キン肉マン

山の奥深く、滝の裏側に隠れた道を通らねば辿り着けない隠れ里。そこには忍に生きる者達が生活していた。
「今日もいい修行日和だな」
忍になるために修行に励んでいる子供達を見て、ザ・ニンジャは満足そうに頷いた。
「みな必死になって鍛錬しています」
隣に子供達の師である男が並んだ。
「将来が楽しみであるな」
しかし手裏剣を扱う子供達から、少し離れた場所でただ見ているだけの少女が目に入った。
「あの子は?」
「あの子は修行中に足を怪我してしまいましてね。どうも神経をやられたみたいで上手く足が動かなくなったそうです。いつもああやって見ているのですよ。動けない者は忍にはなれぬと言っておるのに…」
「…」
この男の言っている事は正論だが、まだ幼い彼女には酷な事だろう。
「両親もどうするか困っているようで…忍になれない子供を置いておくのもどうかと」
「…そうか」
この里の事は好きだ。しかし、この里で産まれたからには忍でなければならないという風習は好きではない。世の中、適材適所というものがあるのだ。もう一度、離れて見ている少女に目を向ける。同い年の子供達を羨ましそうな目でずっと見つめていた。

(次の任務の前に、薬草を取っておこう)
買うという手もあるのだが、質の良さが違う。この里には薬草が豊富にある。必要な物は自分で探して取る方が間違いがない。いつも薬草を取りに来ている場所に入れば、草むらの中に小さな影が動いている。
(小熊か…?)
それなら近くに親熊がいるかもしれないと、クナイを持ち周囲を警戒する。しかし、小熊と思っていた影はあの少女だった。
(子供が一人で…何をしている?)
ここは里の中でもかなり奥の方で、大人でも来るのは大変な場所だ。しかも、熊も出るため危険だからと近づかない者の方が多い。立ち上がった少女は足を引きずりながら、さらに奥へと入っていく。俺は慌てて彼女の後を追った。
彼女は少し進むと持っていた紙を広げ、地面に座り込み近くにある薬草を取ってそれと見比べていた。
(薬草を探しにきていたのか…しかし、危険な事をする。親にばれたら何と言われるか…)
そこまで考えて、あの男が言っていた言葉を思い出した。
(…捨てられたか)
おおかた薬草を探して来いとこの山に置いていかれたのだろう。遭難もしくは熊に喰われたとなれば簡単に済む。必死になって薬草と睨み合う彼女が可哀想に思えた。
「…ここで何をしておる」
どうしようもできないのに放っておく事ができず、声をかけてしまった。
「!?ニ…ニンジャ様!」
声をかけた俺に気付き慌てて立ちあがろうとするが、足に力が入らないのか中々立つ事ができない。やっと立ち上がった彼女の足には、今まで転んでできた傷が痛々しく刻まれていた。
「ご、ごめんなさい。父に薬草を探して来いと言われまして…」
「ここは危険だと教わらなかったか」
「は、はい。ですが、森の奥にしかないと言われたので…」
危険だとわかっていて親の命令を聞くところを見ると、まだ彼女は自分が捨てられた事に気づいていない。
「…どんな薬草だ」
「これなんですけど…」
渡された紙に目を通し、大きくため息をついた。
(まだ本当にある薬草なら許せたものを…嘘の情報を持たせるとはな)
俺はその紙を綺麗にたたみ自分の衣装の中にしまう。
「ニンジャ様、それ…」
「残念だが、この薬草はここには生えておらん。数年前に全部枯れてしまった」
そもそもこんな薬草などありはしないが、彼女を少しでも傷つけないように嘘をついた。
「そんな…でも、それを持って帰らないと里にいられないって…それがあれば私の足が治るそうなんです。私、また忍になるための修行ができるようになるんです!」
わずかな希望を見つけ、輝いている瞳はなんと綺麗なのか。待っているのは残酷な真実だけなのに。吐き気がしそうなほどの憎悪が湧き上がるが、ぶつける所などなくこの里に産まれたが故の運命だと受け入れるしかない。
「…そうか。なら拙者が任務の間に探してきてやろう」
「え!ニンジャ様が?」
自分でも何を言っているのだろうと思った。生かしておいても、もう彼女には居場所がないのに。
「…拙者が任務に行っている間、留守を頼みたい。それと足の怪我は拙者が看る。その間、お主には身の回りの世話を頼むが…できるか?」
「それは構いませんが…でも親にはなんと説明したら」
「拙者が済ませておく。今日からお主は拙者の世話人として生きろ」
居場所がないなら作ればいい。都合よく自分の家は里の中心から離れており、滅多に人が寄り付かない。周囲にはそれなりの罠を張っており、盗人だろうが熊だろうが無事では済まない。彼女を隠すには丁度いいと思った。
「は、はい!頑張ります!」
何も知らない彼女は嬉しそうに笑う。
(時が経てばいずれ気づくだろう…)
彼女が一人で生きられるまでに育てば、里の外に逃してやろう。どうせ死んだと思われているのなら、里から逃げたとしても追いかけてくる者などいない。最悪、記憶を消す術でもかけてしまおうと思った。それが彼女が幸せに生きていくために最善だと思った。

