二章
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「あ、お目覚め?」
目を覚ますと、そんな声がかかる。
意識が覚醒するとともに、体に触れる温もりに気がつく。
「なっ……!?」
慌ててそれから離れると、バランスを崩した審神者がそのままこちらに体重を預けてくる。
「何その反応。言っとくけど、お前が主のこと枕にして眠りこけたのが先だからね」
むすっとした顔で加州が言う。
「俺は燭台切に頼まれて、ブランケットかけにきたの。そしたら主まで寝ちゃってるんだもん。なんでこんな光景見せられなきゃいけないかなぁ」
ぶつくさと文句を言いながら、審神者の頬をぷすりと指でつついている。それに対して少し身をよじって反応するが、起きる気配はないようだ。
ここで暖かさに誘われて、ついつい眠気に身を委ねてしまったのは覚えている。だが、記憶はそこまでだ。なぜ審神者が隣にいるのか、 大倶利伽羅にはまったく心当たりがない。
「お前を起こさないように、付き合ってくれてたんだって。気持ちよさそうに寝ちゃってさー……ふふっ」
そういって審神者にちょっかいをかける加州は随分優しい顔をしている。
ここの刀剣たちは皆そうだ。審神者に対して何かとても大事なものを扱うように接する。その中でもこの加州や、長谷部といった刀は特にその気が強いように思う。
もちろん彼女は主ではあるのだが、刀として使われる以外の接し方というのが大倶利伽羅にはいまいち理解できないでいた。人の体を得て、人として接するということが、なぜ皆そつなくこなせるのかが不思議だった。
思えば、審神者とこんな風にしっかりと触れ合うことは今までなかったかもしれない。触れたことがないとまでは言わないが、そもそも大倶利伽羅が積極的なタイプではなかったし、審神者もそんな大倶利伽羅に無理矢理距離を詰めてくるようなことはしてこなかった。審神者とは本丸の中でもとくに親しくない方だという自覚が少なからずあった大倶利伽羅は、こうして審神者が自分に身を預けているこの状況に疑問を持たざるを得ない。
「どこか行くんなら主の枕代わるけど?」
ひとしきり審神者で楽しんだのか、加州がそんな提案を持ちかける。それは親切心からか、はたまたその役割を奪いたいためか。恐らくはその両方だ。
大倶利伽羅があまり積極的に付き合いを深めない事を知っていて、なおかつ自分ならばその役目を喜んで引き受けるという理由から、加州は審神者にもたれ掛かられているその場所の交代を申し出た。
「いや、いい」
なぜ、断ったのかはわからない。それは自然と出た答えだった。
あえていうのなら、そうする必要を感じなかったからだろうか。別に、今この状況に苦痛を感じているわけではないし、何か急ぎの用があるというわけでもない。
ここにいたくない理由がないから断った。それだけだ。
「ふぅん……ならいいけど。じゃ、俺は戻るね。主に風邪引かせないでよ」
大倶利伽羅の返事が予想と違ったのか、加州は一瞬驚いたような顔をした。しかしすぐにそれを引っ込めると、ひらひらと手を振って行ってしまった。
加州を見送り、大倶利伽羅もまた、自らの返事に疑問を覚える。
なぜ、自分はこの場を離れる機会をみすみす逃してしまったのか。いつだって、必要以上に関わることは避けてきたはずだ。それなのに、なぜ彼女のそばにいることを選んでしまったのだろう。
1人、それを考える大倶利伽羅の鼻を、柔らかな匂いがくすぐった。ほとんど眠っていておぼろげな意識の中に、たしかにその匂いがあったことを思い出す。
春の香り。そう表現するのが良いだろうか。華美ではない、柔らかでありながら確かな存在感がある。花の香りに近いそれは、決して不快ではない。
