春の段
主人公の名前をどうぞ
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夕飯が終われば、生徒たちは順番に風呂へ向かっていく。
その流れに逆らい、のんびりと廊下を歩く。
まだ身体は痛むものの、夕飯をたらふく食べたせいか、だいぶ痛みは穏やかで、欠伸 が出そうなくらい、気持ちも落ち着いている。
「……もそ」
「中在家 」
振り返れば、背後に居るのは見知った同級生、中在家長次。
高身長で顔にいくつもの傷があり、学園一無口な男とされている。喋る声も小さく、周りが静かにしなければ聞こえない程と言われているが、六年も一緒に過ごすと聞き取りやすくなっているのが不思議だ。
「…今日の委員会、無断欠席したな、珠雪」
「あ…。すまない中在家。急に課題が出て、そのままアルバイトに行ってしまった」
「…事情は分かっている。だが、連絡がなければ、心配する」
無口だなんて、誰が言ったのだろう。
心穏やかに、静かにしていればこの男はこんなにもよく喋る。
共に歩きながら、行き着いた先は図書室。
「すまなかった。まだ残ってる仕事があればと思うんだが…」
「…仕事なら」
「あ、中在家先輩!」
開けた障子の先、元気一杯の声を出す生徒。
手には本を数冊抱えている。図書委員だろう。
見覚えの無い顔だと思うものの、忍び装束の柄 を見て納得する。一年生だ。
「…きり丸。夕飯は食べたのか?」
「え、あ、何ですか先輩。先輩の声は聞こえづらいんですよ」
どうやら、きり丸と言うらしい一年生はだいぶ度胸 があるらしい。
その姿を見て、どことなく懐かしさを覚える。
「夕飯は食べたのか、と聞いているよ中在家は」
恐らく、夕飯も食べずに図書室に篭 ってるんじゃないかと心配しているんだろう。
物静かに見えて面倒見の良い性格なのだが、伝わりづらいのが中在家長次という男だ。案の定きり丸が驚いた顔をする。
「え、あ、そうなんですか?食べましたよ!で、えーっと先輩は…」
「ああ、私は屋根上 珠雪と言う。6年は組の図書委員だ」
よろしく、と言えば、きり丸は大きな目をさらに大きくしてこちらを見てくる。
なぜだ。確かに傷らだけ、包帯だらけの姿だが、そんなに凝視 される覚えはない。
数秒こちらを見た後、きり丸は首を傾げた。
「屋根上って、変わった苗字っすね」
砕けた言葉に苦笑する。なんだ、そんな事か。
「名付け親に文句を言ってくれ。私の意思では無い」
「あー。まあ、名前なんてそんなもんっスよね」
「そうそう、そんなもんだ」
「…珠雪」
妙に意見が合うと思っていると、中在家が困ったように声をかけてきた。
周囲には表情が変わらないように見えるだろうが、大分 動揺している。
「どうした中在家」
「…もし、良ければ」
ほんの少しの迷い。
何をそんなに迷っているのか。
『どうした中在家』
仕方なく、六年生の間だけで通じる矢羽音 を飛ばす。
あからさまにホッとした様子になる中在家。後輩の前でそんなに分かりやすくて良いのだろうかとも思うが、きっと伝わってはいないだろう。
『さっきの続きだが、きり丸にアルバイトを紹介してもらえないか』
『一年生にも出来そうなアルバイトか?』
アルバイトに関しては無くはないが、中在家がそんな事を言い出すなんて珍しい。
確かに面倒見はいいが、そんなに率先して他人の生活に干渉するような性格では無い。
さっきから中在家と言い、一年生のきり丸と言い、妙な感じだ。
『きり丸は、お前と似た境遇だ。珠雪』
ああ、と納得する。
そういう事か。人をじっと見る癖。妙な度胸の据わり方。世間擦れしている言葉使い。
『分かった。いくつかアルバイト先を当たってみる』
『すまない』
『構わない。その代わり、今日の委員会欠席を大目に見て欲しい』
『わかった』
「交渉成立だな」
「え、何がですか?」
思わず言葉にしていたのを聞いたきり丸が、怪訝そうな顔をする。
「ああ、ちょっとね。それよりきり丸、今日は事情で委員会に出られなかったが、私も図書委員だ。これからよろしく頼む」
「図書委員ってのはさっきも聞きましたけど…。よろしくお願いします。屋根上先輩」
「珠雪で構わないよ」
そう言えば、きり丸は戸惑ったように中在家を見る。
ああ、もう信頼関係が出来上がっているんだな、と懐かしくなる。
中在家が軽く頷いて見せると、きり丸も安心したのか、表情が明るくなった。
「それじゃあ…よろしくお願いします、珠雪先輩」
「ああ。改めてよろしく、きり丸」
本の匂いに囲まれて、今年最初の一年生と握手を交わす。
「…そういえば、珠雪」
「なんだ、中在家」
「…仙蔵が、本の返却をしていない。催促に行って欲しい」
聞こえた名前に肩を落とす。
風呂に行く前に、今日サボった委員会の仕事を少しでも出来たらと思ったのだが。余計な事はするものでは無いらしい。
「急ぎか?」
「…返却日は一昨日 」
「分かった。行ってくる」
「え、珠雪先輩どこ行くんですか?」
矢張りまだ、中在家の声は、咄嗟 には聞こえないらしい。
先ほどよりも大分砕けた様子のきり丸に苦笑してみせる。
「図書委員会委員長殿のおつかいだよ。またね、きり丸」
ひらりと手を振り、廊下へ出る。
その瞬間、その一瞬だけ、懐かしさがこみ上げる。
