二章
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「主、戻ったよ」
「おおおおおおおおかえり小夜さん!!みんな無事?怪我はない!?」
第二部隊の帰還に、私は慌てて彼らに駆け寄る。返事を待たずに全員のボディチェック、どうやらみんな無傷らしい。
「僕たちは大丈夫だよ……貴方は少し心配しすぎ」
「とは言っても、心配にもなるよ……検非違使って間違っても出てこないよね……?」
「出ないよ。僕たちが出陣しているのは夜戦の演習なんだから」
そうは言っても心配はやめられない。
新たに始まった戦力拡充イベント。通常では手に入らない刀剣の入手が可能な、練習用のマップが用意されている。
小夜さんたち第二部隊が出陣している夜戦マップは、その名の通り夜を想定した作りだ。暗いところでも目が効く短刀脇差を中心にして編成している部隊は、まだまだ練度も低い。それでもこうして無傷で帰還できる、難易度の低いマップだ。
「いずれこういった暗い場所への出陣もあるのでしょう」
「そのための練習ですもんね!僕、まだまだやれますよ!」
短刀たちは勝利を繰り返していることもあり、調子が良さそうだ。この後もすぐにでも出陣したいという気持ちが伝わってくる。頼もしい限りだ。
「なら良いんだけど……。くれぐれも、気をつけてね?」
「うん、わかっているよ」
一見心配は必要なさそうな彼らに、私がしつこくするのには理由がある。
今回のイベントにおいて、初めて刀を交えることとなった『検非違使』の存在だ。
検非違使、というのは遡行軍とは違う存在らしい。なんでも時間遡行を感知し、その時代から異物を排除する。言ってしまえば、私たちと目的は同じだ。
しかし、敵が同じならば味方。と、そう簡単には行かないらしい。
検非違使は、私たちもその時代の異物と判断し襲いかかってくる。しかも、遡行軍に比べて強力なのだから厄介だ。
そんな彼らとの接触を避けるべく、普段の出陣では同じ時代に長く留まらないようにする。今まで、それを徹底してきたお陰か検非違使と遭遇することはなかった。
しかし今回、演習の内容にその検非違使との戦闘を想定したものが組み込まれているのだ。今まで戦ったことのない敵。しかし、これからもそうとは限らない。いずれやってくる戦いに備え、経験を積むのは大切だろう。そのため、検非違使を模した敵が出現するマップへも出陣を繰り返しているのだが、これがなかなかに苦戦している。
その最もな理由として、彼らの戦闘力の高さが挙げられる。早い攻撃、強い打撃、しぶとい体力。中でも、彼らの槍から与えられる攻撃というのが痛かった。
槍特有のスピードで、太刀や大太刀であると先手を取られることも多い。そうなると、刀装を装備していても攻撃を食らうこととなる。
軽傷も積み重なれば大きな怪我になる。故に、手入れをしないなどという選択肢はない。
無傷での帰還が難しい第一部隊は、出陣のたびに何名かが手入れ部屋へと入ることを余儀なくされていた。
大体は数名が軽傷を負うだけに留まる。だが、毎回同じ結果が得られるとは限らない。攻撃が集中すれば中傷を負う者も出てくるし、運悪く刀装が破壊されれば重傷の可能性だってある。
そのため、今回のイベントは気の抜けない状態が続いていた。演習といえど、与えられる傷は本物だ。油断はできない。
「あれ?第一部隊のみなさんも帰ってきたみたいですよ」
秋田さんの声に門を見れば、たしかに門が起動している。
数秒も待たずに、門から第一部隊の面々が姿を現した。見た限りでは、目立った怪我はなさそうだ。
「おかえりなさい」
私の声に続いて、第二部隊も口々に「おかえりなさい!」と彼らを出迎える。
「あぁ、戻った。今回も目立った収穫はなかった、すまない」
隊長である山姥切さんが申し訳なさそうに告げる。
「気にしてないよ。新しい刀も欲しいけどね、みんなの無事が一番だし!強くなるついでに手に入ったらラッキーくらいでいいんだよ」
「そういうものか?」
「そういうもんだね」
自分でいうのもなんだが、前回の鍛刀イベントに比べて私は新しい刀というのに固執していない。それは今回、刀の入手という目的以外にも部隊の強化という目的があり、そちらの方を重要視しているからだ。もちろん、新しい刀が入手できれば万々歳だが。
「さ、じゃあ怪我をした人は手入れ部屋までお願いします」
状態を見渡しつつ、彼らに声をかける。今回は全体的に傷は少なそうだ。燭台切さんがこちらに出てくる。どうやら軽傷を負ったのは彼だけみたいだ。
「ごめんね、主」
申し訳なさそうにいう燭台切さんだが、何も悪くはない。怪我を負うのは戦場に出る以上仕方がないし、これは私の仕事なのだから何も気を遣う必要はないのだ。
「いいんですよ。むしろこれくらいしかお役に立てないので……」
「わっ、なんでそんな頭下げるの!?」
「燭台切さんに申し訳ないと思わせてるのが申し訳なくなった……」
そんなやり取りを横目に、第二部隊のメンバーは再出陣のため準備を整えに、第一部隊の残りのメンバーもそれぞれに部屋に帰っていく。
