秘する傷跡。
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エースが時計塔を訪れ、時に気に障るほどの爽やかさを陰気な空間にばらまくのはいつものこと。
特にここを仮滞在地と決めた余所者がいるときなどは、自分の住居でありながら居心地の悪さを感じてしまう。
「じゃあさ、二人でユリウスを連れ回すっていうのはどう?」
当の本人が傍にいるというのに、エースは無遠慮に人を話題に引きずり出し、しかも本人抜きで話を進める。
当然ユリウスに聞こえていると知った上でだ。
なにを企んでいるのか怪しいものだが、下手に引っ掛からないために放っておくに限る。
そう思えど、聴覚は嫌でもある声を拾おうとする。〇〇の声だ。
「あたしは遠慮する。…まあ、そこにアリスが加わるっていうなら考えなくはないかな」
「それなら城でアリスを拾っていこうよ。大人数で旅に出るっていうのも楽しそうだ」
「…それ、なんかアリスがおまけみたいで嫌なんだけど。メインディッシュなのに」
「あはははっ、アリスがメインディッシュっていうなら〇〇はデザートだね。俺、一度デザートを真っ先に食べてみたかったんだよな~」
「……掟破りか?」
エースのように無駄な明るさはないが、軽快な会話のテンポについていけるアルトの声。心地よく鼓膜を震わせ、脳に染み渡る。
声を聞けばその表情を見たくなり、顔を見ればその目に自分を映してほしくなる。
ユリウスは時計を弄っていた手を止め、落としていた視線をそっと上げた。
横顔。呆れを浮かべながらも、柔らかい表情。〇〇の目は赤いコートの男に向かっている。
話す相手を見ることが当たり前なのに、視界に入れないことがどうしてこんなにもどかしい。
少し窺うだけのつもりがいつの間にか、振り向くことを願う気持ちに変わっていた。
こっちを見てくれないか。一目見るだけでいい。私の存在をその目に認めてくれさえすれば、それだけで。
静かに、ひたむきに〇〇を見つめるユリウスの眼差しに気づいたのはエースだった。
目があった瞬間、ユリウスがぎくりとするほど人のよさそうな笑みが形作られた。
「なあ!ユリウスだってそう思うだろ?」
「……なにがだ」
今の今までほったらかしにしていたくせに、胡散臭い笑顔でエースは話を振るのである。
「なにって、デザート。最後のお楽しみを先にいただいちゃうって、なんだかイケナイことみたいでそそられない?」
“デザート”がこちらを見ているのがわかる。明らかに自分がたとえられていると知りながら、つまらなさそうに。
想いをこんな軽口に託すわけにはいかない。なにより、この胸のうちは悟られるべきでない。
ユリウスはふんと無愛想に答えた。「…くだらん」
その対応は正しかったし、間違ってもいた。〇〇はやっぱりという顔をして、エースを横目で見遣った。
「ユリウスにその手の話を振ったって、アナタの期待する返答があるはずないでしょ」
それにどうせ訊くならせめてアリスにしなよ、アリスに。メインディッシュなんだから。
そう言った〇〇は、ユリウスに男の欲望なんてないだろうと言わんばかりだ。
いや、違う。自分がそういう興味の対象になり得ないと思い込んでいる。
〇〇は自身の魅力にあまりにも無頓着だ。ともすれば、まるで自分が役なしカードと同じ価値であるかのように振る舞う。
〇〇が無意識に自分のことを除外するたび、ユリウスは行き場のない想いに苦しむ。
この無視できない存在感はすべて亡きものにされてしまう。殺されても芽生え、生きては摘み取られる不毛な感情。
意識させるためには、エースくらいの軽さを以ってでも口に出すべきかもしれない。
このままではなにも変わらないとわかっていても、なかなか踏み出せない。
