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29、愛すべき人間であれと望むのは
物事は呆気ないくらい順調に自分の思う方向へ進んでいった。
張り合いがないと言えばそうかもしれないが、依然として折原臨也の興味が失われることはなかった。
平和島静雄から彼女を引き離したら、どうなるのか。最初は軽い実験のつもりだった。
存在の希薄な女を記憶に留めるには、なんらかの形で接触し続ける必要がある。
本人に直接会わなくとも、たとえば写真などを用いることも可能であると臨也は身をもって知っていた。
おそらく女の写真を所持しているはずの静雄も、手遅れになる前にその対処法に気づくだろうと踏んでいたのだ。
ところが、臨也が様子を窺う限りでは、あの男には効果のないものらしかった。
(なにが違うって言うんだ?まさか、〇〇ちゃんにとって特別かどうか…だったりしてね)
そう考えると、なにやら不愉快である。
当初は、大切にする女に関する記憶を失っていく男の苦悶を楽しんでやろうと思っていた。
しかし、気がつけば静雄の様子を見に行く回数は減り、代わりに興味深い存在である彼女に会いに行く頻度が増えていた。
今では二日に一度は顔を見に行くようになっている。閉鎖空間内ではたいした変化がないにもかかわらず、だ。
「折原さん、あの…」
「〇〇ちゃん。その折原さんっていうの、そろそろやめない?」
そう言って相手の言葉を遮った臨也は、我が家にいるようにソファーの上で寛いでいた。
夜の十時半になろうかという時刻。手持ち無沙汰に立つ女、〇〇はすでにパジャマを着ている。
やむを得ずこの状況に甘んじているとはいえ、こちらで用意した衣類を身につけるその従順な姿に、臨也の口元は緩んでしまう。
――本当は静雄のことが気になってしかたないだろうに。
彼女がタイミングを窺ってその名を口に出そうとするたび、臨也は容易くその話題を逸らした。そうすれば、相手は食い下がらない。
(俺のことが怖いの?…当たり前か。むしろこの状況下で警戒心を持たないほうがどうかしてる)
こちらに強いるつもりがなくても、立場の違いによって自然と強制力が発生する。
逆らえばなにをされるかわからない。その考えが警戒心をも捻じ伏せて屈服させてしまうのだ。
そんな人形遊びのような行為はつまらない。しかし、〇〇という存在を知るにはこの空間を利用しない手はなかった。
「君との付き合いもそれなりに長い。いつまでもその呼び方じゃ他人行儀で寂しいじゃないか」
「でも…」
「それとも、俺のことを名前で呼べない理由でもあるのかな」
そう言えば、瞳の困惑が明確な“理由”に変わって臨也から外される。ああ、なんてわかりやすい。
臨也は顔に笑みを浮かべたまま、横になっていた身体を起こした。本当に、鬱陶しいほどあいつはどこまでも付き纏う。
〇〇だけに向き合いたいのに、化け物が必ず顔を出す。引き離してやったというのに、やはり離れない。
「…シズちゃんに操でも立ててるとか?」
「そ、そんなんじゃありませんっ。というか、話が飛躍しすぎです」
頬を薄く染めた〇〇を胡乱げに見て、もう一度笑みを作り直した臨也は「だったらいいよね」と押し切った。
「俺が呼んでほしくて、君には断る理由がない。もちろん死んでも嫌なら無理強いはしないけど…そうじゃないだろう?」
「う……」
「ほら、呼んで?」
これは強制ではない、お願いだ。極めて友好的に微笑んで促す。
すると、〇〇は観念したように目を伏せ、溜め息のように臨也の名前を呼んだ。
「臨也、さん。…これでいいですか?」
「うん。いい子」
ようやくやりとりが終わったことに力が抜けたのか、〇〇はキッチンへと向かった。水を飲みに行ったようだ。
ここにいる間だけですからね。彼女が小声でそう付け加えたのを、臨也の耳は聞き逃さない。
だが、なにも言わなかった。表に出さない内心の不快感は、最近感じるようになったものだった。
いつも静雄の傍で笑っている〇〇。彼女を見下ろして優しい顔をする男。そうやって二人の世界を作って満足している。
化け物が人間に愛されるはずがない。ならば、彼女もまた化け物なのか。
確かに普通の人間なら考えられない現象が起こる。肉体の頑丈さも見た目にそぐわない。
しかしどういうわけか、臨也は女を人間ではないと断ずることができずにいた。自分の愛する人間の枠から、〇〇を弾くのは惜しいと思う。