こうして少女は我が家で生活する事となった。足が悪いため動きは鈍いが手先は器用で要領も良く、教えた事は一度で覚えた。怪我さえしなければ立派な忍となれただろう。期待されていた分、親や周りの者達の落胆は大きく見捨てられる結果となってしまったのが残念でならない。
「…なんと憐れな」
思わず口から出てしまい慌てて彼女の様子を見るが、聞こえていなかったようで安心する。
「できました!どうでしょう」
今日は薬草を使い、薬剤の作り方を教える。知識はいくらあってもいい、彼女が生き抜くために必要な事を教える。
「…よくできている。この薬は解熱剤として使えるからよく覚えておきなさい」
「はい、ニンジャ様」
勉強熱心な彼女は、自分が教えた事を必死になって紙に書き写している。なんとも健気な姿に、その小さな頭に自分の手を乗せた。彼女は驚いて固まり、俯いてしまう。
「すまん、嫌だったか」
「いえ!そうではありません!ただ…このように褒められた事がなかったので、どうしたらいいのかわからないのです」
彼女の話を聞けば聞くほど、自分の胸が締め付けられる。
「…なに、ただ大人しく撫でられておれば良い」
そう言って小さな頭を何度も何度も撫でてやると、彼女は嬉しそうにそれを受け入れた。
(これでいい…)
前に見た時よりも明るくなった表情に安堵する。最近ではあれだけ忍になりたいと言っていたのがぴたりとなくなり、俺の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれるようになった。もしや気づいたかと思ったが、彼女の表情が曇る事がないのを見るとこの現状を受け入れたのだろう。
「〇〇、足を出しなさい」
「は、はい」
相変わらず擦り傷の絶えない足を見て顔を顰める。
「怪我をしたら薬草を使えと言っておるではないか」
彼女はとてもいい子なのだが問題が一つあり、他人の世話は一生懸命やるくせに自分の世話は手を抜きがちなのだ。
「でも、どうせまた怪我をするし…」
じっと黙って見つめれば、『ごめんなさい』と呟き、身体を縮こませた。
「…はぁ。こんな事では、治るかもしれん足も治らんぞ」
「…治りませんよ。お医者様がそう言ってましたし」
「気の持ちようだ。完全には治らないかもしれないが、今より良くする事はできる」
足の傷に薬草を塗り込めば、染みるのか彼女が小さく悲鳴をあげた。そしてそのまま、足の血流を良くするためのツボを押してやる。何が効くかわからないが、やれる事はやってやろうと色々調べた。
「ニンジャ様、そんな…」
「黙っておれ、お主も今より動ける方がいいだろう」
そう言えば大人しくなり、俺のやる事を見ていた。

それから数年経ち、変わらず彼女は俺の家で過ごしている。任務から戻れば嬉しそうに駆け寄る姿に、荒んだ心が晴れるような気持ちになる。それくらい彼女の存在が自分の中で大きくなっていくのを感じた。
「〇〇、足を出しなさい」
「ニンジャ様、怪我の治療ならちゃんとやってます。それに指圧の方も自分でできますよ」
「ならん。お主の力では効果が薄いだろう」
「でも…」
「気にするな。拙者がお主にしてやれる事はこれくらいしかないんだ」
「そんな事ありません、私は…」
そこまで言って彼女は黙ってしまう。見上げれば頬を染めて俯き、恥ずかしそうに指を擦り合わせていた。
(そういう年頃か…)
直に触れる事はやめ、厚めの布を足に巻きその上から施術を行う。これなら彼女も嫌がらないだろうと思ったが、実際は違ったらしく悲しそうな顔をしていたのには気付かなかった。
そして日々の治療が功をなし、彼女は前よりも足の動きが良くなった。家の近くに畑を作り、野菜を植え世話ができるまで回復した。
(これなら心配あるまい。そろそろこの里を出す頃合いか…)
そんな事を考えながら家へと戻ると、自分に気づいた彼女が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「ニンジャ様見て下さい!上手く野菜が育ちました。今日はこれを使って美味しいものを作りますね」
「…あぁ、楽しみにしている」
彼女の頭を撫でながら『もう少しこのまま』という考えがよぎり、手離す事になかなか踏み切れなかった。そうしてずるずると彼女を側に置き続けていたが、彼女と共に過ごす平穏な日々はそう長くは続かなかった。

