおい、男の嫉妬は醜いぜ?」
審神者を腕の中に抱き、鶴丸は得意顔だ。そのまま調子に乗って頭を撫でたりなんかしているが、審神者も審神者でそれに抵抗する気はないらしい。されるがままに頭を撫でられるばかりか、時折気持ち良さそうに目を細めている。本当にそのまま寝てしまいそうだ。
はたから見ていれば、2人はまるで恋人同士かのような距離で体を寄せ合っている。そんな姿を見て、気にくわないと思うのは何も燭台切だけではない。
「あ、あ、あ、主……!?」
むしろ、気にくわない、で済めば良い方だ。
目を見開いて、信じられないものを見たような顔をするのはへし切長谷部だ。そう、燭台切が真っ先に思い浮かべた厄介な刀一号。
その顔に驚きと悲しみを浮かべていたのは一瞬のこと、すぐさま鬼の形相に切り替わる。それは審神者の腰と頭に手を回して、しっかりと抱きかかえている鶴丸に向けられることとなる。
「貴様、すぐにその汚らわしい手を離せ。誰の許可を得てそんなことをしている」
「誰って、そりゃ他でもない主さ。なあ主?俺に甘えたくて仕方なかったんだよなー?」
そう言って、審神者の顔を覗き込むようにしていう鶴丸は、どさくさに紛れて随分と近く顔を寄せる。長谷部の額には青筋が立つのが見て取れる。
だが、そんな長谷部の顔は一瞬で絶望に変わることとなる。
「んー……鶴丸……」
甘えるように名前を呼び、審神者が鶴丸に頰をくっつけるようにすり寄った。それには当の鶴丸本人も少し目を見開いてたじろぐ。
審神者自らの行動に、ショックを隠せない長谷部はその場に崩れ落ちてぶつくさと自問自答を始める。なぜ、自分ではなく鶴丸なのか。鶴丸よりもよっぽど主に尽くしてきた自信はあるというのに。
忘れてはいけないが、今は宴会の真っ最中。もちろん、長谷部もそれなりに酒を飲んでいる。そして例に漏れずしっかり酔っているのだ。
そのおかげですっかり涙腺が弱くなっているらしい長谷部はついにおいおいと泣き出す始末。抱き合う2人の前に号泣する成人男性の図はなかなかの光景だ。
「長谷部……」
ふらり、と審神者が鶴丸の腕を抜け出した。そうして、長谷部の前に立った審神者は彼に呼びかける。
自分に落ちる影とその声で、目の前に立っているのが審神者だと瞬時に理解した長谷部は、自分を呼ぶ審神者の声にそのぐちゃぐちゃの顔をあげる。
その頬を両手で挟み込んだ審神者は、おもむろに自分の顔を近づけた。
長谷部には、一体何が起きたのか理解できなかった。
今、自分の顔に触れている柔らかな感触は、主の可愛らしい手が2つ頬に。そして、唇に触れているこれは一体……。
「うわーーーーー!!!!」
燭台切の大声で、ハッと我に返る。
未だ唇同士が触れている審神者を軽く押すが、ぐいぐいと唇を押し付けてくる審神者は離れる様子がない。
「あ、あぅじ……んぅ……」
顔をそらして、なんとか言葉を紡ごうとするがそれすらも許してくれない。唇を押し付けるだけの可愛らしいキスだが、それでもこうも情熱的にされれば、流されてしまうというもの。それも、想いを寄せる主からのものだ。理性など簡単に吹き飛んでしまう。更に付け加えれば、長谷部は今かなり酔っている。
ご随意にどうぞ。そう心の中でつぶやいて、主に身を任せて目を閉じる。
このままずっとキスをされ続けてもいい。なんならそれ以上をされてもいい。主になら何をされても喜んで受け入れるだろう。
「何流されてるの!長谷部くんもだいぶ酔ってるよね!?」
バスン、と頭を叩かれたにしては鈍い音が響く。衝撃に目を開けば、審神者を必死にひきはがす短刀たちと、長谷部の頭を叩いた犯人と思われる燭台切。そして他にも何人か。
燭台切の大声も手伝って、審神者と長谷部のキスは宴会中の注目を攫ったらしい。