それは何故なのか。判然としない理由を求めて観察を続けても、答えはいっこうに見えてこない。
臨也は静かに立ち上がって、水を飲み終えた〇〇に近づいた。
断りもなく、コップを片付けて振り向いた彼女を腕の中に引き入れる。この柔らかさ、ぬくもりは人間の女として正常だ。
「え、なにっ?折原さん?」
「あーあ、間違えちゃった、〇〇ちゃん。罰として今夜は一緒に寝ようか」
「えっ…!」
狼狽を横目に臨也はさっさと〇〇を抱き上げた。色気のない悲鳴はいただけないが、反射的に安定感を求めて縋られるのは悪くない。
横抱きにしてベッドまで歩き、女の身体を落とす。彼女には掛け布団をかけ、臨也自身はさらにその上に寝転がった。
そうして仕上げに抱きしめてしまえば、相手はベッドから抜け出せなくなる。臨也の鮮やかな手並みに、〇〇は呆気にとられた様子だ。
「大丈夫。一緒に寝るって言っても、同じ布団に入るわけじゃないからさ」
「…同じ布団で寝ることには、変わりないような気が…」
しばらく脱出を試みていた〇〇も、頑として動かずにいれば、やがて諦めた。
なにがしたいのかわかりません、と彼女は呟く。臨也は、さあね、とそっけなく返した。
〇〇が静雄のことを考えれば考えるほど、彼女は人間から遠ざかっていく。そんな気がする。
馬鹿げているかもしれないが、仮にそうであったとしたら。その思考を代わりのもので埋めてしまえばいいのではないか?
(たとえば――俺で、……)
そう夢想する。本気で寝るつもりはなかったのだが、いろいろなことを考えているうちに、うつらうつらしてきた。
〇〇が寝ている夜中を狙って訪ね、無防備な彼女にナイフを滑らせたこともある。
確かめたいこと、試したいことはいくつかあった。だが、今日のところはそういった実験は行わないことにしよう。
「おやすみ、〇〇ちゃん」
「え、ちょっと…本当にこのまま寝るつもりなんですか?あの、おりは……臨也、さん――」
どことなく甘い響きを持つ、期間限定の呼び方。それを子守唄に臨也は目を閉じ、他人の香りを吸って深く呼吸した。
いずれここから出るつもりなのだろうが、そう簡単には逃がさない。
なんならずっと臨也さんって呼ばせてあげる。
物事は呆気ないくらい順調に自分の思う方向へ進んでいった。
張り合いがないと言えばそうかもしれないが、依然として折原臨也の興味が失われることはなかった。
平和島静雄から彼女を引き離したら、どうなるのか。最初は軽い実験のつもりだった。
存在の希薄な女を記憶に留めるには、なんらかの形で接触し続ける必要がある。
本人に直接会わなくとも、たとえば写真などを用いることも可能であると臨也は身をもって知っていた。
おそらく女の写真を所持しているはずの静雄も、手遅れになる前にその対処法に気づくだろうと踏んでいたのだ。
ところが、臨也が様子を窺う限りでは、あの男には効果のないものらしかった。
(なにが違うって言うんだ?まさか、〇〇ちゃんにとって特別かどうか…だったりしてね)
そう考えると、なにやら不愉快である。
当初は、大切にする女に関する記憶を失っていく男の苦悶を楽しんでやろうと思っていた。
しかし、気がつけば静雄の様子を見に行く回数は減り、代わりに興味深い存在である彼女に会いに行く頻度が増えていた。
今では二日に一度は顔を見に行くようになっている。閉鎖空間内ではたいした変化がないにもかかわらず、だ。
「折原さん、あの…」
「〇〇ちゃん。その折原さんっていうの、そろそろやめない?」
そう言って相手の言葉を遮った臨也は、我が家にいるようにソファーの上で寛いでいた。
夜の十時半になろうかという時刻。手持ち無沙汰に立つ女、〇〇はすでにパジャマを着ている。
やむを得ずこの状況に甘んじているとはいえ、こちらで用意した衣類を身につけるその従順な姿に、臨也の口元は緩んでしまう。
――本当は静雄のことが気になってしかたないだろうに。
彼女がタイミングを窺ってその名を口に出そうとするたび、臨也は容易くその話題を逸らした。そうすれば、相手は食い下がらない。
(俺のことが怖いの?…当たり前か。むしろこの状況下で警戒心を持たないほうがどうかしてる)
こちらに強いるつもりがなくても、立場の違いによって自然と強制力が発生する。
