目覚めのデッドエンド
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素晴らしい笑顔に押し切られる形で、わたしは初対面の人の自家用車の助手席にお邪魔することになった。現実だったらありえないシチュエーションだ。天気予報どおりらしく来たときよりも雨足は強くなっていて、乗り込む際は運転席から降りた彼がわざわざ傘を差してくれた。紳士か。
“安室透”の車にこんな身なりの人間が乗るのは非常に気が引ける。足下のマットを汚してしまうこともそうだし、なによりシートを濡らしてしまう。だけどその点に関しては先の断りの文句の中に入れた後で、しかもそれを笑顔で「なんだ、そんなこと。お気遣いは無用です」とトドメを刺されていたのでもうなにも言えなかった。それでもどうにか被害を最小限に抑えられないものかと、シートに浅く腰かけてみたり。無駄な努力にはすぐに気づかれて「危ないですからちゃんと座ってくださいね」と苦笑しながら注意されてしまった。
「――さて。どちらまでお送りしましょう?」
カーナビを操作しながら安室さんが尋ねてくる。アパート付近にある適当な施設を挙げるという手は使えない。周辺を把握する作業はまだ始まってもいなかった。住所すら例の紙を見ないとわからないくらいなんだから。覚えておけばよかったなと若干後悔しつつも腹部のポケットを探り、次いで紙を照らしてくれる光を求めて暗い中で位置を探る。見えた住所を告げると彼の指が止まった。ん?
「……ああ、そこならナビに入れなくてもわかります。以前その周辺で聞き込みを行ったことがありますので」
「聞き込み、ですか?」
「はい。……僕、こう見えて私立探偵をしていまして。毛利小五郎先生の事はご存知ですか?彼に弟子入りして目下修行に励んでいるんですよ」
迷うことなく目的地まで車を走らせながらの自己紹介。赤信号で停車したとき、よかったらどうぞと気軽に名刺を渡された。おお、これまた高値がつきそうなレアアイテム。
不自然にならないように相槌を打ちつつ物思いに耽った。どの角度から見ても完璧に整った横顔が夜の明かりに照らされる。この人の運転する車の助手席におさまるわたし。夢みたいな特等席だろう。
この白い車が、あの現実離れしたドライビングテクニックを一身に受けてるんだよなあ……。特に印象深かったのは地上波で放送された映画のシーンだ。あれはヤバかった。面白いという意味で。そういえばアニメでも無茶な場面があったような。廃車にならずに生還する奇跡の車がわたしに影響するなんてこと、まさかないよね?
「――……あの、聞こえてました?」
ちらりと投げかけられた視線は心配を含んでいるように見えた。しまった、ぼんやりしてた。もしかして具合が悪くなったと思われてる?わたしはすぐさま謝罪した。
「すみません、聞いていませんでした」
「車を停めますから、気分が悪くなったら遠慮なく仰ってくださいね。……よろしければあなたのお名前を伺えたら、と。あ、僕は名刺にある通り安室透と言います」
名前を聞かれても動揺はしなかった。まあそういう流れになるよねえ。しょうがないか。姓だけで済ませようとするから漢字表記にまで言及されるのかもとふと思い、まるまる名乗れば「素敵なお名前ですね。どういう字を書くんですか?」とさらりと続けられた。誰かさんのときと同じで拒否権なんてものはなかった。知ってた。
「お家の方には連絡されました?悪天候ですから、こんな時間まで出歩いていたら余計に心配してらっしゃるのでは……?」
安全運転の見本のような走行で車は進む。初対面の人間と密室空間にいるというのに息苦しさはなかった。居心地の悪い沈黙がいっこうにやってこないからかもしれない。さりげなく話題を提供してくれる。ありがたいけど、ボロを出さないように注意しないといけない状況はちょっと心臓に悪い。
安室さんの口振りはまるで未成年を気遣うようで、それは気のせいじゃないだろう。これもお決まりのデジャヴである。
「連絡する相手はいません。気ままな一人暮らしなので」
「そうでしたか……。それなら尚の事、あまり遅い時間帯には出歩かない方がいい。何かと物騒な世の中ですし」
「はい。若い子だったら特に気をつけたほうがいいんでしょうね」
「……あなたも十分その“若い子”だと思いますけど」
ほら、やっぱりね。彼の声に滲んだ感情に苦笑い。たぶんこの顔にそれは出ない。噛み合わない理由を解き明かしましょうかね。
「こう見えて、おそらく安室さんよりも年上ですよ」
「はっ……?え、あ……いや、失礼」
運転中だというのに思いっきりぐりんと頭を回した安室さん。びっくりな勢いだ。前を見てくださいと言えばハッとしたように視線を戻して、指を開いてハンドルを握り直した。それでもわたしの顔をじっくり観察したそうにちらちらと目を向けてくる。余所見は厳禁ですよ、お巡りさん。
「年上ってまさか……。ちょっと待ってください。僕も年齢より若く見られる事がありますが、いくつに見えてるんですか?これでも二十九なんですがね」
「それならやっぱりわたしのほうが上ですね。三十は過ぎてますから」
「……ねえ、僕をからかってます?」
