Op.5: 白銀の標
ブリッグズ要塞 赴任者 名義変更
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数日後。
朝からセントラルには薄い雲が垂れ込めていた。
昨夜の雨を残した石畳は鈍く濡れ、街路には湿った冷気が漂っている。
セシリアは病院から預かった書類を軍部へ届けるため、右手に書類鞄を手にして駅近くの通りを歩いていた。
ふと、先日の急患を思い出した。
結局、あの患者がどうなったのかは知らない。
訊けばよかったのかもしれない。
けれど、「君の担当ではない」と返されるところまで容易に想像できてしまい、とうとう確かめられなかった。
「……」
小さく息を吐く。
駅の方からは汽笛が聞こえた。
人々の話し声に靴音。いつもと変わらぬ朝の音。
だが次の瞬間、金属音と轟音が響いた。
「……っ?!」
地面が小さく震える。
遅れて硝子と瓦礫の砕ける音が街路まで押し寄せ、セシリアはよろめきながら駅を振り返った。
白い蒸気と黒煙が、駅舎から立ち上っている。
「事故だ!」
「列車が突っ込んだぞ!」
人々の声が一斉にざわめきへ変わった。
「嘘……さっき息子が駅に…!」
女の悲鳴が耳へ刺さり、その声を振り切るようにセシリアは駅へ向かって駆け出した。
セントラル駅はすでに混乱の只中にあった。
列車は大きく傾き、一部の車両はホームへ食い込んでいる。
割れた窓硝子に折れた木材や荷物が地面へ散乱し、白い蒸気が霧のように立ち込め、煤、鉄の匂いが立ち上り始めていた。
駅員と近隣の憲兵が火元を抑え、乗客を外へ誘導していた。
「お医者様は!どなたか、お医者様はいませんか!」
駅員の声が飛ぶ。セシリアの足が、前に出そうになって止まる。
“医者“
自分は、そう名乗っていいのだろうか。
免許はある。医療錬金術が使える国家錬金術師として、少佐相当官の地位まで与えられて。
だがどれも自力で得たものではない。
病院では、患者へ触れることすら許されていない。そんな自分が?
喉の奥へ答えが引っ掛かったが——
「うぅ……っぐ…」
「足が…!誰か…!誰か!!!」
脱線した列車のすぐ近くから、痛みに苦しむ声が幾重にも聞こえてきた瞬間、迷いが消えた。
「……いしゃ……医者です!通してください!」
「あ、あなたは東の――」
「けが人をこちらに連れ出しましょう!」
駅員の声を反射的に遮り、自身も近くの負傷者に列車から離れるよう声をかけて行った。
「わ、分かりました!」
順次、列車から救出された乗客たちをセシリアは診た。
脚を深く裂いた女性が駅員に抱えられて運ばれてくる。
その道のりには彼女の傷口からの血が伝っていた。
出血量は多いが、意識ははっきりしているのを見て、セシリアは近くに落ちていたスカーフを拾って駆血し、女性のロングコートを傷口へ強く押し当てた。
「このまま強く押さえていてください」
「わ、私が…?」
「はい。布が赤くなっても離さないでください」
野戦病院なら衛生兵がいたがここにはいない。
なら、今ここにいる人的資源を活かす。
「痛ぁいっ!ママ、痛いよ!ママ」
運ばれてきた子供が甲高い泣き声を響かせる。
頭を硝子で切ったらしく、手についた大量の血を見て取り乱し、母親へ縋っていた。
「あの、お願い先生この子を先に!」
「お母様、傷口をしっかり押さえていてください」
「え……?」
「頭で派手に血が流れてきますが、傷自体は浅いです。
重篤な方を優先したいんです。変わりがあったら声をかけてください」
冷たい言い方になったかもしれない。けれど今は、言葉を選んでいる余裕も、他人を怖がっている暇もなかった。
列車の内装板を外して副木へ。乗客のベルトやネクタイを借り、固定と駆血に使う。布を裂き、傷へ重ねる。
ないものを数えるより、あるものを使う。
イシュヴァールで嫌というほど覚えた。
次。また次と、セシリアは休まず動いた。
ほどなくして憲兵と中央兵が増援に入り、構内の封鎖を始めた。
「全員下がれ!ここから先は立入禁止だ!」
「ま、待ってください……!」
セシリアが振り返る。
中央兵の一人が、あえて横向きに寝かせていた負傷者を抱き上げようとしていた。
「その方は動かさないで…!救護班が来るまで姿勢を変えないで!」
「しかし我々は現場を保全しなければ——」
「っ…人命が優先です!!」
「!」
声を張った瞬間、自分自身が一番驚いた。
「あ……」