心地よいそれは、隣で寝息を立てる彼女からのもののようだった。それに気づいて、大倶利伽羅は確かめるようにその香りを吸い込んだ。
春の香り。なるほど、彼女にぴったりではないか。そんな感想をもって、その寝顔を眺める。
決して愛想が良いとは言えない自分にも、変わらぬ笑顔を向けてくる審神者は、鬱陶しいといってしまうとそれまでかもしれない。事実、大倶利伽羅の彼女に対する態度はとても友好的とは言えなかった。
だが、大倶利伽羅にとって、彼女から向けられるコミュニケーションというのは決して嫌なものではなかった。それに応えることこそなかったものの、嫌であれば本気で突っぱねていただろうし、そうしなかったのはそこに少しでも好意的な気持ちがあったからだろう。
彼女の存在を香りと温もりで感じながら、大倶利伽羅は再び目を閉じた。いつも必要以上に関わらないようにしてきた彼女の隣は、どこか不思議と落ち着く。
半分ほど意識を委ねて、どれくらい経っただろうか。日の高さがあまり変わらないところをみると、そんなには経っていないのだろう。
大倶利伽羅は、隣の彼女がもぞもぞと身をよじったことで意識を浮上させた。
「ん……んん!?んぇ!?」
そしてそのあとに続いたのはなんとも情けないような声だった。
目を覚ました審神者は反射的なのか謎の声をあげたあと、とっさに身を縮めてその口を閉じた。恐らくは、隣の大倶利伽羅を起こさないための配慮だろう。だが、浅い眠りだったためすでに目を覚ましている大倶利伽羅には必要のないものだった。
「あんたは寝起きから賑やかなんだな」
彼女に頭を預けたままでそう言うと、わかりやすいくらいに審神者の肩が跳ねた。あるとは思わなかった反応に驚いているのだろう。
「お、起きてたんですか。おはようございます……?」
「あぁ」
疑問系で起床のあいさつをする彼女に短い返事で応える。しばし、お互いに無言が続いたが、審神者の方から今度は慌てたように言葉が付け足された。
「あの、あのですね、決して大倶利伽羅さんを枕にしていたわけではないです。寝顔を覗いたのは良くなかったかもですけど、この状況は不可抗力というか、成り行きでというか……」
謎の言い訳をあたふたと続ける彼女の様子がおかしくて、思わず唇の端から笑いをこぼした。
「聞いた。俺が先だったんだろう。悪かったな」
「あ、いえ……私の方こそ、眠りこけちゃってたみたいで……」
どうも歯切れの悪い返事だ。そう言いながら審神者の表情はどこかきょとんとしていて、言葉の方に身が入っていないようだ。
「なんだ?」
そんな彼女の視線はどう見ても自分に向いており、一体何をそんなに不思議そうに見つめるのかと大倶利伽羅が尋ねる。
主語のない質問だったが、思い当たることがあるからか審神者はすぐに慌てて弁解を始める。なんだか、先ほどからずっと落ち着きがないように見える。
「す、すみません、まじまじと……。大倶利伽羅さん、そんな顔もするんだなぁって」
バツが悪そうに目をそらしながら、彼女は言った。そんな顔、とは一体どんな顔だろうか。あまり表情が柔らかい方ではない大倶利伽羅は、大きく動くことのない自分の顔に手を触れる。触れたところで大した変化はなく、表情など読み取ることはできないのだが、審神者にはその意図が伝わったようだ。
「大倶利伽羅さんが笑ってるところ、初めて見た気がします」
大倶利伽羅の疑問に応えるように、審神者は指で口角をあげながら笑顔を表現する。その仕草は少々大げさで、そんな風には笑ってないだろう、と心の中でつっこみを入れる。だが、笑っていたのは間違いないらしい。別に、自分で笑わないように意識しているわけでもないので、特別珍しいことだとも思わないが、彼女にとってはなかなか見られない表情だったのだろう。二人の接点の少なさと、会話の乏しさを思えば無理もない。
