好きになって欲しい
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
いつもならば部活が始まっているこの時間。私はまだ教室にいた。別にサボっただとか、そういうことではない。
今日はたまたま日直の日で、教室内のチェックを終わらせて、今しがた日誌を書き終えたところだ。あとはこれを職員室に提出して、仕事は完了だ。
帰り支度を済ませ、荷物をもって教室を出る。今日はこのまま帰るつもりだ。
まだまだ部活の時間には余裕があるし、間に合わないということはないのだが、今日は自主練日。部長からも今日は休んでいいと言われている。
少し早く帰れるからといって多少の嬉しさがないわけではないが、これといった予定を思いつかないのが悲しいところだ。普段からほぼ毎日のように放課後は部活の時間として過ごしてきた。その部活が無いとなると、これといってやることが思いつかないのである。
そんなことならば、やっぱり部活に顔を出そうかとも思う。自主練というだけで部活が無いわけでは無い。きっと参加している生徒も少なくないだろう。私の仕事もきっと全く無いなんてことは無いと思う。
そう思い始めたら切り替えは早く、着替えのジャージを取りに行くために足は教室へと向いていた。
「あれ、先輩やないですか。今日は部活行かんのですか?」
下りてきたばかりの階段をもう一度上がったところで、よく知った顔に出会った。
「これから行こうと思って。財前くんこそ、今日は行かんの?」
「今日はこれから委員会の当番なんですわ」
そう言いながら指をさしたのは図書室。なるほど、確か彼は図書委員だった。
「自主練日だからサボったんやと思ったわ」
「失礼っすね」
口ではそういうものの、さほど気にとめた様子は無い。図書室の鍵を開けて、そのまま中に入るのかと思いきや、ふとこちらを振り返る。
「ちゅーか、先輩こそ、こんな時間やからサボってるんやと思いました。珍しいこともあるんやなーって」
「日直で時間に遅れるんやし、本当は帰ろうと思ったんやけどね。やっぱり行こうと思ってジャージ取りに戻ろうとしたとこやってん」
「さすがっすね。自主練日なんやからマネージャーが休んだって誰もなんも言わんと思いますけど」
確かにその通りかもしれない。
「でも、私の方がなんか落ち着かんくて」
自分で言っていて、どんだけ部活バカやねん!と思ってしまう。でも実際そうなのだから仕方ない。放課後に他にすることが思い当たらないくらいには部活バカだ。
「なんですか、それ。せっかく早く帰れるのに」
「いやー、なんかこれといってしたいこととか思いつかんくって。それやったらテニス部のために働いた方が有意義やん?」
彼に呆れたような顔で見られてしまったが、反論もできない。それどころかさらに部活バカを露見させてしまったような気がする。
毒舌な彼からの追撃が飛んできそうで苦笑いの用意をするが、それは無駄に終わってしまった。
「先輩、今日暇なんですか?」
「へ?え、あ、うん。暇……だから部活行こうかなーって」
いつもの小憎たらしい顔でフンッと鼻で笑われでもするんじゃ無いかと思っていたおかげで少々拍子抜けしてしまう。そのせいで変に声が裏返ってしまった。でも財前くんはそんなの気にしてないようで、私から目をそらし、考え込むようなそぶりを見せた。
しかしそれも一瞬のこと。
「暇なんやったら、俺の話相手になってくださいよ。当番中暇なんっすわ」
なぜか彼からのお誘いを受けてしまった。
暇なのは確かなので誘いを受けるしかないような気もするが、特別断る理由も無いので二つ返事でオーケーをする。結果部活には行かないということにはなるが、目的ができたのだから、きっと気持ちも落ち着くだろう。