知らない相手。しかも軍人へ向かって。けれど、もう引っ込める気持ちになれなかった。
その時ー
「その通りだ」
朝からセントラルには薄い雲が垂れ込めていた。
昨夜の雨を残した石畳は鈍く濡れ、街路には湿った冷気が漂っている。
セシリアは病院から預かった書類を軍部へ届けるため、右手に書類鞄を手にして駅近くの通りを歩いていた。
ふと、先日の急患を思い出した。
結局、あの患者がどうなったのかは知らない。
訊けばよかったのかもしれない。
けれど、「君の担当ではない」と返されるところまで容易に想像できてしまい、とうとう確かめられなかった。
「……」
小さく息を吐く。
駅の方からは汽笛が聞こえた。
人々の話し声に靴音。いつもと変わらぬ朝の音。
だが次の瞬間、金属音と轟音が響いた。
「……っ?!」
地面が小さく震える。
遅れて硝子と瓦礫の砕ける音が街路まで押し寄せ、セシリアはよろめきながら駅を振り返った。
白い蒸気と黒煙が、駅舎から立ち上っている。
「事故だ!」
「列車が突っ込んだぞ!」
人々の声が一斉にざわめきへ変わった。
「嘘……さっき息子が駅に…!」
女の悲鳴が耳へ刺さり、その声を振り切るようにセシリアは駅へ向かって駆け出した。
セントラル駅はすでに混乱の只中にあった。
列車は大きく傾き、一部の車両はホームへ食い込んでいる。
割れた窓硝子に折れた木材や荷物が地面へ散乱し、白い蒸気が霧のように立ち込め、煤、鉄の匂いが立ち上り始めていた。
駅員と近隣の憲兵が火元を抑え、乗客を外へ誘導していた。
「お医者様は!どなたか、お医者様はいませんか!」
駅員の声が飛ぶ。セシリアの足が、前に出そうになって止まる。
“医者“
自分は、そう名乗っていいのだろうか。
免許はある。医療錬金術が使える国家錬金術師として、少佐相当官の地位まで与えられて。
だがどれも自力で得たものではない。
病院では、患者へ触れることすら許されていない。そんな自分が?
喉の奥へ答えが引っ掛かったが——
「うぅ……っぐ…」
「足が…!誰か…!誰か!!!」
脱線した列車のすぐ近くから、痛みに苦しむ声が幾重にも聞こえてきた瞬間、迷いが消えた。
「……いしゃ……医者です!通してください!」
「あ、あなたは東の――」
「けが人をこちらに連れ出しましょう!」
駅員の声を反射的に遮り、自身も近くの負傷者に列車から離れるよう声をかけて行った。
「わ、分かりました!」
順次、列車から救出された乗客たちをセシリアは診た。
脚を深く裂いた女性が駅員に抱えられて運ばれてくる。
その道のりには彼女の傷口からの血が伝っていた。
出血量は多いが、意識ははっきりしているのを見て、セシリアは近くに落ちていたスカーフを拾って駆血し、女性のロングコートを傷口へ強く押し当てた。
「このまま強く押さえていてください」
「わ、私が…?」
「はい。布が赤くなっても離さないでください」
野戦病院なら衛生兵がいたがここにはいない。
なら、今ここにいる人的資源を活かす。
「痛ぁいっ!ママ、痛いよ!ママ」
運ばれてきた子供が甲高い泣き声を響かせる。
頭を硝子で切ったらしく、手についた大量の血を見て取り乱し、母親へ縋っていた。
「あの、お願い先生この子を先に!」
「お母様、傷口をしっかり押さえていてください」
「え……?」
「頭で派手に血が流れてきますが、傷自体は浅いです。
重篤な方を優先したいんです。変わりがあったら声をかけてください」
冷たい言い方になったかもしれない。けれど今は、言葉を選んでいる余裕も、他人を怖がっている暇もなかった。
列車の内装板を外して副木へ。乗客のベルトやネクタイを借り、固定と駆血に使う。布を裂き、傷へ重ねる。
ないものを数えるより、あるものを使う。
イシュヴァールで嫌というほど覚えた。
次。また次と、セシリアは休まず動いた。
ほどなくして憲兵と中央兵が増援に入り、構内の封鎖を始めた。
「全員下がれ!ここから先は立入禁止だ!」
「ま、待ってください……!」
セシリアが振り返る。
中央兵の一人が、あえて横向きに寝かせていた負傷者を抱き上げようとしていた。
「その方は動かさないで…!救護班が来るまで姿勢を変えないで!」
「しかし我々は現場を保全しなければ——」
「っ…人命が優先です!!」
「!」
声を張った瞬間、自分自身が一番驚いた。
「あ……」
知らない相手。しかも軍人へ向かって。けれど、もう引っ込める気持ちになれなかった。
その時ー
「その通りだ」