ここ最近の里を取り巻く不穏な空気は薄々感じ取っていたが、正体を掴むまでとはいかなかった。そしてある日、任務が終わり里へと戻ってきた時には賑わっていた中心部は戦場と化しておりそこら中に死体が転がっていた。あちこちで火の手が上がり、もはや手のつくしようがなかった。
(〇〇は無事か…!)
時折襲いかかってくる相手を倒しながら、自分の家へと向かう。中心部から離れていたおかげか、この周辺はまだ無事だった。
「〇〇、無事か!?」
「…ニンジャ様!」
家の戸を開けて中へと入り名前を呼べば、戸棚の中に隠れていたのか彼女が泣きそうな顔をして出てきた。
「良かった…」
駆け寄ってくる彼女を優しく抱きしめた。
「何があったのだ?」
「わかりません…朝方に大きな爆発音がしたと思ったら、火の手が上がっていて…情けない事に恐ろしくて身を隠していました」
「構わん、お主が無事ならよい。さあ、ここから離れるぞ。いつここにも敵が来るかわからんからな」
彼女を抱きかかえ隠していた荷物を持つと、家から離れ山奥へと走り出し滝壺へと辿り着く。そしていつか彼女をこの里から逃すために用意していた舟を出した。それに荷物と彼女を乗せる。
「よいか、お主はこのまま里を出よ。決して戻ってくるな」
「ま、待って下さい!ニンジャ様はどうされるのですか?」
「拙者は里の様子を見てくる。何が起こったのか調べなければ…」
彼女が慌てて自分にしがみついた。
「危ないです!ニンジャ様も一緒に…このまま二人で里を出ましょう…!」
「…しかし」
「お願いですニンジャ様…」
離さないとでも言うように、強くしがみついてくる彼女の身体は震えていた。
「わ、私はニンジャ様の事をお慕いしております…この想いに答えてほしいとまでは望みません。あなたの世話人として死ぬまで側に置いて下さい…」
「…〇〇」
そっと身体を抱きしめれば、少しだけ彼女から力が抜けた。
「…少し眠っておれ」
持っていた睡眠薬を彼女に打てば、ゆっくりと力が抜けていく。
「ニ…ンジャ様…」
気を失うように倒れた彼女を毛布に包み、舟へと寝かせる。そして彼女の頭に触れ記憶を消す術を唱えた。彼女が素直に離れてくれるなら使わずにしておこうと思っていたが、このままでは戻ってきてしまうと使わざるをえなかった。涙で濡れた目元を拭ってやり、額に口付けを落とす。
「…お主との日々、実に幸せだった。最後まで守ってやれなくてすまぬ」
そう言って、浮かべた舟を押す。忍術で滝の流れを止め、その裏に隠されていた水路に沿って進んでいく舟を見送った。この先は流れが緩やかで舟が転覆する事はない。行き着く先も事前に調べており、人の良い者達が住む村へとつながっている。きっと彼女の面倒を快く見てくれるだろう。こんな別れ方になるとは思っていなかったが、あらかじめ里から逃す事を考え準備しておいて良かったと思う事にした。
(…お主のいく先に幸多き事を)
そう願い背中を向け、赤々と燃え盛る里へと戻っていった。

