災いは誘惑の元。
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「仕事、終わった?これから一緒に出かけようぜ」
仕事に一段落ついた頃合いを見計らったかのようなタイミングで声をかけられた。
それは〇〇が濯いだ手を備え付けのタオルで拭いていたときだった。いきなり自分以外の存在を知らされた心臓はかわいそうなくらい跳びはねた。
無断で〇〇の自室に――といってもゴーランドの屋敷で与えられた客室だが――やってきたピンク色の猫は、人の驚きをよそに平然と洗面所の入口にもたれかかっていた。
いちいち咎める気も失せた〇〇は、手の中でぐしゃっと丸まっていたタオルに気づき、溜め息をついて皺を伸ばした。
「別にいいけど…行き先は?」
「それは着いてからのお楽しみ」
ニ、と笑う猫に一抹の不安が過ぎる。悪戯に巻き込むつもりじゃないだろうな。
アリスを楽しみながらも自身は平穏無事に過ごしたい〇〇は、ボリスの表情を探った。
そんな内心を知ってか知らずか早くと急かしてくるボリスを宥め、仕事着から普段着へと着替えた〇〇は彼と共に園内に出た。
「――え。遊園地の中じゃないの?」
「外だよ外。ちょっと時間はかかるけど、歩いて行けない距離じゃない」
本当にどこへ行こうというのか。了承したからにはそれ以上の追究を諦め、〇〇は揺れる尻尾の後を追った。
途中ふと目についたものがあり、一度ボリスを呼び止めて、また歩き出す。〇〇の手には買ったアイスクリームが握られていた。
連れにも一応勧めたが(「おごるよ?」)彼は要らないと首を横に振った(「俺はいい。遠慮なくあんただけ食べてて…って言う前から食ってるし」)。
一仕事終えた後はちょっとした甘いものを食べたくなる。これといって頭を使ったわけではないが。
舌は喜んで甘味を迎え入れた。季節感のないこの世界だが、こういった冷たいものを食べるのも悪くない。
遊園地を出た二人は、真っ当な道を通り、次第に道なき道へと突入する。いや、これは獣道か。
野生の動物すら遠慮したくなるような道になっても、ボリスの足取りはまるで舗装された道路を歩くように迷いがないが、〇〇となるとそうはいかない。
道なき道と言ったら、本当に道が見えないのだ。動物の勘も進化した人間として生まれた時点で廃れてしまっている。
「ちょっ…これ、道を間違えてない?むしろ、迷いの領域じゃ――ぁぎゃっ」
蹴躓いた瞬間、疎かになっていた手がどういうわけか顔に突撃してきた。
運悪くアイスクリームを持っていた手であり、しかも歩くのに必死な〇〇に放置されたそれは大部分が溶けている。
どろどろと頬を伝い、首を伝って落ちていく感覚。これはちょっとありえない展開。…最悪だ。
「なにしてんの。ほら、こっちだって」
視界を塞ぐ背の高い草からボリスの手がにゅっと突き出て〇〇を掴んだ。
引っ張り出された先はまずまず拓けた場所で、安堵に息をつく。
思わぬサバイバルだ。こうと知っていればアイスなんて買わなかったのに。
恨めしげに睨む〇〇を見たボリスはぷっと噴き出した。それもそのはず、べったりと濡れた感触がその悲惨さを物語っている。
「ぷくくっ…な、なにその顔!ヤバ、ヤバイって、マジでおもしれー!」
「……他人事ならそりゃいっそう面白いよな」
ぐむぐむとふやけたコーンを貪る〇〇は半眼だ。生温い液体と歯応えのなさに顔を顰め、片手でポケットを探る。
「まさに踏んだり蹴ったり、ってやつ?」
ボリスは笑いを引きずった顔で〇〇の手を掴み持ち上げた。その手にはなにも握られていない。
「…どうやら、そうらしいね」
こういうときに限ってハンカチを忘れる失態である。
