キン肉マン
今日も一日。何事もなく仕事を終え、最後の後始末をしてほっと息をつく。
「今日もお疲れ様だな。プリンセス」
「私はただの定食屋の娘なんですけど…今日もお食べになりますか?」
「むぅ…プリンセスはお気に召さなかったか。いつもすまないな。ご馳走になる」
一年に数回。店じまいをして片付けの時間になると現れる迷彩服と迷彩柄の覆面をつけた男性にそう答えた。
「どれ、手伝おう」
「大丈夫ですよ、いつもやってる事ですし」
「遠慮しないでくれ。助けてもらった恩を返したいのだよ」
そう言って食料の入った重い箱を大量に担ぎ上げ、店の中へと入る。
「おや、いらっしゃい!荷物運んでくれたのか、ありがとな!」
店の中では私の両親が明日の下ごしらえをしており、彼に気づくとにこやかに挨拶をした。
「お久しぶりです。図々しく帰ってきました」
「別にいいのよ。そうやって手伝ってもらってるんだし、働き手がないからもっと来てもいいくらい!」
「ははは!こんな暑苦しい男がいたら、せっかく来たお客が逃げ帰ってしまう。この店には看板娘がいるから私は必要ない。そうだろう?」
「そんな事ないですよ」
そう言って私を見る彼に困ったように笑い返した。
「ちょっと待っててくれよ。すぐに美味いもん作ってやるからな。〇〇、お前はいつもの作ってやりな」
「わかった」
壁にかけていたエプロンを着て手を洗うと、自分の担当場所へと向かい準備をする。彼は空いていた席に座った。
「毎度のことながら店を閉めた後に来て申し訳ないな」
「いいですよ。マスクで顔を隠すぐらいですから、あまり人目につきたくないのかなって」
「その通りだとも。なんせ私は一国の王子だからな。見つかると非常にまずい」
「はいはい」
「むぅ…本当の事なんだが…信じてないな」
「アタルさんは冗談しか言わないじゃないですか」
「そうだったか?」
「アタルさんの言う事は、私が想像もできない事ばかりなんですもん」
「ふむ、確かに君からしたらそうかもしれないが…」
「はいどうぞ。お待たせしました」
彼の元へ出来上がった料理を持って行く。
「毎度の事ながら実に美味しそうだ。これを楽しみにしていたんだよ」
彼は少し興奮気味に話しながら箸を取り、手を合わせた。
「いただきます」
「どうぞ」
迷彩柄のマスクを少しだけ上げて、まずは汁物に口をつけた。
「…うん、変わらない懐かしい味だ」
「大袈裟な」
「大袈裟ではない。君に助けてもらった日を思い出す」
それは何年か前の事。その日は大寒波の影響で雪が降り、安全を考えて車を使わず歩いて足りなくなった材料を買いに行った帰りの話。ふと目を向けた路地裏にぐったりとして倒れていたのがこの人。今にも意識をなくしそうにしながらも救急車は呼ぶな人は呼ぶなと言うものだから、仕方なく我が家へと連れて帰った。倒れていた原因は空腹。たまたま余り物があったので、それで簡単に料理を作って食べさせればみるみると元気になった。
「すまない。この借りは必ず返す」
そう言って、すぐに姿を消してしまったのだった。
次に来たのは半年後。
「以前はありがとう。お礼と言ってはなんだが、何か困っている事はないかね」
そうしてふらりと現れ、仕事を手伝い、食事をして帰る。それを何度も繰り返し、今では両親とも気軽に話せる仲までに親交が深まっている。
「もう私が助けた分のお礼は済んだんじゃないですか?」
「ん?なに、気にする必要はない。私が来たくて来ているんだ」
ずずっと味噌汁を啜り、私を見た。
「どうやら君の手料理を気に入ってしまってな。月に一度は必ず食べないと気が済まないのだよ」
真っ直ぐに向けられた視線を逸らす事なく見つめ返し笑った。
「それは作っている方からすると嬉しい言葉ですね」
「…」
私の反応がいまいちだったのか、彼は若干不服そうに首を傾げた。
「また来る」
「お待ちしてますね」
彼は料理を綺麗に平らげ、またどこかへと旅立っていった。テーブルに残った皿を片付けていると、両親が揃ってため息をついた。
「…何?」
「何って…アタルさん、お前に気があるんじゃないかい?なのにねぇ…」
「いい男だと思うぜ?顔は見せてくんねぇけどな」
彼がいい人なのは知っている。素顔はわからないがとても優しい目をしているのはわかる。でも向けられている視線は何を思っているのかはわからない。あの言葉だって、単純に料理の腕を褒めただけかもしれないのだ。そんな都合のいい話などありはしない。
「変な事言ってないで、明日の準備しとかないと」
この話は終わりだと、二人を置いて片付けを始める。
(それは私だって思ってる!でも…)
彼の事は名前しか知らない。どこで何をしているのか何も教えてはくれないのだ。もしかするとあの名前も本当の名前ではないかもしれない。つまり教えてくれないという事は、そこまで信用できる関係ではないという事。それがある限り、二人が思っているような可能性は信じない。
(私一人だけ舞い上がってるなんて変でしょ…)
それなりに経験も重ねてきて、辛い思いもしてきたからこそ慎重に。漫画やドラマみたいな事などありはしないと、自分に言い聞かせた。
(でも、ちょっとだけ羨ましいな…)
洗った皿についた泡を流しながら、小さくため息をついた。
それから二週間後。ドラマみたいな展開を望んでいたせいか、私は借金を取り消すために嫁に行くことになった。
「いや、唐突過ぎ!」
部屋の荷物を片付けながらそう叫んだ。結婚式は二週間後。式が終われば私はそのまま相手の家に行く事になるため、荷造りをしていたのだった。
「…まぁ、相手の顔は良かったし。借金はなかった事にしてくれるし…」
これはよくあるあれだ。嫌々嫁いだけど、相手がスパダリで段々と好きになっていく展開。絶対にそうとは限らないが、今の所悪い事はない。下手な駆け引きや付き合いをしなくていいからラクでいいと、あっさりと承諾した。これで借金問題も私の今後の将来も何も問題ない。そう思って返事をしたのに、何か心に引っ掛かる。
「大丈夫。優しそうな人だったし…」
一度しか顔を見ていないが、きっと多分優しそうな顔をしていたと思う。でも、名前も何も知らない。
「まるでアタルさんみたい…」
あの結婚相手が彼なら、こんな気持ちにはならなかっただろう。ここまできたのなら実は私でした、と彼が名乗り出てくれないだろうか。
「そんな上手くいく訳ないか…」
ため息と共に、ダンボールをガムテープで封をした。
式の一週間前。何も知らない彼がまた食事をしに来た。私はいつも通り、料理を振る舞った。
「…?なんだかいつもと味が違う気がする…」
「え?」
「いや、美味しくない訳ではないのだが…」
特に何か変えた訳ではないのに、彼は不思議そうに料理を食べていた。
「何かあったのかね?」
ぼんやりとしているとそう声をかけられ、びくりと肩を震わせた。
「え…いや、その…」
「今日は随分とうわの空だな。どうかしたのか」
言うか言わないか迷ったが、ぼんやりとした頭では誤魔化すための嘘も思いつかない。
「…わ、私結婚する事になりまして…」
「そうだったのか、おめでとう。それは忙しい時に申し訳ない」
彼が特に気にしていない様子に、あの言葉はやはり料理の腕を褒めただけだったのだとわかった。
(やっぱり、私の事なんてなんとも思ってなかったんだ…)
勘違いをしなくて良かったはずなのに、こんなに苦しいのはどうしてだろうか。重ねた手をぐっと握りしめていると、彼が腕を組んで首を傾げた。
