贖いの光華

 あなたを守れるのなら
 厭うものなどもう
 この世にはありはしない
 私はただ さいわいを夢む
 たとえ この躰を燃やしても



 《贖いの光華 前編》

 オルトは暗闇の中にいた。辺りを見渡しても上を見ても、足元を見てもそこには地面すらもなく、音もなく、感覚もない、虚無の中にいた。己の体は何故か見ることはできた。直前の記憶はある。カルディナ機関長の大剣に切られ———

 もう一度体を確認する。切られた傷がない。鎧には細かな傷はあれど、砕けた痕跡はなく、血も流れていない。
 俺は、死んだのか。
 オルトは、己の状況を他人事のように俯瞰した。
 死んだら友に会えるだろうか。己はまだ、やるべきことがあったはずだ。志半ばであった。部下たちにも苦労をかけた。彼の願いを、守れなかった。

 彼の願いとは?
 己のやるべきこととは?
 胸がざわつく。
 思い出せ。

 ———オルト君
 優しくてつらそうな声だった。
 膝をついた白い彼は今にも泣きそうな震える声で言う。
 ———生きていてください、と。

 あの時は指先一つ動かせず、言葉を絞り切って伝えるのが精一杯だった。表情はよく見えなかった。ただ、ひどく、白い彼を傷つけたことが気がかりであった。
 今は、何故だか体は動かせるようだ。臨死体験とはこういうものなのか。あるのかわからない地面を踏み、闇を歩いてみる。死んだら川を渡ると昔から言い伝えられているが、あまりにも何もないのだ。歩いてみたら、何かがあるかもしれない。

 歩み進めると淡い、翠色の光がポツポツと浮かび上がった。蛍のようだと思った。ストームヘイルには生息していないが、気候が穏やかで自然豊かなリーフランド地方の水辺には多く生息するという。遠征先で野営したときに一度だけ見たことがあった。ふわふわと浮かぶ蛍光を追ってみる。蛍に導かれた先には川があるのかもしれない。進むたびに光は増えていった。本当は感覚なんてないのに、不思議と温かいと思った。

 ———オルト君
 声が、聞こえた気がした。
 優しくてつらそうな、あの時と同じ、白い彼の声が。
 翠色の蛍光は強さを増し、眩しさに目がくらむ。瞼が重くなる。瞼の裏は明るいのにとても眠たい。春の陽気の中で、羽毛に包まれているような、ずっと眠っていたくなる心地よい温かさだ。今度はちゃんと、温度を肌で感じた。

 ———生きていてください、と言われた気がした。
 震える声で、泣きそうな声で、縋るように、祈るように。
 己が生きることを信じてくれたのだ。
 そうだ、あの言葉は”願い”ではなく”約束”だ。
 約束をしたのだ。
 まだ、死ぬときではない。
 生きなくてはいけない。
 いつまで夢の中にいる。
 早く目を開けろ。
 そして彼を、テメノスを———


 オルトは重い瞼をゆっくり持ち上げる。目に映る世界は、夢の中と一緒の淡い、蛍光に包まれていた。
 「……メ、ノス……審問、官……?」
 絞り出した声はひどく掠れていた。
 テメノスは翡翠色の大きな目にいっぱいの涙を溜めてこちらを見下ろしていた。紛れもない現実だ。それなのに辺りを翠色の光に染める光景があまりにも幻想的で、その光を受けてますます白く映える彼は、死にぞこないの自分よりよっぽど儚い存在に思えた。蘇生魔法を受けるのは初めてだが、こんなにも美しくて温かいものなのか。それとも、彼の魔法だから、そう思うのだろうか。
 「オルト君……よかった」
 テメノスは展開した魔法陣を解くと、明かりは松明の炎だけの、暗鬱とした洞窟内の遺跡に戻る。

 オルトは上半身を起こした。体の痛みは感じない。体も思考も支障なく動く。暗がりに目が慣れてくると自分の周りには血だまりができていた。オルトは己が助かったことがどんなに奇跡だったかを思い知る。死の淵にいた人間をここまで回復させるだなんて、こんな高度な神官の術は、未だかつて見たことがなかった。