じとりとした一瞥で疑われる。とんでもない、とすかさず答えた。この顔で三十過ぎはないなあと思うよ?だけどもう沖矢さんに言っちゃったし、後々齟齬がどう響くかわからないから設定は統一すべきだと思う。今さら若い子ぶるのが厳しいってのもある。
「まあ確かに、見た目とギャップがあるというか……話してみたら随分と落ち着いた印象に変わるなあとは思ってましたけど……。――それで?いい大人であるあなたが傘を持たず、フードもかぶらずに雨に降られるなんて、よほどの事情がおありなんでしょうねぇ」
驚きを表に出してしまったことが不本意だったのか、仕返しとばかりに安室さんの声が意地悪そうに変化する。ついさっきまで爽やかな好青年然としてた人が。どうあっても十分に魅力的なんですけどね。さすがあらゆる女性を虜にする男。“ふるやさん”のほうは男が惚れる男でもあるなあというのが映画を見て抱いた印象だった。
“よほどの事情”とやらを説明できないわたしは、どう返すのが無難なのか頭の中で答えを探した。適切な回答を見つけられないまま沈黙に徹することになるかと思いきや、主要人物と出会ってしまった不運の中でもささやかな幸運が訪れた。――目的地に到着したのだ。
「おや残念。もっと話していたかったのに、着いてしまいましたか」
「本当にご迷惑をおかけしました」
「……あなたは出会ってから謝ってばかりですね」
そう言う安室さんの優しい表情は本心に見えた。けど油断大敵。わたしなんかが彼の思惑を推し量れると思うな。
さっさと車から出ようとして、思い出す。あ、そういえば借りたタオルを肩にかけたままだった。胸元のそれを手で掴んで――どうしよう。使用済みのタオルを返すのはマナーがなっていない。でも今返してしまわないと“次”が確定してしまう。二度目を作らないために犠牲になるのはわたしに対するイメージだけだ。よし。即決でタオルを突き出そうと手に込めているはずの力を調整しようとすれば、なにかを察知したように素早く大きな手のひらが重なった。うっすら伝わってくる他人の温度に心の中の悲鳴が漏れ出そうになった。
「そのタオルは差し上げます、と言いたい所ですが、僕の私物ではなく店の物なので……」
思案げな表情を作りながらも最初から用意していたと思われる言葉を、今まさに思いつきましたという無邪気な笑顔で安室さんは言った。
「今度あなたの都合の良い時に、先ほどの喫茶店――ポアロに来てください。もちろん万全の体調で。タオルの返却はその時にという事にしましょう」
どうですか?なんてさも提案を装うこの人には断らせる気が微塵もない。断られるとも思ってないだろうし、仮にこっちが断ったとしても代替案を仕掛けてくる気満々だ、間違いない。彼の予想を裏切ってとことん断り続けるという手もあったけど、一刻も早くこの場所から離れたかったわたしは今日の脱出を優先することにした。とにもかくにも、いったん安室さんの目の届く範囲から逃れなければ。
「……わかりました。近いうちに伺います」
「はいっ。ご来店を心よりお待ちしておりますね!」
――溢れんばかりの笑顔と弾けるような明るい声を間近で浴びて思った。本当にこの人これで二十九歳なの。若々しすぎるわ。
またしても傘を差すために車を降りようとする安室さんをどうにか押し留めることはできたものの、走り去る白いスポーツカーを見送るわたしの頭上の雨はやんでいた。傘、持たされちゃったよ……。自分は折り畳み傘があるからって、ねえお兄さん、二本あるなら最初から貸し出すこともできたんじゃ……?そうすればわたしが車に同乗する必要はなくて、彼の愛車が無駄に汚れることもなかったのに。本当に体調を気遣われただけだったのか。
なんだか始終相手のペースに呑まれて終わったな。どうしてこうなった。精神的疲労を抱えつつアパートの部屋の前でパーカーのポケットを探る。……うそ。鍵が、ない。出てこない。強引に布地を裏返してみても、湿った住所の紙と安室さんにもらった名刺の他に出てくるものはなかった。
扉の前で立ち尽くすわたしの肩にはタオル。手には男物の傘。ほんとにもう、どうしてこーなった。
“安室透”の車にこんな身なりの人間が乗るのは非常に気が引ける。足下のマットを汚してしまうこともそうだし、なによりシートを濡らしてしまう。だけどその点に関しては先の断りの文句の中に入れた後で、しかもそれを笑顔で「なんだ、そんなこと。お気遣いは無用です」とトドメを刺されていたのでもうなにも言えなかった。それでもどうにか被害を最小限に抑えられないものかと、シートに浅く腰かけてみたり。無駄な努力にはすぐに気づかれて「危ないですからちゃんと座ってくださいね」と苦笑しながら注意されてしまった。
「――さて。どちらまでお送りしましょう?」
カーナビを操作しながら安室さんが尋ねてくる。アパート付近にある適当な施設を挙げるという手は使えない。周辺を把握する作業はまだ始まってもいなかった。住所すら例の紙を見ないとわからないくらいなんだから。覚えておけばよかったなと若干後悔しつつも腹部のポケットを探り、次いで紙を照らしてくれる光を求めて暗い中で位置を探る。見えた住所を告げると彼の指が止まった。ん?
