Op:7 氷城の舟
ブリッグズ要塞 赴任者 名義変更
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卓上へ巡らせる青い瞳には、隣り合って鍵盤へ触れていた時のやわらかな色はなく、そこにいるのはこの要塞を束ねる総司令官だった。
「次、医療班」
オリヴィエの指が次の書類を捲る。
セシリアは椅子を離れた途端、卓上の視線が一斉にこちらへ集まった気がして、顔がこわばった。
「いっ…!医療班からは、初期容態判定の基準の統一と、血液型判定、お、および緊急時の輸血者登録についての、試験導入を提案します」
せめて声だけはきちんと出そうとしたが、力みすぎて最初の一音は情けないほど裏返ってしまい、恥ずかしさに逃げ出したくなった。
それでも、事前のカンファレンスで何度も突かれた箇所へ質問が飛べば、セシリアはぎこちなくも一つずつ丁寧に答えた。
隣では衛生兵長が資料を開いたまま、具体的な研修や運用面など、要塞インフラに不慣れなセシリアに代わって説明してくれた。
ダンカンはというと、椅子の背にもたれたまま、時折書類へ目を落とすだけだった。
散々削った草案に今さら口を挟むところはないらしく、欠伸でもしそうな顔で黒いコーヒーを啜って成り行きを眺めていた。
オリヴィエは一連のやり取りを聞きながら、医療班の様子を見ていた。
廊下で見かけるたび、大柄な兵士らの横を小さくなって歩いていた女が、今は彼らと一つの案を囲んでいる。
決まり事を増やすのが嫌いなダンカンが文句ひとつ言わずに同席し、衛生兵長も実務に関わる部分をセシリアの代わりに補っている。
セシリアの意見に賛同し、信頼を得始めているのが見て取れた。
やがて、輸血管理へ話が移ったところで、バッカニアが眉を寄せた。
「負傷者が何人も担ぎ込まれてる横で、いちいち名簿めくってその血液型とやらを確認すんのか?」
セシリアが口を開くより先に、隣から低い声が割り込んだ。
「んなもん、
そんなことまで説明させるなと言わんばかりにダンカンが返した。
セシリアは無意識に自分の胸元へ手をやった。
急な異動で軍籍上の手続きが追いついておらず、彼女自身にはまだ軍から正式な
「それが待てねぇってんならお前さんの自慢のつるっぱげに『O』って彫ってやってもいいぞ?」
「おやっさんの字じゃ皆読み違えちまうだろ」
「んだと、この野郎」
二人が憎まれ口を叩く横で、マイルズはすでに工兵の代表と話し合いを進めていた。
「既存のタグへ追記は可能か?」
「えぇ。…刻印も4種類でいいってことだよなー先生?」
「は、はい!」
普段顔を滅多に合わさない工兵の代表に話しかけられて体を固くする。
「じゃあ既存のポンチでいけるからすぐだ」
「なら実働隊から順次、だな」
ほんの数往復のやり取りで、とんとん拍子に方針が固まっていく。
ひと通りの目処がついたところで、オリヴィエがまとめに入る。
「では、今季の山岳警備隊を対象に試験運用、今上がった細部は各部門で詰めろ。それからエアハート」
「は、はい!」
「申請する検査用器材をまとめたら“私に“上げろ」
「少佐に、ではないのですか…?」
医療班の大体の申請書を最初に確認する上長はマイルズだった。
「貴様の指定研究の資材だけは、中央もやたら仕事が早くなる。利用しない手はない」
着任してひと月も経たないうちに、自分の日用品より先に研究器材が届いたことを思い出す。
オリヴィエも、使えると踏んでいたらしい。
「ROCET関連は私のサインが要る。今日の17時までに回せ」
「し、承知しました!」
ふとポケットから銀時計を取り出す。
協議が終わったらすぐに取りかからなければ間に合いそうにない。
だが必要と判断してくれているのだろうと思った。
セシリアは思わず手元の書き込みだらけの書類へ目を落とした。
中央では、預かり知らぬところで名前や肩書きばかりが先に使われ、決まったことだけを後から知らされてきた。
けれど今は違う。自分で見つけ、自分の言葉で持ち込んだものが、目の前で誰かの手へ渡り、それぞれの仕事として形を持ちはじめている。
それがただ嬉しくて、セシリアは少しの間、書類から目を離せなかった。
要塞の外は、長かった冬を越えた山陰から、黒い岩と小さな緑が覗き始めていた。
□ 甘い思い出 / Felix Mendelssohn
□小舟にて/ Claude Debussy
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