交差
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これは夢か。夢なのか。
願望のあまりの強さに、脳が都合のいい幻を作り出したのだろうか。
仕事を終えて帰ってきた静雄は、そこに座り込む女の影を見つけて、思わずその場に立ち止まって自問した。
我が目を疑いながら近づくと、それは果たしてずっと静雄の頭を占めていた人物に相違なかった。
「●●……?」
●●に会ったら、自分はどうしようと思っていたのだったか。
そう、まずは謝るのだ。許されないのなら辛抱強く誤解を解いて、丁寧に己の気持ちを言い聞かせて、それから――…それから。
そう思っていたのに、呼びかけにも反応しない●●は、どうも様子がおかしい。
静雄は再度名前を呼んで、傍にしゃがみ込んだ。
伏せられた顔を覗き込めない。が、耳を澄ますと、なんとも安らかな寝息が聞こえた。
「……寝てんのかよ」
ぽつんと響いた自分の声が、あまりにも安堵に満ちていて。
こんな時間帯にこんな場所で眠る●●の無防備さへの苛立ちはほんの一瞬しか保たず、ぱっと霧散してしまった。
深い安心はそのまま溜め息となって、細く空気を震わせた。
このままにはしておけないと、眠る●●にそっと手を伸ばした。
――触れられ、た。……ほら、大丈夫だ。これは都合のいい幻なんかじゃない。
慎重に慎重を重ねて抱き上げた手が、かすかに震えている。静雄はそんな自分を笑った。
(なんだよ…。俺、震えちまうほど安心してんのか。そんなにこいつに触れられるのが、嬉しいのか?)
静雄は●●を抱いたまま器用に鍵を開けて部屋の中に入った。
一直線にベッドに向かい、●●をそっと下ろす。彼女は身体の揺れに身じろいだだけで、すぐに規則的な呼吸を再開した。
起こさなかったことにほっとして、同時に目を覚ましてほしかったような、残念な気持ちになった。
「…俺に会いに、来てくれたんだよな」
ベッドの傍らに座り込んで、静雄は独り言のように呟いた。
じわりと実感が湧いてくる。モノクロの部屋の中にあたたかな色彩が戻ったかのようだった。
よかった――。心からそう思う。
考えてみれば、●●には●●の生活があるのだ。
時間を見つけては会いに来てくれていたようだが、時には日が空いてしまうこともあるだろう。
待っているだけでは駄目なのだと、今回の経験ではっきりとわかった。
「なあ…。俺、もっと踏み込んでもいいか…?」
大切だと気づき、想えば想うほど、臆病になる。
いつかは壊してしまうんじゃないか。いつかは離れていくんじゃないか。そういう考えが尽きることはない。
けれど、もう手を伸ばさずにはいられないのだ。もっと近づきたい。
穏やかな寝顔に指先で触れた。自分とは違う体温に、●●の存在を確かに感じる。
これが愛しいということなのか。静雄の視線は、シーツの上に無造作に投げ出されている●●の手に流れた。
女らしい、細くて小さな手。綺麗に切り揃えられた爪は飾り気がなく、静雄の目に好ましく映った。
……繋いでみても、いいだろうか。力を込めて握るのは怖い気がするから、ほんの少しだけ。
今時の若者からすれば鼻で笑ってしまうような、健全すぎて他愛もないことだろうが、静雄にとっては違う。
手をひとつ握るにしたって、力加減に細心の注意を払わなければならないのだから。
「……」
誘うように手のひらを天井に向けている、●●の手に。静雄はそうっと己の手を近づけた。
指先が触れあい、少し止まって、それからゆっくりと手のひらを重ねた。そのとき。
ん、と声を漏らした●●に驚いて手を引くより早く、自分より幾分体温の高い手が静雄を捕まえた。
ぎゅ…と手を握られて固まる静雄の目の前で、●●がゆっくりと目蓋を上げる。
ぼーっと天井を見ていた彼女は、こてんと顔をこちらに向けてしばらくした後、あれ、と呟いた。
「…しずさん…?」
「…お、おう」
白状しよう、この展開は予想していなかった。
手を掴まれた状態では誤魔化しようもなく、まるで現行犯逮捕された気分だ。
寝起きでほけっとしていた●●は次第に覚醒し、ゆるゆると目を大きく開いていった。
「静さん……?わたし…え?」
がばっと起き上がった●●は静雄と手を繋いでいることに気づき、ぱっと放した。…内心惜しんだのは心に留めておく。
「ご、ごめんなさい。わたし、いつの間に手を…というか、ここ、静さんの…」
「玄関先で寝てたから、中に運んだんだ」
「!……ご、」
「謝んな。俺が勝手にやったことだろ?」
「あ、えと、じゃあ、ありがとう…?」
言葉に迷いながら礼を言う●●に、それでよしと静雄は笑った。
危惧したような時間の隔たりによるぎこちなさは、二人の間になかった。
しかし、いったいなにから話すべきか。静雄が悩んでいると、ベッドから下りた●●が隣に座り込んだ。
「――…静さん。わたしのこと、ちゃんと覚えてますか?」
真剣な顔をしてなにを言うかと思えば、それはどういう質問なのだろう。
知らず身構えていた静雄は、力を抜いた。ぽりぽりと頬を掻く。
「あー…覚えてるぜ。ちゃんとな」
「…よかったぁ」
●●はふわんと笑った。それから、いそいそと居住まいを正すと、
「実は大学の講義で発表があって、その準備でしばらく来られなかったんです」
「…そうだったのか?」
「はいっ。わたし、なにも言わずに行かなくなったから……静さんにちゃんとわたしが残ってて、よかった」
(残る…?)
