交差
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20、彼女を傷つけられるもの
街中で静雄を見つけた●●は、静雄の言葉に従って、先に彼の家に行くことになった。
預かった鍵を使い、「お邪魔します」を言って中に入る。
すでに勝手知ったる場所となった部屋だが、彼が居るか居ないかではまた雰囲気が少し違う。
(あ。晩ごはん、なにがいいか聞いとけばよかったかな)
ふと感じた煙草の匂いに不在を意識しながら、●●は荷物を置くと、洗面所で手を洗った。
「っ……」
途端、ひりりと染みる。痛んだのは手のひらに負った擦り傷だった。
日常生活の中で起こり得る不注意によってできた、ただの軽傷。
しかし、●●は少し血の滲んだそれを見下ろして、気難しげに眉根を寄せた。
今日、こちらの世界に着いて間もなくのことだった。不注意で自転車とぶつかってしまったのだ。
曲がり角でお互いの姿が見えず、あっと思ったときにはすでに衝突し、歩行者である●●は尻餅をついていた。
運が悪ければ大怪我をしていたかもしれないが、自転車の速度が遅かったこともあり、大事には至らなかった。
相手の女性に怪我はなく、双方が自分に非があると言ってぺこぺこと頭を下げた。
(優しい女の人でよかった。ガラの悪い男の人とかだったら、すんなり解決しなかったかも…)
●●のほうは、地面についた手を少し擦りむいただけだった。
お互い何度も謝り、申し訳ない気持ちを引きずりつつ別れたのだが――。
●●は夕食の支度をする間も、考え続けた。無視できないある“疑問”を。
半ば機械的に手を動かし、頭では別のことを考えていたせいか。
突然走った痛みに驚いて我に返ると、包丁が掠めた指からじわじわと血が滲んでいた。
「あ、」
その場から離れ、急いでティッシュを取りに行く。止血のためにぎゅっと押さえれば、●●はやはり難しい顔をした。
「……なんで……?」
ちょうどそのとき、来客を告げる音が鳴った。反射的に立ち上がり、ティッシュを捨てて●●は玄関へと向かう。
ここが自分の家ではないことを思い出したのは、無防備にドアを開けてからだった。
「はー…い?」
「やあ」
「……」
一見人のよさそうな、よく見ればその向こう側に裏が潜んでいそうな、笑顔。
●●は無言でドアを引いたが、訪問者はがしりと素早く掴んで押し留めた。
ぐぐぐぐ…と力が拮抗する。いや、●●が懸命なのに対し、折原臨也は余裕で笑っている。
「こらこら。人の顔を確認してから閉めるなんて酷いなー」
「お…折原、さん。ここが誰の、家だか知ってます…よねっ?」
「もちろん。そして部屋の主が不在で、誰が留守番をしているのかも当然知ってて来たのさ」
「い、いったいなんの用で――…わあっ」
ぐいっとドアを引っ張られ、●●はなす術もなく相手の胸に飛び込んでしまう。
つーかまえた、と無邪気に●●を抱きしめた臨也は、そのまま外へ連れ出そうとした。
「っ…折原さん!わたし、静さんを待たないと…、家から離れるのは困るんですけど!」
「安心しなよ。ちゃんとシズちゃんには、〇〇ちゃんを借りるって言っといたから。ああ、レンタル料も渡したし?」
「そういう問題じゃな…ぃたっ」
手を取られた●●は思わず声を上げた。途端、ぴたりと臨也の足が止まった。
思い留まってくれたのかと、ほっとしたのもつかの間、
「――痛い、だって?」
楽しげだった表情から一変、臨也は●●の手を掴み上げると、怖いくらいの無表情でその手を凝視した。
彼が掴んだのは、擦りむいた上に包丁で切ってしまったほうの手だ。
切り傷から滲んだ血は、小さな雫となって指を伝った。
「なん、ですか?あの、放して…」
「動くな」
初めて聞く冷たい声音に背筋が凍る。流れる赤を追う彼の目は真剣そのものだ。
臨也はなにを考えたのか、●●の手をさらに引き寄せて、血の筋を唇で掬った。
●●はぎょっとして身を竦めたが、気圧されたように動けない。傷口を舌で押されても、痛みに耐えるしかなかった。
「この傷、どうしたの?」
「え、あ……さっき包丁で、切って」
「じゃあ、こっちのは?」
「それは…ちょっと、人とぶつかっちゃったときに…」
「ふうん」
興味があるのかないのか、読めない相槌。