彼に続いて図書室に入る。ちらりと見えた横顔が、どことなく嬉しそうな、喜びが漏れ出ているような笑顔に見えて、かわいい後輩に喜んでもらえたことに私まで嬉しくなる。そんなにも図書当番というのは退屈なのだろうか。
「なんですか、そんなニコニコして」
それが顔に出ていたのか、財前くんから怪訝な顔で見られてしまう。自分だって隠しきれていなかったくせに、と思うが気分がいいので指摘はしないでおいてあげた。「なんでもないよ」と誤魔化したが、それ以上は追及してこないようだ。
彼の中で勝手にニヤニヤしてる気持ち悪いやつ、という認定を受けてないことを祈りつつ、どこに座ろうかと教室内を見渡す。
「こっち座ったらどうですか」
先にスタスタと奥へ進んでいった彼がパタパタと机を叩く。てっきりカウンターの中に座るもんだと思っていたが、彼が選んだのは窓際の2人がけの席だった。
「当番のお仕事しやんでええの?」
「人が来た時しか仕事無いんで。あそこ日当たり悪いし」
確かに、カウンターは入り口のそばにあるから窓から離れているし、それに比べて彼の選んだ席は今の時間ちょうどいい感じに日が差し込んで暖かそうだ。
「なんか眠くなっちゃいそうやね」
彼の向かい側に座る。
「ほんまそれっすわ。1人やと気づいたら寝てることとかあって」
そう言いながら大きなあくびをしてみせる財前くん。すでに眠そうに見える気がする。
「あかん、眠いっすわ。先輩、なんか面白いこといってくださいよ」
「えぇ!?う、うーん、無茶言うなぁ……」
突然の無茶ぶりに対応できない、四天宝寺生にあるまじき失態。しかし、端からそんなのは期待されていなかったようで、「先輩のその反応面白いっすわ」と満足げだ。
話し相手に、とはいったもののお互いそれぞれの時間を過ごしている。ふと話題が持ち上がり、二、三言交わしてまた静かになる。気まずいといったことはなくて、なんとなく心地よい時間がゆったりと過ぎていく。
「なぁ、先輩」
ふと、財前くんが頭を持ち上げてこちらを見つめている。今までの目を伏せたままの会話とは違う真剣な雰囲気にこちらも少し姿勢を正してしまう。答えるように彼を見つめ返し、視線が真正面からぶつかる。
何か相談事だろうか。後輩からの相談となれば、助けにならないわけにはいかない。自分では力不足では無いだろうか、答えられるといいけど……。
その先を予想して勝手に緊張してしまう。
「先輩って、普段から部長らと仲良いんすか?」
真剣な表情の彼から出た言葉は考えていたもののどれとも違った。
彼の言う部長、とは間違いなくテニス部部長の白石蔵之介の事だろう。ということは、部長ら、とは白石や他のテニス部員のことだろう。
「仲?はいいと思うけど、どうしたの、突然?」
そこから連想されるような相談を考えてみる。テニス部内でなにかあったのか。私が見ていた限りでは特に思い当たる節はないが、マネージャーにはわからないところでなにか起きた可能性は十分にある。
彼の質問の意図を計りかねて、素直に聞き返してみる。
「や、先輩ら見てるとなんや、お互いに名前で呼んでたり、休みの日出かけとったり、なんか部活だけの仲やないように思えたんで」
「うん?まぁ、もう三年目の付き合いやし、クラスも同じやったりしたから、自然と仲良うなったんやけど。呼び方とかも自然と今の感じになっとったなぁ」
呼び方、と言ってもお互いに下の名前で呼び合っているというだけだ。初めはみんな苗字さんと呼んでたし、私も白石くん、忍足くん、と苗字で呼んでいた。でも次第に部活以外でもよく喋ったりするようになって、気がついたら今の形になっていた。
「ふうん」
そこまで聞いて、財前くんは窓の方を向いてしまった。
「え、それだけ?」
真剣に話を聞く姿勢に入ってた私は、もう聞く事はないというようにそっぽを向いてしまった彼に拍子抜けしてしまう。
「それだけ、って?それだけっすよ。別に、気になっただけなんで」
