不器用な男達
時刻は二十二時。先程まで、社会人アメフトチーム『武蔵工バベルズ』のメンバーで作戦会議という名の飲み会をしてきた所だ。去年まではメンバーが揃わず試合もできなかったが、今年からは人数が集まったので大会に出場できるようになったのだ。やっとまともにアメフトができるし、教えがいのある後輩達も入ってきたので、来週からの練習が楽しみだった。
アルコールも加わっていい気分で歩いていたが、ふと気づいた。
「…ここ、どこだ?」
途中まで他の連中と歩いていたのに、いつの間にか薄暗い路地裏を歩いているではないか。スマホを取り出し近場の駅を探せば、反対側へ向かって歩いている事に気づいた。
「全然違うじゃねぇか…」
スマホの道案内を頼りに駅へ向かって歩き出す。すると、前の方から若い男女の話し声が聞こえてきた。聞く気はなかったのだが、静かな場所だったため聞こえてしまう。
「ねぇ、これから一緒に遊ばない?面白い場所知ってるんだー」
(…ただのナンパか)
仕方なく一つ先の道を行こうと通り過ぎた時だった。
「いやアタシ家に帰りたいんですけど!道開けてほしいっていうか、そこどけし!」
ぴたり、と足が止まる。
「そんな事言って、一人でこんなとこ歩かないでしょ。大丈夫だって」
「心配しなくても、遊んだら駅まで送ってあげるからさ」
大きなため息をついた。ナンパだとしても、一応出会に繋がる事もある。邪魔にならないようにスルーしようと思ったが、相手が迷惑に思っているなら話は別だ。通り過ぎた道を戻り、声が聞こえる方へ進んで行く。
「ちょ…マジで離して!」
「おい、お前ら嫌がってるだろ。やめてやれよ。みっともないぜ?」
少し進めば、男二人が立っているのが見えた。
「うるせぇな、邪魔すんな…」
一人の男が振り返り、俺の方を見るともう一人の男の肩を叩く。そして二人して俺を見て固まった。不思議に思いながら近づいていく。
「「すみませんでしたーーー!!」」
男二人はそう叫んで、一目散に逃げていった。
「…な、なんなんだ?」
俺の後ろに何かいるのかと振り返るが、薄暗い路地には何も見えない。
「…うわ〜おじさんやっば!どこの組の人?」
「…は?」
前に向き直れば、ナンパされて困っていた制服姿の女子がキラキラした目で見てくる。
「…あ、さっきはマジあざす!ほんっと、困ってたの!めちゃしつこいし!ね、ね!おじさんって、アレ?ヤのつく人だったりする!?」
「…いや、俺はヤのつく人でもないし、おじさんと呼ばれる歳でもないんだが…」
これで本当にヤのつく人だったら、ナンパなんて比じゃない目にあっているだろうと思う。
「え!マジ!?服とかマジそれじゃね?って思ったんだけど違うんだ!ウケる!」
観察するように俺の周りをくるくると一周する。
「…あーなんでこんな所にいるんだ。見た所高校生くらいか。危ないだろ」
「え?あ、猫追っかけてたらここまで来ちゃってたんだよね〜!笑えるでしょ!」
時間帯や場所からしてよくない事を想像していたが、あまりにも能天気な答えに苦笑する。
「…はぁ、どこに帰るんだ?人通りの多い所まで送ってやるぞ」
「マジ!?おじさん超紳士〜!駅、駅行こう!」
「いや、ちょっ…おい!?」
初対面だというのに、がっしりと腕を掴まれ引っ張られる。一瞬の出来事で抵抗もできず、そのまま引きずられていく。
「あ!今思ったんだけど、アタシとおじさん一緒に歩いてっと警察に捕まっちゃうんじゃね?」
「じゃあ手を離してくれないか!?」
「おけおけ!もしもの時は、この人は悪い人じゃないって説明するから!」
何も良くないのだが、問答無用でズンズンと前へ進んで行く。今は人が少ないし、表通りに出るまでは好きにさせる事にした。
(というか、言っても止まんねぇなこいつは…)
「はい、出た!」
狭い路地を抜け、大きい道に出たところでやっと手を離してくれた。
「よし、駅って言ったよな?行くぞ」
「…おじさん、駅こっち」
「…」
進行方向をくるりと変え、何事もなかったかのように歩き出す。
「…おじさん、もしかして方向音痴的な?」
「違う。今のは…勘違い。そう、勘違いだ」
「ふーん」
「そもそも、ご丁寧に看板があるのに間違えるわけが…」
「おじさん、そっち行くと遠回りだよ」
「…わかってるなら、最初に言ってくれ!」
「おじさん、やっぱ方向音痴じゃん!ウケる!」
「おじさんじゃない!俺はまだ二十歳だ!」
「マジ!?おじさん二十歳なの!?アタシと三つしか変わんないじゃん!いぇーい!」
どこに喜ぶところがあったのか理解できないし、彼女の元気さにもついていけなくなってきた。
「ねぇねぇ、おじさんこそなんであんな所歩いてたの?もしかして迷子?」
図星をつかれ言い淀む。
「ま、迷子な訳ないだろ」
「はい嘘〜!やっぱおじさん方向音痴〜!」
両方の手で指を刺される。
「う、うるさい!ちょっと酒が入っててだな…」
「仕事の飲み会?」
「いや、アメフトチームの交流会だ」
「アメフトって何?」
「アメフトってのはな…」
俺なりに体験談も踏まえ、素人でもわかりやすいようにアメリカンフットボールとはなんぞや、と熱弁する。これからは、実際に後輩の指導もしていくのだ。彼女への説明は、それの予行練習である。
「へぇ〜よくわかんないけど、面白そー!」
せっかく説明したというのに、あまり理解していないようでがっくりと肩を落とす。
(まぁ、初めて聞いたんだからこんなもんだろう…)
「ね!そのアメフトっていうの、どこで見られるの?」
「テレビでも見られるぜ?実際に見たいって言うなら、再来週に俺達のチームが練習試合をするが…」
「マジ!?おじさん出る?何時?行っていい?」
興味を持ってくれたのか、食い気味に質問を連発する。
「お、おう!試合には出るぞ!時間は十時からだ」
「よっしゃ!行く行く!」
素早い動きでスマホを取り出し、メモ機能に打ち込んでいく。
「あ、やば!電車来る!じゃね、おじさん!助けてくれてマジありがとー!」
「お、おう!いや、だから俺はおじさんじゃ…」
言い終わらないうちに、こちらに手を振って走り去っていった。ぽつんと一人、駅の入口に残される。
「…嵐みたいなヤツだったな…あ!俺が乗る電車!最終いつだ!?」
自分も帰らなければいけない事を思い出し、慌てて駅のホームへと走り出した。
そして練習試合の日。武蔵工バベルズ全員揃ってから初めての試合に皆気合いが入っている。チームで円陣を組み、今日の作戦を確認する。
「今日はメンバー揃って初めての試合だから、全体の動きをしっかり把握する事!あと、うまくいかなくてもいいから自分のポジションをやり抜く事!試合中に何か気付きがあったら教えて。じゃあ、いつもの練習通り怪我しないように気をつけて頑張ってきてね、みんな!」
「「うーす!」」
野太い返事を返し、それに満足そうに頷くマネージャー兼監督の姉さんが俺の方を見た。
「あ・と・は!鬼平ちゃん相手チームの作戦予想できる?」
全員の視線が俺に集中する。
「ん?そうだな…今日の相手チームは足の速いヤツが多いから、ランを中心に来ると思うぜ」
「はい!みんなその逆ね!」
「「うーす!」」
「おい!?」
「鬼平さんの予想外れっからな〜」
「右って言ったら、左だからな」
黒木と戸叶が、ヘルメットを被りフィールドに向かいながら失礼な事を言う。
「いや、逆にすごいでしょ…結構正確に予想の反対で当たってるし」
「頼りにしてますんで」
通り側にキッドとムサシにも言われてしまう。褒められているのか馬鹿にされているのか。確かに、自分の予想の逆でプレーして危機を救ってきた場面もあるのだ。しかし、どうしても腑に落ちず腕を組んで考えていると観客席から一際大きい声が響いた。
「ウェーイ!おじさーん!とりま、応援来たし!勝たないとマジおこだぞ〜!」
その声にフィールドでスタンバイしていた選手達全員が視線を向けた。
「えーと、どのおじさんだろう…うちのチームは平均年齢は最年少だけど、見た目はシニアだからなぁ…」
「マネージャーがチームをディスんなよ…」
大きく手を振っているのは、ナンパ男から助けてあげた少女だった。
「本当に来たのか…」
声援に応えるように手を振り返してやれば、さらに大きく手を振り返してくる。
「鬼平さんの知り合いっすか?」
「ん?まぁ、ちょっとな」
「はあぁぁ?ちょっとって何だよ!怪しいぜ!」
黒木が肘で体を突いてくる。
「ただ、困ってた所を助けてやっただけだ。暇つぶしに来てくれたんだろ。別に何もありゃしねぇよ」
「と、いう事は…」
((何かあるんだろうなぁ…))
上機嫌でヘルメットを被りフィールドへ出て行く鬼平の後ろ姿を見て、バベルズの全員が思うのであった。
その後、予想は的中する。
「おじさん!アタシ、この超派手なケーキ食べてみたいんだけど!一緒に来てほしいっていうか、来て!」
バイト終わり歩いていると、ハイテンション女子高生に絡まれた。スマホの画面を至近距離で向けられ、近すぎて何も見えず画面を押しのけジロリと相手を睨んだ。
「俺はおじさんじゃないし、そんな近くじゃ見えん!」
「そーだった!めんごめんご!どう?行くっしょ!」
全く反省の色が見えない彼女にため息をつき、再度スマホの画面を見た。そしてまた大きなため息をついた。
「あのなぁ、前にも言ったろ?お前の行きたい場所ってのは、俺みたいな男には不似合いだって」
「え、鬼平っちに似合ってない?」
「お前、俺と初めて会った時ヤのつく人だって言ってなかったか?」
「そだっけ?」
「とにかく、俺は行かねぇぞ。高校の友達と行けばいいじゃねぇか。こういうのは女子同士の方がいいんじゃねぇか?」
「…うん、えーっと…いや、アタシの友達こういうの好きじゃなくって…なんか派手すぎー!みたいな?」
「…」
初めて彼女が練習試合を見に来てくれた日。お礼にと付き合ったのは、可愛らしいカフェ。周りの客は女性ばかりで、肩身の狭い思いをした。行きたがっていた彼女は目的が果たせた事が嬉しかったのか、それからというもの俺を誘いにくるのだ。慕ってくれるのは嬉しい。だが、彼女の行きたい場所というのは決まって可愛い場所ばかり。俺みたいな男が行くような所ではない場所が多いのだ。何度、物珍しい目で見られたことか。
こんなに明るい性格で俺みたいな強面の男に声がかけられるのなら、学校に友達なんていくらでもいそうなものなのに『友達』というワードを出すと彼女の表情に影が差す。それがどうしても引っかかり、結局一緒に行く事になってしまっている。自分を連れて行くための演技かとも思ったが、それだと余計に意味がわからない。
「はぁ…明日の夕方でいいなら空いてるぞ」
俯いていた彼女が勢いよく顔を上げた。
「マジ!?やった!ありがとサンキュ!じゃあじゃあ、明日の十七時に駅集合でおけ?」
あの日のように素早い指捌きでスマホを操作する彼女。どうやらいつもの元気娘に戻ったようだ。
「わかったわかった。ほら、時間いいのか?お前が乗る電車、来るんじゃねぇか?」
「あ!マジで?じゃね、鬼平っち!明日遅刻しないでよね!」
「遅刻なんてした事ねぇだろ」
「間違えた!迷子になんないでね!」
「余計な事言うな!」
大声で他人の恥ずかしい事を叫ぶ彼女を叱りながら、手を振り返してやる。
(全く…こんな男と一緒にいて何が楽しいんだか…まさか、これがモテ期か!?)