「ねー、ほんとありえないんだけど!長谷部お前!」
「目なんか閉じちゃってさ!」
「俺だって主としたいんだけどー!」
事態に気がついた刀たちは口々に長谷部を非難する。中には聞き捨てならない声も混ざってはいるが、そもそも、長谷部から仕掛けたことではないので非難される言われはない。だが、そんなことをいいかえす余裕は今の長谷部にはない。先ほどまで触れていた審神者の唇の感触で、完全に容量いっぱいいっぱいだ。
言い返してこない長谷部に、周りは言いたい放題だ。
「わっ、主君!?」
「主、ち、近いです!」
そんな中、突然あがった声に皆が振り向く。そこには短刀に抑えられた審神者がいるはずだったが。
両手に花ならぬ、前田と平野を抱えて、大変満足げな審神者がいる。2人を抱き寄せて見事なサンドイッチ状態だ。頬がくっつく距離で顔を寄せ合う3人は、どこか微笑ましくも見える。
「が、眼福ですな……!」
「一期くん!!」
なぜか嬉しそうな一期一振。可愛い弟に挟まれる可愛い主。確かに、兄からしてみると完璧な絵面かもしれない。
「主さん、お水持ってきたよー……ってあー!何してるの!」
そこへ、コップを持ってやってきたのは乱だ。
どうやら、乱が水を取りに行っている間に、前田と平野の2人で主を見ていたらしい。その結果がこれなわけだが。
「ずるいずるい!2人だけ楽しんでるの!?」
「違います!」
「主、離してください!」
顔を赤くして、身をよじる2人だが、審神者は離す気などないようで、腕の力を強める始末。すかさず、周りのギャラリーから助けの手が伸びる。
「ほら、まずは水を飲む!乱、貸して」
前田と平野を手放して、フリーになった審神者に駆け寄ったのは歌仙だ。真っ赤な顔でどこかぼーっとしている審神者に、すぐに酔っているのだと判断してまずは水を飲ませにかかる。
口元までコップを運んで飲むように促すが、少しずつ傾けても口の中に入っていかない。飲む気がないのか、端からこぼれ落ちてしまう始末だ。
「あぁ、もう!すまない、ふきんを取ってくれるかな」
こぼれてしまった水を拭くべく、周りの刀に要請する。
そうやって、顔を背けた一瞬のうちの犯行だった。
「あ」
それはギャラリーからこぼれた声だ。
その反応で、初めて何かが起きたのを悟った歌仙は一瞬遅れて自分の状況を理解する。
右頬に、審神者の唇が触れているのだ。
たちまち顔が真っ赤になっていく歌仙。それは羞恥からか、はたまた怒りのせいか。真意はわからないが、彼の顔がまるで般若面のように釣りあがっていくのは確かだ。
わなわなと震える手が、がっしりと審神者の肩を捕まえた。
「この子を身動き取れなくしてくれるかな……すまきでもなんでも構わない、僕が責任を取ろう」
その声は静かだが、その裏には怒りが見え隠れしている。酔いから覚めた後の審神者を哀れんだのは一振二振ではない。
なんとか審神者を簀巻き状態にした刀たち。その間にも被害は拡大した。隙あらば、抱きつこうとする審神者に刀たちは気が気ではない。無理はない。慕っている女性からの過剰なスキンシップに反応するなという方が、人の体を得た刀たちにとっては酷なことだ。
「これで一安心……かな」
「まったく、こっちの気も知らないで気持ち良さそうに寝ちゃってさ……」
そうこうしているうちに、審神者はすよすよと寝息を立て始めている。そんな審神者を自室へ運び込んで、歌仙と燭台切はほっと息をついた。
「主が酔うとこんな風になっちゃうなんてびっくりだよね」
「今後二度と、主に酒は与えないようにしないと」
固く誓う歌仙に燭台切もうんうんと頷く。
翌朝、目を覚ました審神者はなぜか自由の効かない体に困惑する。
一瞬、金縛りが頭をよぎったが、すぐにそれが物理的なものだと理解する。布団に包まれていると気づくのもすぐだ。