「ユリウスは、その様子じゃ旅になんか出たくない、か…」
エースは腕を組んで片手を顎に当て、ふうんとユリウスを見つめた。
行動的なハートの騎士。欲しいものを手に入れるためなら奪うことも辞さない、笑顔の下に潜む烈しさ。
羨んでしまうほどの率直さで、エースは〇〇に己を晒していく。
「〇〇、二人で行かないか?ユリウスは行きたくなさそうだし、無理強いするのもかわいそうだからさ。あ、もちろんアリスも誘うぜ?」
その誘惑ほど効果的なものはないと思う。
どういうわけか、〇〇はアリスに強い関心がある。執着とはまた違う、純粋な“興味”だ。
それこそ〇〇がアリスや役持ちに向けるのは、誰かの手によって生み出された作品を眺める観賞の目に似ている。
その目から逃れようと、その目を変えさせようと動き出した者は、少なくない。
エースが〇〇を連れ出そうとするのを止める術は思いつかなかった。
行かせたくない。ここにいてほしい。どうすればうまく伝えられるだろう。
なにかいい口実を探す時点ですでに、本心のままに伝えることを諦めているのだ。
こんな自分が〇〇を手の届く範囲に留めることは不可能だ。そう、願うことさえ――
「――やっぱり、やめた」
誰も予想しなかった言葉を〇〇は口にした。エースは目を丸くし、ユリウスは目を瞠った。
途端に突き刺さる二つの視線に〇〇は身じろぎをして、居心地悪そうに眉を寄せた。
「……なに、二人とも」
「君に断られるなんて…意外だな。アリスを嫌いになったの?」
エースの問いに、〇〇は肩を竦めた。まさかと言いたげだ。
「どうしてそう繋がるんだ。あたしだって、たまには急に気分が変わることもある」
「へえ…。それが今だったってわけか」
「まあ、そういうこと」
エースはしばし〇〇の顔を見て、それからユリウスに一瞥をくれた。
「俺って振られちゃったのかな?」
「安心して、振る以前の問題だから」
「はははっ。手厳しいね。…君が断った理由が、そこの不機嫌面じゃないことを祈るよ」
不機嫌面。それが誰を示すかは一目瞭然だった。
ユリウスがばっと顔を押さえるのを声を上げて笑い、「次は一緒に行こうな」と意外にもあっさりエースは出て行った。
残されたのは赤くなった顔を手で覆う時計の番人と、緩やかに笑う居候の余所者。
「……」
「……」
「……〇〇」
「なに、ユリウス?」
「私は…どんな顔をしていた」
「んー、不機嫌っていうよりはむしろ、捨てられることを悟った犬みたいな顔?」
「……そうか」
なにも言えない。〇〇が残ったことを思えば、多少の恥にも目を瞑るか。
誤魔化すために少し咳払いをするが、顔の熱は引いてくれない。
〇〇はおかしそうに笑いながらも、嫌な感じはまったく与えなかった。
時々冷めた色を見せる黒い瞳が、今は柔らかな夜の色をしていた。
「ユリウス、そんなに決まり悪そうにしなくてもいいと思うよ?」
「指摘しないでくれ。…余計に惨めになる」
「まあまあ。アナタのそういうところ、あたしは好きだな」
慰めのつもりか。さらりと言ってくれるな。好意の欠片さえ見せられない臆病な男に。
「っ…。どうして行かなかったんだ。私は別におまえがいてもいなくても…」
「そうだろうとは思ったけど、今日はなんとなくここでのんびりしてようかなって。迷惑?」
否定されない。惜しまれもしない。
ツキリと走った痛みは一瞬。和らいでも切なさを訴える心を押し隠せば、自然と口元に微笑が浮かんでいた。
「…おまえがここにいることを許したのは私だ。好きにすればいい」
「うん。ありがと、ユリウス」
生き死にを繰り返すほど深まる想いは、傷跡だ。
刻まれ刻まれ、もはや消せはしない。
時折、恋愛感情を避け、拒む姿勢を垣間見せる〇〇だから。
秘することで傍にいてくれるというのなら、いつまでだって隠し通そう。