「あ、あと寝顔も初めて見ましたね」
「俺はあんたの寝顔を見るのは二度目だな。ここに来たとき以来か」
それは顕現されたばかりのとき。初対面の審神者は大倶利伽羅の前で突然倒れ、何事かと慌てたものだ。結局、ただ眠っているだけだとわかって盛大な肩透かしを食らったのはこの本丸での初めての思い出だったりする。
「それは忘れてください……第一印象最悪じゃないですか」
審神者にとってはあまり良い思い出ではないみたいだが。
「なんかこうやって大倶利伽羅さんと話すの自体、珍しいですよね」
確かにそうだ。普段は大倶利伽羅の方から接触を避けている節がある。
「私、大倶利伽羅さんに嫌われたりしてるのかなーって思ったりして。あ、今はそんなことないですけどね」
大倶利伽羅があまり喋らないことには慣れ始めているのか、返事がなくとも一人で喋る審神者の話を黙って聞いている。
「大倶利伽羅さんが寝てるの見つけたときも、珍しいなーって思ってつい興味本位で覗いちゃったんですよね」
あはは、と罪を告白して苦笑いを浮かべる。
黙って聞き続ける大倶利伽羅を気にした様子もなく、審神者は一息つくと立ち上がって言った。
「おやすみのところ邪魔しちゃってすみません。私、もう行きますね」
不必要な馴れ合いを嫌う大倶利伽羅を知っているからこそ、一人の時間をこれ以上邪魔しないようにという審神者の計らいだったのだが、それは本人の手によって止められる。
立ち去ろうとした審神者の手を掴んだ大倶利伽羅は、その口を開くことなくただ無言の時間が過ぎる。対して審神者も引き止められるとは思わず反応に困っているところだ。
「……悪くない」
やっと出てきた言葉はそれだ。ただ、その短い言葉だけではそこに込められた意味までは伝わらず、審神者はどういうことかと首を傾げる。
それに対する返事は大倶利伽羅の口からは出てこない。
代わりに、掴んでいた審神者の手を強く引いた。されるがまま、体のバランスを崩した審神者は引き寄せられるように大倶利伽羅のそばに手をついた。
返事もなければ行動の意図も読めない。そんな状況に、疑問の色を浮かべてその瞳が大倶利伽羅を見つめる。
そばに寄ったからか、再び花をくすぐるのは彼女から香る春らしい匂いだ。それに引き寄せられるのは本能だろうか。無意識に彼女に顔を寄せていた。
「うぇっ!?」
突然の接近に、なんとも色気のない声をあげて反応する審神者などお構いなしに、大倶利伽羅はより強く彼女を感じる首元へと顔を寄せた。どうしてそうしているのか、理由などわからない。ただ、本能に従って。
「あんたの匂いは落ち着く」
「う……えぇっ!?」
首元に息を感じて、審神者の肩が大げさに揺れる。その反応に彼女を開放すれば、全く訳がわからないといった顔で大倶利伽羅を見つめている。
「え、えっと……私、何か匂いますか?」
スンスンと自分の腕や体を嗅ぐような仕草をして、どこか不安そうな顔をする審神者はどう見てもよくない方へ勘違いしている。それに気づいていながら、あえて訂正することはしなかった。 良い香りだ、と伝えるのはどこか恥ずかしい気がして、大倶利伽羅は慌てる審神者をそのままにその場を立ち去る。
なぜ、あんなことをしたのだろうか。彼女のことを嫌ってはいないと、そう伝えたかったのは確かだ。そのあと、求めるままに彼女を引き寄せた。極力関わることをしてこなかった彼女に対して、「触れたい」という感情が芽生えたのは初めてのことだ。
目が覚めてから、どうもおかしい気がする。
審神者に対する心情の変化に、気づいてはいるものの、それが具体的にどの部分なのか自分でもよく理解できない。だが、彼女のそばにいることは悪くない。それは確かで、今の大倶利伽羅はそれだけでもわかっていれば良いか、とわからない気持ちに名前をつけることを諦めた。
