Op.2: D.S. Waltz
ブリッグズ要塞 赴任者 名義変更
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音楽は嫌いではない。むしろ好きだった。
幼い頃から、家庭教師 も両親も、音楽を「貴族として身につけるべき教養」として押しつけることはなかった。
勉強に疲れた時にピアノを弾く。父に連れられて演奏会やオペラ観劇へ行く。
音楽は、息をつくための癒しだった。
それなのに今夜ダンスホールで流れる音たちは聴きなじみのある曲の数々が、よそ様のような異音として初対面した心地だった。
お相手には申し訳ないと思いながらも、緊張のあまり失礼をしていないかすら気づく余裕もなかった。
ふと、そんなセシリアを労うように夜気が火照った頬に触れる。
「……はぁ」
ようやく息ができた気がした。
回廊から漏れる灯火と月明かりだけを頼りに、セシリアは中庭のパーゴラのベンチへ腰を下ろした。
庭には春を告げるように色とりどりのラナンキュラスやフリージア、クロッカスが咲き誇り、薔薇のパーゴラの足元の花壇ではヒヤシンスが顔を覗かせていた。
セシリアは周囲に誰もいないことを確認してから、手帖 のポーチに指を入れる。
取り出したのはお色直しのリップでも手帖 でもなく、丁寧に折り畳まれた、少し古びた羊皮紙だった。
ほんの少し前まで、祖父のデスクの鍵付きの引き出しにあったもの。
ビル・バーク=フロスト。
祖父であり、医学と錬金術の師でもあった人。
その祖父は、何の前触れもなく姿を消した。
娘であるセシリアの母・モーリーにも、弟子である自分にも、理由を告げないまま。
残されたものの一つが、この羊皮紙だった。
「…………」
パラ、と乾いた音と共に開けば、見慣れた祖父の文字。
細胞組織、生着、エネルギー伝達。そこまでは読める。
祖父が長年扱っていた研究分野とも重なっていた。
けれど途中からおかしくなる。数式の間へ意味の分からない記号が入り込み、構築式らしき幾何学模様もところどころ欠けている。
読めそうなのに、読めない。文章そのものが途中から別の規則で組み替えられているようだった。
「またここ……」
指先で一行を辿り、何度考えても繋がらない。医学論文として読めば、必要な何かが抜けていて、錬金術の構築式として見ても、成立しない。
(なぜこんな書き方を……)
祖父は悪筆ではなかった。まして、自分の研究内容を意味もなく難解にする人でもない。
ならば、わざと?
「どうして……?」
そこまで考えると、胸が痛み、思わず零れた。
(どうして、何も言わずにいなくなってしまわれたの?お祖父様……)
理由が分からない。自分が何かしたのだろうか。出来の悪い弟子だった?もっと早く、一人前になっていれば。
セシリアにとって祖父はヒーローだった。
もう助からないとその場にいた医者らが諦めた命をすくいあげ、その人や家族を笑顔にする。
どんなにポストを与えられようと、彼は民衆のためにメスを取り続けた。
憧れだった。あんな風になりたいと思った。
(見限られたのかしら…)
視界が滲みかけ、セシリアは唇を結んだ。

幼い頃から、
勉強に疲れた時にピアノを弾く。父に連れられて演奏会やオペラ観劇へ行く。
音楽は、息をつくための癒しだった。
それなのに今夜ダンスホールで流れる音たちは聴きなじみのある曲の数々が、よそ様のような異音として初対面した心地だった。
お相手には申し訳ないと思いながらも、緊張のあまり失礼をしていないかすら気づく余裕もなかった。
ふと、そんなセシリアを労うように夜気が火照った頬に触れる。
「……はぁ」
ようやく息ができた気がした。
回廊から漏れる灯火と月明かりだけを頼りに、セシリアは中庭のパーゴラのベンチへ腰を下ろした。
庭には春を告げるように色とりどりのラナンキュラスやフリージア、クロッカスが咲き誇り、薔薇のパーゴラの足元の花壇ではヒヤシンスが顔を覗かせていた。
セシリアは周囲に誰もいないことを確認してから、
取り出したのはお色直しのリップでも
ほんの少し前まで、祖父のデスクの鍵付きの引き出しにあったもの。
ビル・バーク=フロスト。
祖父であり、医学と錬金術の師でもあった人。
その祖父は、何の前触れもなく姿を消した。
娘であるセシリアの母・モーリーにも、弟子である自分にも、理由を告げないまま。
残されたものの一つが、この羊皮紙だった。
「…………」
パラ、と乾いた音と共に開けば、見慣れた祖父の文字。
細胞組織、生着、エネルギー伝達。そこまでは読める。
祖父が長年扱っていた研究分野とも重なっていた。
けれど途中からおかしくなる。数式の間へ意味の分からない記号が入り込み、構築式らしき幾何学模様もところどころ欠けている。
読めそうなのに、読めない。文章そのものが途中から別の規則で組み替えられているようだった。
「またここ……」
指先で一行を辿り、何度考えても繋がらない。医学論文として読めば、必要な何かが抜けていて、錬金術の構築式として見ても、成立しない。
(なぜこんな書き方を……)
祖父は悪筆ではなかった。まして、自分の研究内容を意味もなく難解にする人でもない。
ならば、わざと?
「どうして……?」
そこまで考えると、胸が痛み、思わず零れた。
(どうして、何も言わずにいなくなってしまわれたの?お祖父様……)
理由が分からない。自分が何かしたのだろうか。出来の悪い弟子だった?もっと早く、一人前になっていれば。
セシリアにとって祖父はヒーローだった。
もう助からないとその場にいた医者らが諦めた命をすくいあげ、その人や家族を笑顔にする。
どんなにポストを与えられようと、彼は民衆のためにメスを取り続けた。
憧れだった。あんな風になりたいと思った。
(見限られたのかしら…)
視界が滲みかけ、セシリアは唇を結んだ。