駅からジリリと電車の発車する音が聞こえた。
「俺が乗る電車!」
気がついたら時には電車は動き出しており、俺はがっくりと肩を落とした。
次の日、彼女との待ち合わせ時間まであと十分。早く先に着いて俺が余裕のある大人だと見せるために、少し早めに出発した。しかし思惑は外れ、待ち合わせ場所には彼女がすでに来ていた。しかも同じ制服の男女に囲まれており、思わず物陰に身を隠した。
(なんだよアイツ、友達いるんじゃねぇか!ここで俺が行ったら変な感じにならねぇか?おいおい、流石に高校生の中に混ざってオシャレなカフェでお茶すんのはきついぜ…仕方ねぇ、急用ができたから友達と行けって連絡するか…)
そう思ってスマホを取り出し、メッセージを送る前にもう一度彼女を見た。そこで気づいた。いつも元気なはずの彼女が、俯き縮こまっている。俺は考えるよりも先に身体が動いていた。
「よぉ、〇〇。そいつらはお前の友達か?」
俺の声に彼女を囲んでいた高校生達が一斉に振り返り、硬直する。
「友達にしちゃ、随分と高圧的な気がすんのは俺だけか?」
「だ、誰ですか…」
「あー〇〇の親戚のおじさんみたいなもんだ」
友達ですとは言いにくかったので、とっさに親戚だと嘘をついた。自分で自分の事をおじさんだと言ってしまった事にショックを受ける。俺がそれに落ち込んでいる隙に、彼女を残して他の学生達は走って逃げていってしまった。
「あ、おい!話はまだ…はぁ、まぁいいか。悪かったな、友達ビビらせちまったみたいだ」
まだ俯いている彼女に声をかけると、大きく首を振った。
「別に友達じゃないし、大丈夫」
「そうか、じゃあ行くか」
「えっ…聞かないの?友達じゃないなら、何で囲まれてたのか…とか」
「そりゃ気にはなるが、俺はお前と出会ってひと月くらいしか経ってない。大事な話は、本当に信頼できる相手にしな。まぁ…お前が話したいってんなら、俺は構わないぞ。ちゃんと聞いてやる。解決できるかはわからないがな…とりあえず行くぞ。早くしねぇと店が閉まるからな」
話しにくい事は無理に聞かない。今のは割と良い感じに決まっただろうと一歩踏み出す。
「…鬼平っち、そっち逆なんだけど」
がくりと足の力が抜ける。その様子を見て、今日初めて彼女が笑った。
「…い、今のはお前を笑わせるためにわざとやったんだ!」
最高にカッコ悪い姿を見せてしまい慌てて言い訳をすれば、それを見て彼女がさらに笑った。元気になった彼女を見て、少しだけ安心した。
オシャレなカフェの帰り道。可愛い物で溢れた店内に、客も店員もすべて女性。周囲からの刺さる視線になんとか耐え、疲労感でヘトヘトになりながらも駅へと歩く。
「…あー大丈夫?鬼平っち。あんまし美味しくなかった?料理」
いつもならマシンガントークで始終元気な彼女が、珍しく大人しいし他人を気遣っている。
「料理は美味かった。店が女性ばかりで気疲れしただけだから、気にすんな」
「でも、男子は入っちゃいけないって書いてないから良くね?」
「だとしても、俺の見た目が浮いてんだ」
「鬼平っち、いつもそのスーツだもんね!他に服ないの?」
「毎日同じ服を着てるみたいに言うな!あるにはあるが、似合わないんだっ!」
自分のこの見た目と高校の時のキャラ付けのせいでこの格好でいる事が当たり前になってしまい、一般的と言われる服装をすると違和感があるのだ。
「あーわかる〜!やっぱ合う合わないあるよね〜アタシは鬼平っちの服、最初マジヤバじゃね!?って思ってたー」
「そのヤバいは良い意味なのか悪い意味なのか、とっちなんだ!?」
「良い意味に決まってんじゃ〜ん!」
「ならいいが…」
そこからぷつりと会話が途切れてしまう。いつもと違う雰囲気に、黙って見過ごせるような人間ではない。
「今日は元気ないな。やっぱり、さっきの事か」
待ち合わせ場所で、彼女を囲んでいた学生達。
「喧嘩でもしたのか?」
「…喧嘩だったら良かったんだけどね〜」
彼女が立ち止まり俯く。
「アタシこんな感じだからさ、なんかウゼーってなったっぽい?アタシ馬鹿だからさ、何か嫌な事しちゃったみたいな?」
明るく話す〇〇だが、ほんの少しだけ表情が引きつっている。
「あそこにいた全員にか?」
「わかんない」
「理由は聞いたのか?」
「…聞いても教えてくれなかった…ただ、ウザいって言われるだけだし…謝ってもずっとあんな感じだし」
「この事は、先生や親には相談したのか?」
「…話してない。学校にアタシの話なんて聞いてくれる人なんかいないし…」
なんとなく訳ありな気がしてはいた。まさかここまで深刻だとは思っていなかったが。
「ごめん…なさい…めんどくさいよね!でも大丈夫!もう暗い事言わないから、また…」
「大丈夫じゃねぇだろ。助けてほしい時に助けてって言えねぇと後悔するぞ」
彼女が驚いた顔をして俺を見た。
「それにな、高校生活ってのはたった一度しかないんだ。たくさん思い出作っておかないと、大人になってからじゃできない事も多いんだぞ?それを他人が邪魔するなんてあっちゃならねぇ」
「…なんか鬼平っち、先生みたい」
「せ、先生!?…ふっ、まぁ高校時代は後輩達の見本として生きてきたからな。頼りがいがあるのは仕方がねぇが、先生と言われるまでとは…」
たくさんの後輩達に慕われていた高校時代を思い出し上機嫌になる。
「…鬼平っちみたいな先生がいたら良かったのに…そしたらこんな事にならなかったかも…」
「下を向くんじゃねぇ。大丈夫だ、俺がなんとかしてやる!」
「でも…」
「お前と出会ったのも何かの縁だ。それに俺は、困ってる人間を見捨てるような男じゃないぜ」
びしっと上着の襟を正す。
「俺に任せろ、後悔はさせねぇよ」
「で?助けてあげるって言っちゃったんだ」
「…くっ!放って置けないだろ、あんなの」
社会人アメフトチーム『武蔵工バベルズ』の練習が終わり、この前の話を姉さんに相談する。解決するとは言ったものの女子同士の問題なら、女性からの意見も聞き入れた方が良いと思った。
「まぁ、わからない事もないけど…私達は部外者だし、生徒同士もしくは学校側の問題だからねぇ…」
姉さんの言っている事は正しい。ひと月前に出会った男が突然間に入ってものを言える立場ではない。
「今のところ鬼平ちゃんにできる事は、その子をしっかり見ててあげる事しかできないわね。最終的に、その子が声をあげなければ助かる方法がない」
「やっぱりそうなるか…」
がっくりと肩を落とすと、ばしんと割と強めに背中を叩かれた。
「そんなに落ち込む事ないわよぉ!少なくともその子は、鬼平ちゃんが味方でいる事で助かってんだから!」
「でも、俺には話を聞いてやる事しか…」
「それでも十分よ。逃げられる場所があるんだから」
「…くそっ!それでも不甲斐ないぜ、俺は!」
握った拳を地面にぶつける。
「確かに、こんだけ真剣に向き合ってくれる先生がいたら助かるだろうね。暑苦しいだの、うざいだの言われるだろうけど」
