一章
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「兼さんっ!」
「あぁ、この人がそうなんだ。お噂はかねがね……」
新たに顕現した二振の刀を案内中、ばったり会った堀川さんが珍しく大きな声をあげた。
「兼さん」と呼んだそれは、彼、和泉守兼定のことを指しているらしい。堀川さんがやってきてから、何度か彼の口から聞いている、馴染みのある名前だ。
「よう、国広。噂っつーと、もちろんいい噂なんだろうな?」
「当然だよ兼さん!ね、主さん!」
確かにその通り。堀川さんからは、兼さんがいかに強くてかっこいい素敵な刀なのかということしか聞いていない。
「はい。かっこよくて強い方だと伺ってますよ、兼さん」
「おーおー、わかってんじゃねーの」
兼さんは満足そうに頷く。どうにも堀川さんから聞いて想像していたイメージとは差を感じてしまう。なんというか、思ったよりも豪快な人、というのが率直な印象だ。私の勝手なイメージでしかないが、もう少しクールな人を想像してしまっていた。
「主さん、僕もご一緒していいですか?」
待ち望んだ兼さんの登場だ。一緒にいたくて仕方ないのだろう。それを隠す様子もなく。堀川さんが案内への同行を申し出る。私としてはそれを断る理由もないので、もちろん快諾するつもりだが、せっかくならば2人の方がいいだろうか。久しぶりの再会とあっては積もる話もあるだろう。
「じゃあ堀川さんに兼さんの案内を任せるね。へし切さんは私が案内しますね」
兼さんと同時に顕現したへし切長谷部さんに一応確認を取る。
「はい、ありがとうございます」
堀川さんに引っ張られていく兼さんを見送り、引き続き私はへし切さんの案内を続ける。
「この本丸にはもう多くの刀が呼び出されているのですね」
「そうですね、へし切さんで26振目になります」
他愛もない話をしながら、彼と本丸内を歩く。その道中何振かの刀と会い、声をかけられる。この本丸にも人が増えてきたせいか、どこかしらで誰かに会う気がする。
「あれ、長谷部くんじゃないか。君も顕現されたんだね」
長谷部くん、と声をかけてきたのは燭台切さんだ。
「燭台切か、久しいな」
「お二人はお知り合いなんですか?」
「うん、前の主のところでね」
前の主が同じだった、というのは珍しい話ではないみたいだ。伊達家や、土方歳三、沖田総司など、歴史にあまり詳しくない私でも聞いたことのある名前を何度か耳にしている。
「お二人は誰の刀だったんですか?」
会話の中で、自然な質問だと思ったのだが、なぜか微妙な空気が流れる。燭台切さんは苦い笑みを浮かべているし、へし切さんはどこか怒っているような顔をしている。何かまずいことを口にしてしまっただろうか。
「あ、えっと、私の知らない人かもしれないですよね!私ってあまり歴史なんかには詳しくないので……」
流石にこの空気をスルーするほど私は鈍くない。少々無理矢理感が否めないが、この場はもう終わりということで、強引に話を持っていく。だがそれは、嫌な空気を醸し出した張本人、へし切さんによって邪魔された。
「織田信長……ですよ。へし切……俺の名の由来でもあります」
「えっ、織田信長!?」
思った以上に有名な名前が飛び出て、思わず声をあげてしまう。織田信長といえば、知っているレベルの人ではない。教科書では必ず触れるだろうし、なんなら個人的に有名な武将ナンバー1だ。
「どうぞ、前の主のことなどお気になさらず。あぁ、そうだ。あの男の狼藉が由来ですからね、できればへし切ではなく『長谷部』とお呼びください」
