目覚めのデッドエンド
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タキシード仮面様と同じ声優さんが担当する彼は、本来なら沖矢さんと同じくらい出会ってはいけない存在だった。むしろ誰だかわかってしまった時点で沖矢さんよりまずい。沖矢さんのときは完全に初対面の対応ができたけど、今回はそれも意識して行わなければならなくなった。彼はただのアルバイターじゃない。厄介なことに鋭い嗅覚をお持ちの探偵で、組織の探り屋で、優秀なお巡りさんである。それくらいの基礎知識は持っていた。それほど古い記憶でもないしね。この不慮のイベントを何事もなく終わらせられるだろうか。うーん、不安しかない。
受け取った白いタオルは柔軟剤のCMみたいにふんわりしていた。たぶん触り心地がいいはずのそれに顔を埋めてみる。もちろん感触もわからなければ匂いもしない。次に、畳まれたタオルを広げて頭にかぶせた。いつものわたしならがしがし拭くけどこれだけ長い髪はどう扱えばいいのやら。とりあえず後ろ髪を左肩から胸元へと流した。やっぱり邪魔になるくらい長いな……。人生初のロングヘアーを持て余していると、テーブルの上にコーヒーが運ばれてきた。見上げれば安室透スマイルが降ってくる。キラキラキラ。
「どうぞ。ぶつかってしまったお詫びなのでお代は結構です。僕は後片付けをさせていただきますが、ごゆっくりなさってください」
「ありがとうございます……」
タダはありがたい。……あ。お金を払おうにもわたしって無一文じゃなかろうか。持ち物と言えば紙と鍵しかなくて、あとは文字どおり着の身着のまま。よくこれで喫茶店に入ろうと思ったな。そんなつもりは毛頭なかった。心の中で誰にともなく言い訳を展開した。
とにかく、この場を早々に切り上げるためには彼の強引な好意をありがたく頂戴するしかない。頭の上のタオルを肩に羽織るように移動させ、視線を目の前のコーヒーカップに注いだ。
いい匂いがするんだろうな、と思う。黒い水面から漂ってくる湯気を眺めているとなんとなーく、かすかに香りが伝わってくるような。気のせいだろうけど。香りを想像するくらいはできる。コーヒーだからね。
ブラックはあんまり好きじゃない子供舌だからミルクを入れる。細かい作業に苦戦しつつも投入に成功。スプーンでぐるぐる渦を作る。砂糖は別にいいや。もっとミルクが欲しいなんて言ったらわがままだろう。
(――って、そういえばなにか口にするのってこれが初めてじゃない……?)
力加減を誤ってうっかりカップを落っことしそうになる。せ、セーフ。弁償することになったら大変だと両手で包み込んだ。熱さは少しも感じられなかった。
慎重に持ち上げたカップに口をつけたところで、遅ればせながら気づいた。そういやこの夢が始まってからなにも飲んだことがないし、食べたことがなかった。と、気づいた瞬間わからなくなった。なにがって?どうやったらこれを飲めるのか、が。
「……」
わたしはフリーズした。今、この口には液体が入ってるのか、いないのか。それすらわからない。一口分くらい入っていると仮定しよう。これをどうすれば飲み込むことができるんだ。いや待て、淹れ立てのコーヒーなんだからまずはふうふうしないとダメでしょ。手遅れだ。火傷したかも。口に入ったのだとしたらとりあえず飲み込め。ほら、ごくん。わかる?ごくんって。ダメだ、さっぱりわからない。ひとまずわたしよ落ち着け。
混乱していたらそのうち呼吸の仕方まで見失いそうになって、カップをソーサーに戻す音がやや乱暴に響いた。肩にかけたタオルの端で口を塞ぐ。自分の状態がどうであってもリバースだけは。吐くのだけは避けないと。
「――お口に合いませんでしたか?それともご気分でも……?」
異変に気づいた安室さんが声をかけてくる。つられるように顔を上げるとちょうどお手洗いのドアが目に入って、わたしは彼に小さく頭を下げると一目散にそこに向かった。もたつきながら席を立ち、こけそうになりながらもドアの向こうに入り込む。洗面台に縋りついて項垂れたら、少量の茶色い水分が中に落ちた。よかった、ちょっとしか口に入ってなかった……。
長い髪の毛に囲われた暗い視界の中で溜め息の音がした。新たな出会いで得た、新たな事実。この作り物の身体についての知識が増えるのはいいことだけどさあ。ひとりでいるときにわかりたいもんだよね、と。きっかけをくれるのが他人なんだからしょうがない。人間もどきっぽいわたしが人間らしく振る舞うのは難しいようだと再確認した。