その後の事は説明する必要はない。悪魔に身を捧げ、憎悪に取り憑かれた己にはもう思い出など必要ないと記憶の奥底へと閉じ込めた。

「試合前に採血だなんて…俺らはともかく人型じゃねぇ奴らは注射の針なんて通るのか?」
「なにビビってんだよ。おら、とっとと行け」
「ビビってねぇよ!」
バッファローマンが一番前に並んでいたブロッケンJr.の背中を押した。
王位争奪戦、ソルジャーチームの一員として参加した俺は他のメンバーと共に試合前の検診に来ていた。事前に調べておく事で、試合の中で怪我をした際すぐに治療できるようにするためだそうだ。今から行われるものはそんな生優しいものではないと思うが、そういう決まりになっているのだろうと思った。
「すっげぇ、全然痛くねぇや」
仕切りの奥でブロッケンJr.が声を上げた。
「やっぱビビってんじゃねぇかよ」
「うるせぇ!先生、こいつデカいから針が太くないと通らないかもしんないぜ!」
「おい、余計な事言うな!」
「やかましいぞお主ら」
ブロッケンと入れ替わりでバッファローマンが入り『上手いなぁ先生』と感嘆の声を上げて出てきた。アシュラマンがその後に続き、今度は自分の番となる。
「では腕を見せてください」
その声に、なぜか胸の奥がざわざわとする。目の前に座る医者の顔を見れば、ざわつきか余計に酷くなった。
「…あの、腕を」
「…!すまぬ」
慌てて両腕を机の上に出した。
「お、何だ?ニンジャも怖えのか注射」
「あんだけエグい武器使ってんのにか?」
「まだおったのかお主ら。とっとと帰れと言っておるだろう」
外から聞こえる声に舌打ちをすれば、目の前の彼女が笑った。
「すぐ終わりますよ」
「…」
別に怖いわけではないのだが、ここで言い返すと悪手だと思い黙っていた。彼女は慣れた手つきで採血の準備を行い、ほとんど痛みを感じず終了した。
「はい、終わりました」
「世話になった」
軽く会釈をすれば笑顔で見送ってくれる。彼女の事がどうしても引っ掛かり、診察が終わった後も胸のざわつきは収まらないままだった。

全員の検診が終わった帰り道、前を歩いていたブロッケンが声をあげる。
「あ、注射の上手い先生だ」
自分達の前に先ほど採血した彼女が、杖をつき片手に紙束を持って歩いていた。
「あの先生、足悪いのか」
その言葉にまた胸がざわつきだす。
彼女は部屋に入ろうとしたが、両手が塞がっているため困っているようだった。俺達が手を貸そうか迷っている間に、彼女の手から紙束が落ち床に散らばった。それを拾おうとして屈んだ彼女がバランスを崩す。
「あっ!」
誰かがそう声をあげたのとほぼ同時に駆け出し、倒れる寸前だった彼女を抱きかかえていた。自分の状況が理解できず呆けている彼女にちらりと視線を向け、小さく術を唱えれば風が巻き起こり散らばった紙が彼女の手元に集まる。
「「おぉ〜!」」
背後でブロッケンとバッファローマンが手を叩いている。この後冷やかしの一つや二つ言われる事が安易に想像され、ため息をついた。
「す、すみません。ありがとうございます」
「…いや、礼にはおよばん」
彼女を降ろし、床に倒れたままの杖を拾って渡してやる。そして、両手が塞がっている彼女の代わりにドアを開けた。
「本当にありがとうございます」
何度も頭を下げながら彼女が部屋へと入ったのを確認すると、ゆっくりと戸を閉めた。
「…ふぅ」
「やるじゃねぇかニンジャ!あの先生、お前に惚れたんじゃねぇの?」
「え!あれだけで惚れちまうもんなのか?」
そら見たことか。面白いものを見たと言うように、目を輝かせてこちらを見ている牛と青二才を睨みつけた。
「やめるんだ。さぁ、早く帰って明日からの作戦を考えるぞ」
「へ〜い」
ちらりと彼女が入った部屋に視線を向け、ソルジャーに咎められ仕方なく歩きだす彼らの後を追った。

その日の夜。俺はとある病院の屋上に立っていた。
「あの者が勤めているのはここか…」
一度気になってしまえば最後、納得するまで調べなければ気が済まない。先ほど彼女の手から落ちた資料を集めたあの一瞬で内容を暗記し、そこからここで働いている事を導き出した。若干ストーカー行為に片足を突っ込んでいる気がしたが、自分は忍だからと言い聞かせ静まった病院内へ侵入する。この病院に勤めている者の個人情報が置かれた部屋へ向かい足を進めた。これまでの経験からしてみたらなんと容易いことか、あっさりと彼女の履歴書を見つけた。
苗字は異なるが名は〇〇と同じで出生は不明、養子であり育ててくれた者の住所は彼女を送り出した場所だった。そして、足の怪我。これだけ情報が揃えば彼女が〇〇であるのは確実だった。
「そうか。お主は忍ではなく、医者になったか…」
履歴書に貼り付けてある彼女の証明写真を優しく指でなぞり、元の場所へと戻した。

