キン肉マン

「ありがとー!ウルフマーン!!」
大きな歓声と拍手が聞こえる。今日はアイドル超人とのふれあいイベントの日で、大いに盛り上がった催しも終了の時間となった。退場口から戻ってくる超人達の中から、ウルフマンを見つけタオルと飲み物を持って駆け寄る。
「お、お疲れ様です、ウルフマンさん!」
「ありがとな」
ウルフマンはそれらを受け取ると私に笑いかける。
(あぁ…!今日もカッコいい…イベントスタッフのバイト、応募して良かった!)
憧れていた彼の近くで仕事ができる嬉しさを噛み締める。

幼い頃、相撲好きな祖父に連れられ今日のような力士達とのふれあいイベントに参加した。小さかった私は大きな人達に囲まれ恐怖で泣いてしまったのだ。その場にいた力士達や祖父が必死に泣き止ませようと試みたが全く泣き止まず、お手上げ状態だった時に現れたのがウルフマンだった。彼は私を抱き上げ肩に乗せると、誰もいない土俵の上へと登った。
「どうだ?ここなら、みんなお嬢さんより小さいから怖くないだろ」
高い位置にいる事で大きくて怖いという感覚が薄れ、私はいつの間にか泣き止んでいた。
「もう一押しか。さぁて、これでどうだ!」
「わあ!」
大きな手が私をさらに上へと持ち上げた。そう、私はあのウルフマンに『たかいたかい』をしてもらったのである。投げ上げられても絶対に受け止めてくれるという安心感があり、全く恐怖はなくむしろ楽しいと感じた。
「やっと笑ってくれたねぇ」
優しく笑いかけてくれた彼に、私はすっかり惚れ込んでしまったのだ。それからは彼が出る大会は必ず見に行ったし、ふれあいイベントにも参加した。中にはショックな事もあったが、彼は何度も奇跡を起こし帰ってきてくれた。その度に『好き』と思う気持ちは強くなり、おこがましいと思いながらもその『好き』は歳を重ねるごとに憧れだけではなくなっていた。
(彼はみんなのヒーローでアイドル。私みたいな一般人は少しだけでも近くにいられるだけで十分)
私は今とても恵まれているのだと自分に言い聞かせる。なぜなら今日のイベントスタッフのバイトは何万という応募者の中からたった百名しか選ばれず、アイドル超人一人に対して一人ずつサポートとしてつく事ができるのはほんの数人だけ。ましてや自身の推しのサポートにつけるなんて、一生分の運を使ったようなものだ。
(当日言われた時は、心臓が止まるかと思ったなぁ…)
顔合わせでしどろもどろになりながら自己紹介をすれば、あの頃と変わらない笑顔で挨拶を返してくれた彼にまたもや心臓を鷲掴みにされた。その後はマネージャーのように段取りを説明したり今みたいに差し入れをしたりと、思っていた以上に忙しくて緊張なんてしている暇なんてなかった。
(おかげで変な失敗もしなかったから良かった)
後は彼が帰るのを見送って、控え室を片付ければ私の仕事は終わりだ。
「今日は一日ありがとう。手際が良くてこちらも助かった」
「ひゃ、ひゃい!よ、喜んでいただけて良かったです!」
声をかけられ振り返れば浴衣を着こなした彼が立っており、そのかっこよさに直視できずあちこちに目が泳ぐ。
(落ち着け私!後はウルフマンさんを見送るだけ!最後まで完璧にこなして、良い気分で帰ってもらわなきゃ!)
彼の荷物を持ち迎えに来ているであろう車へと向かおうとすれば、ひょいと持っていた荷物を奪われる。
「え?」
「女性にこんな重い物を持たせる訳にはいかねぇだろ」
(カッコいい…!じゃなくて!)