「あっ、伽羅ちゃ……」
燭台切さんが大倶利伽羅さんに何か声をかけようとしたようだが、大倶利伽羅さんはそれが聞こえていないのか、それとも無視したのか。スタスタと行ってしまう。
「何か用事でしたか?」
「あー……うん。用事というかね……確認したいことがあって」
なんだかはっきりとしない言い方をする燭台切さんを少し疑問に思うが、そうやって濁すということはあまり私が言及すべきではないのだろう。
「急ぎじゃなければ先に手入れしちゃいますけど……」
「……うん、そうだね」
彼の返事もあり、一緒に手入れ部屋へと向かう。
「検非違使、もう慣れました?」
「うーん……最初に比べたら、って感じかな。僕たちの練度も上がっているし、確実にこちらの被害は減らせているけど……まだまだだよね」
燭台切さんは眉を下げて笑う。その表情はどこか晴れない。
「そのための演習ですよね。きっと、このイベントが終わる頃にはみなさんめちゃくちゃ強くなってますよ」
「あははっ、主がそう言うと本当にそんな気がしてくるよ」
「事実ですよ。これから本物の検非違使と戦うこともあるんですから、強くなってもらわなきゃ困りますしね!」
そのためにも、私ができることは彼らのサポートだ。イベントが始まって手入れの機会も増えた。そうすると、資材の重要性なんてものがやっとわかってきたりもする。今度からはもう少し気をつけよう、と今更反省したりもしつつ、慣れた手入れはあっという間に終わる。
「よし!軽傷だったし、すぐに体の方も治ると思いますけど……安静にしててくださいね」
本体の手入れを終え、燭台切さんに向き直る。大きな傷ではなかったおかげで、もう体の方の傷もすっかり治っているように見えるが、完全に回復するまでは部屋を出ずにおとなしくしていてもらうのがルールだ。
「うん、ありがとう。なんだかこれくらいの傷で手入れをお願いするのは申し訳ないね」
「そんなことないです。いつだって万全じゃないと……何があるかわかりませんから」
手入れをするたびに、思い出すのは先日の山姥切さんのことだ。あんなのはもうごめんだ。軽傷だって油断するべきじゃない。余計な心配に終わるのならそれでいいのだ。
「じゃあ、私は行きますね」
「あ、主待って」
部屋を出ようとした私を燭台切さんが引き止めた。
「その、さっきのことなんだけど……」
さっき、と言われて首をかしげる。しかしそれがすぐにさっきの大倶利伽羅さんのことではないかという考えに至る。
「主のそれ、確認ってできるかな」
そう言って指をさすのは、私が持っている端末機だ。政府から支給されたもので、本丸の管理から、通販、連絡、審神者専用掲示板に至るまで、いろいろな機能が搭載された便利なグッズだ。
「これですか?」
「うん、ちょっと見て欲しいんだ」
言われるがままに端末を起動する。画面を覗き込んだ燭台切さんが横から手を伸ばして画面を操作すると、部隊編成の確認画面へと切り替わる。第一部隊は現在待機中で、燭台切さんには手入れ中である表示がされている。
「あ」
その下。燭台切さんの下に表示されているのは大倶利伽羅さんだ。そこには彼が軽傷であるとの黄色い表示が確かに出ている。
「はぁ……やっぱり。ごめんね、主。ちゃんと確かめていればよかったんだけど」
つまり、燭台切さんが大倶利伽羅さんを引きとめようとしていたのは、これを知っていたかららしい。
ぱっと見て傷はなさそうだったから油断してしまった。気づきにくい傷であっても、確かに一緒に戦っていた彼ならその時を見ていたかもしれない。だから、大倶利伽羅さんに声をかけようとしてくれたのだろう。
「いえ、ありがとうございます。……大倶利伽羅さん、連れてきます」
「うん、お願い。ごめんね、主」
燭台切さんが謝ることではない。
私は全面的に悪い大倶利伽羅さんを探しに部屋を出る。彼の行きそうなところと言ったら、人気のないところだろう。本丸内でよく見かけるスポットというのも大体そういう静かなところが多い。
みんなが広間や庭で過ごしていることが多いこの時間。大倶利伽羅さんは自室や執務室に面している裏庭側の縁側にいたりすることが多い。ちょうど私の位置からは見えないような場所に位置取りしていたりして、探してみたら意外とそばにいたなんてことは何度かあった。とりあえず思い当たる場所を当たってみる他ない。
怪我を隠すなんて。軽傷とは言っても戦いでできた傷だ。舐めておけば治るような傷とはわけが違うだろう。もちろん、生死に関わるような、壊れてしまうような傷でないことはわかっている。でも、小さな傷でも重ねれば刀はボロボロになってしまう。それをよしとするわけにはいかないのだ。
「大倶利伽羅さん……」
彼は自分の部屋にいた。声をかけたところで居留守を使われて仕舞えばどうしようもないので、一言断った上で中を覗くと、案の定こちらに背を向けて彼がいた。
「なんだ。もう出陣か?」
振り返らないままに彼が言う。
「そのままで出陣させると思いますか?」
そんな傷を負った状態で。
