Op.5: 白銀の標
ブリッグズ要塞 赴任者 名義変更
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掠れた低い女の声が、憲兵の背後から飛んだ。
「か、閣下!」という一同の声にセシリアも振り返った。
「え……?」
長い月のような金髪に鋭い青の双眸。
数年前の夜会の記憶が鮮明に蘇る。
「あっ……アームストロング准将……?」
なぜここにいるのかという疑問が一瞬だけ浮かぶ。
だがオリヴィエはそれに答えるより先に、周囲へ視線を走らせる。
傾いた車両、負傷者、人員を見て、即座に命令を飛ばした。
「重傷者には勝手に触るな。そこの医者の指示に従え」
セシリアは思わず小さく目を見開いた。
“医者”
以前、自分が目標を語った人が、熾天使でも、Dr.ナースでもなく、医者と呼んでくれた。
その事実だけで、心の凝りが溶けていくようだった。
「搬送用の動線の確保だ。コンコースを空けて野次馬も入れるな。憲兵、セントラル病院への連絡は?」
「連絡済です!」
「病院までの車道を封鎖して搬送路を確保しろ。担架の流れを止めるな」
短い命令が落ちるたび、混乱していた人の流れがほどけていく。
セシリアは思わずその様子を見ていた。
気づけば、青い瞳がこちらへ向いている。
「何が要る」
「……え?」
「治療に必要なものは」
あまりに唐突に問われ、セシリアは瞬いた。
「でも、病院から救護班が来れば……」
「それまで何分かかる?」
「あ……」
「まずは言うだけ言え」
短く、余計な意味を含めず、怒鳴らず、ただ答えだけを求める声。そのおかげで、セシリアは思考が遮られずに済んだ。
「……麻酔と注射器。生理食塩水……」
「聞き間違える!声を張れ!」
「せっ、生食にリンゲル液!それから駆血帯に動脈鉗子、絹糸!消毒薬とガーゼ、包帯が欲しいです…!」
一息に言って、周囲を見回す。
「あと…毛布です!」
「聞こえたな憲兵!」
オリヴィエが憲兵へ顔を向ける。
「はい!」
「近隣の医院を片端から当たれ。今言った物資を軍の徴用だと伝えて持って来い。市内を巡回中の兵らにも通達してここに集めろ」
「はっ!」
「非番の兵はいるか!」
「は、はい!ここに!」
「この騒ぎだというのに何をぼさっとしている!救助作業に入れ!」
「もっ、申し訳ありません!すぐに!」
兵たちが走り出す。
セシリアはその背を見送り、それからようやくオリヴィエを見上げた。
「あの……ありがとうございま——」
「礼を言う暇があるなら手を動かせ。兵の手も遠慮せず借りろ。
…貴様にかかっているぞ、“ドクター“」
「!は、はい…!」
現場を任された事実に胸が熱くなりながらセシリアは応急処置を再開した。
声を上げれば、今度は誰も迷わず動いた。
自分で診て、誰かが運び、必要なものを集めてくれる。
ひとつずつ、役割が噛み合っていく。
次にオリヴィエによって運ばれてきた男を見て、セシリアの表情が変わった。
車体へ挟まれたらしい右大腿部は、非常に激しい損傷を受け、出血も多かった。
男性の顔から血の気が引き、呼吸も弱々しい。
(このままでは間に合わない)
セシリアは足の根を駆血してから男の腰へ指を添える。
血管、神経、筋、折れた骨。
幼い頃に叩き込んだ人体の構造へ、祖母から教わったもう一つの見方を重ねる。
身体の内を巡るもの。
東では力の循環と呼ぶものを、祖母はもっと大きな「流れ」として教えた。
体を巡る生命力の流れを手袋越しに読んだ。
「動かないでくださいね」
男の傷から流れる血を指先で広げ、床に錬成陣を描いて両手を置くと、セシリアの手元に青白い光が走る。
すると出血が止まり、男性の苦悶する声が和らいで先ほどより呼吸にも力が感じられた。
「……よし」
血圧を測定して地面に血で書き記したところで、セントラル大病院から救護班が到着した。
「引き継ぎます!」
「40代男性、大腿部開放、バイタルは足元に記載、こちらは胸部外傷、呼吸に左右差がありフレイル疑い、左側臥位で胸壁動揺を抑え——」
状態と施した処置を端的に伝える。あの地獄で何度も聞き、繰り返した申し送りは考えなくても口から出た。
救護班の医師が一瞬だけセシリアを見た。
