目覚めのデッドエンド
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腰のあたりまで垂れるストレートの黒髪はまるで貞子。その実鬱陶しい髪の下にある顔が一目見たら忘れられないくらいの超絶美人だなんて誰が思うだろう。精巧なお人形さんかと思う。透き通るように真っ白なすべすべの肌にはシミもシワも、産毛すら見当たらない。紫外線のダメージとは無縁の肌は加齢知らずか。……この顔でアラサーだなんて言われたらそりゃ驚くわ。
綺麗に整った眉にすっと通った鼻筋。唇は口紅いらずの色と潤い。なにより驚いたのが瞳の色だ。これぞ大和撫子という容貌の中で金色の輝きを放つ大きな目だけが異質だった。金色っていうか琥珀色?蜂蜜色?ともかく綺麗は綺麗なんだけど違和感が凄まじい。
これは自分を美化してるどころじゃない。まるっきり別人だ。洗面台にある備え付けの三面鏡でしげしげと自分を観察した結論をどう受け止めるべきか……。にしてもこの美人、表情筋死んでるな。
服装はフード付きの白いパーカーにゆったりとした黒のスウェットパンツ。どっちも部屋着として長年愛用しているわたしの持ち物だ。そこは忠実に再現してるのに顔はものすっごく夢見がちなのが羞恥心で悶絶しそう。体型の出にくい服だけどスタイルも確実に良くなってる。願望丸出しかよ。
一番に目を惹くのは容姿の改変で、次に気になったのは首を彩る太めの茶色いチョーカーの存在だった。これはわたしのじゃない。素材はなんだろう。ちょっとした高級感が漂っている。煩わしくなるくらい複雑な編み上げによって装着されているそれがどうしてだか気になって、不器用な指先で四苦八苦しながらもやっとのことで首を開放した。隠されていた白い喉元には――なにもない。試しに声を出してみても変化なし。チョーカーと言えば沖矢さんを思い出すけど、わたしはわたしの声のままだった。にしてもこの顔でこの声って。どうせなら相応に可愛い声にしてほしかった。
喉になにもなければなんでこんなに気になるんだろう。手でさすってみても感触がわからないから意味がないし。……と、三面鏡であらゆる角度からチェックしていたら。ついに、ありえないものが目に飛び込んできてしまった。
(……もう、なんでもありってことね……りょーかい)
喉じゃない。首だ。髪をかき分けて晒したうなじのあたりに、なんかある。一部だけ四角く皮膚を切り取ったように肌色がなくて、スケルトンでその奥にこう……配線とか銀色の無機質ななにかが見えた。なんだこれ。人工的に移植したっていうよりも、まるでわたしの中身が全部こうなのだと示すかのような露出。もしかしてあれか、シュワちゃん?ほら、機械に人間の皮膚を被したやつみたいになっちゃってるの?いくら夢だからってコナンにSF要素まで加えるとか、設定盛りすぎでしょうが。世界観がめちゃくちゃだ。
ターミネーターだかアンドロイドだか人造人間だか知らないが、とにかくコナンの世界にそぐわない存在であることはたしかである。こんなに濃い設定を作っちゃって、無事に一介のモブでいられるんだろうか。
どうやったら目が覚めるのかを自分なりに考えて、わたしはひとつの説を試みることにした。なんてことはない、よくある話だ。とりあえず、一度死んでみようかと思う。んー、作り物の身体だから壊してみるって感じなのかな。試すつもりが本当に死んでしまったら元も子もないけど、この肉体が本来のわたしのものじゃないことは証明できた。つまり、先の案に試すべき価値が生まれたのだ。
奇しくも『名探偵コナン』の世界は犯罪で溢れている。米花町にいれば自ずと事件と出くわすだろうし、巻き込まれる可能性にも期待できる。あとはそうだな。他人に迷惑をかけない方法での自死も探ってみよう。