そう言って微笑んだ彼の笑顔は優しいものだったが、どこか有無を言わさぬ威圧感があった。織田信長ならば、それなりに話を膨らませることもできたかもしれないが、彼がそれを許してくれないような気がする。前の主に対してそれ以上の反応はできず、私は彼の提案を受け入れるしかできなかった。
「では主、行きましょう。案内の続き、お願いします」
エスコートされて先を促される。これではどちらが案内されている立場なのかもよくわからない。
「じゃ、じゃあ行くね。燭台切さん、またあとで」
微妙な空気の後に、長谷部さんと2人に戻るのは少々気が重いが、ここで燭台切さんを連れて行くのもおかしい。彼に別れを告げ、残りの本丸案内を続ける。
「で、ここが執務室で、この奥に行くと私の部屋です。これで一通りかな」
本丸内を一周し、最後は執務室で終わりだ。
あの後、長谷部さんに特に変わった様子はなく、何事もないままこうして案内は終わった。
「それじゃあ、しばらく自由にしてて大丈夫ですよ。今日は当番なんかは割り振られていませんし、もし出陣などの呼び出しがかかったらよろしくお願いします」
それでは、と私は執務室の定位置につき彼が部屋を出て行くのを待つが、一向に出て行く気配がない。なぜかと疑問に思い頭をあげると、彼の視線は私の手元にあった。
「何かお役に立てることは?あればなんでもこなしてみせますよ」
きっと彼が言ってるのはこの書類のことだ。別に手伝ってもらうほどのことでもないのだが、政府に提出するための書類が何枚か重ねてある。彼の好意を無駄にするのもなんなので、ありがたく手を借りることにする。
「じゃあ、この書類。一緒にやってもらってもいいですか?」
「はい。主命とあらば」
長谷部さんの仕事は完璧だった。刀の彼にとってそのスキルが役立つものなのかはわからないが、一言で言ってしまえばとても優秀だ。言ったそばから完璧にこなしていくその仕事ぶりは、熟練の技を見ているようだった。私の分までほとんど彼がこなしてしまった。
「は、長谷部さん……あなたが神か……!」
「ははっ、付喪神ですからね。間違ってはいませんよ」
そうやって軽く笑って冗談を流す姿も、なぜかものすごく神々しく見える。
はっきり言って、私は書類仕事が苦手だ。書くことに苦手意識はないのだが、人に見せるものとなると途端に頭がパンクして手が止まってしまうのだ。そんな私にとって、政府への提出書類というのは苦手中の苦手。できることならば避けて通りたい道だ。
とはいえ、これも審神者の業務の一環。やらないわけにはいかない。幸い、毎日の量は大したものではない。溜めさえしなければそんなに難しいものでもないのだ。だから特別困ったりしたとき以外は自分でこなそうと決めていたのだが。この仕事っぷりを見た後ではその気持ちも揺らいでしまう。一家に一台あると便利な長谷部だ。
「長谷部さんの仕事が完璧すぎて、もう私自分でできる気がしない……」
「ならば全部俺に申し付けてくれればいいんですよ。主命とあらばなんでもやりますよ」
その言葉はひどく甘い誘惑のように私を誘う。これは審神者をダメにするソファーならぬ長谷部だ。彼の、仕事ならばなんでもこなそうという姿勢がこちらに罪悪感を感じさせないせいか、頼んでしまってもいいんじゃないかという気にさせてくるのだ。それに、なぜかとても嬉しそうな長谷部さんの様子がさらに拍車をかけている。
「ほら主、次は何をしますか?なんでも言ってくださいね」
そんな風ににっこりと微笑まれたら、それを断るなんて選択肢は消えてしまいそうだ。
「ただいま、主。今帰ったよ」
「あっ、歌仙さん。おかえりなさい、お疲れ様でーす」
遠征に出てもらっていた歌仙さんが帰還したようだ。部隊長の彼は報告にきてくれたらしい。
「おや、新しい刀だね。何か取り込み中だったかな?」
「あ、いえ。もう仕事は終わりましたよ。長谷部さんがやってくれたんですー」