●●はどうしようもなく硬直していたが、臨也がナイフを取り出して無造作に●●の手に刃を当てた瞬間、気が遠のきそうになった。
決して弱くはない力で、肌を圧迫する刃物。止める間もなく、ナイフは皮膚を滑った。
「やっ…!」
ぞっと血の気が引き、膝が折れる。激痛を覚悟してぎゅっと瞑った目尻に、涙が滲んだ。
――静寂が訪れてから、どれほど時間が経ったのだろう。
徐々に周囲の音が戻り、手を掴む他者の熱を思い出した●●は、そっと目を開けた。
覚悟した痛みも、流れる赤も、そこにはなかった。目を瞠って●●の手を見つめる男がいるだけだ。
臨也はナイフで切ったはずの皮膚を食い入るように見つめた。
表情の読めない端整な顔に、ゆっくりと笑みが宿った。面白がるようにも、不愉快そうにも見える。
「へえ。これはこれは……実に興味深い」
「ぅ…」
指の腹でなぞられる、存在しない切り傷。臨也はまじまじと観察した。
●●は腰が抜けたように、冷たい地面にぺたりと座り込んだままだ。
涙で揺らぐ視界に映る臨也は、ようやくその目を●●の顔に向けた。気づいたように、優しく微笑みかける。
「あ、驚いた?」
「おっ、驚くなんてものじゃ…!」
「ごめんね。好奇心に負けて試したくなっちゃった」
あっけらかんとしてそう言い、臨也はナイフをしまった。
●●が自力で立ち上がれないのを察すると、身を屈めて抱き上げる。細身でも男であることを示すように、軽々と。
所謂お姫様抱っこの状態で、開けっ放しのドアから勝手に部屋の中に入り、●●を適当な場所に下ろした。
「靴、向こうにやっとくよ」
「あ、あの…」
臨也は●●の足から靴を取り上げると、さっさと玄関へと向かった。
●●は思わず引き止めるように口を開いてしまったが、速やかにご帰宅願うべきだ。そろそろ静雄が帰ってくる。
臨也もそれをわかっているようで、手に●●の靴をぶら下げたまま、軽く肩を竦めてみせた。
「敵地に長居は無用ってね。そろそろ退散しないと、さすがに俺の命も危ない」
「…なにか用があったから、わざわざ来たんじゃないんですか?」
いったいなにをしに来たのかわからない。ナイフの件は衝撃的だったが、衝動的な行為のように思えた。
彼は、〇〇ちゃんに会いに来ただけだよ、と言う。本音か、嘘か。
「折原さん…」
「ねえ。泣かせるつもりはなかったって言ったら、信じてくれる?」
訊いておきながら、臨也は返事も待たずに帰って行った。
一人残された●●はしばらく呆然としていたが、視線を自分の手に落とした。
包丁で切った傷からの出血はすでに止まり、乾いている。擦り傷も依然としてそこにあった。
ナイフの滑ったところは、傷ひとつなく、綺麗なままで。
(――……あの人は、わたしを傷つけられなかった)
傷つかないはずの身体が傷つき、また傷つけられずにいる。これはどういうことなのだろう。
考えても、容易には解決できない疑問。
●●が口を引き結んで悩んでいた、そのとき。玄関のドアが壊されんばかりの音を立てて開いた。
「●●……っ!?」
「あ…。お、」
おかえりなさい、と最後まで言えなかった。
静雄は靴を脱ぎ散らかして部屋に上がり、●●を見つけるやいなや鬼のような形相で迫った。まさに掴みかかる勢いだ。
座り込む●●の前に膝をつき、一度宙で勢いを殺してから、静かに肩に手を置く。触れる場所から怒気が伝わるようだった。
「し、静さん?」
「ノミ蟲が…臨也の野郎がここに来やがったはずだ。あいつになにされた?」
「なにって…」
いろいろされた。されたが、結果として被害はなかったと言える。
正直に言うべきか迷った。言えば、静雄は問答無用で飛び出していくだろう。
「●●。顔、もっと上げろ」
「え…あ、」
広い手のひらに頬を挟まれて、強引に至る一歩手前の強さで顔を上げさせられた。
サングラス越しの目が●●を見つめる。怒りと心配がない交ぜになった瞳が、その奥に見えた。
目尻に触れた彼の指先が、僅かに震えたような気がした。
「ッ……の野郎……ぶっ殺す!!」
「あ、ま、待って静さんっ!」
立ち上がった静雄の腰に、●●は飛びついた。ひっしと抱きしめて意地でも放すまいとする。
これにはさすがに静雄も驚いたようで、一瞬怒りが萎えたようだった。