「……ああ、そこならナビに入れなくてもわかります。以前その周辺で聞き込みを行ったことがありますので」
「聞き込み、ですか?」
「はい。……僕、こう見えて私立探偵をしていまして。毛利小五郎先生の事はご存知ですか?彼に弟子入りして目下修行に励んでいるんですよ」
迷うことなく目的地まで車を走らせながらの自己紹介。赤信号で停車したとき、よかったらどうぞと気軽に名刺を渡された。おお、これまた高値がつきそうなレアアイテム。
不自然にならないように相槌を打ちつつ物思いに耽った。どの角度から見ても完璧に整った横顔が夜の明かりに照らされる。この人の運転する車の助手席におさまるわたし。夢みたいな特等席だろう。
この白い車が、あの現実離れしたドライビングテクニックを一身に受けてるんだよなあ……。特に印象深かったのは地上波で放送された映画のシーンだ。あれはヤバかった。面白いという意味で。そういえばアニメでも無茶な場面があったような。廃車にならずに生還する奇跡の車がわたしに影響するなんてこと、まさかないよね?
「――……あの、聞こえてました?」
ちらりと投げかけられた視線は心配を含んでいるように見えた。しまった、ぼんやりしてた。もしかして具合が悪くなったと思われてる?わたしはすぐさま謝罪した。
「すみません、聞いていませんでした」
「車を停めますから、気分が悪くなったら遠慮なく仰ってくださいね。……よろしければあなたのお名前を伺えたら、と。あ、僕は名刺にある通り安室透と言います」
名前を聞かれても動揺はしなかった。まあそういう流れになるよねえ。しょうがないか。姓だけで済ませようとするから漢字表記にまで言及されるのかもとふと思い、まるまる名乗れば「素敵なお名前ですね。どういう字を書くんですか?」とさらりと続けられた。誰かさんのときと同じで拒否権なんてものはなかった。知ってた。
「お家の方には連絡されました?悪天候ですから、こんな時間まで出歩いていたら余計に心配してらっしゃるのでは……?」
安全運転の見本のような走行で車は進む。初対面の人間と密室空間にいるというのに息苦しさはなかった。居心地の悪い沈黙がいっこうにやってこないからかもしれない。さりげなく話題を提供してくれる。ありがたいけど、ボロを出さないように注意しないといけない状況はちょっと心臓に悪い。
安室さんの口振りはまるで未成年を気遣うようで、それは気のせいじゃないだろう。これもお決まりのデジャヴである。
「連絡する相手はいません。気ままな一人暮らしなので」
「そうでしたか……。それなら尚の事、あまり遅い時間帯には出歩かない方がいい。何かと物騒な世の中ですし」
「はい。若い子だったら特に気をつけたほうがいいんでしょうね」
「……あなたも十分その“若い子”だと思いますけど」
ほら、やっぱりね。彼の声に滲んだ感情に苦笑い。たぶんこの顔にそれは出ない。噛み合わない理由を解き明かしましょうかね。
「こう見えて、おそらく安室さんよりも年上ですよ」
「はっ……?え、あ……いや、失礼」
運転中だというのに思いっきりぐりんと頭を回した安室さん。びっくりな勢いだ。前を見てくださいと言えばハッとしたように視線を戻して、指を開いてハンドルを握り直した。それでもわたしの顔をじっくり観察したそうにちらちらと目を向けてくる。余所見は厳禁ですよ、お巡りさん。
「年上ってまさか……。ちょっと待ってください。僕も年齢より若く見られる事がありますが、いくつに見えてるんですか?これでも二十九なんですがね」
「それならやっぱりわたしのほうが上ですね。三十は過ぎてますから」
「……ねえ、僕をからかってます?」
じとりとした一瞥で疑われる。とんでもない、とすかさず答えた。この顔で三十過ぎはないなあと思うよ?だけどもう沖矢さんに言っちゃったし、後々齟齬がどう響くかわからないから設定は統一すべきだと思う。今さら若い子ぶるのが厳しいってのもある。
