嵐の予感(いつの間にか晴れ。-0.5)
それぞれの思いを胸にすれ違う言葉
争いは誰の策略 愛欲の仕業?
つくり笑いする裏側で探り合う心
ぎこちなく踊り続けた 嵐の予感に
ぽたり と天井からか濡れた雫が落ちる。
暗い洞窟の中で響く音はそれだけだ。
静寂の中に、然し満ちているのは冷酷な殺気。
手元のガンブレードは既に抜刀している。
すぅ、と息をひっそり吹い、静かにゆっくり吐き出し。
もう一度肺に空気を入れたところで
高さのある天井から破片が床に落ちた、瞬間
激しい剣劇が始まった。
事の始まりは少々面倒な依頼からだった。
「夜の民でも寄り付かない洞窟に?」
既にエリディブスの策略も退け、あとは私以外の暁の仲間を原初世界に帰るための手筈を模索している昨今。モンスターの討伐依頼以外ではそうそう面倒な話も来なかったところに、珍しくヤ・シュトラが拠点にしていた
ラケティカの夜の民から相談が届いた。
【森の北部にある洞窟からただならぬ気配がある】
との事。
「そうなのよ。」
「まさかまだ古代人の魔紋や何かが残っているってこと?」
「何もないところに起きる話ではないし、彼らが嘘をいうとも思えなくてね。」
知らせをうけたヤ・シュトラも、眉唾物の話だとは思うがそう放置できる事でもない、と考えあぐねていた。
それならば、と丁度外での採取活動が終わってもどってきた私が挙手することにした。
「…なら私が行ってこようか」
「貴方、今いいの?」
「構わないよ。みんなを戻すほうの研究も進まないとこちらも動きようがないし」
今やってたのは自分で使う薬品合成のための素材取ってただけだしなあ…と。伝えてみる。
あと一つかけておきたい保険についても。
「あ、でも一つだけ。行くのは良いんだけどお願いがー…」
「何かしら?」
「3日経っても私からなんの連絡も無かったら、誰か様子見によこしてほしいかも。」
何か罠が発動して、洞窟内で身動き取れなくなってたらあれだし。…というのはまあ、完全に保険のつもりでお願いをしてみた。実際にいるとは思えないが。然しこの話についてはヤ・シュトラも同意してくれた。
「不吉なことを。…でも、ありえなくはない話ではあるわね。」
「それなら、俺がいこう。それこそ罠が発動していたらとかいう話なら。」
「わたくしも参りましょう。魔法の罠であればサンクレッドだけでは難しいでしょうし」
「そうだな。頼むウリエンジェ」
「決まりね。…では、悪いけれど貴方、よろしくて?」
「おっけー任せて。」
後方支援も取り付けたということで、その翌日から私は件の洞窟へと探索に行ってみたわけだが。
まあ確かに罠はあった。まさかこんな類とは、思わなかったが。
徐々に侵食されるどす黒い気配に、暫く考える。
----------------これは間違いなく後からくる二人と、やりあう羽目になるだろうな、という事は理解できた。
一歩間違うと死んでしまうかもしれない。
まあ、「明日死ぬ」なんて覚悟は当の昔にしているから、どうということはないけれど。
…これで、もし、サンクレッドに刺し違えて命を絶つことになったら…彼には大変な役を押し付けてしまうなあ、という罪悪感と
彼の手に掛かって死ぬなら嬉しいと思ってしまう気持ちがあった。
「本当に連絡が途絶えたのか?」
「ええ。…まさかの保険が本当に必要になるとは思ってなかったのだけど」
約束の日数を過ぎても彼女からの連絡がなかった。流石にただの保険と思っていたことが本当になるとは。
クリスタリウムでリーンからソイルを受け取り、俺とウリエンジェは早速出かける準備を整えた。
「あの…サンクレッド」
「どうした?リーン」
「私も…一緒に行ったらダメですか?」
「ダメだな。」
俺にソイルが詰まった小袋を渡した後も心配げにしているリーンは、自分も行ってはダメかと言い出した。
あれだけの手練れの彼女が戻らないとなると、それなりな相手の可能性が高い。正直連れて行くわけにもいかないから断ると、あからさまに分かるくらい落ち込んで「そうですか…」という。
「…なんだ、どうしたんだ?リーン」
そんなに俺とウリエンジェが心配なのか? というと頭を振って
「あの、彼女が帰ってこないことが、心配で…怪我とか、していたら私も回復できますし…!」
「落ち着きましょう、リーン。それもわたくしが対応するために、今回は行くのですから。」
「そ、それは解るけど!…あの…」
「…リーンもあいつが大事なんだな。」
「……はい」
しょんぼりした彼女の頭を宥める様に撫でる。…気持ちはわかるが連れて行くわけにはいかないから。
「お前の気持ちもわかるが、今回は諦めてくれ。何があるか判らないからな。」
「リーン。サンクレッドとわたくしを信じて、待っていてください。」
「はい…!」
リーンを納得させたところで、俺とウリエンジェはクリスタリウムを出た。
正直この時は、リーンがそこまで心配する程の事は起こらないだろうと思っていたのだ。蓋を開けてみたらそれどころではなかったが。
