Op.2: D.S. Waltz
ブリッグズ要塞 赴任者 名義変更
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♪ TAP/ Dance: Dolores
心臓が騒ぐ中、次の曲が始まる合図を告げる短いファンファーレが響いた。
「ぅ……」
厳粛な序奏が始まり、
そっと互いに歩み寄ると、オリヴィエの右手がそっと腰に添えられた。
萎縮するセシリアの耳元にオリヴィエの低い声が短く降り注ぐ。
「そう身構えるな。私に委ねていればいい」
「!…はい」
耳元に落ちてくるその甘い言霊は、セシリアの背筋に未知の戦慄を走らせた。
やがて哀愁漂う第1ワルツが始まり、オリヴィエがゆっくりと滑り出すー
「……っ」
身体が導かれてすぐ、驚いた。先ほどまでの7曲とはまるで違う。どちらへ踏み出すのか考える必要がない。
掌の圧、呼吸や僅かな身体の向き。それだけで次に何をすればいいのか分かる。
オリヴィエのリードは、会場のどの男性よりも力強く、それでいて優雅だった。強く軍人らしい、揺るぎない体幹。それなのに動きは滑らかで、それを証すかのようにセシリアのフクシア色が、会場のどの淑女たちのドレスよりも美しくフロアに咲いた。
(……すごい…)
翻弄されるがままステップを踏むセシリアの視線は、自然と至近距離にあるオリヴィエへと吸い寄せられていく。
庭に冴えていた三日月は、今はシャンデリアの灯りに照らされて眩しい。
凛々しい表情に乗る肉感的な唇は、メスジャケットでは隠しきれない彼女の圧倒的に華やかな雰囲気を一層引き立てている。
ふと、
それだけではないような気もした。
オリヴィエ本人の匂いと混じっているのか、今まで会場ですれ違う度に鼻についた貴族の女性たちのどの香水とも違って感じられた。
「まだ、緊張しておられるな。私のステップが強引だったか?」
「め、滅相もありません…!頼もしいステップに驚いているだけです…!」
オリヴィエの口元が僅かに上がった。
「そうか。あなたこそ、人混みを嫌悪する割に、いいステップだ」
「あ、ありがとうございます…」
胸が妙に鳴ったと同時に、マナーに則って褒め返さなければと慌てて返した。
「……ぁ!いえ、その……閣下のエスコートのおかげです。」
必死に淑女をこなす姿を微笑ましそうにしてオリヴィエは目を細める。
「それはなにより」
「……っ……ぁ、ええと……」
会話をすべきか、音楽とダンスに集中すべきかわからないと狼狽していると、オリヴィエが先に口を開いた。
「この曲はいかがかな?」
「あっ……ド、ドローレスですよね?すき…好きです。少なくとも…スケーターズワルツより」
音楽だからと油断し、正直に言ってしまってから後悔した。
(お相手が好きな曲だったらどうするのよ…!)
だがそんなセシリアの心配をよそに、オリヴィエは小さく噴き出し声を上擦らせた。
「フ…ッ!定番が好かんのは同意だ。」
「!」
笑った…。
たぶん、バカにされてるでもなく。その事実とオリヴィエの不敵な笑みにセシリアは目が奪われた。
カップルたちの人波を見事に避けてからオリヴィエは続ける。
「この14曲目が青く美しきドナウでなくてよかった、と言ったところか?」
「ぁ…シュトラウスも好きです…!彼のその…当時のルールを、信じた音楽で塗り替える大胆さも含めて…」
人との交流に限りがあるセシリアにとって芸術は他者の人生に深く触れられる貴重な自叙伝だったのだ。
「まったくだ。だが野生の反逆児に惹かれたならなおのこと、ワルトがイチオシでもなさそうだ」
「そうですね…でも、今夜のドローレスは特別に聞こえます」
「というと?」
「厳格でもの悲しげですのに、第2ワルツから華やかになっていって……その、か閣下に、お似合いだと思いますわ…」
「私に?」
「はい。あ……いえ、物悲しいという意味ではなくて……!」
社交辞令に失敗した、と顔が熱くなる。けれどオリヴィエは口角を上げた。
「フッ、面白い評だ。」
人によっては即失格な言動を先程からしているはずなのに。
厳しい顔をしていながら声は怒っていない。それどころか、愉しんでいる。
(逆にどうしたらこの方は怒るのかしら…?)