2019.5.27
目を覚ますと、そんな声がかかる。
意識が覚醒するとともに、体に触れる温もりに気がつく。
「なっ……!?」
慌ててそれから離れると、バランスを崩した審神者がそのままこちらに体重を預けてくる。
「何その反応。言っとくけど、お前が主のこと枕にして眠りこけたのが先だからね」
むすっとした顔で加州が言う。
「俺は燭台切に頼まれて、ブランケットかけにきたの。そしたら主まで寝ちゃってるんだもん。なんでこんな光景見せられなきゃいけないかなぁ」
ぶつくさと文句を言いながら、審神者の頬をぷすりと指でつついている。それに対して少し身をよじって反応するが、起きる気配はないようだ。
ここで暖かさに誘われて、ついつい眠気に身を委ねてしまったのは覚えている。だが、記憶はそこまでだ。なぜ審神者が隣にいるのか、 大倶利伽羅にはまったく心当たりがない。
「お前を起こさないように、付き合ってくれてたんだって。気持ちよさそうに寝ちゃってさー……ふふっ」
そういって審神者にちょっかいをかける加州は随分優しい顔をしている。
ここの刀剣たちは皆そうだ。審神者に対して何かとても大事なものを扱うように接する。その中でもこの加州や、長谷部といった刀は特にその気が強いように思う。
もちろん彼女は主ではあるのだが、刀として使われる以外の接し方というのが大倶利伽羅にはいまいち理解できないでいた。人の体を得て、人として接するということが、なぜ皆そつなくこなせるのかが不思議だった。
思えば、審神者とこんな風にしっかりと触れ合うことは今までなかったかもしれない。触れたことがないとまでは言わないが、そもそも大倶利伽羅が積極的なタイプではなかったし、審神者もそんな大倶利伽羅に無理矢理距離を詰めてくるようなことはしてこなかった。審神者とは本丸の中でもとくに親しくない方だという自覚が少なからずあった大倶利伽羅は、こうして審神者が自分に身を預けているこの状況に疑問を持たざるを得ない。
「どこか行くんなら主の枕代わるけど?」
ひとしきり審神者で楽しんだのか、加州がそんな提案を持ちかける。それは親切心からか、はたまたその役割を奪いたいためか。恐らくはその両方だ。
大倶利伽羅があまり積極的に付き合いを深めない事を知っていて、なおかつ自分ならばその役目を喜んで引き受けるという理由から、加州は審神者にもたれ掛かられているその場所の交代を申し出た。
「いや、いい」
なぜ、断ったのかはわからない。それは自然と出た答えだった。
あえていうのなら、そうする必要を感じなかったからだろうか。別に、今この状況に苦痛を感じているわけではないし、何か急ぎの用があるというわけでもない。
ここにいたくない理由がないから断った。それだけだ。
「ふぅん……ならいいけど。じゃ、俺は戻るね。主に風邪引かせないでよ」
大倶利伽羅の返事が予想と違ったのか、加州は一瞬驚いたような顔をした。しかしすぐにそれを引っ込めると、ひらひらと手を振って行ってしまった。
加州を見送り、大倶利伽羅もまた、自らの返事に疑問を覚える。
なぜ、自分はこの場を離れる機会をみすみす逃してしまったのか。いつだって、必要以上に関わることは避けてきたはずだ。それなのに、なぜ彼女のそばにいることを選んでしまったのだろう。
1人、それを考える大倶利伽羅の鼻を、柔らかな匂いがくすぐった。ほとんど眠っていておぼろげな意識の中に、たしかにその匂いがあったことを思い出す。
春の香り。そう表現するのが良いだろうか。華美ではない、柔らかでありながら確かな存在感がある。花の香りに近いそれは、決して不快ではない。
心地よいそれは、隣で寝息を立てる彼女からのもののようだった。それに気づいて、大倶利伽羅は確かめるようにその香りを吸い込んだ。