「ウリエンジェ。気をつけろ」
「これは…一体…?」
まず現地である洞窟の入り口を一歩入ったところで俺は嫌な感覚を察知した。
空気がまずおかしい。重苦しい感じがあったのと、よくわからない得体のしれない「何か」の気配がしたのだ。
同じく、ウリエンジェも何かを感じたようだ。
「サンクレッド、注意してください。かなり密度の濃いエーテルが発せられています」
「洞窟全体か?」
「いえ。……この入り口から北東方向ですね…」
「解った。少しずつ進むぞ」
暫く警戒しながら奥へと進むと確かに道は北東へ伸びており、ほどなくしてだいぶ広いドーム状の開けたところへでた。
と、そこには
「あれは…!」
「まさか。あいつか?」
無数のモンスターの死骸が散らばっていた。かなりの数である。ただその中央には
…三日前にクリスタリウムで元気に話をしていた、彼女が。
鮮血で染まったのだろう、真っ赤な大剣を地面に刺して、立っていた。その表情までは遠目で見えない。
「気を付けてください、彼女の周りに濃いエーテルが渦巻いていますが…これは…!」
「おいウリエンジェ、あいつに何が起こっている?!」
俺は咄嗟にガンブレイドを抜いて構える。が、手をかざして後ろでエーテルを感知しているウリエンジェが焦りを含ませた声を発した。一体なにが?!と問うと
「…彼女の…エーテル体自体は失っておりませんが、それを覆いつくすようにどす黒いエーテルが纏わり付いています。あれは相当苦しいはず…」
「…乗っ取られてるってことか?」
「正しくは、【乗っ取られかかっている】という処でしょうか。」
普通の人間であれば、確実にもう乗っ取られていたかもしれませんが。…彼女は強い意志の力でそれを跳ねのけ続けているかと。
答えながらウリエンジェが暫く周囲の状態を探知している。
此方も、転がっている死体の方向から彼女以外に魔物がいないかどうかの気配を探るが…全くない。たぶん、中央に立つ彼女が以外のもの全てを仕留めたに違いない。
これは…彼女のその、【まとわりついてるもの】を何とかしないといけないという事だろうか?
今回リーンから貰ったソイルはだいぶ普段より多めに入っている。正解だったなという事を頭の隅で俺は考えていた。
暫くすると、探知を終えたウリエンジェが武器を構えてから俺に一つ作戦を出した。
「大体構造がみえました。」
「どうすればいい?」
「多分もうすぐ彼女は此方の気配に気が付くと思われます。ですが少し彼女を抑えていただけますか?」
「わかった。なるべく怪我がない様に抑えるが…どこまで加減してやりあえるかはわからん。」
で、そっちはどうするのか?と問うと
「こちらは外壁にある、あのエーテル体の発生物らしきものがある地点を特定できましたので、破壊していきましょう」
「なるほど。壊せば弱まると?」
「可能性が極めて高いです。むしろその地点以外から、彼女を取り巻くあのエーテルは発生していません。」
4か所ほどですが、急ぎますのでその間彼女をお願いいたします。
というウリエンジェの言葉に俺は頷くと、中央にいる彼女へ少しずつ近寄った。最初の一手をギリギリ打てる距離まで。
どす黒いエーテルに身体が飲まれそうになるのを辛うじて耐える。
この洞窟のどこかからなのか、このエリアにいるモンスターからなのか、解らないけれど。
ここで発狂しているモンスターを倒し終わった途端、自分の周囲に黒い何かが巻き付いたのが解った。
…これはこの身体を乗っ取ろうとしている類のエーテルだ。
「ふざけるな…!」
強く自我を持つことで自分の中心を明け渡すことは免れている。が、身体を動かすとその分自分の精神集中を妨げられる。まずは周りのモンスターをすべて倒してから精神上の攻防が始まった。
とはいえ…このエーテルに吸い寄せられるように外からまたモンスターが定期的に迷い込むらしい。
そのエーテルをすってさらに狂暴になったものが襲ってくる。
精神を侵すものを耐えながら、物理的な敵も相手をしていると、流石に徐々に体力も削られた。
------------------一体どれくらいここにきてから経っただろうか。
たぶん、そろそろ彼らが来る。保険として掛けた彼らだ。
この状態だと間違いなく殴り合う羽目になる…完全な乗っ取りは阻止しているものの、身体の自由は今や相手の手に落ちている状態だ。
味方だと分かっても、多分私の身体は彼らを殺そうとするだろう。地面に刺した大剣に凭れる様に立ちながら、激痛ではないが…まるでじわじわと押し込むほの暗い意識と戦っていると、
それはきた。
南西方向からの空気の動き。何かが動いている…これはモンスター? では、ない…
ああ、【保険】の二人がきたということか。しかしこれの正体が私にはわからないからこのままだと殴り合いかな…耐えながら伺っていると、一瞬、空間に響く小さな石が落ちた音。
それとほぼ同時に空気を引き裂く音がした。これは、ガンブレイドが空気を切る音…!