「で、でも…」
「ははは!男っていうもんは女性の前で、カッコつけたいもんだ。それに、幼い頃から応援してくれているファンにカッコ悪いところは見せられないからなぁ」
彼の発言に驚いて顔を見上げた。私は彼にファンである事は伝えていない。バイトの面接で『好きな正義超人は?』という質問に彼の名前を答えたぐらいだ。なぜかファンである事を知られ、恥ずかしさで体温があがり背中にじっとりと汗をかいている気がする。
(あれ?でも、幼い頃からって…)
「あの時泣いてたお嬢さんが、こんな立派に成長したとは驚いたぜ」
そう言いながら笑ってぽんぽんと大きな手を私の頭に置いた。
「はゎ…」
何年も昔の話でたくさんの子供達とふれ合ってきた彼が、自分を覚えてくれていた事に『好き』という気持ちがさらに強まる。
最後の方はほんとんど覚えておらず、ふわふわとした気分で彼を見送ったのだった。
後日。達筆な字で正式なマネージャーとしてのお誘いが書かれた手紙が彼から届き、キャパオーバーを起こした私は熱を出して三日間寝込んだのだった。


先日憧れのウルフマンから正式なマネージャーとして迎えたいと手紙が届き、興奮のあまり熱が出て回復した今日。私は手紙に書いてあった、とある武道場の門の前に立っていた。
「…ど、どうしよう。本当に来ちゃった…」
『仕事の詳細を説明するために興味があるのなら来て欲しい』と書いてあったので、手紙より直接の方がいいかと出向く事にした。
「…これインターホンってどこ?どうやって入ったらいいの?」
木造の立派な門には普通にあるはずのインターホンなどが見当たらず、勝手に入っていいものかどうかわからない。しかし、このまま門の前でうろうろしていると不審がられる可能性がある。勇気を出して門に手をかけ力一杯押すと門は木特有の音をさせながら開き、そのわずかな隙間から身体を滑り込ませた。
「…は、入っちゃった…」
耳をすませばわずかに人の声が聞こえ、稽古でもしているのだろうと声の方に顔を向ける。すると、力士であろう恰幅の良い体つきの男性が二人歩いているのを見つけた。
「す、すみません!お尋ねしたい事があるのですが…」
「ん?お客さんだ。何か聞いてたか?」
「いいや?どうかしましたか?」
「え、えっと…ウ、ウルフマンさんはこちらにいらっしゃいますか?」
そう言うと二人が顔を見合わせる。
「いるのはいますが、事前に連絡はしましたか?」
「え!あ、すみません…してないです…」
やはり忙しい人だから、あらかじめ行く事を伝えるべきであったと反省した。
「最近、ファンの方が無断でやってくる事が多くて困ってるんです」
「ご、ごめんなさい。連絡してくるべきでした…実は、こんな手紙をいただきまして…」
そう言って手紙を差し出す。力士達は目を通すと、また顔を見合わせた。
「…ウルフマンさんの字だな」
「そうだな…ちょっとここで待ってて下さい」
二人は手紙を持って建物の中に入っていく。一人残された私は、突然来てしまった申し訳なさと不安で心細くなっていた。
(どうしよう…もしもあの手紙がウルフマンさんが書いた物じゃなかったら…自分で書いたと思われて、悪質なファンだって言われるかも…)
今の間に逃げてしまおうかと、入ってきた門の方へ足を向けた時だった。
「いやぁ、お待たせして申し訳ない!」
その声に恐る恐る振り返ると、今まで稽古でをしていたのか流れる汗を拭きながらウルフマンがこちらへ速足で向かって来ていた。
(直視できない…!)
日の光で汗がキラキラと輝き、神々しく見えるのはだいぶ重傷だと自分でも思う。一礼した流れで目線は足元へ向け、なるべく自分の緩みきった顔は見せないようにした。
「本当に来てくれると思ってなかったから、嬉しいぜ」
「あ、えと…ご、ごめんなさい…忙しいのに事前に連絡もせずに来てしまって…」
「それはお互い様だ。自分が詳しく書いてなかったのが悪かったんだ、お嬢さんに不安な思いをさせてしまって申し訳ない」
「そ、そんな!ウルフマンさんが謝る事では…」
慌てて顔を上げれば、ばちりと目が合い動けなくなる。
「やっと目が合った、さあ中へ。自分は汗を流してから向かうから、部屋でゆっくりしておいてくれ」
にっと笑顔を向けられ、促されるまま用意された部屋へと進む。映像でしか見た事ない高級そうな物たちが置かれている部屋で、私は一人挙動不審になりながら待っていた。お弟子さんであろう力士から、お茶と和菓子が差し出されたが手をつける余裕もない。
(どうしようどうしよう!全てのものが想像以上で落ち着かない!)