それが霊的なものでなく、物理的なものだとわかったところで、なぜこんな状態なのか。当然の疑問が浮かんでくる。
しかし思い当たる節はない。それどころか、昨日の記憶があまりない気がする。最後の記憶は、宴会会場でみんなと楽しく飲み食いをしていたこと。そのあと、一体何があってこんな状態になっているのか。犯人はいったい。
「おや、お目覚めのようだね」
聞きなれた声に顔をあげると、そこにいるのは歌仙だ。
その顔には笑顔が浮かんでいるものの、なぜか恐ろしいオーラを感じる。
「お、おはよう……いい朝だね」
「おや、それはよかった。ところで、昨日のことは覚えていないなんて言わせないよ?」
いきなり核心を突くその言葉に、審神者の心臓はどきりと跳ねる。
「い、いやぁ……昨日は楽しかったよね、あはは……」
思い当たることはどれだけ頭の中を巡っても出てこない。適当な感想でごまかそうとするが、当然それで流されてくれる歌仙ではない。
「……はぁ。自覚なしの犯行とはたちが悪いな……」
ため息をつきながらも、歌仙は審神者の拘束を解く。自由になった体を伸ばしながら、審神者は昨日のことを思い出そうとするが、全くと言っていいほど何も覚えていない。
だが、歌仙に聞くのは少し憚られる。それならば、別の刀に聞けば良い。宴会にはみんな参加していたのだから、きっと誰かしら教えてくれるはずだ。
だが、なぜかみんなして、審神者と顔を合わせるのを気まずそうにしたり、聞かれても適当にごまかして立ち去ってしまったりと、微妙な反応ばかりだ。そんな反応に、疑問を募らせる審神者の元に長谷部がやってきて、「責任は取らせてください!」などとわけのわからないことを叫んだことで、審神者に昨日のことが全て打ち明けられた。
全く身に覚えのない、己の行動の数々に、顔を真っ赤に染め上げた審神者は、二度と酒を飲まないことを皆の前で誓うことになった。
だが、昨夜の出来事を悪くはなかった、などと思う者も数名いたことはここだけの話だ。
2019.4.21
「あー!!待って主それは……!」
一振の刀の叫びが響く。だがそれは、肝心の主の行動を止めるには至らなかったようだ。
「へ?どうしたのー?」
本人は一体何事かと首をかしげている。声の主である燭台切は慌ててその手からコップを取り上げた。
審神者の様子を確認するが、笑顔で頭の上にはてなマークを浮かべているいつもと変わりない様子の彼女にほっと息を吐く。どうやら、彼の心配は余計なお世話に終わったみたいだった。
「ダメだよ、主、これ、お酒だから。ちゃんとよく見て飲むんだよ」
燭台切が取り上げたそのコップの中には確かに、ジュースと見分けのつかない甘めのお酒が入っている。
「嘘、お酒だったんだ!ごめんごめん、気をつけるね」
現在、大広間は宴会騒ぎの真っ只中。それなりに時間の進んだ机の上は誰のものともわからないコップがいくつか乱立している。間違えてしまうのも無理はないだろう。
幸いにも、あまり多く飲んだわけでもないし、何か影響があるほどのものではなかったみたいだ。
審神者は酒にめっぽう弱い。以前、そんなに強いわけでもないお酒をたった一杯飲んだだけで見事に酔いつぶれ、その何倍も飲んでいるであろう刀剣たちと同じように広間で眠りこけてしまっていたのは記憶に新しい。
そんなことがあったから、慌てて止めた燭台切だったが、さすがにまたぶっ倒れるなどということはなさそうで安心する。
「ジュースなら持ってきてあげるから、ちょっと待ってて」
また別の物を間違えて飲まれでもしたらたまらない。ちゃんと安全に飲める飲み物を確保するため、席を立つ燭台切。だが、それは、袖をクイッと引く審神者によって止められた。
「ん?どうしたの?」