私を操るエーテル体は彼を【敵】と認識したようだ。
ラフディバイドで一気に寄ってきたサンクレッドを綺麗にはじき返す。
「やあ。…久々に真剣勝負と行こうじゃないか。英雄殿…!」
「…………」
なるほど。サンクレッド側でも状況は理解できているようだ。まあかといって此方は動きをどうこうはできないのだが。ただ、私は祈るしかなかった。
------------本当にだめだと思ったら、私を殺せという事しか。
「くそ、やっぱり流石としかいいようがない…!」
此方に打ってくる攻撃が悉く、重い。流石英雄様である。
多分あの身体を動かしているのは彼女自身ではないのだろう。だからこそ何も太刀筋に迷いが無いのだ。完全に此方を殺しにかかってきている。
連打で打ち込み彼女の態勢を崩してから、ソイルで周囲にあるだろうエーテルを切るように打ち込む。
なるべくなら身体に当たらないように…周囲を切るように打つが、何発か彼女の身体を掠めているのが解る。
本当は。…彼女の身体に一筋すら傷をつけたくない。しかしそうして加減しようとするとー
「!! っつ…!」
彼女から容赦ない攻撃が降ってくる。今回の要件は盾のほうがやりやすいと思ったのだろう、彼女は暗黒騎士だった。
漆黒の剣、シャドウブリンガー、ブラッドデリリアムからのブラッドスピラー、影身からの同じようにシャドウブリンガーが飛んでくる。正直かなりきつい。
こうなると…此方も本気で殴るしかない。軽減でカバーしながら連続剣を打っていく。
…本当はこんな、こんな殴り合いを、彼女となど遊びですらしたくは無いが…!
「っあぁ!!」
ハイパーヴェロシティまで連続で打ち込んだところで彼女の身体が一気に後方へ下がった。
「?! お前…」
彼女の身体は確かに、此方のせいではあるがかなりの消耗をしているのは解った
ただ先ほどまで一気に体制を整えて打ってきたのとは変わって・・・
左手で右腕を握ってる? 違う、アレは握ってるんじゃない、武器を取らせないように抑え込んでいた。
「こうか!!」
俺は一気に寄って、床に転がる彼女の大剣を弾き飛ばした。
サンクレッドの攻撃のおかげなのか、私の身体を支配するエーテルが少しずつ削られていった。
序盤のソイルが私を掠める都度、それの力を抑えてくれた。これなら意識を保つのも多少楽になる。まだ、身体の支配権を取り戻すまでにはならないが。
然しその後、此方の身体を操るものが私の能力をきちんと理解したのか、全力で彼を殴りに行っていた。
ああ、彼にはこんなことをしたいわけではないのに------------!
然し彼方もガンブレイカー、きちんとコランダムやランパで軽減して此方の攻撃を往なした後、連続剣を打ってくる。かなりこれが響いた。此方を乗っ取っているものに「軽減」という要素は理解できなかったらしい。
つまりサンクレッドの連撃を完全に素受けしたのだ。ああ…こういうときに「仲間が強い」という認識はあまり持ちたくなかったが、強い。
最後の一発を貰ったところで完全に私の身体は吹っ飛ばされた。然し同時に、私を支配する力が半分以下に落ちたのだ。
攻撃を受けたせいなのか、どうか。そこまでは解らなかったけれど多少自分自身の制御ができるようになったのだ。
痛みを無いもののように右手で剣の柄を取ろうとする手を、左手で抑え込むことに成功する。
【つっ…これ以上…は…!】
無理やり抑えていると、それに気が付いたサンクレッドが私の大剣を遠くへ弾き飛ばしてくれた。
後はもう少しこの力との攻防を私の中で何とかすれば…と考えていると、その後すぐ。
私の中から徐々にどす黒いエーテルが消えていくのが解る。
【これはもう、大丈夫かな…?】と、判断したところで、私は全身の力を抜いて、床へ倒れこんだ。
「っく………」
「おい、大丈夫か?!」
すぐにサンクレッドが私を抱き上げてくれた。…ああ、良かった。彼には大したけがはなさそうで…
それだけが嬉しかった。心配そうな眼がかすれた視界に入ったけれど、そこが限界だった。
辛うじて耐えていた私の意識はそこで途切れた。
「…4か所破壊が終わりました。サンクレッド、彼女は?」
「ああ、たぶん、何かの支配から抜けたらしい、今倒れたところだ」
「これは…ずいぶん本気でやりあいましたね?」
俺の腕の中で意識を失っている彼女の、四肢を走る怪我の具合をみて、ウリエンジェが眉を顰め咎めるような言い方をしてきた。
いや…まあそういわれても、仕方がないかもしれないが。
「本気で向かってくる英雄様とやりあうには仕方なく、な。」
「まあそうでしょうね…少し、そのままでいてください。移動する前に彼女の傷を塞ぎましょう」
「ああ頼む。」
ウリエンジェが彼女を癒す間、俺の腕の中でくたりとしている彼女が、とても愛おしくて。
肩にのせている彼女の頭に無意識に口吻を落とす。
「……この場の癒しはこれで良いでしょう。フフ。我らが魔女の申される通りだったのですね」
「? なんだ。ヤ・シュトラが何か言っていたのか?」
「いいえ。では戻りましょう。きちんとベッドで休ませなくては」
ウリエンジェのいう言葉は咄嗟にわからなかったが、これの意味を知るのは相当先の話になる。
「ん・・・・・・・・・」
「あ!! サンクレッド、彼女が起きましたよ!!」
「こら、うるさくするな。」
