愛の如く、囁く殺意
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〇〇はしばらく、脱力感からそこに身を預けていた。床ではない。弾力と温かみのある人間の身体の上にいた。
助かったという安堵は心地良い疲労感を連れてきた。
目を閉じれば、耳をつけた胸から聞こえてくる。ペーターの、時計の音が。
(――あれ?)
ふと、我に返った。ここでまずやるべきは退避と謝罪。それらを後回して、疑問が口から出た。
〇〇は胸から顔を離すと、呆然とこちらを見上げるペーターを不思議そうに見つめて、
「ペーター?なんか時計の音が乱れて…」
しかし、最後まで言い切ることはできなかった。
「ッ!!」
押し倒されたまま沈黙にいたペーターの目に正気が戻り、やにわに殺気が宿った。
「ぁ、わっ――ふげっ」
体勢を切り崩された〇〇が床に転がる。妙な声が出た。
ペーターはその上にのしかかると、額に銃口を強く押し当てた。
そうして片方の手で〇〇の胸倉を掴んでギリと睨めつけ、ヒステリックな叫びに似た声を張り上げた。
「どうして……っなぜ、僕がアリスではなくあなたなんかに反応しなければならないんですか!?」
「え。えーと…あの、」
「僕はアリスを愛しています!ええ、そうですとも。アリスさえ幸せならなんだっていい。気に食わないあなたを生かしておくのも、すべてアリスのためだ。彼女と同じ余所者とはいえ、あなたなど取るに足りぬ存在――!」
当然の主張を今この場で声高にする必要はあるのだろうか。
そう思わないではなかったが、こんなにも必死にアリスへの愛を叫ばれるのは悪い気がしなかった。
目を丸くした〇〇は脱力の延長、柔らかな笑みを浮かべて心から同意した。
「そう。アナタはアリスのことだけ考えてればそれでいい。その想いがアリスを幸せに導くんだから。…あたしのことは、どうしてくれたっていいんだ」
ぴたりとペーターの動きが止まった。真上から〇〇を見下ろす目は徐々に曇って、濁っていく。
激昂は鎮静化を通り越して嵐の前の静けさを生み出した。
遣る瀬無さと苛立ちを抱えた赤が深く沈む。掠れた声は伝達を目的とするものではなかった。
「その顔を…そんな目を誰にでも向けて…」
「なに?ごめん、小さすぎて聞き取れないんだけど」
胸倉を解放した手が首筋に滑り込む。
〇〇の首回りを囲むように手を置き、ペーターは俯いた。銃を持つ手がだらりと脇に下がる。
「…どうしたの」
跨られて首を押さえられているために上体を起こすことができない。
本当になんだというのだろう、この感情の浮き沈みの激しさは。これほど情緒不安定な白ウサギは、画面上でも見たことがない。
翳ったペーターの表情よりも脱力した手に握られる銃が気になり、〇〇の視線はそちらの出方を窺った。
この状態でなくとも彼が〇〇の隙をつく必要はない。正攻法で即お陀仏だ。
(こんな意味不明な終わり方……虚しすぎる)
まさかこれが“時”なのか。いや、こんな人為的なもののはずは…と凶器から目を離せないでいると。
それは不意に、無害な時計へと早変わりした。
時計を手放した手が〇〇の頭上に落ちる。自ずと視線がついていく形になり、そこで初めて事態の異常さが切迫したものであることを〇〇は知った。
異様な微笑を貼りつけた唇があった。燃える緋色の眼の中にはざわめきを押し殺した凍える感情。
口先だけはにこやかに彼が言った。
「そんなふうに笑うのはよしてください」
「…ペーター?」
「違うでしょう?あなたに似合うのはそれじゃない――」
熱に浮かされた口調が途切れた時、〇〇の思考も活動を停止した。
じわじわと息苦しさが意識を蝕んでいく。
(――な、んだ…これ……?)
圧力を高めゆく手に首を絞められる状況よりも、自分の口を塞ぐ他者の口を信じられない。
何事も汚いと言って憚らないあのペーターが、今、あたしに、なにをしている?
