一章
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本丸での生活にもようやく慣れはじめた5日目。
いつものように朝の日課となった鍛刀をこなして、学校へ向かう。そして帰宅後は出陣を中心に審神者としての業務を行う。習慣化しつつある毎日だ。
初めこそ、帰宅後にしかできない審神者としての仕事に不安があったが、どうにかやれている今、心配は随分少なくなった。それはきっと、支えてくれる刀剣男士たちのおかげだ。そして気負いすぎていた私の心境の変化もあるだろう。充実感のある毎日の中に確かな楽しさを見出していた。そう、先ほどまでは……。
「な、な、なな、なにごとですか。この、書類の山は!」
「政府から、報告書の催促でございます。審神者様の本丸からはまだ一度も報告書が上がっておりません故、私がお伝えにまいりました次第です」
執務室には初日ぶりのこんのすけ。そして、ほとんどお飾りだった机の上にはこれでもかという書類の山。
審神者に課せられた義務、報告書。本丸での戦績や支出、その他もろもろ、政府への報告義務があるのだ。ある、らしい。
「そんなこと知らないよぉ!!こんのすけ、言ってなかった!」
「マニュアルに書いてあります!!」
机の上に無造作に置かれた審神者マニュアル。自分のなすべきことを、と真っ先にそれを頭に入れ始めた私だったが、慣れが出てくると全て読み込むのが億劫になってきた。わからないことがあれば見ればいい、とそれを辞書のように考え放置していたのだ。
「とにかく、今日までの5日分。しっかりお願いしますよ。それでは」
言うべきことだけ言うと、こんのすけはぽんっと姿を消した。残されたのは書類の山。これのどこが5日分だというのか。絶対におかしい。しかし、反論したい相手はもういない。書類とともに残された政府からの通告にも、早急に報告書を提出するように、と書かれている。これを片付ける他なさそうだ。
「と、とりあえず、誰かに手伝いを……」
書類仕事の得意そうなのは前田さんや歌仙さんあたりだろうか。しかし、あいにく2人とも今の時間は戦いに出てもらっているはずだ。本丸に残っているメンバーで手伝いを頼めそうなのは……いや、この際能力よりも数だ。数が集まればきっとなんとかなるはずだ。
「それでは、お願いします」
「戦でないのであれば……」
「なんで僕たちが貴方の尻拭いを手伝わなければいけないんですか?」
「戦じゃないんだね……」
見つけたのは左文字さん兄弟だ。上のお兄様は戦でないのならばと協力的だが、真ん中は不服そうだし、末の弟はどこかがっかりしているように見える。しかしこの際、申し訳ないがそんなことは気にしていられない。今日中に全てまとめて政府へ送らなければいけないのだ。
「終わるまで寝られませんからね!頑張りましょう!」
長いため息は宗三さんだろうか。息を吐いている暇があったら手を動かしてもらいたい。真面目に働いてもらわねば困るのだ。果たしてこのメンバーで作業が進むだろうか……。
そんな不安は全くいらない心配だった。3人とも手伝いに対する姿勢はとにかく、作業自体は丁寧で真面目だ。若干宗三さんの文句が多かったようにも思うが、手伝ってもらった立場だ。ここは目を瞑ろうと思う。
「ありがとうございました!こんなに早く終わるなんて思わなかったです」
途中に夕飯を挟み、時刻はまだ20時を過ぎたあたりだ。他の刀たちが代わりを買って出てくれたのだが、意外にも宗三さんがそれを断っていた。なんだかんだと自分に任されたことは最後までやり遂げる性分らしい。
江雪さんは意外な実力を発揮してくれた。普段は話すスピードが遅いせいかどうもゆっくりした印象のある彼だが、その書類さばきは凄まじかった。黙々とこなしていく姿はその道のプロそのものだ。戦に乗り気でないのなら今後も書類仕事を手伝ってもらおうか、などとついつい考えてしまう。
「まったく二度とごめんですからね。はぁー、疲れた」
肩を大げさにさすって宗三さんがわざとらしく疲れをあらわにする。節々で嫌味な人だと思うことが何度かあったが、今回は彼の根の真面目さに触れられた気がして不思議と気にはならない。