「まあ確かに、見た目とギャップがあるというか……話してみたら随分と落ち着いた印象に変わるなあとは思ってましたけど……。――それで?いい大人であるあなたが傘を持たず、フードもかぶらずに雨に降られるなんて、よほどの事情がおありなんでしょうねぇ」
驚きを表に出してしまったことが不本意だったのか、仕返しとばかりに安室さんの声が意地悪そうに変化する。ついさっきまで爽やかな好青年然としてた人が。どうあっても十分に魅力的なんですけどね。さすがあらゆる女性を虜にする男。“ふるやさん”のほうは男が惚れる男でもあるなあというのが映画を見て抱いた印象だった。
“よほどの事情”とやらを説明できないわたしは、どう返すのが無難なのか頭の中で答えを探した。適切な回答を見つけられないまま沈黙に徹することになるかと思いきや、主要人物と出会ってしまった不運の中でもささやかな幸運が訪れた。――目的地に到着したのだ。
「おや残念。もっと話していたかったのに、着いてしまいましたか」
「本当にご迷惑をおかけしました」
「……あなたは出会ってから謝ってばかりですね」
そう言う安室さんの優しい表情は本心に見えた。けど油断大敵。わたしなんかが彼の思惑を推し量れると思うな。
さっさと車から出ようとして、思い出す。あ、そういえば借りたタオルを肩にかけたままだった。胸元のそれを手で掴んで――どうしよう。使用済みのタオルを返すのはマナーがなっていない。でも今返してしまわないと“次”が確定してしまう。二度目を作らないために犠牲になるのはわたしに対するイメージだけだ。よし。即決でタオルを突き出そうと手に込めているはずの力を調整しようとすれば、なにかを察知したように素早く大きな手のひらが重なった。うっすら伝わってくる他人の温度に心の中の悲鳴が漏れ出そうになった。
「そのタオルは差し上げます、と言いたい所ですが、僕の私物ではなく店の物なので……」
思案げな表情を作りながらも最初から用意していたと思われる言葉を、今まさに思いつきましたという無邪気な笑顔で安室さんは言った。
「今度あなたの都合の良い時に、先ほどの喫茶店――ポアロに来てください。もちろん万全の体調で。タオルの返却はその時にという事にしましょう」
どうですか?なんてさも提案を装うこの人には断らせる気が微塵もない。断られるとも思ってないだろうし、仮にこっちが断ったとしても代替案を仕掛けてくる気満々だ、間違いない。彼の予想を裏切ってとことん断り続けるという手もあったけど、一刻も早くこの場所から離れたかったわたしは今日の脱出を優先することにした。とにもかくにも、いったん安室さんの目の届く範囲から逃れなければ。
「……わかりました。近いうちに伺います」
「はいっ。ご来店を心よりお待ちしておりますね!」
――溢れんばかりの笑顔と弾けるような明るい声を間近で浴びて思った。本当にこの人これで二十九歳なの。若々しすぎるわ。
またしても傘を差すために車を降りようとする安室さんをどうにか押し留めることはできたものの、走り去る白いスポーツカーを見送るわたしの頭上の雨はやんでいた。傘、持たされちゃったよ……。自分は折り畳み傘があるからって、ねえお兄さん、二本あるなら最初から貸し出すこともできたんじゃ……?そうすればわたしが車に同乗する必要はなくて、彼の愛車が無駄に汚れることもなかったのに。本当に体調を気遣われただけだったのか。
なんだか始終相手のペースに呑まれて終わったな。どうしてこうなった。精神的疲労を抱えつつアパートの部屋の前でパーカーのポケットを探る。……うそ。鍵が、ない。出てこない。強引に布地を裏返してみても、湿った住所の紙と安室さんにもらった名刺の他に出てくるものはなかった。
扉の前で立ち尽くすわたしの肩にはタオル。手には男物の傘。ほんとにもう、どうしてこーなった。