しばらく俯いてぼんやりしていたら、いつの間にか安室さんが背後に立っていてびっくりしてしまった。ドアが開いたことにも、人の気配にも気がつかなかった。鏡越しにばっちり目が合った。
「申し訳ありません、失礼ながら勝手に開けさせていただきました。応答がなかったものですから心配になって……。大丈夫ですか?」
鏡の中の彼が背中をさすってくれている。別に気持ち悪くなったんじゃないけど、この場合はそう捉えるのが普通だろう。わたしは口から出したままになっていた液体を咄嗟に水道水で流した。吐瀉物じゃなかったことが唯一の救いだ。このうえ配水管を詰まらせるなんてことになったらスライディング土下座を披露するしか道はなかった。
「もう大丈夫です。大変ご迷惑をおかけしました。せっかくいただいたコーヒーも残してしまって」
「体調の悪いあなたにコーヒーを飲めなんて無理強いはしませんよ。お詫びのつもりでしたが、配慮が足りませんでしたね」
「いえ、全面的に悪いのはこちらですから」
テーブルまでエスコートしてくれる彼はなんて親切な人なんだろう。安室さんは一口にも満たない量しか減っていないコーヒーカップを下げた。申し訳ない。気遣われるほどに肩身が狭い。本当は体調不良なんかじゃないんです、仕様なんです。これぞ言えない真実。こんな客とも呼べない厄介者はさっさとお暇するのが彼のため。わたしのためでもある。
「すみませんでした。もう帰ります」
「ご気分が優れないのでしょう?あまり動かない方がいい。もうしばらくここでゆっくりなさっては……?横になっていただいても構いませんから」
「いえ、もう本当に……。自宅に帰っておとなしく寝ます」
あるのは自宅じゃなくて仮拠点だけど。カウンター席の向こう側でカチャカチャと食器を洗う音、続いてきゅっと水道の栓を閉める音がして、顔を上げた彼がわたしを視線で縫い止めた。
「わかりました。それでは表に車を回しますから、少しお待ちいただけますか?」
え……ってなるよねそりゃあ。さも当然のように家まで送ろうとする親切なお兄さんにまたしても固辞の言葉を紡ごうとするも、レパートリーが少なくて同じ台詞を繰り返すロボットみたいになってしまう。そんなわたしとは対照的に、エプロンを外しながらやってきた彼はわたしを柔らかく見下ろしてこう言うのだ。
「あなたを無事に家まで送り届けないと、僕の気が休まらないんです。僕が今日という日を気持ちよく終えるために、どうか協力していただけませんか」
あくまで自分のためなのだと主張する安室さん。圧倒的な口の巧さ。気障な台詞をごく自然にぽんぽん口にしてしまえるんだから恐れ入る。対するわたしは所詮通行人Aのモブ。対抗するなんてどだい無理な話だった。
受け取った白いタオルは柔軟剤のCMみたいにふんわりしていた。たぶん触り心地がいいはずのそれに顔を埋めてみる。もちろん感触もわからなければ匂いもしない。次に、畳まれたタオルを広げて頭にかぶせた。いつものわたしならがしがし拭くけどこれだけ長い髪はどう扱えばいいのやら。とりあえず後ろ髪を左肩から胸元へと流した。やっぱり邪魔になるくらい長いな……。人生初のロングヘアーを持て余していると、テーブルの上にコーヒーが運ばれてきた。見上げれば安室透スマイルが降ってくる。キラキラキラ。
「どうぞ。ぶつかってしまったお詫びなのでお代は結構です。僕は後片付けをさせていただきますが、ごゆっくりなさってください」
「ありがとうございます……」
タダはありがたい。……あ。お金を払おうにもわたしって無一文じゃなかろうか。持ち物と言えば紙と鍵しかなくて、あとは文字どおり着の身着のまま。よくこれで喫茶店に入ろうと思ったな。そんなつもりは毛頭なかった。心の中で誰にともなく言い訳を展開した。
とにかく、この場を早々に切り上げるためには彼の強引な好意をありがたく頂戴するしかない。頭の上のタオルを肩に羽織るように移動させ、視線を目の前のコーヒーカップに注いだ。
いい匂いがするんだろうな、と思う。黒い水面から漂ってくる湯気を眺めているとなんとなーく、かすかに香りが伝わってくるような。気のせいだろうけど。香りを想像するくらいはできる。コーヒーだからね。
ブラックはあんまり好きじゃない子供舌だからミルクを入れる。細かい作業に苦戦しつつも投入に成功。スプーンでぐるぐる渦を作る。砂糖は別にいいや。もっとミルクが欲しいなんて言ったらわがままだろう。
(――って、そういえばなにか口にするのってこれが初めてじゃない……?)