「しかし、君に婚約相手がいたとは…そんな話は一度も聞かなかったが、いつ決まったんだ?」
「え…っと、ひと月前…くらい?」
「その相手とはどこで会ったんだ?」
「このお店で…」
「仕事は何をしているんだ?」
「な、にを…」
言葉に詰まる。たった一度会っただけでまともに話してもいないので、何も知らないため答えられない。
「…おかしいな、相手の事を何も知らないのに結婚するのか」
「その…」
「まぁ、君が選んだ相手だ。私が文句を言う筋合いはなかったな、すまない。今日も美味しかった。また来る」
そう言うと手を合わせて立ち上がったので、店の外まで見送る。ぼんやりと離れていく背中を見ていると、彼が振り返った。
「最後に一つ。彼の事は好きか?」
「え…」
私は何も言えずに固まってしまった。
「即答できないのか。なら、もう少し考えた方がいいと思うぞ」
「アタルさん…」
彼は再び背を向け歩き出し、闇夜に溶けてその姿は見えなくなった。
「考えた方がいいって言ったって、それしかないのに…」
私はそう呟いて、ただ俯くしかできなかった。彼の言葉が頭から離れず考えてはみるものの、断る手段は浮かぶ事なく当日を迎える。高級ホテルの一室で行われる式場では、知らない人ばかりが集まっていた。自分の身内は両親だけで、祝いの席だと言うのにまるで葬式に来ているような顔をしていた。
(結婚式ってこんなものだったっけ…)
ぼんやりと手にある花束を見つめる。
(私、本当に名前も知らない人と結婚するんだ…)
迫ってきた現実に嫌な緊張感が走る。逃げられるのなら逃げ出したい気分だった。しかしそれは不可能。場所は高層ビルの一室、周囲は相手の身内ばかり。もう諦めるしかなかった。私の気持ちなど関係なく淡々と式は進んでいき、終盤へと入る。
「夫△△は◯◯を妻とし、愛することを誓いますか」
前に立つ神父がそう言った。
「誓います」
次は自分の番だ。
「妻◯◯は△△を夫とし、愛することを誓いますか」
「…」
私が答えないので周囲がざわつき、目の前の男も焦っている。ここまできて、今さら逃げられる訳がないのに。
「…ご、ごめんなさい。緊張してしまって…」
もう諦めてしまおう、後はなるようにしかならない。今後の事はドラマの様な展開になる事を祈ろう。そう自分に言い聞かせ、大きく深呼吸をした。
「すみません神父さん。もう一度お願いしてもいいですか?」
「もちろん」
私がお願いすれば神父が快く返事をし、咳払いをした。
「妻◯◯は△△を夫とし、愛することを…」
今度は神父が黙ってしまい、会場がまたざわついた。
「…いや、なにも無理に誓う必要はない」
「…えっ」
突然の言葉に思わず声を上げると、神父は私の方を見て優しく笑った。
「誓えないのなら誓わないでいいのだよ。そもそも結婚というのは、お互いの事をよく理解した上で話し合ってだな…」
「ちょっとあんた何言って…!」
「今私は彼女と話しているんだ。少し静かにしていてくれ」
そう言うと、神父が男の首元に見えない速さで何かをしたと思えばどさりとその場に崩れ落ちた。
「ええっ!?」
「お互いの事を理解しあってこそ、生活が成り立つのだ。それを踏まえてもう一度聞こう。愛し合う事を誓うか」
慌てる私を気にもせず、神父が真っ直ぐに見つめてくる。その目がなんとなく想い人に見えて、私は助けを求めるように叫んだ。
「…誓わない…誓いたくない!私は自分の好きな人と結婚したい!」
「よし、その言葉が聞きたかった」
次の瞬間。部屋の電気がすべて消え真っ暗になる。何も見えなくなった会場にはパニック状態になった人々の悲鳴やら物が倒れる音があちこちから聞こえる。自分も突然の展開に真っ暗な周りを見回すが、当然何も見えない。
「えっ、停電!?」
すると突然、誰かに身体を抱きかかえられる。私を抱えた誰かはそのまま走り出し、ガラスを突き破る音と共に周囲が明るくなった。頬を撫でる風を感じ、外へ出たのだと思った。
「外に出た…?え、いやぁぁぁぁ!落ちる!死ぬ!」
会場だった場所はホテルの上の階だったはず。そこから外へと飛び出たという事は、あとは落ちるだけ。と、思っていたのに自分の身体はその場にとどまったままだった。
「…え?」
「ははは!安心したまえ、落としはしないとも!」
その声に顔をあげれば、迷彩柄のマスクが視界に入る。
「アタルさん…?」
「そうとも。神父役は二度目だが、やはり窮屈だなこの服は」
そう言って、詰まった首元を必死に広げようとしていた。
「…というか浮いてる?」
「前に言ったではないか、私は超人だと。超人は空を飛べるんだ」
「ほ、本当だったんですね…」
「まさかそれも信じていなかったとは…」
驚く彼を見て、疑い深い事を少しだけ反省した。
「でもなんでアタルさんが?」
「話を聞いておかしいと思ったからな。少し調べさせてもらった」
「…」
「君が相手の事を気に入っていたのなら、手を出す事はしなかったのだが…そんな様子ではなさそうだったしな」
「…私」
「なに、心配する事はない。少しやり過ぎた所もあるが、あれはなんとかしよう。借金の事も心配しなくていい。きっちり耳を揃えて払わせた。これに懲りたら安易に連帯保証人にはならない事だな」
(それは私のせいではないのだけど…)
色々と言いたい事があるが、緊張から一気に解放された事で声がでない。私は助かったのだと自然と涙が流れ、それを彼が指で拭う。
「おっと…理由はどうあれ、せっかく綺麗にしてもらったんだ。崩すのはもったいない」
「安心したら涙が…でも、私これからどうすれば…借金を払ったっていっても、何をされるか…」
「そこで提案なのだが」
「?」
声のトーンが格段に上がって上機嫌な彼に首を傾げた。
「え…な、何ですかここ!?」
「私が新たに作った組織の施設だ。簡単に言えば、悪い奴を捕まえてぶち込む場所だな」
「刑務所みたいなもの…ですか?」
「そうとも。君にはここで働く者達に料理を振るまってほしい。もちろん家族全員でな」
「…あ!お父さんとお母さんは!?」
今になってやっと思い出した。あの場所には自分の両親もいたはずである。
「安心したまえ。二人なら式が始まる前からすでにここへ連れてきていた。あそこにいたのは、変装した私の部下だ」
「そ、そうなんですか…」
今日は驚いてばかりだ。あんなに悲しそうな顔をしていたのに、別人だったなんて信じられない。
「あ、そういえば…」
ふと思った事があり、彼の顔を見上げた。
「ん?どうした」
「アタルさん、あの時牧師のフリをしていたんですよね」
「そうだが」
今はマスクをしているが、あの場所から出るまではそれをしていなかった。では、それまでのあの顔はもしかすると。
「あれがアタルさんの素顔…ですか?」
彼は迷彩柄のマスクを脱いだ。そして現れたのは、会場で見た牧師の顔だった。あの時はよく見ている暇などなかったが、今は違う。これが彼なのだと、目に焼き付けるようにして見つめた。
「はは、そんなに見つめられると照れるな。どうやら気に入ってもらえたらしい」
必死に顔を隠すので顔に傷でもあるのかと思っていたが違った。上手くは言えないが綺麗な顔立ちで、正直に言うとものすごく好みだった。彼に惹かれているからというのもあるだろうが、それを抜きにしても私は好きになっていただろう。
(強くてかっこいいなんて反則だ…!)