彼女の無事がわかったならそれでいい。そもそも一度自分から手放したのだ。今更取り戻すのは、彼女からしたら迷惑だろう。記憶の奥底に仕舞い込んだ思い出が蘇らないように、彼女とは関わらないと心に決めた。
決めたはずだった。
「ありゃあ、あの先生だな…」
試合会場へと向かう途中、バッファローマンが急に立ち止まった。
「どうした?」
「ほら見ろよ。あそこの階段登ってんの、あの先生だろ。またあんなに荷物持ってよぉ…」
バッファローマンが指差す先を見れば、彼女が杖をつき片手に荷物を持って階段を登っている最中だった。
「エレベーターがあるんだから使えばいいのに…危ねぇな、大丈夫か?落ちたりしねぇよな?」
前回の事があるため、ブロッケンがおろおろと様子を見守る。
「おい、ニンジャ。手伝ってやれよ」
「なぜ拙者が…」
「二度あることは三度あるとか言うじゃねぇか」
「あのなお主、それは…」
「お前ら行かないんだったら俺が行く!心配で見てらんねぇよ!」
駆け出そうとしたブロッケンの襟首を掴み、引き戻したと同時に自分が前へと出る。
「よくやったぜお前」
「いってぇ…え、何が?」
ブロッケンはともかく、バッファローマンは後で痛い目に合わせてやろうと思った。
「お主…また、無茶な事をしておるな」
「え?あ、こんにちはニンジャさん」
こちらを向いた彼女はにっこりと笑顔で答える。久しぶりに彼女に名前を呼ばれ、緩みそうになった口元を必死に引き締めた。
「わざわざ階段を使う必要などないだろう。便利な物があるのだ、使わないでどうする」
「でも動かさないのも良くないんですよ」
「それで怪我をしては元も子もないだろう」
正論を言われ困ったように彼女は笑う。
「貸しなさい。荷物は拙者が持つ」
「でも…」
「お主は杖をしっかり持っておればよい」
半ば無理矢理荷物を取り上げ、すぐ受け止められるよう彼女の背中へ触れない位置で手を添えた。
「前回もそうでしたが、申し訳ありません…」
「謝るくらいなら心配させるような事をするな。お主は昔からよく無茶を…」
「え?」
そこまで言って慌てて口を閉じた。彼女が驚いてこちらを見ており、すぐに視線を逸らした。
「…知り合いにお主のように足が不自由な娘がいたんだ。すまぬ」
「…そうだったんですか。昔とか言うので、以前会った事でもあったのかなって思ってしまいました!」
彼女はそう言って笑うと階段を登るのを再開した。足元に集中している彼女の横顔を盗み見る。〇〇だとわかってしまったからか、見れば見るほど昔の記憶が次々と思い出され懐かしい気持ちになる。
(だから、関わらずにおろうと思っておったのに…)
今まで閉じ込めていた反動なのか、あの日々が止まる事なく溢れ出し少しずつ彼女との距離を詰めてしまう。それでもなんとか堪え、触れてしまう一歩手前で踏み止まった。
しかし、彼女の事が心配だったので結局帰るまで付き添う事にした。タクシーを呼び、乗り場まで隣を歩く。向かいから歩いてきた人を避けようとした彼女が、自然と俺の腕に手をかけ近寄ってきた。
「!?」
突然の事に驚き、思わずびくりと腕が震えた。
「あっ!ごめんなさい!つい…」
慌てて離れた彼女の手を、自分から引き寄せた。
「…構わん。支えになるのなら、持っておればよい」
「…は、はい」
彼女はそう返事をして、俺の腕に手をかけ直した。そうだった。昔は杖など持っていなかったから、こうして自分の腕を支えに歩いていたのだ。乗り場にたどり着き待っている間も彼女の手は俺の腕から離れる事なく、丁度良い暖かさを与えてくれる。
「…あ!そういえば、試合は大丈夫なんですか!?」
「問題ない。今日は観戦のみだ、他の者が観ておるから話は後で聞けば良い」
「大変ですね、王位争奪…でしたっけ。なんだか壮大で、私みたいな一般人にはよくわかりません」
「だろうな。だが、それでいい。お主はお主のやるべき事をやればいいだけだ」
するとタクシーがこちらへと向かってきているのが見えた。
「私、応援してますね。できる事なら、病院でお見えにならない事を祈っています」
「あぁ、善処しよう」
目の前にタクシーが停車し、彼女が俺の腕から手を離す。ゆっくりと名残惜しそうに離れていった指先は意図的に動かしたのか、確かめる術はない。
車の中で頭を下げる彼女に、小さく頷き返した。タクシーが出発し彼女の姿が見えなくなるまで、その後ろ姿を見送った。

