短編まとめ
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なぜ君はわらうの
***
その笑顔がおそろしいと思った。
人は皆、“彼”の笑顔が好ましいと言う。
優しい“彼”が好ましいと言う。
分からない。
なぜ“彼”がそんなに好まれるのかが分からない。
だから私は“彼”を避けた。
実習で“彼”と組むことになった時、こっそり隣の子とクジを入れ替えた。
クジを入れ替えるのは慣れたものだ。
隣の子は喜んだ。“彼”と組めると喜んだ。
“彼”はクジをじっと見て、そして笑った。
こわい。
“彼”の笑顔がこわい。
「クジの相手ではなく、余所のペアに夢中とは余裕だな。珠雪」
「鉢屋三郎」
かけられた声の方を向けば、“彼”と同じ顔が笑っていた。
ああ、大丈夫。こわくない。
「そんなに雷蔵が気になるのなら、組めば良かっただろうに」
さりげなく私のしたズルを見抜くが、必要以上に咎めない。
そんな鉢屋の気遣いが、今はありがたい。
「気になってるんじゃないんだ」
自分ではない桃色の装束が“彼”と一緒に走り出すのを見送る。
早く出発せんか、と木下先生の叱咤を背に、鉢屋とゆっくり歩きだす。
「じゃあ、なんだ?」
「……言えない」
“彼”の顔が気に入って借りているであろう鉢屋には、特に。
いや、顔だけじゃないだろう。“彼”のことを気に入って、とても大切に思っている。
そんな鉢屋には、絶対言えない。
「そう言われると、余計に気になるな」
いつの間にか周りの景色は森の中。
木々の間を跳ねて飛んですり抜け、その間に与えられた暗号を解きつつも、鉢屋は言う。
「少しは課題に集中してみたら?」
「集中する間でも無いさ」
珠雪もわかってるだろ?
普通に会話する事に飽きたらしい鉢屋に矢羽音 で問われて、息を吐く。
忍び文字を駆使した暗号の答えは一目見れば分かった。
私にだって分かったのだから、天才である鉢屋には息をするより容易い課題のはずだ。
それよりも、不可解なことがある。
「何で私のことを気にするんだ」
鉢屋と組むのはこれが初めてではない。
“彼”を避けて誰かと組むとなる時、なぜか大抵、鉢屋と組む事になる。
正直、他の忍たまと組むよりも鉢屋と組めるのは助かる。
男女で組むとなると、少なからずトキメキを求める輩は多く(男女に興味のある年頃だし、しょうがない事だとも理解しているのだけど)、任務に身が入らない忍たまの同級生を何度見捨てたいと思ったことか。
その点、鉢屋は淡々としている。
鉢屋の興味はもっぱら、“彼”にしか向かない。“彼”以外はどうでもいいのだろう。
余計な感情が無い分、任務に集中できる。
いつだってそうだった。
それなのに、今日は違う。
暗号の示す場所にたどり着き、首なし地蔵の前掛けの裏に仕掛けられた次の指示書を開く。
「ん?これはどういう意味だ? 鉢屋、知恵を貸し――」
「分からないのか、珠雪」
静かに鋭い声。
指示書に落ちる影に、鉢屋も次の暗号を見ているのだと思った。
「ああ、さっぱり」
「そうか」
次の瞬間、ぐいと手を引かれた。
ああ、何をするんだ鉢屋。指示書が落ちた。拾わないと、
「お前のそういうところが気に入ってた」
鉢屋の言葉の意味が分からない。
それは、なんの暗号だ?