忘れないようにともう一度目を向ければ、彼が顎下に手を当てばりばりと顔を剥がしていく。
「実はこれもマスクでな。手先の器用な男がいて、それが作ってくれたんだ」
「えぇーーーっ!?えっ、じゃあほんとの顔は?」
「それは見せられない。言っただろう素顔を見られたら死なねばならんと」
「そんな事があり得るんですか!?」
「あり得るのだよ。私が生まれた場所ではな」
結局彼の素顔ではなく、がっくりと肩を落とした。
「そう、素顔ではなくマスクであればいいのだよ」
「…?」
私は彼の言っている事がよくわからず首を傾げると、マスクから少しだけ覗く瞳が優しく細められた。
「アタル殿!一体どういう事でござるか!」
突然声が聞こえたと思えば、忍び装束を着た人がこちらへと怖い顔をして近寄って来る。
「人間を連れて来て何をするつもりか!ここは悪行超人を捕える場所、危険が多いと言うのに…」
詰め寄ってきた忍者が私を見て固まった。
「もしやこの人間もか?」
「もちろんだとも」
「何がしたいんでござるか!しかも彼女の格好を見る限り、何か大事な用があったのではないか!?」
「それなら問題ない。途中で退場してきた」
「大問題でござるよ!急にふらりといなくなったと思えば人間を連れて来て、しかも花嫁衣装という事は…そういえば、先ほど来た人間も礼装をしていた…関係者か!」
「彼女のご両親だ」
「花嫁家族ごと連れて来たのか!」
「まぁ落ち着け。今日から彼女達に我々の食事を管理してもらう。彼女の家は定食屋を営んでいてな、腕は確かだ安心しろ」
「それ以前の問題だ!ここは危険だと言っておろう!」
「あの…やっぱり迷惑なんじゃ…」
「気にしなくていい、君達の安全は私が保証する。彼は用心深くてな、最近忙しくて神経質になっているようだ」
「誰のせいだと思っている!」
とうとう我慢できなくなったのか忍び装束の人が彼の胸ぐらを掴み身体を揺するが、何も気にしていないかのように呑気に笑っていた。
反対する理由もなくこうして私は家族揃って、アタルさんが取り仕切る組織の食堂で働かせてもらえる事になった。日々喧騒は絶えないが彼の言った通り、私達にはなんの被害もなかった。食堂に来る人達も皆良い人で、両親も喜んで料理を振る舞っていた。
そんなある日。
「待て、アタル殿!今日は逃さないでごさるよ!」
「ははは!まぁ落ち着けニンジャ」
大きな物音がしたと思えば何やら外が騒がしい。何事かと窓から外を覗けば、アタルさんを追いかけるニンジャさんが目に入った。
「またアタル兄ちゃん脱走かい?」
「そうみたい」
放浪癖がある彼は、時々ふらりと姿を消す事がある。大体一週間で帰って来るが、ニンジャさんいわく仕事が回らないので困っているらしい。周囲の物を破壊しながら追いかけっこをしている二人を眺めていると、彼と目があった。
「少し出掛けてくるぞプリンセス」
「私は食堂の料理人ですよ」
相変わらず私の事をプリンセスと呼ぶ彼に苦笑する。
「〇〇殿!呑気に見ておらず、其方もこの男を止めてくれ!」
「と言われても…」
ここでNo.2の実力を持つニンジャさんに捕まえられない相手を、ただの人間である自分が捕まえられる訳がない。
「う〜ん…あ、そうだ」
止める事はできないが、他にも手はある。
「アタルさん!」
「何かね!」
ニンジャさんが投げた鎖を器用に避けながら彼が答える。
「三日後の夕食は、アタルさんの好きな『あれ』を作りますよ!」
「なにっ!?」
そう言うと、ぴたりと動きを止め腕を組んで考え込む。その隙を狙ってニンジャさんが捕えようとするが、するりと逃げた。
「くそっ!他所ごとを考えていながらも避けるとは…!」
ニンジャさんが悔しそうに、距離をとって何か考え込んでいるアタルさんを睨みつけた。
「…ふむ、よし。では、それまでに帰ってくる!」
「そもそも行くなと言っておろうが!!」
ニンジャさんの叫びも虚しく、アタルさんはさっと姿を消してしまった。
「大丈夫ですか、ニンジャさん…」
地面を殴りつけている彼にゆっくりと近づく。
「大丈夫な訳あるか!しかし、アタル殿を逃してしまったのは己の未熟さゆえ。あれが犯罪者であれば笑い事では済まされん。もっと研鑽せねば…」
ぎりりと今にも引きちぎられそうな鎖が悲鳴をあげた。
「まぁ、〇〇殿のおかげで不在が三日になった。礼を言う」
「いえいえ、私にはこれくらいしかできないですし」
「一週間も行方がわからんよりマシだ。次もまた同じ事になれば頼む」
「わかりました。それにしても、アタルさん本当に『あれ』が好きなんですね。毎回ちゃんと間に合うように帰ってくるし」
「何を言うか。お主だろう」
「…え?」
思わずニンジャさんの顔を見れば、何かを思い出したかのようにうんざりとした顔をされた。
「これ以上言う義理はござらん。知りたければ本人に聞く事だな」
「本人に聞けって言ったって、アタルさん正直に教えてくれそうにないんですけど…」
「まぁ精々振り回し振り回されればよい。見ていて愉快だ」
「い、意地が悪い…」
「元悪魔超人だからな」
そう言って、ニンジャさんはからからと笑いながら建物の中へ戻っていった。
「…まさか、ね?」
一人残された私はアタルさんが去って行った方向を見つめ、そう呟いた。
「それはもちろん、君がいるからだとも」
宣言通り三日目の夕食時間に帰って来たアタルさんは、食事に舌鼓を打ちながら私の質問にあっさりと答えた。
「まさかの直球!!」
「なんだ、反応が薄いと思っていたがそういう事だったのか…アプローチの仕方を間違えたな。ははは!」
恥ずかしげもなくそう言った彼は、ご機嫌に目の前の料理を平らげていく。
「私は君の優しさに惹かれ、尚且つ胃袋まで掴まれた。口説かぬ理由なんてどこにある?な、ニンジャ」
「拙者に同意を求めるな。仕事が溜まっているのだ、早く取り掛かってほしいのだが」
隣に座っていたニンジャさんが渋い顔をしてお茶を啜る。
「つれないことを言う…仕方ないか、お前にはすでに婚約者がいるからな」
するとニンジャさんが飲んでいたお茶を盛大に吹き出した。
「ゲホッ!?何故、アタル殿が知っている!?」
「忍び装束の下に隠された指輪を見ればわかる」
「何っ!?」
ニンジャさんが慌てて首元を触ったので、自分も見てみるが全くわからない。
「そう焦るという事は、あるのだなそこに」
「…くっ、謀られた!」