「それは褒められてるのか!?」
「褒めてる褒めてる」
「なんかそれ嘘っぽいぞ!」
結局助けてやるとは言ったものの、現状は彼女の話を聞いてやるだけしかできない自分が悔しかった。
それから数日後。いつもなら駅前などわかりやすい場所で待ち合わせをするのだが、指定されたのは路地裏だった。おかげでたどり着くまでに時間がかかり、到着した時には彼女がすでに来ていた。
「悪いな、待たせた。にしても、なんで待ち合わせ場所がここなんだ?今日行く所は、こんな裏手にあるのか」
「…えっとね今日はどこにも行かないで、ここでアタシとしゃべろ〜って感じ?」
「…何かあっただろ」
考える前に口が動いていた。彼女の顔がすぐさま曇り、俯いてしまう。
「…この前、鬼平っちと一緒にいた所見られて…悪い大人と遊んでるって噂流されて」
一気に頭に血が昇った。
「ふざけんな!そんなデマ流しやがって、許さねぇ!」
「ご、ごめん!アタシのせいで、鬼平っちまで悪者に…」
「あ?お前のせいじゃないだろ。悪いのはデマを広めた連中だ。お前が謝るんじゃねぇ」
「…」
「にしても、やっぱり見た目か…俺の見た目が誤解を招くのか?」
顎に手を当て、自分の服装を見る。変な噂を立てられてしまうのなら、彼女のためにイメージチェンジをする必要があると真剣に考える。一歩間違えれば今の見た目よりも年齢が加算される可能性はあるが、悪い噂が流されるよりマシだ。
(俺がおっさんに見られるくらい、こいつの事を考えたらどうって事ないな)
それなら、〇〇に俺の服を選んでもらおう。自分が見るより、今の流行りを知っている彼女に選んでもらえば大事故は防げるだろう。
「…鬼平っちごめん。アタシのせいで迷惑かけて…これ以上アタシと関わったら、ほんと何されるかわかんないし…会うのもやめた方が…」
「おい、俺に任せろって言っただろ。男に二言はねぇ」
「…でも、でもさ!」
「心配すんな、俺には強い味方がいるんだ。それに俺はちょっとやそっとの事で、へこたれたりはしねぇさ」
挫折は何度も経験してきた。どんなに努力しても届かない事があるのを知っている。でも彼女の事は違う。面白半分で他人の人生を蔑ろにするのは許されない事だ。それで彼女がたった一度の人生を、辛い思いをして生きなければならないのは間違っている。
「いつも俺に話しかけてくるみたいに、他の奴らにも話せるようにしてやるさ。そしたら、俺みたいなおっさんと可愛いカフェに行く必要なんてなくなるだろうよ」
高校生、今が一番楽しい時期だろう。俺が生きてきた青春を、彼女にも知ってもらいたい。
「鬼平っち…」
「というわけでだ、まずは俺の服を変える!」
「…服?なんで?」
人通の少ない道を、一人の女性を先頭に強面の男達がゾロゾロと後ろをついて歩いている。
「今日見た所が、明日からの作業場所ね。指示書通りに三人で協力してやるのよ?わかった?」
「「へーい」」
黒木、戸叶、峨王がそれぞれ返事を返す。
「不安になる返事ねぇ…」
「一応、最終確認は来てくれんだろ?」
「そりゃもちろん行くけど、ダメだったら最初からやり直しよ。期限があるんだから、一発で完璧にやってほしいんだけど」
「俺ら三人でできんのかよぉ〜この前、やっとショベルの免許取ったばっかなんだぜ?」
「取ったばかりだから良いんだ。慣れてくると、緊張感がなくなって事故る可能性が高くなるからな」
「流石、次期棟梁!言う事が違う!」
「…」
「おい、ガチで照れんのやめろって。俺らどう反応したらいいかわかんねぇよ…」
「うおっ!全員隠れろ!」
「え、何?」
突然黒木が物陰に身を隠したので、全員がつられて隠れる。
「なんだよ黒木」
「しっ!あれ見ろよ!」
黒木が指差す方を見ると、鬼平と女子高生が並んであるいている。
「あらあら〜おデート中?」
「ちくしょー!邪魔したい気分だぜぇ!」
「絶対やめろ」
「もしかして例の彼女かしら。落ち込んでるかと思ってたけど、鬼平ちゃんのおかげで元気そうね」
「なぁ、ちょっとだけ後つけようぜ!」
「やめとけって」
「ふん、俺は帰るぞ」
「何だよ、つまんねーな」
楽しそうに歩く二人を見送って、逆方向へと歩き出す。少し進んだ所で、微かに聞こえた話し声に峨王が立ち止まった。
「ん?どうしたんだよ峨王」
「静かにしろ。どうやら面倒な事になりそうだぞ」
面倒と言う割には、にやりと悪い笑みを浮かべている。全員がその場に止まり耳をすませると、話声が聞こえる。
「今日はちゃんと録画しとこうぜ。んで、ネットにあげる」
「ヤクザの娘って書いてみる?先生に見つかったら、最悪退学じゃない?」
「いいなそれ!」
三、四人くらいの若い男女の話声。
「おいおい、これはマズイぞ」
「どうする、ここでシメるか?」
「やめろ。子供相手に手を出すな、お前が捕まるだろうが」
「姉さん、どうするんだよ。このままじゃ、鬼平さんまずい事になるぜ?」
「…ヤクザの娘ねぇ…面白い、それ乗った!」
「は?」
「はあぁぁぁ!?」
「さぁ、みんな!こっそり後を着いてくわよ〜!」
「「りょうか〜い」」
不適な笑みを浮かべ歩き出した四人に、呆れ顔をしながらその後ろをついて行くムサシだった。
「え、スーツやめちゃうの?似合ってるのに」
「お前、ヤクザみたいって言ってたじゃねぇか」
彼女に服を選んでもらうために、薄暗い路地を出る事にした。服装の事を話しながら歩いていると、カシャとどこからかシャッター音が聞こえた。
「ん?何だ今の音…」
「はい証拠撮った!〇〇がヤクザと歩いてる写真〜」
いつからいたのか前に見た学生達が、スマホをこちらに向けながら出てきた。
「…お前らか、くだらねぇ事してんのは。その写真をどうするつもりだ?」
「ネットにあげるんだよ。噂が広まって、もう学校来れないかもな!」
「おいお前ら、いい加減にしろ!何の恨みがあって、そんな事するんだ!」
「別に?ただ面白いから」
目の前の学生達はニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべ、そう言い放つ。あまりの態度に手が出てしまいそうだったが、必死に唇を噛み締め堪えた。
「…っ、じゃあ〇〇は何も悪い事はしてないんだな?」
「あるとしたら存在?」
ケラケラと笑う彼らに、頭の血管が切れてしまいそうだ。
(ここで手を出したら負けだ!だが、こいつらとまともに話した所で改心しそうにねぇ!)
「これで〇〇学校辞めたら、次誰にする?」
今度は完全に堪忍袋の尾が切れた。
「てめぇら!!」
「鬼平の兄貴ぃ〜!」
「どこ行ってたんスか、探したんスよぉ〜?」
突然、聞き覚えのある声がしたので振り返ると黒木と戸叶が立っていた。
「お…お前らどうして…」
「組長がお嬢と一緒に出てるから、探して来いって言われたんスよぉ〜」
「お嬢も出るなら出るって言ってくんないと、探す方も困るんスよね〜」
「え?え?」
(何だこの三文芝居は!もう少し口調どうにかなんねぇのか!)