「なんのことだ」
「傷!隠してるんでしょ?こっちで確認できるんですから、隠す意味なんてないじゃないですか……ちゃんと手入れ、してください」
「この程度必要ない。どうしようが俺の勝手だろう」
隠すことはできないとわかった上で、開き直る大倶利伽羅さんについカッとなってしまう。
「そんな勝手許さない……!もし折れたら……折れたらどうするんですか!」
言っていて、先日のボロボロになった山姥切さんがフラッシュバックする。今にも折れそうな刀を、もう二度と見たくはない。
「そうなったら、そこが俺の決めた死に場所だ」
「そんなの知りません!何勝手に死に場所なんて決めてるの!?」
勝手に死なれるなんて、そんなのは嫌だ。戻ってきてくれなければ、直すこともできない。
「俺は一人で戦い、一人で死ぬ。誰かに口出しされる言われはない」
「私はそんなの許した覚えない!」
「許しを請うた覚えはない」
取り合う気のない大倶利伽羅さんに、これ以上は言っても無駄だと感じる。
あまりにも勝手が過ぎる。最近やっと少しは近づけたと思ったのに、彼の中で私は口出し無用な他人でしかないのだろう。そんな事実を態度で突きつけられた気がして、怒りを追い越して悲しみが溢れてくる。
でも私は審神者だ。拒否されたって、審神者である以上は責任というものがある。彼がその気なら、こっちだって勝手にしたって文句は言えないだろう。
「っ!おい、何する」
「何って、手入れ部屋まで運ぶんです。勝手にするんで、どうぞお構いなく」
彼の襟元を掴んで力任せにぐいぐいとひっぱる。不意打ちで体勢を崩すことには成功したが、そこから先は思うように進まない。それでも、彼を引きずるようにして引っ張ることをやめない。
「おい、やめろ。手を離せ」
「離しません。許可なんて求めてないので従いません」
先ほどの彼の言葉を返すようにして突っぱねる。
別に私の言うことは聞きたくないだとか、そういうことならい良い。勝手にしたいというならすればいい。無理矢理に主であるという権限を振りかざしてまで彼に命令しよう世は思わない。
ただ、こちらにだって意地がある。私の刀としてここにいる以上は彼は私のモノなのだ。ろくに手入れもしないまま乱雑に扱うような人間だと思われたくはない。私は私のために、勝手に彼を手入れする。そこに彼の意思なんて関係ない。知ったことか。
「……おい、いい加減にしろ!」
しばらくは「やめろ」と言っていた大倶利伽羅さんだが、無理矢理に私の手を振り払った。その気になれば、私の手なんて簡単に離されてしまう。力ずくで、なんて無理な話だ。それでも、諦めるつもりはない。再び彼をつかもうとするが、それは彼の手によって阻まれる。
私の手首を掴んだ大倶利伽羅さんは、座ったままこちらを見上げてくる。
「手入れ、してください」
「どうしてそんなにこだわる。このくらいの傷ならなんの問題もない」
「あります。もし、その傷が原因で折れてしまったら?ちゃんと直していたら助かったのに、その傷が原因で攻撃に耐えきれなかったら?」
あのときの山姥切さんは、あと本当に少しのダメージでも食らっていたら折れていただろう。もし、あの時軽傷で出陣していたら……彼は戻ってこなかったかもしれない。
「きっと、そんなことになったら私は自分を許せないと思います。軽傷で出陣させたことを悔やむと思います。なので、私は自分が嫌な思いをしたくないので勝手に手入れはさせてもらいます。直すまで、出陣はさせません」
結局は審神者の権限を使った脅しのようになってしまった。さすがに出陣できないとなれば、彼の方も折れるだろう。
嫌な言い方になってしまったが、何かあって後悔するよりはずっといい。無理矢理な形で従わされるのは大倶利伽羅さんも気に入らないだろうが、仕方ない。それで嫌われるというなら、それは彼の気持ちを変えられなかった私のせいだ。
「もういいでしょ、伽羅ちゃん」
突然の声に振り返ると、そこには手入れの完了したであろう燭台切さんが立っていた。
「何をそんなに意地になってるの?主を悲しませるようなことは、僕許せないよ」
「チッ……光忠」
燭台切さんの登場に大倶利伽羅さんは面倒くさそうに舌打ちをする。
「君は重要な戦力なんだ。それが出陣できないのは困るんだから、早く手入れしてもらいなよ」
大倶利伽羅さんは返事を返さない。そのまま部屋を出て行ってしまう。
「ちょ、大倶利伽羅さっ……」
「主」
燭台切さんの手が私を止める。
「多分、手入れ部屋に行ったと思うから。手入れ、してあげてね。……伽羅ちゃん、本当に言葉が足りないというか、その、誤解しないであげて欲しいんだ」
誤解、とは一体なんのことだろうか。
「手入れは必要ないとか、多分言ったんじゃないかと思うんだけど、あれって単純に君の手を煩わせないようにとかそんなことだと思うんだ。突き放すようなことを言ったかもしれないけど、心からそんな風に思っているわけではないよ」
大倶利伽羅さんをかばうような燭台切さんの言葉にいくらか心が軽くなるが、それでもさっきの大倶利伽羅さんの言葉をなかったことにはできない。