ああ、それと主要キャラクターには近づかないように気をつけないとね。あれだけ事件に遭遇しながらも生還する彼らと親しくなれば、きっとこっちの生存率まで引き上げられてしまう。試す前に死ねなくなるのは非常に困る。よって、当面の方針は極力登場人物達と出会わないこと、万が一出会ってしまっても注意を引かないこととしよう。……沖矢さんは、もう手遅れだけれど。これ以上はダメ、絶対。
自分が仮の肉体に宿った魂のようなものだと認識して、その証しを再びチョーカーで覆い隠したのは何日も前のこと。いつもどおり適当に時間を飛ばした。……チョーカーはもう二度と外さない。元どおりに編み上げるのに気が遠くなるほどの時間を費やすことになった。
“事実”を知った衝撃で公園からアパートまでの道のりを覚える余裕はなかった。あの公園は始まりの場所とも言えるから、できることなら位置を正確に把握しておきたい。小さな紙と鍵を前ポケットにおさめて、わたしは仮拠点を出発した。このメモさえあれば当初の予定どおり人に尋ねるだけでアパートには帰ってこられる。今度はちゃんと見知らぬ人を頼ろう。
公園のある方向はなんとなくあっちかなあと、おそらく沖矢さんが送ってくれたであろう道をたどることにした。意識がとんと内側に向いていたせいか、景色はどこもかしこも見覚えがない。ここは右だったかな、左だったかな……と勘を頼りに適当に歩いているうちに見当違いの場所に来てしまった気がする。途中で建物の陰とか、道端のバス停のベンチで時間を早送りしながら地道な散策は続いた。
ある程度進んでは足を止めて小休憩を挟み、また歩く。肉体的な疲れはなかった。ないと思っていた。だけど感覚がないから実際のところはどうだっただろう。どこにリアルがあるかわからない夢だから。
気分をリフレッシュするつもりで閉じた目を開けると、一瞬で夜の帳が下りていた。基本的に行動するなら日中のほうがいいから夜間は飛ばしてたのに。もう一度目を瞑っても目の前の景色が明るくなることはなかった。おかしいなあ……。
しかもだ。なんと、雨が降っている。これまで一度だって悪天候に見舞われたことはない。野宿してるのに雨に降られないなんて不思議だったけど、そこはほら、夢だからで簡単に説明がつく。
遅い時間帯なのか、人はちらほらといるだけで一様に傘を差していた。地面はしっとりと街灯の光を反射する。……ということは、雨の中突っ立っていたわたしは濡れてるのか。こりゃ一回アパートまで戻らないと、いくら人目につきにくいからってさすがに体裁が悪い。
(こういうときに限って沖矢さんに会わないとも限らないしねえ……)
だからそれフラグ、なんて心の中で自分に突っ込みを入れる。とりあえず一時的に雨宿りしようと目についた場所に避難した。いつもならハンカチの一枚も持ってるんだけどな。ちらりと見下ろした服の状態ではたとえハンカチがあったとしても無意味だと悟る。
カランカラン、と不意に背後で鳴った音につられるようにしてわたしは振り向いた。ぱっと扉の向こうから現れた人の見開いた目は、青い。
「――うわっ……、っと!」
いきなり至近距離に人が出現したら鈍い身体だと対応できない。多少はのけぞろうという意思が働いたとしても到底体勢を維持できず、どんっとぶつかった拍子に景色が回った。仰向けに転倒するなんて滅多にない経験を今まさにする寸前で、驚きの声を上げた青年が素早く距離を詰めた。同時に逆回転で景色が戻ってきたけど勢い余って相手の肩口に頭突きをかましてしまった。わたしは悪くない、よね?
「す、すみません!いらっしゃる事に気づかなくて……お怪我はありません、か……」
この声、どっかで聞いたことあるな。あれ、デジャヴ?わたしはお兄さんの胸元に両手を当てながらのんきに考えた。あ、うんわかった。これはあれだ、たしかガンダムの。親父にもぶたれたことないのにーってやつ。そう、アムロだ。アムロ、
(レイ)
まあ世代としてはアムロ・レイじゃなくてタキシード仮面様なんだけどねー。あの頃は本当に好きだったなあ、セーラームーン。……と懐かしんだのはつかの間で、わたしははたと我に返る。なんでここでタキシード仮面様の声が?