 辺りを見渡すと、テメノスのすぐ後ろには異国の紅い装束を纏った剣士がいる。少し離れたところにも数人の旅人の姿が見えた。
 ――ということは、カルディナ様は……
 オルトは状況を理解した。


 カルディナのもとへ向かう前に、テメノスたちはパーティーを分割させた。相手は対人間。アグネアやパルテティオ、オーシュットはできれば戦いに巻き込みたくはなかった。そこでキャスティを中心に半分は聖堂騎士の応急処置にあたらせ、もう半分、テメノス、オズバルド、ヒカリ、ソローネはカルディナのもとへ向かった。その判断と、キャスティによる迅速な処置もあり、半数以上の騎士たちは一命を取り留めた。
 異形と変わり果てたカルディナを討った後、テメノスはすぐさま全員重傷であった聖堂騎士の回復にあたった。中でもオルトは、カルディナの大剣での攻撃を真正面から受けたともあり瀕死の状態であり、テメノスは回復魔法と蘇生魔法に専念し続けた。



 テメノスは治癒魔法を終えると同時に急激な脱力感に襲われた。魔力を使いすぎた後遺症だ。ぐらぐらと目眩がする、頭は脈打つようにひどく痛み、吐き気がする。それでもできる限りの平静を保つと震える手で入り口方面を力なく指さした。
 「オルト君、動けますか?あちらに……、すでに治療を終えた、聖堂騎士の方々が、事後処理をしています。彼らに……指示を、お願いします」
 「しかし……っ!」
 「少し、疲れただけです……ちょっとだけ休んだらすぐに、私も向かいます」
 テメノスは青白い顔をして肩で息をしながら、オルトとは目を合わせようとはせず、絶え絶えに訴えた。口調こそ穏やかだが、有無を言わさぬ圧をオルトは感じた。
 「わかりました……このご恩は必ずお返しします」
 オルトはせめてもの礼を残し立ち上がる。テメノスという男は弱いところを、少なくとも自分の前では見せたくないのだと、彼のことを一つ理解した。ならば、彼を尊重するしかない。自分が傍にいないことで彼が少しでも休まるならと踵を返した時、後ろから「うぅ……」と小さく唸る声が聞こえた。

 オルトが反射的に振り返るとテメノスは口元を押さえ、前かがみに身を縮こませて震えていた。そんな異常事態の彼をすぐ後ろに控えていた紅い剣士———ヒカリがすでに支えている。
 「テメノス、しっかりしろ」
 ヒカリはテメノスの両肩を支え、青白い顔を覗き込む。

 本当はもう、限界だった。今にもぷつんと途切れてしまいそうな意識をなんとか保ち、オルトを突き放すので精一杯だった。こんな姿を見せたくない。負い目を感じさせたくない。そう思っていたのに、テメノスにはもう繕う体力は残っていなかった。
 状態は秒ごとに悪化した。ぐらぐらと回るような、平衡感覚のなくなる眩暈がする。頭痛は鉄棒で殴られているようにひどく痛み、身体の内側が熱く煮え、かき混ぜられているようだった。
 口内に鉄の苦味が広がった。

 「ぅっ……、ゲホッ!ぅぇ……、かは…っ、ゴホッ!」
 体内から何かがせり上がる感覚にたまらず咳き込むとそれは鮮血だった。咳き込むたびに血は逆流し、手のひらで受け止めるも溢れ、テメノスの細い指の間から滴り落ちた血は法衣を汚した。急激に身体を蝕む苦しさに生理的な涙が滲んだ。
 「見せてみろ」
 オズバルドは、テメノスの傍に腰を降ろすと冷静に状況を確認する。背を丸く縮こませた姿勢のテメノスの表情はオルトにはわからなかった。ただ、その背中があまりにも弱弱しくて小さく見えた。
 「テメノス、俺の声が聞こえるか?喋らなくていい」
 地を搔いてもがくテメノスの手を、オズバルドの一回り大きな武骨な手が握る。
 「手で合図しろ。イエスなら手を握れ。ノーなら手を左右に振れ。もう一度言う、俺の言っていることが理解できているか?」
 イエス
 弱々しく返事が返ってきた。
 「目眩がするか?」
 ……イエス
 オズバルドは握った手からテメノスの魔力量と魔力の流れを"調べる"。
 「頭痛は?」
 …………イエス
 だんだんと彼の手は弛緩していき、指先から冷えていった。
 「吐き気は?」
 ………………