「今組長って…マジでヤクザの娘…?」
「あ?何だよお前ら…お嬢と同じ学校のやつか」
「おいおいおーい!頼むぜぇ?ウチの組長の大事な娘なんだからよぉ〜何かあったら怖いぜぇ?」
「…ひっ」
学生達の顔からみるみる血の気が引いて行く。
「お嬢、元気ないっスね。もしかしてこいつらに何かされたんじゃ…」
二人が睨みつけた瞬間、学生達は震える足で逃げ出す。
「おいコラ!逃げんな!」
「待ちやがれ!!…ってな!」
「へっ!ビビってやんの!」
学生達の姿が完全に見えなくなると、黒木と戸叶が拳を合わせる。
「黒木、戸叶…お前ら何を…」
「あ?話はあとあと!」
「とりあえず、姉さん達と合流だな」
「は?姉さんもいるのか!?」
「にしても、お前セリフ棒読みじゃねぇかよ。感情がこもってねぇ」
「は?お前こそ、安いセリフばっか言いやがって。ちゃんとヤクザもんの漫画読め」
「はあぁぁぁ!?それ言うんだったら、シナリオ考えた姉さんに言えよな!」
どうなっているのかわからない状態の俺と〇〇を放置して、さっきの芝居について言い争いをしている二人の後を追いかけた。
震える足に鞭を打って必死にその場から逃げる。酷い目に合わないうちに、遠くへと全力で走った。
「わっと!」
曲がり角で人にぶつかり、反動で尻餅をついてしまう。
「大丈夫?ごめんね〜」
顔を上げれば、女性が手を差し伸べてくれていた。
「た、助けて下さい!悪い人に追いかけられてて…!」
ひとまず助けを呼んでもらおう。そうすれば、後は警察やら大人がなんとかしてくれるはずだと思った。
「…悪い人ねぇ、もしかしてウチの人達かな?」
「え?」
にこりと笑う女性の背後から、先ほどの男達以上に恐ろしい男達が現れ自分を睨んでいる。
「ひっ!」
「なんや最近ウチのお嬢が元気ない言うから調べとんのやけど…自分お嬢と同じ学校やねんな、なんか知らん?」
優しそうな顔をしているが、目の奥が笑ってない。自分達は本当に手を出してはいけない人物に、手を出してしまったのだと思った。
「あれ、どうした〜?…まぁええわ。大体の情報は手に入っとるし、後はどうバレへんように始末するだけやしな」
女性の顔からスッと笑顔が消え、見下ろされる。自分達がやった事がバレているのだと気付き、ガクガクと身体が震える。
「…ごめんなお兄ちゃん!ぶつかってしもうたお詫びに、良い事教えたるわ!」
また笑顔になり、軽快に話し出す。
「触らぬ神に祟りなしってことわざあるやろ?怖い思いしとうないんやったら、近付かん方が身のためやで。覚えとき」
「…は、はいぃぃ!!」
もう、あの女には一切関わらないと心に誓った。
ふらつきながら逃げていく姿を見送り、それと入れ替わるように黒木達と合流した。
「姉さーん、こっちは上手くいったぜー」
「俺達が行くより、峨王やおっさんが行った方が一撃で終わったんじゃねぇか?」
「ダメよ、この二人が行ったら失神しちゃうじゃない。最初はチンピラその一、そのニぐらいで良いのよ」
「俺らチンピラ役かよ…で、そっちはどうだったんだ?」
「こっちも上手くいったんじゃないかしら?ものすごくビビってたし」
「関西弁の姉さんはなかなか面白かったぞ」
「げ、古いんだって。極道の妻じゃねぇんだからよぉ」
「え、違うの?」
「ガキにはわかんねぇよ」
「じゃあ、終わった事だし帰ろうぜ〜」
「いや、待て待て待て!説明は!?」
昔のトレンディドラマの終わりのように、談笑しながら歩いている場合ではない。今この状況に置き去りにされている、俺達に説明が欲しい。いつもうるさい〇〇が、さっきから一言も発していないのだ。
「んなもん、生意気なガキ達をこらしめてやっただけだぜ」
「話が聞こえてよ。もうヤクザだって思われてんなら、それでいいじゃねぇかって」
「一芝居うってみました〜」
「…はぁ?」
「流石にあんだけビビらせりゃ、もう悪さしないだろ」
「つー訳で、俺ら帰るなー」
「デートの続き楽しんでねー!」
「は!?デート!?」
「ありがとうございました!」
〇〇が黒木達に頭を下げた。
「どういたしまして。また困った事があったら、鬼平ちゃんに言ってね。私達も協力してあげるから」
「…はい!」
〇〇は姉さん達の姿が見えなくなるまで、頭を下げていた。
「…はぁ、結局お前を助けたのは姉さん達か…」
「落ち込むなし!つか、これマジ美味くね!?」
さっきの事がなかったかのように、アイスクリームを食べている彼女を見てほっと息をついた。自分の出る幕はなかったが、彼女が救われたのならそれでいい。
「ありがと鬼平っち!マジさんきゅ!」
「俺は何もしてないがな!」
「そんな事ないし!鬼平っちと会ってなかったら、アタシ今頃どうなってたかわかんなかったし」
残り少ないアイスを一気に食べきると、立ち上がって俺の前に立った。
「あの日、鬼平っちに会えてほんっとーに良かった!アタシ、明日からまた頑張ってみる!」
彼女の本気の笑顔と言葉に、鼻の奥がツンとする。
「…おう、頑張れよ」
「…あれ鬼平っち、もしかして泣いてね?」
「泣いてない!アイスが…その、歯に染みたんだ!」
「それ虫歯じゃん!それか知覚過敏?」
「あー!そうだそうだ!」
「ウケる!」
彼女ならすぐに友達ができるだろう。高校を卒業するまでに、これまでの辛い出来事なんて霞んでしまうくらい楽しい思い出を作って欲しい。そう願いを込めて、電車に乗った彼女を見送った。
あの日から二週間が経った。〇〇に嫌がらせをしてきた奴等は大人しくなり、目をつけられなくなったからかクラスメイトと話せるようになったらしい。そして今日、初めて高校の友達と遊びに行く事になったようだ。
「…良かったじゃねぇか」
送られてきた友達との写真を見て、小さく笑う。スマホを置いて、付箋だらけの分厚い本を手に取り開く。
「俺もお役御免だな」
高校を卒業してからまともに持つ事がなくなってしまったペンを手に取り、机に向かった。
「鬼平っち〜お待たー!」
「おう、悪いな。急に呼び出して」
学校終わり、よく待ち合わせ場所にしていた駅前に〇〇を呼んだ。
「別にいいし。今日みかっち、バイトで遊べなかったからさ!」
「写真の子か」
「そ!めっちゃ可愛くね?しかも勉強もできんの、アタシいつも教えてもらっててさ!マジ助かる!」
「そいつはありがたいな。でも、いつも世話になりっぱなしは良くねぇな。何かお礼しろよ?」
「大丈夫!アタシのオススメお菓子、色々あげてっし!」
「ちゃんと返せてるならいいさ」
前にも増して元気になった彼女のマシンガントークが止まらない。友達ができて楽しいのだろう、本当に良かったと思う。
「で、鬼平っちが呼び出すなんて珍しいじゃん!何なに!?サプライズ?」
「いや、そんなんじゃねぇんだが…」
そんな期待のこもった目で見られても何も出てこない。
「まぁ、あれだ。お前も友達ができたから、もう俺と会う必要はないと思ってな」
「…へ?」
「今日で会うのは最後だ」
「ちょ、待って!何で?」
「やりたい事が見つかったんだ」
「やりたい事?」
「おう、俺は教師になる」
自分のやりたい事が分からず、何をしてもいまいちしっくりくる仕事なんてなかった。そんな中、〇〇と出会い自分みたいな教師がいればと言われた事で気づいた。
「先生になるの?」
「あぁ、そうだ。俺は先生になって、お前みたいに楽しい高校生活を送れるよう手助けしてやりたい」
人に教える事が好きだ。現にアメフトチームでは、自分の技を後輩達に指導する事は楽しい。教師になりたいと思った瞬間、心の中の霧が晴れた気がした。
「ありがとよ〇〇。お前のおかげで、俺の夢が見つかったぜ」
「…あはは!鬼平っちが先生とか、みんなガチでビビるやつじゃん!」
「中には怖い先生がいてもいいだろ」
「でも、鬼平っちが先生だったら楽しいだろうな〜もー先生になるんだったら、アタシが学生の頃になっててよ!遅せぇし!」
「仕方ないだろ、つい最近思ったんだから」
「…アタシ、応援してるよ!鬼平っちがちゃんと先生なれますようにって!」
〇〇はにこにこと、いつものように笑っていた。
「…おう、ありがとな!」
「あと、なんかヤシの実みたいなの持って走るやつも勝てるように応援しとくー」
「アメフトな」
「そうそれ!」
相変わらず、物覚えの悪さに苦笑する。
「…じゃ、俺はここでさよならだ。短い間だったが、なかなか楽しかったぜ。友達を大切にな」
〇〇に背を向け、片手を軽く上げ歩き出す。振り返りはしない、最後の別れはしっりと決まった。
「…鬼平っちー!今時の先生は校門前で竹刀持って立ってないから、やっちゃダメだかんねー!」
「それくらい俺もわかってるぞ!」
せっかく格好良く去ろうとしていたのに、思わず振り返ってしまう。
「鬼平っち、やりそーだから!」
「やらねーよ!じゃあな、気をつけて帰るんだぞ!」
「ウェーイ!」
両手を振り、笑顔で見送られる。
(まったく、最後までアイツのペースだったな…まぁ、笑って別れられたのは良かったな)
俺の事なんてこれからの楽しい思い出の中に消えてしまうのだろうと思うと寂しい気もするが、友達との思い出が多い方がいい。
「もう会う事なんてないだろうが、元気に頑張れよ〇〇」
小さくそう呟いて、空を見上げた。
それから時が経ち、俺は無事体育教師となった。自分が思ってた以上に大変な部分もあるが、その分たくさんの事を子供達から教わっている。教師というのが合っていたようで、楽しくやっていけている。
そんなある日、校長室へと呼び出された。
(何かやらかした覚えはないんだが…ウチの組の誰かが窓ガラス割ったとかか?)
何年もやっていると色んな事があり、次々とこれまでのトラブルが思い出される。痛み始めそうな胃を押さえ、校長室へノックして入る。
「失礼します」
中へと入れば校長先生と一人の女性が机を挟んで座っており、女性の方は資料に集中していた。
「わざわざありがとう。急で悪いんだが、明日から教育実習生の指導を山本先生にお願いしたくて…」
「…山本?」
俺の名前を聞いて、資料を穴が開くほど見つめていた女性が顔をあげた。
「あーっ!?やば!マジやばじゃん!」
俺の顔を見た途端に立ち上がり、指を差して叫んだ。
(おいおい失礼だな…実習生って大丈夫か?)