●●は彼を引き止めるために、なにもされていないと言い張った。
「静さん、ね、落ち着いて?わたしは大丈夫だから」
「……泣かされたんだろ、あいつに」
静雄は唸るように低く吐き出す。●●は咄嗟の言い訳を考えた。
「違うんです。これはその、包丁で指を切っちゃったから…」
「包丁?」
本当かと疑いの濃い眼差しを受けて、証拠を示すために手を差し出す。
実際傷はあるのだから、静雄は納得しない様子を残しながらも、渋々その場にどすんと腰を下ろした。
包丁でちょこっと切ったくらいで大袈裟な。子供かと自分に突っ込みたくなるも、今は突き通すしかない。
静雄は苛々とした様子だったが、「…手当ては」と●●に聞く。●●は「もう血は止まったから大丈夫です」と答えた。
それにしても、臨也はどのようにして伝えたのだろう。
まさか直接●●を借りる件を言いに行ったわけではあるまい。
疑問に思っていることが顔に出たのか、静雄はポケットに突っ込んでいたものを●●に突き出した。
「知らねぇ奴から、頼まれたとか言って渡された」
「手紙…?中、見てもいいですか」
静雄はむすっとした顔で頷く。●●は封筒を開け、中に入っていたものを取り出した。
それは一枚の写真だった。裏には手書きで、レンタル料、と書かれている。
いやしかし、問題はそこに写っているものである。目に飛び込んできたツーショットに、●●の頬が引き攣った。
「こ、これ…」
来良学園の制服を着た●●と、素晴らしい笑顔でその肩を抱く臨也。
あのときの写真か、と一目で思い出した。が、これは自分と彼の間に起こった出来事であり、つまり…。
「……なあ。俺の目がおかしいのか?どう見ても、あいつとお前にしか見えねぇんだけど」
「う。…はい」
「しかも、どういうわけか来良の制服に見えるんだよな、それ。俺、眼科に行くべきか?」
どう思う、と尋ねる静雄の目は完璧に据わっている。●●には、迅速なる自白が要求されていた。
結局、●●はあのときあったことをすべて静雄に打ち明けた。
握り潰される運命かと思われた写真は、静雄の手によって真ん中でちょん切られた。
男のみが粉々に刻まれてゴミ箱行き。恥ずかしがる似非女子高生のみが残された写真の行方は、一人だけが知っている。
街中で静雄を見つけた●●は、静雄の言葉に従って、先に彼の家に行くことになった。
預かった鍵を使い、「お邪魔します」を言って中に入る。
すでに勝手知ったる場所となった部屋だが、彼が居るか居ないかではまた雰囲気が少し違う。
(あ。晩ごはん、なにがいいか聞いとけばよかったかな)
ふと感じた煙草の匂いに不在を意識しながら、●●は荷物を置くと、洗面所で手を洗った。
「っ……」
途端、ひりりと染みる。痛んだのは手のひらに負った擦り傷だった。
日常生活の中で起こり得る不注意によってできた、ただの軽傷。
しかし、●●は少し血の滲んだそれを見下ろして、気難しげに眉根を寄せた。
今日、こちらの世界に着いて間もなくのことだった。不注意で自転車とぶつかってしまったのだ。
曲がり角でお互いの姿が見えず、あっと思ったときにはすでに衝突し、歩行者である●●は尻餅をついていた。
運が悪ければ大怪我をしていたかもしれないが、自転車の速度が遅かったこともあり、大事には至らなかった。
相手の女性に怪我はなく、双方が自分に非があると言ってぺこぺこと頭を下げた。
(優しい女の人でよかった。ガラの悪い男の人とかだったら、すんなり解決しなかったかも…)
●●のほうは、地面についた手を少し擦りむいただけだった。
お互い何度も謝り、申し訳ない気持ちを引きずりつつ別れたのだが――。
●●は夕食の支度をする間も、考え続けた。無視できないある“疑問”を。
半ば機械的に手を動かし、頭では別のことを考えていたせいか。
突然走った痛みに驚いて我に返ると、包丁が掠めた指からじわじわと血が滲んでいた。
「あ、」
その場から離れ、急いでティッシュを取りに行く。止血のためにぎゅっと押さえれば、●●はやはり難しい顔をした。
「……なんで……?」
ちょうどそのとき、来客を告げる音が鳴った。反射的に立ち上がり、ティッシュを捨てて●●は玄関へと向かう。
ここが自分の家ではないことを思い出したのは、無防備にドアを開けてからだった。
「はー…い?」
「やあ」