心なしか、ちょっとツンとしてしまった財前くんにますますわからなくなる。もともと愛想のいい後輩では無いが、今の態度はなかなかのものではないだろうか。私になにか機嫌を損ねるような要因があっただろうか。
さっきまでの心地よい沈黙とは打って変わって、なんとなく気まずい雰囲気が漂う。声をかけるにもなんと言おうか、言葉が出ずにただ財前くんの横顔を眺めるに止まってしまう。
財前くんはそんなこちらの気持ちに気づいているのかいないのか。ただ窓の外を見つめている。
「あ、じゃあ一ついいですか?」
ふいにこちらを向いた財前くん。頬杖をついて、少しふてぶてしい顔をした彼と目が合う。
「……部長と、付き合ってるんすか?」
「…………へ?」
部長とは、もう確認するまでもなく、白石の事だろう。
「結構噂してる人とかおるやないですか。実際どうなんやろって思って。ほら、先輩って部長の事だけ呼び捨てやし、なんか特別な事でもあるんやないかって思ったんすけど」
噂、に関しては私にも心当たりが無いでは無い。そういった事に多感なこの時期だ。それに加えて、テニス部部長白石蔵之介と言ったら、学年問わず、学校1のモテ男と言っても過言では無い。そんな彼の周りに仲の良い女がいたら、噂になるのは必然というものだろう。その噂は私たち本人の耳にまでばっちり届いている。
「いやいやいや、それはないよ。名前だって蔵之介、って長いから蔵って呼んでるだけやし。そもそも、付き合ってへんのはテニス部やったらよお知ってるやろ?」
たびたび話題に上がるのだ。どうやら、噂の真偽をを確かめたい生徒が、テニス部員にそれとなしに聞いてくるようで、「また今日も2人の事を聞かれた」という会話が持ち上がるのにはもう慣れたものだ。そのたびに、蔵が困ったような顔で「付き合ってへんのになぁ」と笑うのだ。
財前くんだっていつもその場にいるのだから、もうわかりきったことだろうに。今更なぜ改まって質問してきたのか。
「ふーん……や、ならいいっすわ。表向きはああ言ってますけど、2人ともまんざらでもないように見えたんで。もしかして、とか思ってたんすよね」
「それは……ないよ。蔵だって、きっと噂の事あんまし良く思ってないと思うよ」
蔵が見せる困ったような笑顔。それを見せるのはいつも決まって、私たちの噂の事を話している時だ。きっと根も葉もない噂に困っているのだと思う。蔵はモテるから、余計にそういうのが気になるんじゃないだろうか。周りからなにかいわれることも多いだろうし。
それでも変わらず仲良くしてくれる蔵のことが、私は好きだ。恋愛感情ではない。
付き合っている、なんて噂を流されてまんざらでもなかったのは事実だ。きっと優越感みたいなものに浸っていたんだと思う。蔵が噂に困っている事も知らないで、浮かれたりして最低だった。私と蔵は部活仲間であり、あくまで友人だ。そこに友情以上のものはないのだと、しっかり心に誓った。
「蔵も噂に困ってるやろうし、それなのに、私に良くしてくれて。ほんま感謝しか無いわ。せやから、財前くんも勘違いしやんで?私と蔵は付き合ってないから」
図星をつかれたのもあって、思い上がっていた自分を思い出し恥ずかしくなる。自分に言い聞かせるように、財前くんに念を押して噂を否定する。
「部長かて、別に迷惑はしてへんと思いますけど……」
暗くなってしまったのが気づかれたのか、慰めの言葉をぼそりとつぶやく財前くん。無愛想に見えてこういう優しいところがあるから彼はかわいい。言ってから、私がニヤニヤしているのに気づいたのか「先輩キモいっすわ」と言ってそっぽを向いてしまう。そんな憎まれ口も照れ隠しだとわかっているとなんにも響いてこない。むしろニヤニヤに拍車がかかってしまう。
蔵の事を思って勝手に落ち込んだのも忘れて、目の前のかわいい後輩の反応についついいたずら心が生まれる。