「これに懲りたら、もう溜めないことですよ……」
「僕も、それがいいと思うよ」
上と下の2人にはごもっともなことを言われてしまった。頭ごなしに叱られないあたりに胸が痛む。
「それでは、私たちは失礼します……」
江雪さんが軽く頭を下げて、3人揃って執務室を出て行く。
みんなはもうお風呂に入ったりしている頃だろうか。今日は私は後回しにしてもらうよう言ってあるので、全員が入り終わるまでは私には回ってこない。だいたい9時ごろだろうか。
まだ時間はあるが、何かをするには微妙な気がする。作業で疲れたこともあり、執務室の机の横にそのままごろんと横になった。畳の感触は硬くてあまり心地よいとは言えないが、どこか落ち着くものがある。しばらくこうしてぼーっと時間を潰すのも良いかもしれない。
「起きて、風邪を引いてしまうよ……」
ゆさゆさと控えめに揺さぶられて浅い眠りから引き上げられる。どうやらあのまま寝かかってしまっていたようだ。
控えめな声で起こしてくれたのは小夜さんだ。お風呂上がりのおろした髪の毛がいつもに増してふわふわと揺れている。気持ち良さそうだ。
「おはよう小夜さん……」
触り心地の良さそうな髪の毛に手を伸ばしてみるがその手は彼の手に取られてしまった。
「おはようって時間じゃないよ。お風呂、もうみんな終わったから呼びに来たんだ。ほら、起きて」
握った手を小さく揺らして、私の行動を促す。まだ半分寝ているような絶妙な眠気が二度寝を誘う。この眠気に溺れてする二度寝というのはなぜあんなにも気持ちが良いのだろうか。
誘われるがままに目を閉じてしまった私を追いかけて、小夜さんがまた肩を揺らした。
「寝ちゃダメだよ」
「うぅーん……お風呂入りたくなーい」
起きて大浴場まで行くのがとても面倒なことに思えてしまう。このままここで朝まで寝てしまいたい気分だ。
「貴方がそれで良いなら構わないけど……歌仙は怒ると思うよ」
歌仙さんの名前を出すあたり、私の扱いをよくわかっているのか、たまたまなのか。どちらにせよ、歌仙さんが怒る姿は簡単に想像ができてしまう。
「それはやだぁ……小夜さん運んで……」
私と小夜さんの体格差を考えれば無理なのはわかっているが、彼に手を伸ばす。寝起きが弱い自覚はある。それにキツいことを言わない小夜さんが相手なのも手伝って、めんどくさい審神者の完成だ。
「はぁ……無理だと思うけど」
そう言いながらも小さな手で私の手首を掴んで引っ張ろうとしてくれる小夜さん。その気持ちだけで嬉しいです。と思いながらも体は以前起きることを拒否している。
「頑張れー……小夜さんならできるぅ……」
「何してるんですか。お小夜、離しなさい」
突然降りかかる冷ややかな声。小夜さんの手が何者かの手によって離されてしまう。眠たい目を擦って見上げると、そこにいたのは真ん中のお兄さん、宗三さんだ。
「遅いと思って来てみれば、貴方何やってるんですか。こんな小柄な子に自分を運ばせるだなんて、重さを考えてください」
声と同じくらい冷ややかな目が私に突き刺さる。
「じゃあ宗三さんでいいですよ、運んでください」
「僕の腕が折れますよ」
言外に重いと言われているのか、相変わらず言葉に嫌味を織り交ぜてくる。確かに細身な宗三さんに運んでもらうなんて気がひけるが、一応女子に対する気遣いとかそういうものがあって然るべきだろう。
「そうですね、宗三さんの貧弱な体じゃあ無理ですね」
「そうですよ。諦めてくださいね」
嫌味で返してみるが彼は乗ってこない。スルーされたみたいで消化不良なモヤモヤが残る。
「子供の相手なんてしませんよ。ほら、お小夜行きますよ」
フンッと鼻で笑って、彼は小夜さんを連れて出て行ってしまう。彼に習ってちょっと嫌味っぽく言ってみただけなのに、私だけ子供扱いされたのはなんとも気にくわない。普段自分がどんな物言いなのか、全て録音して聞かせてやりたいものだ。
「宗三さんのばかー……」
その背中に届くかどうか、わからないくらいの声で言ってみるが、負け惜しみですらない気がする。返事はもちろん返ってこない。