ようやく意識が内側から外側に向けられた。わたしは転倒未遂の原因であり、腰を抱き取って阻止してくれた相手と目を合わせていた。驚きのあまり言葉を失う。内心ではひえっと叫んだ。――なんだこの途轍もなく綺麗な人は。
明るい髪色。褐色の肌。大きく見開かれたのは灰色がかった青い瞳。ハーレクインに出てきそうな見目麗しいお兄さんは雑誌の表紙を飾るモデルさん?この至近距離で一切欠点が見出せないのは光源が少ないからとか、絶対にそんな理由じゃない。まさに完璧。この日本で王子様だと言われたとしてもすんなり納得できる。
……ところで。イケメンに一見抱きしめられているこの状況をどうしようか。あまりにも長い間無言で食い入るように見つめられるから、わたしのほうが一足先に正気を取り戻した。なんかこの状況にも既視感を覚えるんだけど。いつの記憶とかぶるんだっけ。声と、無言。わたしがこの世界で人と接した記憶なんてたかが知れている。そしてすぐに思い至った。この乙女ゲーム的には最高のシチュエーションって――……ああ、なんてこった。
「こちらこそ、勝手に雨宿りに使わせていただいてしまって、すみませんでした」
謝りながら胸元をそっと押し返した。わたしにくっついてたら濡れますよ、お兄さん。呆気なくふらりと後ずさった彼がハッとしたように瞬きをする。おお、まつげが長くてキラキラしてるぞ。夢から覚めたような顔をして、次の瞬間には申し訳なさそうな表情が取り繕われた。
「あ、いえ、僕の方こそ初対面の女性に対してとんだ失礼を」
「おかげさまで転ばずにすみました」
わたしは今度こそしっかりと一歩後ろに下がった。そのまま視線を横に流せば、やはりと言うべきか飛び込んでくる文字がある。ポアロ。うん、『コナン』の世界においてメジャーすぎる店名だ。わざわざ見上げなくても知ってる、この上には名探偵毛利小五郎の事務所があるんだろう。
わたしが探してたのは公園だったはずなんだけどなー。どうしてこうなった。どうやったらこうなるんだ。なぜよりにもよってここにたどり着く。これがこの夢の仕様だなんて信じたくない。
わたしが取るべき選択肢はたったひとつ。速やかにこの場を離れること、そして二度とこのあたりに近づかないことだ。至極単純明快、では早速。改めて頭を下げて踵を返す。はい、さようなら。こうして彼と視線や言葉を交わし、ましてや触れ合うなんていう奇跡を、きっと大枚をはたいてでも実際に体験したい人間はごまんといるに違いない。現実世界でも、おそらくこの世界でも。わたしはタダで経験できてラッキーでした。それだけだ。本当に。ねえ。そういうことにしてもらえませんかね、後生だから。
「……あの、なにか?」
前に進めなくなったのは身体の不具合じゃなくて。腕を掴まれてる。なにこれ。拘束する手から腕、そしてその人の顔を順々に眺めると、エプロンを身につけたお兄さんはわたしを再び赤いひさしの下に引き戻しつつ、人好きのする笑顔を向けてきた。うっ、神々しいご尊顔に目が潰れそう。
「傘、お持ちじゃありませんよね?天気予報ではこれからさらに雨足が強くなるとか。これも何かの縁ですし、よろしければ中にどうぞ。タオルをお貸ししましょう。そのままだと風邪をひいてしまいますよ」
「……お気持ちだけで十分です。ご迷惑をおかけするわけにはいきません」
「迷惑だったらこちらから提案したりしません。ちょうど閉めるところだったので、僕の他に誰もいませんから。……困っている女性をこのまま外に放り出すような情けない男にさせないでくれませんか?」
茶目っ気たっぷりに懇願して首を傾げる姿は計算ずくだと思われる。それでも様になるんだから外見の良し悪しは対人関係においてやっぱり重要だ。しみじみ。でもわたしを困らせてるのはお兄さんなので、助けてくれる気があるならどうぞこのまま外に放り出してほしい。
これだけ言われたら、それじゃあお言葉に甘えて……となるのが普通だろうけど。わたしはその好意をあえて振り払おう。どうせ二度目ましてのない関係だ、せいぜい空気の読めない人間を演じておくことにする。
「本当にお気持ちだけで結構ですので。失礼します」
そう固辞して、いまだに掴まれている腕から手を振りほどこうとした。あれれ、動かない。振りほどくという動作にすら持ち込めない。びくともしない、んですけど……?え?