ニンジャさんが悔しそうに湯呑みを机に叩きつけると、アタルさんが楽しそうに笑った。
「いや、話が逸れた。正直に言おう。君をここへ連れて来たのは、少しでも私の近くに置きたかったからだ。職場に不満があるなら言ってくれ、私のエゴでここへ連れて来たんだ。改善しよう」
「いや…悪い事なんてないです。むしろ良くしてもらってるくらいですし…」
「なら良かった。そして、私が君に正直に言えなかった理由。このように私は放浪癖もあり、過去に大事な物を見捨てた事もある。その経験から安易に君の手を取る事に戸惑っていた」
ニンジャさんが空気を読んでそっと離れ、私は少し緊張気味に彼の話に耳を傾ける。
「だが自分のやるべき事がわかり、方向性が決まった今は別だ。もう私は逃げ出さない」
マスクから覗く瞳が私をとらえた。
「放浪癖は治らないが、君がここにいてくれるのなら、私は必ずここへ帰ってくる。だから側にいてほしいのだが…どうだろうか?」
私は想像がつかなかった。複雑そうな過去を持ち、放浪癖のある素顔のわからない相手に告白される。そんな展開、漫画でも見た事ない。それでも否定的に思わなかったのは彼との今までの関わりと、唯一見えるその力強い瞳だろう。
「私は…」
この先の未来が想像のつかないものだとしても、この人ならば私は迷いなく答えられた。
「さて、そろそろ行くかな」
「なにをちょっとそこまで感覚で申しておる。行かせるわけなかろうが」
食堂で食事を済ませお茶を飲みながら和やかな雰囲気だったのが、一瞬で緊張が走る。
「あぁそうだ。君も行くかね」
そんな空気を気にせず彼は続けた。
「…え、私もですか?」
「だから行かせぬと言っておるだろうが!」
ダンと湯呑みを机に置き、ニンジャさんがアタルさんの胸ぐらを掴んだ。しかし彼は気にする事もなく、やんわりと胸ぐらを掴まれた手を解いた。
「いいじゃないか、新婚旅行だ」
「そうか、新婚旅行なら仕方なし…と言うと思ったか!その口上、先月も聞いたぞ!何度新婚旅行に行くつもりか!」
またしても胸ぐらを掴まれるが、彼はただ笑った。
「ははは、いいじゃないか。いつまでも新婚気分!仕事にも好影響だぞ?」
「なら逃げるな!仕事をしろ!」
「お前も久しぶり彼女に会いに帰ったらどうだね?」
「帰れたら帰っておる!誰が帰れぬ原因を作っているでござるか!」
ニンジャさんの切実な叫びに、きゅっと胸が締め付けられた。
「アタルさん、あの…」
彼の放浪癖は仕方ないとは思うが、ニンジャさんが可哀想だと彼の服を掴んだ。
「ん?そんな顔をしなくても大丈夫だとも」
安心させるように私の頭の上に大きな手を置いた。
「ニンジャ。今ある仕事の確認はしたのか?」
「なに?今日はまだだが…」
「後で確認してみるといい。一週間くらい席を空けても問題ないようにしておいた」
「そう言って、逃げるつもりでござるな?」
「ははは!信用ないな」
日頃の行いだろうなと、二人の顔を不安そうに交互に見た。
「騙されたと思って確認してみろ」
「…」
「あのニンジャさん、私がアタルさんを逃げないように捕まえておくので…確認する間ならなんとか止める事はできるかと」
「むぅ…まさかニンジャの味方をするとは…少し悲しいぞ?」
「かたじけない」
さっと姿を消したニンジャさんは、ほんの2、3分で私たちの前に姿を現した。
「…確かに仕事は片付いていた…しかし、いつの間に?」
「そんな事気にするな、これでいいだろう?さぁニンジャよ、早く彼女の元へ帰るんだ!」
「いや、いくら仕事が済んでいたとしても…」
「皆手伝ってくれ!ニンジャを日本へ!」
「「了解!」」
がたがたと席を立った他の人達が、ニンジャさんを取り囲んだ。
「な、何をするか!?」
「ゆっくりしてくるといい、ニンジャよ」
「アタル殿!?」
わらわらと人に囲まれたニンジャさんはそのまま食堂から連れ出されてしまった。
「アタルさん…」
「日本への直行便を用意している。荷造りも彼の弟子に手伝ってもらって、準備は万端だとも」
腕を組んで満足そうに頷く彼に、そういう事ではないのだがと苦笑いを浮かべた。彼なりに迷惑をかけているのを気にしており、今日のために影で誰よりも仕事をしていたのだろう。
「さぁ、私達も行こうか。どこか行きたい所はあるかね?」
優しく私を見つめる瞳に笑いかけた。
「アタルさんと一緒ならどこでも」
「嬉しい言葉だが、欲がないのも困るぞプリンセス」
そう言って彼は困ったように笑った。
「今日もお疲れ様だな。プリンセス」
「私はただの定食屋の娘なんですけど…今日もお食べになりますか?」
「むぅ…プリンセスはお気に召さなかったか。いつもすまないな。ご馳走になる」
一年に数回。店じまいをして片付けの時間になると現れる迷彩服と迷彩柄の覆面をつけた男性にそう答えた。
「どれ、手伝おう」
「大丈夫ですよ、いつもやってる事ですし」
「遠慮しないでくれ。助けてもらった恩を返したいのだよ」
そう言って食料の入った重い箱を大量に担ぎ上げ、店の中へと入る。
「おや、いらっしゃい!荷物運んでくれたのか、ありがとな!」
店の中では私の両親が明日の下ごしらえをしており、彼に気づくとにこやかに挨拶をした。
「お久しぶりです。図々しく帰ってきました」
「別にいいのよ。そうやって手伝ってもらってるんだし、働き手がないからもっと来てもいいくらい!」
「ははは!こんな暑苦しい男がいたら、せっかく来たお客が逃げ帰ってしまう。この店には看板娘がいるから私は必要ない。そうだろう?」
「そんな事ないですよ」
そう言って私を見る彼に困ったように笑い返した。
「ちょっと待っててくれよ。すぐに美味いもん作ってやるからな。〇〇、お前はいつもの作ってやりな」
「わかった」
壁にかけていたエプロンを着て手を洗うと、自分の担当場所へと向かい準備をする。彼は空いていた席に座った。
「毎度のことながら店を閉めた後に来て申し訳ないな」
「いいですよ。マスクで顔を隠すぐらいですから、あまり人目につきたくないのかなって」
「その通りだとも。なんせ私は一国の王子だからな。見つかると非常にまずい」
「はいはい」
「むぅ…本当の事なんだが…信じてないな」
「アタルさんは冗談しか言わないじゃないですか」
「そうだったか?」
「アタルさんの言う事は、私が想像もできない事ばかりなんですもん」
「ふむ、確かに君からしたらそうかもしれないが…」