見てください、と彼が仕上げた書類を見せる。私がやるよりも早くて正確で、おまけに字まで綺麗だ。
その長谷部さんはというと、私が褒めたのが嬉しかったのか得意げに胸を張っている。背景には桜が舞って見える。
「これを、彼が?」
「はい!私なんかやることなくって、ほぼ全部やってもらっちゃいました」
ピクリ。歌仙さんの眉毛がつり上がった。いち早く、私は不穏な気配を察知する。これは、良くないやつだ。何かが歌仙さんの癇に障ったと見た。
「ねえ主。これは君が『自分でやる』と言っていた仕事だと思うんだが、どうだったかな?」
パシっと書類を叩いてみせる歌仙さんに思わず「ひっ」と声が漏れる。彼はあくまで穏やかを貫いている。だが、私にはわかる。彼は確実に怒っている。
「そ、そうです……。私がやると言った書類です」
「やはりそうだね。で、どうして君はそれを彼にやらせたんだい?」
やらせた、だなんて人聞きが悪い。私は手伝ってもらっただけだ。ちょっとばかし、長谷部さんの仕事が早くて、彼のほうがこなした数は多かったかもしれないが……。なんて、言い訳にもならないような言葉はきっと歌仙さんには通じない。余計に怒らせてしまいそうなので、決して口にすることはしない。
事実、長谷部さんの仕事ぶりに調子に乗ってしまったのは私だ。この場合の一番の解決策。
「長谷部さんがすごく仕事が早かったから……彼にやらせてしまいました」
それは正直に言うことだ。
「なるほど、それは関心しないね」
「おい、貴様。さっきから黙っていれば……何を主を責めることがあるんだ?」
それまで黙って控えていた長谷部さんが、突然掴みかかる勢いで歌仙さんの前に出た。
「俺は主の手伝いをしたまでだ。仕事は終わっている、責める必要などないだろう」
「仕事が終わっているかどうかじゃない。あの仕事を主が自分でやらなかったことが良くなかったんだ」
食ってかかる長谷部さんに、静かに、だが一歩も引く様子などないと言ったように歌仙さんが対峙する。一触即発といった雰囲気に私はオロオロするばかりだ。当事者なはずなのだが、2人の険悪が増していくばかりの雰囲気の中に飛び込む勇気など持ってはいない。
とりあえず、ここは黙って見守っておこう。と、主役ながら外野に徹することを心に決める。
「主、君は政府への報告に関して何と言っていたかな」
だがそれは歌仙さんの一言で叶わなくなる。2人の喧嘩が始まってしまうのでは、と思っていたそこに突然引っ張り込まれてしまった。
「え、えっと……」
どうしたものかと見守りに徹していたせいで、突然投げかけられた質問にを飲み込み返答するのに時間を要する。
「確か『私にできる仕事は私の力でやりたいです。日課として、きちんとこなします』と、僕の記憶が正しければそう言っていたと思うんだけどね」
なぜそんなにしっかり覚えているのか。それはさておき、確かに私は言った。
審神者として、まだまだ未熟であろう私だが、これは自力でこなせる仕事のうちの一つだ。最初は、義務だとは知らず報告を溜めてしまい、左文字兄弟に手伝ってもらってなんとか終わらせたこともあった。でも、そういう痛い目を見たからこそ、今後は溜めないように、そしてそれを自分でできるようにしていこうと、そう思ったのだ。
それなのに私は、楽なことを知ってしまいついそれに流されそうになっていた。
「だからなんだ。主のお仕事を手伝える、お役に立てる。それ以上の喜びはないだろう。貴様は主に忠誠を尽くす刀剣ではないのか!?」
「僕は主のことを大切に思っているよ。だからこそ、彼女には彼女の目指す立派な審神者になってもらいたい。甘やかすだけが尽くすことだと思っているのなら考えを改めるべきだね」