 「駄目だな、反応が鈍くなってきた。ヒカリ」
 「テメノス、体勢を変えるぞ」
 オズバルドの目配せにより、ヒカリはテメノスをゆっくりと仰向けにし、上半身は自身に寄りかからせた。
 オーシュットは「わたし、キャスティ読んでくる!」と、相棒のマヒナとともに駆け出した。
 オズバルドはテメノスの呼吸が楽になるように法衣の首元を緩め、彼の白く浮き出た鎖骨を露わにする。薄く開いた口からは喘鳴と、時折血がごぷりと溢れた。呼吸は浅く、目は開いているが焦点が合わない。

 オルトはただ傍観者になっていた。さきほどテメノスに拒否をされた自分にいったい何ができようか。

 「オズバルド、いったいこれは」
 「急性魔力欠乏症で間違いないだろう」
 ヒカリが問うと、オズバルドは断定した。
 「意識障害が起こるのは重度だ。こうなる前に人体は無意識にブレーキがかかるものだが、テメノスはそのブレーキを超えて魔力を使い切ったのだろう」
 そこへ息を切らしたキャスティとパルテティオが向かう。
 「容体は?」
 「重度の急性魔力欠乏症だ。吐血ののち、徐脈による意識障害を起こしている」
 キャスティはオズバルドの端的な報告を聞きながら、テメノスの手首から脈拍を計り、不規則で浅い呼吸を確認する。
 「知識としては知っているけど、患者を診るのは初めてだわ」
 「潰したプラムを飲ませるのは駄目なのか?」
 パルテティオが様子を覗き込む。
 「今プラムの類を与えるのは逆効果だ。過剰反応を起こして事態は悪化する。そうだな、傷口を消毒しようと塩を塗り込むようなものだ」
 オズバルドの例え話に皆は顔をしかめた。
 「回復手段がないのは困りものね」
 キャスティはカバンから清潔な布を出すとテメノスの口元の血をぬぐう。
 「テメノスなら大丈夫だろう。ゆっくり寝かしてやれば回復も速いはずだ」
 「何故そう思う。根拠はあるのか?」
 身体はすっかり脱力しているのに、軽いままのテメノスを支えるヒカリにはとてもそうには見えなかった。
 「テメノスが体内に秘める潜在的な魔力量は俺より遥かに多く、また魔力操作に非常に長けているからだ。そういった、魔法に通ずる者は回復も早い」
 オズバルドは淡々と続ける。
 「蘇生魔法はとくに大量の魔力を消費する。そう何度も使えない。常人なら1回か2回が限界だろう」
 「激戦で消耗したあとだったもんな。とにかくいったん帰って、休ませてやろうぜ。俺が背負うからよ」
 パルテティオは背を向けてしゃがむ。
 「っ、それなら、私が……っ!」
 「まだ無理をしちゃダメ。傷はふさがっても、流れた血は戻らないのよ」
 オルトはどうにか力になりたく、咄嗟に申し出るがキャスティは制止した。
 「だーいじょぶだよ、俺は商人だけど鍛えてっからよ」
 パルテティオは白い歯を見せ、人を寄せつける笑顔で答えた。
 「……ああ、では、頼もう」
 なんて不甲斐ない。何が神の剣だ。上級騎士でありカルディナ様の親衛隊という肩書も、厳しい訓練に耐え、鍛えたこの体も剣技も、この暗澹たる遺跡でいったい何の役に立った。自分はただ、使い捨ての駒に過ぎず、切り捨てられ、カルディナ様を仇なす者に命を救われ、そんな救ってくれた人を、危険に晒したのはまさに自分ではないか。己のなんて無力なことか。

