真白を染めゆく感情の名は
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時間帯が夜になったことを知った〇〇は、ペーター探しを中断した。
遊園地で睡眠をとったためか、眠気はまったくと言っていいほどなかったが、一度時計塔に戻ることにする。
(ユリウス、意外と心配性だから。顔を見せに行かないとなあ)
ハートの国に馴染んだ〇〇はよほどのことがない限り、命が危ぶまれることはない。
だが、役持ちとそれなりに親しくなったことで、彼らに敵対する者に狙われる可能性が出てきていた。
時計屋はその役割上、人の恨みを買いやすい。同居人の安否を気遣うユリウスを思えば、その気持ちを蔑ろにはできなかった。
そうして目的を切り替えて歩き出した〇〇だったが、その途中、偶然見かけた白色の長い耳を見過ごせるかと問えば――答えは、否。
「待って、ペーター!」
探すのをやめた途端に出てくるなんて、天邪鬼なウサギさんだ。
好機を逃さず、〇〇は時計塔に帰る前に用件を済ませることにした。
呼びかけにぴたりと足を止めたところを見ると、話す余地はありそうだ。〇〇は様子を窺いつつ、振り向かない背中に歩みを進めた。
「ペーター。アリスが心配してたよ、アナタの様子がいつもと違うって」
ここで彼女の名を出すのは逆効果かもしれない。だが、彼が怒りで応えてくればこちらのものだ。
普段どおりのペーターを取り戻すためなら、多少の犠牲は厭わない。
〇〇自身も自然な調子を崩さないように、友好的な笑みを口元に忍ばせた。
「もしかして、あたしがアリスを抱きしめたのを怒ってる?…それなら謝るよ。ごめん、調子に乗りすぎた」
振り向かないペーターに、反省を声音に出して伝える。
彼がいつ現れるかも知れないハートの城の中で、アリスにじゃれついたのは迂闊だった。
ただでさえ自分以外の者が彼女と接することが気に入らないはずなのに、その最たる余所者が触れていたのだから。
ようやく振り返ったペーターの顔には、苛立ちも嘲りもなかった。濃厚な赤い瞳はくすみ、色白の整った面相は作り物のように凍結していた。
予想だにしない表情に出会い、〇〇の心臓がどきりと鳴った。
「ペーター?」
「誰の許可を得て、僕の名を口にするんですか。先ほどから何度も何度も…気安く呼ばないでください」
いつもの調子で返ってきた声も、見慣れない表情と相俟って不自然さを高めた。
こういうときに下手に刺激すると、ろくなことが起こらない。過去を顧みて〇〇は咄嗟に思ったが、もう手遅れなのかもしれない。
「アナタの気分を害する気はなかったんだけど…ごめん。気をつける」
事を穏便に済ませたいという思いが、無意識に笑顔を作らせた。
嫌な予感がする。こういう当たってほしくない勘に限って現実のものとなるのだ。
〇〇は本来の目的を退けて、挨拶もそこそこにその場を立ち去ろうとした。
しかし、数歩と行かないうちに、背後から腕を掴まれ意志とは正反対の方向へ引っ張られた。
「ッ――う、ぁ…!」
勢いよく身体を壁へと叩きつけられ、強かに背中を打つ。
衝撃に呻いた〇〇は痛みを堪えながら、頭を上げて自分の正面を塞ぐ男を見た。
ペーターは能面のような真顔でこちらを見下ろしていた。
「な、に…」
「……目障りなんですよ、あなたは」
抑揚なく呟いた白ウサギの顔は、緩やかに歪んでいった。
消え失せていた感情がじわじわと蘇り、押し殺した激情が徐々に漏れ出していく。
肌を刺すこれは、殺気と呼べるものなのか。尋常を通り越して発露するものを目の当たりにして、〇〇の判断力は追いつかなかった。
「っ、痛…!」
「なぜ僕の前に現れるんです。いつもいつも、欝陶しい笑顔を引っ提げて…」
圧迫されすぎた腕から血の気が引いていく。振り解こうとすればするほど、比例して強まる締めつけに、〇〇は諦めて力を抜いた。
力で抵抗できないのならば、言葉で目を覚まさせるしかない。
「放して、くれない…?あたしに触れると、雑菌が移るんだろ?」
「ええ、そうでしょうね」
「そうって…」
怒りに我を失っているというわけではなさそうだ。平然と汚れを受け入れるペーターに、〇〇は戸惑いを隠せない。
潔癖症の白ウサギはあろうことか、ただでさえ一歩分も空いていない間隔を詰め、身を寄せた。〇〇に顔を近づけると、
「ああ、やはり…アリスの匂いがします」
「え?」
それはおそらく抱擁した際の移り香なのだろう。〇〇にはまったく感じられないが、動物の嗅覚は侮れない。
そのうえアリス専用のアンテナを備えているのではないかと思うほど敏いペーターだ、事実アリスの香りが残っているに違いない。
「おまけにこれは……男の匂いだ」
「へ?」
今度はワントーン低く、告げられた。可能性として考えられるのはあの役持ちだった。
(……ゴーランド、か?)