本当に最悪だ、ともう一方の手で顔を拭おうとするが、その手首も掴まれてしまった。
「なに、ボリス?」
「あっちのほうに小さな池があるんだ。そこで洗うって手もあるんだけどさ…」
金色の目はちらと向こう側を示したが、すぐに〇〇に戻った。
池か。〇〇はふむと考える。このままでいるよりは確実にすっきりするだろう。
「それなら早く行こう」
「…いや。その前にちょっとだけ、な?」
同意を促されても意味がわからず小首を傾げる。と、両腕を捕らえた格好のままボリスはいきなり顔を舐めてきた。
舌がべとつきを払拭するように往復する。ひゃ、と首を竦めて後ずさるが当然距離は変わらない。
「待っ…ボリス!?そんな、汚いからやめたほうがいいって、っ」
仕事後は簡単にタオルで身体を拭いた程度だし、ここまでの道のりで汚れていないわけがない。
ボリスは迷いなく舌を這わせながら、はあと吐息を落とした。
「だから、ヤバイんだって。あんた…ヤバイ」
先ほどの“ヤバイ”と色合いが異なるのは明らかだった。
よろめいた隙に地面に押し倒される。雑草がうまい具合にクッション代わりとなって衝撃は和らいだ。
しかし、安堵している場合ではない。なんだこのシチュエーション。
「おいこら、ボリスっ」
「ヤバイヤバイ…見ようによってはかなりクるね、その顔」
熱っぽく囁いて、くつろげた〇〇の首筋にも舌を伸ばす。毛繕いに精を出すような丹念さで舐め上げられ、さすがに妙な心地になってきた。
ボリスがアイスクリームにまみれた顔をどう見たのか。察せられないほど〇〇は純情ではない、残念ながら。
だが一度爆笑しておいて、同じ顔をよくそんなふうに百八十度違う見方ができるものだ。
感心もつかの間、すーっと胸元へと滑り落ちる濡れた感触に身体が勝手に震えた。これはちょっと…まずいか?
マウントポジションをとられているため抜け出せない。
「はっ、ボ、ボリス…そんな下のほうは濡れてないからっ」
「でも、甘いぜ?なんで?」
「なんでって、あたしが知るか」
顔を上げたボリスは目を細めて〇〇を見下ろし、
「あんた自身が甘いのかな。なあ、もっと下も舐めていい?俺が濡らしてやるよ」
「はあっ?ちょっ、関係ないとこまでやらなくていい…!」
あらぬ場所を目指す猫の舌に、〇〇は堪らず叫んだ。むしろここまでを許容していた自分にびっくりである。
再び手の自由を奪われる。ならばと全身で抗おうと力を込めたとき、ざくっと踏み出す足音が二人がいる場所の左手から聞こえた。
鋭く尖った猫の目が見えたのは一瞬で、次の瞬間にはボリスは〇〇の目の前から消えていた。
たった今まで彼のいた空間に亀裂が走る。空振りしたのは見覚えのある大剣。目の前でびゅっと振られた凶器に血の気が引いた。
「草むらに女の子を連れ込むなんて、猫君も隅に置けないなあ」
のんびりと爽やかな声が落ちてくる。見るまでもなく正体を知った〇〇だが、上体を起こして声の主を見上げた。
「……エース」
「やあ、〇〇。こんなところで会えるなんて思ってなかったぜ。おまけに意外な組み合わせ、意外な場面だ」
差し延べられた手は逡巡も与えずに〇〇を引き上げた。一応礼を口にして、ぱんぱんと服から土を落とす。
何故エースがここにいるのかと思うが、おおかた旅の途中なのだろう。
肩に葉がついていると指摘すると、エースは「あ、本当だ」と手で払った。騎士の姿を見ながら、〇〇は念のため言った。
「あのさ、少しの誤解もないように願いたいんだけど、ボリスとはいかがわしいことはこれっぽっちもないから」
一部始終を見ていない人間に当事者が言ったところで説得力に欠けるに違いないが。