「……」
一見人のよさそうな、よく見ればその向こう側に裏が潜んでいそうな、笑顔。
●●は無言でドアを引いたが、訪問者はがしりと素早く掴んで押し留めた。
ぐぐぐぐ…と力が拮抗する。いや、●●が懸命なのに対し、折原臨也は余裕で笑っている。
「こらこら。人の顔を確認してから閉めるなんて酷いなー」
「お…折原、さん。ここが誰の、家だか知ってます…よねっ?」
「もちろん。そして部屋の主が不在で、誰が留守番をしているのかも当然知ってて来たのさ」
「い、いったいなんの用で――…わあっ」
ぐいっとドアを引っ張られ、●●はなす術もなく相手の胸に飛び込んでしまう。
つーかまえた、と無邪気に●●を抱きしめた臨也は、そのまま外へ連れ出そうとした。
「っ…折原さん!わたし、静さんを待たないと…、家から離れるのは困るんですけど!」
「安心しなよ。ちゃんとシズちゃんには、〇〇ちゃんを借りるって言っといたから。ああ、レンタル料も渡したし?」
「そういう問題じゃな…ぃたっ」
手を取られた●●は思わず声を上げた。途端、ぴたりと臨也の足が止まった。
思い留まってくれたのかと、ほっとしたのもつかの間、
「――痛い、だって?」
楽しげだった表情から一変、臨也は●●の手を掴み上げると、怖いくらいの無表情でその手を凝視した。
彼が掴んだのは、擦りむいた上に包丁で切ってしまったほうの手だ。
切り傷から滲んだ血は、小さな雫となって指を伝った。
「なん、ですか?あの、放して…」
「動くな」
初めて聞く冷たい声音に背筋が凍る。流れる赤を追う彼の目は真剣そのものだ。
臨也はなにを考えたのか、●●の手をさらに引き寄せて、血の筋を唇で掬った。
●●はぎょっとして身を竦めたが、気圧されたように動けない。傷口を舌で押されても、痛みに耐えるしかなかった。
「この傷、どうしたの?」
「え、あ……さっき包丁で、切って」
「じゃあ、こっちのは?」
「それは…ちょっと、人とぶつかっちゃったときに…」
「ふうん」
興味があるのかないのか、読めない相槌。
●●はどうしようもなく硬直していたが、臨也がナイフを取り出して無造作に●●の手に刃を当てた瞬間、気が遠のきそうになった。
決して弱くはない力で、肌を圧迫する刃物。止める間もなく、ナイフは皮膚を滑った。
「やっ…!」
ぞっと血の気が引き、膝が折れる。激痛を覚悟してぎゅっと瞑った目尻に、涙が滲んだ。
――静寂が訪れてから、どれほど時間が経ったのだろう。
徐々に周囲の音が戻り、手を掴む他者の熱を思い出した●●は、そっと目を開けた。
覚悟した痛みも、流れる赤も、そこにはなかった。目を瞠って●●の手を見つめる男がいるだけだ。
臨也はナイフで切ったはずの皮膚を食い入るように見つめた。
表情の読めない端整な顔に、ゆっくりと笑みが宿った。面白がるようにも、不愉快そうにも見える。
「へえ。これはこれは……実に興味深い」
「ぅ…」
指の腹でなぞられる、存在しない切り傷。臨也はまじまじと観察した。
●●は腰が抜けたように、冷たい地面にぺたりと座り込んだままだ。
涙で揺らぐ視界に映る臨也は、ようやくその目を●●の顔に向けた。気づいたように、優しく微笑みかける。
「あ、驚いた?」
「おっ、驚くなんてものじゃ…!」
「ごめんね。好奇心に負けて試したくなっちゃった」
あっけらかんとしてそう言い、臨也はナイフをしまった。
●●が自力で立ち上がれないのを察すると、身を屈めて抱き上げる。細身でも男であることを示すように、軽々と。
所謂お姫様抱っこの状態で、開けっ放しのドアから勝手に部屋の中に入り、●●を適当な場所に下ろした。
「靴、向こうにやっとくよ」
「あ、あの…」
臨也は●●の足から靴を取り上げると、さっさと玄関へと向かった。
●●は思わず引き止めるように口を開いてしまったが、速やかにご帰宅願うべきだ。そろそろ静雄が帰ってくる。
臨也もそれをわかっているようで、手に●●の靴をぶら下げたまま、軽く肩を竦めてみせた。
「敵地に長居は無用ってね。そろそろ退散しないと、さすがに俺の命も危ない」
「…なにか用があったから、わざわざ来たんじゃないんですか?」
いったいなにをしに来たのかわからない。ナイフの件は衝撃的だったが、衝動的な行為のように思えた。