うつむいたまま、無言で燭台切を引き止めた審神者に優しく問いかける。
「うわぁあああああんいっちゃ嫌だよ、燭台切ぃー!」
突然の泣き声。とは言っても本当に泣いているわけではなさそうだ。そうやって抗議の声をあげて、燭台切を引き止めるのは他でもない審神者。立ち上がった彼の腰に巻きつくようにして、その動きを妨害している。
「あ、主!?ちょっとなになに、どうしたの!?」
審神者の突然の豹変っぷりにさすがの燭台切も狼狽える。
しかし、そんなのにはお構いなし。審神者はさらにその腕の力を強めて、絶対に離さないと言った様子で燭台切を抱きしめ続ける。腰のあたりに抱きついたまま、燭台切を見上げる瞳はわがままを言う子供のように抗議の色を感じる。見事な上目遣いの完成だ。
そこまでされて、燭台切もやっと気づいた。
「あぁー……主、さてはめちゃくちゃ酔ってるでしょ……」
「酔ってないよ!!ちゃんとしてるでしょ!!」
ぷりぷりと怒ったように言うが、全く怖くない。その間も、絶対に手を緩めることなく、しっかり腰をホールドしている。
「いや、間違いなく酔ってるね……」
思い返すと、審神者が酒を飲んだのは酔いつぶれ事件一度だけ。その一度が許容範囲を超えて完全に潰れるという形だったために、普通に酔った時のことなど知らなかったし、考えたこともなかった。酔う前には潰れてしまいそうだからだ。
だが、たった一口。それが酒に弱すぎる審神者が気持ちよく酔える量だったみたいだ。
顔を火照らせた審神者は怒っていたはずなのに、どこか上機嫌にニコニコとしている。そして、楽しそうに頭を燭台切のお腹にすり寄せては満足げに安心した顔をしている。
正直、審神者のそんな様子は見ていて楽しい。こうして抱きつかれているのだって、悪い気はしないというのが燭台切の本音だ。別にこのままでもいいかな、と思わないでもない。だが、それにはいくつか問題があった。
まずここはみんなのいる宴会場。それに、この状況を見て刀を持ち出しそうな刀剣が何振か思い浮かぶ。面倒なことになるのは避けられないんじゃないだろうか。
そう思うと、惜しい気持ちはあるが、審神者を早くひっぺがす方が良さそうだ。
「主、どこにもいかないからさ、離れようか?ね?」
できるだけ優しく、そう言いながらその腕を解くためにやんわりと手をかけるが、そんなのは許さないとさらに腕の力を強められてしまった。
「やだ」
頑として動く気はないみたいだ。
そんなにも自分にくっついていたいのか、そんなことを考えれば少し嬉しいような気がしないでもない。今ここが、静かな部屋だったならば。
「主ー?じゃあ僕と一緒に行こうか?夜風にでも当たらない?」
離れないのならば、考え方を変えたらどうか。何も離れる必要はない。人目さえなければ、気にすることなど何もなくなるのだ。彼女を支えるようにして部屋を出れば、介抱とか適当なことを言ってごまかせるだろう。
「おいおいおい、羨ましい状況じゃないか光坊!」
だが、そんな燭台切の作戦は無残にくだけ散る。
現れたのは、過激なことはしないだろうが、厄介なことには間違いない刀、鶴丸だ。
「もぉー……面倒なのに見つかった」
「ひどい言い草じゃないか。なんだ、そのお腰につけた主は。1つ俺にもくれないか?」
「主はお団子じゃないの。それに1人しかいないんだからね、あげられないよ。ほら立って、行こう」
バレてしまったが、燭台切は強行突破の姿勢に出る。鶴丸のことはなるべくスルーして、早く主をこの部屋から連れ出したい。
しかし、あんなにも頑として離さなかった審神者の手が、あっけなく燭台切の腰から離れていく。
「えっ」
突然の解放に、思わず声をあげる燭台切。そうしてあっけに取られている間に、審神者は次のターゲットに移ったみたいだ。
「お?なんだなんだ?積極的じゃないか」