引っかかりを覚えるも、突然声を上げた●●に驚いて尋ねる機会を逸してしまった。
立ち上がった勢いのまま玄関へ向かう後ろ姿に呆気に取られたが、我に返って慌ててあとを追った。
「ど、どうした?」
「もうこんな時間…!わたし、帰りますね!」
「は……?いや、ちょっと待て」
喧嘩をしていたわけではないが、二人の仲が元通りになったところで、なんの進展もないまま帰すわけにはいかない。
静雄は「帰るなよ?すぐだからちょっと待ってろ!」と念を押すと、部屋の中に引き返した。
適当な紙を見つけ、そこに読める程度には丁寧に、だが時間のなさに押されるようにして数字を書き殴る。
再び玄関まで急ぎ、ぽかんと突っ立っている●●にそれを突き出した。
「え?」
「俺のケータイの番号だ。もらっておいてくれ」
好きなときにかけていいから、と付け加える。
●●は突然連絡先を渡されたことに驚きながらも、静雄の言葉に後押しされたように、こくりと頷いた。
「え、と…。ありがたく頂戴します」
「ああ」
若干無理矢理な感は否めないが、●●の手に渡ったことで静雄はほっと息をついた。
「それじゃあ、わたしはこれで…」
「●●」
ドアを開けてやりながら、名前を呼ぶ。見上げてくる●●の顔を見下ろして、静雄は微笑んだ。
「電話、待ってる」
「っ!……はい」
目を見開いた●●は夜目にもそれとわかるほど頬を染めて、ひとつ頭を下げると、ぱたぱたと走り去った。
遠のく背中を見えなくなるまで見送った静雄は、家の中に戻った。
玄関から数歩のところで立ち止まると、大きな溜め息と共にしゃがみ込む。深い安堵に力が抜けた。――今晩は、よく眠れそうだ。
願望のあまりの強さに、脳が都合のいい幻を作り出したのだろうか。
仕事を終えて帰ってきた静雄は、そこに座り込む女の影を見つけて、思わずその場に立ち止まって自問した。
我が目を疑いながら近づくと、それは果たしてずっと静雄の頭を占めていた人物に相違なかった。
「●●……?」
●●に会ったら、自分はどうしようと思っていたのだったか。
そう、まずは謝るのだ。許されないのなら辛抱強く誤解を解いて、丁寧に己の気持ちを言い聞かせて、それから――…それから。
そう思っていたのに、呼びかけにも反応しない●●は、どうも様子がおかしい。
静雄は再度名前を呼んで、傍にしゃがみ込んだ。
伏せられた顔を覗き込めない。が、耳を澄ますと、なんとも安らかな寝息が聞こえた。
「……寝てんのかよ」
ぽつんと響いた自分の声が、あまりにも安堵に満ちていて。
こんな時間帯にこんな場所で眠る●●の無防備さへの苛立ちはほんの一瞬しか保たず、ぱっと霧散してしまった。
深い安心はそのまま溜め息となって、細く空気を震わせた。
このままにはしておけないと、眠る●●にそっと手を伸ばした。
――触れられ、た。……ほら、大丈夫だ。これは都合のいい幻なんかじゃない。
慎重に慎重を重ねて抱き上げた手が、かすかに震えている。静雄はそんな自分を笑った。
(なんだよ…。俺、震えちまうほど安心してんのか。そんなにこいつに触れられるのが、嬉しいのか?)