ガチャリとドアノブが回る音に驚いて肩を震わせ、緊張でさらに身体を硬直させた。
「お待たせしたな…って、何もそんなに緊張しなくてもいいんだぜ?」
「あ!えっと…はい…すみません…」
ウルフマンが困ったように笑いながら、テーブルを挟んで自分の目の前に座った。
(ち、近い…こんなに近いの握手会以来かもしれない…というか、すっごくいい香りがする!)
稽古の汗や泥に塗れた姿もかっこいいが、浴衣姿も貫禄たっぷりで申し分ない。どちらにせよかっこいい人は何を着てもかっこいいのだ。
「突然こんな手紙を出してしまって申し訳ない。今日来てくれたという事は、引き受けてくれるつもりだと思っていいのか?」
「あ、あの…お誘いは嬉しいんですが、自分で良いのかなって思って…」
「この前ご一緒した時に、その仕事ぶりに惚れ込んでお誘いしたんだ。お嬢さんになら任せても良いと思ったんでね」
自分ではそう思わなかったが、彼がそう感じてくれたのなら満足してもらえたのだろうと思った。
「で、でも…」
「これから色んな場所に行く事になるんだ。その中で自身を鍛えるのはもちろん、弟子達の稽古、さらには試合に出るための準備…色々とやる事が多くて困ってるんだよな…」
ウルフマンは腕を組んで項垂れている。
「お嬢さんが受けてくれれば良いと思ったんだが…無理にとは言わない」
そんな悲しそうな顔で見られると断る事なんてできない。上手くできるかわからないが、少しでも役に立てるならやってみようと思った。
「…じ、自分で良ければやらせて下さい」
「本当か!早速、弟子達に顔見せだ!」
「ウ、ウルフマンさん!?」
私が仕事を引き受けた事に上機嫌になった彼は、私の手を引き稽古場へと向かう。
(うわぁぁぁ!手!ウルフマンさんに手を握られてる!)
「みんないい知らせだ!近々このお嬢さんが俺達の面倒を見てくれる事になる。慣れない事も多いだろうから、協力してあげてほしい」
目の前には何十人という力士達が並んでおり、その迫力に一歩後退る。そんな私の肩をウルフマンは力強く抱いた。
「大丈夫だ。身体は大きいが、みんな優しい力士達ばかりだ」
「は…はいぃ…」
さっきから距離が近すぎて、また熱を出しそうだ。真っ赤な顔で自己紹介をすませ、仕事の書類を受け取りまたまたぼんやりとする意識の中家へと戻ったのであった。


それからは毎日が大忙し。大会までのスケジュールを見て宿泊施設の予約、移動の手配、大会の受付、荷造りなどなど。彼と話す暇などほとんどなく、必死になって彼と彼の弟子達のために忙しなく動き回った。
(本当にいっぱいいっぱいだったんだ…でも、やりがいがあって楽しいかも…)
慣れないながらも教えてもらいながら仕事をこなしていき、大きな大会が終わった後の疲労感はとても心地よかった。
「初場所にしてはいい動きだぜお嬢さん。やっぱり俺の目に間違いはなかったな!」
彼にも満足してもらえたようで、この仕事に就いて良かったと心から思った。


「お嬢さん、ちょっといいかい?」
ある日、次の大会のための下調べをしていると彼から声をかけられる。
「どうしたんですか?」
「ちょっと見てもらいたいものがあってな」
「見てもらいたいもの?」
応接室に呼ばれ、促されるままソファーへと座らされる。初めてここへ来た時の事を思い出し、少し緊張気味に彼の動きを見つめていた。ウルフマンは机の引き出しから綺麗な箱を取り出し蓋を開けると、私の目の前に置いた。私はその箱の中身を見て、きゅっと口を引き結ぶ。なぜなら、その中に入っていた物は私が彼に宛てて書いたファンレターだったからだ。毎回同じ封筒で、可愛い力士のシールを貼っていたのを覚えている。