「随分と遅かったじゃねぇか」
にやにやしているバッファローマンを睨みつけ、ため息をつく。
「目を離しても大丈夫だとわかるまで付き添っておったまでよ」
「へぇ〜そうかい。なにか話したか?」
「特になにも」
「嘘言うなよ。絶対何かあるだろ」
「ないと言っておろう。しつこいぞお主」
「どーだか?あの先生が現れた途端そわそわしやがって、何かあるとしか思えねーよ」
「黙れ、あやつとは何も…何もないのだ…」
そっと彼女が触れていた場所に手を置く。自分の腕にまだ少しだけ残っている彼女の温もりが消えてしまえば、彼女との間には何も残っていない。
自ら手放し、すべて消してしまったのだから。
彼女の事を思い手を引いた自分の考えは間違いではない、そう思っていた。
「なに言ってんだお前」
馬鹿にしたように鼻で笑ったバッファローマンを睨みつけた。
「…はっ、浅はかな考えしかできんお主にはわからんだろうな」
「あー?意気地なし野郎には言われたくねぇな」
「ちょ…お前らやめろって」
睨み合う俺達を見て、流石にまずいとブロッケンが間に入る。
「なにビビってんのか知らねぇけどな、気になんならどんどん行っちまえばいいんだよ。細かい事は後だ後!手に入れてから考えればいいんだよ!」
「ふざけるな、相手の事を思うからこそ慎重になるべきだろう」
「あ〜これだから辛気臭ぇんだよなお前はよぉ!ぐだぐだ考えてるうちに、他の男に取られたらどうすんだ」
「黙れ、お主のような野蛮な奴と一緒にするな」
「お、俺はどっちも大事だと思うぜ?」
「うるせぇよ。幼馴染が恋人の安定ルート野郎」
「常日頃から惚気よって、だから未熟者と言われようが」
「仲裁してやってんのになんなんだよ!俺だって色々あったんだからな!?」
結局三人で言い争いとなり、最終的に何が正解かわからなくなった所で落ち着いた。
「…そこまで言うならお主はどうなのだ」
「あ?俺か、俺ぁ酔っ払って道で寝てた時に出会った。んで、そのままソイツの家に泊まった」
「げぇ!?最悪だこいつ!」
「言っとくけど、手は出してねぇぞ!普通に家に泊まって帰らされた…」
その時の事を思い出したのか、少しだけ肩を落とした。
「相手がまともな人間で安心したぞ」
「で、その後は?」
「その後は日々の積み重ねよ!毎週手土産片手に会いに行って、少しずつ距離を縮めたんだ。最後はまぁちょっと強引だったが、俺の女になったわけよ!」
「最後のちょっと強引ってのが気になるな…」
「どうせ我慢できずに力任せに迫ったのだろう、想像がつくわ」
バッファローマンが目を逸らしたので、図星かと鼻で笑った。
「とにかくだ!うじうじ悩んでるくらいなら、行っちまえって事だよ!」
思いっきり背中を叩かれ、加減の知らない彼をまた睨んだ。
「俺達も協力するぜ、な?」
「おう!」
「やめろ。面倒な事になるのが目に見えておる。拙者の事は放っておいてくれ」
大きくため息をついて二人から離れた。
(そう簡単にいくものか…彼女は〇〇でも、拙者が知っている〇〇ではないのだ…)