「大倶利伽羅さん、死ぬ場所は勝手に決めるとか言って……私には、口出しされたくないって」
「はぁ……伽羅ちゃんてばそんなこと言ったの?それで主はそんなに暗い顔をしてるんだね。まったく……」
やれやれと言った風に息をつくと、燭台切さんはその大きな手を私の頭にぽんと乗せた。
「伽羅ちゃんはね、自分の死に場所は自分で決めるって。そう言うでしょ。あれってね、『俺は折れたりなんかしない』ってそういう意味だと思うよ。自分で決めた場所以外では絶対に折れない、必ず帰ってくるって。そんなの言われなくちゃわからないよね」
困ったように眉を下げて笑う燭台切さんは、なぜか「ごめんね」と謝る。
「伽羅ちゃんは、この程度の怪我で折れたりなんかしないから、主は安心して待ってろ。ってことが言いたかったんだよ」
「なんですか、それ……」
そんな風に言われたって、わかるわけがない。
燭台切さんは大倶利伽羅さんの通訳か何かだろうか。大倶利伽羅さんの言葉から、そこまで裏に秘められた意味を読み取るなんて、とても難易度が高すぎる。言葉が少ないだとか、下手だとか、そういうレベルの話じゃないだろう。
「燭台切さんレベルで理解するの、無理な気がします」
「そのうちわかるようになるよ。伽羅ちゃんは口にするのが下手なだけで、本当はいい子だから」
「いい子、ですか……」
同意しかねるその言葉を復唱すると、燭台切さんが吹き出す。
「主、変な顔」
そう言って私のほっぺを無理矢理押し上げた。
「ほらほら、主は笑っている方が可愛いよ。その笑顔で、伽羅ちゃんのとこ、行ってあげて」
「笑顔って……これ、笑えてますか?」
燭台切さんの手によって歪められた顔は、笑顔とは程遠い気がする。
「……うん、多分伽羅ちゃんも笑っちゃうかも」
「それってひどい顔ってことじゃないですか!?」
どう考えても変顔を作られていうるであろうこの状況からの脱出を試みるが、燭台切さんは力が強い。ちょっと抵抗してみたところでビクともしないたくましい腕が憎い。
「ちょ、離して!離してください!!」
「あははっ、これならバッチリだね」
「何がですか!!そんなに私の顔がおかしいですか!!」
手の中で身を、顔をよじる私を見ておかしそうに笑う燭台切さんはなんとも楽しそうだ。きっと私の顔は随分と滑稽なことになっているんだろう。
抗議の意を込めて燭台切さんをキツく見つめると、彼は観念したようにやっと手を離してくれた。
「それじゃあ、伽羅ちゃんのことよろしくね」
最後に少しだけ顔をひきしめてそう言った。面倒見のいい、保護者の顔だ。
「はい。任せてください」
それに対して、私のほうも自然と気が引き締まる。
燭台切さんと別れ、先に大倶利伽羅さんが向かっているはずの手入れ部屋へと向かった。少しだけ、緊張する。なんといって顔を合わせるべきだろうか。
ごめんなさい、というのは違う気がする。私は間違ったことはいっていないつもりだ。でも、彼の気持ちを汲み取ってやれなかったのは反省点だろうか。いや、それは無理な話だった。難易度が高すぎる。
そうやって考えているうちに、もうそこは手入れ部屋だ。襖は閉められているが、おそらく中には大倶利伽羅さんがいるんだろう。
待たせていても仕方がない。意を決して中に入れば、静かに腰を下ろして待つ大倶利伽羅さんがいた。
「遅かったな」
「あ、はい。すみません」
何を言おうかと散々迷っていたのに、結局言葉は出てこず、彼の方が声を発したのは先だった。
短いやり取りの後、何を話すでもなく手入れは始まった。
彼の本体に霊力を流し込むことで傷を直す。軽傷だから大して時間はかからないだろう。本体を本人に戻して、どうしようかと悩む。
このままここを立ち去ってしまっても良いのだが、先ほどのやり取りをあのままで終わらせてしまっても良いのだろうか。
私が部屋を出ていかないことに疑問を持ったのか、大倶利伽羅さんが視線をあげる。それは彼を見つめていた私の視線とぶつかった。
「……なんだ」
「……手入れは、煩わしいだとか思わないので。隠される方が困ります。大倶利伽羅さんがちゃんと戻ってきてくれるっていうなら、せめてその手助けくらいはしたいです」
ぽつり、ぽつりと、燭台切さんが言っていたことを思い出して、彼に自分の気持ちを伝える。言いたいこともまとまらないままで、バラバラな文章だが、でもそれが伝えたいことの全部だ。
大倶利伽羅さんからの返事はない。
それでも言えたからいいやと、私は席をたった。ちゃんと、大倶利伽羅さんの気持ちもわかった上で、私の気持ちは伝えたつもりだ。反応はなくても、聞いていてくれたならそれでいい。
その上で、これからどうするかはもう彼次第だ。もちろん手入れをちゃんと受けてくれればいいと思う。毎回毎回燭台切さんを挟まないといけないようなやり取りをするのはごめんだ。でも、手入れに関して譲るつもりはない。向こうがその気なら、状態確認を怠ることなく、どこまでもしつこく手入れを迫ってやる所存だ。
密かに決意を固めたが、次は大倶利伽羅さんの方から言ってくれたらいいな、と小さな期待はしてしまうものだ。