ところがエースはにっこりとし、あっさり頷いた。
「俺はちゃんとわかってるよ」
「そう。なら、いい」
「猫君とは戯れていただけなんだろ?」
「……は?」
「よし、俺とも戯れよう」
言うやいなや、あっという間に引き寄せられる。
顔を寄せたエースは襟元の染みに目を留め、すんと匂いを嗅ぐと「ああ」と笑った。
「…甘いね。なるほど、これで餌付けしたのか」
餌付け。〇〇が口を開く前に、ボリスが声を上げた。
「〇〇から離れてくんない?気の利かない男は嫌われるぜ、騎士さん」
しっかりと銃を構えたボリスがエースを威嚇する。エースは悪びれもせずに口先だけで詫びた。
「やっぱり、お楽しみを邪魔しちゃったんだ?ごめんな、俺って愚鈍だから空気を読むとかできないんだ」
「今からでも遅くないよ。とっとと迷子を再開したら?」
「はははっ、俺が迷ってるってよくわかったな~」
意に介さないエースは、〇〇に目を向けた。笑みを刻む口元に嫌な予感がした。
「エース?」
「そうなんだ。このまま見て見ぬふりをして旅を続けようか、甘い君の誘惑に乗ろうか――すごく迷ってる」
〇〇の顎を捕まえて頭を傾げさせたエースは、躊躇いなくかぶりついてきた。
首を丸ごと食われるかと思うほどで、固い歯を皮膚に感じた〇〇の全身がぞわっと怖気立った。
「ひっ、う!」
「ちょっと強かった?うーん、できれば〇〇の好みに合わせてあげたいんだけど、今はまだ研究中なんだ」
「は、離れ…」
「ああ、もっとソフトに舐められるほうが感じる?」
宥めるようにべろりと舌がなぞってくる。連続で二人にこんなことをされている自分はなんなのだ。
硬直する〇〇は突然強く押しのけられた。発砲。銃弾を避けたエースはボリスに向かって両手で剣を構えた。
「ははっ、怖い顔してるなあ。怒っちゃった?」
「――殺す」
ボリスは続けざまに撃ち込んだが、エースはすべてかわした。反撃。斬り込まれたボリスが身軽に後方に飛びのく。
〇〇は安全な距離を取った場所に立ち、乱れた服を整えた。
こうなってはありがたいことに〇〇は完全に蚊帳の外であるが、キャラ二人の対決に意味を見出せない。
アリスはどうした、アリスは。彼女がいなくては無益だろう。
「なあ猫君。普段の〇〇はそれほど色気を感じさせないけど、オプションがつくとなかなかそそるよ、なっ!」
「騎士さんには…っと、関係ないんじゃない?色気のある〇〇とは、無縁なんだろうからさっ」
「あははっ、君に言われたくないなあ!それにしてもあれ、クリーム?しかも野外だなんて、マニアックなプレイだよね。悪くないけど…そっちが猫君の趣味?」
「っ…〇〇が好きだって言ったら?あんたどうするわけっ?」
「俺ならもちろん大歓迎だ、とことんまで付き合うぜ!」
(……人をネタにこいつら、なんの話をしてる)
ひくっと口の端が痙攣する。〇〇は仁王立ちになると、いまだ目にも留まらぬ速度で攻防を繰り広げる二人に届くよう声を張り上げた。
「――間接キスを楽しんだそこの二人。それ以上続ける気なら、あたしにも考えがあるけど?」
猫と騎士の懇ろな間柄を噂で広めてやる。
沈黙が辺りを覆った。ぴたりと動きを止めた二人は顔を見合わせる。
彼らはそれぞれ身を引くと、大人しく武器を収めた。
「猫耳趣味があると思われるのはちょっとなー…」
「…俺だって、人格を疑われるのはごめんだね」
「それじゃあ、これでお開きということで。ボリス、行こう」
〇〇はボリスの手を掴むと歩き出した。これ以上騎士といるとろくなことが起こらない。
エースの不幸体質があたしにさらなる悪影響を与えないとも限らないしな。
「〇〇!猫君とじゃなくて、俺と行かないか?」