水の底をゆっくりと泳ぐような。ゆるりとした感覚から徐々に覚醒する。
…うっすら開けた眼に最初に入ったのは…白いスカートを翻す、彼女だった。
「…リーン?」
「はい!! 良かった…!貴女が無事で…」
ベッドの枕元に膝をついて私の手を握る彼女は少し目元を潤ませている。
あ、ああ。そうか。例の場所から無事助けてもらえたのだな、というのを漸く頭で理解した。
少し目線を上げると、彼女の隣には。
「よう。…大丈夫か?」
「サンクレッド…有難う。」
「いいや。」
横から腕を伸ばし、私の頭を優しくなでる手は暖かい。
弱っている私にはその感触が…嬉しくて。少し眩しいものを見る様に目を細めた。
「あ!そしたら皆さんに報告してきますね!貴女が起きたって!」
リーンは嬉しそうにそう言って立ち上がり即走って行ってしまった。
眼は冷めたが…このままだとうとうとまた寝てしまいそうなんだけれど。
少し笑っていると、リーンが握っていた手を今度はサンクレッドが握ってくれた。
暫く私の指や掌を優しく、摩る様に撫でる彼の手がくすぐったい。思わず文句が口を吐きそうになったが、彼が何か言い淀んでいるようだから、しばらく待ってみた。すると…
「…悪かった」
「? どうして」
「お前を止めるためとはいえ、本気で戦うしかなかった」
「ああ。…それ、全然悪くないと思うけど」
逆に止めてもらってありがたかった位だ。あのままだと、私は完全に人間ではない何かになっていただろうから。
むしろ、ちゃんと保険の役割をしてくれて有難うというところだ。
それを伝えると、彼はそれでも苦しそうな顔をした。
「いや、それでももっとやりようが…あった気がしてな。」
「気にしないで。本当に。私はー…」
あの時思っていたことをそのまま伝えた。
「最悪、私の意識がもうなかったら、殺してくれと思ってたし。」
「お前…なんてことを言うんだ!」
「っ!」
途端、サンクレッドにひどく怒鳴られた。
正直耳が痛い。
「…そんな怒らなくても」
「怒るに決まってるだろうが…!」
一体なんて事をいうのか、と。物凄い剣幕でどなられた。…驚いた。
私が、例えばそういう状態になったとしたら逆に世界の脅威だろうと思うのだ。それならば、むしろ暁の仲間としては倒すべき対象だ。…なんら、問題はないはずだ。
だか、サンクレッドはとても苦しそうに私を見つめていた。
「サンクレッド‥‥」
「そんな事、二度というな。」
「!」
「…お前がいなくなったら、俺は…耐えられない。」
そういって、握っていた私の手に彼は小さなキスを落とした。
指先、掌、手首。柔らかく触れるところから彼の熱がゆっくりと伝わる。
…喜んではいけないのに。
「ゴメンナサイ」
私の手を握り、心配そうに私を見る彼の眼がとても悲しい色をしているから。
そんな顔しないで。貴方には、笑顔でいてほしいの。大好きな、貴方には。
私の手に唇を寄せる彼の頬に振れる。-----------どうか、笑って。
「もう言わない、から。」
そういって、笑うと彼は少し目を見張った後私の伸ばした手に自分の手を重ねた。
「約束だからな。」
「うん。」
漸く彼が笑ってくれたから、……しかし心が痛いのは何故だろう?
「疲れたから」と伝えて、部屋に一人にしてもらった。
彼の頬を触れた掌を大事に、握りしめる。
心配されることを喜んでしまった。あんな風に、彼の眼に入れてもらえる事を喜んでしまった。
…いや、けど、だめだ。
彼の心を占めているのは私ではない。彼の腕は、私の物にはならない。
忘れてはだめだということを、もう一度思い返した。この世界に来た時「彼が守るべきものは何か」を見たじゃないか、と。
強くそれを想い返して、己を戒め-------------------
私はもう一度眠るために瞼を降ろした。
ペンダント居住区から表に出ると、すでに夜の帳が降りていた。
空にはキレイに星が瞬いている。
「…………くそ。」
本当は、あのまま口吻たかった。
自分を殺せなどという世迷い事を言うから…!
でも彼女にはまだ、何も伝えてないから…自分の気持ちを。寸でのところで踏みとどまった。
ラケティカからクリスタリウムへ戻ってくるまでずっと抱き上げていた、彼女の身体はとても華奢だった。
可愛くて…強く抱きしめたら折れてしまいそうで。この傷をつけたのは全部俺なんだよなと思ったら、申し訳ない気持ちもあって。
すっかりウリエンジェが近所にいることも忘れて、腕の中の彼女の額や、瞼に幾つも唇を落としていた。
…まだ自分は道半ばだ。この世界の脅威に区切りはついたが、原初世界へ戻らなければ…先が不透明なままだ。そんな状況で彼女に気持ちは伝えられない。だからまだ、このまま。
そう耐えているけれど…偶にどうしようもなくなる時がある
先程彼女は「もう言わない」と言いながら笑った。…ああ、何度も見たことがある、何かを諦めたような、悲しそうな笑顔だ。
どうしてそんな顔をするんだ。お前は何を抱えてる?
引き寄せて、腕の中に閉じ込めたい。本当は。そんな悲しい顔をさせる理由を排除して、もっと素直に笑ってほしいのに。
でも今の自分にはそう言うことはできないから、彼女の言葉を信じるしかないのだ。
…いつか。ちゃんと原初世界に戻った後は、絶対逃さない、から。
一瞬だけ振り返ったあと、俺は彷徨う階段亭に脚を向けた。
争いは誰の策略 愛欲の仕業?