遠くから聞こえるみんなの声だけが耳に届く。このままぼーっとしていたらまた寝てしまいそうだ。せっかく起こしに来てくれたのだから、早く入ってしまおう。さっき無駄に粘らずにさっさと起きていれば良かったのだが、今になってようやく体を起こす。
「おや、もう起きていましたか」
「あれ、江雪さん。どうしたんですか」
入り口から覗いたのは江雪さんだ。口ぶりからして私を起こしに来たみたいだ。
「宗三に、浴場まで運んでそのまま投げ込んできてくださいと頼まれました……もちろん、そんなつもりはありませんよ……」
そんなつもりがあったら困る、というかノリノリなことにびっくりしてしまう。江雪さんが良識のある人で助かる。常日頃和睦を唱えている彼が、そんなバイオレンスなことをするとは思わないが、弟からの頼みとあっては万一というのも考えられる。
「わざわざすみません、もう起きるので大丈夫です」
頭の中で江雪さんに投げ込まれる様を想像しながら、重たかった腰をあげた。打撃の高い彼は腕力でとんでもなく力強く投げそうだなぁとかくだらないことを考えてしまう。
「なにか、おかしかったですか……?」
顔に出ていたのか、彼が首をかしげる。
「あぁ、いえすみません。江雪さんって力が強いから、投げ込まれたらすごそうだなぁって思ってました」
「……試してみますか?」
冗談みたいなことを真顔で言うものだから、真意がつかめずに「えっ」と小さく言葉を漏らすに終わってしまう。
「……冗談ですよ。貴方が望むなら、やぶさかではありませんが……」
後半はきっと冗談ではないだろう。戦いに対してははっきりと拒否の姿勢を見せる江雪さんだが、それ以外のことに関してはなんでも「戦でないのなら……」と受け入れてしまうところがある。きっと頼んだら本当にやる。
「遠慮します……本当にやったらさすがに宗三さんも驚きそうなものですけど……」
そこまで言って、ふと妙案を思いつく。
「やっぱり、頼んでもいいですか?」
「わーーーーー江雪さんおろしてください!!」
私を抱えた江雪さんが、スタスタと廊下を歩いていく。向かう先は浴場だ。そして、今ちょうど大広間の前を通過中だ。何人かいる男士たちの中にしっかり宗三さんの姿を確認する。じたばたと暴れるふりをして、江雪さんの腕の中でより一層アピールを強める。
「に、兄様!?ちょ、どこにっ」
大広間の前を何事もないかのように過ぎ去っていく江雪さんに、広間のみんながこちらに注目しているのがわかる。何事かと、興味の視線だ。その中で慌てる宗三さんを確認する。彼は江雪さんがどこへ向かって何をしようとしているのか想像がつくはずだ。だからこそ、慌てて広間を抜けて追いかけてくる。その後ろには小夜さんもついてきているようだ。完全に巻き込んでしまっているが、許してほしい。
脱衣所に入ると、ピシャリと戸を閉めてしっかり鍵をかける。完璧な仕事だ。そっと降ろしてくれた江雪さんににんまりわらってグッジョブのサインを送る。書類の件でもそうだったが、江雪さんは意外に早く動けるらしい。
「ちょ、兄様!開けてください!何してるんですか!」
鍵に阻まれて開けることができない宗三さんが戸をトントンと叩く。
「江雪兄様っ、開けてっ……」
小夜さんの声も聞こえる。2人して少し焦った様子から、どうやら作戦はうまくいったみたいだ。
江雪さんに頼んで、私を抱えてここまで運んできてもらった。バタバタと暴れる私を運ぶ姿を見て、きっと宗三さんは焦るはずだ。自分の言った冗談を江雪さんが間に受けたのではないかと。
「さ、さっきのはほんの冗談ですよ!兄様っ……」
「くっ……ふふ、あはははは」
戸の向こうの宗三さんの焦っている様子を想像して、ついに笑いが堪えられなくなる。
「これで……よろしいのですか?」
「満足です、ありがとうございました」
そう言って鍵を開ける。そこにはぽかんとした顔の宗三さんと、察したのか呆れたような顔をする小夜さんがいる。
「あれ、宗三さんどうしたんですか?慌てちゃって」
きっと今の私はニヤニヤが隠しきれていないであろう。それで宗三さんも全てを察したのか、その綺麗な顔がみるみる歪んでいく。
「貴方……兄様をいいように使いましたね」