 悄然したオルトの前にヒカリが立つ。ヒカリは代わりに杖を持っていてくれないかと、断罪の杖をオルトに託した。剣に比べたら、杖はあまりにも細くて軽かった。まるでテメノスのようだとオルトは思った。抱き上げたことなんてないが、オルトは杖にテメノスを重ねた。
 断罪の杖は、テメノスの手がよく触れているであろう部分の塗装が少し剥げていた。そっとなぞってみるが手甲越しでは金属の冷たさすらも感じなかった。

 「ヒカリ、テメノスが落ちねーように、紐で固定してくれっか?」
 「承知した」
 「テメノスの口元にタオルを置くわね」
 テメノスの仲間たちの、実に息の合った連携を、歯痒い思いで見守った。


 ナ・ナシの里まで戻る道中、テメノスの身に起こった欠乏症についてオズバルドから解説があった。

 「軽度のなら俺もなったことがあるし、周りにもこれを引き起こす学者どもはいた。珍しいことではない。だが、軽度の時点でこれ以上は危険だと、倦怠感や頭痛を感じることで体が無意識にブレーキをかけるものだ」
 「一度重度の欠乏症に陥ると、クセになるやつがいる。ブレーキの機能が壊れ、軽度程度では気づかず、知らず知らず重症化する者がいる。耐性がついて上手くコントロールできる者もいる」
 「重度の欠乏症は最悪死に至る危険な症状だ。回復薬もない。回復に数ヶ月かかるやつもいれば、神経系や内臓機能に障害が残る場合もある」

 つまりは、術者の魔力量や基礎的な能力によって症状の経過は千差万別だということ。オズバルドは淡々と語るが、オルトは聞けば聞くほど不安が募った。顔色一つ変えない学者は最初冷徹なのかと思ったが、そうではない。年齢も職業も境遇も旅の目的もてんでんばらばらな仲間たちは「オズバルドが大丈夫だと思うならきっと大丈夫だろう」と一様に前向きに捉えていた。同じ魔力操作に長けた者として、オズバルドは誰よりもテメノスなら大丈夫だとわかっているからだ。その信頼の根源をオルトは少し羨んだ。








 目を覚ますと天井に広がる木の枝が目に入った。円形の部屋の中央に立派な木が聳えている。自然の木を切らずに、そのまま柱にする獣人たちが造る伝統的な建築方法だ。
 寝ていたのは床だが、敷布が重ねられているようで、硬さは気にならない。
 床に寝ているということはナ・ナシの里だろうか。ケノモの村の、人の区域の宿屋は竹で作られたベッドがあったから。ぼんやりした頭で状況を推理する。ナ・ナシの里……たしか、迷いの森を抜けた先に、裂け岩があって、カルディナを討って——それから——
 テメノスは目を見開いた。
 血にまみれた光景がフラッシュバックする。
 血溜まりの中で項垂れていた彼は、全く生気がなくて、それがあの子の姿と重なって——
 「………はっ」
 心臓が大きく音を立てた。
 喉を絞められているかのように息が詰まった。

 体を起こそうとしたが、全身が鉛のように重く、目が回った。
 「…………ぁ」
 力の入らない手で、胸元の薄い掛布をキュッと握る。握った手がカタカタと震えた。あれからどうなった?どれくらい経った?どうやってここまで帰ったのだ。
 「……わた、し……いったい……」
 「重度の魔力欠乏症だ。倒れてから丸一日経っている」
 「……それは、ご迷惑を……」
 なるほど、それでこの体調不良か。頭重感に目線だけで周囲を見渡すが、部屋にはオズバルド一人だった。
 「調子はどうだ」
 「良いとは……言えませんね」
 横になっているのに目眩がするし頭も痛い、とてもじゃないが今は体が動かせない。彼の前で強がってもどうせ通用しないのだ。正直に答えた。

