Op.3: ヒヤシンスの君
ブリッグズ要塞 赴任者 名義変更
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(……ヒヤシンス)
ずいぶん密集して植えたものだ。
月明かりの下、赤紫に近い色が花壇から大きく溢れている。
何の気なしに、そちらへ足を向け出してから闇に目が慣れて気づく。
花ではない。
花壇に沿って広がっていた色の半分は、長いドレスのトレーンだった。
「…………」
パーゴラのベンチに座っていたのは華やかなフクシア色のドレスの一人の女。
夜会が始まってまもなく、ずいぶん若いシャペロンがいたものだと視界の隅に映った女を思い出す。
仕立ての良い物を着ているのだから、柱の陰になど隠れずアピールしていれば勝手に男らは寄って来そうなものを、と。
コツ。
コツ。
コツ。
こちらの軍靴が石畳を叩いているというのに、顔すら上げない。
随分な集中力だった。
だが夜会に出席している令嬢にしては、その手にしているものがどうにも場違いだった。
古びた紙…いや、羊皮紙か。
回廊から漏れる僅かな灯火と月明かりだけを頼りに、食い入るようにそれを読んでいる。
数歩の距離まで近づいて、羊皮紙に描かれたものが目に入る。
数式、文字列、幾何学模様。
「随分と熱心ですな」
気がつけば声をかけていた。
「!」
女の肩が大きく跳ね、ようやく上げられた顔を見て——
オリヴィエの視線が、僅かに止まった。
「…………」
あどけなさを残しながら色っぽさの片鱗が覗く若い女だった。
整った顔立ちではあるが、化粧が薄いせいか華美というより可憐さが先に立つ。
驚きに見開かれたそれがこちらを映したのも束の間、すぐに所在なげに揺れる。
「え……あ、その……」
消え入りそうな声が地面に落ちる。人の顔を見るのが苦手らしい。
その様子を眺めながら、オリヴィエはほんの僅かに目を細めた。
(……なるほど)
胸中だけで呟き、視線をその手元へ戻す。
「それは……錬金術か何かで?」
「あっ……! ……は、はい。たぶん……」
春のそよ風のようで、聞く者の心を潤す慈雨のようで、どこか浮世離れした優しい、清廉な響きを帯びた声だった。
「たぶん?」
「その……とっ、途中から、読めなくて……す、すみません……! パーティーの途中なのに、こんなものを……」
謝る必要がどこにある。
そう思ったが、口にはしなかった。
女は慌てて羊皮紙を畳む。よほど見られたくないものらしい。
その拍子だった。
「あっ」
小さな何かが石畳へ落ちた。
ドレスで動きづらそうな彼女に代わってオリヴィエはそっとそれを拾い上げる。
それは貝殻細工の手帖 だった。海に面していないこの国では淑女の手のひらに収まるこれすら家一つ建つ値打ちの代物だ。
だが、それよりも落ちた拍子に開いたページに目が落ちた。
前半には、律儀なほど名前が並んでいた。後半は綺麗な白紙。
ずいぶん密集して植えたものだ。
月明かりの下、赤紫に近い色が花壇から大きく溢れている。
何の気なしに、そちらへ足を向け出してから闇に目が慣れて気づく。
花ではない。
花壇に沿って広がっていた色の半分は、長いドレスのトレーンだった。
「…………」
パーゴラのベンチに座っていたのは華やかなフクシア色のドレスの一人の女。
夜会が始まってまもなく、ずいぶん若いシャペロンがいたものだと視界の隅に映った女を思い出す。
仕立ての良い物を着ているのだから、柱の陰になど隠れずアピールしていれば勝手に男らは寄って来そうなものを、と。
コツ。
コツ。
コツ。
こちらの軍靴が石畳を叩いているというのに、顔すら上げない。
随分な集中力だった。
だが夜会に出席している令嬢にしては、その手にしているものがどうにも場違いだった。
古びた紙…いや、羊皮紙か。
回廊から漏れる僅かな灯火と月明かりだけを頼りに、食い入るようにそれを読んでいる。
数歩の距離まで近づいて、羊皮紙に描かれたものが目に入る。
数式、文字列、幾何学模様。
「随分と熱心ですな」
気がつけば声をかけていた。
「!」
女の肩が大きく跳ね、ようやく上げられた顔を見て——
オリヴィエの視線が、僅かに止まった。
「…………」
あどけなさを残しながら色っぽさの片鱗が覗く若い女だった。
整った顔立ちではあるが、化粧が薄いせいか華美というより可憐さが先に立つ。
驚きに見開かれたそれがこちらを映したのも束の間、すぐに所在なげに揺れる。
「え……あ、その……」
消え入りそうな声が地面に落ちる。人の顔を見るのが苦手らしい。
その様子を眺めながら、オリヴィエはほんの僅かに目を細めた。
(……なるほど)
胸中だけで呟き、視線をその手元へ戻す。
「それは……錬金術か何かで?」
「あっ……! ……は、はい。たぶん……」
春のそよ風のようで、聞く者の心を潤す慈雨のようで、どこか浮世離れした優しい、清廉な響きを帯びた声だった。
「たぶん?」
「その……とっ、途中から、読めなくて……す、すみません……! パーティーの途中なのに、こんなものを……」
謝る必要がどこにある。
そう思ったが、口にはしなかった。
女は慌てて羊皮紙を畳む。よほど見られたくないものらしい。
その拍子だった。
「あっ」
小さな何かが石畳へ落ちた。
ドレスで動きづらそうな彼女に代わってオリヴィエはそっとそれを拾い上げる。
それは貝殻細工の
だが、それよりも落ちた拍子に開いたページに目が落ちた。
前半には、律儀なほど名前が並んでいた。後半は綺麗な白紙。