しかし、どうして男だとわかるのだろう。そんな〇〇の疑問になど気づかずに、ペーターは〇〇の顎を強引に掴み上げた。
間近に迫った端整な顔に息をつめる。昏さを孕んだ眼は、高熱の色で〇〇を射竦めた。
「あなたにとって、僕の言葉などすべて無意味なんでしょうね。それとも二、三歩歩いたら忘れてしまうほど低能なんですか、この頭は?」
彼がなんのことを言っているのか、さっぱりわからなかった。〇〇の困惑を悟ったペーターが苛々と表情を険しくする。
「…以前、言ったはずですよ。あなたが無様な顔を晒すのは、僕の前だけで十分だと」
(――……あ、)
頭の底から引き上げられた記憶の舞台は、今と同じくハートの城の廊下だった。
自分に圧しかかる白ウサギ。銃口を突きつけられ、首を絞められ、唇を塞がれた、あのとき。
ペーターは見透かしたように頷いた。
「そうです、あのときです。まさかこの僕が覚えているのに、あなたが忘れているだなんてこと……ありえませんよね?」
忘却を許さない眼差しが、殺気を放って強迫する。嘘でも覚えていないなどと口にすれば、間違いなくペーターは〇〇の命を奪うだろう。
本気を肌に感じた〇〇は、ぎこちなく首を縦に振った。
望んだ肯定を引き出したペーターは、不意に口元に笑みを刻んだ。憔悴にも似た、愉悦と安堵の微笑。
それはまさに――あのときの表情にほかならなかった。
彼の愛する少女へ向けるような、彼女以外に与えられるはずのないあの笑顔。恐ろしいほど、それに酷似していた。
遊園地で睡眠をとったためか、眠気はまったくと言っていいほどなかったが、一度時計塔に戻ることにする。
(ユリウス、意外と心配性だから。顔を見せに行かないとなあ)
ハートの国に馴染んだ〇〇はよほどのことがない限り、命が危ぶまれることはない。
だが、役持ちとそれなりに親しくなったことで、彼らに敵対する者に狙われる可能性が出てきていた。
時計屋はその役割上、人の恨みを買いやすい。同居人の安否を気遣うユリウスを思えば、その気持ちを蔑ろにはできなかった。
そうして目的を切り替えて歩き出した〇〇だったが、その途中、偶然見かけた白色の長い耳を見過ごせるかと問えば――答えは、否。
「待って、ペーター!」
探すのをやめた途端に出てくるなんて、天邪鬼なウサギさんだ。
好機を逃さず、〇〇は時計塔に帰る前に用件を済ませることにした。
呼びかけにぴたりと足を止めたところを見ると、話す余地はありそうだ。〇〇は様子を窺いつつ、振り向かない背中に歩みを進めた。
「ペーター。アリスが心配してたよ、アナタの様子がいつもと違うって」
ここで彼女の名を出すのは逆効果かもしれない。だが、彼が怒りで応えてくればこちらのものだ。
普段どおりのペーターを取り戻すためなら、多少の犠牲は厭わない。
〇〇自身も自然な調子を崩さないように、友好的な笑みを口元に忍ばせた。
「もしかして、あたしがアリスを抱きしめたのを怒ってる?…それなら謝るよ。ごめん、調子に乗りすぎた」
振り向かないペーターに、反省を声音に出して伝える。
彼がいつ現れるかも知れないハートの城の中で、アリスにじゃれついたのは迂闊だった。
ただでさえ自分以外の者が彼女と接することが気に入らないはずなのに、その最たる余所者が触れていたのだから。
ようやく振り返ったペーターの顔には、苛立ちも嘲りもなかった。濃厚な赤い瞳はくすみ、色白の整った面相は作り物のように凍結していた。
予想だにしない表情に出会い、〇〇の心臓がどきりと鳴った。
「ペーター?」
「誰の許可を得て、僕の名を口にするんですか。先ほどから何度も何度も…気安く呼ばないでください」
いつもの調子で返ってきた声も、見慣れない表情と相俟って不自然さを高めた。
こういうときに下手に刺激すると、ろくなことが起こらない。過去を顧みて〇〇は咄嗟に思ったが、もう手遅れなのかもしれない。