審神者が燭台切を捨てて次に向かったのは鶴丸のもとだ。拗ねたような顔で、「ん」と腕を伸ばす審神者の意図をすぐに読み取った鶴丸は、それを受け入れるようにして抱きとめる。
「ははは、光坊よりも俺のほうがいいのか?そうかそうか!」
「ちょ、ちょっと、主!?ダメだよ主、ほらおいで?僕と行こう?」
べったりくっつかれていたのに、突然離れてしまうと少しばかり寂しさを感じる。だがそれ以前に、主が自分以外に抱きついているなんて耐えがたい状況だ。なんとかして主を取り戻すべく、腕を広げてみるが、もう燭台切からは興味がそれてしまったみたいだ。
次のお気に入り、鶴丸に乗り換えた審神者は、座ってしっかり抱きとめてくれる鶴丸に体重を預けるようにして、その肩口に顔を埋めた。
「なんだ?主は甘えたい気分なのか?」
「んー……」
曖昧な返事をして、その代わりにグリグリと額をこすりつける。その顔はさらに赤みが増していて、どこか目もぼーっとしているようだ。酔いが回っているのか、言葉数も少ないみたいだ。
「主、間違ってお酒飲んじゃって、今めちゃくちゃ酔ってるからね。間違っても間違ったことはしないでね」
燭台切がそうだったように、鶴丸もまた、審神者に抱きつかれて悪い気はしていないように見える。どこか嬉しそうに頬を緩ませている彼に釘をさす燭台切。
立った状態で腰に巻きつかれていた自分に比べて、お互いに座って完全に体を預けられるようにしている鶴丸の方が距離も近ければ、密着度も高い。正直に言ってしまえば羨ましいことこの上ない。こんなものをみるくらいなら、抱きかかえてでも無理矢理部屋から連れ出していた方がよかったかもしれない。
「主の浮気者……」
「おいおい、男の嫉妬は醜いぜ?」
審神者を腕の中に抱き、鶴丸は得意顔だ。そのまま調子に乗って頭を撫でたりなんかしているが、審神者も審神者でそれに抵抗する気はないらしい。されるがままに頭を撫でられるばかりか、時折気持ち良さそうに目を細めている。本当にそのまま寝てしまいそうだ。
はたから見ていれば、2人はまるで恋人同士かのような距離で体を寄せ合っている。そんな姿を見て、気にくわないと思うのは何も燭台切だけではない。
「あ、あ、あ、主……!?」
むしろ、気にくわない、で済めば良い方だ。
目を見開いて、信じられないものを見たような顔をするのはへし切長谷部だ。そう、燭台切が真っ先に思い浮かべた厄介な刀一号。
その顔に驚きと悲しみを浮かべていたのは一瞬のこと、すぐさま鬼の形相に切り替わる。それは審神者の腰と頭に手を回して、しっかりと抱きかかえている鶴丸に向けられることとなる。
「貴様、すぐにその汚らわしい手を離せ。誰の許可を得てそんなことをしている」
「誰って、そりゃ他でもない主さ。なあ主?俺に甘えたくて仕方なかったんだよなー?」
そう言って、審神者の顔を覗き込むようにしていう鶴丸は、どさくさに紛れて随分と近く顔を寄せる。長谷部の額には青筋が立つのが見て取れる。
だが、そんな長谷部の顔は一瞬で絶望に変わることとなる。
「んー……鶴丸……」
甘えるように名前を呼び、審神者が鶴丸に頰をくっつけるようにすり寄った。それには当の鶴丸本人も少し目を見開いてたじろぐ。
審神者自らの行動に、ショックを隠せない長谷部はその場に崩れ落ちてぶつくさと自問自答を始める。なぜ、自分ではなく鶴丸なのか。鶴丸よりもよっぽど主に尽くしてきた自信はあるというのに。
忘れてはいけないが、今は宴会の真っ最中。もちろん、長谷部もそれなりに酒を飲んでいる。そして例に漏れずしっかり酔っているのだ。
そのおかげですっかり涙腺が弱くなっているらしい長谷部はついにおいおいと泣き出す始末。抱き合う2人の前に号泣する成人男性の図はなかなかの光景だ。