「え?私は運んでって頼んだだけですよ。ね?江雪さん」
それは事実だが、江雪さんもここで何かおかしいと思ったのか素直にうなずいてはくれない。何があっても止まらずに全速力で私を浴場まで運んでください、と。それが私の頼んだ内容だ。
「なるほど……宗三は私が主を投げ込むのではと思ったのですね……。主、これは……」
江雪さんから嫌な気配を察知する。
「け、喧嘩じゃないですよ!ちょっとした悪戯です!」
本当に喧嘩というわけではないのだが、宗三さんにちょっとだけ仕返ししたかったのは事実だ。それに巻き込まれたとあっては、江雪さんの和睦の琴線に触れるやもしれない。慌てて取り繕うが、我ながら見苦しいことこの上ない。
「悪戯……ですか……」
「そうそう!楽しい悪戯です!」
「僕はなんにも楽しくなかったですけどね」
宗三さんが横槍を入れてくる。余計なことは言わないでもらいたい。
「仲が良いのは結構ですが……、あまり困らせるのはよろしくありませんよ……」
仲が良いかはさておいて、どうやらただの戯れだと思ってもらえたようでホッとする。小さな説教だけで終わらせてもらえるようだ。
「まったく、本当に投げ込まれれば良かったんですよ」
はぁーっと長めにため息を吐いて、宗三さんは戻っていく。
「それでは、ごゆっくりどうぞ……」
江雪さんもそれに続いて戻っていく。残った小夜さんは何か言いたげにこちらを見上げている。お兄さんたちに対する私の態度に何か思うところがあったのだろうか。少しだけ、反省の気持ちが湧いてくる。
「小夜さん……えっと?」
「貴方は、宗三兄様に復讐したかったの?」
「えっ、いやそんな大層なことは……」
ただ少し宗三さんに対してしてやったり、と思えるようなことがしたかっただけなのだが。小夜さんが復讐を求めて、たびたび表情の少ないその顔に深い影を落としていたことを思い出す。彼には、私が復讐をしているように映ったのだろうか。
「復讐を望むのなら、僕を使ってね。それじゃあ、ごゆっくり……」
復讐なんて、と思うが、そこに生を見出している彼にかける言葉は見つからない。そのまま去っていく小夜さんになにか声をかけることもできず、ただそれを見送るだけに終わってしまった。
なんだか、モヤモヤを残して終わってしまった。どこか影の暗い左文字三兄弟だが、話してみるとそうでもないんじゃないかと、そう思っていた。実際に江雪さんは戦のことでなければ強い拒否を示したりはしないし、宗三さんも口が悪いだけで根っから嫌われているというわけでもなさそうだ。小夜さんだって、他の短刀たちのようにとても慕ってくれているというわけではないが、少しは馴染んでくれたんじゃないかと思っていた。
みんな過去にいろいろあったのかもしれないけど、楽しく過ごしていればそんなのそのうち気にしなくなるだろうと、どこか楽観的に考えていた。考えすぎていたのかもしれない。
刀たちに根差した記憶というのは、生まれて十数年の私では計り知れないくらいに強いのだろう。先ほど垣間見えた小夜さんのあの目には少しどきりとした。普段から比較的鋭い目つきの彼だが、それとは違う、何か強い気持ちを感じる目だった。それは復讐に対する執着だろうか。
広い湯船に私以外の気配は何もない。完全な1人の空間で、考えを広げ始めると止まらなくなる。今日まで毎日楽しく過ごしてきたつもりだったが、きっと彼らの中には何か過去の強い出来事に囚われ続けている者も少なくはないのだろう。私はそんな彼らに何をしてあげられるのだろうか。どうにかしてあげたいと思うことも烏滸がましいのかもしれない。
せめて、ここで過ごしている間だけでも、彼らには楽しい時を過ごしてほしい。わずかな時間で、彼らの長い歴史を塗り替えるようなことはできなくてもいい。長い歴史の中にほんの少しだけでも、楽しいと思えた時間が加わればいいのに。
難しいことを考えるのは頭を使う。私がどれだけ考えても、きっと及ばない。そんなことはわかりきっていた。胸の中につっかえるモヤモヤを吐き出すように、長い息を吐く。それは湯気の中に溶けていき、そうやってモヤモヤが全て溶け込んでいってしまえばいいのに、と思う。