だが緊急事態を前に何も言わず、すぐ患者の対応をした。
搬送車両は、一台ずつ駅を離れていった。
「か、閣下!」という一同の声にセシリアも振り返った。
「え……?」
長い月のような金髪に鋭い青の双眸。
数年前の夜会の記憶が鮮明に蘇る。
「あっ……アームストロング准将……?」
なぜここにいるのかという疑問が一瞬だけ浮かぶ。
だがオリヴィエはそれに答えるより先に、周囲へ視線を走らせる。
傾いた車両、負傷者、人員を見て、即座に命令を飛ばした。
「重傷者には勝手に触るな。そこの医者の指示に従え」
セシリアは思わず小さく目を見開いた。
“医者”
以前、自分が目標を語った人が、熾天使でも、Dr.ナースでもなく、医者と呼んでくれた。
その事実だけで、心の凝りが溶けていくようだった。
「搬送用の動線の確保だ。コンコースを空けて野次馬も入れるな。憲兵、セントラル病院への連絡は?」
「連絡済です!」
「病院までの車道を封鎖して搬送路を確保しろ。担架の流れを止めるな」
短い命令が落ちるたび、混乱していた人の流れがほどけていく。
セシリアは思わずその様子を見ていた。
気づけば、青い瞳がこちらへ向いている。
「何が要る」
「……え?」
「治療に必要なものは」
あまりに唐突に問われ、セシリアは瞬いた。
「でも、病院から救護班が来れば……」
「それまで何分かかる?」
「あ……」
「まずは言うだけ言え」
短く、余計な意味を含めず、怒鳴らず、ただ答えだけを求める声。そのおかげで、セシリアは思考が遮られずに済んだ。
「……麻酔と注射器。生理食塩水……」
「聞き間違える!声を張れ!」
「せっ、生食にリンゲル液!それから駆血帯に動脈鉗子、絹糸!消毒薬とガーゼ、包帯が欲しいです…!」
一息に言って、周囲を見回す。
「あと…毛布です!」
「聞こえたな憲兵!」
オリヴィエが憲兵へ顔を向ける。
「はい!」
「近隣の医院を片端から当たれ。今言った物資を軍の徴用だと伝えて持って来い。市内を巡回中の兵らにも通達してここに集めろ」
「はっ!」
「非番の兵はいるか!」
「は、はい!ここに!」
「この騒ぎだというのに何をぼさっとしている!救助作業に入れ!」
「もっ、申し訳ありません!すぐに!」
兵たちが走り出す。
セシリアはその背を見送り、それからようやくオリヴィエを見上げた。
「あの……ありがとうございま——」
「礼を言う暇があるなら手を動かせ。兵の手も遠慮せず借りろ。
…貴様にかかっているぞ、“ドクター“」
「!は、はい…!」
現場を任された事実に胸が熱くなりながらセシリアは応急処置を再開した。
声を上げれば、今度は誰も迷わず動いた。
自分で診て、誰かが運び、必要なものを集めてくれる。
ひとつずつ、役割が噛み合っていく。
次にオリヴィエによって運ばれてきた男を見て、セシリアの表情が変わった。
車体へ挟まれたらしい右大腿部は、非常に激しい損傷を受け、出血も多かった。
男性の顔から血の気が引き、呼吸も弱々しい。
(このままでは間に合わない)
セシリアは足の根を駆血してから男の腰へ指を添える。
血管、神経、筋、折れた骨。
幼い頃に叩き込んだ人体の構造へ、祖母から教わったもう一つの見方を重ねる。
身体の内を巡るもの。
東では力の循環と呼ぶものを、祖母はもっと大きな「流れ」として教えた。
体を巡る生命力の流れを手袋越しに読んだ。
「動かないでくださいね」
男の傷から流れる血を指先で広げ、床に錬成陣を描いて両手を置くと、セシリアの手元に青白い光が走る。
すると出血が止まり、男性の苦悶する声が和らいで先ほどより呼吸にも力が感じられた。
「……よし」
血圧を測定して地面に血で書き記したところで、セントラル大病院から救護班が到着した。
「引き継ぎます!」
「40代男性、大腿部開放、バイタルは足元に記載、こちらは胸部外傷、呼吸に左右差がありフレイル疑い、左側臥位で胸壁動揺を抑え——」
状態と施した処置を端的に伝える。あの地獄で何度も聞き、繰り返した申し送りは考えなくても口から出た。
救護班の医師が一瞬だけセシリアを見た。
だが緊急事態を前に何も言わず、すぐ患者の対応をした。
搬送車両は、一台ずつ駅を離れていった。