「任務に集中する。当たり前の事を当たり前に出来るお前と組めるのが、気に入ってた」
風が吹く。
ああ、ほら、早く離せ。指示書が、
「でも、違った」
ふわりと、指示書が宙に舞う。
「お前は、雷蔵から逃げてるだけだ」
ふわりと、景色が回った。
「ずっと、雷蔵を意識し続けてるだけだ」
ふわり、と空が落ちていく。
「今日、確信した」
ふわ り、 と、 “彼”の 顔で 鉢屋 が、 笑った。
「珠雪、雷蔵が好きなんだな」
すとん、と。
音もなく、何かが落ちてくる。
「それが、たまらなく気に入らない」
***
雷蔵の事を意識している。
だから、雷蔵と関わらないようにする。
だから、雷蔵と組むのを避ける。
そのくせ、雷蔵と同じ顔の私と組む。
私がクジに細工をしても気づかない。
雷蔵と組むように細工をしても、更に細工をして回避する。
私と組む時は、他の男と組む時のような嫌悪も無く、一心に任務に集中する。
信頼されているのだと思った。
他の男とは違って、無防備な背中を預けられているのだと思った。
それが好意だとも思った。
だけど、違った。
「お前は、私を雷蔵の代わりにしただけだ」
雷蔵に近づくのが怖い。
嫌われるのが怖い。
だから、好かれる努力をするよりも、嫌われないように努力をした。
悟られないように近づかず。
だけど、近づきたい衝動は抑えられず。
雷蔵に変装した私を身代わりにした。
もちろん本物の雷蔵じゃない事を、お前は十分に理解している。
だからこそ、“私”には関心がない。
ほかの男に対する嫌悪も、“私”には無い。
私の行動も発言も、紙切れ一枚の課題よりも重要度が無い。
お前にとって“私”は男でもない、紙よりも軽い存在。
ただの身代わりの動く人型。
「お前にとって“私”は誰だ」
***
ぱちり、と何かが噛み合った音がした。
あるいは、何かがはじけた音だったかも知れない。
ああ、そうか。
私は、“彼”が――不破雷蔵が、好きだったのか。
けほ、と軽く咳が出た。
足払いされて背中を地面に打ち付けたせいだ。
それでも衝撃が少なかったのは、私の手を引きながら加減してくれたからだろう。
私を地面に押し倒した張本人は、私の上に馬乗りになったまま俯いている。
なんて無防備な姿。
こんな時、敵に襲撃されたら、ひとたまりも無いだろうに。
ああ、困った。
こんなに突然、気づく事になるなんて。
「“私”は誰だ?」
上げた声に、鉢屋の肩がピクリと動く。
ああ、なんて隙だらけ。
背に力を入れ、体を跳ねさせ、鉢屋の体を瞬時に一寸だけ持ち上げる。
驚いた鉢屋の顔が一瞬だけ見えた。
ああ、不破と同じ顔だ。だけど、それだけだ。
ほんの一寸の鉢屋の足の隙間に体を滑りこませ、鉢屋の背に回り込んだ勢いそのまま。
鉢屋の背中に抱きついた。
「……何してる」
「“鉢屋三郎”に抱きついた」
本来なら、ここでは背中でなく首に組みついて締め上げて気絶させるのが効果的なのだけど。
他の男なら、きっとそうしておいて、一人でさっさと課題を続けてしまうのだけど。
本来ならペアでクリアしなければいけない課題を一人でクリアした罰として補修を受けるのだけど。
「私のペアは“鉢屋三郎”以外の何者でもないだろ?」
抱きついた背中は、温かい。
いつも冷静ぶってるからてっきり冷たいのかと思ったのに。
想像と違うなあ、なんて思っていると、抱きついている背中がほんの少しだけ震えた。
「どうした鉢屋」
何か悪い事をしただろうか、と力を緩める。
途端、振り向いた鉢屋に正面から抱きしめられた。
「ちょっと、鉢屋。苦しいから」
骨が折れるんじゃないかと思うくらい、強く抱きしめられる。
ああほら、やっぱり温かい。
はぁー、と私の肩に顔を埋めた鉢屋が深いため息をつく。
その長いため息が忍び装束から出てる肌に当たってくすぐったい。
くすぐったさから身をよじりたいけど、強く抱きしめられすぎて身動きが取れない。困った。
「珠雪。答え合わせをしたいんだが」