「ほっぺ赤いですよ、財前クーン?」
そっぽを向いたおかげでこちらに無防備にさらされてしまっているほっぺをつつく。
てっきり払われるものだと思っていたが、彼は意外にも私にされるがままだ。真っ赤な顔のままほっぺをつつかれてじっとしている。そんな反応にこっちが恥ずかしくなってしまって、おずおずと手を引っ込めた。
「もう終わりっすか?」
引っ込めた手を追いかけるように財前くんの視線がこちらに向けられる。その顔はまだほんのり赤い。
「う、うん。ま、満足した」
満足ってなんだ、と心の中でつっこみつつ、視線に耐えられなくて目を逸らした。彼は今どんな顔をしているのか、気にはなるが顔を見る事ができない。
「先輩」
声をかけられるのと同時に、机の上にあった手に何かが触れた。その感触に反射的に手を引っ込めようとした。でもそれは叶わない。
財前くんの手がしっかりと私の手を握っている。
ちらりと見た彼の顔はまだ熱を持っているようで、じっと私を見つめている。それに応えられる気がしなくて、私はまた目を逸らしてしまう。
彼はまだこちらを見ているのだろうか。じわじわと顔に集まる熱に、きっと気づかれているだろう。触れている手がじっとりと熱い。
「名前先輩」
少しかすれた声で呼ばれた名前。彼に名前を呼ばれるのは初めてな気がする。
手を当てなくてもわかる心臓の音がさらに私を追い詰める。雰囲気に飲まれるな、と必死に逃げ道を探してしまう自分が情けない。
「こっちむいてくださいよ」
逃げられない。彼に捕まってしまったかのような感覚に陥る。観念しましたと言った感じで彼の目を見れば、それは嬉しそうに弧を描いた。
「名前先輩真っ赤や」
それを言う財前くんだって十分真っ赤だと思うのだが、それをからかう余裕なんて今の私には無い。さっきまでのイタズラ心はいったいどこに消えてしまったのか。
「からかわんといて……財前くんのアホ……」
弱々しい罵倒にもならない言葉が今の私の精一杯だ。口がカラカラに乾いて、喋るのだってやっとだ。
「名前先輩、俺のこと名前で呼んでくださいよ」
「いやや……無理……」
「なんで?先輩たちは名前で呼んでるやないですか。俺かて呼ばれたいです。なんや仲間はずれみたいで寂しいやないですか」
これが呼び方に拗ねているだけのかわいい後輩だったらよかったのに。そんな簡単なことならすぐに叶えてあげられたあろうに。
今目の前にいるのはかわいい後輩ではなかった。初めて彼のことを男の子として意識してしまっている。そんな彼からのおねだりはかわいいなんて言葉では片付けられない。どうして、名前を呼ぼうとするだけでこんなにも心臓がうるさいのか。邪魔で声も出ないではないか。
期待に満ちた目でこっちを見つめる彼は心臓に悪すぎる。
「ひ、ひ…かるくんの……アホ……」
やっとのことで絞り出した声はすごく弱々しくて、それでもなんとか言葉になった。
と思ったのに、彼は満足そうな顔で
「聞こえんかった。もう一回言ってください」
なんて言うのだ。
「絶対聞こえてたやろ……!もういやや……」
耐えきれなくなって彼の視線から逃げるように顔を伏せた。
「名前さんかわいい」
そう言って握っていただけだった手に、そっと指を絡ませてくる。
「どうしよ、俺今めちゃくちゃ舞い上がってる。名前さんに触れてめちゃくちゃドキドキしてるんすよ」
そんなの私だって同じだ。初めて見せられる財前くんにドキドキさせられすぎて死んでしまいそうだ。
「俺のこと、そんなに意識してるん見たら期待してしまいそうっすわ」
そう言って手にぎゅっと力を入れる財前くん。
「ねぇ、名前さん。嫌やったらちゃんと拒否してください。そうやないと……」
グイッと強めに引かれた手に、顔をあげれば、随分と近くにある彼の顔。