自分の見た目に驚かれるのは慣れているが、これから教師になろうとしてる人間がこれでいいのか不安になる。
(…それにしても、どっかで見たような)
女性を見てどこか懐かしい感じがしたが、これまで多くの人間に会ってきているのでいつどこで会った事があったのかはわからなかった。
「落ち着いて、ちゃんと自己紹介して!」
「は!やば、運命すぎて我を忘れてたし」
校長先生に咎められ、ぴしりと姿勢を正す。
「明日から、先生の卵としてお世話になります!〇〇です!よろしくお願いします!」
「……〇〇?…〇〇ーーっ!?」
「ウェーイ!マジおひさ!」
一瞬で姿勢が崩れて、校長先生が頭を抱える。
「鬼平っち見てたら、アタシも先生になりたくなっちゃってさ!なっちゃった訳!」
「なっちゃった、か…」
「楽しくやって行こうぜって事で、よろ!」
あの日と変わらず楽しそうに笑う彼女を前に、自分も笑うしかなかった。
「あーそういや、口に出しちまったな」
もう会う事はない、最後に呟いた俺の予想は大きく外れてしまったようだ。
アルコールも加わっていい気分で歩いていたが、ふと気づいた。
「…ここ、どこだ?」
途中まで他の連中と歩いていたのに、いつの間にか薄暗い路地裏を歩いているではないか。スマホを取り出し近場の駅を探せば、反対側へ向かって歩いている事に気づいた。
「全然違うじゃねぇか…」
スマホの道案内を頼りに駅へ向かって歩き出す。すると、前の方から若い男女の話し声が聞こえてきた。聞く気はなかったのだが、静かな場所だったため聞こえてしまう。
「ねぇ、これから一緒に遊ばない?面白い場所知ってるんだー」
(…ただのナンパか)
仕方なく一つ先の道を行こうと通り過ぎた時だった。
「いやアタシ家に帰りたいんですけど!道開けてほしいっていうか、そこどけし!」
ぴたり、と足が止まる。
「そんな事言って、一人でこんなとこ歩かないでしょ。大丈夫だって」
「心配しなくても、遊んだら駅まで送ってあげるからさ」
大きなため息をついた。ナンパだとしても、一応出会に繋がる事もある。邪魔にならないようにスルーしようと思ったが、相手が迷惑に思っているなら話は別だ。通り過ぎた道を戻り、声が聞こえる方へ進んで行く。
「ちょ…マジで離して!」
「おい、お前ら嫌がってるだろ。やめてやれよ。みっともないぜ?」
少し進めば、男二人が立っているのが見えた。
「うるせぇな、邪魔すんな…」
一人の男が振り返り、俺の方を見るともう一人の男の肩を叩く。そして二人して俺を見て固まった。不思議に思いながら近づいていく。
「「すみませんでしたーーー!!」」
男二人はそう叫んで、一目散に逃げていった。
「…な、なんなんだ?」
俺の後ろに何かいるのかと振り返るが、薄暗い路地には何も見えない。
「…うわ〜おじさんやっば!どこの組の人?」
「…は?」
前に向き直れば、ナンパされて困っていた制服姿の女子がキラキラした目で見てくる。
「…あ、さっきはマジあざす!ほんっと、困ってたの!めちゃしつこいし!ね、ね!おじさんって、アレ?ヤのつく人だったりする!?」
「…いや、俺はヤのつく人でもないし、おじさんと呼ばれる歳でもないんだが…」
これで本当にヤのつく人だったら、ナンパなんて比じゃない目にあっているだろうと思う。
「え!マジ!?服とかマジそれじゃね?って思ったんだけど違うんだ!ウケる!」
観察するように俺の周りをくるくると一周する。
「…あーなんでこんな所にいるんだ。見た所高校生くらいか。危ないだろ」
「え?あ、猫追っかけてたらここまで来ちゃってたんだよね〜!笑えるでしょ!」
時間帯や場所からしてよくない事を想像していたが、あまりにも能天気な答えに苦笑する。
「…はぁ、どこに帰るんだ?人通りの多い所まで送ってやるぞ」
「マジ!?おじさん超紳士〜!駅、駅行こう!」
「いや、ちょっ…おい!?」
初対面だというのに、がっしりと腕を掴まれ引っ張られる。一瞬の出来事で抵抗もできず、そのまま引きずられていく。
「あ!今思ったんだけど、アタシとおじさん一緒に歩いてっと警察に捕まっちゃうんじゃね?」
「じゃあ手を離してくれないか!?」
「おけおけ!もしもの時は、この人は悪い人じゃないって説明するから!」
何も良くないのだが、問答無用でズンズンと前へ進んで行く。今は人が少ないし、表通りに出るまでは好きにさせる事にした。
(というか、言っても止まんねぇなこいつは…)
「はい、出た!」
狭い路地を抜け、大きい道に出たところでやっと手を離してくれた。
「よし、駅って言ったよな?行くぞ」
「…おじさん、駅こっち」
「…」
進行方向をくるりと変え、何事もなかったかのように歩き出す。
「…おじさん、もしかして方向音痴的な?」
「違う。今のは…勘違い。そう、勘違いだ」
「ふーん」
「そもそも、ご丁寧に看板があるのに間違えるわけが…」
「おじさん、そっち行くと遠回りだよ」
「…わかってるなら、最初に言ってくれ!」
「おじさん、やっぱ方向音痴じゃん!ウケる!」
「おじさんじゃない!俺はまだ二十歳だ!」
「マジ!?おじさん二十歳なの!?アタシと三つしか変わんないじゃん!いぇーい!」
どこに喜ぶところがあったのか理解できないし、彼女の元気さにもついていけなくなってきた。
「ねぇねぇ、おじさんこそなんであんな所歩いてたの?もしかして迷子?」
図星をつかれ言い淀む。
「ま、迷子な訳ないだろ」
「はい嘘〜!やっぱおじさん方向音痴〜!」
両方の手で指を刺される。
「う、うるさい!ちょっと酒が入っててだな…」
「仕事の飲み会?」
「いや、アメフトチームの交流会だ」
「アメフトって何?」
「アメフトってのはな…」
俺なりに体験談も踏まえ、素人でもわかりやすいようにアメリカンフットボールとはなんぞや、と熱弁する。これからは、実際に後輩の指導もしていくのだ。彼女への説明は、それの予行練習である。
「へぇ〜よくわかんないけど、面白そー!」
せっかく説明したというのに、あまり理解していないようでがっくりと肩を落とす。
(まぁ、初めて聞いたんだからこんなもんだろう…)
「ね!そのアメフトっていうの、どこで見られるの?」
「テレビでも見られるぜ?実際に見たいって言うなら、再来週に俺達のチームが練習試合をするが…」
「マジ!?おじさん出る?何時?行っていい?」
興味を持ってくれたのか、食い気味に質問を連発する。
「お、おう!試合には出るぞ!時間は十時からだ」
「よっしゃ!行く行く!」
素早い動きでスマホを取り出し、メモ機能に打ち込んでいく。
「あ、やば!電車来る!じゃね、おじさん!助けてくれてマジありがとー!」
「お、おう!いや、だから俺はおじさんじゃ…」
言い終わらないうちに、こちらに手を振って走り去っていった。ぽつんと一人、駅の入口に残される。
「…嵐みたいなヤツだったな…あ!俺が乗る電車!最終いつだ!?」
自分も帰らなければいけない事を思い出し、慌てて駅のホームへと走り出した。
そして練習試合の日。武蔵工バベルズ全員揃ってから初めての試合に皆気合いが入っている。チームで円陣を組み、今日の作戦を確認する。
「今日はメンバー揃って初めての試合だから、全体の動きをしっかり把握する事!あと、うまくいかなくてもいいから自分のポジションをやり抜く事!試合中に何か気付きがあったら教えて。じゃあ、いつもの練習通り怪我しないように気をつけて頑張ってきてね、みんな!」
「「うーす!」」
野太い返事を返し、それに満足そうに頷くマネージャー兼監督の姉さんが俺の方を見た。
「あ・と・は!鬼平ちゃん相手チームの作戦予想できる?」
全員の視線が俺に集中する。
「ん?そうだな…今日の相手チームは足の速いヤツが多いから、ランを中心に来ると思うぜ」
「はい!みんなその逆ね!」
「「うーす!」」
「おい!?」
「鬼平さんの予想外れっからな〜」
「右って言ったら、左だからな」
黒木と戸叶が、ヘルメットを被りフィールドに向かいながら失礼な事を言う。
「いや、逆にすごいでしょ…結構正確に予想の反対で当たってるし」
「頼りにしてますんで」
通り側にキッドとムサシにも言われてしまう。褒められているのか馬鹿にされているのか。確かに、自分の予想の逆でプレーして危機を救ってきた場面もあるのだ。しかし、どうしても腑に落ちず腕を組んで考えていると観客席から一際大きい声が響いた。
「ウェーイ!おじさーん!とりま、応援来たし!勝たないとマジおこだぞ〜!」
その声にフィールドでスタンバイしていた選手達全員が視線を向けた。
「えーと、どのおじさんだろう…うちのチームは平均年齢は最年少だけど、見た目はシニアだからなぁ…」
「マネージャーがチームをディスんなよ…」
大きく手を振っているのは、ナンパ男から助けてあげた少女だった。
「本当に来たのか…」
声援に応えるように手を振り返してやれば、さらに大きく手を振り返してくる。
「鬼平さんの知り合いっすか?」
「ん?まぁ、ちょっとな」
「はあぁぁ?ちょっとって何だよ!怪しいぜ!」
黒木が肘で体を突いてくる。
「ただ、困ってた所を助けてやっただけだ。暇つぶしに来てくれたんだろ。別に何もありゃしねぇよ」
「と、いう事は…」
((何かあるんだろうなぁ…))
上機嫌でヘルメットを被りフィールドへ出て行く鬼平の後ろ姿を見て、バベルズの全員が思うのであった。
その後、予想は的中する。
「おじさん!アタシ、この超派手なケーキ食べてみたいんだけど!一緒に来てほしいっていうか、来て!」
バイト終わり歩いていると、ハイテンション女子高生に絡まれた。スマホの画面を至近距離で向けられ、近すぎて何も見えず画面を押しのけジロリと相手を睨んだ。
「俺はおじさんじゃないし、そんな近くじゃ見えん!」
「そーだった!めんごめんご!どう?行くっしょ!」
全く反省の色が見えない彼女にため息をつき、再度スマホの画面を見た。そしてまた大きなため息をついた。
「あのなぁ、前にも言ったろ?お前の行きたい場所ってのは、俺みたいな男には不似合いだって」
「え、鬼平っちに似合ってない?」
「お前、俺と初めて会った時ヤのつく人だって言ってなかったか?」
「そだっけ?」
「とにかく、俺は行かねぇぞ。高校の友達と行けばいいじゃねぇか。こういうのは女子同士の方がいいんじゃねぇか?」
「…うん、えーっと…いや、アタシの友達こういうの好きじゃなくって…なんか派手すぎー!みたいな?」
「…」
初めて彼女が練習試合を見に来てくれた日。お礼にと付き合ったのは、可愛らしいカフェ。周りの客は女性ばかりで、肩身の狭い思いをした。行きたがっていた彼女は目的が果たせた事が嬉しかったのか、それからというもの俺を誘いにくるのだ。慕ってくれるのは嬉しい。だが、彼女の行きたい場所というのは決まって可愛い場所ばかり。俺みたいな男が行くような所ではない場所が多いのだ。何度、物珍しい目で見られたことか。
こんなに明るい性格で俺みたいな強面の男に声がかけられるのなら、学校に友達なんていくらでもいそうなものなのに『友達』というワードを出すと彼女の表情に影が差す。それがどうしても引っかかり、結局一緒に行く事になってしまっている。自分を連れて行くための演技かとも思ったが、それだと余計に意味がわからない。
「はぁ…明日の夕方でいいなら空いてるぞ」
俯いていた彼女が勢いよく顔を上げた。
「マジ!?やった!ありがとサンキュ!じゃあじゃあ、明日の十七時に駅集合でおけ?」
あの日のように素早い指捌きでスマホを操作する彼女。どうやらいつもの元気娘に戻ったようだ。
「わかったわかった。ほら、時間いいのか?お前が乗る電車、来るんじゃねぇか?」
「あ!マジで?じゃね、鬼平っち!明日遅刻しないでよね!」
「遅刻なんてした事ねぇだろ」
「間違えた!迷子になんないでね!」
「余計な事言うな!」
大声で他人の恥ずかしい事を叫ぶ彼女を叱りながら、手を振り返してやる。
(全く…こんな男と一緒にいて何が楽しいんだか…まさか、これがモテ期か!?)