彼は、〇〇ちゃんに会いに来ただけだよ、と言う。本音か、嘘か。
「折原さん…」
「ねえ。泣かせるつもりはなかったって言ったら、信じてくれる?」
訊いておきながら、臨也は返事も待たずに帰って行った。
一人残された●●はしばらく呆然としていたが、視線を自分の手に落とした。
包丁で切った傷からの出血はすでに止まり、乾いている。擦り傷も依然としてそこにあった。
ナイフの滑ったところは、傷ひとつなく、綺麗なままで。
(――……あの人は、わたしを傷つけられなかった)
傷つかないはずの身体が傷つき、また傷つけられずにいる。これはどういうことなのだろう。
考えても、容易には解決できない疑問。
●●が口を引き結んで悩んでいた、そのとき。玄関のドアが壊されんばかりの音を立てて開いた。
「●●……っ!?」
「あ…。お、」
おかえりなさい、と最後まで言えなかった。
静雄は靴を脱ぎ散らかして部屋に上がり、●●を見つけるやいなや鬼のような形相で迫った。まさに掴みかかる勢いだ。
座り込む●●の前に膝をつき、一度宙で勢いを殺してから、静かに肩に手を置く。触れる場所から怒気が伝わるようだった。
「し、静さん?」
「ノミ蟲が…臨也の野郎がここに来やがったはずだ。あいつになにされた?」
「なにって…」
いろいろされた。されたが、結果として被害はなかったと言える。
正直に言うべきか迷った。言えば、静雄は問答無用で飛び出していくだろう。
「●●。顔、もっと上げろ」
「え…あ、」
広い手のひらに頬を挟まれて、強引に至る一歩手前の強さで顔を上げさせられた。
サングラス越しの目が●●を見つめる。怒りと心配がない交ぜになった瞳が、その奥に見えた。
目尻に触れた彼の指先が、僅かに震えたような気がした。
「ッ……の野郎……ぶっ殺す!!」
「あ、ま、待って静さんっ!」
立ち上がった静雄の腰に、●●は飛びついた。ひっしと抱きしめて意地でも放すまいとする。
これにはさすがに静雄も驚いたようで、一瞬怒りが萎えたようだった。
●●は彼を引き止めるために、なにもされていないと言い張った。
「静さん、ね、落ち着いて?わたしは大丈夫だから」
「……泣かされたんだろ、あいつに」
静雄は唸るように低く吐き出す。●●は咄嗟の言い訳を考えた。
「違うんです。これはその、包丁で指を切っちゃったから…」
「包丁?」
本当かと疑いの濃い眼差しを受けて、証拠を示すために手を差し出す。
実際傷はあるのだから、静雄は納得しない様子を残しながらも、渋々その場にどすんと腰を下ろした。
包丁でちょこっと切ったくらいで大袈裟な。子供かと自分に突っ込みたくなるも、今は突き通すしかない。
静雄は苛々とした様子だったが、「…手当ては」と●●に聞く。●●は「もう血は止まったから大丈夫です」と答えた。
それにしても、臨也はどのようにして伝えたのだろう。
まさか直接●●を借りる件を言いに行ったわけではあるまい。
疑問に思っていることが顔に出たのか、静雄はポケットに突っ込んでいたものを●●に突き出した。
「知らねぇ奴から、頼まれたとか言って渡された」
「手紙…?中、見てもいいですか」
静雄はむすっとした顔で頷く。●●は封筒を開け、中に入っていたものを取り出した。
それは一枚の写真だった。裏には手書きで、レンタル料、と書かれている。
いやしかし、問題はそこに写っているものである。目に飛び込んできたツーショットに、●●の頬が引き攣った。
「こ、これ…」
来良学園の制服を着た●●と、素晴らしい笑顔でその肩を抱く臨也。
あのときの写真か、と一目で思い出した。が、これは自分と彼の間に起こった出来事であり、つまり…。
「……なあ。俺の目がおかしいのか?どう見ても、あいつとお前にしか見えねぇんだけど」
「う。…はい」
「しかも、どういうわけか来良の制服に見えるんだよな、それ。俺、眼科に行くべきか?」
どう思う、と尋ねる静雄の目は完璧に据わっている。●●には、迅速なる自白が要求されていた。
結局、●●はあのときあったことをすべて静雄に打ち明けた。
握り潰される運命かと思われた写真は、静雄の手によって真ん中でちょん切られた。
男のみが粉々に刻まれてゴミ箱行き。恥ずかしがる似非女子高生のみが残された写真の行方は、一人だけが知っている。