「アナタの気分を害する気はなかったんだけど…ごめん。気をつける」
事を穏便に済ませたいという思いが、無意識に笑顔を作らせた。
嫌な予感がする。こういう当たってほしくない勘に限って現実のものとなるのだ。
〇〇は本来の目的を退けて、挨拶もそこそこにその場を立ち去ろうとした。
しかし、数歩と行かないうちに、背後から腕を掴まれ意志とは正反対の方向へ引っ張られた。
「ッ――う、ぁ…!」
勢いよく身体を壁へと叩きつけられ、強かに背中を打つ。
衝撃に呻いた〇〇は痛みを堪えながら、頭を上げて自分の正面を塞ぐ男を見た。
ペーターは能面のような真顔でこちらを見下ろしていた。
「な、に…」
「……目障りなんですよ、あなたは」
抑揚なく呟いた白ウサギの顔は、緩やかに歪んでいった。
消え失せていた感情がじわじわと蘇り、押し殺した激情が徐々に漏れ出していく。
肌を刺すこれは、殺気と呼べるものなのか。尋常を通り越して発露するものを目の当たりにして、〇〇の判断力は追いつかなかった。
「っ、痛…!」
「なぜ僕の前に現れるんです。いつもいつも、欝陶しい笑顔を引っ提げて…」
圧迫されすぎた腕から血の気が引いていく。振り解こうとすればするほど、比例して強まる締めつけに、〇〇は諦めて力を抜いた。
力で抵抗できないのならば、言葉で目を覚まさせるしかない。
「放して、くれない…?あたしに触れると、雑菌が移るんだろ?」
「ええ、そうでしょうね」
「そうって…」
怒りに我を失っているというわけではなさそうだ。平然と汚れを受け入れるペーターに、〇〇は戸惑いを隠せない。
潔癖症の白ウサギはあろうことか、ただでさえ一歩分も空いていない間隔を詰め、身を寄せた。〇〇に顔を近づけると、
「ああ、やはり…アリスの匂いがします」
「え?」
それはおそらく抱擁した際の移り香なのだろう。〇〇にはまったく感じられないが、動物の嗅覚は侮れない。
そのうえアリス専用のアンテナを備えているのではないかと思うほど敏いペーターだ、事実アリスの香りが残っているに違いない。
「おまけにこれは……男の匂いだ」
「へ?」
今度はワントーン低く、告げられた。可能性として考えられるのはあの役持ちだった。
(……ゴーランド、か?)
しかし、どうして男だとわかるのだろう。そんな〇〇の疑問になど気づかずに、ペーターは〇〇の顎を強引に掴み上げた。
間近に迫った端整な顔に息をつめる。昏さを孕んだ眼は、高熱の色で〇〇を射竦めた。
「あなたにとって、僕の言葉などすべて無意味なんでしょうね。それとも二、三歩歩いたら忘れてしまうほど低能なんですか、この頭は?」
彼がなんのことを言っているのか、さっぱりわからなかった。〇〇の困惑を悟ったペーターが苛々と表情を険しくする。
「…以前、言ったはずですよ。あなたが無様な顔を晒すのは、僕の前だけで十分だと」
(――……あ、)
頭の底から引き上げられた記憶の舞台は、今と同じくハートの城の廊下だった。
自分に圧しかかる白ウサギ。銃口を突きつけられ、首を絞められ、唇を塞がれた、あのとき。
ペーターは見透かしたように頷いた。
「そうです、あのときです。まさかこの僕が覚えているのに、あなたが忘れているだなんてこと……ありえませんよね?」
忘却を許さない眼差しが、殺気を放って強迫する。嘘でも覚えていないなどと口にすれば、間違いなくペーターは〇〇の命を奪うだろう。
本気を肌に感じた〇〇は、ぎこちなく首を縦に振った。
望んだ肯定を引き出したペーターは、不意に口元に笑みを刻んだ。憔悴にも似た、愉悦と安堵の微笑。
それはまさに――あのときの表情にほかならなかった。
彼の愛する少女へ向けるような、彼女以外に与えられるはずのないあの笑顔。恐ろしいほど、それに酷似していた。