拒否しなければ、きっとこのまま彼は私を離してくれない。流されてしまう。どこかではそう考えていても、頭は痺れてしまったように思考を放棄している。
ああ、触れてしまう……
今日はたまたま日直の日で、教室内のチェックを終わらせて、今しがた日誌を書き終えたところだ。あとはこれを職員室に提出して、仕事は完了だ。
帰り支度を済ませ、荷物をもって教室を出る。今日はこのまま帰るつもりだ。
まだまだ部活の時間には余裕があるし、間に合わないということはないのだが、今日は自主練日。部長からも今日は休んでいいと言われている。
少し早く帰れるからといって多少の嬉しさがないわけではないが、これといった予定を思いつかないのが悲しいところだ。普段からほぼ毎日のように放課後は部活の時間として過ごしてきた。その部活が無いとなると、これといってやることが思いつかないのである。
そんなことならば、やっぱり部活に顔を出そうかとも思う。自主練というだけで部活が無いわけでは無い。きっと参加している生徒も少なくないだろう。私の仕事もきっと全く無いなんてことは無いと思う。
そう思い始めたら切り替えは早く、着替えのジャージを取りに行くために足は教室へと向いていた。
「あれ、先輩やないですか。今日は部活行かんのですか?」
下りてきたばかりの階段をもう一度上がったところで、よく知った顔に出会った。
「これから行こうと思って。財前くんこそ、今日は行かんの?」
「今日はこれから委員会の当番なんですわ」
そう言いながら指をさしたのは図書室。なるほど、確か彼は図書委員だった。
「自主練日だからサボったんやと思ったわ」
「失礼っすね」
口ではそういうものの、さほど気にとめた様子は無い。図書室の鍵を開けて、そのまま中に入るのかと思いきや、ふとこちらを振り返る。
「ちゅーか、先輩こそ、こんな時間やからサボってるんやと思いました。珍しいこともあるんやなーって」
「日直で時間に遅れるんやし、本当は帰ろうと思ったんやけどね。やっぱり行こうと思ってジャージ取りに戻ろうとしたとこやってん」
「さすがっすね。自主練日なんやからマネージャーが休んだって誰もなんも言わんと思いますけど」
確かにその通りかもしれない。
「でも、私の方がなんか落ち着かんくて」
自分で言っていて、どんだけ部活バカやねん!と思ってしまう。でも実際そうなのだから仕方ない。放課後に他にすることが思い当たらないくらいには部活バカだ。
「なんですか、それ。せっかく早く帰れるのに」
「いやー、なんかこれといってしたいこととか思いつかんくって。それやったらテニス部のために働いた方が有意義やん?」
彼に呆れたような顔で見られてしまったが、反論もできない。それどころかさらに部活バカを露見させてしまったような気がする。
毒舌な彼からの追撃が飛んできそうで苦笑いの用意をするが、それは無駄に終わってしまった。
「先輩、今日暇なんですか?」
「へ?え、あ、うん。暇……だから部活行こうかなーって」
いつもの小憎たらしい顔でフンッと鼻で笑われでもするんじゃ無いかと思っていたおかげで少々拍子抜けしてしまう。そのせいで変に声が裏返ってしまった。でも財前くんはそんなの気にしてないようで、私から目をそらし、考え込むようなそぶりを見せた。
しかしそれも一瞬のこと。
「暇なんやったら、俺の話相手になってくださいよ。当番中暇なんっすわ」
なぜか彼からのお誘いを受けてしまった。
暇なのは確かなので誘いを受けるしかないような気もするが、特別断る理由も無いので二つ返事でオーケーをする。結果部活には行かないということにはなるが、目的ができたのだから、きっと気持ちも落ち着くだろう。
彼に続いて図書室に入る。ちらりと見えた横顔が、どことなく嬉しそうな、喜びが漏れ出ているような笑顔に見えて、かわいい後輩に喜んでもらえたことに私まで嬉しくなる。そんなにも図書当番というのは退屈なのだろうか。