「抒情詩的な曲となるとまさかチャイコフスキーで?」
いくつかステップを踏んでから、オリヴィエが会話を再開した。
「えぇと…彼の曲は…あまり聞き馴染みがなく…」
音楽が頭に容赦なく踏み込み、饒舌に物語を伝えようとする音が苦手だった。嫌い、と言わないように努めたが、その様が面白かったのかオリヴィエはまた笑っていた。
「同じロマン派でしたら、サロンで静かに流れるピアノ曲が、好き…です。」
「やはり。………なら、メンデルスゾーンあたりか」
「!」
セシリアは思わず顔を上げた。
「好きです……!どうして分かったのですか?」
「さぁ?なぜでしょうな」
オリヴィエはふっと口角を上げた。
「では、こちらからも一つ訊くとしよう」
「え?」
「あなたが目指すのは、国家錬金術師か?」
「いいえ」
今度はオリヴィエを真っ直ぐ捉えて答えられた。
「医師になります。」
「ほぅ?」
「錬金術は、医学に使えるようになりたくて、祖父のように……だから…」
「なるほど」
音楽が第3ワルツのアレンジに入り華やかに彼女達のダンスを彩った。
曲調とテンポに合わせて流れるオリヴィエの手に導かれ、一回転すると、フクシアの裾が大きく弧を描き、また閉じた。
「父君から貰った機会を活かしたいと言っていましたな」
戻ってきたセシリアの手を、オリヴィエが正確に取りながら続ける。
「はい。」
「なら、顔を上げられよ。……ヒヤシンスは陽地に咲くもの。“壁“や“月下“にいては咲き時を失う」
セシリアは瞬きをした。
(もしかして……わたしが行き場に困って隅にいたのを見られてたの……?)
目の前の彼女と次のステップを促す手に深い思考が奪われる。ホールに入った時とはどこか違う緊張が走っているのに、まったく不快ではなかった。むしろ……
「……」
セシリアはゆっくりと顔を上げた。オリヴィエの肩越しに、初めて踊っている最中の周囲の様子が見えた。こちらを見ている人がたくさんいる。
驚いている人。眉を顰めている人。
興味深そうに囁いている人。
(や、やっぱり怖い…)
けれど……
もう一度オリヴィエに視線を戻す。
この人は何一つ気にしておらず、ただじっとこちらを見下ろしている。だからセシリアも、彼女の背に合わせるように胸を張る。
(あれ…音がよく聞こえるわ。…お母様たちと踊るダンスのよう。
…楽しい……)
「そうだ。それでいい」
「!」
表情が幾分か明るくなったセシリアを見て、オリヴィエが微笑んだ。はい、と返したかったのに、セシリアはなぜか声が詰まった。
彼女を見つめてふと気づく。そういえば、名前を知らない。向こうも、自分の名前を知らないはずだ。
「私、セシリアと申します。セシリア・エアハートです」
唐突すぎたかと思ったがオリヴィエも返してくれた。
「オリヴィエ・ミラ・アームストロングだ」
アームストロング。国内でも指折りの名門貴族。その姓はセシリアでも聞いたことがある。だが姓よりもー
「オリヴィエ、様…」
「………」
本来男性に与えられる、平和を象徴する木の名前を、口の中で転がした。
姓はもちろん、その名前は違和感どころか、彼女の持つ厳格なオーラや頼もしさ、凛々しさにこれ以上なくふさわしいと思えた。
曲は最後の旋律へ入る。
(…もう…終わってしまう)
先ほどまで、一曲が早く終わってほしくて仕方がなかったのに、今は違う。
この曲だけ、もう少しだけでいい。続いてくれれば。
そう思うと、無意識に組んだ手へ少し力が入った。オリヴィエの青い瞳に、それを察知された気がした。
力強い