「まあそう仰らずに。お詫びにサービスしますから、ね?」
彼はにっこり笑うとぱっと腕を解放して、さっとわたしの背中に手を添えた。ぐいぐい押されて足が踏ん張れない。もう一方の手で扉を開いたお兄さんはわたしを店内に連れ込むと、そのまま手近なテーブル席に押し込んだ。
「あの、椅子が濡れて……」
「タオル、取ってきますね」
笑顔の圧に屈した。しがない通行人Aが主要人物に勝てるはずがなかった。彼が奥に引っ込んでから戻ってくるまでの間、わたしはがらんとした店内を手持ち無沙汰に見渡した。これがかの有名な喫茶ポアロか……。上の階には“彼ら”が住んでいて、この席にはもしかしたら知った顔が座っていたかもしれないと思うとちょっとだけ感慨深かった。ただの現実逃避だ。てか、夢だったねこれ。
綺麗に整った眉にすっと通った鼻筋。唇は口紅いらずの色と潤い。なにより驚いたのが瞳の色だ。これぞ大和撫子という容貌の中で金色の輝きを放つ大きな目だけが異質だった。金色っていうか琥珀色?蜂蜜色?ともかく綺麗は綺麗なんだけど違和感が凄まじい。
これは自分を美化してるどころじゃない。まるっきり別人だ。洗面台にある備え付けの三面鏡でしげしげと自分を観察した結論をどう受け止めるべきか……。にしてもこの美人、表情筋死んでるな。
服装はフード付きの白いパーカーにゆったりとした黒のスウェットパンツ。どっちも部屋着として長年愛用しているわたしの持ち物だ。そこは忠実に再現してるのに顔はものすっごく夢見がちなのが羞恥心で悶絶しそう。体型の出にくい服だけどスタイルも確実に良くなってる。願望丸出しかよ。
一番に目を惹くのは容姿の改変で、次に気になったのは首を彩る太めの茶色いチョーカーの存在だった。これはわたしのじゃない。素材はなんだろう。ちょっとした高級感が漂っている。煩わしくなるくらい複雑な編み上げによって装着されているそれがどうしてだか気になって、不器用な指先で四苦八苦しながらもやっとのことで首を開放した。隠されていた白い喉元には――なにもない。試しに声を出してみても変化なし。チョーカーと言えば沖矢さんを思い出すけど、わたしはわたしの声のままだった。にしてもこの顔でこの声って。どうせなら相応に可愛い声にしてほしかった。
喉になにもなければなんでこんなに気になるんだろう。手でさすってみても感触がわからないから意味がないし。……と、三面鏡であらゆる角度からチェックしていたら。ついに、ありえないものが目に飛び込んできてしまった。
(……もう、なんでもありってことね……りょーかい)
喉じゃない。首だ。髪をかき分けて晒したうなじのあたりに、なんかある。一部だけ四角く皮膚を切り取ったように肌色がなくて、スケルトンでその奥にこう……配線とか銀色の無機質ななにかが見えた。なんだこれ。人工的に移植したっていうよりも、まるでわたしの中身が全部こうなのだと示すかのような露出。もしかしてあれか、シュワちゃん?ほら、機械に人間の皮膚を被したやつみたいになっちゃってるの?いくら夢だからってコナンにSF要素まで加えるとか、設定盛りすぎでしょうが。世界観がめちゃくちゃだ。
ターミネーターだかアンドロイドだか人造人間だか知らないが、とにかくコナンの世界にそぐわない存在であることはたしかである。こんなに濃い設定を作っちゃって、無事に一介のモブでいられるんだろうか。
どうやったら目が覚めるのかを自分なりに考えて、わたしはひとつの説を試みることにした。なんてことはない、よくある話だ。とりあえず、一度死んでみようかと思う。んー、作り物の身体だから壊してみるって感じなのかな。試すつもりが本当に死んでしまったら元も子もないけど、この肉体が本来のわたしのものじゃないことは証明できた。つまり、先の案に試すべき価値が生まれたのだ。
奇しくも『名探偵コナン』の世界は犯罪で溢れている。米花町にいれば自ずと事件と出くわすだろうし、巻き込まれる可能性にも期待できる。あとはそうだな。他人に迷惑をかけない方法での自死も探ってみよう。