春の香り。なるほど、彼女にぴったりではないか。そんな感想をもって、その寝顔を眺める。
決して愛想が良いとは言えない自分にも、変わらぬ笑顔を向けてくる審神者は、鬱陶しいといってしまうとそれまでかもしれない。事実、大倶利伽羅の彼女に対する態度はとても友好的とは言えなかった。
だが、大倶利伽羅にとって、彼女から向けられるコミュニケーションというのは決して嫌なものではなかった。それに応えることこそなかったものの、嫌であれば本気で突っぱねていただろうし、そうしなかったのはそこに少しでも好意的な気持ちがあったからだろう。
彼女の存在を香りと温もりで感じながら、大倶利伽羅は再び目を閉じた。いつも必要以上に関わらないようにしてきた彼女の隣は、どこか不思議と落ち着く。
半分ほど意識を委ねて、どれくらい経っただろうか。日の高さがあまり変わらないところをみると、そんなには経っていないのだろう。
大倶利伽羅は、隣の彼女がもぞもぞと身をよじったことで意識を浮上させた。
「ん……んん!?んぇ!?」
そしてそのあとに続いたのはなんとも情けないような声だった。
目を覚ました審神者は反射的なのか謎の声をあげたあと、とっさに身を縮めてその口を閉じた。恐らくは、隣の大倶利伽羅を起こさないための配慮だろう。だが、浅い眠りだったためすでに目を覚ましている大倶利伽羅には必要のないものだった。
「あんたは寝起きから賑やかなんだな」
彼女に頭を預けたままでそう言うと、わかりやすいくらいに審神者の肩が跳ねた。あるとは思わなかった反応に驚いているのだろう。
「お、起きてたんですか。おはようございます……?」
「あぁ」
疑問系で起床のあいさつをする彼女に短い返事で応える。しばし、お互いに無言が続いたが、審神者の方から今度は慌てたように言葉が付け足された。
「あの、あのですね、決して大倶利伽羅さんを枕にしていたわけではないです。寝顔を覗いたのは良くなかったかもですけど、この状況は不可抗力というか、成り行きでというか……」
謎の言い訳をあたふたと続ける彼女の様子がおかしくて、思わず唇の端から笑いをこぼした。
「聞いた。俺が先だったんだろう。悪かったな」
「あ、いえ……私の方こそ、眠りこけちゃってたみたいで……」
どうも歯切れの悪い返事だ。そう言いながら審神者の表情はどこかきょとんとしていて、言葉の方に身が入っていないようだ。
「なんだ?」
そんな彼女の視線はどう見ても自分に向いており、一体何をそんなに不思議そうに見つめるのかと大倶利伽羅が尋ねる。
主語のない質問だったが、思い当たることがあるからか審神者はすぐに慌てて弁解を始める。なんだか、先ほどからずっと落ち着きがないように見える。
「す、すみません、まじまじと……。大倶利伽羅さん、そんな顔もするんだなぁって」
バツが悪そうに目をそらしながら、彼女は言った。そんな顔、とは一体どんな顔だろうか。あまり表情が柔らかい方ではない大倶利伽羅は、大きく動くことのない自分の顔に手を触れる。触れたところで大した変化はなく、表情など読み取ることはできないのだが、審神者にはその意図が伝わったようだ。
「大倶利伽羅さんが笑ってるところ、初めて見た気がします」
大倶利伽羅の疑問に応えるように、審神者は指で口角をあげながら笑顔を表現する。その仕草は少々大げさで、そんな風には笑ってないだろう、と心の中でつっこみを入れる。だが、笑っていたのは間違いないらしい。別に、自分で笑わないように意識しているわけでもないので、特別珍しいことだとも思わないが、彼女にとってはなかなか見られない表情だったのだろう。二人の接点の少なさと、会話の乏しさを思えば無理もない。
「あ、あと寝顔も初めて見ましたね」