静雄は●●を抱いたまま器用に鍵を開けて部屋の中に入った。
一直線にベッドに向かい、●●をそっと下ろす。彼女は身体の揺れに身じろいだだけで、すぐに規則的な呼吸を再開した。
起こさなかったことにほっとして、同時に目を覚ましてほしかったような、残念な気持ちになった。
「…俺に会いに、来てくれたんだよな」
ベッドの傍らに座り込んで、静雄は独り言のように呟いた。
じわりと実感が湧いてくる。モノクロの部屋の中にあたたかな色彩が戻ったかのようだった。
よかった――。心からそう思う。
考えてみれば、●●には●●の生活があるのだ。
時間を見つけては会いに来てくれていたようだが、時には日が空いてしまうこともあるだろう。
待っているだけでは駄目なのだと、今回の経験ではっきりとわかった。
「なあ…。俺、もっと踏み込んでもいいか…?」
大切だと気づき、想えば想うほど、臆病になる。
いつかは壊してしまうんじゃないか。いつかは離れていくんじゃないか。そういう考えが尽きることはない。
けれど、もう手を伸ばさずにはいられないのだ。もっと近づきたい。
穏やかな寝顔に指先で触れた。自分とは違う体温に、●●の存在を確かに感じる。
これが愛しいということなのか。静雄の視線は、シーツの上に無造作に投げ出されている●●の手に流れた。
女らしい、細くて小さな手。綺麗に切り揃えられた爪は飾り気がなく、静雄の目に好ましく映った。
……繋いでみても、いいだろうか。力を込めて握るのは怖い気がするから、ほんの少しだけ。
今時の若者からすれば鼻で笑ってしまうような、健全すぎて他愛もないことだろうが、静雄にとっては違う。
手をひとつ握るにしたって、力加減に細心の注意を払わなければならないのだから。
「……」
誘うように手のひらを天井に向けている、●●の手に。静雄はそうっと己の手を近づけた。
指先が触れあい、少し止まって、それからゆっくりと手のひらを重ねた。そのとき。
ん、と声を漏らした●●に驚いて手を引くより早く、自分より幾分体温の高い手が静雄を捕まえた。
ぎゅ…と手を握られて固まる静雄の目の前で、●●がゆっくりと目蓋を上げる。
ぼーっと天井を見ていた彼女は、こてんと顔をこちらに向けてしばらくした後、あれ、と呟いた。
「…しずさん…?」
「…お、おう」
白状しよう、この展開は予想していなかった。
手を掴まれた状態では誤魔化しようもなく、まるで現行犯逮捕された気分だ。
寝起きでほけっとしていた●●は次第に覚醒し、ゆるゆると目を大きく開いていった。
「静さん……?わたし…え?」
がばっと起き上がった●●は静雄と手を繋いでいることに気づき、ぱっと放した。…内心惜しんだのは心に留めておく。
「ご、ごめんなさい。わたし、いつの間に手を…というか、ここ、静さんの…」
「玄関先で寝てたから、中に運んだんだ」
「!……ご、」
「謝んな。俺が勝手にやったことだろ?」
「あ、えと、じゃあ、ありがとう…?」
言葉に迷いながら礼を言う●●に、それでよしと静雄は笑った。
危惧したような時間の隔たりによるぎこちなさは、二人の間になかった。
しかし、いったいなにから話すべきか。静雄が悩んでいると、ベッドから下りた●●が隣に座り込んだ。
「――…静さん。わたしのこと、ちゃんと覚えてますか?」
真剣な顔をしてなにを言うかと思えば、それはどういう質問なのだろう。
知らず身構えていた静雄は、力を抜いた。ぽりぽりと頬を掻く。
「あー…覚えてるぜ。ちゃんとな」
「…よかったぁ」
●●はふわんと笑った。それから、いそいそと居住まいを正すと、
「実は大学の講義で発表があって、その準備でしばらく来られなかったんです」
「…そうだったのか?」
「はいっ。わたし、なにも言わずに行かなくなったから……静さんにちゃんとわたしが残ってて、よかった」
(残る…?)
引っかかりを覚えるも、突然声を上げた●●に驚いて尋ねる機会を逸してしまった。
立ち上がった勢いのまま玄関へ向かう後ろ姿に呆気に取られたが、我に返って慌ててあとを追った。
「ど、どうした?」
「もうこんな時間…!わたし、帰りますね!」
「は……?いや、ちょっと待て」
喧嘩をしていたわけではないが、二人の仲が元通りになったところで、なんの進展もないまま帰すわけにはいかない。
静雄は「帰るなよ?すぐだからちょっと待ってろ!」と念を押すと、部屋の中に引き返した。
適当な紙を見つけ、そこに読める程度には丁寧に、だが時間のなさに押されるようにして数字を書き殴る。
再び玄関まで急ぎ、ぽかんと突っ立っている●●にそれを突き出した。
「え?」
「俺のケータイの番号だ。もらっておいてくれ」
好きなときにかけていいから、と付け加える。
●●は突然連絡先を渡されたことに驚きながらも、静雄の言葉に後押しされたように、こくりと頷いた。
「え、と…。ありがたく頂戴します」
「ああ」
若干無理矢理な感は否めないが、●●の手に渡ったことで静雄はほっと息をついた。
「それじゃあ、わたしはこれで…」
「●●」
ドアを開けてやりながら、名前を呼ぶ。見上げてくる●●の顔を見下ろして、静雄は微笑んだ。
「電話、待ってる」
「っ!……はい」
目を見開いた●●は夜目にもそれとわかるほど頬を染めて、ひとつ頭を下げると、ぱたぱたと走り去った。
遠のく背中を見えなくなるまで見送った静雄は、家の中に戻った。
玄関から数歩のところで立ち止まると、大きな溜め息と共にしゃがみ込む。深い安堵に力が抜けた。――今晩は、よく眠れそうだ。