触れるよりも深く組み合わされたそこに隙間はなかった。開きもしないし動き出す素振りもない。
酸素の取り込み口を断つ手段にしては鼻が放置されていた。しかし、混乱する頭は息継ぎの方法を思い出せない。
塞がれていく喉と、塞がれた口。首を握る手をどかそうと足掻いていた手から力が抜けた。
呼吸を取り返そうと喉の奥で喘ぐ声が鼻にかかって淫らになる。溶け合う温度が混濁を招く。
〇〇の嫌う痛みにも勝る苦しみが延々と続くように思われたそのとき。
「!…ぅ、え……ッ」
ごほごほと噎せる。許された酸素を夢中になって求めると、唾液が口の端を伝うのを感じた。
肺だけでは足りなくて身体全体を上下させて息をする。息苦しさに喘ぎ涙が滲んだ。
なにがなんだか判らず放心状態にある〇〇を、非情な一対の目が上から見下ろす。
ああ、とペーターの満足の溜め息が場違いに響いた。
恍惚とした顔はともすれば彼の愛しの彼女に向けるものと重なって見えて。
「あなたには、その顔がお似合いです。醜く歪んで男を強請るように浅ましい。誰彼構わずに向けるなら、僕だけに見せたほうが賢明だと思えるくらい酷い顔だ…」
貶めて、己の口元を手の甲で擦る。その仕草がペーターの変わらぬ潔癖さを表していて、〇〇は気休め程度の安心感を覚えた。
事の異変が取り越し苦労ではないと理解しながら。
ペーターは悠然と立ち上がり、仰向けに横たわる〇〇を高い位置から眺めた。
無論助け起こすことはせず、友好的というには捻れた笑顔をひとつ、落とす。
「僕は親切なウサギさんですからね。あなたが僕以外の誰かにそんな無様な姿を晒すことがあれば、そのときはこの手で心臓を撃ち抜いてあげますよ」
なんて優しい口振りで言うのだろう。最後は囁くように静かに言葉を紡いで。
慈しみさえ感じ取れそうなほど和らいだ眼差しに殺意を乗せて、ペーターは歩き去った。おそらく、アリスがいるであろう場所を目指して。
〇〇は目蓋を下ろすと、溜まった二酸化炭素を長く吐き出した。
喜ぶべき確約を得たはずなのに、素直に喜べない。
この世界に飽きが来たときに実行すれば、好きなときに終わりを迎えられる。けれどその条件は〇〇には理解し難いもので。
(……なにが、どうなってるんだ……)
期待してるよ、ペーター。そのときが来たら、アナタがあたしを殺してくれると。
いつもなら容易く口をつく言葉は、胸のうちに留まって出ようとしなかった。
助かったという安堵は心地良い疲労感を連れてきた。
目を閉じれば、耳をつけた胸から聞こえてくる。ペーターの、時計の音が。
(――あれ?)
ふと、我に返った。ここでまずやるべきは退避と謝罪。それらを後回して、疑問が口から出た。
〇〇は胸から顔を離すと、呆然とこちらを見上げるペーターを不思議そうに見つめて、
「ペーター?なんか時計の音が乱れて…」
しかし、最後まで言い切ることはできなかった。
「ッ!!」
押し倒されたまま沈黙にいたペーターの目に正気が戻り、やにわに殺気が宿った。
「ぁ、わっ――ふげっ」
体勢を切り崩された〇〇が床に転がる。妙な声が出た。
ペーターはその上にのしかかると、額に銃口を強く押し当てた。
そうして片方の手で〇〇の胸倉を掴んでギリと睨めつけ、ヒステリックな叫びに似た声を張り上げた。
「どうして……っなぜ、僕がアリスではなくあなたなんかに反応しなければならないんですか!?」
「え。えーと…あの、」
「僕はアリスを愛しています!ええ、そうですとも。アリスさえ幸せならなんだっていい。気に食わないあなたを生かしておくのも、すべてアリスのためだ。彼女と同じ余所者とはいえ、あなたなど取るに足りぬ存在――!」
当然の主張を今この場で声高にする必要はあるのだろうか。
そう思わないではなかったが、こんなにも必死にアリスへの愛を叫ばれるのは悪い気がしなかった。
目を丸くした〇〇は脱力の延長、柔らかな笑みを浮かべて心から同意した。
「そう。アナタはアリスのことだけ考えてればそれでいい。その想いがアリスを幸せに導くんだから。…あたしのことは、どうしてくれたっていいんだ」
ぴたりとペーターの動きが止まった。真上から〇〇を見下ろす目は徐々に曇って、濁っていく。
激昂は鎮静化を通り越して嵐の前の静けさを生み出した。
