Op:7 氷城の舟
ブリッグズ要塞 赴任者 名義変更
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日が経つにつれ、娯楽室で過ごした時間も、要塞の日常へ静かに埋もれていった。
彼女と顔を合わす機会は滅多にない間にも、セシリアを取り巻くものは少しずつ変わっていった。
医務室では名前を呼ばれて任される患者が増え、衛生兵からも、医師としての判断を求められる場面が少しずつだが出てくるようになった。
ダンカンの癖も少しずつ覚えた。
「チ——」
声が形になるよりわずかに早く、器械台から取ったモス
術野を見て次の操作が読めるセシリアにとって、呼称と彼の考え方さえ押さえてしまえば難しい話ではない。
ダンカンの手が一瞬だけ止まるも何も言わず、そのまま手術操作に戻っていった。
最も。馴染んだのは公務をこなす環境だけで、北の寒さまで耐えられるようになったとは言い難い。
下手に寒い廊下や野外訓練に付き添えば睫毛の先まで冷え、暖房の効いた室内へ戻ってもしばらくは指先が思うように動かない。
なんとか慣れない北の冬を越えて、4月の半ば。
雪解けの進み始めた山岳部で小規模な雪崩が起き、複数名の負傷者が出た。
下山に使う予定だった経路が雪塊と倒木で塞がれ、負傷者を抱えたまま大きく迂回することになり、要塞へ戻った頃には交代時刻を大きく過ぎていた。
骨折、裂傷に低体温…。雪解け水の染み込んだ靴を何時間も履き続けた兵の足は冷たく膨れ、白く変色していた。
セシリアも診察台から診察台へ移りながら、処置をした。
そんな中、一人の兵が自力で入室してきた。
大丈夫だと作り笑いを見せる度に言葉が細かく途切れ、胸が浅く忙しなく上下している。
「おい!そいつ先だ!」
セシリアと同じく異変に気づいたダンカンが声を荒らげた。
衛生兵はなぜ?と戸惑った様子だったが早くしろ!と怒鳴られ、跳ねるようにその負傷兵を奥に運び出した。
誰かが命令を待って立ち尽くしているわけでもなければ、応急処置を知らないわけでもない。
それでも、患者が一度に増えると、同じ問いが繰り返し一人へ向かった。
「ダンカン先生!次は——」
「先生、血圧が落ちてきました!」
「ダンカン先生!輸液量は——」
ダンカンは処置中の患者から目を離さないまま答えることもあれば、別の兵の顔色を見ただけで順番を変えることもあった。
その判断は凄まじく速かった。
患者の流れがようやく緩み始めた頃、セシリアは今日診た患者の経過を一人ずつ辿った。
ダンカンの判断が速いからこそ、皆が彼を頼る。
けれど、もし同じ規模で負傷者が運び込まれた時、彼がそこにいなかったら?私一人で捌けない事態になったら?
そもそも、前線での衛生兵の篩い分けは適切なのだろうか?
セシリアは記録の余白に、初期判定と書き加えた。
数日後、セシリアは廊下の先でマイルズを見つけると迷わず駆け寄った。
「マイルズ少佐」
呼ばれたマイルズが振り返る。
「ん?ドクターか。どうした?」
「そ、その…お聞きしたいことが……」
「あぁ。歩きながらでも構わないか?」
「はい」
マイルズの歩調にセシリアが合わせて半ば小走りのように歩く。
「その、ダンカン先生は、長くこちらにいらっしゃるんですか?」
「そうだな。それがどうかしたか?」
「いえ、その…負傷者が運ばれてきた時の対応も手技も、とても速いので、どんな経歴なのかな、と」
「Dr.Dは…まぁいわゆるモグリの医者に医術を仕込まれたらしい。実家は炭鉱労働者だったそうだが、紛争の煽りを食って立ち行かなくなってな。それから西側の戦場を医者として転々としてたそうだ」
「戦場医をされていたのですね」
「あぁ。で、実践経験の豊富さに目をつけられて、ここに連れてきたというわけだ」
誰に、と聞くまでもなかった。
セシリアの中へ、屈強な男たちを青ざめさせるあの氷の女王の顔が浮かぶ。
「……そうか…だから…」
セシリアの独り言を聞いて、少し考えて思い至ったようにあー、と漏らすマイルズ。
「手技も物の呼び方も独特ってか?一番新しく来た衛生兵もそう零してたよ」
「はい。…あ!で、でも慣れてきました」
マイルズの口元がわずかに緩む。
「まぁ腕は確かだ。ダンカンがいなかったら助からなかったであろう命は両手じゃ収まらない。なんやかんや仲間のこと、可愛がってるしな」
「皆さんがとても信頼されているのが伝わります…この前の雪崩の時も、判断はほとんど先生に委ねられていました」
セシリアは言葉を選びながら訴える。
「その…治療の優先順位がもっと統一できれば、ダンカン先生の負担も減らせるんじゃないかな、って…。それから記録を見た限り、失血死がとても多く…寒冷地特有の症例はまだまだ経験不足ですが、その辺りなら、私でも助力できることがあるかも、と…」
マイルズはセシリアの言葉を受け、少し考えるように顎に手を添える。
「ふむ…。なら、医療班のカンファレンスで進言してみるといい。ちょうど近々、少将や私も出る各部署の代表を交えた協議があるしな」
急に話が大きくなった気がして、セシリアの歩みがわずかに鈍るが、マイルズはそれを気にした様子もなく続けた。
「そこで出せる形までまとめてくれれば、こちらも話を進めやすい」
「は、はい!ありがとうございます」
マイルズのアドバイス通り、カンファレンスでダンカンらにすぐ掛け合った。
数週間かけ、幹部協議へ回すための書類がようやく形にしたわけだが、それはそれは遠慮のない意見がダンカンから飛び、そのたびに項目を削り、数字を確かめ、寝る間も惜しんで何度も書き直して備えた。
そして協議当日。
オリヴィエが議長となり、各部署の報告や議題が処理されていく。