つくり笑いする裏側で探り合う心
ぎこちなく踊り続けた 嵐の予感に
ぽたり と天井からか濡れた雫が落ちる。
暗い洞窟の中で響く音はそれだけだ。
静寂の中に、然し満ちているのは冷酷な殺気。
手元のガンブレードは既に抜刀している。
すぅ、と息をひっそり吹い、静かにゆっくり吐き出し。
もう一度肺に空気を入れたところで
高さのある天井から破片が床に落ちた、瞬間
激しい剣劇が始まった。
事の始まりは少々面倒な依頼からだった。
「夜の民でも寄り付かない洞窟に?」
既にエリディブスの策略も退け、あとは私以外の暁の仲間を原初世界に帰るための手筈を模索している昨今。モンスターの討伐依頼以外ではそうそう面倒な話も来なかったところに、珍しくヤ・シュトラが拠点にしていた
ラケティカの夜の民から相談が届いた。
【森の北部にある洞窟からただならぬ気配がある】
との事。
「そうなのよ。」
「まさかまだ古代人の魔紋や何かが残っているってこと?」
「何もないところに起きる話ではないし、彼らが嘘をいうとも思えなくてね。」
知らせをうけたヤ・シュトラも、眉唾物の話だとは思うがそう放置できる事でもない、と考えあぐねていた。
それならば、と丁度外での採取活動が終わってもどってきた私が挙手することにした。
「…なら私が行ってこようか」
「貴方、今いいの?」
「構わないよ。みんなを戻すほうの研究も進まないとこちらも動きようがないし」
今やってたのは自分で使う薬品合成のための素材取ってただけだしなあ…と。伝えてみる。
あと一つかけておきたい保険についても。
「あ、でも一つだけ。行くのは良いんだけどお願いがー…」
「何かしら?」
「3日経っても私からなんの連絡も無かったら、誰か様子見によこしてほしいかも。」
何か罠が発動して、洞窟内で身動き取れなくなってたらあれだし。…というのはまあ、完全に保険のつもりでお願いをしてみた。実際にいるとは思えないが。然しこの話についてはヤ・シュトラも同意してくれた。
「不吉なことを。…でも、ありえなくはない話ではあるわね。」
「それなら、俺がいこう。それこそ罠が発動していたらとかいう話なら。」
「わたくしも参りましょう。魔法の罠であればサンクレッドだけでは難しいでしょうし」
「そうだな。頼むウリエンジェ」
「決まりね。…では、悪いけれど貴方、よろしくて?」
「おっけー任せて。」
後方支援も取り付けたということで、その翌日から私は件の洞窟へと探索に行ってみたわけだが。
まあ確かに罠はあった。まさかこんな類とは、思わなかったが。
徐々に侵食されるどす黒い気配に、暫く考える。
----------------これは間違いなく後からくる二人と、やりあう羽目になるだろうな、という事は理解できた。
一歩間違うと死んでしまうかもしれない。
まあ、「明日死ぬ」なんて覚悟は当の昔にしているから、どうということはないけれど。
…これで、もし、サンクレッドに刺し違えて命を絶つことになったら…彼には大変な役を押し付けてしまうなあ、という罪悪感と
彼の手に掛かって死ぬなら嬉しいと思ってしまう気持ちがあった。
「本当に連絡が途絶えたのか?」
「ええ。…まさかの保険が本当に必要になるとは思ってなかったのだけど」
約束の日数を過ぎても彼女からの連絡がなかった。流石にただの保険と思っていたことが本当になるとは。
クリスタリウムでリーンからソイルを受け取り、俺とウリエンジェは早速出かける準備を整えた。
「あの…サンクレッド」
「どうした?リーン」
「私も…一緒に行ったらダメですか?」
「ダメだな。」
俺にソイルが詰まった小袋を渡した後も心配げにしているリーンは、自分も行ってはダメかと言い出した。
あれだけの手練れの彼女が戻らないとなると、それなりな相手の可能性が高い。正直連れて行くわけにもいかないから断ると、あからさまに分かるくらい落ち込んで「そうですか…」という。
「…なんだ、どうしたんだ?リーン」
そんなに俺とウリエンジェが心配なのか? というと頭を振って
「あの、彼女が帰ってこないことが、心配で…怪我とか、していたら私も回復できますし…!」
「落ち着きましょう、リーン。それもわたくしが対応するために、今回は行くのですから。」
「そ、それは解るけど!…あの…」
「…リーンもあいつが大事なんだな。」
「……はい」
しょんぼりした彼女の頭を宥める様に撫でる。…気持ちはわかるが連れて行くわけにはいかないから。
「お前の気持ちもわかるが、今回は諦めてくれ。何があるか判らないからな。」
「リーン。サンクレッドとわたくしを信じて、待っていてください。」
「はい…!」
リーンを納得させたところで、俺とウリエンジェはクリスタリウムを出た。
正直この時は、リーンがそこまで心配する程の事は起こらないだろうと思っていたのだ。蓋を開けてみたらそれどころではなかったが。
「ウリエンジェ。気をつけろ」