喧嘩腰の長谷部さんに、歌仙さんの口調もきつくなる。これ以上ヒートアップする前に止めなければ。
「あ、あの!今回のことは私が悪かったです!」
「あ、主……?」
大きな声をあげた私に、長谷部さんが少しうろたえた。
「歌仙さんの言うこと、その通りです。私、長谷部さんに甘えようとしてました」
「お、俺は、貴方に甘えられるなら本望です……!」
歌仙さんは黙って聞いている。そのまま私は長谷部さんに話を続けた。
「それはすごく嬉しいです。私はまだまだ未熟なので、たくさん頼ることもあると思います。でも、自分でやるって決めたことは、ちゃんと自分でやりたいんです」
「主……」
「だから、もし私が自分の力じゃどうにもならないってときは、お手伝い、してくれますか?」
「も、もちろんです!主命とあらば!」
「うん、きみは立派だね。事を荒立ててすまなかった。……長谷部、君にも意地の悪い言い方をしてしまった。すまない」
それまで黙って見守っていた歌仙さんが、ポンと軽く頭に手を置いてくれる。暖かいその大きな手は、ほっとする優しい彼の手だ。厳しいだけじゃない、こういう優しさがあるから私は彼のお説教もあまり嫌いになれないのだと思う。
謝られた長谷部さんはまだ少し機嫌が悪そうに見えた。でも、渋々といったように歌仙さんに向きなおる。
「……いや。お前のいうこともよくわかった。忠誠を疑うような事を言って悪かったな」
どうやら一件落着、といってもよさそうだ。
「それじゃあ主、遠征の報告なんだけど、いいかな?」
「あ、はい!どうぞ!」
「それでは、俺はこれで失礼します」
長谷部さんは一礼すると部屋を出て行った。その背中を見送って、歌仙さんはふーっと息を吐いた。
「あれはなかなか気難しそうな新人が来たね」
考えるまでもなく、それは長谷部さんのことだろう。気難しい、というのはあまりピンとはこない。首をかしげる私に、歌仙さんは「いや、こっちの話だよ」と言うと話題を変えてしまった。
2019.3.12
「あぁ、この人がそうなんだ。お噂はかねがね……」
新たに顕現した二振の刀を案内中、ばったり会った堀川さんが珍しく大きな声をあげた。
「兼さん」と呼んだそれは、彼、和泉守兼定のことを指しているらしい。堀川さんがやってきてから、何度か彼の口から聞いている、馴染みのある名前だ。
「よう、国広。噂っつーと、もちろんいい噂なんだろうな?」
「当然だよ兼さん!ね、主さん!」
確かにその通り。堀川さんからは、兼さんがいかに強くてかっこいい素敵な刀なのかということしか聞いていない。
「はい。かっこよくて強い方だと伺ってますよ、兼さん」
「おーおー、わかってんじゃねーの」
兼さんは満足そうに頷く。どうにも堀川さんから聞いて想像していたイメージとは差を感じてしまう。なんというか、思ったよりも豪快な人、というのが率直な印象だ。私の勝手なイメージでしかないが、もう少しクールな人を想像してしまっていた。
「主さん、僕もご一緒していいですか?」
待ち望んだ兼さんの登場だ。一緒にいたくて仕方ないのだろう。それを隠す様子もなく。堀川さんが案内への同行を申し出る。私としてはそれを断る理由もないので、もちろん快諾するつもりだが、せっかくならば2人の方がいいだろうか。久しぶりの再会とあっては積もる話もあるだろう。
「じゃあ堀川さんに兼さんの案内を任せるね。へし切さんは私が案内しますね」
兼さんと同時に顕現したへし切長谷部さんに一応確認を取る。
「はい、ありがとうございます」
堀川さんに引っ張られていく兼さんを見送り、引き続き私はへし切さんの案内を続ける。
「この本丸にはもう多くの刀が呼び出されているのですね」
「そうですね、へし切さんで26振目になります」