駅からジリリと電車の発車する音が聞こえた。
「俺が乗る電車!」
気がついたら時には電車は動き出しており、俺はがっくりと肩を落とした。
次の日、彼女との待ち合わせ時間まであと十分。早く先に着いて俺が余裕のある大人だと見せるために、少し早めに出発した。しかし思惑は外れ、待ち合わせ場所には彼女がすでに来ていた。しかも同じ制服の男女に囲まれており、思わず物陰に身を隠した。
(なんだよアイツ、友達いるんじゃねぇか!ここで俺が行ったら変な感じにならねぇか?おいおい、流石に高校生の中に混ざってオシャレなカフェでお茶すんのはきついぜ…仕方ねぇ、急用ができたから友達と行けって連絡するか…)
そう思ってスマホを取り出し、メッセージを送る前にもう一度彼女を見た。そこで気づいた。いつも元気なはずの彼女が、俯き縮こまっている。俺は考えるよりも先に身体が動いていた。
「よぉ、〇〇。そいつらはお前の友達か?」
俺の声に彼女を囲んでいた高校生達が一斉に振り返り、硬直する。
「友達にしちゃ、随分と高圧的な気がすんのは俺だけか?」
「だ、誰ですか…」
「あー〇〇の親戚のおじさんみたいなもんだ」
友達ですとは言いにくかったので、とっさに親戚だと嘘をついた。自分で自分の事をおじさんだと言ってしまった事にショックを受ける。俺がそれに落ち込んでいる隙に、彼女を残して他の学生達は走って逃げていってしまった。
「あ、おい!話はまだ…はぁ、まぁいいか。悪かったな、友達ビビらせちまったみたいだ」
まだ俯いている彼女に声をかけると、大きく首を振った。
「別に友達じゃないし、大丈夫」
「そうか、じゃあ行くか」
「えっ…聞かないの?友達じゃないなら、何で囲まれてたのか…とか」
「そりゃ気にはなるが、俺はお前と出会ってひと月くらいしか経ってない。大事な話は、本当に信頼できる相手にしな。まぁ…お前が話したいってんなら、俺は構わないぞ。ちゃんと聞いてやる。解決できるかはわからないがな…とりあえず行くぞ。早くしねぇと店が閉まるからな」
話しにくい事は無理に聞かない。今のは割と良い感じに決まっただろうと一歩踏み出す。
「…鬼平っち、そっち逆なんだけど」
がくりと足の力が抜ける。その様子を見て、今日初めて彼女が笑った。
「…い、今のはお前を笑わせるためにわざとやったんだ!」
最高にカッコ悪い姿を見せてしまい慌てて言い訳をすれば、それを見て彼女がさらに笑った。元気になった彼女を見て、少しだけ安心した。
オシャレなカフェの帰り道。可愛い物で溢れた店内に、客も店員もすべて女性。周囲からの刺さる視線になんとか耐え、疲労感でヘトヘトになりながらも駅へと歩く。
「…あー大丈夫?鬼平っち。あんまし美味しくなかった?料理」
いつもならマシンガントークで始終元気な彼女が、珍しく大人しいし他人を気遣っている。
「料理は美味かった。店が女性ばかりで気疲れしただけだから、気にすんな」
「でも、男子は入っちゃいけないって書いてないから良くね?」
「だとしても、俺の見た目が浮いてんだ」
「鬼平っち、いつもそのスーツだもんね!他に服ないの?」
「毎日同じ服を着てるみたいに言うな!あるにはあるが、似合わないんだっ!」
自分のこの見た目と高校の時のキャラ付けのせいでこの格好でいる事が当たり前になってしまい、一般的と言われる服装をすると違和感があるのだ。
「あーわかる〜!やっぱ合う合わないあるよね〜アタシは鬼平っちの服、最初マジヤバじゃね!?って思ってたー」
「そのヤバいは良い意味なのか悪い意味なのか、とっちなんだ!?」
「良い意味に決まってんじゃ〜ん!」
「ならいいが…」
そこからぷつりと会話が途切れてしまう。いつもと違う雰囲気に、黙って見過ごせるような人間ではない。
「今日は元気ないな。やっぱり、さっきの事か」
待ち合わせ場所で、彼女を囲んでいた学生達。
「喧嘩でもしたのか?」
「…喧嘩だったら良かったんだけどね〜」
彼女が立ち止まり俯く。
「アタシこんな感じだからさ、なんかウゼーってなったっぽい?アタシ馬鹿だからさ、何か嫌な事しちゃったみたいな?」
明るく話す〇〇だが、ほんの少しだけ表情が引きつっている。
「あそこにいた全員にか?」
「わかんない」
「理由は聞いたのか?」
「…聞いても教えてくれなかった…ただ、ウザいって言われるだけだし…謝ってもずっとあんな感じだし」
「この事は、先生や親には相談したのか?」
「…話してない。学校にアタシの話なんて聞いてくれる人なんかいないし…」
なんとなく訳ありな気がしてはいた。まさかここまで深刻だとは思っていなかったが。
「ごめん…なさい…めんどくさいよね!でも大丈夫!もう暗い事言わないから、また…」
「大丈夫じゃねぇだろ。助けてほしい時に助けてって言えねぇと後悔するぞ」
彼女が驚いた顔をして俺を見た。
「それにな、高校生活ってのはたった一度しかないんだ。たくさん思い出作っておかないと、大人になってからじゃできない事も多いんだぞ?それを他人が邪魔するなんてあっちゃならねぇ」
「…なんか鬼平っち、先生みたい」
「せ、先生!?…ふっ、まぁ高校時代は後輩達の見本として生きてきたからな。頼りがいがあるのは仕方がねぇが、先生と言われるまでとは…」
たくさんの後輩達に慕われていた高校時代を思い出し上機嫌になる。
「…鬼平っちみたいな先生がいたら良かったのに…そしたらこんな事にならなかったかも…」
「下を向くんじゃねぇ。大丈夫だ、俺がなんとかしてやる!」
「でも…」
「お前と出会ったのも何かの縁だ。それに俺は、困ってる人間を見捨てるような男じゃないぜ」
びしっと上着の襟を正す。
「俺に任せろ、後悔はさせねぇよ」
「で?助けてあげるって言っちゃったんだ」
「…くっ!放って置けないだろ、あんなの」
社会人アメフトチーム『武蔵工バベルズ』の練習が終わり、この前の話を姉さんに相談する。解決するとは言ったものの女子同士の問題なら、女性からの意見も聞き入れた方が良いと思った。
「まぁ、わからない事もないけど…私達は部外者だし、生徒同士もしくは学校側の問題だからねぇ…」
姉さんの言っている事は正しい。ひと月前に出会った男が突然間に入ってものを言える立場ではない。
「今のところ鬼平ちゃんにできる事は、その子をしっかり見ててあげる事しかできないわね。最終的に、その子が声をあげなければ助かる方法がない」
「やっぱりそうなるか…」
がっくりと肩を落とすと、ばしんと割と強めに背中を叩かれた。
「そんなに落ち込む事ないわよぉ!少なくともその子は、鬼平ちゃんが味方でいる事で助かってんだから!」
「でも、俺には話を聞いてやる事しか…」
「それでも十分よ。逃げられる場所があるんだから」
「…くそっ!それでも不甲斐ないぜ、俺は!」
握った拳を地面にぶつける。
「確かに、こんだけ真剣に向き合ってくれる先生がいたら助かるだろうね。暑苦しいだの、うざいだの言われるだろうけど」