2019.6.28
「おおおおおおおおかえり小夜さん!!みんな無事?怪我はない!?」
第二部隊の帰還に、私は慌てて彼らに駆け寄る。返事を待たずに全員のボディチェック、どうやらみんな無傷らしい。
「僕たちは大丈夫だよ……貴方は少し心配しすぎ」
「とは言っても、心配にもなるよ……検非違使って間違っても出てこないよね……?」
「出ないよ。僕たちが出陣しているのは夜戦の演習なんだから」
そうは言っても心配はやめられない。
新たに始まった戦力拡充イベント。通常では手に入らない刀剣の入手が可能な、練習用のマップが用意されている。
小夜さんたち第二部隊が出陣している夜戦マップは、その名の通り夜を想定した作りだ。暗いところでも目が効く短刀脇差を中心にして編成している部隊は、まだまだ練度も低い。それでもこうして無傷で帰還できる、難易度の低いマップだ。
「いずれこういった暗い場所への出陣もあるのでしょう」
「そのための練習ですもんね!僕、まだまだやれますよ!」
短刀たちは勝利を繰り返していることもあり、調子が良さそうだ。この後もすぐにでも出陣したいという気持ちが伝わってくる。頼もしい限りだ。
「なら良いんだけど……。くれぐれも、気をつけてね?」
「うん、わかっているよ」
一見心配は必要なさそうな彼らに、私がしつこくするのには理由がある。
今回のイベントにおいて、初めて刀を交えることとなった『検非違使』の存在だ。
検非違使、というのは遡行軍とは違う存在らしい。なんでも時間遡行を感知し、その時代から異物を排除する。言ってしまえば、私たちと目的は同じだ。
しかし、敵が同じならば味方。と、そう簡単には行かないらしい。
検非違使は、私たちもその時代の異物と判断し襲いかかってくる。しかも、遡行軍に比べて強力なのだから厄介だ。
そんな彼らとの接触を避けるべく、普段の出陣では同じ時代に長く留まらないようにする。今まで、それを徹底してきたお陰か検非違使と遭遇することはなかった。
しかし今回、演習の内容にその検非違使との戦闘を想定したものが組み込まれているのだ。今まで戦ったことのない敵。しかし、これからもそうとは限らない。いずれやってくる戦いに備え、経験を積むのは大切だろう。そのため、検非違使を模した敵が出現するマップへも出陣を繰り返しているのだが、これがなかなかに苦戦している。
その最もな理由として、彼らの戦闘力の高さが挙げられる。早い攻撃、強い打撃、しぶとい体力。中でも、彼らの槍から与えられる攻撃というのが痛かった。
槍特有のスピードで、太刀や大太刀であると先手を取られることも多い。そうなると、刀装を装備していても攻撃を食らうこととなる。
軽傷も積み重なれば大きな怪我になる。故に、手入れをしないなどという選択肢はない。
無傷での帰還が難しい第一部隊は、出陣のたびに何名かが手入れ部屋へと入ることを余儀なくされていた。
大体は数名が軽傷を負うだけに留まる。だが、毎回同じ結果が得られるとは限らない。攻撃が集中すれば中傷を負う者も出てくるし、運悪く刀装が破壊されれば重傷の可能性だってある。
そのため、今回のイベントは気の抜けない状態が続いていた。演習といえど、与えられる傷は本物だ。油断はできない。
「あれ?第一部隊のみなさんも帰ってきたみたいですよ」
秋田さんの声に門を見れば、たしかに門が起動している。
数秒も待たずに、門から第一部隊の面々が姿を現した。見た限りでは、目立った怪我はなさそうだ。
「おかえりなさい」
私の声に続いて、第二部隊も口々に「おかえりなさい!」と彼らを出迎える。
「あぁ、戻った。今回も目立った収穫はなかった、すまない」
隊長である山姥切さんが申し訳なさそうに告げる。
「気にしてないよ。新しい刀も欲しいけどね、みんなの無事が一番だし!強くなるついでに手に入ったらラッキーくらいでいいんだよ」
「そういうものか?」
「そういうもんだね」
自分でいうのもなんだが、前回の鍛刀イベントに比べて私は新しい刀というのに固執していない。それは今回、刀の入手という目的以外にも部隊の強化という目的があり、そちらの方を重要視しているからだ。もちろん、新しい刀が入手できれば万々歳だが。
「さ、じゃあ怪我をした人は手入れ部屋までお願いします」
状態を見渡しつつ、彼らに声をかける。今回は全体的に傷は少なそうだ。燭台切さんがこちらに出てくる。どうやら軽傷を負ったのは彼だけみたいだ。
「ごめんね、主」
申し訳なさそうにいう燭台切さんだが、何も悪くはない。怪我を負うのは戦場に出る以上仕方がないし、これは私の仕事なのだから何も気を遣う必要はないのだ。
「いいんですよ。むしろこれくらいしかお役に立てないので……」
「わっ、なんでそんな頭下げるの!?」
「燭台切さんに申し訳ないと思わせてるのが申し訳なくなった……」
そんなやり取りを横目に、第二部隊のメンバーは再出陣のため準備を整えに、第一部隊の残りのメンバーもそれぞれに部屋に帰っていく。
「あっ、伽羅ちゃ……」