「こいつはファンレターってやつなんだが…ちょっと気になってね。同じ封筒で字も同じ、きっと同一人物だ。毎回どんな規模の試合でも必ず送られてくるんだが…この手紙の差出人、いつも名前を書いてくれないんで困ってるんだ」
「な、名前がないとなぜ困るのですか?」
動揺しているのを隠すように話を振る。そもそもファンレターというのは応援するためのもの。決してやり取りをするためではない。だから、名前など個人情報は必要ないと書かなかった。
「こいつを見て欲しい」
彼から渡された手紙を見る。これはいつ頃書いたものだろうか。字や文章が多少読みやすくなっている所から考えると、若くて中学生くらいだろうか。
「それの一番下の文章を読んでくれ」
「一番下…」
言われた場所を見つめ、顔に熱が集中し始めた。
「俺の側で仕事がしたいとは、熱烈なファンもいるもんだ。その上娶って欲しいとまで書かれていた時は驚いた!」
そう言って声を上げて笑った。きっとこの時は、好きな気持ちが先走ってこんな事を書いてしまったんだと思う。自分で書いたものだが、こんな大胆な内容を送っていたなんてと恥ずかしくなった。
「幼い頃の憧れは、月日が経てば変わってくるもんだ。でもこの手紙の差出人は、ずっと変わらず俺を応援してくれている。そどころか、年々愛が増してるような感じがしてなぁ!」
豪快に笑う彼とは反対にさらに顔が赤くなる。私のファンレターはどうやら好きという気持ちがダダ漏れらしい。
「いつの間にやら俺は心を奪われ、この手紙の差出人に会ってみたくなったんだ」
名前のない手紙を大事そうに見つめる彼を目の前にして、私はどう答えたらいいのか迷う。これは私が書いたものですと告白すべきなのか。しかし、それを言って信じてもらえるのか、彼の理想と違っていたらと思うと怖くて素直に言えなかった。
「…さて、お嬢さん。俺の側で仕事をする夢は叶ったかもしれんが、もう一つはどうする?俺はずうっと隣を空けて待ってるんだがな」
「…えっ!?」
その言葉に慌てて顔をあげれば、彼は優しく微笑んで私を見つめていた。彼はこのファンレターの差出人が私である事をわかっているようだった。
「その反応は俺の読みが当たったという事かねぇ」
「え、あの…こ、これは!」
恥ずかしくて今すぐここから逃げ出したくなった。子供だったとはいえ、告白まがいな事を彼にしていたのだから。
「何も無理にとは言わない。今のままでもよし、俺の嫁さんになるのもよし。判断はお嬢さんに任せる」
咎められる事も揶揄われる事もなく、その言葉に少しだけほっとした。それに私では彼の隣には相応しくない。肩の力を抜くためにゆっくりと息を吐き、自分の膝の上に置いた手を見つめる。
(私なんて…お手伝いとしてウルフマンさんの隣にいられるだけで十分)
すると膝に置いていた手に彼の手が重なった。
「えっ」
驚いて顔を上げると、彼は余裕のある笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「まぁ、無理にとは言わんと言ったが…俺はお嬢さんを娶る気でいるからなぁ〜さぁ、逃げるんなら今のうち。気づいてないようだが、お嬢さんの周りはどんどん囲われていってるぜ?」
にやりと悪い笑みを浮かべ、大きな手で私の手を包み込む。私は初めて見る彼の表情に、心拍数がまた一段と跳ね上がる。
「さぁ、どうする?」
「…あ、その…」
くらりと眩暈がして、ぱたりとソファーへと倒れ込む。彼が慌てて私の名前を呼んでいるが返事を返すこともできず、情けない気持ちになりながら意識を手放した。


目を覚ませば、道場の一室で布団に寝かされていた。
「わ、私…気を失って…」