 「……あの、」
 テメノスは歯切れが悪く言葉に詰まった。自分の置かれた状態よりも知りたいことがある。しかし口にするのを躊躇った。知ることが怖いと怖気づいた。
 「オルトという青年も、他の聖堂騎士も命に別状はない。今のお前よりよっぽど元気だ」
 聞かれずともオズバルドはテメノスが欲しい言葉を与えた。テメノスはオズバルドの言葉をゆっくり反芻し、咀嚼し飲み込むとようやく体の力が抜けた。

 ——オルト君は生きている……間に合った……私は、今度は、救えたんですね……良かった……本当に……
 ——ああだめだ、私、もう……
 重たい腕を持ち上げ熱くなった瞼に乗せる。じんわりと袖布が濡れた。

 嗚咽も上げれずに、不器用な泣き方だった。
 オズバルドはテメノスの首筋に触れ、体温を測る。
 「まだ熱が高いな、眠れそうならもう少し眠るといい」
 オズバルドはテメノスの腕を目頭から離すと、冷水に浸した布を絞り、熱い額と赤くなった瞼を覆った。
 冷たくて気持ちいい。
 あなた、看病なんてできたんですね。
 なんて失礼な感想が浮かんだが、再び訪れた睡魔により声にならなかった。
 

 長期間のストレスによる不眠、それに緊張から解放された安堵も相まってテメノスは長く深く眠った。テメノスの性格を客観的に捉えた時、オズバルド以外の誰かだと気を遣い、丈夫に振る舞う可能性があったため、あえてオズバルド一人が傍にいることにしたのだ。静かに本を読みながら、時々額のタオルを変える。貴重な精霊石を使わずとも、キャスティが側にいなくとも彼なら常に冷水を作れる。そしてテメノスの魔力量をチェックする。それだけの簡単な仕事ですむのは有り難い。この症状にはなにせ特効薬がないのだ。これ以上できることはない。オズバルドは学者の術である"調べる"の応用で、相手の体内の魔力量や微弱な変化を視ることができたため、あらゆる点で今回の看病にうってつけの人材だった。
 テメノスが再び眠りについたのを確認すると、オズバルドはキャスティへの報告のため、そっと宿屋を出た。彼女は一番近い、別の宿屋に常に待機している。

 「どう?」
 「先ほど目を覚ましたが、またすぐに眠った。しばらく起きんだろう」
 「そう……、よかったわ……」
 キャスティはテメノスの意識が一次的にでも戻ったことに、ホッと胸を撫で下ろすが依然として憂いていた。
 「浮かないな」
 「だって、何もできないなんてもどかしくて……」
 「確かに薬はないが、対処療法はできる」
 「そう、そうよね。必要なものがあったら何でも言ってちょうだい」
 「そうだな、では――――」
 優秀な薬師がいるのは心強い。オズバルドは引き続き簡単な看病に赴いた。


