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あの日保健室で

いつも通りの放課後、私は体育館でバトミントン部の練習に打ち込んでいた。
柚紀ゆずき!」
「え?」
声をかけられ、振り向くと私の足元を指差すチームメイトの姿があった。
なにかと思い下をみると隣りのコートから飛んできた羽根が転がっていた。
「柚紀っ!!」
「っ!」
思い切り踏み込んだ勢いを殺せず、転がっていた羽根を踏んで盛大に転んだ。


「いってて…」
右足を引きずりながら保健室に向かう。
捻挫をした。
しかも結構ひどい。
転んでから足首に激痛が走り、しばらくその場にうずくまって動けなかった。
当分はまともに歩くことさえ難しいかもしれない。
あと2か月は大きな大会がないのが不幸中の幸いか。
廊下ですれ違う先生方に「大丈夫か?」と声をかけられること3回。
正直なところ大丈夫そうではない。
はあーっとため息をついて保健室を目指す。

この学校は体育館が二つある。
バスケ部やバレー部は広い方でやっていて私のバトミントン部は比較的狭い方で活動していた。
狭い方の体育館は保健室から遠い。
早く着け、早く着け、と思っている間にも右足の痛みはジンジンと増していく。
向かう途中で立ち止まりってちら、と足の様子をみると紫に腫れていた。
思わず顔を歪めて再び歩き出した。


「失礼します。先生ー」
着いた時には肉体、精神ともに疲れ果てていた。
気だるげに先生を呼ぶとデスクで作業していた島村先生が「あら」と声を上げた。
「どうしたの?怪我した?」
立ち上がって私の元まで来ると、引きずっていた右足を指さした。
「はい。羽根踏んじゃってグキッと…」
先生はしゃがみこんで足首をみると「これはひどいね」と言って紫に腫れたそこを触った。
「センセ、痛いから…」
「あぁごめん。そこのソファ座ってて」
そういって人一人が寝転がれそうな青いソファに座るよう指示した。


「じゃあこの中足入れてて。20分くらいね。」
用意されたのは氷水の入ったバケツ。
とぷん、と音を立てて足を入れると熱を帯びて腫れ上がった足首はほどよく冷やされて安堵のため息をもらした。

しかしよかったのはそこまで。
段々と氷水の冷たさが刺すような痛みに変わってくる。
とくに足先だ。足首から下は何の異常もないのだからただ冷たくてしょうがない。
「ね、センセ。一回足出してもいいですか?冷たい」
「だめ。我慢してて」
「あと何分ですか?」
「まだ入れたばっかりでしょ。あと18分」
こんなのにあと18分も耐えなきゃいけないのか。

私死んじゃうかも…。


すると保健室の電話が鳴る。
「はい保健室島村です。」
なんとなく電話の内容は気になってしまうものだ。
普段の私なら聞き耳を立てていたかもしれないがそんな余裕はなく、ひたすら冷たさに耐えていた。
「うー…冷たい」
俯いてそうつぶやいたところで部屋のドアが開かれた。
「失礼します。先生いらっしゃいま…」
可憐な声はそこで途切れた。
通話中であることがわかって思わず口をつぐんだのだ。
島村先生も手で「ちょっと待ってて」の合図をする。
ぺこっと頭を下げた彼女はおろおろとその場に立ったままだったので「座ったら?」と半笑いで促した。
「そうだね。ありがとう。」
そういって彼女は私の隣に座った。
別にお礼を言う場面ではないと思うが。


ガチャリ。先生が受話器を置く。
どうやら会話が終わったようだ。
「ごめん弓原ゆみはらさん。ちょっと待ってて。職員室に行ってくるね。すぐ終わると思うから!」
弓原。この子のことだ。
先生は言い残して足早に職員室に向かった。


2人きりになってしまった。
弓原璃唯菜りいな。同じ学年の女の子。
天然でおとなしくとてもかわいいことから男子にモテまくる、いわばアイドル的存在だ。
なにやらファンクラブもあるらしい。
女子の私から見ても正直かわいい。
「足、怪我しちゃったの?」
「え!?ああ、うん…部活でね…はは…」
唐突に声をかけられて戸惑ってしまった。
「これ氷水?冷たい?」
バケツのなかをのぞき込んで尋ねる。
「そう、氷水。もうすっごく冷たくて足先なんて感覚ないよー」
水の中で指をグーパーグーパーしてみせる。
「私捻挫したことないからどんな感じなのかわからないんだよね…」
はは、と眉を八の字にして笑う。
なんというか、この子はとても好奇心が旺盛にみえる。
しゃべらなければ大人しいようにも感じるが、実はそうでもないのかもしれない。

はるなはるなさん、だよね?バド部の…」
「え?うん。え、なんで私の名前知ってるの?」
いつの間にか彼女の目はバケツから私に向けられていたようだ。
二重の大きな瞳がキラキラしている。
「だって何回も表彰されてるでしょう」
ふふっと笑う表情がまさに天使だった。
「あぁ、そっか。」
私は何度か大会で優勝し、表彰されたことがあった。
自分が思ってる以上に自分は有名人なのかもしれないとふと思ってしまった。

「スタイルよくてツインテールがかわいいなあってみるたび思ってたよ」
「えっ」
無邪気に微笑むその表情に悪意は微塵も感じられない。
お世辞で言っているのではなさそうだ。
しかしいきなりそんなことを言われてはさすがにびっくりする。
話題を変えようと今度はこっちから質問を投げ掛ける。
「あ、あのさ…弓原さんは好きな人とかいないの?」
「え?どうして?」
ただでさえ丸い目がさらに丸くなる。
「すっごくモテるでしょ?なのに彼氏いるって話聞かないから…」
すると彼女はうーむ、と腕組みをして考えるそぶりをみせた。
そしてふぅっとため息をつくと「私さ」と口を開いた。

「人を好きになったことがないの」
「…へ?」

意外な答えに間抜けな声を出してしまった。
「いままで一回も?」
「そう」
彼女いわく、友情としての好きはわかるらしいのだが恋愛としての好きがわからないのだという。
2つの好きがどうちがうのかと聞かれればはっきり答えるのは難しいだろう。
人間の感情とは表しにくいものだ。
なので私も「そっか」としか答えられなかった。

話題が尽きると足の冷たさが戻ってきた。


ガラガラッ。
部屋のドアが開いた。
「ごめんねー戻ったよ。」
職員室から戻ってきた先生がひらひらと私たちに手を振った。
「で、弓原さんご用は?」
聞かれた彼女は「はい」と返事をして立ち上がった。
「文化祭の出し物についてなんですが…」

それから弓原さんと先生はいくつか話をして会話は終了した。

「じゃあね、榛名さん」
「……柚紀でいいよ」
保健室を出ていこうとする弓原さんに返事をする。
この子とはまた近いうちに会いそうな気がしていた。
「えっと…うん、柚紀ちゃん、またね」
「バイバイ」
お互い手を振り合って別れを告げた。
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