「これは…一体…?」
まず現地である洞窟の入り口を一歩入ったところで俺は嫌な感覚を察知した。
空気がまずおかしい。重苦しい感じがあったのと、よくわからない得体のしれない「何か」の気配がしたのだ。
同じく、ウリエンジェも何かを感じたようだ。
「サンクレッド、注意してください。かなり密度の濃いエーテルが発せられています」
「洞窟全体か?」
「いえ。……この入り口から北東方向ですね…」
「解った。少しずつ進むぞ」
暫く警戒しながら奥へと進むと確かに道は北東へ伸びており、ほどなくしてだいぶ広いドーム状の開けたところへでた。
と、そこには
「あれは…!」
「まさか。あいつか?」
無数のモンスターの死骸が散らばっていた。かなりの数である。ただその中央には
…三日前にクリスタリウムで元気に話をしていた、彼女が。
鮮血で染まったのだろう、真っ赤な大剣を地面に刺して、立っていた。その表情までは遠目で見えない。
「気を付けてください、彼女の周りに濃いエーテルが渦巻いていますが…これは…!」
「おいウリエンジェ、あいつに何が起こっている?!」
俺は咄嗟にガンブレイドを抜いて構える。が、手をかざして後ろでエーテルを感知しているウリエンジェが焦りを含ませた声を発した。一体なにが?!と問うと
「…彼女の…エーテル体自体は失っておりませんが、それを覆いつくすようにどす黒いエーテルが纏わり付いています。あれは相当苦しいはず…」
「…乗っ取られてるってことか?」
「正しくは、【乗っ取られかかっている】という処でしょうか。」
普通の人間であれば、確実にもう乗っ取られていたかもしれませんが。…彼女は強い意志の力でそれを跳ねのけ続けているかと。
答えながらウリエンジェが暫く周囲の状態を探知している。
此方も、転がっている死体の方向から彼女以外に魔物がいないかどうかの気配を探るが…全くない。たぶん、中央に立つ彼女が以外のもの全てを仕留めたに違いない。
これは…彼女のその、【まとわりついてるもの】を何とかしないといけないという事だろうか?
今回リーンから貰ったソイルはだいぶ普段より多めに入っている。正解だったなという事を頭の隅で俺は考えていた。
暫くすると、探知を終えたウリエンジェが武器を構えてから俺に一つ作戦を出した。
「大体構造がみえました。」
「どうすればいい?」
「多分もうすぐ彼女は此方の気配に気が付くと思われます。ですが少し彼女を抑えていただけますか?」
「わかった。なるべく怪我がない様に抑えるが…どこまで加減してやりあえるかはわからん。」
で、そっちはどうするのか?と問うと
「こちらは外壁にある、あのエーテル体の発生物らしきものがある地点を特定できましたので、破壊していきましょう」
「なるほど。壊せば弱まると?」
「可能性が極めて高いです。むしろその地点以外から、彼女を取り巻くあのエーテルは発生していません。」
4か所ほどですが、急ぎますのでその間彼女をお願いいたします。
というウリエンジェの言葉に俺は頷くと、中央にいる彼女へ少しずつ近寄った。最初の一手をギリギリ打てる距離まで。
どす黒いエーテルに身体が飲まれそうになるのを辛うじて耐える。
この洞窟のどこかからなのか、このエリアにいるモンスターからなのか、解らないけれど。
ここで発狂しているモンスターを倒し終わった途端、自分の周囲に黒い何かが巻き付いたのが解った。
…これはこの身体を乗っ取ろうとしている類のエーテルだ。
「ふざけるな…!」
強く自我を持つことで自分の中心を明け渡すことは免れている。が、身体を動かすとその分自分の精神集中を妨げられる。まずは周りのモンスターをすべて倒してから精神上の攻防が始まった。
とはいえ…このエーテルに吸い寄せられるように外からまたモンスターが定期的に迷い込むらしい。
そのエーテルをすってさらに狂暴になったものが襲ってくる。
精神を侵すものを耐えながら、物理的な敵も相手をしていると、流石に徐々に体力も削られた。
------------------一体どれくらいここにきてから経っただろうか。
たぶん、そろそろ彼らが来る。保険として掛けた彼らだ。
この状態だと間違いなく殴り合う羽目になる…完全な乗っ取りは阻止しているものの、身体の自由は今や相手の手に落ちている状態だ。
味方だと分かっても、多分私の身体は彼らを殺そうとするだろう。地面に刺した大剣に凭れる様に立ちながら、激痛ではないが…まるでじわじわと押し込むほの暗い意識と戦っていると、
それはきた。
南西方向からの空気の動き。何かが動いている…これはモンスター? では、ない…
ああ、【保険】の二人がきたということか。しかしこれの正体が私にはわからないからこのままだと殴り合いかな…耐えながら伺っていると、一瞬、空間に響く小さな石が落ちた音。
それとほぼ同時に空気を引き裂く音がした。これは、ガンブレイドが空気を切る音…!