これまでの経緯を思い出すと、顔から火が吹き出そうだった。ファンレターに告白まがいな事を書いていた自分が恥ずかし過ぎる。しかも、彼には私が送った事がバレていてその状態で今まで過ごしてきたのだと思うとなんてマヌケなのだろう。
「あ、あれは夢…私は疲れてここで寝てて、夢を見たんだ…」
ぶつぶつと自分に言い聞かせるようにして、現実逃避する。
「そいつは困るなぁ」
「ひゃあ!?」
部屋の外から彼の声がした。これは夢でも幻聴でもなく本物だ。
「う、ううう…ウルフマンさん…」
「入ってもいいかい?」
素早く自分の格好を整え、寝ていた布団を片付ける。
「ど…どうぞ…」
本当はまったくどうぞではないのだが、断る言葉が思いつかなかった。ゆっくりと開いた戸の隙間から、困ったように笑った彼が顔を覗かせた。
「いや、悪かった。まさか気を失うとは思ってなかったからなぁ」
「こ、こちらこそご迷惑をかけてしまい申し訳ないです…」
申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちが合わさって、身体を縮こませ頭を下げた。
「謝んなくていい。急に距離を詰めた俺が悪いんだ。ずっと憧れてた相手が急に近づいてきたら、俺だって驚くからな」
気を使って優しい言葉をかけてくれるが、今の自分には逆効果でどんどん縮こまっていくのがわかる。
「あの返事も無理には聞かねぇよ」
(あぁ…大袈裟な女だって思われたかな…いや、そう思われたに違いない…どうしよう、ウルフマンさんの理想を壊してしまった…)
彼が恋心を抱いていたファンレターの相手が、こんな人間だったなんてと思っているに違いない。そう思われたのなら、きっともうここにはいられないだろう。泣きそうになる気持ちをぐっと堪え最後くらい迷惑をかけず出ていく段取りを考えていると、膝に置いていた手を取られた。
「やっぱり勢いでいくのはよくないな!ったく、どうもせっかちで…これまで何回も痛い目にあったってのに、まったく学習しねぇ!ほんとに困ったもんだ!」
そう言って豪快に笑った。私はぽかんとして彼を見ている事しかできなかった。
「今は一緒にいてくれるだけで十分だ。ちょっとずつ距離を詰めていく事にするぜ」
「…わ、私ここにいていいんですか?」
私の言葉に今度は彼が驚いていた。
「いいも何もいてくれなきゃ困る。まだまだ大会があるんだ、この前やっと一つ終わったんだぜ?あれがまだ何回も続くんだ。お嬢さんがいないとやっていけない」
「そ、そうですよね…」
あの忙しさを考えたら猫の手も借りたいぐらいだった。彼が困っているのは本当で、気を取り直して頑張ろうと改めて思った。
「それにお嬢さんを口説き終わってもいねぇ。言っただろ?ゆっくり距離を詰めていくって」
「え?」
「なんだ、俺が諦めたと思ったのかい?」
取られていた手を握り込まれ、かっと顔が熱くなる。
「おっと、今言ったばっかりなのにまたやっちまった!」
彼はおどけるようにして手を離した。
「さて俺は稽古に行くが、お嬢さんはまだ寝ててもいいぜ。疲れが溜まってるかもしれないしな」
「い、いえ。次場所の段取りを決めないといけないので起きます。皆さんが頑張ってるのに、私だけ休めません」
大会終わりにしっかりと休みはもらっているのだ。一人だけ寝ている事はできない。
「そうかい。無理しない程度にな」
大きな手が優しく頭を撫でた。小さい頃を思い出し、あの頃まだ憧れが強かった頃の気持ちが蘇る。
「あぁ、またやっちまった。どうしても近くにいると触りたくなっちまう」
「…これぐらいなら、大丈夫そうです」
幼い頃にしてもらったファンサ程度なら、恥ずかしさはあるものの気を失うまではならないと思う。
(私も耐性つけないと…毎回熱出したり、気を失ってたら仕事にならないから)
