Op:7 氷城の舟
ブリッグズ要塞 赴任者 名義変更
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マイルズが重い音を立てて分厚い扉を開く。
その向こうにあったのは、中央病院ほどの広さも華美さもない、使い込まれた医務室だった。
磨かれた金属器具に、整然と並ぶ薬瓶。包帯や消耗品は手を伸ばせば届く位置へ収められ、消毒薬の鋭い匂いに、どこからか機械油の匂いが薄く混じっている。
長い冬と怪我人を相手に、必要なものだけを必要な場所へ残してきたような部屋だった。
室内へ足を踏み入れたところで、「ん?」という男の声がした。
続いて金属同士の触れ合う硬い音が響き、奥から大きな影がぬっと現れる。
「ひゃ……!!」
今日何度目か分からない声が、とうとうはっきり口から出た。
現れた男は、朝から見てきた兵士たちの中でも一際大きい。
刈り上げた側頭部に、中央で逆立つ黒いモヒカン、その後ろから一本の長い三つ編みが垂れている。
機械鎧の接合部だけを残し、本来あるはずの腕がない。
「しっ、失礼しました……!」
「あ? お、おぉー……」
セシリアはとっさに非礼を詫びたが、男の方もセシリアを見るなり妙に言葉を詰まらせた。
頭を上げた彼女と目が合うと咳払いを一つしてから、先にマイルズへ敬礼する。
「あー、たしかエアハート先生つったな?大尉のバッカニアだ。右はこの有様なんでな、左手で勘弁してくれよ?」
握手のために差し出された左手は、セシリアのものとは比べものにならないほど大きかった。
けれど、セシリアが目を丸くしたのはその手ではなかった。
「……先生」
思わず小さく反芻する。
中央では医師免許を持っていても、そう呼ばれる機会はほとんどなかった。
まだ腕前ひとつ見せていない自分を、バッカニアはごく当たり前のように医者として扱ってくれている。
嬉しさがそのまま表情に浮かび、セシリアは差し出された手を右手で握った。けれど、それだけでは足りないような気がして、もう片方の手まで大きな甲へ重ねた。
「よ、よろしくお願いします、バッカニア大尉…!」
小さな両手に左手を包まれたバッカニアの顔が、見る間に赤くなった。
「え!!お、おう…!よろしくな!」
声だけはどうにか平静を装っているが、口元は隠しきれずに緩んでいる。
もっとも、先生と呼ばれたことに感極まっているセシリアは気づきようがない。
作業台にいた男とマイルズ、それに近くの医療班員だけが、何とも言えない顔でバッカニアを見ていた。
「“その可愛い腕”があんなら、今日んとこはスペアは不要かね?大尉殿」
飛んできた野次に、バッカニアが慌てて左手を引いた。
「な!!う、うるせぇな!」
工具を置いた男はバッカニアの反応に笑い、頭に巻いたバンドを直しながらセシリアの前へ出てきた。
「俺はニール。機械鎧技師だ。大尉の右腕は今奥で診てる」
「機械鎧……」
セシリアの視線はバッカニアの右肩で止まった。
それまで大柄な男たちに囲まれて縮こまっていたことも忘れ、接合部を確かめるように首を傾けた。
「神経接合型ですか?」
ニールが少し意外そうに顔を上げる。
「分かるのか?」
「知識だけです。実物を見るのは、ほとんど初めてで……」
答えながら、セシリアはもう一歩バッカニアの右肩へ近づいた。
「少し見てもいいですか?」
「あ?お、おうよ!すっ、好きなだけ見てくれ!」
許可を得たセシリアは、お礼を言いながら機械鎧の接合部を確かめようとわずかに身を屈めた。
すぐ目の前まで近づいた小さな体と、自分の肩へ真剣に注がれる瞳に、バッカニアの背筋が見る間にぎこちなくなる。
当のセシリアは皮膚と接合部の境目を追うことに夢中だった。
「…………」
バッカニアが耳まで赤くなり目が泳ぎ始めたところで、傍らの衛生兵が呆れたように目を細め、マイルズも色眼鏡の奥から冷ややかな視線を送った。
「…ここの寒さですと、接合部の凍傷を防ぐために何か対策をされているのですか?」
「おー、そこまで分かるか。そそ、特殊樹脂を噛ませてるよ」
ニールが機械鎧の一部を指先で叩く。
セシリアは接合部を興味深そうに見つめた。
「そのうち工房もゆっくり見せるぜ? 義肢つけてる兵も、先生に診てもらうことになるし」
ぱっと顔を上げたセシリアの表情が明るくなる。
「あ、ありがとうございます。ぜひ見せてください」
つい先ほどまで巨漢に囲まれて縮こまっていた、いかにも人見知りらしい新任軍医が、医療に関わる話になると自分から距離を詰め、次々と質問を始める。
その変わりようにニールが一度瞬きをし、近くにいた医療班員たちも少し意外そうに顔を見合わせた。
その時、医務室のさらに奥から低くしゃがれた声が飛んできた。
「……随分、細っこいのが来たな」

濃い珈琲の匂いとともに、白衣を着た年嵩の男が姿を現した。
大柄な身体に使い込まれた白衣を引っかけ、片手には黒々とした珈琲をなみなみ注いだカップを持っている。
(ま、また大柄な方……)
男は何も言わず、固まっているセシリアをの顔から足元まで目を走らせる。
ほんの数秒なのに、医者として使いものになる人間か、頭のてっぺんから指先まで品定めされているようだった。
セシリアは怯みそうになる気持ちを押し込み、男へ向き直る。
「は、初めまして。セシリア・エアハートです。今日からこちらでお世話になりますよ、よろしくお願いします…!」
セシリアが下げた頭を見下ろしながら、男は返事の代わりに珈琲を一口啜った。近くに立っているだけで、鼻が痺れそうなほど濃い香りがする。
「…ダンカン。世話するつもりはねぇから、んな挨拶いらねぇ」
それだけ告げると、ダンカンは踵を返し、さっさと奥へ引っ込んでいった。
「あ……」
取り残されたセシリアは、呼び止めることもできずにその背を見送った。
隣でニールが深いため息をつく。
「ったく……予想通りだな」
「Dr.D節が効きすぎてるぜ」
バッカニアもやれやれと頭を掻く。その呼び名に、セシリアははっとマイルズを見た。
「…い、今の方が少佐の言っていた……?」
「そう。ドクター・ドワイト・ダグラス・ダンカン。見事にD並びだから、みんなDr.Dと呼んでいる」
名前ほど単純なおっさんじゃねぇですけどね、と苦笑するバッカニア。
ダンカンが行った奥の方を見つめ、セシリアは少し不安そうに眉を下げた。
「……私、何か失礼なことを言ってしまったでしょうか」
「いやぁ?初対面相手なら大概あんなもんだ」
「そう、でしょうか…」
バッカニアが豪快に笑う。
「おやっさん相手にゃ、ちょっと図々しいくらいでいいんだぞ?遠慮したら負けだ先生!」
「は、はい。ありがとうございます。精一杯努めます…!」
大声を張られて呼ばれるのも、怒鳴られることも、イシュヴァールで慣れている。
ここに来たからには、やるべきことをやるだけだとセシリアは言い聞かせた。