私も、六年前はきっと同じだった。
「今日は何だか、懐かしい事をよく思い出す」
それもきっと、春の仕業なのかも知れない。
きっとそのせいだ。
そう思うことにして、大分静かになった廊下に足を進める。
本の匂いが少しだけ、残っている気がした。
ーー本と猫ーー
その流れに逆らい、のんびりと廊下を歩く。
まだ身体は痛むものの、夕飯をたらふく食べたせいか、だいぶ痛みは穏やかで、
「……もそ」
「
振り返れば、背後に居るのは見知った同級生、中在家長次。
高身長で顔にいくつもの傷があり、学園一無口な男とされている。喋る声も小さく、周りが静かにしなければ聞こえない程と言われているが、六年も一緒に過ごすと聞き取りやすくなっているのが不思議だ。
「…今日の委員会、無断欠席したな、珠雪」
「あ…。すまない中在家。急に課題が出て、そのままアルバイトに行ってしまった」
「…事情は分かっている。だが、連絡がなければ、心配する」
無口だなんて、誰が言ったのだろう。
心穏やかに、静かにしていればこの男はこんなにもよく喋る。
共に歩きながら、行き着いた先は図書室。
「すまなかった。まだ残ってる仕事があればと思うんだが…」
「…仕事なら」
「あ、中在家先輩!」
開けた障子の先、元気一杯の声を出す生徒。
手には本を数冊抱えている。図書委員だろう。
見覚えの無い顔だと思うものの、忍び装束の
「…きり丸。夕飯は食べたのか?」
「え、あ、何ですか先輩。先輩の声は聞こえづらいんですよ」
どうやら、きり丸と言うらしい一年生はだいぶ
その姿を見て、どことなく懐かしさを覚える。
「夕飯は食べたのか、と聞いているよ中在家は」
恐らく、夕飯も食べずに図書室に
物静かに見えて面倒見の良い性格なのだが、伝わりづらいのが中在家長次という男だ。案の定きり丸が驚いた顔をする。
「え、あ、そうなんですか?食べましたよ!で、えーっと先輩は…」
「ああ、私は
よろしく、と言えば、きり丸は大きな目をさらに大きくしてこちらを見てくる。
なぜだ。確かに傷らだけ、包帯だらけの姿だが、そんなに
数秒こちらを見た後、きり丸は首を傾げた。
「屋根上って、変わった苗字っすね」
砕けた言葉に苦笑する。なんだ、そんな事か。
「名付け親に文句を言ってくれ。私の意思では無い」
「あー。まあ、名前なんてそんなもんっスよね」
「そうそう、そんなもんだ」
「…珠雪」
妙に意見が合うと思っていると、中在家が困ったように声をかけてきた。
周囲には表情が変わらないように見えるだろうが、
「どうした中在家」
「…もし、良ければ」
ほんの少しの迷い。
何をそんなに迷っているのか。
『どうした中在家』
仕方なく、六年生の間だけで通じる
あからさまにホッとした様子になる中在家。後輩の前でそんなに分かりやすくて良いのだろうかとも思うが、きっと伝わってはいないだろう。
『さっきの続きだが、きり丸にアルバイトを紹介してもらえないか』
『一年生にも出来そうなアルバイトか?』
アルバイトに関しては無くはないが、中在家がそんな事を言い出すなんて珍しい。
確かに面倒見はいいが、そんなに率先して他人の生活に干渉するような性格では無い。
さっきから中在家と言い、一年生のきり丸と言い、妙な感じだ。
『きり丸は、お前と似た境遇だ。珠雪』
ああ、と納得する。
そういう事か。人をじっと見る癖。妙な度胸の据わり方。世間擦れしている言葉使い。
『分かった。いくつかアルバイト先を当たってみる』
『すまない』
『構わない。その代わり、今日の委員会欠席を大目に見て欲しい』
『わかった』
「交渉成立だな」
「え、何がですか?」
思わず言葉にしていたのを聞いたきり丸が、怪訝そうな顔をする。
「ああ、ちょっとね。それよりきり丸、今日は事情で委員会に出られなかったが、私も図書委員だ。これからよろしく頼む」
「図書委員ってのはさっきも聞きましたけど…。よろしくお願いします。屋根上先輩」
「珠雪で構わないよ」
そう言えば、きり丸は戸惑ったように中在家を見る。
ああ、もう信頼関係が出来上がっているんだな、と懐かしくなる。
中在家が軽く頷いて見せると、きり丸も安心したのか、表情が明るくなった。
「それじゃあ…よろしくお願いします、珠雪先輩」
「ああ。改めてよろしく、きり丸」
本の匂いに囲まれて、今年最初の一年生と握手を交わす。
「…そういえば、珠雪」
「なんだ、中在家」
「…仙蔵が、本の返却をしていない。催促に行って欲しい」
聞こえた名前に肩を落とす。
風呂に行く前に、今日サボった委員会の仕事を少しでも出来たらと思ったのだが。余計な事はするものでは無いらしい。
「急ぎか?」
「…返却日は
「分かった。行ってくる」
「え、珠雪先輩どこ行くんですか?」
矢張りまだ、中在家の声は、
先ほどよりも大分砕けた様子のきり丸に苦笑してみせる。
「図書委員会委員長殿のおつかいだよ。またね、きり丸」
ひらりと手を振り、廊下へ出る。
その瞬間、その一瞬だけ、懐かしさがこみ上げる。
私も、六年前はきっと同じだった。
「今日は何だか、懐かしい事をよく思い出す」
それもきっと、春の仕業なのかも知れない。
きっとそのせいだ。
そう思うことにして、大分静かになった廊下に足を進める。
本の匂いが少しだけ、残っている気がした。
ーー本と猫ーー