他愛もない話をしながら、彼と本丸内を歩く。その道中何振かの刀と会い、声をかけられる。この本丸にも人が増えてきたせいか、どこかしらで誰かに会う気がする。
「あれ、長谷部くんじゃないか。君も顕現されたんだね」
長谷部くん、と声をかけてきたのは燭台切さんだ。
「燭台切か、久しいな」
「お二人はお知り合いなんですか?」
「うん、前の主のところでね」
前の主が同じだった、というのは珍しい話ではないみたいだ。伊達家や、土方歳三、沖田総司など、歴史にあまり詳しくない私でも聞いたことのある名前を何度か耳にしている。
「お二人は誰の刀だったんですか?」
会話の中で、自然な質問だと思ったのだが、なぜか微妙な空気が流れる。燭台切さんは苦い笑みを浮かべているし、へし切さんはどこか怒っているような顔をしている。何かまずいことを口にしてしまっただろうか。
「あ、えっと、私の知らない人かもしれないですよね!私ってあまり歴史なんかには詳しくないので……」
流石にこの空気をスルーするほど私は鈍くない。少々無理矢理感が否めないが、この場はもう終わりということで、強引に話を持っていく。だがそれは、嫌な空気を醸し出した張本人、へし切さんによって邪魔された。
「織田信長……ですよ。へし切……俺の名の由来でもあります」
「えっ、織田信長!?」
思った以上に有名な名前が飛び出て、思わず声をあげてしまう。織田信長といえば、知っているレベルの人ではない。教科書では必ず触れるだろうし、なんなら個人的に有名な武将ナンバー1だ。
「どうぞ、前の主のことなどお気になさらず。あぁ、そうだ。あの男の狼藉が由来ですからね、できればへし切ではなく『長谷部』とお呼びください」
そう言って微笑んだ彼の笑顔は優しいものだったが、どこか有無を言わさぬ威圧感があった。織田信長ならば、それなりに話を膨らませることもできたかもしれないが、彼がそれを許してくれないような気がする。前の主に対してそれ以上の反応はできず、私は彼の提案を受け入れるしかできなかった。
「では主、行きましょう。案内の続き、お願いします」
エスコートされて先を促される。これではどちらが案内されている立場なのかもよくわからない。
「じゃ、じゃあ行くね。燭台切さん、またあとで」
微妙な空気の後に、長谷部さんと2人に戻るのは少々気が重いが、ここで燭台切さんを連れて行くのもおかしい。彼に別れを告げ、残りの本丸案内を続ける。
「で、ここが執務室で、この奥に行くと私の部屋です。これで一通りかな」
本丸内を一周し、最後は執務室で終わりだ。
あの後、長谷部さんに特に変わった様子はなく、何事もないままこうして案内は終わった。
「それじゃあ、しばらく自由にしてて大丈夫ですよ。今日は当番なんかは割り振られていませんし、もし出陣などの呼び出しがかかったらよろしくお願いします」
それでは、と私は執務室の定位置につき彼が部屋を出て行くのを待つが、一向に出て行く気配がない。なぜかと疑問に思い頭をあげると、彼の視線は私の手元にあった。
「何かお役に立てることは?あればなんでもこなしてみせますよ」
きっと彼が言ってるのはこの書類のことだ。別に手伝ってもらうほどのことでもないのだが、政府に提出するための書類が何枚か重ねてある。彼の好意を無駄にするのもなんなので、ありがたく手を借りることにする。
「じゃあ、この書類。一緒にやってもらってもいいですか?」
「はい。主命とあらば」
長谷部さんの仕事は完璧だった。刀の彼にとってそのスキルが役立つものなのかはわからないが、一言で言ってしまえばとても優秀だ。言ったそばから完璧にこなしていくその仕事ぶりは、熟練の技を見ているようだった。私の分までほとんど彼がこなしてしまった。
「は、長谷部さん……あなたが神か……!」
「ははっ、付喪神ですからね。間違ってはいませんよ」