「なんですか、そんなニコニコして」
それが顔に出ていたのか、財前くんから怪訝な顔で見られてしまう。自分だって隠しきれていなかったくせに、と思うが気分がいいので指摘はしないでおいてあげた。「なんでもないよ」と誤魔化したが、それ以上は追及してこないようだ。
彼の中で勝手にニヤニヤしてる気持ち悪いやつ、という認定を受けてないことを祈りつつ、どこに座ろうかと教室内を見渡す。
「こっち座ったらどうですか」
先にスタスタと奥へ進んでいった彼がパタパタと机を叩く。てっきりカウンターの中に座るもんだと思っていたが、彼が選んだのは窓際の2人がけの席だった。
「当番のお仕事しやんでええの?」
「人が来た時しか仕事無いんで。あそこ日当たり悪いし」
確かに、カウンターは入り口のそばにあるから窓から離れているし、それに比べて彼の選んだ席は今の時間ちょうどいい感じに日が差し込んで暖かそうだ。
「なんか眠くなっちゃいそうやね」
彼の向かい側に座る。
「ほんまそれっすわ。1人やと気づいたら寝てることとかあって」
そう言いながら大きなあくびをしてみせる財前くん。すでに眠そうに見える気がする。
「あかん、眠いっすわ。先輩、なんか面白いこといってくださいよ」
「えぇ!?う、うーん、無茶言うなぁ……」
突然の無茶ぶりに対応できない、四天宝寺生にあるまじき失態。しかし、端からそんなのは期待されていなかったようで、「先輩のその反応面白いっすわ」と満足げだ。
話し相手に、とはいったもののお互いそれぞれの時間を過ごしている。ふと話題が持ち上がり、二、三言交わしてまた静かになる。気まずいといったことはなくて、なんとなく心地よい時間がゆったりと過ぎていく。
「なぁ、先輩」
ふと、財前くんが頭を持ち上げてこちらを見つめている。今までの目を伏せたままの会話とは違う真剣な雰囲気にこちらも少し姿勢を正してしまう。答えるように彼を見つめ返し、視線が真正面からぶつかる。
何か相談事だろうか。後輩からの相談となれば、助けにならないわけにはいかない。自分では力不足では無いだろうか、答えられるといいけど……。
その先を予想して勝手に緊張してしまう。
「先輩って、普段から部長らと仲良いんすか?」
真剣な表情の彼から出た言葉は考えていたもののどれとも違った。
彼の言う部長、とは間違いなくテニス部部長の白石蔵之介の事だろう。ということは、部長ら、とは白石や他のテニス部員のことだろう。
「仲?はいいと思うけど、どうしたの、突然?」
そこから連想されるような相談を考えてみる。テニス部内でなにかあったのか。私が見ていた限りでは特に思い当たる節はないが、マネージャーにはわからないところでなにか起きた可能性は十分にある。
彼の質問の意図を計りかねて、素直に聞き返してみる。
「や、先輩ら見てるとなんや、お互いに名前で呼んでたり、休みの日出かけとったり、なんか部活だけの仲やないように思えたんで」
「うん?まぁ、もう三年目の付き合いやし、クラスも同じやったりしたから、自然と仲良うなったんやけど。呼び方とかも自然と今の感じになっとったなぁ」
呼び方、と言ってもお互いに下の名前で呼び合っているというだけだ。初めはみんな苗字さんと呼んでたし、私も白石くん、忍足くん、と苗字で呼んでいた。でも次第に部活以外でもよく喋ったりするようになって、気がついたら今の形になっていた。
「ふうん」
そこまで聞いて、財前くんは窓の方を向いてしまった。
「え、それだけ?」
真剣に話を聞く姿勢に入ってた私は、もう聞く事はないというようにそっぽを向いてしまった彼に拍子抜けしてしまう。
「それだけ、って?それだけっすよ。別に、気になっただけなんで」
心なしか、ちょっとツンとしてしまった財前くんにますますわからなくなる。もともと愛想のいい後輩では無いが、今の態度はなかなかのものではないだろうか。私になにか機嫌を損ねるような要因があっただろうか。