「どうぞ」
できればその前に力を緩めて欲しいけど。
骨が折れなければいいか、と我慢する。
「お前が雷蔵を好きだと思ってたのは私の勘違いか?」
「それは勘違いじゃないと思う」
「思う、って……」
鉢屋が顔を上げる。
至近距離で見る鉢屋の眉間の皺がなんだかおもしろい。
こつん、とおでこをくっつける。
ああ、こんな事、不破にはできない。だって、
「私は不破の事がおそろしかったんだ」
ごめんね、と鉢屋に呟く。
***
言われた事の意味が分からず、瞬き。
「傷つけるつもりじゃないんだ。それは分かってほしい」
そうじゃなくて、と腕の中のペアは続ける。
ぱちり、と何かが噛み合った音がした。
あるいは、何かがはじけた音だったかも知れない。
***
私は不破がおそろしかった。
いつだって優しくて、それでいて強くて。
どうでもいい事には優柔不断なのに、肝心な事は迷わない。
そして、何に対しても温かく受け入れる。
鉢屋三郎に関しても、不破の態度は変わらない。
一番おそろしかったのは、不破自身の変装を禁止しない事だ。
鉢屋が不破の姿で悪だくみなんてしないだろうが。
それでも、変装した鉢屋が本物の不破を差し置いて“不破雷蔵”になる事は怖くないのだろうか。
私だったらきっと耐えられない。
自分の知らないうちに、もう一人の自分が好きに動いている。
怖くて仕方ない。
自分よりも、よっぽど自分らしいもう一人。
あるいは、もう一人を初めて見た誰かにとっては、そのもう一人こそが私なのだ。
もう一人の私が、もし、本物の私より私になってしまったら。
それが、怖くて仕方ない。
そんな事を考えているのか、いないのか。
いつだって不破は優しくて。
その優しさがおそろしくて、そして、惹かれた。
好きだった。
気持ちの根っこはきっと、そういう事だった。
近寄りたいとも手に入れたいとも思わない。
だけど、とてつもなく憧れた。
「言葉にすると、なんだか照れるけど」
そう締めると、ようやく鉢屋の腕から力が抜けてきた。
よかった、骨が折れる前には解放された。
けれど、鉢屋の吐息は相変わらず肌に当たってくすぐったい。
軽く身をよじると、ニヤリとする鉢屋と目が合った。
分かってやってるな、こいつ。
「なるほど。つまり、雷蔵を好ましく思っている私が珠雪に嫉妬すると思ったのか」
「まぁ、その通りかな」
実力は六年生に匹敵するとも言われている鉢屋三郎を、好んで敵に回したいと思うものは少ない。
少なくとも、学園の中には居ないだろう。
だから不破に対しての好意は皆、暗黙のうちに言わないようになっている。
皆は。
でも私は、
「鉢屋に嫌われるのがおそろしかったから、余計に言えなかった」
気づいたのはついさっき。
景色がくるりと回ったあの時。
ふわりと笑った鉢屋三郎を見て、思ったのだ。
「鉢屋を失いたくない」
実習で鉢屋と一緒に組めるのは楽だった。
だって、鉢屋はずっと真っ直ぐだ。
不破雷蔵と双忍になる目標に向かって真っ直ぐだ。
その真っ直ぐな背中に惹かれた。
不破への憧れとは違う。
不破に私は近づけない。
不破は畏怖の対象で、それはきっと崇拝に近い。
私の手の届かない存在であって欲しい。
私の手の届かない所で、幸せに笑っていて欲しい。
だけど、
鉢屋は。
「そばに居て欲しい」
他の忍たまたちとは違う。
他の男性とは違う。
隣に居て、誰よりも心地いい存在。
隣に居て、誰よりも誇らしい存在。
だから、背を預けられる。
分からない事も、遠慮なく聞ける。
だから、どうか、
「消えないで、鉢屋」
ふわりと笑った鉢屋は、
今この瞬間に引き止めないと、きっと、
不破と同じ所へ行ってしまう。
私では触れられなくなってしまう。
妙な確信がある。
鉢屋は私が言わなければ、私から距離を取る。
同じ場所に居るのに、心を隠してしまう。
鉢屋に劣る私では、きっと見つけられない場所に。
だから、不破と全く同じように笑ったのだ。
「好きだよ、鉢屋」