「こっちが先約だから。…エースの旅に付き合うのは疲れるんだ」
エースはもう追ってこなかった。
肌についたアイスクリームの残骸はほとんど舐め取られたようだ。服についたものはしかたない、気長に時間の経過が綺麗にしてくれるのを待つとするか。
十分離れただろうと手を放すと、今度はボリスから繋ぎ直してきた。見ると、不機嫌な顔がそこにあった。
「どうかした?」
「…他の男に気安く触らせんなよ」
伸ばした手のひらで〇〇の首をぐいぐい拭う。力加減は痛いくらいだったが、拗ねたような猫耳に気づいて口を閉じた。
動物の耳ってなんでこんなに魅力的なんだろう。視線を感じたのか、ボリスは耳をぴくっと動かした。
彼は不機嫌を口に貼りつかせて〇〇を睨んだ。
「俺の話、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてる。…うん、本当に」
疑わしげな目に答え、耳に注目していたことがばれないようにとぎゅっと手を握って誤魔化した。
にこりと笑顔を作って、繋いだ手を揺らす。
「ほら、あたしを連れてってくれるんだろ?」
瞳の尖りを解いたボリスは、軽く溜め息をついて笑った。まったく、あんたには敵わないよ。
握り返された手が嬉しいというように尻尾が揺れている。
「ああ。その場所を見つけたとき、真っ先に〇〇の顔が浮かんだんだ」
「そりゃ光栄だ。…で。そろそろ、なにがあるのか教えてよ」
「だーめ。お楽しみは最後まで取っておくもんだぜ?」
いつものシニカルな笑みとは少し違う、わくわくと楽しそうな笑顔。そこにはいかなる悪意も存在しない。
誘われた当初の不安は跡形もなく消え去った。行く先になにがあるのかわからないが、喜ばせようという彼の気持ちがこちらに伝わってくる。
こうしてみると、この猫もなかなか可愛いげがあるものだ。〇〇もまた微笑んで導かれるまま歩き出した。
――そして辿り着いた先の花畑で、〇〇は素直な感嘆の声を上げることとなる。
end。→あとがき
仕事に一段落ついた頃合いを見計らったかのようなタイミングで声をかけられた。
それは〇〇が濯いだ手を備え付けのタオルで拭いていたときだった。いきなり自分以外の存在を知らされた心臓はかわいそうなくらい跳びはねた。
無断で〇〇の自室に――といってもゴーランドの屋敷で与えられた客室だが――やってきたピンク色の猫は、人の驚きをよそに平然と洗面所の入口にもたれかかっていた。
いちいち咎める気も失せた〇〇は、手の中でぐしゃっと丸まっていたタオルに気づき、溜め息をついて皺を伸ばした。
「別にいいけど…行き先は?」
「それは着いてからのお楽しみ」
ニ、と笑う猫に一抹の不安が過ぎる。悪戯に巻き込むつもりじゃないだろうな。
アリスを楽しみながらも自身は平穏無事に過ごしたい〇〇は、ボリスの表情を探った。
そんな内心を知ってか知らずか早くと急かしてくるボリスを宥め、仕事着から普段着へと着替えた〇〇は彼と共に園内に出た。
「――え。遊園地の中じゃないの?」
「外だよ外。ちょっと時間はかかるけど、歩いて行けない距離じゃない」
本当にどこへ行こうというのか。了承したからにはそれ以上の追究を諦め、〇〇は揺れる尻尾の後を追った。
途中ふと目についたものがあり、一度ボリスを呼び止めて、また歩き出す。〇〇の手には買ったアイスクリームが握られていた。
連れにも一応勧めたが(「おごるよ?」)彼は要らないと首を横に振った(「俺はいい。遠慮なくあんただけ食べてて…って言う前から食ってるし」)。
一仕事終えた後はちょっとした甘いものを食べたくなる。これといって頭を使ったわけではないが。