燭台切さんが大倶利伽羅さんに何か声をかけようとしたようだが、大倶利伽羅さんはそれが聞こえていないのか、それとも無視したのか。スタスタと行ってしまう。
「何か用事でしたか?」
「あー……うん。用事というかね……確認したいことがあって」
なんだかはっきりとしない言い方をする燭台切さんを少し疑問に思うが、そうやって濁すということはあまり私が言及すべきではないのだろう。
「急ぎじゃなければ先に手入れしちゃいますけど……」
「……うん、そうだね」
彼の返事もあり、一緒に手入れ部屋へと向かう。
「検非違使、もう慣れました?」
「うーん……最初に比べたら、って感じかな。僕たちの練度も上がっているし、確実にこちらの被害は減らせているけど……まだまだだよね」
燭台切さんは眉を下げて笑う。その表情はどこか晴れない。
「そのための演習ですよね。きっと、このイベントが終わる頃にはみなさんめちゃくちゃ強くなってますよ」
「あははっ、主がそう言うと本当にそんな気がしてくるよ」
「事実ですよ。これから本物の検非違使と戦うこともあるんですから、強くなってもらわなきゃ困りますしね!」
そのためにも、私ができることは彼らのサポートだ。イベントが始まって手入れの機会も増えた。そうすると、資材の重要性なんてものがやっとわかってきたりもする。今度からはもう少し気をつけよう、と今更反省したりもしつつ、慣れた手入れはあっという間に終わる。
「よし!軽傷だったし、すぐに体の方も治ると思いますけど……安静にしててくださいね」
本体の手入れを終え、燭台切さんに向き直る。大きな傷ではなかったおかげで、もう体の方の傷もすっかり治っているように見えるが、完全に回復するまでは部屋を出ずにおとなしくしていてもらうのがルールだ。
「うん、ありがとう。なんだかこれくらいの傷で手入れをお願いするのは申し訳ないね」
「そんなことないです。いつだって万全じゃないと……何があるかわかりませんから」
手入れをするたびに、思い出すのは先日の山姥切さんのことだ。あんなのはもうごめんだ。軽傷だって油断するべきじゃない。余計な心配に終わるのならそれでいいのだ。
「じゃあ、私は行きますね」
「あ、主待って」
部屋を出ようとした私を燭台切さんが引き止めた。
「その、さっきのことなんだけど……」
さっき、と言われて首をかしげる。しかしそれがすぐにさっきの大倶利伽羅さんのことではないかという考えに至る。
「主のそれ、確認ってできるかな」
そう言って指をさすのは、私が持っている端末機だ。政府から支給されたもので、本丸の管理から、通販、連絡、審神者専用掲示板に至るまで、いろいろな機能が搭載された便利なグッズだ。
「これですか?」
「うん、ちょっと見て欲しいんだ」
言われるがままに端末を起動する。画面を覗き込んだ燭台切さんが横から手を伸ばして画面を操作すると、部隊編成の確認画面へと切り替わる。第一部隊は現在待機中で、燭台切さんには手入れ中である表示がされている。
「あ」
その下。燭台切さんの下に表示されているのは大倶利伽羅さんだ。そこには彼が軽傷であるとの黄色い表示が確かに出ている。
「はぁ……やっぱり。ごめんね、主。ちゃんと確かめていればよかったんだけど」
つまり、燭台切さんが大倶利伽羅さんを引きとめようとしていたのは、これを知っていたかららしい。
ぱっと見て傷はなさそうだったから油断してしまった。気づきにくい傷であっても、確かに一緒に戦っていた彼ならその時を見ていたかもしれない。だから、大倶利伽羅さんに声をかけようとしてくれたのだろう。
「いえ、ありがとうございます。……大倶利伽羅さん、連れてきます」
「うん、お願い。ごめんね、主」
燭台切さんが謝ることではない。
私は全面的に悪い大倶利伽羅さんを探しに部屋を出る。彼の行きそうなところと言ったら、人気のないところだろう。本丸内でよく見かけるスポットというのも大体そういう静かなところが多い。
みんなが広間や庭で過ごしていることが多いこの時間。大倶利伽羅さんは自室や執務室に面している裏庭側の縁側にいたりすることが多い。ちょうど私の位置からは見えないような場所に位置取りしていたりして、探してみたら意外とそばにいたなんてことは何度かあった。とりあえず思い当たる場所を当たってみる他ない。
怪我を隠すなんて。軽傷とは言っても戦いでできた傷だ。舐めておけば治るような傷とはわけが違うだろう。もちろん、生死に関わるような、壊れてしまうような傷でないことはわかっている。でも、小さな傷でも重ねれば刀はボロボロになってしまう。それをよしとするわけにはいかないのだ。
「大倶利伽羅さん……」
彼は自分の部屋にいた。声をかけたところで居留守を使われて仕舞えばどうしようもないので、一言断った上で中を覗くと、案の定こちらに背を向けて彼がいた。
「なんだ。もう出陣か?」
振り返らないままに彼が言う。
「そのままで出陣させると思いますか?」
そんな傷を負った状態で。
「なんのことだ」