私を操るエーテル体は彼を【敵】と認識したようだ。
ラフディバイドで一気に寄ってきたサンクレッドを綺麗にはじき返す。
「やあ。…久々に真剣勝負と行こうじゃないか。英雄殿…!」
「…………」
なるほど。サンクレッド側でも状況は理解できているようだ。まあかといって此方は動きをどうこうはできないのだが。ただ、私は祈るしかなかった。
------------本当にだめだと思ったら、私を殺せという事しか。
「くそ、やっぱり流石としかいいようがない…!」
此方に打ってくる攻撃が悉く、重い。流石英雄様である。
多分あの身体を動かしているのは彼女自身ではないのだろう。だからこそ何も太刀筋に迷いが無いのだ。完全に此方を殺しにかかってきている。
連打で打ち込み彼女の態勢を崩してから、ソイルで周囲にあるだろうエーテルを切るように打ち込む。
なるべくなら身体に当たらないように…周囲を切るように打つが、何発か彼女の身体を掠めているのが解る。
本当は。…彼女の身体に一筋すら傷をつけたくない。しかしそうして加減しようとするとー
「!! っつ…!」
彼女から容赦ない攻撃が降ってくる。今回の要件は盾のほうがやりやすいと思ったのだろう、彼女は暗黒騎士だった。
漆黒の剣、シャドウブリンガー、ブラッドデリリアムからのブラッドスピラー、影身からの同じようにシャドウブリンガーが飛んでくる。正直かなりきつい。
こうなると…此方も本気で殴るしかない。軽減でカバーしながら連続剣を打っていく。
…本当はこんな、こんな殴り合いを、彼女となど遊びですらしたくは無いが…!
「っあぁ!!」
ハイパーヴェロシティまで連続で打ち込んだところで彼女の身体が一気に後方へ下がった。
「?! お前…」
彼女の身体は確かに、此方のせいではあるがかなりの消耗をしているのは解った
ただ先ほどまで一気に体制を整えて打ってきたのとは変わって・・・
左手で右腕を握ってる? 違う、アレは握ってるんじゃない、武器を取らせないように抑え込んでいた。
「こうか!!」
俺は一気に寄って、床に転がる彼女の大剣を弾き飛ばした。
サンクレッドの攻撃のおかげなのか、私の身体を支配するエーテルが少しずつ削られていった。
序盤のソイルが私を掠める都度、それの力を抑えてくれた。これなら意識を保つのも多少楽になる。まだ、身体の支配権を取り戻すまでにはならないが。
然しその後、此方の身体を操るものが私の能力をきちんと理解したのか、全力で彼を殴りに行っていた。
ああ、彼にはこんなことをしたいわけではないのに------------!
然し彼方もガンブレイカー、きちんとコランダムやランパで軽減して此方の攻撃を往なした後、連続剣を打ってくる。かなりこれが響いた。此方を乗っ取っているものに「軽減」という要素は理解できなかったらしい。
つまりサンクレッドの連撃を完全に素受けしたのだ。ああ…こういうときに「仲間が強い」という認識はあまり持ちたくなかったが、強い。
最後の一発を貰ったところで完全に私の身体は吹っ飛ばされた。然し同時に、私を支配する力が半分以下に落ちたのだ。
攻撃を受けたせいなのか、どうか。そこまでは解らなかったけれど多少自分自身の制御ができるようになったのだ。
痛みを無いもののように右手で剣の柄を取ろうとする手を、左手で抑え込むことに成功する。
【つっ…これ以上…は…!】
無理やり抑えていると、それに気が付いたサンクレッドが私の大剣を遠くへ弾き飛ばしてくれた。
後はもう少しこの力との攻防を私の中で何とかすれば…と考えていると、その後すぐ。
私の中から徐々にどす黒いエーテルが消えていくのが解る。
【これはもう、大丈夫かな…?】と、判断したところで、私は全身の力を抜いて、床へ倒れこんだ。
「っく………」
「おい、大丈夫か?!」
すぐにサンクレッドが私を抱き上げてくれた。…ああ、良かった。彼には大したけがはなさそうで…
それだけが嬉しかった。心配そうな眼がかすれた視界に入ったけれど、そこが限界だった。
辛うじて耐えていた私の意識はそこで途切れた。
「…4か所破壊が終わりました。サンクレッド、彼女は?」
「ああ、たぶん、何かの支配から抜けたらしい、今倒れたところだ」
「これは…ずいぶん本気でやりあいましたね?」
俺の腕の中で意識を失っている彼女の、四肢を走る怪我の具合をみて、ウリエンジェが眉を顰め咎めるような言い方をしてきた。
いや…まあそういわれても、仕方がないかもしれないが。
「本気で向かってくる英雄様とやりあうには仕方なく、な。」
「まあそうでしょうね…少し、そのままでいてください。移動する前に彼女の傷を塞ぎましょう」
「ああ頼む。」
ウリエンジェが彼女を癒す間、俺の腕の中でくたりとしている彼女が、とても愛おしくて。
肩にのせている彼女の頭に無意識に口吻を落とす。
「……この場の癒しはこれで良いでしょう。フフ。我らが魔女の申される通りだったのですね」
「? なんだ。ヤ・シュトラが何か言っていたのか?」
「いいえ。では戻りましょう。きちんとベッドで休ませなくては」
ウリエンジェのいう言葉は咄嗟にわからなかったが、これの意味を知るのは相当先の話になる。
「ん・・・・・・・・・」
「あ!! サンクレッド、彼女が起きましたよ!!」
「こら、うるさくするな。」
水の底をゆっくりと泳ぐような。ゆるりとした感覚から徐々に覚醒する。