「長谷部……」
ふらり、と審神者が鶴丸の腕を抜け出した。そうして、長谷部の前に立った審神者は彼に呼びかける。
自分に落ちる影とその声で、目の前に立っているのが審神者だと瞬時に理解した長谷部は、自分を呼ぶ審神者の声にそのぐちゃぐちゃの顔をあげる。
その頬を両手で挟み込んだ審神者は、おもむろに自分の顔を近づけた。
長谷部には、一体何が起きたのか理解できなかった。
今、自分の顔に触れている柔らかな感触は、主の可愛らしい手が2つ頬に。そして、唇に触れているこれは一体……。
「うわーーーーー!!!!」
燭台切の大声で、ハッと我に返る。
未だ唇同士が触れている審神者を軽く押すが、ぐいぐいと唇を押し付けてくる審神者は離れる様子がない。
「あ、あぅじ……んぅ……」
顔をそらして、なんとか言葉を紡ごうとするがそれすらも許してくれない。唇を押し付けるだけの可愛らしいキスだが、それでもこうも情熱的にされれば、流されてしまうというもの。それも、想いを寄せる主からのものだ。理性など簡単に吹き飛んでしまう。更に付け加えれば、長谷部は今かなり酔っている。
ご随意にどうぞ。そう心の中でつぶやいて、主に身を任せて目を閉じる。
このままずっとキスをされ続けてもいい。なんならそれ以上をされてもいい。主になら何をされても喜んで受け入れるだろう。
「何流されてるの!長谷部くんもだいぶ酔ってるよね!?」
バスン、と頭を叩かれたにしては鈍い音が響く。衝撃に目を開けば、審神者を必死にひきはがす短刀たちと、長谷部の頭を叩いた犯人と思われる燭台切。そして他にも何人か。
燭台切の大声も手伝って、審神者と長谷部のキスは宴会中の注目を攫ったらしい。
「ねー、ほんとありえないんだけど!長谷部お前!」
「目なんか閉じちゃってさ!」
「俺だって主としたいんだけどー!」
事態に気がついた刀たちは口々に長谷部を非難する。中には聞き捨てならない声も混ざってはいるが、そもそも、長谷部から仕掛けたことではないので非難される言われはない。だが、そんなことをいいかえす余裕は今の長谷部にはない。先ほどまで触れていた審神者の唇の感触で、完全に容量いっぱいいっぱいだ。
言い返してこない長谷部に、周りは言いたい放題だ。
「わっ、主君!?」
「主、ち、近いです!」
そんな中、突然あがった声に皆が振り向く。そこには短刀に抑えられた審神者がいるはずだったが。
両手に花ならぬ、前田と平野を抱えて、大変満足げな審神者がいる。2人を抱き寄せて見事なサンドイッチ状態だ。頬がくっつく距離で顔を寄せ合う3人は、どこか微笑ましくも見える。
「が、眼福ですな……!」
「一期くん!!」
なぜか嬉しそうな一期一振。可愛い弟に挟まれる可愛い主。確かに、兄からしてみると完璧な絵面かもしれない。
「主さん、お水持ってきたよー……ってあー!何してるの!」
そこへ、コップを持ってやってきたのは乱だ。
どうやら、乱が水を取りに行っている間に、前田と平野の2人で主を見ていたらしい。その結果がこれなわけだが。
「ずるいずるい!2人だけ楽しんでるの!?」
「違います!」
「主、離してください!」
顔を赤くして、身をよじる2人だが、審神者は離す気などないようで、腕の力を強める始末。すかさず、周りのギャラリーから助けの手が伸びる。
「ほら、まずは水を飲む!乱、貸して」
前田と平野を手放して、フリーになった審神者に駆け寄ったのは歌仙だ。真っ赤な顔でどこかぼーっとしている審神者に、すぐに酔っているのだと判断してまずは水を飲ませにかかる。
口元までコップを運んで飲むように促すが、少しずつ傾けても口の中に入っていかない。飲む気がないのか、端からこぼれ落ちてしまう始末だ。
「あぁ、もう!すまない、ふきんを取ってくれるかな」