「それは褒められてるのか!?」
「褒めてる褒めてる」
「なんかそれ嘘っぽいぞ!」
結局助けてやるとは言ったものの、現状は彼女の話を聞いてやるだけしかできない自分が悔しかった。
それから数日後。いつもなら駅前などわかりやすい場所で待ち合わせをするのだが、指定されたのは路地裏だった。おかげでたどり着くまでに時間がかかり、到着した時には彼女がすでに来ていた。
「悪いな、待たせた。にしても、なんで待ち合わせ場所がここなんだ?今日行く所は、こんな裏手にあるのか」
「…えっとね今日はどこにも行かないで、ここでアタシとしゃべろ〜って感じ?」
「…何かあっただろ」
考える前に口が動いていた。彼女の顔がすぐさま曇り、俯いてしまう。
「…この前、鬼平っちと一緒にいた所見られて…悪い大人と遊んでるって噂流されて」
一気に頭に血が昇った。
「ふざけんな!そんなデマ流しやがって、許さねぇ!」
「ご、ごめん!アタシのせいで、鬼平っちまで悪者に…」
「あ?お前のせいじゃないだろ。悪いのはデマを広めた連中だ。お前が謝るんじゃねぇ」
「…」
「にしても、やっぱり見た目か…俺の見た目が誤解を招くのか?」
顎に手を当て、自分の服装を見る。変な噂を立てられてしまうのなら、彼女のためにイメージチェンジをする必要があると真剣に考える。一歩間違えれば今の見た目よりも年齢が加算される可能性はあるが、悪い噂が流されるよりマシだ。
(俺がおっさんに見られるくらい、こいつの事を考えたらどうって事ないな)
それなら、〇〇に俺の服を選んでもらおう。自分が見るより、今の流行りを知っている彼女に選んでもらえば大事故は防げるだろう。
「…鬼平っちごめん。アタシのせいで迷惑かけて…これ以上アタシと関わったら、ほんと何されるかわかんないし…会うのもやめた方が…」
「おい、俺に任せろって言っただろ。男に二言はねぇ」
「…でも、でもさ!」
「心配すんな、俺には強い味方がいるんだ。それに俺はちょっとやそっとの事で、へこたれたりはしねぇさ」
挫折は何度も経験してきた。どんなに努力しても届かない事があるのを知っている。でも彼女の事は違う。面白半分で他人の人生を蔑ろにするのは許されない事だ。それで彼女がたった一度の人生を、辛い思いをして生きなければならないのは間違っている。
「いつも俺に話しかけてくるみたいに、他の奴らにも話せるようにしてやるさ。そしたら、俺みたいなおっさんと可愛いカフェに行く必要なんてなくなるだろうよ」
高校生、今が一番楽しい時期だろう。俺が生きてきた青春を、彼女にも知ってもらいたい。
「鬼平っち…」
「というわけでだ、まずは俺の服を変える!」
「…服?なんで?」
人通の少ない道を、一人の女性を先頭に強面の男達がゾロゾロと後ろをついて歩いている。
「今日見た所が、明日からの作業場所ね。指示書通りに三人で協力してやるのよ?わかった?」
「「へーい」」
黒木、戸叶、峨王がそれぞれ返事を返す。
「不安になる返事ねぇ…」
「一応、最終確認は来てくれんだろ?」
「そりゃもちろん行くけど、ダメだったら最初からやり直しよ。期限があるんだから、一発で完璧にやってほしいんだけど」
「俺ら三人でできんのかよぉ〜この前、やっとショベルの免許取ったばっかなんだぜ?」
「取ったばかりだから良いんだ。慣れてくると、緊張感がなくなって事故る可能性が高くなるからな」
「流石、次期棟梁!言う事が違う!」
「…」
「おい、ガチで照れんのやめろって。俺らどう反応したらいいかわかんねぇよ…」
「うおっ!全員隠れろ!」
「え、何?」
突然黒木が物陰に身を隠したので、全員がつられて隠れる。
「なんだよ黒木」
「しっ!あれ見ろよ!」
黒木が指差す方を見ると、鬼平と女子高生が並んであるいている。
「あらあら〜おデート中?」
「ちくしょー!邪魔したい気分だぜぇ!」
「絶対やめろ」
「もしかして例の彼女かしら。落ち込んでるかと思ってたけど、鬼平ちゃんのおかげで元気そうね」
「なぁ、ちょっとだけ後つけようぜ!」
「やめとけって」
「ふん、俺は帰るぞ」
「何だよ、つまんねーな」
楽しそうに歩く二人を見送って、逆方向へと歩き出す。少し進んだ所で、微かに聞こえた話し声に峨王が立ち止まった。
「ん?どうしたんだよ峨王」
「静かにしろ。どうやら面倒な事になりそうだぞ」
面倒と言う割には、にやりと悪い笑みを浮かべている。全員がその場に止まり耳をすませると、話声が聞こえる。
「今日はちゃんと録画しとこうぜ。んで、ネットにあげる」
「ヤクザの娘って書いてみる?先生に見つかったら、最悪退学じゃない?」
「いいなそれ!」
三、四人くらいの若い男女の話声。
「おいおい、これはマズイぞ」
「どうする、ここでシメるか?」
「やめろ。子供相手に手を出すな、お前が捕まるだろうが」
「姉さん、どうするんだよ。このままじゃ、鬼平さんまずい事になるぜ?」
「…ヤクザの娘ねぇ…面白い、それ乗った!」
「は?」
「はあぁぁぁ!?」
「さぁ、みんな!こっそり後を着いてくわよ〜!」
「「りょうか〜い」」
不適な笑みを浮かべ歩き出した四人に、呆れ顔をしながらその後ろをついて行くムサシだった。
「え、スーツやめちゃうの?似合ってるのに」
「お前、ヤクザみたいって言ってたじゃねぇか」
彼女に服を選んでもらうために、薄暗い路地を出る事にした。服装の事を話しながら歩いていると、カシャとどこからかシャッター音が聞こえた。
「ん?何だ今の音…」
「はい証拠撮った!〇〇がヤクザと歩いてる写真〜」
いつからいたのか前に見た学生達が、スマホをこちらに向けながら出てきた。
「…お前らか、くだらねぇ事してんのは。その写真をどうするつもりだ?」
「ネットにあげるんだよ。噂が広まって、もう学校来れないかもな!」
「おいお前ら、いい加減にしろ!何の恨みがあって、そんな事するんだ!」
「別に?ただ面白いから」
目の前の学生達はニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべ、そう言い放つ。あまりの態度に手が出てしまいそうだったが、必死に唇を噛み締め堪えた。
「…っ、じゃあ〇〇は何も悪い事はしてないんだな?」
「あるとしたら存在?」
ケラケラと笑う彼らに、頭の血管が切れてしまいそうだ。
(ここで手を出したら負けだ!だが、こいつらとまともに話した所で改心しそうにねぇ!)
「これで〇〇学校辞めたら、次誰にする?」
今度は完全に堪忍袋の尾が切れた。
「てめぇら!!」
「鬼平の兄貴ぃ〜!」
「どこ行ってたんスか、探したんスよぉ〜?」
突然、聞き覚えのある声がしたので振り返ると黒木と戸叶が立っていた。
「お…お前らどうして…」
「組長がお嬢と一緒に出てるから、探して来いって言われたんスよぉ〜」
「お嬢も出るなら出るって言ってくんないと、探す方も困るんスよね〜」
「え?え?」
(何だこの三文芝居は!もう少し口調どうにかなんねぇのか!)
