Op.6 : 熾天使のカラー
ブリッグズ要塞 赴任者 名義変更
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翌朝。
中央司令部の大会議室には、各方面の将官が揃っていた。
オリヴィエが席へ着くと、向かいの列にはセシリアの父・ヴィンセントがいた。
南方へ飛ばされたばかりだというのに、いつもの飄々とした顔で資料を捲っているが、その思考が紙面だけに向いていないことくらいは分かる。
やがて軍議が始まり、南方の番になると、ヴィンセントが地図の前へ立った。
「アエルゴ側の哨戒は特にこの辺り、南西部で確認されていますが、正規軍の大移動は確認されていません。現状はこちらから兵を積む段階ではないでしょう」
「おやおや、軍師ヴィンスともあろう方が、南の蛮族の猛攻に腰が引けたと?」
中央の将校があからさまな挑発を飛ばした。
「こちらが積めば、向こうも積みますよ。銃を撃つ理由ばかり増やしても、補給費と棺桶代が嵩むだけでしょう?」
「…だから増援の要求はなし、と?」
「えぇ。焼きたてのショートブレッドを並べても退屈でしょう?」
その皮肉に、会議室へ低い笑いが走る。
必要以上に兵を死なせない。
昔から変わらない采配だが、それ以外にも思案を張り巡らしていそうな顔はカンに触る男だ。
やがて、ブリッグズ砦の番が回ってきた。
オリヴィエは軍医増員の必要性を示す資料を順に提示し、最後に結論を告げる。
「以上を踏まえ、ブリッグズからは軍医官一名の増員を要求する」
会議室に小さなどよめきが起こる。
「現有の医療班では不足か?」
議長は明らかに顔を顰めていた。
「いえ。今いる者たちはよくやっています」
「それなのに、医学錬金術を扱え、実地経験もある即戦力を一人よこせ、と。……北方は、随分な贅沢品を欲しがる」
「ほう。では、医学生を100人繕うとでも?」
「……」
難色を示す一同の中、ヴィンセントが口を挟んだ。
「見習いをあの要塞に置いたらば、半数は雪解けのブリッグズ山を見ることは叶わんでしょう。と考えると、アームストロング少将の要求そのものは過大とは思いませんな。ブリッグズにおける後送問題と傷病率を見れば、一人、技術のある医者を置いてみるのは安い」
「おや、エアハート少将は“北方勤務がお望み”でしたかな?」
再び中央の将校がヴィンセントを野次った。
「いいえ、エジソン准将。私はブリッグズ熊と踊る趣味はありませんよ」
ヴィンセントがいつものようにさらりと皮肉を躱すと
「まぁ、軍師殿の言うことはもっともだねぇ」
と老将グラマンが便乗した。
「ドラクマ相手に人を惜しむ方が高くつくでしょ?」
どうやらマスタングは“宿題”を済ませたらしい。
南方と東方。
二方面の将が後押ししたことで、議論の空気が変わった。
結果、北方の軍医官一名については、編制定員上の異論なしとして可決された。
「増員する軍医官。誰か目星をつけた上での打診なんだろう? アームストロング少〜将っ」
休憩に入り、オリヴィエが窓際の椅子で紅茶を口にしていると、気の抜けた声が頭上から降ってきた。
「……エアハート。そうだが」
ヴィンセントはゆっくりと隣の椅子へ腰を下ろすと、声を潜め、確信を持って訊ねる。
「お目当ては、セシリアかな?」
「南の最果てに座しているとは思えんほど耳が早いな」
「そりゃあ、東の熾天使だの、汀の錬金術師だの、美人に育っただのと、景気のいい話はいくらでも届く」
「親の欲目が混ざってるな」
「可愛いのは事実だろう?」
「………」
呆れるオリヴィエを気にする様子もなく、ヴィンセントは窓の外の曇り空を眺めた。
「あれほど新聞社やラジオ局を使ってセシリアを騒ぎ立てさせたというのに、病院勤めになってからは音沙汰なしさ」
彼の視線は窓硝子から、ゆっくりと部屋の奥へ移る。
そこでは中央の将官たちがいくつもの輪を作り、何事もなかったように煙草を燻らせていた。
「病院の理事側には、私を南へ飛ばすのに随分熱心だった連中もいるからね。
娘だけは可愛がってくれる、なんて……都合のいい夢を見るほど若くはないよ」