「そろそろあがろうかなぁ」
小さい独り言が、やたらと響いて聞こえた。
2019.2.23
いつものように朝の日課となった鍛刀をこなして、学校へ向かう。そして帰宅後は出陣を中心に審神者としての業務を行う。習慣化しつつある毎日だ。
初めこそ、帰宅後にしかできない審神者としての仕事に不安があったが、どうにかやれている今、心配は随分少なくなった。それはきっと、支えてくれる刀剣男士たちのおかげだ。そして気負いすぎていた私の心境の変化もあるだろう。充実感のある毎日の中に確かな楽しさを見出していた。そう、先ほどまでは……。
「な、な、なな、なにごとですか。この、書類の山は!」
「政府から、報告書の催促でございます。審神者様の本丸からはまだ一度も報告書が上がっておりません故、私がお伝えにまいりました次第です」
執務室には初日ぶりのこんのすけ。そして、ほとんどお飾りだった机の上にはこれでもかという書類の山。
審神者に課せられた義務、報告書。本丸での戦績や支出、その他もろもろ、政府への報告義務があるのだ。ある、らしい。
「そんなこと知らないよぉ!!こんのすけ、言ってなかった!」
「マニュアルに書いてあります!!」
机の上に無造作に置かれた審神者マニュアル。自分のなすべきことを、と真っ先にそれを頭に入れ始めた私だったが、慣れが出てくると全て読み込むのが億劫になってきた。わからないことがあれば見ればいい、とそれを辞書のように考え放置していたのだ。
「とにかく、今日までの5日分。しっかりお願いしますよ。それでは」
言うべきことだけ言うと、こんのすけはぽんっと姿を消した。残されたのは書類の山。これのどこが5日分だというのか。絶対におかしい。しかし、反論したい相手はもういない。書類とともに残された政府からの通告にも、早急に報告書を提出するように、と書かれている。これを片付ける他なさそうだ。
「と、とりあえず、誰かに手伝いを……」
書類仕事の得意そうなのは前田さんや歌仙さんあたりだろうか。しかし、あいにく2人とも今の時間は戦いに出てもらっているはずだ。本丸に残っているメンバーで手伝いを頼めそうなのは……いや、この際能力よりも数だ。数が集まればきっとなんとかなるはずだ。
「それでは、お願いします」
「戦でないのであれば……」
「なんで僕たちが貴方の尻拭いを手伝わなければいけないんですか?」
「戦じゃないんだね……」
見つけたのは左文字さん兄弟だ。上のお兄様は戦でないのならばと協力的だが、真ん中は不服そうだし、末の弟はどこかがっかりしているように見える。しかしこの際、申し訳ないがそんなことは気にしていられない。今日中に全てまとめて政府へ送らなければいけないのだ。
「終わるまで寝られませんからね!頑張りましょう!」
長いため息は宗三さんだろうか。息を吐いている暇があったら手を動かしてもらいたい。真面目に働いてもらわねば困るのだ。果たしてこのメンバーで作業が進むだろうか……。
そんな不安は全くいらない心配だった。3人とも手伝いに対する姿勢はとにかく、作業自体は丁寧で真面目だ。若干宗三さんの文句が多かったようにも思うが、手伝ってもらった立場だ。ここは目を瞑ろうと思う。
「ありがとうございました!こんなに早く終わるなんて思わなかったです」
途中に夕飯を挟み、時刻はまだ20時を過ぎたあたりだ。他の刀たちが代わりを買って出てくれたのだが、意外にも宗三さんがそれを断っていた。なんだかんだと自分に任されたことは最後までやり遂げる性分らしい。
江雪さんは意外な実力を発揮してくれた。普段は話すスピードが遅いせいかどうもゆっくりした印象のある彼だが、その書類さばきは凄まじかった。黙々とこなしていく姿はその道のプロそのものだ。戦に乗り気でないのなら今後も書類仕事を手伝ってもらおうか、などとついつい考えてしまう。
「まったく二度とごめんですからね。はぁー、疲れた」
肩を大げさにさすって宗三さんがわざとらしく疲れをあらわにする。節々で嫌味な人だと思うことが何度かあったが、今回は彼の根の真面目さに触れられた気がして不思議と気にはならない。
「これに懲りたら、もう溜めないことですよ……」