それほどまで彼の事が好きなんだなと改めて実感し、変わらない憧れに若干の呆れと誇らしさが混じった微妙な気持ちに苦笑いを浮かべた。


子供達の楽しそうな声が聞こえ、和やかな雰囲気での仕事はこれで二度目。前回と違うのは、バイトではなく本職で働いている事。リングの上で子供達と戯れるウルフマンを見て、またしても幸せを噛みしめる。戦っている姿も好きだが、こうして子供達と楽しそうに触れ合っている姿を見るのも大好きなのだ。
そんな事を思いながら彼の姿を見ていると、パチリと目が合う。彼は目が合うと笑いかけてくれたが、私はどうしたらいいか分からず頭を下げた。笑い返すなり手を振ってあげるなりすればいいのに、いまだに余裕のない私はこんな返しかできない。これではいつまで経っても、彼を支える女将にはなれない。彼のようにもっとどっしりと構える事ができなくてはと思うが、どうしても慣れないのだ。仕方なく自分の仕事に集中する事で、気持ちを落ち着かせるしか今は方法がなかった。


「今日もお疲れ様でした」
「おう、ありがとうな。それにしても、子供ってのは元気でいいねぇ!男の子なんて何回ひっくり返しても、すぐに起き上がってまた向かってくるんだ。あれは強い子になる」
今日の事を思い出しながらお酒を飲む彼の側にそっと近寄り、次のお酒を注いであげる。上機嫌な彼はすぐさまその杯を空にした。
「俺の事はいいから、お嬢さんも飲みな」
「いや私は…」
「飲めねぇ訳じゃないんだろ?さ、仕事は終わりだ。俺と飲もう」
私の手からお酒の瓶を取り上げ、そっと身体を抱き寄せられる。これも何度も体験したが、慣れる事はなく緊張でガチガチに固まってしまう。渡されたお酒を飲んでも、味なんてしないのだ。
「そ…そう言えば私も小さい時に今日みたいなイベントでウルフマンさんに会った事があるんですよね」
緊張を少しでもほぐすために、今日のふれあいイベントで思い出した事を話してみる。
「その時も男の子達が大人数で向かって行って…ウルフマンさんがちょっと困ってたのを思い出しました」
「ははは!そりゃ一気に来られると流石に俺も困るさ。怪我をさせないようにしないといけないからなぁ」
「私、その時恥ずかしくて行けなかったんです。その後も何回か参加したけど、良くて他の子の背中越しに押したくらいですかね…ふれあいイベントなのに、結局ふれあえてないというか…」
今も昔も変わっていないなと、おかしくて笑ってしまう。でも、こうして話ができるくらいには成長できたかなとほっと息をついた。
「なら今存分に触れりゃあいい」
「え?」
自分の膝に置いていた手を取られ、そっと彼が頬を擦り寄せる。
「今の俺はお嬢さんのもんだ。どこ触っても問題ない、好きにすりゃあいい」
「え、あ…」
全てが衝撃的過ぎて声すらあげられず、間抜けに口をぱくぱくさせる事しかできない。そんな私を見て、楽しそうに笑う彼に意識が飛びそうになる。
「その代わり、俺も好きに触れさせてもらうからな」
大きな手が私の背中を上から下へとなぞった。その感覚に耐えられなかった私は目眩を起こし倒れそうになるが、せめて彼には迷惑をかけないように身体を後ろへ逃がそうとした。
「おっと、そっちじゃないぜ?」
背中をぐっと押し上げられたと思えば、彼の腕の中にすっぽりとおさまっていた。
「…!?」
「初々しいのもいいが、もう少し慣れてほしいもんだな」
困ったような声が頭上から聞こえるが、私はもう顔を上げる事すらできない。
いつになったら彼と普通に触れ合えるようになるのか。彼の魅力が落ち着かない限り、私はきっとこのままなんだとそう思った。
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