遣る瀬無さと苛立ちを抱えた赤が深く沈む。掠れた声は伝達を目的とするものではなかった。
「その顔を…そんな目を誰にでも向けて…」
「なに?ごめん、小さすぎて聞き取れないんだけど」
胸倉を解放した手が首筋に滑り込む。
〇〇の首回りを囲むように手を置き、ペーターは俯いた。銃を持つ手がだらりと脇に下がる。
「…どうしたの」
跨られて首を押さえられているために上体を起こすことができない。
本当になんだというのだろう、この感情の浮き沈みの激しさは。これほど情緒不安定な白ウサギは、画面上でも見たことがない。
翳ったペーターの表情よりも脱力した手に握られる銃が気になり、〇〇の視線はそちらの出方を窺った。
この状態でなくとも彼が〇〇の隙をつく必要はない。正攻法で即お陀仏だ。
(こんな意味不明な終わり方……虚しすぎる)
まさかこれが“時”なのか。いや、こんな人為的なもののはずは…と凶器から目を離せないでいると。
それは不意に、無害な時計へと早変わりした。
時計を手放した手が〇〇の頭上に落ちる。自ずと視線がついていく形になり、そこで初めて事態の異常さが切迫したものであることを〇〇は知った。
異様な微笑を貼りつけた唇があった。燃える緋色の眼の中にはざわめきを押し殺した凍える感情。
口先だけはにこやかに彼が言った。
「そんなふうに笑うのはよしてください」
「…ペーター?」
「違うでしょう?あなたに似合うのはそれじゃない――」
熱に浮かされた口調が途切れた時、〇〇の思考も活動を停止した。
じわじわと息苦しさが意識を蝕んでいく。
(――な、んだ…これ……?)
圧力を高めゆく手に首を絞められる状況よりも、自分の口を塞ぐ他者の口を信じられない。
何事も汚いと言って憚らないあのペーターが、今、あたしに、なにをしている?
触れるよりも深く組み合わされたそこに隙間はなかった。開きもしないし動き出す素振りもない。
酸素の取り込み口を断つ手段にしては鼻が放置されていた。しかし、混乱する頭は息継ぎの方法を思い出せない。
塞がれていく喉と、塞がれた口。首を握る手をどかそうと足掻いていた手から力が抜けた。
呼吸を取り返そうと喉の奥で喘ぐ声が鼻にかかって淫らになる。溶け合う温度が混濁を招く。
〇〇の嫌う痛みにも勝る苦しみが延々と続くように思われたそのとき。
「!…ぅ、え……ッ」
ごほごほと噎せる。許された酸素を夢中になって求めると、唾液が口の端を伝うのを感じた。
肺だけでは足りなくて身体全体を上下させて息をする。息苦しさに喘ぎ涙が滲んだ。
なにがなんだか判らず放心状態にある〇〇を、非情な一対の目が上から見下ろす。
ああ、とペーターの満足の溜め息が場違いに響いた。
恍惚とした顔はともすれば彼の愛しの彼女に向けるものと重なって見えて。
「あなたには、その顔がお似合いです。醜く歪んで男を強請るように浅ましい。誰彼構わずに向けるなら、僕だけに見せたほうが賢明だと思えるくらい酷い顔だ…」
貶めて、己の口元を手の甲で擦る。その仕草がペーターの変わらぬ潔癖さを表していて、〇〇は気休め程度の安心感を覚えた。
事の異変が取り越し苦労ではないと理解しながら。
ペーターは悠然と立ち上がり、仰向けに横たわる〇〇を高い位置から眺めた。
無論助け起こすことはせず、友好的というには捻れた笑顔をひとつ、落とす。
「僕は親切なウサギさんですからね。あなたが僕以外の誰かにそんな無様な姿を晒すことがあれば、そのときはこの手で心臓を撃ち抜いてあげますよ」
なんて優しい口振りで言うのだろう。最後は囁くように静かに言葉を紡いで。
慈しみさえ感じ取れそうなほど和らいだ眼差しに殺意を乗せて、ペーターは歩き去った。おそらく、アリスがいるであろう場所を目指して。
〇〇は目蓋を下ろすと、溜まった二酸化炭素を長く吐き出した。
喜ぶべき確約を得たはずなのに、素直に喜べない。
この世界に飽きが来たときに実行すれば、好きなときに終わりを迎えられる。けれどその条件は〇〇には理解し難いもので。
(……なにが、どうなってるんだ……)
期待してるよ、ペーター。そのときが来たら、アナタがあたしを殺してくれると。
いつもなら容易く口をつく言葉は、胸のうちに留まって出ようとしなかった。