逆らえばなにをされるかわからない。その考えが警戒心をも捻じ伏せて屈服させてしまうのだ。
そんな人形遊びのような行為はつまらない。しかし、〇〇という存在を知るにはこの空間を利用しない手はなかった。
「君との付き合いもそれなりに長い。いつまでもその呼び方じゃ他人行儀で寂しいじゃないか」
「でも…」
「それとも、俺のことを名前で呼べない理由でもあるのかな」
そう言えば、瞳の困惑が明確な“理由”に変わって臨也から外される。ああ、なんてわかりやすい。
臨也は顔に笑みを浮かべたまま、横になっていた身体を起こした。本当に、鬱陶しいほどあいつはどこまでも付き纏う。
〇〇だけに向き合いたいのに、化け物が必ず顔を出す。引き離してやったというのに、やはり離れない。
「…シズちゃんに操でも立ててるとか?」
「そ、そんなんじゃありませんっ。というか、話が飛躍しすぎです」
頬を薄く染めた〇〇を胡乱げに見て、もう一度笑みを作り直した臨也は「だったらいいよね」と押し切った。
「俺が呼んでほしくて、君には断る理由がない。もちろん死んでも嫌なら無理強いはしないけど…そうじゃないだろう?」
「う……」
「ほら、呼んで?」
これは強制ではない、お願いだ。極めて友好的に微笑んで促す。
すると、〇〇は観念したように目を伏せ、溜め息のように臨也の名前を呼んだ。
「臨也、さん。…これでいいですか?」
「うん。いい子」
ようやくやりとりが終わったことに力が抜けたのか、〇〇はキッチンへと向かった。水を飲みに行ったようだ。
ここにいる間だけですからね。彼女が小声でそう付け加えたのを、臨也の耳は聞き逃さない。
だが、なにも言わなかった。表に出さない内心の不快感は、最近感じるようになったものだった。
いつも静雄の傍で笑っている〇〇。彼女を見下ろして優しい顔をする男。そうやって二人の世界を作って満足している。
化け物が人間に愛されるはずがない。ならば、彼女もまた化け物なのか。
確かに普通の人間なら考えられない現象が起こる。肉体の頑丈さも見た目にそぐわない。
しかしどういうわけか、臨也は女を人間ではないと断ずることができずにいた。自分の愛する人間の枠から、〇〇を弾くのは惜しいと思う。
それは何故なのか。判然としない理由を求めて観察を続けても、答えはいっこうに見えてこない。
臨也は静かに立ち上がって、水を飲み終えた〇〇に近づいた。
断りもなく、コップを片付けて振り向いた彼女を腕の中に引き入れる。この柔らかさ、ぬくもりは人間の女として正常だ。
「え、なにっ?折原さん?」
「あーあ、間違えちゃった、〇〇ちゃん。罰として今夜は一緒に寝ようか」
「えっ…!」
狼狽を横目に臨也はさっさと〇〇を抱き上げた。色気のない悲鳴はいただけないが、反射的に安定感を求めて縋られるのは悪くない。
横抱きにしてベッドまで歩き、女の身体を落とす。彼女には掛け布団をかけ、臨也自身はさらにその上に寝転がった。
そうして仕上げに抱きしめてしまえば、相手はベッドから抜け出せなくなる。臨也の鮮やかな手並みに、〇〇は呆気にとられた様子だ。
「大丈夫。一緒に寝るって言っても、同じ布団に入るわけじゃないからさ」
「…同じ布団で寝ることには、変わりないような気が…」
しばらく脱出を試みていた〇〇も、頑として動かずにいれば、やがて諦めた。
なにがしたいのかわかりません、と彼女は呟く。臨也は、さあね、とそっけなく返した。
〇〇が静雄のことを考えれば考えるほど、彼女は人間から遠ざかっていく。そんな気がする。
馬鹿げているかもしれないが、仮にそうであったとしたら。その思考を代わりのもので埋めてしまえばいいのではないか?
(たとえば――俺で、……)
そう夢想する。本気で寝るつもりはなかったのだが、いろいろなことを考えているうちに、うつらうつらしてきた。
〇〇が寝ている夜中を狙って訪ね、無防備な彼女にナイフを滑らせたこともある。
確かめたいこと、試したいことはいくつかあった。だが、今日のところはそういった実験は行わないことにしよう。
「おやすみ、〇〇ちゃん」
「え、ちょっと…本当にこのまま寝るつもりなんですか?あの、おりは……臨也、さん――」
どことなく甘い響きを持つ、期間限定の呼び方。それを子守唄に臨也は目を閉じ、他人の香りを吸って深く呼吸した。
いずれここから出るつもりなのだろうが、そう簡単には逃がさない。
なんならずっと臨也さんって呼ばせてあげる。