こぼれてしまった水を拭くべく、周りの刀に要請する。
そうやって、顔を背けた一瞬のうちの犯行だった。
「あ」
それはギャラリーからこぼれた声だ。
その反応で、初めて何かが起きたのを悟った歌仙は一瞬遅れて自分の状況を理解する。
右頬に、審神者の唇が触れているのだ。
たちまち顔が真っ赤になっていく歌仙。それは羞恥からか、はたまた怒りのせいか。真意はわからないが、彼の顔がまるで般若面のように釣りあがっていくのは確かだ。
わなわなと震える手が、がっしりと審神者の肩を捕まえた。
「この子を身動き取れなくしてくれるかな……すまきでもなんでも構わない、僕が責任を取ろう」
その声は静かだが、その裏には怒りが見え隠れしている。酔いから覚めた後の審神者を哀れんだのは一振二振ではない。
なんとか審神者を簀巻き状態にした刀たち。その間にも被害は拡大した。隙あらば、抱きつこうとする審神者に刀たちは気が気ではない。無理はない。慕っている女性からの過剰なスキンシップに反応するなという方が、人の体を得た刀たちにとっては酷なことだ。
「これで一安心……かな」
「まったく、こっちの気も知らないで気持ち良さそうに寝ちゃってさ……」
そうこうしているうちに、審神者はすよすよと寝息を立て始めている。そんな審神者を自室へ運び込んで、歌仙と燭台切はほっと息をついた。
「主が酔うとこんな風になっちゃうなんてびっくりだよね」
「今後二度と、主に酒は与えないようにしないと」
固く誓う歌仙に燭台切もうんうんと頷く。
翌朝、目を覚ました審神者はなぜか自由の効かない体に困惑する。
一瞬、金縛りが頭をよぎったが、すぐにそれが物理的なものだと理解する。布団に包まれていると気づくのもすぐだ。
それが霊的なものでなく、物理的なものだとわかったところで、なぜこんな状態なのか。当然の疑問が浮かんでくる。
しかし思い当たる節はない。それどころか、昨日の記憶があまりない気がする。最後の記憶は、宴会会場でみんなと楽しく飲み食いをしていたこと。そのあと、一体何があってこんな状態になっているのか。犯人はいったい。
「おや、お目覚めのようだね」
聞きなれた声に顔をあげると、そこにいるのは歌仙だ。
その顔には笑顔が浮かんでいるものの、なぜか恐ろしいオーラを感じる。
「お、おはよう……いい朝だね」
「おや、それはよかった。ところで、昨日のことは覚えていないなんて言わせないよ?」
いきなり核心を突くその言葉に、審神者の心臓はどきりと跳ねる。
「い、いやぁ……昨日は楽しかったよね、あはは……」
思い当たることはどれだけ頭の中を巡っても出てこない。適当な感想でごまかそうとするが、当然それで流されてくれる歌仙ではない。
「……はぁ。自覚なしの犯行とはたちが悪いな……」
ため息をつきながらも、歌仙は審神者の拘束を解く。自由になった体を伸ばしながら、審神者は昨日のことを思い出そうとするが、全くと言っていいほど何も覚えていない。
だが、歌仙に聞くのは少し憚られる。それならば、別の刀に聞けば良い。宴会にはみんな参加していたのだから、きっと誰かしら教えてくれるはずだ。
だが、なぜかみんなして、審神者と顔を合わせるのを気まずそうにしたり、聞かれても適当にごまかして立ち去ってしまったりと、微妙な反応ばかりだ。そんな反応に、疑問を募らせる審神者の元に長谷部がやってきて、「責任は取らせてください!」などとわけのわからないことを叫んだことで、審神者に昨日のことが全て打ち明けられた。
全く身に覚えのない、己の行動の数々に、顔を真っ赤に染め上げた審神者は、二度と酒を飲まないことを皆の前で誓うことになった。
だが、昨夜の出来事を悪くはなかった、などと思う者も数名いたことはここだけの話だ。
2019.4.21