「俺はあんたの寝顔を見るのは二度目だな。ここに来たとき以来か」
それは顕現されたばかりのとき。初対面の審神者は大倶利伽羅の前で突然倒れ、何事かと慌てたものだ。結局、ただ眠っているだけだとわかって盛大な肩透かしを食らったのはこの本丸での初めての思い出だったりする。
「それは忘れてください……第一印象最悪じゃないですか」
審神者にとってはあまり良い思い出ではないみたいだが。
「なんかこうやって大倶利伽羅さんと話すの自体、珍しいですよね」
確かにそうだ。普段は大倶利伽羅の方から接触を避けている節がある。
「私、大倶利伽羅さんに嫌われたりしてるのかなーって思ったりして。あ、今はそんなことないですけどね」
大倶利伽羅があまり喋らないことには慣れ始めているのか、返事がなくとも一人で喋る審神者の話を黙って聞いている。
「大倶利伽羅さんが寝てるの見つけたときも、珍しいなーって思ってつい興味本位で覗いちゃったんですよね」
あはは、と罪を告白して苦笑いを浮かべる。
黙って聞き続ける大倶利伽羅を気にした様子もなく、審神者は一息つくと立ち上がって言った。
「おやすみのところ邪魔しちゃってすみません。私、もう行きますね」
不必要な馴れ合いを嫌う大倶利伽羅を知っているからこそ、一人の時間をこれ以上邪魔しないようにという審神者の計らいだったのだが、それは本人の手によって止められる。
立ち去ろうとした審神者の手を掴んだ大倶利伽羅は、その口を開くことなくただ無言の時間が過ぎる。対して審神者も引き止められるとは思わず反応に困っているところだ。
「……悪くない」
やっと出てきた言葉はそれだ。ただ、その短い言葉だけではそこに込められた意味までは伝わらず、審神者はどういうことかと首を傾げる。
それに対する返事は大倶利伽羅の口からは出てこない。
代わりに、掴んでいた審神者の手を強く引いた。されるがまま、体のバランスを崩した審神者は引き寄せられるように大倶利伽羅のそばに手をついた。
返事もなければ行動の意図も読めない。そんな状況に、疑問の色を浮かべてその瞳が大倶利伽羅を見つめる。
そばに寄ったからか、再び花をくすぐるのは彼女から香る春らしい匂いだ。それに引き寄せられるのは本能だろうか。無意識に彼女に顔を寄せていた。
「うぇっ!?」
突然の接近に、なんとも色気のない声をあげて反応する審神者などお構いなしに、大倶利伽羅はより強く彼女を感じる首元へと顔を寄せた。どうしてそうしているのか、理由などわからない。ただ、本能に従って。
「あんたの匂いは落ち着く」
「う……えぇっ!?」
首元に息を感じて、審神者の肩が大げさに揺れる。その反応に彼女を開放すれば、全く訳がわからないといった顔で大倶利伽羅を見つめている。
「え、えっと……私、何か匂いますか?」
スンスンと自分の腕や体を嗅ぐような仕草をして、どこか不安そうな顔をする審神者はどう見てもよくない方へ勘違いしている。それに気づいていながら、あえて訂正することはしなかった。 良い香りだ、と伝えるのはどこか恥ずかしい気がして、大倶利伽羅は慌てる審神者をそのままにその場を立ち去る。
なぜ、あんなことをしたのだろうか。彼女のことを嫌ってはいないと、そう伝えたかったのは確かだ。そのあと、求めるままに彼女を引き寄せた。極力関わることをしてこなかった彼女に対して、「触れたい」という感情が芽生えたのは初めてのことだ。
目が覚めてから、どうもおかしい気がする。
審神者に対する心情の変化に、気づいてはいるものの、それが具体的にどの部分なのか自分でもよく理解できない。だが、彼女のそばにいることは悪くない。それは確かで、今の大倶利伽羅はそれだけでもわかっていれば良いか、とわからない気持ちに名前をつけることを諦めた。
2019.5.27