「傷!隠してるんでしょ?こっちで確認できるんですから、隠す意味なんてないじゃないですか……ちゃんと手入れ、してください」
「この程度必要ない。どうしようが俺の勝手だろう」
隠すことはできないとわかった上で、開き直る大倶利伽羅さんについカッとなってしまう。
「そんな勝手許さない……!もし折れたら……折れたらどうするんですか!」
言っていて、先日のボロボロになった山姥切さんがフラッシュバックする。今にも折れそうな刀を、もう二度と見たくはない。
「そうなったら、そこが俺の決めた死に場所だ」
「そんなの知りません!何勝手に死に場所なんて決めてるの!?」
勝手に死なれるなんて、そんなのは嫌だ。戻ってきてくれなければ、直すこともできない。
「俺は一人で戦い、一人で死ぬ。誰かに口出しされる言われはない」
「私はそんなの許した覚えない!」
「許しを請うた覚えはない」
取り合う気のない大倶利伽羅さんに、これ以上は言っても無駄だと感じる。
あまりにも勝手が過ぎる。最近やっと少しは近づけたと思ったのに、彼の中で私は口出し無用な他人でしかないのだろう。そんな事実を態度で突きつけられた気がして、怒りを追い越して悲しみが溢れてくる。
でも私は審神者だ。拒否されたって、審神者である以上は責任というものがある。彼がその気なら、こっちだって勝手にしたって文句は言えないだろう。
「っ!おい、何する」
「何って、手入れ部屋まで運ぶんです。勝手にするんで、どうぞお構いなく」
彼の襟元を掴んで力任せにぐいぐいとひっぱる。不意打ちで体勢を崩すことには成功したが、そこから先は思うように進まない。それでも、彼を引きずるようにして引っ張ることをやめない。
「おい、やめろ。手を離せ」
「離しません。許可なんて求めてないので従いません」
先ほどの彼の言葉を返すようにして突っぱねる。
別に私の言うことは聞きたくないだとか、そういうことならい良い。勝手にしたいというならすればいい。無理矢理に主であるという権限を振りかざしてまで彼に命令しよう世は思わない。
ただ、こちらにだって意地がある。私の刀としてここにいる以上は彼は私のモノなのだ。ろくに手入れもしないまま乱雑に扱うような人間だと思われたくはない。私は私のために、勝手に彼を手入れする。そこに彼の意思なんて関係ない。知ったことか。
「……おい、いい加減にしろ!」
しばらくは「やめろ」と言っていた大倶利伽羅さんだが、無理矢理に私の手を振り払った。その気になれば、私の手なんて簡単に離されてしまう。力ずくで、なんて無理な話だ。それでも、諦めるつもりはない。再び彼をつかもうとするが、それは彼の手によって阻まれる。
私の手首を掴んだ大倶利伽羅さんは、座ったままこちらを見上げてくる。
「手入れ、してください」
「どうしてそんなにこだわる。このくらいの傷ならなんの問題もない」
「あります。もし、その傷が原因で折れてしまったら?ちゃんと直していたら助かったのに、その傷が原因で攻撃に耐えきれなかったら?」
あのときの山姥切さんは、あと本当に少しのダメージでも食らっていたら折れていただろう。もし、あの時軽傷で出陣していたら……彼は戻ってこなかったかもしれない。
「きっと、そんなことになったら私は自分を許せないと思います。軽傷で出陣させたことを悔やむと思います。なので、私は自分が嫌な思いをしたくないので勝手に手入れはさせてもらいます。直すまで、出陣はさせません」
結局は審神者の権限を使った脅しのようになってしまった。さすがに出陣できないとなれば、彼の方も折れるだろう。
嫌な言い方になってしまったが、何かあって後悔するよりはずっといい。無理矢理な形で従わされるのは大倶利伽羅さんも気に入らないだろうが、仕方ない。それで嫌われるというなら、それは彼の気持ちを変えられなかった私のせいだ。
「もういいでしょ、伽羅ちゃん」
突然の声に振り返ると、そこには手入れの完了したであろう燭台切さんが立っていた。
「何をそんなに意地になってるの?主を悲しませるようなことは、僕許せないよ」
「チッ……光忠」
燭台切さんの登場に大倶利伽羅さんは面倒くさそうに舌打ちをする。
「君は重要な戦力なんだ。それが出陣できないのは困るんだから、早く手入れしてもらいなよ」
大倶利伽羅さんは返事を返さない。そのまま部屋を出て行ってしまう。
「ちょ、大倶利伽羅さっ……」
「主」
燭台切さんの手が私を止める。
「多分、手入れ部屋に行ったと思うから。手入れ、してあげてね。……伽羅ちゃん、本当に言葉が足りないというか、その、誤解しないであげて欲しいんだ」
誤解、とは一体なんのことだろうか。
「手入れは必要ないとか、多分言ったんじゃないかと思うんだけど、あれって単純に君の手を煩わせないようにとかそんなことだと思うんだ。突き放すようなことを言ったかもしれないけど、心からそんな風に思っているわけではないよ」
大倶利伽羅さんをかばうような燭台切さんの言葉にいくらか心が軽くなるが、それでもさっきの大倶利伽羅さんの言葉をなかったことにはできない。
「大倶利伽羅さん、死ぬ場所は勝手に決めるとか言って……私には、口出しされたくないって」