舌は喜んで甘味を迎え入れた。季節感のないこの世界だが、こういった冷たいものを食べるのも悪くない。
遊園地を出た二人は、真っ当な道を通り、次第に道なき道へと突入する。いや、これは獣道か。
野生の動物すら遠慮したくなるような道になっても、ボリスの足取りはまるで舗装された道路を歩くように迷いがないが、〇〇となるとそうはいかない。
道なき道と言ったら、本当に道が見えないのだ。動物の勘も進化した人間として生まれた時点で廃れてしまっている。
「ちょっ…これ、道を間違えてない?むしろ、迷いの領域じゃ――ぁぎゃっ」
蹴躓いた瞬間、疎かになっていた手がどういうわけか顔に突撃してきた。
運悪くアイスクリームを持っていた手であり、しかも歩くのに必死な〇〇に放置されたそれは大部分が溶けている。
どろどろと頬を伝い、首を伝って落ちていく感覚。これはちょっとありえない展開。…最悪だ。
「なにしてんの。ほら、こっちだって」
視界を塞ぐ背の高い草からボリスの手がにゅっと突き出て〇〇を掴んだ。
引っ張り出された先はまずまず拓けた場所で、安堵に息をつく。
思わぬサバイバルだ。こうと知っていればアイスなんて買わなかったのに。
恨めしげに睨む〇〇を見たボリスはぷっと噴き出した。それもそのはず、べったりと濡れた感触がその悲惨さを物語っている。
「ぷくくっ…な、なにその顔!ヤバ、ヤバイって、マジでおもしれー!」
「……他人事ならそりゃいっそう面白いよな」
ぐむぐむとふやけたコーンを貪る〇〇は半眼だ。生温い液体と歯応えのなさに顔を顰め、片手でポケットを探る。
「まさに踏んだり蹴ったり、ってやつ?」
ボリスは笑いを引きずった顔で〇〇の手を掴み持ち上げた。その手にはなにも握られていない。
「…どうやら、そうらしいね」
こういうときに限ってハンカチを忘れる失態である。
本当に最悪だ、ともう一方の手で顔を拭おうとするが、その手首も掴まれてしまった。
「なに、ボリス?」
「あっちのほうに小さな池があるんだ。そこで洗うって手もあるんだけどさ…」
金色の目はちらと向こう側を示したが、すぐに〇〇に戻った。
池か。〇〇はふむと考える。このままでいるよりは確実にすっきりするだろう。
「それなら早く行こう」
「…いや。その前にちょっとだけ、な?」
同意を促されても意味がわからず小首を傾げる。と、両腕を捕らえた格好のままボリスはいきなり顔を舐めてきた。
舌がべとつきを払拭するように往復する。ひゃ、と首を竦めて後ずさるが当然距離は変わらない。
「待っ…ボリス!?そんな、汚いからやめたほうがいいって、っ」
仕事後は簡単にタオルで身体を拭いた程度だし、ここまでの道のりで汚れていないわけがない。
ボリスは迷いなく舌を這わせながら、はあと吐息を落とした。
「だから、ヤバイんだって。あんた…ヤバイ」
先ほどの“ヤバイ”と色合いが異なるのは明らかだった。
よろめいた隙に地面に押し倒される。雑草がうまい具合にクッション代わりとなって衝撃は和らいだ。
しかし、安堵している場合ではない。なんだこのシチュエーション。
「おいこら、ボリスっ」
「ヤバイヤバイ…見ようによってはかなりクるね、その顔」
熱っぽく囁いて、くつろげた〇〇の首筋にも舌を伸ばす。毛繕いに精を出すような丹念さで舐め上げられ、さすがに妙な心地になってきた。
ボリスがアイスクリームにまみれた顔をどう見たのか。察せられないほど〇〇は純情ではない、残念ながら。
だが一度爆笑しておいて、同じ顔をよくそんなふうに百八十度違う見方ができるものだ。
感心もつかの間、すーっと胸元へと滑り落ちる濡れた感触に身体が勝手に震えた。これはちょっと…まずいか?