「はいどうぞ。お待たせしました」
彼の元へ出来上がった料理を持って行く。
「毎度の事ながら実に美味しそうだ。これを楽しみにしていたんだよ」
彼は少し興奮気味に話しながら箸を取り、手を合わせた。
「いただきます」
「どうぞ」
迷彩柄のマスクを少しだけ上げて、まずは汁物に口をつけた。
「…うん、変わらない懐かしい味だ」
「大袈裟な」
「大袈裟ではない。君に助けてもらった日を思い出す」
それは何年か前の事。その日は大寒波の影響で雪が降り、安全を考えて車を使わず歩いて足りなくなった材料を買いに行った帰りの話。ふと目を向けた路地裏にぐったりとして倒れていたのがこの人。今にも意識をなくしそうにしながらも救急車は呼ぶな人は呼ぶなと言うものだから、仕方なく我が家へと連れて帰った。倒れていた原因は空腹。たまたま余り物があったので、それで簡単に料理を作って食べさせればみるみると元気になった。
「すまない。この借りは必ず返す」
そう言って、すぐに姿を消してしまったのだった。
次に来たのは半年後。
「以前はありがとう。お礼と言ってはなんだが、何か困っている事はないかね」
そうしてふらりと現れ、仕事を手伝い、食事をして帰る。それを何度も繰り返し、今では両親とも気軽に話せる仲までに親交が深まっている。
「もう私が助けた分のお礼は済んだんじゃないですか?」
「ん?なに、気にする必要はない。私が来たくて来ているんだ」
ずずっと味噌汁を啜り、私を見た。
「どうやら君の手料理を気に入ってしまってな。月に一度は必ず食べないと気が済まないのだよ」
真っ直ぐに向けられた視線を逸らす事なく見つめ返し笑った。
「それは作っている方からすると嬉しい言葉ですね」
「…」
私の反応がいまいちだったのか、彼は若干不服そうに首を傾げた。
「また来る」
「お待ちしてますね」
彼は料理を綺麗に平らげ、またどこかへと旅立っていった。テーブルに残った皿を片付けていると、両親が揃ってため息をついた。
「…何?」
「何って…アタルさん、お前に気があるんじゃないかい?なのにねぇ…」
「いい男だと思うぜ?顔は見せてくんねぇけどな」
彼がいい人なのは知っている。素顔はわからないがとても優しい目をしているのはわかる。でも向けられている視線は何を思っているのかはわからない。あの言葉だって、単純に料理の腕を褒めただけかもしれないのだ。そんな都合のいい話などありはしない。
「変な事言ってないで、明日の準備しとかないと」
この話は終わりだと、二人を置いて片付けを始める。
(それは私だって思ってる!でも…)
彼の事は名前しか知らない。どこで何をしているのか何も教えてはくれないのだ。もしかするとあの名前も本当の名前ではないかもしれない。つまり教えてくれないという事は、そこまで信用できる関係ではないという事。それがある限り、二人が思っているような可能性は信じない。
(私一人だけ舞い上がってるなんて変でしょ…)
それなりに経験も重ねてきて、辛い思いもしてきたからこそ慎重に。漫画やドラマみたいな事などありはしないと、自分に言い聞かせた。
(でも、ちょっとだけ羨ましいな…)
洗った皿についた泡を流しながら、小さくため息をついた。
それから二週間後。ドラマみたいな展開を望んでいたせいか、私は借金を取り消すために嫁に行くことになった。
「いや、唐突過ぎ!」
部屋の荷物を片付けながらそう叫んだ。結婚式は二週間後。式が終われば私はそのまま相手の家に行く事になるため、荷造りをしていたのだった。
「…まぁ、相手の顔は良かったし。借金はなかった事にしてくれるし…」
これはよくあるあれだ。嫌々嫁いだけど、相手がスパダリで段々と好きになっていく展開。絶対にそうとは限らないが、今の所悪い事はない。下手な駆け引きや付き合いをしなくていいからラクでいいと、あっさりと承諾した。これで借金問題も私の今後の将来も何も問題ない。そう思って返事をしたのに、何か心に引っ掛かる。
「大丈夫。優しそうな人だったし…」
一度しか顔を見ていないが、きっと多分優しそうな顔をしていたと思う。でも、名前も何も知らない。
「まるでアタルさんみたい…」
あの結婚相手が彼なら、こんな気持ちにはならなかっただろう。ここまできたのなら実は私でした、と彼が名乗り出てくれないだろうか。
「そんな上手くいく訳ないか…」
ため息と共に、ダンボールをガムテープで封をした。
式の一週間前。何も知らない彼がまた食事をしに来た。私はいつも通り、料理を振る舞った。
「…?なんだかいつもと味が違う気がする…」
「え?」
「いや、美味しくない訳ではないのだが…」
特に何か変えた訳ではないのに、彼は不思議そうに料理を食べていた。
「何かあったのかね?」
ぼんやりとしているとそう声をかけられ、びくりと肩を震わせた。
「え…いや、その…」
「今日は随分とうわの空だな。どうかしたのか」
言うか言わないか迷ったが、ぼんやりとした頭では誤魔化すための嘘も思いつかない。
「…わ、私結婚する事になりまして…」
「そうだったのか、おめでとう。それは忙しい時に申し訳ない」
彼が特に気にしていない様子に、あの言葉はやはり料理の腕を褒めただけだったのだとわかった。
(やっぱり、私の事なんてなんとも思ってなかったんだ…)
勘違いをしなくて良かったはずなのに、こんなに苦しいのはどうしてだろうか。重ねた手をぐっと握りしめていると、彼が腕を組んで首を傾げた。
「しかし、君に婚約相手がいたとは…そんな話は一度も聞かなかったが、いつ決まったんだ?」
「え…っと、ひと月前…くらい?」
「その相手とはどこで会ったんだ?」
「このお店で…」
「仕事は何をしているんだ?」
「な、にを…」
言葉に詰まる。たった一度会っただけでまともに話してもいないので、何も知らないため答えられない。
「…おかしいな、相手の事を何も知らないのに結婚するのか」
「その…」
「まぁ、君が選んだ相手だ。私が文句を言う筋合いはなかったな、すまない。今日も美味しかった。また来る」
そう言うと手を合わせて立ち上がったので、店の外まで見送る。ぼんやりと離れていく背中を見ていると、彼が振り返った。
「最後に一つ。彼の事は好きか?」
「え…」
私は何も言えずに固まってしまった。
「即答できないのか。なら、もう少し考えた方がいいと思うぞ」
「アタルさん…」
