Op:7 氷城の舟
ブリッグズ要塞 赴任者 名義変更
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朝食を終えて朝礼場所へ近づくにつれ、要塞内を飛び交う声の調子が変わっていった。
遠くから名前を読み上げる声、それに揃って返される応答。装具や服装の不備を鋭く指摘する声が、石壁の向こうから次々と響いてくる。
士官学校にいた頃、訓練場の向こうから教官たちの点呼を聞くことはあったし、マスタングやヒューズから軍隊の日課について聞かされたこともある。
それでも、幾百人もの人間が同じ時刻に集まり、同じ規律のもとで動き始める要塞の朝は、知識として聞いていたものより遥かに厳格で圧倒された。
朝礼場所に入れば、その規律を支える兵士たちの存在感にも否応なく圧倒される。
離れた席から見るだけでも十分に大きかった男たちが、黒い軍服を纏って列を成すと、なおさら威圧感がある。
セシリアより頭一つ半以上高い者など珍しくもなく、2メートル以上の巨躯まで混じっていた。
その誰もが、今は私語一つせず真っ直ぐ前を向いている。
セシリアはマイルズに促され、邪魔にならない壁際へ寄った。
その時、広間に残っていた衣擦れや靴音がすっと途絶え、1人の女が現れると幾百もの軍靴が一斉に床を打った。
腹の底まで響く轟音に、セシリアの肩が小さく跳ねる。
腰まで届く金髪が背で揺らし、堂々と歩くオリヴィエ・ミラ・アームストロングの姿は、黒い軍服で埋め尽くされた広間の中でもひときわ鮮やかだった。
女性としては長身でも、屈強な北方兵に囲まれれば身体は細く、一回り小さい。それでもセシリアの目には、この場にいる誰よりも大きく映った。
オリヴィエは歩調ひとつ変えずに壁際の階段を上り、兵たちを見渡せる位置で踵を返した。
直れ、休めの号令で、兵たちの腕が、一斉に下りる。
オリヴィエは眼下に並ぶ兵士たちへ、ゆっくりと視線を巡らせた。
「…………」
ここに立つ全員を見渡し、ほんのわずかな弛みさえ見逃さないと言っているかのような目。
その目を追いながら、セシリアはもう一度、胸の内でその呼び名をなぞった。
氷の女王。

あれほど大きく見えた男たちが、彼女の一声で姿勢を揃える光景を前にすれば、誰もその呼び名に異を唱えないだろう。
そして今日から、自分もこの人の配下になったのだ。
セシリアは袖口から覗く指先をそっと握り、兵士たちに倣うように背筋を伸ばした。
朝礼の最後に、オリヴィエから新任の軍医として紹介された。
視線が一斉に集まった時にはさすがに足が竦んだが、セシリアはどうにか着任の挨拶を済ませた。
朝礼が解散すると、オリヴィエはセシリアの案内をマイルズへ任せる短い指示だけを残し、数人の部下を従えて歩き去っていった。
黒い軍服の中を横切り、長い金髪もほどなく見えなくなる。
「では行くぞ。砦の中を案内しよう」
マイルズの声に、セシリアは慌ててその背を追った。
要塞の内部は、新参者にとって人間以上に手強かった。
真っ直ぐ続いているように見えた通路が途中で折れ、似た鉄扉がいくつも並んでいる。
階段は一段ごとの高さまで微妙に違い、外套の裾へ気を取られれば足を取られそうになり、分岐を覚えようと周囲を見回せば、今度はマイルズの背が遠ざかる。
右へ曲がって、階段。次の扉を越えて左。
その先にもう一つ通路。
先ほどの場所と似ているけれど、配管の位置が違う。
セシリアは頭の中へ必死に道順を刻みながら歩いていたが、ゲートに繋がるエレベーターの扉が開くと、大きな人影が目の前に現れて腰を抜かしそうになる。
「ヒッ……!」
反射的に喉の奥から小さな音が漏れる。
兵士が足を止めたことで我に返り、セシリアは慌てて身を縮めた。
「す、すみません……!」
ところが兵士は気を悪くした様子もなく、セシリアの靴先の少し前を笑いながら指した。
「そこ、滑るぞ」
石床の端に、薄く氷が張っている。
「え!あ……ありがとうございます」
慎重に避けて通るセシリアへ片手を上げ、兵士はそのままエレベーターへ乗り込んでいった。
それからも、扉の向こうから胸板の厚い兵士が現れるたびに肩が跳ね、階段の踊り場で大柄な男と鉢合わせれば思わず足が止まりかけた。
けれど当の兵士たちはそんな反応をさほど気に留める様子もなく、
「セントラルからの列車旅じゃ疲れたんじゃないすか?」
「ここ広いけど、場所覚えられそうっすか?」
と気軽に声をかけてくる。
しばらく歩いたところで、マイルズが横目でセシリアを見た。
「見た目で驚くのは無理もない。冬山と国境警備と、あの少将にしごかれた連中だからな。まあ、そのうち慣れる」
「は、はい……びっくりはしましたけど、皆さんはその……気さくに話してくださるんですね」
大きな影に身体が強張るが、面白がって囃す者もいなければ、経歴を知ったような顔で囁き合う者も、含みのある笑いを向けてくる者もいない。