マウントポジションをとられているため抜け出せない。
「はっ、ボ、ボリス…そんな下のほうは濡れてないからっ」
「でも、甘いぜ?なんで?」
「なんでって、あたしが知るか」
顔を上げたボリスは目を細めて〇〇を見下ろし、
「あんた自身が甘いのかな。なあ、もっと下も舐めていい?俺が濡らしてやるよ」
「はあっ?ちょっ、関係ないとこまでやらなくていい…!」
あらぬ場所を目指す猫の舌に、〇〇は堪らず叫んだ。むしろここまでを許容していた自分にびっくりである。
再び手の自由を奪われる。ならばと全身で抗おうと力を込めたとき、ざくっと踏み出す足音が二人がいる場所の左手から聞こえた。
鋭く尖った猫の目が見えたのは一瞬で、次の瞬間にはボリスは〇〇の目の前から消えていた。
たった今まで彼のいた空間に亀裂が走る。空振りしたのは見覚えのある大剣。目の前でびゅっと振られた凶器に血の気が引いた。
「草むらに女の子を連れ込むなんて、猫君も隅に置けないなあ」
のんびりと爽やかな声が落ちてくる。見るまでもなく正体を知った〇〇だが、上体を起こして声の主を見上げた。
「……エース」
「やあ、〇〇。こんなところで会えるなんて思ってなかったぜ。おまけに意外な組み合わせ、意外な場面だ」
差し延べられた手は逡巡も与えずに〇〇を引き上げた。一応礼を口にして、ぱんぱんと服から土を落とす。
何故エースがここにいるのかと思うが、おおかた旅の途中なのだろう。
肩に葉がついていると指摘すると、エースは「あ、本当だ」と手で払った。騎士の姿を見ながら、〇〇は念のため言った。
「あのさ、少しの誤解もないように願いたいんだけど、ボリスとはいかがわしいことはこれっぽっちもないから」
一部始終を見ていない人間に当事者が言ったところで説得力に欠けるに違いないが。
ところがエースはにっこりとし、あっさり頷いた。
「俺はちゃんとわかってるよ」
「そう。なら、いい」
「猫君とは戯れていただけなんだろ?」
「……は?」
「よし、俺とも戯れよう」
言うやいなや、あっという間に引き寄せられる。
顔を寄せたエースは襟元の染みに目を留め、すんと匂いを嗅ぐと「ああ」と笑った。
「…甘いね。なるほど、これで餌付けしたのか」
餌付け。〇〇が口を開く前に、ボリスが声を上げた。
「〇〇から離れてくんない?気の利かない男は嫌われるぜ、騎士さん」
しっかりと銃を構えたボリスがエースを威嚇する。エースは悪びれもせずに口先だけで詫びた。
「やっぱり、お楽しみを邪魔しちゃったんだ?ごめんな、俺って愚鈍だから空気を読むとかできないんだ」
「今からでも遅くないよ。とっとと迷子を再開したら?」
「はははっ、俺が迷ってるってよくわかったな~」
意に介さないエースは、〇〇に目を向けた。笑みを刻む口元に嫌な予感がした。
「エース?」
「そうなんだ。このまま見て見ぬふりをして旅を続けようか、甘い君の誘惑に乗ろうか――すごく迷ってる」
〇〇の顎を捕まえて頭を傾げさせたエースは、躊躇いなくかぶりついてきた。
首を丸ごと食われるかと思うほどで、固い歯を皮膚に感じた〇〇の全身がぞわっと怖気立った。
「ひっ、う!」
「ちょっと強かった?うーん、できれば〇〇の好みに合わせてあげたいんだけど、今はまだ研究中なんだ」
「は、離れ…」
「ああ、もっとソフトに舐められるほうが感じる?」
宥めるようにべろりと舌がなぞってくる。連続で二人にこんなことをされている自分はなんなのだ。
硬直する〇〇は突然強く押しのけられた。発砲。銃弾を避けたエースはボリスに向かって両手で剣を構えた。
「ははっ、怖い顔してるなあ。怒っちゃった?」
「――殺す」
ボリスは続けざまに撃ち込んだが、エースはすべてかわした。反撃。斬り込まれたボリスが身軽に後方に飛びのく。