「僕も、それがいいと思うよ」
上と下の2人にはごもっともなことを言われてしまった。頭ごなしに叱られないあたりに胸が痛む。
「それでは、私たちは失礼します……」
江雪さんが軽く頭を下げて、3人揃って執務室を出て行く。
みんなはもうお風呂に入ったりしている頃だろうか。今日は私は後回しにしてもらうよう言ってあるので、全員が入り終わるまでは私には回ってこない。だいたい9時ごろだろうか。
まだ時間はあるが、何かをするには微妙な気がする。作業で疲れたこともあり、執務室の机の横にそのままごろんと横になった。畳の感触は硬くてあまり心地よいとは言えないが、どこか落ち着くものがある。しばらくこうしてぼーっと時間を潰すのも良いかもしれない。
「起きて、風邪を引いてしまうよ……」
ゆさゆさと控えめに揺さぶられて浅い眠りから引き上げられる。どうやらあのまま寝かかってしまっていたようだ。
控えめな声で起こしてくれたのは小夜さんだ。お風呂上がりのおろした髪の毛がいつもに増してふわふわと揺れている。気持ち良さそうだ。
「おはよう小夜さん……」
触り心地の良さそうな髪の毛に手を伸ばしてみるがその手は彼の手に取られてしまった。
「おはようって時間じゃないよ。お風呂、もうみんな終わったから呼びに来たんだ。ほら、起きて」
握った手を小さく揺らして、私の行動を促す。まだ半分寝ているような絶妙な眠気が二度寝を誘う。この眠気に溺れてする二度寝というのはなぜあんなにも気持ちが良いのだろうか。
誘われるがままに目を閉じてしまった私を追いかけて、小夜さんがまた肩を揺らした。
「寝ちゃダメだよ」
「うぅーん……お風呂入りたくなーい」
起きて大浴場まで行くのがとても面倒なことに思えてしまう。このままここで朝まで寝てしまいたい気分だ。
「貴方がそれで良いなら構わないけど……歌仙は怒ると思うよ」
歌仙さんの名前を出すあたり、私の扱いをよくわかっているのか、たまたまなのか。どちらにせよ、歌仙さんが怒る姿は簡単に想像ができてしまう。
「それはやだぁ……小夜さん運んで……」
私と小夜さんの体格差を考えれば無理なのはわかっているが、彼に手を伸ばす。寝起きが弱い自覚はある。それにキツいことを言わない小夜さんが相手なのも手伝って、めんどくさい審神者の完成だ。
「はぁ……無理だと思うけど」
そう言いながらも小さな手で私の手首を掴んで引っ張ろうとしてくれる小夜さん。その気持ちだけで嬉しいです。と思いながらも体は以前起きることを拒否している。
「頑張れー……小夜さんならできるぅ……」
「何してるんですか。お小夜、離しなさい」
突然降りかかる冷ややかな声。小夜さんの手が何者かの手によって離されてしまう。眠たい目を擦って見上げると、そこにいたのは真ん中のお兄さん、宗三さんだ。
「遅いと思って来てみれば、貴方何やってるんですか。こんな小柄な子に自分を運ばせるだなんて、重さを考えてください」
声と同じくらい冷ややかな目が私に突き刺さる。
「じゃあ宗三さんでいいですよ、運んでください」
「僕の腕が折れますよ」
言外に重いと言われているのか、相変わらず言葉に嫌味を織り交ぜてくる。確かに細身な宗三さんに運んでもらうなんて気がひけるが、一応女子に対する気遣いとかそういうものがあって然るべきだろう。
「そうですね、宗三さんの貧弱な体じゃあ無理ですね」
「そうですよ。諦めてくださいね」
嫌味で返してみるが彼は乗ってこない。スルーされたみたいで消化不良なモヤモヤが残る。
「子供の相手なんてしませんよ。ほら、お小夜行きますよ」
フンッと鼻で笑って、彼は小夜さんを連れて出て行ってしまう。彼に習ってちょっと嫌味っぽく言ってみただけなのに、私だけ子供扱いされたのはなんとも気にくわない。普段自分がどんな物言いなのか、全て録音して聞かせてやりたいものだ。
「宗三さんのばかー……」
その背中に届くかどうか、わからないくらいの声で言ってみるが、負け惜しみですらない気がする。返事はもちろん返ってこない。
遠くから聞こえるみんなの声だけが耳に届く。このままぼーっとしていたらまた寝てしまいそうだ。せっかく起こしに来てくれたのだから、早く入ってしまおう。さっき無駄に粘らずにさっさと起きていれば良かったのだが、今になってようやく体を起こす。