双忍になることは止めない。
だけどどうか、それは鉢屋三郎と不破雷蔵であって。
不破雷蔵が二人になってしまったら、
鉢屋三郎はどこへいってしまうの。
きゅっ、と鉢屋の忍び装束を握る手に力を籠める。
いかないで。
そばに居て。
ああ、不破。
お願いだから、鉢屋を連れて行かないで。
「……参ったな」
ぽつり、と。
小さな声がしたと思ったら、鎖骨に鋭い痛み。
「せめて、珠雪が雷蔵に惚れてないとだけ分かれば、後はどうにでもなると思ってたのに」
思いがけず、欲しかったものが手に入るなんて。
続けられた言葉に頭がついていかない。
鎖骨を押さえようとする手をつかまれて、唇にかみつかれた。
ああ、鉢屋三郎だ。
不破雷蔵に変装しているのに、目の前の男は、まぎれもなく鉢屋三郎だ。
「私はどこにも行かないさ」
お前が引き止めてくれたから。
耳に吐息と共に落とされた言葉が、くすぐったい。
「私をその気にさせたんだ。覚悟しておけよ」
そう言って、鉢屋が笑う。
にやりと、笑う。
「もう、見逃してなんてやれない」
どれだけクジに細工を施しても。
もう、他の男となんて組ませてやれない。
たとえそれが雷蔵であっても。
唇を撫でられながら続けられる言葉に、世界が回る。
「この流れなら、続きをしたい所だけど」
今はこのくらいにしておこう。
そう言ってあっさりと立ち上がった鉢屋は、足元の紙を持ち上げる。
課題の紙だ。
ああ、良かった。
風に乗ってどこかに飛んでいってしまったのかと思った。
「その指示書、忍び文字だとは思うけど」
「ああ、その読みは当たってる。ただ、もう一ひねりあるな」
良かった。もうすっかり、いつもの鉢屋だ。
ほんの少し熱を帯びた体に叱咤して、立ち上がる。
私だってくのいちをめざす者だ。この程度の事で骨抜きにされている場合ではない。
鉢屋の持つ指示書を覗き込み、
「もう一ひねり、と言っただろ?」
口づけられた頬を押さえた私は、どんな顔をしているのだろう。
くすぐったそうに、誇らしそうに笑う鉢屋。
「さあ、まずはこの課題を終わらせるか」
一気にやる気になった鉢屋と力を合わせ、ペアの中で一番に課題をクリアした私たちに、
木下先生が呆れたような視線を向けたのは、半刻後の話。
≪ふわり、世界が回ったら≫
(それまで見えなかった、大切なものに気づきました)
180726
***
その笑顔がおそろしいと思った。
人は皆、“彼”の笑顔が好ましいと言う。
優しい“彼”が好ましいと言う。
分からない。
なぜ“彼”がそんなに好まれるのかが分からない。
だから私は“彼”を避けた。
実習で“彼”と組むことになった時、こっそり隣の子とクジを入れ替えた。
クジを入れ替えるのは慣れたものだ。
隣の子は喜んだ。“彼”と組めると喜んだ。
“彼”はクジをじっと見て、そして笑った。
こわい。
“彼”の笑顔がこわい。
「クジの相手ではなく、余所のペアに夢中とは余裕だな。珠雪」
「鉢屋三郎」
かけられた声の方を向けば、“彼”と同じ顔が笑っていた。
ああ、大丈夫。こわくない。
「そんなに雷蔵が気になるのなら、組めば良かっただろうに」
さりげなく私のしたズルを見抜くが、必要以上に咎めない。
そんな鉢屋の気遣いが、今はありがたい。
「気になってるんじゃないんだ」
自分ではない桃色の装束が“彼”と一緒に走り出すのを見送る。
早く出発せんか、と木下先生の叱咤を背に、鉢屋とゆっくり歩きだす。
「じゃあ、なんだ?」
「……言えない」
“彼”の顔が気に入って借りているであろう鉢屋には、特に。
いや、顔だけじゃないだろう。“彼”のことを気に入って、とても大切に思っている。
そんな鉢屋には、絶対言えない。
「そう言われると、余計に気になるな」
いつの間にか周りの景色は森の中。
木々の間を跳ねて飛んですり抜け、その間に与えられた暗号を解きつつも、鉢屋は言う。
「少しは課題に集中してみたら?」
「集中する間でも無いさ」
珠雪もわかってるだろ?