 ――コンコン
 入り口の木の枠を控えめに叩かれた。すだれを捲るとそこには聖堂騎士オルトがいた。亜熱帯で蒸し暑いナ・ナシの里では鎧を脱ぎ、——もとよりカルディナに無残に破壊された鎧をいつまでも身に纏うわけにはいかない——今はインナー一枚で楽な恰好をしている。
 「お疲れ様です。こちら、頼まれた薬になります。キャスティさんより届けるように言われました」
 依頼した薬は、てっきりキャスティ自身が持ってくるとばかり思っていた。これは彼女の差し金だ。
 オズバルドはオルトを部屋へ迎え入れた。テメノスとオルトはクリックを通して少しは互いのことを知っているようだが、オズバルドは彼のことを何も知らない。クリックと同期で友だったということは裂け岩からの帰り道に初めて知った。
 どうりでテメノスが危険を顧みない行動をするほどの執着を見せるわけだ。
 「茶色い包みが痛み止めで、白い包みが吐き気止めです。こちらは解熱剤だそうです」
 「ああ」
 オルトから袋を受け取り、中身を確認する。薬は小包で分別されていた。服用にあたる注意事項が書かれたメモも入っている。彼女らしく、几帳面かつ分かりやすい。
 「テメノス審問官の様子はいかがですか?目を覚ましたとお聞きしましたが」
 「たったの数分間だけだ。この調子だともうしばらく起きんだろう。だが顔色は大分良くなったな。魔力量も少しずつ自然回復している。さすがテメノスだ」
 「そう、なんですか」
 顔色が回復したと言うが、オルトの目にはテメノスは青白く、生気がない人形のように見えた。寝息の静かさと、掛布から出た腕、手首、指の細さにゾッとした。
 「たった一日でこれだけ魔力が戻るのはテメノスの才能だ。眠りが深いのは単に、普段から不眠気味だったことと、お前を助けられた安堵からだろう」
 先は起きるなり真っ先に自分のことよりもお前を心配していたぞ、と付け加える。
 オルトの眉間にしわが寄る。
 「同じような顔をするな」
 フッとオズバルドは静かに笑む。
 「心配なら触れてみるといい」


 オルトはテメノスの横に膝をついた。彼の痩せた白い手にそっと己の手を重ねてみる。細くて、薄くて、なんて頼りない手だろうか。こんな頼りない手をした彼は、誰よりも強かった。美しく、高潔であった。

 オルトは回想していた。
 あの時、意識が回復したときに見た、目一杯の涙が魔法の光を反射して煌めいていたテメノスの双眸を。辺りを包む優しい温かな光を。その幻想じみた光景を。

 テメノスの手はちゃんと温かくて、人の体温を保っていた。


 

 それから半日後、日が暮れる頃だった、テメノスは二度目の目覚めをした。ずっと眠っていたので解熱剤を服用する機会はなかったが、使わずとも熱は微熱程度にまで下がった。吐き気と頭痛は残っていたためそちらの薬はありがたく服用した。身体は一人でもなんとか起こすことはできたので、オズバルドに温めてもらった湯で身体を拭き、寝間着を交換する。
 その後は、たった一日半寝ていただけなのに、仲間たちが次々にお見舞いに来てはテメノスを労った。キャスティからは矢継ぎ早に問診責めを受けた。

 「テメノス!もう肉食えるか!?」
 肉類はまだ受け付けないが、元気なオーシュットは見ているだけでこちらも元気をもらえた。
 「まだ早いよオーシュット。まあともあれよかったよ、もっと周りを頼んなよ。あんたが思ってるより、みんなあんたのことが大事みたいだからさ」
 ソローネの普段通りの軽口はかえってありがたい。
 「テメノスさん、何か食べれそうですか?消化にいいもの作りますよ。あ、果物もいいですね。食べやすいように小さく切るか、すりおろしますよ」
 アグネアは最年少でありながらしっかり者で家庭的で心優しい子だ。
 「法衣についた血はちゃんと落ちたぜ。しばらく袖を通さねぇだろ?皺になっからここ干しとくな」
 パルテティオはとても気が利く。それにここまで運んでくれたそうな。疲れただろうに、疲労の顔は一切見せなかった。
 「テメノス、横にならなくて大丈夫か?無理をせずとも、つらくなったら遠慮せずに横になるといい。俺にできることがあれば何でも言ってくれ。力になろう」
 ヒカリはまっすぐに、真摯な目を向ける。

 嗚呼、なんてこそばゆいのだろうとテメノスは破顔した。



 オルトは跪くと深く頭を下げて礼を言った。
 「オルト君……顔を上げて、よく見せて」
 「………はい」
 「もうちょっと、近くに来て」
 「………」
 テメノスはトントン、と枕元を軽くたたいた。
 オルトは膝で移動する。顔は上げたが目線は下のままで、膝に置いた両のこぶしを見ていた。
 テメノスは片手を伸ばすと、オルトの形を確かめるように、輪郭、肩、腕……と華奢な指先でそっとなぞる。そして最後に頭に乗せられた。
 「よく、がんばりましたね、ありがとう」