刃の腹を押し当てられたかのように皮膚が粟立つ静かな声だった。
オリヴィエは紅茶を飲むみかけた手を止め、初めて見るヴィンセントの殺気を孕んだ横顔を見届た。
張り詰めた空気の中、ティーカップがソーサーに触れて硬質な音を立てる。
「…なら、話は早いな」
「君の言おうとしていることは分かるよアームストロング。……私にセシリアの引き抜き案を支持しろと言うんだろう?」
「あぁ」
「よし。なら一つだけ確認しておきたい」
ヴィンセントは射すくめような視線をオリヴィエに向けた。
「君は、私の娘を“アクセサリー”にするつもりじゃないだろうね?」
「私の耳にピアスホールでも見えるか?北国では凍傷を負うだけだ」
一瞬の躊躇もなく返され、ヴィンセントは目を丸くしてから声を立てて笑った。
「ハハハッ!……確かに。耳を削ぎ落としてまで洒落込む君じゃないな!……では欲しいのは、軍が隠しているビルの研究か?」
「“軍医”としての腕だ」
そこで、ヴィンセントの口元に残っていた笑みがゆっくりと形を変えたかと思えば、カップの持ち手をでひと撫でた。
紅茶に映るその瞳には、父親としての安堵に近いものが宿っていた。
「……そこまで買ってくれてるなんてね」
「実際にあれを見てはな」
ヴィンセントは一瞬考え、それから「あぁ、なるほど」と頷く。
「脱線事故か。じゃあ記事の“現場に居合わせた医者”ってのは、セシリアだね?」
一言二言交わせば、こちらの思考を見抜く。
中央が厄介がるわけだ。
「昔っからそうなんだ。実験動物にまで毎度情が湧いてしまう。我々と同じように、いつかその感情が鈍る日が来ると思ったんだけど、来なかった」
どこか懐かしみ、気遣うような複雑な声音でありながら、ヴィンセントの言葉の端々には、遠い日の記憶を慈しむような温かさがあった。
「それでも続けさせたのか」
「子どもの力を信じない親なんていないさ」
迷いのない返答だった。
親とはそういうものなのだろうか。
「他の貴族から見れば頭がイカれていると思うかもしれないが、子のやりたいことを我慢させてまでお家柄を守ろうとする者は、うちには誰1人としていなかった。命に対する情念だけなら、あの子は師のビルをも超えるよ」
「……ROCETについて、何か知らんのか。彼と同じ家で暮らしていたのだろう」
「ビルは研究については私の妻にも話さなかったくらいだからね。おそらく君が掴んでいる程度のものしか、私も知らないよ」
「…そうか」
ともあれ、とヴィンセントはいたずらっぽく微笑んだ。
「君の城なら、中央もセシリアを好き勝手にはできないだろう?」
「無論」
「賛同はする。ただ、親族という立場上、強くは押せないよ?」
「分かっている」
そのために夜会で手間のかかる仕込みをしたのだから。
「はぁ〜。あんな楚々とした可愛い可愛いセシリアを?よりによって寒くて危険なブリッグズ砦へ送り出すなんて……!パパもう耐えられない」
「親バカめ」
肩を抱いて嘆くヴィンセントにとうとう思っていたことを口に出した。
「だって……! あんなに美人に育った我が子にバカになるなって方が無理な話だろう?」
「私に聞くな」
「君も子供ができれば分かるさ」
「貴様のような甘やかし方はせん」
「どうだろうねぇ?」
ますます悪戯っぽい笑みを浮かべてから、ヴィンセントは遠い日の光景を愛おしむように目を伏せた。
「けど、あの子は強い。きっとやれる」
「……来るかどうかは本人次第だがな」
虚を突かれたように瞬きをしてから、ヴィンセントはまた愉快そうに口元へ手を添え、忍び笑いを漏らす。
それから芝居がかった調子で両手を広げた。
「おやー?本人の意向を尊重してくれるのかい!?なんて優しい氷の女王だ」
「阿呆か。やる気のない奴を引き摺り込むほど暇ではないだけだ」
「……ふぅん?」
ヴィンセントは何か言いたそうにしたが、休憩終了の知らせが入った。
「そこは心配ないさ。私の子だからね」
「貴様とまるっきり似ていないがな」
「あの子は祖母似なもので」
ヴィンセントは立ち上がると、いつもの飄々とした笑みで振り返ってオリヴィエに告げた。
「娘のことは頼んだよ、アームストロング少将」