そうやって軽く笑って冗談を流す姿も、なぜかものすごく神々しく見える。
はっきり言って、私は書類仕事が苦手だ。書くことに苦手意識はないのだが、人に見せるものとなると途端に頭がパンクして手が止まってしまうのだ。そんな私にとって、政府への提出書類というのは苦手中の苦手。できることならば避けて通りたい道だ。
とはいえ、これも審神者の業務の一環。やらないわけにはいかない。幸い、毎日の量は大したものではない。溜めさえしなければそんなに難しいものでもないのだ。だから特別困ったりしたとき以外は自分でこなそうと決めていたのだが。この仕事っぷりを見た後ではその気持ちも揺らいでしまう。一家に一台あると便利な長谷部だ。
「長谷部さんの仕事が完璧すぎて、もう私自分でできる気がしない……」
「ならば全部俺に申し付けてくれればいいんですよ。主命とあらばなんでもやりますよ」
その言葉はひどく甘い誘惑のように私を誘う。これは審神者をダメにするソファーならぬ長谷部だ。彼の、仕事ならばなんでもこなそうという姿勢がこちらに罪悪感を感じさせないせいか、頼んでしまってもいいんじゃないかという気にさせてくるのだ。それに、なぜかとても嬉しそうな長谷部さんの様子がさらに拍車をかけている。
「ほら主、次は何をしますか?なんでも言ってくださいね」
そんな風ににっこりと微笑まれたら、それを断るなんて選択肢は消えてしまいそうだ。
「ただいま、主。今帰ったよ」
「あっ、歌仙さん。おかえりなさい、お疲れ様でーす」
遠征に出てもらっていた歌仙さんが帰還したようだ。部隊長の彼は報告にきてくれたらしい。
「おや、新しい刀だね。何か取り込み中だったかな?」
「あ、いえ。もう仕事は終わりましたよ。長谷部さんがやってくれたんですー」
見てください、と彼が仕上げた書類を見せる。私がやるよりも早くて正確で、おまけに字まで綺麗だ。
その長谷部さんはというと、私が褒めたのが嬉しかったのか得意げに胸を張っている。背景には桜が舞って見える。
「これを、彼が?」
「はい!私なんかやることなくって、ほぼ全部やってもらっちゃいました」
ピクリ。歌仙さんの眉毛がつり上がった。いち早く、私は不穏な気配を察知する。これは、良くないやつだ。何かが歌仙さんの癇に障ったと見た。
「ねえ主。これは君が『自分でやる』と言っていた仕事だと思うんだが、どうだったかな?」
パシっと書類を叩いてみせる歌仙さんに思わず「ひっ」と声が漏れる。彼はあくまで穏やかを貫いている。だが、私にはわかる。彼は確実に怒っている。
「そ、そうです……。私がやると言った書類です」
「やはりそうだね。で、どうして君はそれを彼にやらせたんだい?」
やらせた、だなんて人聞きが悪い。私は手伝ってもらっただけだ。ちょっとばかし、長谷部さんの仕事が早くて、彼のほうがこなした数は多かったかもしれないが……。なんて、言い訳にもならないような言葉はきっと歌仙さんには通じない。余計に怒らせてしまいそうなので、決して口にすることはしない。
事実、長谷部さんの仕事ぶりに調子に乗ってしまったのは私だ。この場合の一番の解決策。
「長谷部さんがすごく仕事が早かったから……彼にやらせてしまいました」
それは正直に言うことだ。
「なるほど、それは関心しないね」
「おい、貴様。さっきから黙っていれば……何を主を責めることがあるんだ?」
それまで黙って控えていた長谷部さんが、突然掴みかかる勢いで歌仙さんの前に出た。
「俺は主の手伝いをしたまでだ。仕事は終わっている、責める必要などないだろう」
「仕事が終わっているかどうかじゃない。あの仕事を主が自分でやらなかったことが良くなかったんだ」