彼は再び背を向け歩き出し、闇夜に溶けてその姿は見えなくなった。
「考えた方がいいって言ったって、それしかないのに…」
私はそう呟いて、ただ俯くしかできなかった。彼の言葉が頭から離れず考えてはみるものの、断る手段は浮かぶ事なく当日を迎える。高級ホテルの一室で行われる式場では、知らない人ばかりが集まっていた。自分の身内は両親だけで、祝いの席だと言うのにまるで葬式に来ているような顔をしていた。
(結婚式ってこんなものだったっけ…)
ぼんやりと手にある花束を見つめる。
(私、本当に名前も知らない人と結婚するんだ…)
迫ってきた現実に嫌な緊張感が走る。逃げられるのなら逃げ出したい気分だった。しかしそれは不可能。場所は高層ビルの一室、周囲は相手の身内ばかり。もう諦めるしかなかった。私の気持ちなど関係なく淡々と式は進んでいき、終盤へと入る。
「夫△△は◯◯を妻とし、愛することを誓いますか」
前に立つ神父がそう言った。
「誓います」
次は自分の番だ。
「妻◯◯は△△を夫とし、愛することを誓いますか」
「…」
私が答えないので周囲がざわつき、目の前の男も焦っている。ここまできて、今さら逃げられる訳がないのに。
「…ご、ごめんなさい。緊張してしまって…」
もう諦めてしまおう、後はなるようにしかならない。今後の事はドラマの様な展開になる事を祈ろう。そう自分に言い聞かせ、大きく深呼吸をした。
「すみません神父さん。もう一度お願いしてもいいですか?」
「もちろん」
私がお願いすれば神父が快く返事をし、咳払いをした。
「妻◯◯は△△を夫とし、愛することを…」
今度は神父が黙ってしまい、会場がまたざわついた。
「…いや、なにも無理に誓う必要はない」
「…えっ」
突然の言葉に思わず声を上げると、神父は私の方を見て優しく笑った。
「誓えないのなら誓わないでいいのだよ。そもそも結婚というのは、お互いの事をよく理解した上で話し合ってだな…」
「ちょっとあんた何言って…!」
「今私は彼女と話しているんだ。少し静かにしていてくれ」
そう言うと、神父が男の首元に見えない速さで何かをしたと思えばどさりとその場に崩れ落ちた。
「ええっ!?」
「お互いの事を理解しあってこそ、生活が成り立つのだ。それを踏まえてもう一度聞こう。愛し合う事を誓うか」
慌てる私を気にもせず、神父が真っ直ぐに見つめてくる。その目がなんとなく想い人に見えて、私は助けを求めるように叫んだ。
「…誓わない…誓いたくない!私は自分の好きな人と結婚したい!」
「よし、その言葉が聞きたかった」
次の瞬間。部屋の電気がすべて消え真っ暗になる。何も見えなくなった会場にはパニック状態になった人々の悲鳴やら物が倒れる音があちこちから聞こえる。自分も突然の展開に真っ暗な周りを見回すが、当然何も見えない。
「えっ、停電!?」
すると突然、誰かに身体を抱きかかえられる。私を抱えた誰かはそのまま走り出し、ガラスを突き破る音と共に周囲が明るくなった。頬を撫でる風を感じ、外へ出たのだと思った。
「外に出た…?え、いやぁぁぁぁ!落ちる!死ぬ!」
会場だった場所はホテルの上の階だったはず。そこから外へと飛び出たという事は、あとは落ちるだけ。と、思っていたのに自分の身体はその場にとどまったままだった。
「…え?」
「ははは!安心したまえ、落としはしないとも!」
その声に顔をあげれば、迷彩柄のマスクが視界に入る。
「アタルさん…?」
「そうとも。神父役は二度目だが、やはり窮屈だなこの服は」
そう言って、詰まった首元を必死に広げようとしていた。
「…というか浮いてる?」
「前に言ったではないか、私は超人だと。超人は空を飛べるんだ」
「ほ、本当だったんですね…」
「まさかそれも信じていなかったとは…」
驚く彼を見て、疑い深い事を少しだけ反省した。
「でもなんでアタルさんが?」
「話を聞いておかしいと思ったからな。少し調べさせてもらった」
「…」
「君が相手の事を気に入っていたのなら、手を出す事はしなかったのだが…そんな様子ではなさそうだったしな」
「…私」
「なに、心配する事はない。少しやり過ぎた所もあるが、あれはなんとかしよう。借金の事も心配しなくていい。きっちり耳を揃えて払わせた。これに懲りたら安易に連帯保証人にはならない事だな」
(それは私のせいではないのだけど…)
色々と言いたい事があるが、緊張から一気に解放された事で声がでない。私は助かったのだと自然と涙が流れ、それを彼が指で拭う。
「おっと…理由はどうあれ、せっかく綺麗にしてもらったんだ。崩すのはもったいない」
「安心したら涙が…でも、私これからどうすれば…借金を払ったっていっても、何をされるか…」
「そこで提案なのだが」
「?」
声のトーンが格段に上がって上機嫌な彼に首を傾げた。
「え…な、何ですかここ!?」
「私が新たに作った組織の施設だ。簡単に言えば、悪い奴を捕まえてぶち込む場所だな」
「刑務所みたいなもの…ですか?」
「そうとも。君にはここで働く者達に料理を振るまってほしい。もちろん家族全員でな」
「…あ!お父さんとお母さんは!?」
今になってやっと思い出した。あの場所には自分の両親もいたはずである。
「安心したまえ。二人なら式が始まる前からすでにここへ連れてきていた。あそこにいたのは、変装した私の部下だ」
「そ、そうなんですか…」
今日は驚いてばかりだ。あんなに悲しそうな顔をしていたのに、別人だったなんて信じられない。
「あ、そういえば…」
ふと思った事があり、彼の顔を見上げた。
「ん?どうした」
「アタルさん、あの時牧師のフリをしていたんですよね」
「そうだが」
今はマスクをしているが、あの場所から出るまではそれをしていなかった。では、それまでのあの顔はもしかすると。
「あれがアタルさんの素顔…ですか?」
彼は迷彩柄のマスクを脱いだ。そして現れたのは、会場で見た牧師の顔だった。あの時はよく見ている暇などなかったが、今は違う。これが彼なのだと、目に焼き付けるようにして見つめた。
「はは、そんなに見つめられると照れるな。どうやら気に入ってもらえたらしい」
必死に顔を隠すので顔に傷でもあるのかと思っていたが違った。上手くは言えないが綺麗な顔立ちで、正直に言うとものすごく好みだった。彼に惹かれているからというのもあるだろうが、それを抜きにしても私は好きになっていただろう。
(強くてかっこいいなんて反則だ…!)
