Op:7 氷城の舟
ブリッグズ要塞 赴任者 名義変更
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午前6時、起床を告げる号音がブリッグズ要塞に響き渡った。
石壁を伝って届く音に、セシリアは目を開ける。ほどなく遠くの廊下から軍靴の音が行き交い始め、扉の開閉や人の声の振動が重なっていく。
ベッドを抜け出し、身支度を整えるが…
「うぅっ……!」
カーディガンに袖を通しても、秋とはにわかに信じがたい冷気が衣服の隙間から入り込んでくる。
スラックスを履いて白衣を羽織り、最後に昨夜マイルズから渡された黒い冬用外套へ腕を通した。
北方軍の兵士たちが着ているものと同じ厚手の外套で、肩章はない。
セシリアの体格に合わせた正式なものが届くまでの貸与品だという。
一番小さいサイズを用意してもらったはずが、それでも肩はわずかに余り、腕を下ろせば袖口が手のひらまで覆った。
鏡の前に立つと、見慣れた白衣はほとんど黒い毛織物の中へ隠れていた。
セシリアは袖口から指先を出し、厚い布を摘んで少し引き上げる。
今日からは、この格好で医務室に立つ。
鏡の中にはまだ借り物の外套に着られている自分がいて、セシリアは襟元を整えると、もう一度だけ袖を引き上げた。
扉を開けると、ちょうど迎えに来たマイルズが片手を上げた。
「おはよう。……ハハ、やっぱり少し大きかったか」
「お、おはようございます。はい。でも暖かいです」
袖口から覗く指先を見せると、マイルズは小さく笑った。
「それは何より。まずは朝食だ。案内しよう」
マイルズについて食堂へ入ると、煮込み料理の匂いを含んだ湯気の向こうに、長机が幾列も並び、そのほとんどを黒い軍服が埋めている。
何より、大きい。
セントラルで見た兵たちより、全員が桁違いに大きく感じられた。
座っていてもセシリアより頭ひとつは高そうな男が珍しくなく、厚い軍服越しにも肩や腕の逞しさが分かる。
立ち上がった兵とすれ違うたびに黒い壁が横を通り過ぎるようで、華奢なセシリアはその合間を縫うようにマイルズの後ろをついていった。
マイルズは兵士たちの並ぶ長机へは向かわず、食堂の最奥の区画へ足を向けた。
一般兵の席から少し離れた席だった。
セシリアは案内された席に腰掛けると外套の袖から指先を出し、スプーンを手に取った。
けれど、ほどなくして視線を感じ、恐る恐る顔を上げた。
少し離れた長机から、何人かの兵士がこちらを見ている。
目が合うなり視線を戻す者もいれば、隣の男へ何か囁き、またこちらを窺う者もいた。
(や、やっぱり大きい……!)
見慣れない人間が、今日から軍医として要塞の一員として加わるのだ。
珍しがられるのは当然だと分かっていても、どうにも落ち着かない。
セシリアは隠れるように視線を煮込み料理へ戻した。
先ほどまで何気なく持っていたスプーンを、妙に行儀よく握り直す。
「気にするな」
脂の浮いたスープを口に運びながら不意にマイルズが言った。
「え?」
「新顔が珍しいだけだ」
「そ、そうですよね……」
「女性はこの要塞に君と閣下しかいないから余計なんだろうが…まぁあの氷の女王様の砦だ。君を取って食うなんて自殺行為に走る馬鹿はいないよ」
「氷の……?」
「アームストロング少将のことさ」
その呼び名と、セシリアの知るオリヴィエの姿は、すぐには重ならなかった。
夜会で踊った時の彼女は紳士的で、どうしたらこの人は怒るのだろう、とむしろ不思議に思ったくらいだ。
事故現場で再会した時、騒音に呑まれた自分の声を鋭く指摘されて驚きはしたものの、怖かった記憶はない。
少なくとも、マイルズが言う「氷の女王」という呼び名ほど恐ろしく、冷たい人には思えなかった。
どうにも腑に落ちずにいるセシリアをみて、マイルズが口の端を上げた。
「今にわかる」