「おや、もう起きていましたか」
「あれ、江雪さん。どうしたんですか」
入り口から覗いたのは江雪さんだ。口ぶりからして私を起こしに来たみたいだ。
「宗三に、浴場まで運んでそのまま投げ込んできてくださいと頼まれました……もちろん、そんなつもりはありませんよ……」
そんなつもりがあったら困る、というかノリノリなことにびっくりしてしまう。江雪さんが良識のある人で助かる。常日頃和睦を唱えている彼が、そんなバイオレンスなことをするとは思わないが、弟からの頼みとあっては万一というのも考えられる。
「わざわざすみません、もう起きるので大丈夫です」
頭の中で江雪さんに投げ込まれる様を想像しながら、重たかった腰をあげた。打撃の高い彼は腕力でとんでもなく力強く投げそうだなぁとかくだらないことを考えてしまう。
「なにか、おかしかったですか……?」
顔に出ていたのか、彼が首をかしげる。
「あぁ、いえすみません。江雪さんって力が強いから、投げ込まれたらすごそうだなぁって思ってました」
「……試してみますか?」
冗談みたいなことを真顔で言うものだから、真意がつかめずに「えっ」と小さく言葉を漏らすに終わってしまう。
「……冗談ですよ。貴方が望むなら、やぶさかではありませんが……」
後半はきっと冗談ではないだろう。戦いに対してははっきりと拒否の姿勢を見せる江雪さんだが、それ以外のことに関してはなんでも「戦でないのなら……」と受け入れてしまうところがある。きっと頼んだら本当にやる。
「遠慮します……本当にやったらさすがに宗三さんも驚きそうなものですけど……」
そこまで言って、ふと妙案を思いつく。
「やっぱり、頼んでもいいですか?」
「わーーーーー江雪さんおろしてください!!」
私を抱えた江雪さんが、スタスタと廊下を歩いていく。向かう先は浴場だ。そして、今ちょうど大広間の前を通過中だ。何人かいる男士たちの中にしっかり宗三さんの姿を確認する。じたばたと暴れるふりをして、江雪さんの腕の中でより一層アピールを強める。
「に、兄様!?ちょ、どこにっ」
大広間の前を何事もないかのように過ぎ去っていく江雪さんに、広間のみんながこちらに注目しているのがわかる。何事かと、興味の視線だ。その中で慌てる宗三さんを確認する。彼は江雪さんがどこへ向かって何をしようとしているのか想像がつくはずだ。だからこそ、慌てて広間を抜けて追いかけてくる。その後ろには小夜さんもついてきているようだ。完全に巻き込んでしまっているが、許してほしい。
脱衣所に入ると、ピシャリと戸を閉めてしっかり鍵をかける。完璧な仕事だ。そっと降ろしてくれた江雪さんににんまりわらってグッジョブのサインを送る。書類の件でもそうだったが、江雪さんは意外に早く動けるらしい。
「ちょ、兄様!開けてください!何してるんですか!」
鍵に阻まれて開けることができない宗三さんが戸をトントンと叩く。
「江雪兄様っ、開けてっ……」
小夜さんの声も聞こえる。2人して少し焦った様子から、どうやら作戦はうまくいったみたいだ。
江雪さんに頼んで、私を抱えてここまで運んできてもらった。バタバタと暴れる私を運ぶ姿を見て、きっと宗三さんは焦るはずだ。自分の言った冗談を江雪さんが間に受けたのではないかと。
「さ、さっきのはほんの冗談ですよ!兄様っ……」
「くっ……ふふ、あはははは」
戸の向こうの宗三さんの焦っている様子を想像して、ついに笑いが堪えられなくなる。
「これで……よろしいのですか?」
「満足です、ありがとうございました」
そう言って鍵を開ける。そこにはぽかんとした顔の宗三さんと、察したのか呆れたような顔をする小夜さんがいる。
「あれ、宗三さんどうしたんですか?慌てちゃって」
きっと今の私はニヤニヤが隠しきれていないであろう。それで宗三さんも全てを察したのか、その綺麗な顔がみるみる歪んでいく。
「貴方……兄様をいいように使いましたね」
「え?私は運んでって頼んだだけですよ。ね?江雪さん」