――己の意志ではもうどうすることもできなくなる、そのときまでは。
end。→あとがき
特にここを仮滞在地と決めた余所者がいるときなどは、自分の住居でありながら居心地の悪さを感じてしまう。
「じゃあさ、二人でユリウスを連れ回すっていうのはどう?」
当の本人が傍にいるというのに、エースは無遠慮に人を話題に引きずり出し、しかも本人抜きで話を進める。
当然ユリウスに聞こえていると知った上でだ。
なにを企んでいるのか怪しいものだが、下手に引っ掛からないために放っておくに限る。
そう思えど、聴覚は嫌でもある声を拾おうとする。〇〇の声だ。
「あたしは遠慮する。…まあ、そこにアリスが加わるっていうなら考えなくはないかな」
「それなら城でアリスを拾っていこうよ。大人数で旅に出るっていうのも楽しそうだ」
「…それ、なんかアリスがおまけみたいで嫌なんだけど。メインディッシュなのに」
「あはははっ、アリスがメインディッシュっていうなら〇〇はデザートだね。俺、一度デザートを真っ先に食べてみたかったんだよな~」
「……掟破りか?」
エースのように無駄な明るさはないが、軽快な会話のテンポについていけるアルトの声。心地よく鼓膜を震わせ、脳に染み渡る。
声を聞けばその表情を見たくなり、顔を見ればその目に自分を映してほしくなる。
ユリウスは時計を弄っていた手を止め、落としていた視線をそっと上げた。
横顔。呆れを浮かべながらも、柔らかい表情。〇〇の目は赤いコートの男に向かっている。
話す相手を見ることが当たり前なのに、視界に入れないことがどうしてこんなにもどかしい。
少し窺うだけのつもりがいつの間にか、振り向くことを願う気持ちに変わっていた。
こっちを見てくれないか。一目見るだけでいい。私の存在をその目に認めてくれさえすれば、それだけで。
静かに、ひたむきに〇〇を見つめるユリウスの眼差しに気づいたのはエースだった。
目があった瞬間、ユリウスがぎくりとするほど人のよさそうな笑みが形作られた。
「なあ!ユリウスだってそう思うだろ?」
「……なにがだ」
今の今までほったらかしにしていたくせに、胡散臭い笑顔でエースは話を振るのである。
「なにって、デザート。最後のお楽しみを先にいただいちゃうって、なんだかイケナイことみたいでそそられない?」
“デザート”がこちらを見ているのがわかる。明らかに自分がたとえられていると知りながら、つまらなさそうに。
想いをこんな軽口に託すわけにはいかない。なにより、この胸のうちは悟られるべきでない。
ユリウスはふんと無愛想に答えた。「…くだらん」
その対応は正しかったし、間違ってもいた。〇〇はやっぱりという顔をして、エースを横目で見遣った。
「ユリウスにその手の話を振ったって、アナタの期待する返答があるはずないでしょ」
それにどうせ訊くならせめてアリスにしなよ、アリスに。メインディッシュなんだから。
そう言った〇〇は、ユリウスに男の欲望なんてないだろうと言わんばかりだ。
いや、違う。自分がそういう興味の対象になり得ないと思い込んでいる。
〇〇は自身の魅力にあまりにも無頓着だ。ともすれば、まるで自分が役なしカードと同じ価値であるかのように振る舞う。
〇〇が無意識に自分のことを除外するたび、ユリウスは行き場のない想いに苦しむ。
この無視できない存在感はすべて亡きものにされてしまう。殺されても芽生え、生きては摘み取られる不毛な感情。
意識させるためには、エースくらいの軽さを以ってでも口に出すべきかもしれない。
このままではなにも変わらないとわかっていても、なかなか踏み出せない。
「ユリウスは、その様子じゃ旅になんか出たくない、か…」
エースは腕を組んで片手を顎に当て、ふうんとユリウスを見つめた。