…うっすら開けた眼に最初に入ったのは…白いスカートを翻す、彼女だった。
「…リーン?」
「はい!! 良かった…!貴女が無事で…」
ベッドの枕元に膝をついて私の手を握る彼女は少し目元を潤ませている。
あ、ああ。そうか。例の場所から無事助けてもらえたのだな、というのを漸く頭で理解した。
少し目線を上げると、彼女の隣には。
「よう。…大丈夫か?」
「サンクレッド…有難う。」
「いいや。」
横から腕を伸ばし、私の頭を優しくなでる手は暖かい。
弱っている私にはその感触が…嬉しくて。少し眩しいものを見る様に目を細めた。
「あ!そしたら皆さんに報告してきますね!貴女が起きたって!」
リーンは嬉しそうにそう言って立ち上がり即走って行ってしまった。
眼は冷めたが…このままだとうとうとまた寝てしまいそうなんだけれど。
少し笑っていると、リーンが握っていた手を今度はサンクレッドが握ってくれた。
暫く私の指や掌を優しく、摩る様に撫でる彼の手がくすぐったい。思わず文句が口を吐きそうになったが、彼が何か言い淀んでいるようだから、しばらく待ってみた。すると…
「…悪かった」
「? どうして」
「お前を止めるためとはいえ、本気で戦うしかなかった」
「ああ。…それ、全然悪くないと思うけど」
逆に止めてもらってありがたかった位だ。あのままだと、私は完全に人間ではない何かになっていただろうから。
むしろ、ちゃんと保険の役割をしてくれて有難うというところだ。
それを伝えると、彼はそれでも苦しそうな顔をした。
「いや、それでももっとやりようが…あった気がしてな。」
「気にしないで。本当に。私はー…」
あの時思っていたことをそのまま伝えた。
「最悪、私の意識がもうなかったら、殺してくれと思ってたし。」
「お前…なんてことを言うんだ!」
「っ!」
途端、サンクレッドにひどく怒鳴られた。
正直耳が痛い。
「…そんな怒らなくても」
「怒るに決まってるだろうが…!」
一体なんて事をいうのか、と。物凄い剣幕でどなられた。…驚いた。
私が、例えばそういう状態になったとしたら逆に世界の脅威だろうと思うのだ。それならば、むしろ暁の仲間としては倒すべき対象だ。…なんら、問題はないはずだ。
だか、サンクレッドはとても苦しそうに私を見つめていた。
「サンクレッド‥‥」
「そんな事、二度というな。」
「!」
「…お前がいなくなったら、俺は…耐えられない。」
そういって、握っていた私の手に彼は小さなキスを落とした。
指先、掌、手首。柔らかく触れるところから彼の熱がゆっくりと伝わる。
…喜んではいけないのに。
「ゴメンナサイ」
私の手を握り、心配そうに私を見る彼の眼がとても悲しい色をしているから。
そんな顔しないで。貴方には、笑顔でいてほしいの。大好きな、貴方には。
私の手に唇を寄せる彼の頬に振れる。-----------どうか、笑って。
「もう言わない、から。」
そういって、笑うと彼は少し目を見張った後私の伸ばした手に自分の手を重ねた。
「約束だからな。」
「うん。」
漸く彼が笑ってくれたから、……しかし心が痛いのは何故だろう?
「疲れたから」と伝えて、部屋に一人にしてもらった。
彼の頬を触れた掌を大事に、握りしめる。
心配されることを喜んでしまった。あんな風に、彼の眼に入れてもらえる事を喜んでしまった。
…いや、けど、だめだ。
彼の心を占めているのは私ではない。彼の腕は、私の物にはならない。
忘れてはだめだということを、もう一度思い返した。この世界に来た時「彼が守るべきものは何か」を見たじゃないか、と。
強くそれを想い返して、己を戒め-------------------
私はもう一度眠るために瞼を降ろした。
ペンダント居住区から表に出ると、すでに夜の帳が降りていた。
空にはキレイに星が瞬いている。
「…………くそ。」
本当は、あのまま口吻たかった。
自分を殺せなどという世迷い事を言うから…!
でも彼女にはまだ、何も伝えてないから…自分の気持ちを。寸でのところで踏みとどまった。
ラケティカからクリスタリウムへ戻ってくるまでずっと抱き上げていた、彼女の身体はとても華奢だった。
可愛くて…強く抱きしめたら折れてしまいそうで。この傷をつけたのは全部俺なんだよなと思ったら、申し訳ない気持ちもあって。
すっかりウリエンジェが近所にいることも忘れて、腕の中の彼女の額や、瞼に幾つも唇を落としていた。
…まだ自分は道半ばだ。この世界の脅威に区切りはついたが、原初世界へ戻らなければ…先が不透明なままだ。そんな状況で彼女に気持ちは伝えられない。だからまだ、このまま。
そう耐えているけれど…偶にどうしようもなくなる時がある
先程彼女は「もう言わない」と言いながら笑った。…ああ、何度も見たことがある、何かを諦めたような、悲しそうな笑顔だ。
どうしてそんな顔をするんだ。お前は何を抱えてる?
引き寄せて、腕の中に閉じ込めたい。本当は。そんな悲しい顔をさせる理由を排除して、もっと素直に笑ってほしいのに。
でも今の自分にはそう言うことはできないから、彼女の言葉を信じるしかないのだ。
…いつか。ちゃんと原初世界に戻った後は、絶対逃さない、から。
一瞬だけ振り返ったあと、俺は彷徨う階段亭に脚を向けた。
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