普通に会話する事に飽きたらしい鉢屋に
忍び文字を駆使した暗号の答えは一目見れば分かった。
私にだって分かったのだから、天才である鉢屋には息をするより容易い課題のはずだ。
それよりも、不可解なことがある。
「何で私のことを気にするんだ」
鉢屋と組むのはこれが初めてではない。
“彼”を避けて誰かと組むとなる時、なぜか大抵、鉢屋と組む事になる。
正直、他の忍たまと組むよりも鉢屋と組めるのは助かる。
男女で組むとなると、少なからずトキメキを求める輩は多く(男女に興味のある年頃だし、しょうがない事だとも理解しているのだけど)、任務に身が入らない忍たまの同級生を何度見捨てたいと思ったことか。
その点、鉢屋は淡々としている。
鉢屋の興味はもっぱら、“彼”にしか向かない。“彼”以外はどうでもいいのだろう。
余計な感情が無い分、任務に集中できる。
いつだってそうだった。
それなのに、今日は違う。
暗号の示す場所にたどり着き、首なし地蔵の前掛けの裏に仕掛けられた次の指示書を開く。
「ん?これはどういう意味だ? 鉢屋、知恵を貸し――」
「分からないのか、珠雪」
静かに鋭い声。
指示書に落ちる影に、鉢屋も次の暗号を見ているのだと思った。
「ああ、さっぱり」
「そうか」
次の瞬間、ぐいと手を引かれた。
ああ、何をするんだ鉢屋。指示書が落ちた。拾わないと、
「お前のそういうところが気に入ってた」
鉢屋の言葉の意味が分からない。
それは、なんの暗号だ?
「任務に集中する。当たり前の事を当たり前に出来るお前と組めるのが、気に入ってた」
風が吹く。
ああ、ほら、早く離せ。指示書が、
「でも、違った」
ふわりと、指示書が宙に舞う。
「お前は、雷蔵から逃げてるだけだ」
ふわりと、景色が回った。
「ずっと、雷蔵を意識し続けてるだけだ」
ふわり、と空が落ちていく。
「今日、確信した」
ふわ り、 と、 “彼”の 顔で 鉢屋 が、 笑った。
「珠雪、雷蔵が好きなんだな」
すとん、と。
音もなく、何かが落ちてくる。
「それが、たまらなく気に入らない」
***
雷蔵の事を意識している。
だから、雷蔵と関わらないようにする。
だから、雷蔵と組むのを避ける。
そのくせ、雷蔵と同じ顔の私と組む。
私がクジに細工をしても気づかない。
雷蔵と組むように細工をしても、更に細工をして回避する。
私と組む時は、他の男と組む時のような嫌悪も無く、一心に任務に集中する。
信頼されているのだと思った。
他の男とは違って、無防備な背中を預けられているのだと思った。
それが好意だとも思った。
だけど、違った。
「お前は、私を雷蔵の代わりにしただけだ」
雷蔵に近づくのが怖い。
嫌われるのが怖い。
だから、好かれる努力をするよりも、嫌われないように努力をした。
悟られないように近づかず。
だけど、近づきたい衝動は抑えられず。
雷蔵に変装した私を身代わりにした。
もちろん本物の雷蔵じゃない事を、お前は十分に理解している。
だからこそ、“私”には関心がない。
ほかの男に対する嫌悪も、“私”には無い。
私の行動も発言も、紙切れ一枚の課題よりも重要度が無い。
お前にとって“私”は男でもない、紙よりも軽い存在。
ただの身代わりの動く人型。
「お前にとって“私”は誰だ」
***
ぱちり、と何かが噛み合った音がした。
あるいは、何かがはじけた音だったかも知れない。
ああ、そうか。
私は、“彼”が――不破雷蔵が、好きだったのか。
けほ、と軽く咳が出た。
足払いされて背中を地面に打ち付けたせいだ。
それでも衝撃が少なかったのは、私の手を引きながら加減してくれたからだろう。
私を地面に押し倒した張本人は、私の上に馬乗りになったまま俯いている。
なんて無防備な姿。
こんな時、敵に襲撃されたら、ひとたまりも無いだろうに。
ああ、困った。
こんなに突然、気づく事になるなんて。
「“私”は誰だ?」
上げた声に、鉢屋の肩がピクリと動く。
ああ、なんて隙だらけ。