「はぁ……伽羅ちゃんてばそんなこと言ったの?それで主はそんなに暗い顔をしてるんだね。まったく……」
やれやれと言った風に息をつくと、燭台切さんはその大きな手を私の頭にぽんと乗せた。
「伽羅ちゃんはね、自分の死に場所は自分で決めるって。そう言うでしょ。あれってね、『俺は折れたりなんかしない』ってそういう意味だと思うよ。自分で決めた場所以外では絶対に折れない、必ず帰ってくるって。そんなの言われなくちゃわからないよね」
困ったように眉を下げて笑う燭台切さんは、なぜか「ごめんね」と謝る。
「伽羅ちゃんは、この程度の怪我で折れたりなんかしないから、主は安心して待ってろ。ってことが言いたかったんだよ」
「なんですか、それ……」
そんな風に言われたって、わかるわけがない。
燭台切さんは大倶利伽羅さんの通訳か何かだろうか。大倶利伽羅さんの言葉から、そこまで裏に秘められた意味を読み取るなんて、とても難易度が高すぎる。言葉が少ないだとか、下手だとか、そういうレベルの話じゃないだろう。
「燭台切さんレベルで理解するの、無理な気がします」
「そのうちわかるようになるよ。伽羅ちゃんは口にするのが下手なだけで、本当はいい子だから」
「いい子、ですか……」
同意しかねるその言葉を復唱すると、燭台切さんが吹き出す。
「主、変な顔」
そう言って私のほっぺを無理矢理押し上げた。
「ほらほら、主は笑っている方が可愛いよ。その笑顔で、伽羅ちゃんのとこ、行ってあげて」
「笑顔って……これ、笑えてますか?」
燭台切さんの手によって歪められた顔は、笑顔とは程遠い気がする。
「……うん、多分伽羅ちゃんも笑っちゃうかも」
「それってひどい顔ってことじゃないですか!?」
どう考えても変顔を作られていうるであろうこの状況からの脱出を試みるが、燭台切さんは力が強い。ちょっと抵抗してみたところでビクともしないたくましい腕が憎い。
「ちょ、離して!離してください!!」
「あははっ、これならバッチリだね」
「何がですか!!そんなに私の顔がおかしいですか!!」
手の中で身を、顔をよじる私を見ておかしそうに笑う燭台切さんはなんとも楽しそうだ。きっと私の顔は随分と滑稽なことになっているんだろう。
抗議の意を込めて燭台切さんをキツく見つめると、彼は観念したようにやっと手を離してくれた。
「それじゃあ、伽羅ちゃんのことよろしくね」
最後に少しだけ顔をひきしめてそう言った。面倒見のいい、保護者の顔だ。
「はい。任せてください」
それに対して、私のほうも自然と気が引き締まる。
燭台切さんと別れ、先に大倶利伽羅さんが向かっているはずの手入れ部屋へと向かった。少しだけ、緊張する。なんといって顔を合わせるべきだろうか。
ごめんなさい、というのは違う気がする。私は間違ったことはいっていないつもりだ。でも、彼の気持ちを汲み取ってやれなかったのは反省点だろうか。いや、それは無理な話だった。難易度が高すぎる。
そうやって考えているうちに、もうそこは手入れ部屋だ。襖は閉められているが、おそらく中には大倶利伽羅さんがいるんだろう。
待たせていても仕方がない。意を決して中に入れば、静かに腰を下ろして待つ大倶利伽羅さんがいた。
「遅かったな」
「あ、はい。すみません」
何を言おうかと散々迷っていたのに、結局言葉は出てこず、彼の方が声を発したのは先だった。
短いやり取りの後、何を話すでもなく手入れは始まった。
彼の本体に霊力を流し込むことで傷を直す。軽傷だから大して時間はかからないだろう。本体を本人に戻して、どうしようかと悩む。
このままここを立ち去ってしまっても良いのだが、先ほどのやり取りをあのままで終わらせてしまっても良いのだろうか。
私が部屋を出ていかないことに疑問を持ったのか、大倶利伽羅さんが視線をあげる。それは彼を見つめていた私の視線とぶつかった。
「……なんだ」
「……手入れは、煩わしいだとか思わないので。隠される方が困ります。大倶利伽羅さんがちゃんと戻ってきてくれるっていうなら、せめてその手助けくらいはしたいです」
ぽつり、ぽつりと、燭台切さんが言っていたことを思い出して、彼に自分の気持ちを伝える。言いたいこともまとまらないままで、バラバラな文章だが、でもそれが伝えたいことの全部だ。
大倶利伽羅さんからの返事はない。
それでも言えたからいいやと、私は席をたった。ちゃんと、大倶利伽羅さんの気持ちもわかった上で、私の気持ちは伝えたつもりだ。反応はなくても、聞いていてくれたならそれでいい。
その上で、これからどうするかはもう彼次第だ。もちろん手入れをちゃんと受けてくれればいいと思う。毎回毎回燭台切さんを挟まないといけないようなやり取りをするのはごめんだ。でも、手入れに関して譲るつもりはない。向こうがその気なら、状態確認を怠ることなく、どこまでもしつこく手入れを迫ってやる所存だ。
密かに決意を固めたが、次は大倶利伽羅さんの方から言ってくれたらいいな、と小さな期待はしてしまうものだ。
2019.6.28