〇〇は安全な距離を取った場所に立ち、乱れた服を整えた。
こうなってはありがたいことに〇〇は完全に蚊帳の外であるが、キャラ二人の対決に意味を見出せない。
アリスはどうした、アリスは。彼女がいなくては無益だろう。
「なあ猫君。普段の〇〇はそれほど色気を感じさせないけど、オプションがつくとなかなかそそるよ、なっ!」
「騎士さんには…っと、関係ないんじゃない?色気のある〇〇とは、無縁なんだろうからさっ」
「あははっ、君に言われたくないなあ!それにしてもあれ、クリーム?しかも野外だなんて、マニアックなプレイだよね。悪くないけど…そっちが猫君の趣味?」
「っ…〇〇が好きだって言ったら?あんたどうするわけっ?」
「俺ならもちろん大歓迎だ、とことんまで付き合うぜ!」
(……人をネタにこいつら、なんの話をしてる)
ひくっと口の端が痙攣する。〇〇は仁王立ちになると、いまだ目にも留まらぬ速度で攻防を繰り広げる二人に届くよう声を張り上げた。
「――間接キスを楽しんだそこの二人。それ以上続ける気なら、あたしにも考えがあるけど?」
猫と騎士の懇ろな間柄を噂で広めてやる。
沈黙が辺りを覆った。ぴたりと動きを止めた二人は顔を見合わせる。
彼らはそれぞれ身を引くと、大人しく武器を収めた。
「猫耳趣味があると思われるのはちょっとなー…」
「…俺だって、人格を疑われるのはごめんだね」
「それじゃあ、これでお開きということで。ボリス、行こう」
〇〇はボリスの手を掴むと歩き出した。これ以上騎士といるとろくなことが起こらない。
エースの不幸体質があたしにさらなる悪影響を与えないとも限らないしな。
「〇〇!猫君とじゃなくて、俺と行かないか?」
「こっちが先約だから。…エースの旅に付き合うのは疲れるんだ」
エースはもう追ってこなかった。
肌についたアイスクリームの残骸はほとんど舐め取られたようだ。服についたものはしかたない、気長に時間の経過が綺麗にしてくれるのを待つとするか。
十分離れただろうと手を放すと、今度はボリスから繋ぎ直してきた。見ると、不機嫌な顔がそこにあった。
「どうかした?」
「…他の男に気安く触らせんなよ」
伸ばした手のひらで〇〇の首をぐいぐい拭う。力加減は痛いくらいだったが、拗ねたような猫耳に気づいて口を閉じた。
動物の耳ってなんでこんなに魅力的なんだろう。視線を感じたのか、ボリスは耳をぴくっと動かした。
彼は不機嫌を口に貼りつかせて〇〇を睨んだ。
「俺の話、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてる。…うん、本当に」
疑わしげな目に答え、耳に注目していたことがばれないようにとぎゅっと手を握って誤魔化した。
にこりと笑顔を作って、繋いだ手を揺らす。
「ほら、あたしを連れてってくれるんだろ?」
瞳の尖りを解いたボリスは、軽く溜め息をついて笑った。まったく、あんたには敵わないよ。
握り返された手が嬉しいというように尻尾が揺れている。
「ああ。その場所を見つけたとき、真っ先に〇〇の顔が浮かんだんだ」
「そりゃ光栄だ。…で。そろそろ、なにがあるのか教えてよ」
「だーめ。お楽しみは最後まで取っておくもんだぜ?」
いつものシニカルな笑みとは少し違う、わくわくと楽しそうな笑顔。そこにはいかなる悪意も存在しない。
誘われた当初の不安は跡形もなく消え去った。行く先になにがあるのかわからないが、喜ばせようという彼の気持ちがこちらに伝わってくる。
こうしてみると、この猫もなかなか可愛いげがあるものだ。〇〇もまた微笑んで導かれるまま歩き出した。
――そして辿り着いた先の花畑で、〇〇は素直な感嘆の声を上げることとなる。
end。→あとがき