そのことに胸を撫で下ろしていると、マイルズは色眼鏡を掛け直して呟く。
「まだ君が何者か、誰も知らないからな」
「え?」
遠くから名前を読み上げる声、それに揃って返される応答。装具や服装の不備を鋭く指摘する声が、石壁の向こうから次々と響いてくる。
士官学校にいた頃、訓練場の向こうから教官たちの点呼を聞くことはあったし、マスタングやヒューズから軍隊の日課について聞かされたこともある。
それでも、幾百人もの人間が同じ時刻に集まり、同じ規律のもとで動き始める要塞の朝は、知識として聞いていたものより遥かに厳格で圧倒された。
朝礼場所に入れば、その規律を支える兵士たちの存在感にも否応なく圧倒される。
離れた席から見るだけでも十分に大きかった男たちが、黒い軍服を纏って列を成すと、なおさら威圧感がある。
セシリアより頭一つ半以上高い者など珍しくもなく、2メートル以上の巨躯まで混じっていた。
その誰もが、今は私語一つせず真っ直ぐ前を向いている。
セシリアはマイルズに促され、邪魔にならない壁際へ寄った。
その時、広間に残っていた衣擦れや靴音がすっと途絶え、1人の女が現れると幾百もの軍靴が一斉に床を打った。
腹の底まで響く轟音に、セシリアの肩が小さく跳ねる。
腰まで届く金髪が背で揺らし、堂々と歩くオリヴィエ・ミラ・アームストロングの姿は、黒い軍服で埋め尽くされた広間の中でもひときわ鮮やかだった。
女性としては長身でも、屈強な北方兵に囲まれれば身体は細く、一回り小さい。それでもセシリアの目には、この場にいる誰よりも大きく映った。
オリヴィエは歩調ひとつ変えずに壁際の階段を上り、兵たちを見渡せる位置で踵を返した。
直れ、休めの号令で、兵たちの腕が、一斉に下りる。
オリヴィエは眼下に並ぶ兵士たちへ、ゆっくりと視線を巡らせた。
「…………」
ここに立つ全員を見渡し、ほんのわずかな弛みさえ見逃さないと言っているかのような目。
その目を追いながら、セシリアはもう一度、胸の内でその呼び名をなぞった。
氷の女王。

あれほど大きく見えた男たちが、彼女の一声で姿勢を揃える光景を前にすれば、誰もその呼び名に異を唱えないだろう。
そして今日から、自分もこの人の配下になったのだ。
セシリアは袖口から覗く指先をそっと握り、兵士たちに倣うように背筋を伸ばした。
朝礼の最後に、オリヴィエから新任の軍医として紹介された。
視線が一斉に集まった時にはさすがに足が竦んだが、セシリアはどうにか着任の挨拶を済ませた。
朝礼が解散すると、オリヴィエはセシリアの案内をマイルズへ任せる短い指示だけを残し、数人の部下を従えて歩き去っていった。
黒い軍服の中を横切り、長い金髪もほどなく見えなくなる。
「では行くぞ。砦の中を案内しよう」
マイルズの声に、セシリアは慌ててその背を追った。
要塞の内部は、新参者にとって人間以上に手強かった。
真っ直ぐ続いているように見えた通路が途中で折れ、似た鉄扉がいくつも並んでいる。
階段は一段ごとの高さまで微妙に違い、外套の裾へ気を取られれば足を取られそうになり、分岐を覚えようと周囲を見回せば、今度はマイルズの背が遠ざかる。
右へ曲がって、階段。次の扉を越えて左。
その先にもう一つ通路。
先ほどの場所と似ているけれど、配管の位置が違う。
セシリアは頭の中へ必死に道順を刻みながら歩いていたが、ゲートに繋がるエレベーターの扉が開くと、大きな人影が目の前に現れて腰を抜かしそうになる。
「ヒッ……!」
反射的に喉の奥から小さな音が漏れる。
兵士が足を止めたことで我に返り、セシリアは慌てて身を縮めた。
「す、すみません……!」
ところが兵士は気を悪くした様子もなく、セシリアの靴先の少し前を笑いながら指した。
「そこ、滑るぞ」
石床の端に、薄く氷が張っている。
「え!あ……ありがとうございます」
慎重に避けて通るセシリアへ片手を上げ、兵士はそのままエレベーターへ乗り込んでいった。
それからも、扉の向こうから胸板の厚い兵士が現れるたびに肩が跳ね、階段の踊り場で大柄な男と鉢合わせれば思わず足が止まりかけた。
けれど当の兵士たちはそんな反応をさほど気に留める様子もなく、
「セントラルからの列車旅じゃ疲れたんじゃないすか?」
「ここ広いけど、場所覚えられそうっすか?」
と気軽に声をかけてくる。
しばらく歩いたところで、マイルズが横目でセシリアを見た。
「見た目で驚くのは無理もない。冬山と国境警備と、あの少将にしごかれた連中だからな。まあ、そのうち慣れる」
「は、はい……びっくりはしましたけど、皆さんはその……気さくに話してくださるんですね」
大きな影に身体が強張るが、面白がって囃す者もいなければ、経歴を知ったような顔で囁き合う者も、含みのある笑いを向けてくる者もいない。
そのことに胸を撫で下ろしていると、マイルズは色眼鏡を掛け直して呟く。
「まだ君が何者か、誰も知らないからな」
「え?」