さっきまでの心地よい沈黙とは打って変わって、なんとなく気まずい雰囲気が漂う。声をかけるにもなんと言おうか、言葉が出ずにただ財前くんの横顔を眺めるに止まってしまう。
財前くんはそんなこちらの気持ちに気づいているのかいないのか。ただ窓の外を見つめている。
「あ、じゃあ一ついいですか?」
ふいにこちらを向いた財前くん。頬杖をついて、少しふてぶてしい顔をした彼と目が合う。
「……部長と、付き合ってるんすか?」
「…………へ?」
部長とは、もう確認するまでもなく、白石の事だろう。
「結構噂してる人とかおるやないですか。実際どうなんやろって思って。ほら、先輩って部長の事だけ呼び捨てやし、なんか特別な事でもあるんやないかって思ったんすけど」
噂、に関しては私にも心当たりが無いでは無い。そういった事に多感なこの時期だ。それに加えて、テニス部部長白石蔵之介と言ったら、学年問わず、学校1のモテ男と言っても過言では無い。そんな彼の周りに仲の良い女がいたら、噂になるのは必然というものだろう。その噂は私たち本人の耳にまでばっちり届いている。
「いやいやいや、それはないよ。名前だって蔵之介、って長いから蔵って呼んでるだけやし。そもそも、付き合ってへんのはテニス部やったらよお知ってるやろ?」
たびたび話題に上がるのだ。どうやら、噂の真偽をを確かめたい生徒が、テニス部員にそれとなしに聞いてくるようで、「また今日も2人の事を聞かれた」という会話が持ち上がるのにはもう慣れたものだ。そのたびに、蔵が困ったような顔で「付き合ってへんのになぁ」と笑うのだ。
財前くんだっていつもその場にいるのだから、もうわかりきったことだろうに。今更なぜ改まって質問してきたのか。
「ふーん……や、ならいいっすわ。表向きはああ言ってますけど、2人ともまんざらでもないように見えたんで。もしかして、とか思ってたんすよね」
「それは……ないよ。蔵だって、きっと噂の事あんまし良く思ってないと思うよ」
蔵が見せる困ったような笑顔。それを見せるのはいつも決まって、私たちの噂の事を話している時だ。きっと根も葉もない噂に困っているのだと思う。蔵はモテるから、余計にそういうのが気になるんじゃないだろうか。周りからなにかいわれることも多いだろうし。
それでも変わらず仲良くしてくれる蔵のことが、私は好きだ。恋愛感情ではない。
付き合っている、なんて噂を流されてまんざらでもなかったのは事実だ。きっと優越感みたいなものに浸っていたんだと思う。蔵が噂に困っている事も知らないで、浮かれたりして最低だった。私と蔵は部活仲間であり、あくまで友人だ。そこに友情以上のものはないのだと、しっかり心に誓った。
「蔵も噂に困ってるやろうし、それなのに、私に良くしてくれて。ほんま感謝しか無いわ。せやから、財前くんも勘違いしやんで?私と蔵は付き合ってないから」
図星をつかれたのもあって、思い上がっていた自分を思い出し恥ずかしくなる。自分に言い聞かせるように、財前くんに念を押して噂を否定する。
「部長かて、別に迷惑はしてへんと思いますけど……」
暗くなってしまったのが気づかれたのか、慰めの言葉をぼそりとつぶやく財前くん。無愛想に見えてこういう優しいところがあるから彼はかわいい。言ってから、私がニヤニヤしているのに気づいたのか「先輩キモいっすわ」と言ってそっぽを向いてしまう。そんな憎まれ口も照れ隠しだとわかっているとなんにも響いてこない。むしろニヤニヤに拍車がかかってしまう。
蔵の事を思って勝手に落ち込んだのも忘れて、目の前のかわいい後輩の反応についついいたずら心が生まれる。
「ほっぺ赤いですよ、財前クーン?」
そっぽを向いたおかげでこちらに無防備にさらされてしまっているほっぺをつつく。