背に力を入れ、体を跳ねさせ、鉢屋の体を瞬時に一寸だけ持ち上げる。
驚いた鉢屋の顔が一瞬だけ見えた。
ああ、不破と同じ顔だ。だけど、それだけだ。
ほんの一寸の鉢屋の足の隙間に体を滑りこませ、鉢屋の背に回り込んだ勢いそのまま。
鉢屋の背中に抱きついた。
「……何してる」
「“鉢屋三郎”に抱きついた」
本来なら、ここでは背中でなく首に組みついて締め上げて気絶させるのが効果的なのだけど。
他の男なら、きっとそうしておいて、一人でさっさと課題を続けてしまうのだけど。
本来ならペアでクリアしなければいけない課題を一人でクリアした罰として補修を受けるのだけど。
「私のペアは“鉢屋三郎”以外の何者でもないだろ?」
抱きついた背中は、温かい。
いつも冷静ぶってるからてっきり冷たいのかと思ったのに。
想像と違うなあ、なんて思っていると、抱きついている背中がほんの少しだけ震えた。
「どうした鉢屋」
何か悪い事をしただろうか、と力を緩める。
途端、振り向いた鉢屋に正面から抱きしめられた。
「ちょっと、鉢屋。苦しいから」
骨が折れるんじゃないかと思うくらい、強く抱きしめられる。
ああほら、やっぱり温かい。
はぁー、と私の肩に顔を埋めた鉢屋が深いため息をつく。
その長いため息が忍び装束から出てる肌に当たってくすぐったい。
くすぐったさから身をよじりたいけど、強く抱きしめられすぎて身動きが取れない。困った。
「珠雪。答え合わせをしたいんだが」
「どうぞ」
できればその前に力を緩めて欲しいけど。
骨が折れなければいいか、と我慢する。
「お前が雷蔵を好きだと思ってたのは私の勘違いか?」
「それは勘違いじゃないと思う」
「思う、って……」
鉢屋が顔を上げる。
至近距離で見る鉢屋の眉間の皺がなんだかおもしろい。
こつん、とおでこをくっつける。
ああ、こんな事、不破にはできない。だって、
「私は不破の事がおそろしかったんだ」
ごめんね、と鉢屋に呟く。
***
言われた事の意味が分からず、瞬き。
「傷つけるつもりじゃないんだ。それは分かってほしい」
そうじゃなくて、と腕の中のペアは続ける。
ぱちり、と何かが噛み合った音がした。
あるいは、何かがはじけた音だったかも知れない。
***
私は不破がおそろしかった。
いつだって優しくて、それでいて強くて。
どうでもいい事には優柔不断なのに、肝心な事は迷わない。
そして、何に対しても温かく受け入れる。
鉢屋三郎に関しても、不破の態度は変わらない。
一番おそろしかったのは、不破自身の変装を禁止しない事だ。
鉢屋が不破の姿で悪だくみなんてしないだろうが。
それでも、変装した鉢屋が本物の不破を差し置いて“不破雷蔵”になる事は怖くないのだろうか。
私だったらきっと耐えられない。
自分の知らないうちに、もう一人の自分が好きに動いている。
怖くて仕方ない。
自分よりも、よっぽど自分らしいもう一人。
あるいは、もう一人を初めて見た誰かにとっては、そのもう一人こそが私なのだ。
もう一人の私が、もし、本物の私より私になってしまったら。
それが、怖くて仕方ない。
そんな事を考えているのか、いないのか。
いつだって不破は優しくて。
その優しさがおそろしくて、そして、惹かれた。
好きだった。
気持ちの根っこはきっと、そういう事だった。
近寄りたいとも手に入れたいとも思わない。
だけど、とてつもなく憧れた。
「言葉にすると、なんだか照れるけど」
そう締めると、ようやく鉢屋の腕から力が抜けてきた。
よかった、骨が折れる前には解放された。
けれど、鉢屋の吐息は相変わらず肌に当たってくすぐったい。
軽く身をよじると、ニヤリとする鉢屋と目が合った。
分かってやってるな、こいつ。
「なるほど。つまり、雷蔵を好ましく思っている私が珠雪に嫉妬すると思ったのか」
「まぁ、その通りかな」
実力は六年生に匹敵するとも言われている鉢屋三郎を、好んで敵に回したいと思うものは少ない。