「今組長って…マジでヤクザの娘…?」
「あ?何だよお前ら…お嬢と同じ学校のやつか」
「おいおいおーい!頼むぜぇ?ウチの組長の大事な娘なんだからよぉ〜何かあったら怖いぜぇ?」
「…ひっ」
学生達の顔からみるみる血の気が引いて行く。
「お嬢、元気ないっスね。もしかしてこいつらに何かされたんじゃ…」
二人が睨みつけた瞬間、学生達は震える足で逃げ出す。
「おいコラ!逃げんな!」
「待ちやがれ!!…ってな!」
「へっ!ビビってやんの!」
学生達の姿が完全に見えなくなると、黒木と戸叶が拳を合わせる。
「黒木、戸叶…お前ら何を…」
「あ?話はあとあと!」
「とりあえず、姉さん達と合流だな」
「は?姉さんもいるのか!?」
「にしても、お前セリフ棒読みじゃねぇかよ。感情がこもってねぇ」
「は?お前こそ、安いセリフばっか言いやがって。ちゃんとヤクザもんの漫画読め」
「はあぁぁぁ!?それ言うんだったら、シナリオ考えた姉さんに言えよな!」
どうなっているのかわからない状態の俺と〇〇を放置して、さっきの芝居について言い争いをしている二人の後を追いかけた。
震える足に鞭を打って必死にその場から逃げる。酷い目に合わないうちに、遠くへと全力で走った。
「わっと!」
曲がり角で人にぶつかり、反動で尻餅をついてしまう。
「大丈夫?ごめんね〜」
顔を上げれば、女性が手を差し伸べてくれていた。
「た、助けて下さい!悪い人に追いかけられてて…!」
ひとまず助けを呼んでもらおう。そうすれば、後は警察やら大人がなんとかしてくれるはずだと思った。
「…悪い人ねぇ、もしかしてウチの人達かな?」
「え?」
にこりと笑う女性の背後から、先ほどの男達以上に恐ろしい男達が現れ自分を睨んでいる。
「ひっ!」
「なんや最近ウチのお嬢が元気ない言うから調べとんのやけど…自分お嬢と同じ学校やねんな、なんか知らん?」
優しそうな顔をしているが、目の奥が笑ってない。自分達は本当に手を出してはいけない人物に、手を出してしまったのだと思った。
「あれ、どうした〜?…まぁええわ。大体の情報は手に入っとるし、後はどうバレへんように始末するだけやしな」
女性の顔からスッと笑顔が消え、見下ろされる。自分達がやった事がバレているのだと気付き、ガクガクと身体が震える。
「…ごめんなお兄ちゃん!ぶつかってしもうたお詫びに、良い事教えたるわ!」
また笑顔になり、軽快に話し出す。
「触らぬ神に祟りなしってことわざあるやろ?怖い思いしとうないんやったら、近付かん方が身のためやで。覚えとき」
「…は、はいぃぃ!!」
もう、あの女には一切関わらないと心に誓った。
ふらつきながら逃げていく姿を見送り、それと入れ替わるように黒木達と合流した。
「姉さーん、こっちは上手くいったぜー」
「俺達が行くより、峨王やおっさんが行った方が一撃で終わったんじゃねぇか?」
「ダメよ、この二人が行ったら失神しちゃうじゃない。最初はチンピラその一、そのニぐらいで良いのよ」
「俺らチンピラ役かよ…で、そっちはどうだったんだ?」
「こっちも上手くいったんじゃないかしら?ものすごくビビってたし」
「関西弁の姉さんはなかなか面白かったぞ」
「げ、古いんだって。極道の妻じゃねぇんだからよぉ」
「え、違うの?」
「ガキにはわかんねぇよ」
「じゃあ、終わった事だし帰ろうぜ〜」
「いや、待て待て待て!説明は!?」
昔のトレンディドラマの終わりのように、談笑しながら歩いている場合ではない。今この状況に置き去りにされている、俺達に説明が欲しい。いつもうるさい〇〇が、さっきから一言も発していないのだ。
「んなもん、生意気なガキ達をこらしめてやっただけだぜ」
「話が聞こえてよ。もうヤクザだって思われてんなら、それでいいじゃねぇかって」
「一芝居うってみました〜」
「…はぁ?」
「流石にあんだけビビらせりゃ、もう悪さしないだろ」
「つー訳で、俺ら帰るなー」
「デートの続き楽しんでねー!」
「は!?デート!?」
「ありがとうございました!」
〇〇が黒木達に頭を下げた。
「どういたしまして。また困った事があったら、鬼平ちゃんに言ってね。私達も協力してあげるから」
「…はい!」
〇〇は姉さん達の姿が見えなくなるまで、頭を下げていた。
「…はぁ、結局お前を助けたのは姉さん達か…」
「落ち込むなし!つか、これマジ美味くね!?」
さっきの事がなかったかのように、アイスクリームを食べている彼女を見てほっと息をついた。自分の出る幕はなかったが、彼女が救われたのならそれでいい。
「ありがと鬼平っち!マジさんきゅ!」
「俺は何もしてないがな!」
「そんな事ないし!鬼平っちと会ってなかったら、アタシ今頃どうなってたかわかんなかったし」
残り少ないアイスを一気に食べきると、立ち上がって俺の前に立った。
「あの日、鬼平っちに会えてほんっとーに良かった!アタシ、明日からまた頑張ってみる!」
彼女の本気の笑顔と言葉に、鼻の奥がツンとする。
「…おう、頑張れよ」
「…あれ鬼平っち、もしかして泣いてね?」
「泣いてない!アイスが…その、歯に染みたんだ!」
「それ虫歯じゃん!それか知覚過敏?」
「あー!そうだそうだ!」
「ウケる!」
彼女ならすぐに友達ができるだろう。高校を卒業するまでに、これまでの辛い出来事なんて霞んでしまうくらい楽しい思い出を作って欲しい。そう願いを込めて、電車に乗った彼女を見送った。
あの日から二週間が経った。〇〇に嫌がらせをしてきた奴等は大人しくなり、目をつけられなくなったからかクラスメイトと話せるようになったらしい。そして今日、初めて高校の友達と遊びに行く事になったようだ。
「…良かったじゃねぇか」
送られてきた友達との写真を見て、小さく笑う。スマホを置いて、付箋だらけの分厚い本を手に取り開く。
「俺もお役御免だな」
高校を卒業してからまともに持つ事がなくなってしまったペンを手に取り、机に向かった。
「鬼平っち〜お待たー!」
「おう、悪いな。急に呼び出して」
学校終わり、よく待ち合わせ場所にしていた駅前に〇〇を呼んだ。
「別にいいし。今日みかっち、バイトで遊べなかったからさ!」
「写真の子か」
「そ!めっちゃ可愛くね?しかも勉強もできんの、アタシいつも教えてもらっててさ!マジ助かる!」
「そいつはありがたいな。でも、いつも世話になりっぱなしは良くねぇな。何かお礼しろよ?」
「大丈夫!アタシのオススメお菓子、色々あげてっし!」
「ちゃんと返せてるならいいさ」
前にも増して元気になった彼女のマシンガントークが止まらない。友達ができて楽しいのだろう、本当に良かったと思う。
「で、鬼平っちが呼び出すなんて珍しいじゃん!何なに!?サプライズ?」
「いや、そんなんじゃねぇんだが…」
そんな期待のこもった目で見られても何も出てこない。
「まぁ、あれだ。お前も友達ができたから、もう俺と会う必要はないと思ってな」
「…へ?」
「今日で会うのは最後だ」
「ちょ、待って!何で?」
「やりたい事が見つかったんだ」
「やりたい事?」
「おう、俺は教師になる」
自分のやりたい事が分からず、何をしてもいまいちしっくりくる仕事なんてなかった。そんな中、〇〇と出会い自分みたいな教師がいればと言われた事で気づいた。
「先生になるの?」
「あぁ、そうだ。俺は先生になって、お前みたいに楽しい高校生活を送れるよう手助けしてやりたい」
人に教える事が好きだ。現にアメフトチームでは、自分の技を後輩達に指導する事は楽しい。教師になりたいと思った瞬間、心の中の霧が晴れた気がした。
「ありがとよ〇〇。お前のおかげで、俺の夢が見つかったぜ」
「…あはは!鬼平っちが先生とか、みんなガチでビビるやつじゃん!」
「中には怖い先生がいてもいいだろ」
「でも、鬼平っちが先生だったら楽しいだろうな〜もー先生になるんだったら、アタシが学生の頃になっててよ!遅せぇし!」
「仕方ないだろ、つい最近思ったんだから」
「…アタシ、応援してるよ!鬼平っちがちゃんと先生なれますようにって!」
〇〇はにこにこと、いつものように笑っていた。
「…おう、ありがとな!」
「あと、なんかヤシの実みたいなの持って走るやつも勝てるように応援しとくー」
「アメフトな」
「そうそれ!」
相変わらず、物覚えの悪さに苦笑する。
「…じゃ、俺はここでさよならだ。短い間だったが、なかなか楽しかったぜ。友達を大切にな」
〇〇に背を向け、片手を軽く上げ歩き出す。振り返りはしない、最後の別れはしっりと決まった。
「…鬼平っちー!今時の先生は校門前で竹刀持って立ってないから、やっちゃダメだかんねー!」
「それくらい俺もわかってるぞ!」
せっかく格好良く去ろうとしていたのに、思わず振り返ってしまう。
「鬼平っち、やりそーだから!」
「やらねーよ!じゃあな、気をつけて帰るんだぞ!」
「ウェーイ!」
両手を振り、笑顔で見送られる。
(まったく、最後までアイツのペースだったな…まぁ、笑って別れられたのは良かったな)
俺の事なんてこれからの楽しい思い出の中に消えてしまうのだろうと思うと寂しい気もするが、友達との思い出が多い方がいい。
「もう会う事なんてないだろうが、元気に頑張れよ〇〇」
小さくそう呟いて、空を見上げた。
それから時が経ち、俺は無事体育教師となった。自分が思ってた以上に大変な部分もあるが、その分たくさんの事を子供達から教わっている。教師というのが合っていたようで、楽しくやっていけている。
そんなある日、校長室へと呼び出された。
(何かやらかした覚えはないんだが…ウチの組の誰かが窓ガラス割ったとかか?)
何年もやっていると色んな事があり、次々とこれまでのトラブルが思い出される。痛み始めそうな胃を押さえ、校長室へノックして入る。
「失礼します」
中へと入れば校長先生と一人の女性が机を挟んで座っており、女性の方は資料に集中していた。
「わざわざありがとう。急で悪いんだが、明日から教育実習生の指導を山本先生にお願いしたくて…」
「…山本?」
俺の名前を聞いて、資料を穴が開くほど見つめていた女性が顔をあげた。
「あーっ!?やば!マジやばじゃん!」
俺の顔を見た途端に立ち上がり、指を差して叫んだ。
(おいおい失礼だな…実習生って大丈夫か?)
自分の見た目に驚かれるのは慣れているが、これから教師になろうとしてる人間がこれでいいのか不安になる。
(…それにしても、どっかで見たような)
女性を見てどこか懐かしい感じがしたが、これまで多くの人間に会ってきているのでいつどこで会った事があったのかはわからなかった。
「落ち着いて、ちゃんと自己紹介して!」
「は!やば、運命すぎて我を忘れてたし」
校長先生に咎められ、ぴしりと姿勢を正す。
「明日から、先生の卵としてお世話になります!〇〇です!よろしくお願いします!」
「……〇〇?…〇〇ーーっ!?」
「ウェーイ!マジおひさ!」
一瞬で姿勢が崩れて、校長先生が頭を抱える。
「鬼平っち見てたら、アタシも先生になりたくなっちゃってさ!なっちゃった訳!」
「なっちゃった、か…」
「楽しくやって行こうぜって事で、よろ!」
あの日と変わらず楽しそうに笑う彼女を前に、自分も笑うしかなかった。
「あーそういや、口に出しちまったな」
もう会う事はない、最後に呟いた俺の予想は大きく外れてしまったようだ。