力加減を誤ってうっかりカップを落っことしそうになる。せ、セーフ。弁償することになったら大変だと両手で包み込んだ。熱さは少しも感じられなかった。
慎重に持ち上げたカップに口をつけたところで、遅ればせながら気づいた。そういやこの夢が始まってからなにも飲んだことがないし、食べたことがなかった。と、気づいた瞬間わからなくなった。なにがって?どうやったらこれを飲めるのか、が。
「……」
わたしはフリーズした。今、この口には液体が入ってるのか、いないのか。それすらわからない。一口分くらい入っていると仮定しよう。これをどうすれば飲み込むことができるんだ。いや待て、淹れ立てのコーヒーなんだからまずはふうふうしないとダメでしょ。手遅れだ。火傷したかも。口に入ったのだとしたらとりあえず飲み込め。ほら、ごくん。わかる?ごくんって。ダメだ、さっぱりわからない。ひとまずわたしよ落ち着け。
混乱していたらそのうち呼吸の仕方まで見失いそうになって、カップをソーサーに戻す音がやや乱暴に響いた。肩にかけたタオルの端で口を塞ぐ。自分の状態がどうであってもリバースだけは。吐くのだけは避けないと。
「――お口に合いませんでしたか?それともご気分でも……?」
異変に気づいた安室さんが声をかけてくる。つられるように顔を上げるとちょうどお手洗いのドアが目に入って、わたしは彼に小さく頭を下げると一目散にそこに向かった。もたつきながら席を立ち、こけそうになりながらもドアの向こうに入り込む。洗面台に縋りついて項垂れたら、少量の茶色い水分が中に落ちた。よかった、ちょっとしか口に入ってなかった……。
長い髪の毛に囲われた暗い視界の中で溜め息の音がした。新たな出会いで得た、新たな事実。この作り物の身体についての知識が増えるのはいいことだけどさあ。ひとりでいるときにわかりたいもんだよね、と。きっかけをくれるのが他人なんだからしょうがない。人間もどきっぽいわたしが人間らしく振る舞うのは難しいようだと再確認した。
しばらく俯いてぼんやりしていたら、いつの間にか安室さんが背後に立っていてびっくりしてしまった。ドアが開いたことにも、人の気配にも気がつかなかった。鏡越しにばっちり目が合った。
「申し訳ありません、失礼ながら勝手に開けさせていただきました。応答がなかったものですから心配になって……。大丈夫ですか?」
鏡の中の彼が背中をさすってくれている。別に気持ち悪くなったんじゃないけど、この場合はそう捉えるのが普通だろう。わたしは口から出したままになっていた液体を咄嗟に水道水で流した。吐瀉物じゃなかったことが唯一の救いだ。このうえ配水管を詰まらせるなんてことになったらスライディング土下座を披露するしか道はなかった。
「もう大丈夫です。大変ご迷惑をおかけしました。せっかくいただいたコーヒーも残してしまって」
「体調の悪いあなたにコーヒーを飲めなんて無理強いはしませんよ。お詫びのつもりでしたが、配慮が足りませんでしたね」
「いえ、全面的に悪いのはこちらですから」
テーブルまでエスコートしてくれる彼はなんて親切な人なんだろう。安室さんは一口にも満たない量しか減っていないコーヒーカップを下げた。申し訳ない。気遣われるほどに肩身が狭い。本当は体調不良なんかじゃないんです、仕様なんです。これぞ言えない真実。こんな客とも呼べない厄介者はさっさとお暇するのが彼のため。わたしのためでもある。
「すみませんでした。もう帰ります」
「ご気分が優れないのでしょう?あまり動かない方がいい。もうしばらくここでゆっくりなさっては……?横になっていただいても構いませんから」
「いえ、もう本当に……。自宅に帰っておとなしく寝ます」
あるのは自宅じゃなくて仮拠点だけど。カウンター席の向こう側でカチャカチャと食器を洗う音、続いてきゅっと水道の栓を閉める音がして、顔を上げた彼がわたしを視線で縫い止めた。
「わかりました。それでは表に車を回しますから、少しお待ちいただけますか?」
え……ってなるよねそりゃあ。さも当然のように家まで送ろうとする親切なお兄さんにまたしても固辞の言葉を紡ごうとするも、レパートリーが少なくて同じ台詞を繰り返すロボットみたいになってしまう。そんなわたしとは対照的に、エプロンを外しながらやってきた彼はわたしを柔らかく見下ろしてこう言うのだ。
「あなたを無事に家まで送り届けないと、僕の気が休まらないんです。僕が今日という日を気持ちよく終えるために、どうか協力していただけませんか」
あくまで自分のためなのだと主張する安室さん。圧倒的な口の巧さ。気障な台詞をごく自然にぽんぽん口にしてしまえるんだから恐れ入る。対するわたしは所詮通行人Aのモブ。対抗するなんてどだい無理な話だった。