Op.4: 汀の錬金術師
ブリッグズ要塞 赴任者 名義変更
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「……お祖父様?」
ビル・バーク=フロスト。
祖父が遺した研究資料について、再検証ならびに継続研究を命ずる旨が記されていた。詳細は配属後に改めて通達するという。
なぜ今になって、祖父の研究を?
その疑問にも、答えは与えられなかった。
医師免許証へ指を触れる。
これが、欲しかった。
祖父のように、自分の手で多くの命を救う医者になる。その日のために、ずっと積み重ねてきた。
それなのに、胸はちっとも弾まない。試験を受けた記憶も、卒業した記憶もない。
自分の足で歩き切るつもりだった道の途中から誰かに抱え上げられ、突然終点へ降ろされたようだった。
ほら、ここがお前の望んでいた場所だ、と。
「……随分と気前がいいと思ったら、そういうことか」
傍らで書類に目を通していたヴィンセントが呟いた。
「お父様?」
「いやなに、こっちの話だよ」
いつもの軽い調子だった。
けれど祖父の名が記されたファイルを持つ指は動かず、その目にも笑みはない。
「何か、ご存じなのですか?」
ヴィンセントは娘を見た。
ほんの一瞬だけ、答えるまでに間があった。
「知っていたところで、今のお前が背負う話じゃないさ」
「……」
その意味も分からない。
ただただ、分からないことばかりが増えていく。
分からないは、居心地が悪い。
そしてヴィンセントは、もう一つの書類を机へ置いた。
「セシリア。実は私にも、南方司令部への異動命令が出てね」
「え……?」
「ありていに言えば左遷ってところだね。一階級昇進のおまけ付きさ」
「どうして……」
事情聴取で聞かされた言葉が蘇った。
娘の行為。妻の失踪。身内の管理責任。
胸の内側から急速に熱が引いていく。
「……私のせい?」
「違う」
「でも、私が軍令に背かなければ……!」
「セシリア」
ヴィンセントが両肩へ手を置いた。
「違うよ」
いつもより少しだけ硬い声だった。
「……お父様」
何事も冗談めかして受け流す父の目に、一片の揺らぎもない。
「私が……イシュヴァールでしたことは、間違っていたのでしょうか」
口にしてから、訊く相手を間違えたのではないかと思った。
父もまた、今回の戦争に疑念を抱きながら、准将として軍を指揮する側にいた人間だ。
それでも
「誰が何と言おうと、父さんも母さんも、お前を誇りに思っているよ」
大きな手が、肩から頭へ移り、セシリアをそっと撫でた。
「だから、命を救ったことを私に謝るな」
「っ……」
泣きたくなった。けれど泣けば今度は父を困らせる気がして、セシリアは俯いた。
「南部へ行かれたら……もう、ここへはなかなか戻れませんよね」
「ああ」
「お一人で、大丈夫ですか」
ヴィンセントは困ったように笑った。
「お前だってこんな広い家に一人になるっていうのに、私の心配かい? 相変わらず優しすぎて、そっちの方が心配になるな」
子どもの頃と同じように、大きな掌が髪を撫でる。
「お前がこんな時に、そばにいられないのは父親として心残りだが……いやなに」
そこで一度言葉を切り、軽く肩をすくめる。
「南に行っても仕事はあるさ」
いつもの飄々とした笑みと、軽やかな口調。
セシリアには、それが自分を安心させるためのものにしか見えなかった。
だから、小さく頷いた。
やがて出発の日、ヴィンセントは留守を頼む子どもへ言い聞かせるように、
「また会えるよ、セシリア。愛してる」
そう残して、南へ発った。
ビル・バーク=フロスト。
祖父が遺した研究資料について、再検証ならびに継続研究を命ずる旨が記されていた。詳細は配属後に改めて通達するという。
なぜ今になって、祖父の研究を?
その疑問にも、答えは与えられなかった。
医師免許証へ指を触れる。
これが、欲しかった。
祖父のように、自分の手で多くの命を救う医者になる。その日のために、ずっと積み重ねてきた。
それなのに、胸はちっとも弾まない。試験を受けた記憶も、卒業した記憶もない。
自分の足で歩き切るつもりだった道の途中から誰かに抱え上げられ、突然終点へ降ろされたようだった。
ほら、ここがお前の望んでいた場所だ、と。
「……随分と気前がいいと思ったら、そういうことか」
傍らで書類に目を通していたヴィンセントが呟いた。
「お父様?」
「いやなに、こっちの話だよ」
いつもの軽い調子だった。
けれど祖父の名が記されたファイルを持つ指は動かず、その目にも笑みはない。
「何か、ご存じなのですか?」
ヴィンセントは娘を見た。
ほんの一瞬だけ、答えるまでに間があった。
「知っていたところで、今のお前が背負う話じゃないさ」
「……」
その意味も分からない。
ただただ、分からないことばかりが増えていく。
分からないは、居心地が悪い。
そしてヴィンセントは、もう一つの書類を机へ置いた。
「セシリア。実は私にも、南方司令部への異動命令が出てね」
「え……?」
「ありていに言えば左遷ってところだね。一階級昇進のおまけ付きさ」
「どうして……」
事情聴取で聞かされた言葉が蘇った。
娘の行為。妻の失踪。身内の管理責任。
胸の内側から急速に熱が引いていく。
「……私のせい?」
「違う」
「でも、私が軍令に背かなければ……!」
「セシリア」
ヴィンセントが両肩へ手を置いた。
「違うよ」
いつもより少しだけ硬い声だった。
「……お父様」
何事も冗談めかして受け流す父の目に、一片の揺らぎもない。
「私が……イシュヴァールでしたことは、間違っていたのでしょうか」
口にしてから、訊く相手を間違えたのではないかと思った。
父もまた、今回の戦争に疑念を抱きながら、准将として軍を指揮する側にいた人間だ。
それでも
「誰が何と言おうと、父さんも母さんも、お前を誇りに思っているよ」
大きな手が、肩から頭へ移り、セシリアをそっと撫でた。
「だから、命を救ったことを私に謝るな」
「っ……」
泣きたくなった。けれど泣けば今度は父を困らせる気がして、セシリアは俯いた。
「南部へ行かれたら……もう、ここへはなかなか戻れませんよね」
「ああ」
「お一人で、大丈夫ですか」
ヴィンセントは困ったように笑った。
「お前だってこんな広い家に一人になるっていうのに、私の心配かい? 相変わらず優しすぎて、そっちの方が心配になるな」
子どもの頃と同じように、大きな掌が髪を撫でる。
「お前がこんな時に、そばにいられないのは父親として心残りだが……いやなに」
そこで一度言葉を切り、軽く肩をすくめる。
「南に行っても仕事はあるさ」
いつもの飄々とした笑みと、軽やかな口調。
セシリアには、それが自分を安心させるためのものにしか見えなかった。
だから、小さく頷いた。
やがて出発の日、ヴィンセントは留守を頼む子どもへ言い聞かせるように、
「また会えるよ、セシリア。愛してる」
そう残して、南へ発った。