食ってかかる長谷部さんに、静かに、だが一歩も引く様子などないと言ったように歌仙さんが対峙する。一触即発といった雰囲気に私はオロオロするばかりだ。当事者なはずなのだが、2人の険悪が増していくばかりの雰囲気の中に飛び込む勇気など持ってはいない。
とりあえず、ここは黙って見守っておこう。と、主役ながら外野に徹することを心に決める。
「主、君は政府への報告に関して何と言っていたかな」
だがそれは歌仙さんの一言で叶わなくなる。2人の喧嘩が始まってしまうのでは、と思っていたそこに突然引っ張り込まれてしまった。
「え、えっと……」
どうしたものかと見守りに徹していたせいで、突然投げかけられた質問にを飲み込み返答するのに時間を要する。
「確か『私にできる仕事は私の力でやりたいです。日課として、きちんとこなします』と、僕の記憶が正しければそう言っていたと思うんだけどね」
なぜそんなにしっかり覚えているのか。それはさておき、確かに私は言った。
審神者として、まだまだ未熟であろう私だが、これは自力でこなせる仕事のうちの一つだ。最初は、義務だとは知らず報告を溜めてしまい、左文字兄弟に手伝ってもらってなんとか終わらせたこともあった。でも、そういう痛い目を見たからこそ、今後は溜めないように、そしてそれを自分でできるようにしていこうと、そう思ったのだ。
それなのに私は、楽なことを知ってしまいついそれに流されそうになっていた。
「だからなんだ。主のお仕事を手伝える、お役に立てる。それ以上の喜びはないだろう。貴様は主に忠誠を尽くす刀剣ではないのか!?」
「僕は主のことを大切に思っているよ。だからこそ、彼女には彼女の目指す立派な審神者になってもらいたい。甘やかすだけが尽くすことだと思っているのなら考えを改めるべきだね」
喧嘩腰の長谷部さんに、歌仙さんの口調もきつくなる。これ以上ヒートアップする前に止めなければ。
「あ、あの!今回のことは私が悪かったです!」
「あ、主……?」
大きな声をあげた私に、長谷部さんが少しうろたえた。
「歌仙さんの言うこと、その通りです。私、長谷部さんに甘えようとしてました」
「お、俺は、貴方に甘えられるなら本望です……!」
歌仙さんは黙って聞いている。そのまま私は長谷部さんに話を続けた。
「それはすごく嬉しいです。私はまだまだ未熟なので、たくさん頼ることもあると思います。でも、自分でやるって決めたことは、ちゃんと自分でやりたいんです」
「主……」
「だから、もし私が自分の力じゃどうにもならないってときは、お手伝い、してくれますか?」
「も、もちろんです!主命とあらば!」
「うん、きみは立派だね。事を荒立ててすまなかった。……長谷部、君にも意地の悪い言い方をしてしまった。すまない」
それまで黙って見守っていた歌仙さんが、ポンと軽く頭に手を置いてくれる。暖かいその大きな手は、ほっとする優しい彼の手だ。厳しいだけじゃない、こういう優しさがあるから私は彼のお説教もあまり嫌いになれないのだと思う。
謝られた長谷部さんはまだ少し機嫌が悪そうに見えた。でも、渋々といったように歌仙さんに向きなおる。
「……いや。お前のいうこともよくわかった。忠誠を疑うような事を言って悪かったな」
どうやら一件落着、といってもよさそうだ。
「それじゃあ主、遠征の報告なんだけど、いいかな?」
「あ、はい!どうぞ!」
「それでは、俺はこれで失礼します」
長谷部さんは一礼すると部屋を出て行った。その背中を見送って、歌仙さんはふーっと息を吐いた。
「あれはなかなか気難しそうな新人が来たね」
考えるまでもなく、それは長谷部さんのことだろう。気難しい、というのはあまりピンとはこない。首をかしげる私に、歌仙さんは「いや、こっちの話だよ」と言うと話題を変えてしまった。
2019.3.12