それは事実だが、江雪さんもここで何かおかしいと思ったのか素直にうなずいてはくれない。何があっても止まらずに全速力で私を浴場まで運んでください、と。それが私の頼んだ内容だ。
「なるほど……宗三は私が主を投げ込むのではと思ったのですね……。主、これは……」
江雪さんから嫌な気配を察知する。
「け、喧嘩じゃないですよ!ちょっとした悪戯です!」
本当に喧嘩というわけではないのだが、宗三さんにちょっとだけ仕返ししたかったのは事実だ。それに巻き込まれたとあっては、江雪さんの和睦の琴線に触れるやもしれない。慌てて取り繕うが、我ながら見苦しいことこの上ない。
「悪戯……ですか……」
「そうそう!楽しい悪戯です!」
「僕はなんにも楽しくなかったですけどね」
宗三さんが横槍を入れてくる。余計なことは言わないでもらいたい。
「仲が良いのは結構ですが……、あまり困らせるのはよろしくありませんよ……」
仲が良いかはさておいて、どうやらただの戯れだと思ってもらえたようでホッとする。小さな説教だけで終わらせてもらえるようだ。
「まったく、本当に投げ込まれれば良かったんですよ」
はぁーっと長めにため息を吐いて、宗三さんは戻っていく。
「それでは、ごゆっくりどうぞ……」
江雪さんもそれに続いて戻っていく。残った小夜さんは何か言いたげにこちらを見上げている。お兄さんたちに対する私の態度に何か思うところがあったのだろうか。少しだけ、反省の気持ちが湧いてくる。
「小夜さん……えっと?」
「貴方は、宗三兄様に復讐したかったの?」
「えっ、いやそんな大層なことは……」
ただ少し宗三さんに対してしてやったり、と思えるようなことがしたかっただけなのだが。小夜さんが復讐を求めて、たびたび表情の少ないその顔に深い影を落としていたことを思い出す。彼には、私が復讐をしているように映ったのだろうか。
「復讐を望むのなら、僕を使ってね。それじゃあ、ごゆっくり……」
復讐なんて、と思うが、そこに生を見出している彼にかける言葉は見つからない。そのまま去っていく小夜さんになにか声をかけることもできず、ただそれを見送るだけに終わってしまった。
なんだか、モヤモヤを残して終わってしまった。どこか影の暗い左文字三兄弟だが、話してみるとそうでもないんじゃないかと、そう思っていた。実際に江雪さんは戦のことでなければ強い拒否を示したりはしないし、宗三さんも口が悪いだけで根っから嫌われているというわけでもなさそうだ。小夜さんだって、他の短刀たちのようにとても慕ってくれているというわけではないが、少しは馴染んでくれたんじゃないかと思っていた。
みんな過去にいろいろあったのかもしれないけど、楽しく過ごしていればそんなのそのうち気にしなくなるだろうと、どこか楽観的に考えていた。考えすぎていたのかもしれない。
刀たちに根差した記憶というのは、生まれて十数年の私では計り知れないくらいに強いのだろう。先ほど垣間見えた小夜さんのあの目には少しどきりとした。普段から比較的鋭い目つきの彼だが、それとは違う、何か強い気持ちを感じる目だった。それは復讐に対する執着だろうか。
広い湯船に私以外の気配は何もない。完全な1人の空間で、考えを広げ始めると止まらなくなる。今日まで毎日楽しく過ごしてきたつもりだったが、きっと彼らの中には何か過去の強い出来事に囚われ続けている者も少なくはないのだろう。私はそんな彼らに何をしてあげられるのだろうか。どうにかしてあげたいと思うことも烏滸がましいのかもしれない。
せめて、ここで過ごしている間だけでも、彼らには楽しい時を過ごしてほしい。わずかな時間で、彼らの長い歴史を塗り替えるようなことはできなくてもいい。長い歴史の中にほんの少しだけでも、楽しいと思えた時間が加わればいいのに。
難しいことを考えるのは頭を使う。私がどれだけ考えても、きっと及ばない。そんなことはわかりきっていた。胸の中につっかえるモヤモヤを吐き出すように、長い息を吐く。それは湯気の中に溶けていき、そうやってモヤモヤが全て溶け込んでいってしまえばいいのに、と思う。
「そろそろあがろうかなぁ」
小さい独り言が、やたらと響いて聞こえた。
2019.2.23