 ――それは、それはあなたが言われるべきだ。俺は世話にしかなっていない。
 頭に浮かんだ言葉は喉に引っかかり出て来こず、「……いえ」と小さく絞り出した。
 言葉の少ないテメノスにちらりと目線を向けると、彼はとろけるような、慈愛に満ちた神官の目をしていた。一瞬、握りしめた力がふっと抜けた。急に顔に熱が集まり、また、すぐに目を反らしてしまった。
 顔の熱を誤魔化すように、こぶしに爪を食い込ませた。


 場に居合わせた仲間たちは気まずそうに、楽しそうに、見守るように、その光景を見ていた。






 緋月の夜は近い。数日後にはナ・ナシの里を発ち、ケノモの村へ戻る、今後はそこで滞在する予定だ。オルト達カルディナ親衛隊らも道中同行する話をつけた。

 「オズバルド、話があります」
 あれから二日後。テメノスは体力も魔力も安定していた。定期検査と称して、オズバルドと二人きりになれるタイミングを見計らっていたテメノスは話を切り出した。
 「カルディナを討ったあと、私は一つ、魔法を習得しました。神聖魔法といいます。あなたに話しておきたい」

 ——神聖魔法。
 聖火神エルフリックが作った魔法とも言われる。
 神聖魔法は体内の魔力を一瞬で空にして、全魔法エネルギーを放つ。使用した魔力量が多いほど威力は大きく、身体が受ける負荷も大きい諸刃の剣。限られた最上位の、一握りの神官しか扱えないという。高度で危険な術故に、時代とともに認知度も薄れ、今では聖火教会ですら詳細を知らない失われた光属性の魔法。
 そして魔力欠乏症と隣り合わせの危険極まりない禁術である。

 オズバルドはじっとテメノスの説明を聞く。普段と同じ、険しい表情からは感情が読み取れない。
 「他の誰かに相談したら止められそうなので」
 「だが習得したということは、扱える器を持っているとも言える」
 「ええ、この魔法は強力な切り札になる」
 先ほどテメノスは“相談”と言ったが、これは相談ではなく“報告”だとオズバルドは悟った。ならばテメノスを信じるしかない。
 「俺は使うなとは言わない。言われるまでもないとは思うが、使い時を誤るな。単独では使うなよ」
 「ありがとうございます」
 「それで戦況が有利になるのなら、合理的だと思ったからだ」
 その言葉は、裏を返せばオズバルドの感情的には使って欲しくない、ということだろうか。テメノスは、オズバルドがよく使用する”合理的”という言葉に前向きな自己解釈をした。はたして自分はこんなに前向きであっただろうか?あの”合理的”な男が、自分の身を案じて遠回しに心配してくれている、と思うだなんて。
 テメノスは、今なら何でも上手くいきそうなくらい晴れやかな気分であった。
 「私はこの魔法についてよく知らないんです。だから一緒に研究してくれますか」
 「いいだろう。議論を重ねよう」
 たくさん眠ったからか、脳がいつにもまして冴えているような気がした。もやが晴れたテメノスはさっそく提案する。その案にオズバルドは重たい瞼を見開いた。
 「……フム。なかなか興味深いアイディアだ。組み合わせ次第では、もしかしたら俺の究極魔法よりも、もっと破壊的な、計り知れない威力が出ると推測される……」 


 ————神聖魔法も魔法の一種であることには変わりない。ということは、大魔法化や特大魔法化もできるのではないでしょうか。もしそうだとしたら————


 オズバルドは身震いした。それは学者の知的好奇心を刺激されたからなのか、それとも、この先起こりうるであろうテメノスの身を滅ぼしかねない未来の選択肢をしてしまった恐怖と後悔からなのか、オズバルド自身もわからなかった。









 私はもう 何もいらないから
 ただ この痛みがすべて
 どうか 愚かな私を
 深く刻んで 散らしてほしい

 ≪贖いの光華 前編≫ Fin
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