忘れないようにともう一度目を向ければ、彼が顎下に手を当てばりばりと顔を剥がしていく。
「実はこれもマスクでな。手先の器用な男がいて、それが作ってくれたんだ」
「えぇーーーっ!?えっ、じゃあほんとの顔は?」
「それは見せられない。言っただろう素顔を見られたら死なねばならんと」
「そんな事があり得るんですか!?」
「あり得るのだよ。私が生まれた場所ではな」
結局彼の素顔ではなく、がっくりと肩を落とした。
「そう、素顔ではなくマスクであればいいのだよ」
「…?」
私は彼の言っている事がよくわからず首を傾げると、マスクから少しだけ覗く瞳が優しく細められた。
「アタル殿!一体どういう事でござるか!」
突然声が聞こえたと思えば、忍び装束を着た人がこちらへと怖い顔をして近寄って来る。
「人間を連れて来て何をするつもりか!ここは悪行超人を捕える場所、危険が多いと言うのに…」
詰め寄ってきた忍者が私を見て固まった。
「もしやこの人間もか?」
「もちろんだとも」
「何がしたいんでござるか!しかも彼女の格好を見る限り、何か大事な用があったのではないか!?」
「それなら問題ない。途中で退場してきた」
「大問題でござるよ!急にふらりといなくなったと思えば人間を連れて来て、しかも花嫁衣装という事は…そういえば、先ほど来た人間も礼装をしていた…関係者か!」
「彼女のご両親だ」
「花嫁家族ごと連れて来たのか!」
「まぁ落ち着け。今日から彼女達に我々の食事を管理してもらう。彼女の家は定食屋を営んでいてな、腕は確かだ安心しろ」
「それ以前の問題だ!ここは危険だと言っておろう!」
「あの…やっぱり迷惑なんじゃ…」
「気にしなくていい、君達の安全は私が保証する。彼は用心深くてな、最近忙しくて神経質になっているようだ」
「誰のせいだと思っている!」
とうとう我慢できなくなったのか忍び装束の人が彼の胸ぐらを掴み身体を揺するが、何も気にしていないかのように呑気に笑っていた。
反対する理由もなくこうして私は家族揃って、アタルさんが取り仕切る組織の食堂で働かせてもらえる事になった。日々喧騒は絶えないが彼の言った通り、私達にはなんの被害もなかった。食堂に来る人達も皆良い人で、両親も喜んで料理を振る舞っていた。
そんなある日。
「待て、アタル殿!今日は逃さないでごさるよ!」
「ははは!まぁ落ち着けニンジャ」
大きな物音がしたと思えば何やら外が騒がしい。何事かと窓から外を覗けば、アタルさんを追いかけるニンジャさんが目に入った。
「またアタル兄ちゃん脱走かい?」
「そうみたい」
放浪癖がある彼は、時々ふらりと姿を消す事がある。大体一週間で帰って来るが、ニンジャさんいわく仕事が回らないので困っているらしい。周囲の物を破壊しながら追いかけっこをしている二人を眺めていると、彼と目があった。
「少し出掛けてくるぞプリンセス」
「私は食堂の料理人ですよ」
相変わらず私の事をプリンセスと呼ぶ彼に苦笑する。
「〇〇殿!呑気に見ておらず、其方もこの男を止めてくれ!」
「と言われても…」
ここでNo.2の実力を持つニンジャさんに捕まえられない相手を、ただの人間である自分が捕まえられる訳がない。
「う〜ん…あ、そうだ」
止める事はできないが、他にも手はある。
「アタルさん!」
「何かね!」
ニンジャさんが投げた鎖を器用に避けながら彼が答える。
「三日後の夕食は、アタルさんの好きな『あれ』を作りますよ!」
「なにっ!?」
そう言うと、ぴたりと動きを止め腕を組んで考え込む。その隙を狙ってニンジャさんが捕えようとするが、するりと逃げた。
「くそっ!他所ごとを考えていながらも避けるとは…!」
ニンジャさんが悔しそうに、距離をとって何か考え込んでいるアタルさんを睨みつけた。
「…ふむ、よし。では、それまでに帰ってくる!」
「そもそも行くなと言っておろうが!!」
ニンジャさんの叫びも虚しく、アタルさんはさっと姿を消してしまった。
「大丈夫ですか、ニンジャさん…」
地面を殴りつけている彼にゆっくりと近づく。
「大丈夫な訳あるか!しかし、アタル殿を逃してしまったのは己の未熟さゆえ。あれが犯罪者であれば笑い事では済まされん。もっと研鑽せねば…」
ぎりりと今にも引きちぎられそうな鎖が悲鳴をあげた。
「まぁ、〇〇殿のおかげで不在が三日になった。礼を言う」
「いえいえ、私にはこれくらいしかできないですし」
「一週間も行方がわからんよりマシだ。次もまた同じ事になれば頼む」
「わかりました。それにしても、アタルさん本当に『あれ』が好きなんですね。毎回ちゃんと間に合うように帰ってくるし」
「何を言うか。お主だろう」
「…え?」
思わずニンジャさんの顔を見れば、何かを思い出したかのようにうんざりとした顔をされた。
「これ以上言う義理はござらん。知りたければ本人に聞く事だな」
「本人に聞けって言ったって、アタルさん正直に教えてくれそうにないんですけど…」
「まぁ精々振り回し振り回されればよい。見ていて愉快だ」
「い、意地が悪い…」
「元悪魔超人だからな」
そう言って、ニンジャさんはからからと笑いながら建物の中へ戻っていった。
「…まさか、ね?」
一人残された私はアタルさんが去って行った方向を見つめ、そう呟いた。
「それはもちろん、君がいるからだとも」
宣言通り三日目の夕食時間に帰って来たアタルさんは、食事に舌鼓を打ちながら私の質問にあっさりと答えた。