てっきり払われるものだと思っていたが、彼は意外にも私にされるがままだ。真っ赤な顔のままほっぺをつつかれてじっとしている。そんな反応にこっちが恥ずかしくなってしまって、おずおずと手を引っ込めた。
「もう終わりっすか?」
引っ込めた手を追いかけるように財前くんの視線がこちらに向けられる。その顔はまだほんのり赤い。
「う、うん。ま、満足した」
満足ってなんだ、と心の中でつっこみつつ、視線に耐えられなくて目を逸らした。彼は今どんな顔をしているのか、気にはなるが顔を見る事ができない。
「先輩」
声をかけられるのと同時に、机の上にあった手に何かが触れた。その感触に反射的に手を引っ込めようとした。でもそれは叶わない。
財前くんの手がしっかりと私の手を握っている。
ちらりと見た彼の顔はまだ熱を持っているようで、じっと私を見つめている。それに応えられる気がしなくて、私はまた目を逸らしてしまう。
彼はまだこちらを見ているのだろうか。じわじわと顔に集まる熱に、きっと気づかれているだろう。触れている手がじっとりと熱い。
「名前先輩」
少しかすれた声で呼ばれた名前。彼に名前を呼ばれるのは初めてな気がする。
手を当てなくてもわかる心臓の音がさらに私を追い詰める。雰囲気に飲まれるな、と必死に逃げ道を探してしまう自分が情けない。
「こっちむいてくださいよ」
逃げられない。彼に捕まってしまったかのような感覚に陥る。観念しましたと言った感じで彼の目を見れば、それは嬉しそうに弧を描いた。
「名前先輩真っ赤や」
それを言う財前くんだって十分真っ赤だと思うのだが、それをからかう余裕なんて今の私には無い。さっきまでのイタズラ心はいったいどこに消えてしまったのか。
「からかわんといて……財前くんのアホ……」
弱々しい罵倒にもならない言葉が今の私の精一杯だ。口がカラカラに乾いて、喋るのだってやっとだ。
「名前先輩、俺のこと名前で呼んでくださいよ」
「いやや……無理……」
「なんで?先輩たちは名前で呼んでるやないですか。俺かて呼ばれたいです。なんや仲間はずれみたいで寂しいやないですか」
これが呼び方に拗ねているだけのかわいい後輩だったらよかったのに。そんな簡単なことならすぐに叶えてあげられたあろうに。
今目の前にいるのはかわいい後輩ではなかった。初めて彼のことを男の子として意識してしまっている。そんな彼からのおねだりはかわいいなんて言葉では片付けられない。どうして、名前を呼ぼうとするだけでこんなにも心臓がうるさいのか。邪魔で声も出ないではないか。
期待に満ちた目でこっちを見つめる彼は心臓に悪すぎる。
「ひ、ひ…かるくんの……アホ……」
やっとのことで絞り出した声はすごく弱々しくて、それでもなんとか言葉になった。
と思ったのに、彼は満足そうな顔で
「聞こえんかった。もう一回言ってください」
なんて言うのだ。
「絶対聞こえてたやろ……!もういやや……」
耐えきれなくなって彼の視線から逃げるように顔を伏せた。
「名前さんかわいい」
そう言って握っていただけだった手に、そっと指を絡ませてくる。
「どうしよ、俺今めちゃくちゃ舞い上がってる。名前さんに触れてめちゃくちゃドキドキしてるんすよ」
そんなの私だって同じだ。初めて見せられる財前くんにドキドキさせられすぎて死んでしまいそうだ。
「俺のこと、そんなに意識してるん見たら期待してしまいそうっすわ」
そう言って手にぎゅっと力を入れる財前くん。
「ねぇ、名前さん。嫌やったらちゃんと拒否してください。そうやないと……」
グイッと強めに引かれた手に、顔をあげれば、随分と近くにある彼の顔。
拒否しなければ、きっとこのまま彼は私を離してくれない。流されてしまう。どこかではそう考えていても、頭は痺れてしまったように思考を放棄している。
ああ、触れてしまう……
1/11ページ