ああ、それと主要キャラクターには近づかないように気をつけないとね。あれだけ事件に遭遇しながらも生還する彼らと親しくなれば、きっとこっちの生存率まで引き上げられてしまう。試す前に死ねなくなるのは非常に困る。よって、当面の方針は極力登場人物達と出会わないこと、万が一出会ってしまっても注意を引かないこととしよう。……沖矢さんは、もう手遅れだけれど。これ以上はダメ、絶対。
自分が仮の肉体に宿った魂のようなものだと認識して、その証しを再びチョーカーで覆い隠したのは何日も前のこと。いつもどおり適当に時間を飛ばした。……チョーカーはもう二度と外さない。元どおりに編み上げるのに気が遠くなるほどの時間を費やすことになった。
“事実”を知った衝撃で公園からアパートまでの道のりを覚える余裕はなかった。あの公園は始まりの場所とも言えるから、できることなら位置を正確に把握しておきたい。小さな紙と鍵を前ポケットにおさめて、わたしは仮拠点を出発した。このメモさえあれば当初の予定どおり人に尋ねるだけでアパートには帰ってこられる。今度はちゃんと見知らぬ人を頼ろう。
公園のある方向はなんとなくあっちかなあと、おそらく沖矢さんが送ってくれたであろう道をたどることにした。意識がとんと内側に向いていたせいか、景色はどこもかしこも見覚えがない。ここは右だったかな、左だったかな……と勘を頼りに適当に歩いているうちに見当違いの場所に来てしまった気がする。途中で建物の陰とか、道端のバス停のベンチで時間を早送りしながら地道な散策は続いた。
ある程度進んでは足を止めて小休憩を挟み、また歩く。肉体的な疲れはなかった。ないと思っていた。だけど感覚がないから実際のところはどうだっただろう。どこにリアルがあるかわからない夢だから。
気分をリフレッシュするつもりで閉じた目を開けると、一瞬で夜の帳が下りていた。基本的に行動するなら日中のほうがいいから夜間は飛ばしてたのに。もう一度目を瞑っても目の前の景色が明るくなることはなかった。おかしいなあ……。
しかもだ。なんと、雨が降っている。これまで一度だって悪天候に見舞われたことはない。野宿してるのに雨に降られないなんて不思議だったけど、そこはほら、夢だからで簡単に説明がつく。
遅い時間帯なのか、人はちらほらといるだけで一様に傘を差していた。地面はしっとりと街灯の光を反射する。……ということは、雨の中突っ立っていたわたしは濡れてるのか。こりゃ一回アパートまで戻らないと、いくら人目につきにくいからってさすがに体裁が悪い。
(こういうときに限って沖矢さんに会わないとも限らないしねえ……)
だからそれフラグ、なんて心の中で自分に突っ込みを入れる。とりあえず一時的に雨宿りしようと目についた場所に避難した。いつもならハンカチの一枚も持ってるんだけどな。ちらりと見下ろした服の状態ではたとえハンカチがあったとしても無意味だと悟る。
カランカラン、と不意に背後で鳴った音につられるようにしてわたしは振り向いた。ぱっと扉の向こうから現れた人の見開いた目は、青い。
「――うわっ……、っと!」
いきなり至近距離に人が出現したら鈍い身体だと対応できない。多少はのけぞろうという意思が働いたとしても到底体勢を維持できず、どんっとぶつかった拍子に景色が回った。仰向けに転倒するなんて滅多にない経験を今まさにする寸前で、驚きの声を上げた青年が素早く距離を詰めた。同時に逆回転で景色が戻ってきたけど勢い余って相手の肩口に頭突きをかましてしまった。わたしは悪くない、よね?
「す、すみません!いらっしゃる事に気づかなくて……お怪我はありません、か……」
この声、どっかで聞いたことあるな。あれ、デジャヴ?わたしはお兄さんの胸元に両手を当てながらのんきに考えた。あ、うんわかった。これはあれだ、たしかガンダムの。親父にもぶたれたことないのにーってやつ。そう、アムロだ。アムロ、
(レイ)
まあ世代としてはアムロ・レイじゃなくてタキシード仮面様なんだけどねー。あの頃は本当に好きだったなあ、セーラームーン。……と懐かしんだのはつかの間で、わたしははたと我に返る。なんでここでタキシード仮面様の声が?