行動的なハートの騎士。欲しいものを手に入れるためなら奪うことも辞さない、笑顔の下に潜む烈しさ。
羨んでしまうほどの率直さで、エースは〇〇に己を晒していく。
「〇〇、二人で行かないか?ユリウスは行きたくなさそうだし、無理強いするのもかわいそうだからさ。あ、もちろんアリスも誘うぜ?」
その誘惑ほど効果的なものはないと思う。
どういうわけか、〇〇はアリスに強い関心がある。執着とはまた違う、純粋な“興味”だ。
それこそ〇〇がアリスや役持ちに向けるのは、誰かの手によって生み出された作品を眺める観賞の目に似ている。
その目から逃れようと、その目を変えさせようと動き出した者は、少なくない。
エースが〇〇を連れ出そうとするのを止める術は思いつかなかった。
行かせたくない。ここにいてほしい。どうすればうまく伝えられるだろう。
なにかいい口実を探す時点ですでに、本心のままに伝えることを諦めているのだ。
こんな自分が〇〇を手の届く範囲に留めることは不可能だ。そう、願うことさえ――
「――やっぱり、やめた」
誰も予想しなかった言葉を〇〇は口にした。エースは目を丸くし、ユリウスは目を瞠った。
途端に突き刺さる二つの視線に〇〇は身じろぎをして、居心地悪そうに眉を寄せた。
「……なに、二人とも」
「君に断られるなんて…意外だな。アリスを嫌いになったの?」
エースの問いに、〇〇は肩を竦めた。まさかと言いたげだ。
「どうしてそう繋がるんだ。あたしだって、たまには急に気分が変わることもある」
「へえ…。それが今だったってわけか」
「まあ、そういうこと」
エースはしばし〇〇の顔を見て、それからユリウスに一瞥をくれた。
「俺って振られちゃったのかな?」
「安心して、振る以前の問題だから」
「はははっ。手厳しいね。…君が断った理由が、そこの不機嫌面じゃないことを祈るよ」
不機嫌面。それが誰を示すかは一目瞭然だった。
ユリウスがばっと顔を押さえるのを声を上げて笑い、「次は一緒に行こうな」と意外にもあっさりエースは出て行った。
残されたのは赤くなった顔を手で覆う時計の番人と、緩やかに笑う居候の余所者。
「……」
「……」
「……〇〇」
「なに、ユリウス?」
「私は…どんな顔をしていた」
「んー、不機嫌っていうよりはむしろ、捨てられることを悟った犬みたいな顔?」
「……そうか」
なにも言えない。〇〇が残ったことを思えば、多少の恥にも目を瞑るか。
誤魔化すために少し咳払いをするが、顔の熱は引いてくれない。
〇〇はおかしそうに笑いながらも、嫌な感じはまったく与えなかった。
時々冷めた色を見せる黒い瞳が、今は柔らかな夜の色をしていた。
「ユリウス、そんなに決まり悪そうにしなくてもいいと思うよ?」
「指摘しないでくれ。…余計に惨めになる」
「まあまあ。アナタのそういうところ、あたしは好きだな」
慰めのつもりか。さらりと言ってくれるな。好意の欠片さえ見せられない臆病な男に。
「っ…。どうして行かなかったんだ。私は別におまえがいてもいなくても…」
「そうだろうとは思ったけど、今日はなんとなくここでのんびりしてようかなって。迷惑?」
否定されない。惜しまれもしない。
ツキリと走った痛みは一瞬。和らいでも切なさを訴える心を押し隠せば、自然と口元に微笑が浮かんでいた。
「…おまえがここにいることを許したのは私だ。好きにすればいい」
「うん。ありがと、ユリウス」
生き死にを繰り返すほど深まる想いは、傷跡だ。
刻まれ刻まれ、もはや消せはしない。
時折、恋愛感情を避け、拒む姿勢を垣間見せる〇〇だから。
秘することで傍にいてくれるというのなら、いつまでだって隠し通そう。
――己の意志ではもうどうすることもできなくなる、そのときまでは。
end。→あとがき