「まさかの直球!!」
「なんだ、反応が薄いと思っていたがそういう事だったのか…アプローチの仕方を間違えたな。ははは!」
恥ずかしげもなくそう言った彼は、ご機嫌に目の前の料理を平らげていく。
「私は君の優しさに惹かれ、尚且つ胃袋まで掴まれた。口説かぬ理由なんてどこにある?な、ニンジャ」
「拙者に同意を求めるな。仕事が溜まっているのだ、早く取り掛かってほしいのだが」
隣に座っていたニンジャさんが渋い顔をしてお茶を啜る。
「つれないことを言う…仕方ないか、お前にはすでに婚約者がいるからな」
するとニンジャさんが飲んでいたお茶を盛大に吹き出した。
「ゲホッ!?何故、アタル殿が知っている!?」
「忍び装束の下に隠された指輪を見ればわかる」
「何っ!?」
ニンジャさんが慌てて首元を触ったので、自分も見てみるが全くわからない。
「そう焦るという事は、あるのだなそこに」
「…くっ、謀られた!」
ニンジャさんが悔しそうに湯呑みを机に叩きつけると、アタルさんが楽しそうに笑った。
「いや、話が逸れた。正直に言おう。君をここへ連れて来たのは、少しでも私の近くに置きたかったからだ。職場に不満があるなら言ってくれ、私のエゴでここへ連れて来たんだ。改善しよう」
「いや…悪い事なんてないです。むしろ良くしてもらってるくらいですし…」
「なら良かった。そして、私が君に正直に言えなかった理由。このように私は放浪癖もあり、過去に大事な物を見捨てた事もある。その経験から安易に君の手を取る事に戸惑っていた」
ニンジャさんが空気を読んでそっと離れ、私は少し緊張気味に彼の話に耳を傾ける。
「だが自分のやるべき事がわかり、方向性が決まった今は別だ。もう私は逃げ出さない」
マスクから覗く瞳が私をとらえた。
「放浪癖は治らないが、君がここにいてくれるのなら、私は必ずここへ帰ってくる。だから側にいてほしいのだが…どうだろうか?」
私は想像がつかなかった。複雑そうな過去を持ち、放浪癖のある素顔のわからない相手に告白される。そんな展開、漫画でも見た事ない。それでも否定的に思わなかったのは彼との今までの関わりと、唯一見えるその力強い瞳だろう。
「私は…」
この先の未来が想像のつかないものだとしても、この人ならば私は迷いなく答えられた。
「さて、そろそろ行くかな」
「なにをちょっとそこまで感覚で申しておる。行かせるわけなかろうが」
食堂で食事を済ませお茶を飲みながら和やかな雰囲気だったのが、一瞬で緊張が走る。
「あぁそうだ。君も行くかね」
そんな空気を気にせず彼は続けた。
「…え、私もですか?」
「だから行かせぬと言っておるだろうが!」
ダンと湯呑みを机に置き、ニンジャさんがアタルさんの胸ぐらを掴んだ。しかし彼は気にする事もなく、やんわりと胸ぐらを掴まれた手を解いた。
「いいじゃないか、新婚旅行だ」
「そうか、新婚旅行なら仕方なし…と言うと思ったか!その口上、先月も聞いたぞ!何度新婚旅行に行くつもりか!」
またしても胸ぐらを掴まれるが、彼はただ笑った。
「ははは、いいじゃないか。いつまでも新婚気分!仕事にも好影響だぞ?」
「なら逃げるな!仕事をしろ!」
「お前も久しぶり彼女に会いに帰ったらどうだね?」
「帰れたら帰っておる!誰が帰れぬ原因を作っているでござるか!」
ニンジャさんの切実な叫びに、きゅっと胸が締め付けられた。
「アタルさん、あの…」
彼の放浪癖は仕方ないとは思うが、ニンジャさんが可哀想だと彼の服を掴んだ。
「ん?そんな顔をしなくても大丈夫だとも」
安心させるように私の頭の上に大きな手を置いた。
「ニンジャ。今ある仕事の確認はしたのか?」
「なに?今日はまだだが…」
「後で確認してみるといい。一週間くらい席を空けても問題ないようにしておいた」
「そう言って、逃げるつもりでござるな?」
「ははは!信用ないな」
日頃の行いだろうなと、二人の顔を不安そうに交互に見た。
「騙されたと思って確認してみろ」
「…」
「あのニンジャさん、私がアタルさんを逃げないように捕まえておくので…確認する間ならなんとか止める事はできるかと」
「むぅ…まさかニンジャの味方をするとは…少し悲しいぞ?」
「かたじけない」
さっと姿を消したニンジャさんは、ほんの2、3分で私たちの前に姿を現した。
「…確かに仕事は片付いていた…しかし、いつの間に?」
「そんな事気にするな、これでいいだろう?さぁニンジャよ、早く彼女の元へ帰るんだ!」
「いや、いくら仕事が済んでいたとしても…」
「皆手伝ってくれ!ニンジャを日本へ!」
「「了解!」」
がたがたと席を立った他の人達が、ニンジャさんを取り囲んだ。
「な、何をするか!?」
「ゆっくりしてくるといい、ニンジャよ」
「アタル殿!?」
わらわらと人に囲まれたニンジャさんはそのまま食堂から連れ出されてしまった。
「アタルさん…」
「日本への直行便を用意している。荷造りも彼の弟子に手伝ってもらって、準備は万端だとも」
腕を組んで満足そうに頷く彼に、そういう事ではないのだがと苦笑いを浮かべた。彼なりに迷惑をかけているのを気にしており、今日のために影で誰よりも仕事をしていたのだろう。
「さぁ、私達も行こうか。どこか行きたい所はあるかね?」
優しく私を見つめる瞳に笑いかけた。
「アタルさんと一緒ならどこでも」
「嬉しい言葉だが、欲がないのも困るぞプリンセス」
そう言って彼は困ったように笑った。