ようやく意識が内側から外側に向けられた。わたしは転倒未遂の原因であり、腰を抱き取って阻止してくれた相手と目を合わせていた。驚きのあまり言葉を失う。内心ではひえっと叫んだ。――なんだこの途轍もなく綺麗な人は。
明るい髪色。褐色の肌。大きく見開かれたのは灰色がかった青い瞳。ハーレクインに出てきそうな見目麗しいお兄さんは雑誌の表紙を飾るモデルさん?この至近距離で一切欠点が見出せないのは光源が少ないからとか、絶対にそんな理由じゃない。まさに完璧。この日本で王子様だと言われたとしてもすんなり納得できる。
……ところで。イケメンに一見抱きしめられているこの状況をどうしようか。あまりにも長い間無言で食い入るように見つめられるから、わたしのほうが一足先に正気を取り戻した。なんかこの状況にも既視感を覚えるんだけど。いつの記憶とかぶるんだっけ。声と、無言。わたしがこの世界で人と接した記憶なんてたかが知れている。そしてすぐに思い至った。この乙女ゲーム的には最高のシチュエーションって――……ああ、なんてこった。
「こちらこそ、勝手に雨宿りに使わせていただいてしまって、すみませんでした」
謝りながら胸元をそっと押し返した。わたしにくっついてたら濡れますよ、お兄さん。呆気なくふらりと後ずさった彼がハッとしたように瞬きをする。おお、まつげが長くてキラキラしてるぞ。夢から覚めたような顔をして、次の瞬間には申し訳なさそうな表情が取り繕われた。
「あ、いえ、僕の方こそ初対面の女性に対してとんだ失礼を」
「おかげさまで転ばずにすみました」
わたしは今度こそしっかりと一歩後ろに下がった。そのまま視線を横に流せば、やはりと言うべきか飛び込んでくる文字がある。ポアロ。うん、『コナン』の世界においてメジャーすぎる店名だ。わざわざ見上げなくても知ってる、この上には名探偵毛利小五郎の事務所があるんだろう。
わたしが探してたのは公園だったはずなんだけどなー。どうしてこうなった。どうやったらこうなるんだ。なぜよりにもよってここにたどり着く。これがこの夢の仕様だなんて信じたくない。
わたしが取るべき選択肢はたったひとつ。速やかにこの場を離れること、そして二度とこのあたりに近づかないことだ。至極単純明快、では早速。改めて頭を下げて踵を返す。はい、さようなら。こうして彼と視線や言葉を交わし、ましてや触れ合うなんていう奇跡を、きっと大枚をはたいてでも実際に体験したい人間はごまんといるに違いない。現実世界でも、おそらくこの世界でも。わたしはタダで経験できてラッキーでした。それだけだ。本当に。ねえ。そういうことにしてもらえませんかね、後生だから。
「……あの、なにか?」
前に進めなくなったのは身体の不具合じゃなくて。腕を掴まれてる。なにこれ。拘束する手から腕、そしてその人の顔を順々に眺めると、エプロンを身につけたお兄さんはわたしを再び赤いひさしの下に引き戻しつつ、人好きのする笑顔を向けてきた。うっ、神々しいご尊顔に目が潰れそう。
「傘、お持ちじゃありませんよね?天気予報ではこれからさらに雨足が強くなるとか。これも何かの縁ですし、よろしければ中にどうぞ。タオルをお貸ししましょう。そのままだと風邪をひいてしまいますよ」
「……お気持ちだけで十分です。ご迷惑をおかけするわけにはいきません」
「迷惑だったらこちらから提案したりしません。ちょうど閉めるところだったので、僕の他に誰もいませんから。……困っている女性をこのまま外に放り出すような情けない男にさせないでくれませんか?」
茶目っ気たっぷりに懇願して首を傾げる姿は計算ずくだと思われる。それでも様になるんだから外見の良し悪しは対人関係においてやっぱり重要だ。しみじみ。でもわたしを困らせてるのはお兄さんなので、助けてくれる気があるならどうぞこのまま外に放り出してほしい。
これだけ言われたら、それじゃあお言葉に甘えて……となるのが普通だろうけど。わたしはその好意をあえて振り払おう。どうせ二度目ましてのない関係だ、せいぜい空気の読めない人間を演じておくことにする。
「本当にお気持ちだけで結構ですので。失礼します」
そう固辞して、いまだに掴まれている腕から手を振りほどこうとした。あれれ、動かない。振りほどくという動作にすら持ち込めない。びくともしない、んですけど……?え?
「まあそう仰らずに。お詫びにサービスしますから、ね?」
彼はにっこり笑うとぱっと腕を解放して、さっとわたしの背中に手を添えた。ぐいぐい押されて足が踏ん張れない。もう一方の手で扉を開いたお兄さんはわたしを店内に連れ込むと、そのまま手近なテーブル席に押し込んだ。
「あの、椅子が濡れて……」
「タオル、取ってきますね」
笑顔の圧に屈した。しがない通行人Aが主要人物に勝てるはずがなかった。彼が奥に引っ込んでから戻ってくるまでの間、わたしはがらんとした店内を手持ち無沙汰に見渡した。これがかの有名な喫茶ポアロか……。上の階には“彼ら”が住んでいて、この席にはもしかしたら知った顔が座っていたかもしれないと思うとちょっとだけ感慨深かった。ただの現実逃避だ。てか、夢だったねこれ。