少なくとも、学園の中には居ないだろう。
だから不破に対しての好意は皆、暗黙のうちに言わないようになっている。
皆は。
でも私は、
「鉢屋に嫌われるのがおそろしかったから、余計に言えなかった」
気づいたのはついさっき。
景色がくるりと回ったあの時。
ふわりと笑った鉢屋三郎を見て、思ったのだ。
「鉢屋を失いたくない」
実習で鉢屋と一緒に組めるのは楽だった。
だって、鉢屋はずっと真っ直ぐだ。
不破雷蔵と双忍になる目標に向かって真っ直ぐだ。
その真っ直ぐな背中に惹かれた。
不破への憧れとは違う。
不破に私は近づけない。
不破は畏怖の対象で、それはきっと崇拝に近い。
私の手の届かない存在であって欲しい。
私の手の届かない所で、幸せに笑っていて欲しい。
だけど、
鉢屋は。
「そばに居て欲しい」
他の忍たまたちとは違う。
他の男性とは違う。
隣に居て、誰よりも心地いい存在。
隣に居て、誰よりも誇らしい存在。
だから、背を預けられる。
分からない事も、遠慮なく聞ける。
だから、どうか、
「消えないで、鉢屋」
ふわりと笑った鉢屋は、
今この瞬間に引き止めないと、きっと、
不破と同じ所へ行ってしまう。
私では触れられなくなってしまう。
妙な確信がある。
鉢屋は私が言わなければ、私から距離を取る。
同じ場所に居るのに、心を隠してしまう。
鉢屋に劣る私では、きっと見つけられない場所に。
だから、不破と全く同じように笑ったのだ。
「好きだよ、鉢屋」
双忍になることは止めない。
だけどどうか、それは鉢屋三郎と不破雷蔵であって。
不破雷蔵が二人になってしまったら、
鉢屋三郎はどこへいってしまうの。
きゅっ、と鉢屋の忍び装束を握る手に力を籠める。
いかないで。
そばに居て。
ああ、不破。
お願いだから、鉢屋を連れて行かないで。
「……参ったな」
ぽつり、と。
小さな声がしたと思ったら、鎖骨に鋭い痛み。
「せめて、珠雪が雷蔵に惚れてないとだけ分かれば、後はどうにでもなると思ってたのに」
思いがけず、欲しかったものが手に入るなんて。
続けられた言葉に頭がついていかない。
鎖骨を押さえようとする手をつかまれて、唇にかみつかれた。
ああ、鉢屋三郎だ。
不破雷蔵に変装しているのに、目の前の男は、まぎれもなく鉢屋三郎だ。
「私はどこにも行かないさ」
お前が引き止めてくれたから。
耳に吐息と共に落とされた言葉が、くすぐったい。
「私をその気にさせたんだ。覚悟しておけよ」
そう言って、鉢屋が笑う。
にやりと、笑う。
「もう、見逃してなんてやれない」
どれだけクジに細工を施しても。
もう、他の男となんて組ませてやれない。
たとえそれが雷蔵であっても。
唇を撫でられながら続けられる言葉に、世界が回る。
「この流れなら、続きをしたい所だけど」
今はこのくらいにしておこう。
そう言ってあっさりと立ち上がった鉢屋は、足元の紙を持ち上げる。
課題の紙だ。
ああ、良かった。
風に乗ってどこかに飛んでいってしまったのかと思った。
「その指示書、忍び文字だとは思うけど」
「ああ、その読みは当たってる。ただ、もう一ひねりあるな」
良かった。もうすっかり、いつもの鉢屋だ。
ほんの少し熱を帯びた体に叱咤して、立ち上がる。
私だってくのいちをめざす者だ。この程度の事で骨抜きにされている場合ではない。
鉢屋の持つ指示書を覗き込み、
「もう一ひねり、と言っただろ?」
口づけられた頬を押さえた私は、どんな顔をしているのだろう。
くすぐったそうに、誇らしそうに笑う鉢屋。
「さあ、まずはこの課題を終わらせるか」
一気にやる気になった鉢屋と力を合わせ、ペアの中で一番に課題をクリアした私たちに、
木下先生が呆れたような視線を向けたのは、半刻後の話。
≪ふわり、世界が回ったら≫
(それまで見えなかった、大切なものに気づきました)
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