それからしばらく彼女の事が心のどこかに引っかかったまま時が過ぎた。
「おーい、ニンジャ。電話だぜー」
「…なに?」
ブロッケンに声をかけられ首を傾げる。自分に連絡をする者などいないはずだ。
「誰だ」
「いいから出ろよ!待ってんだってば!」
相手の名前を言わない所が不審である。訝しげな目を向ければ、ブロッケンが無理やり俺に受話器を押し付け離れていった。
「…はぁ。もし?」
「…あ、あのお忙しい所申し訳ありません」
受話器の向こうから聞こえた声に、手に力がこもる。電話の相手は、彼女であった。
「…いかがした」
「この前はどうもありがとうございました。その、もし宜しければお礼をしたくて食事でもどうかと…」
「礼など必要な…」
断ろうとした瞬間、頭に何かが当たる。振り返れば、バッファローマンとブロッケンが少し離れた場所で『行け』と口を動かしていた。
(あやつら後でシメる…)
「お忙しいでしょうか?」
「…いや、問題ない。お受けいたす」
そう返事をすると、嬉しそうに息を漏らす音が聞こえ思わず笑みが溢れた。
「良かった…あ、お好きな物とかありますか?」
「特に好き嫌いはござらん。お主の好みで構わんよ」
「わかりました。ではこちらで決めさせていただきますね。また詳しい事が決まったら連絡します」
「了解した」
受話器を置き息をつくと、背後から足音が近づいてきた。
「ほらな〜お前が行かねぇから先越されただろ?」
「越されるも何も、声をかける事など考えておらんかったわ」
「まだそんな事言ってんのかよ…」
「なぁ、デートか?」
「違う。この前の礼がしたいそうだ、他意はない」
「つまんねぇ…」
二人はがっかりしたといった顔で、肩を落とした。
「…それよりもだ。彼女にここの連絡先を教えたのは誰だ…関係者以外、ここを知る者はおらん。あやつは自ら聞く事などはしないはず。だとしたら、ここを知ってる者がバラした事になるが…」
目の前の二人が一歩後ずさった。
「正直に言えば、致命傷程度で済ませてやろう」
「致命傷はダメだろ!」
「馬鹿お前、それ言ったら犯人が俺達だってバレるじゃねぇか」
「やはりお主らか!!」
走り出した二人を武器を持ち追いかける。
「そんな怒んなよ、仲間として協力してやっただけだろ〜?」
「余計なお世話だと言っておろう!」
「いいじゃねぇか!あの先生、優しくていい人そうだし…っと、危ねぇ!」
投げたクナイをブロッケンが避け、またそれを拾い上げる。
「黙れ!そんな事、とうの昔から知っておるわ!」
「「は?」」
慌てて口を押さえたが、時すでに遅し。にやにやしている牛に、何のことやら理解できていない青二才がこちらを見ている。
「…っ!!おのれ…謀ったな!」
「いや、自分で言ったんじゃねぇか」
「おいもう煽んなって!本気で怒ってるぞ!」
自分の気持ちが落ち着くまで、彼らとの追いかけっこは続いたのだった。

「すみません。お誘いしたのはこちらなのに、わざわざ迎えに来ていただいて…」
「構わぬ。共に参った方が、心配事が増えずに済むと思ったまで」
後日彼女から連絡がきて現地集合という話になったが、足が悪い事を知っていたため移動中に何かあってはいけないと家まで迎えにいく事にした。
「お前そこまですんのに、気がねぇってよぉ」
「お主、まだ言うか」
電話が終わった後、聞き耳を立てていた男を睨みつければ不満そうな顔をして去っていった。
(これはこの前の礼だと本人が言っておったのだ。余計な事は考えるな)
そう自分に言い聞かせて、彼女の隣に並び歩く。
「今日行く場所はお魚が美味しいと有名でして、気に入ってもらえるといいんですが」
「そうか」
会話がうまく続かない。それもそうだ、話せる事がないのだから。自分は忍で基本的に情報を外部に出す事ができないし、戦いばかりの日々で面白い話も持ち合わせてはいない。
(あの二人ならこういう時、上手くやるのだろうな)
出発直前まで、おせっかいだった二人を思い出した。そんな事を考えていると、急に彼女の歩みが遅くなる。
「…どうした?」
「あ、いえ。その…」
彼女の視線を追えば、地面がアスファルトから洒落た煉瓦張りとなっている事に気づいた。凹凸が激しく、杖を使う彼女には歩きにくかったらしい。
「気が付かずすまなかった」
「え、そんな!足の悪い私のせいですので…ひゃっ!」
このまま歩き難い場所を歩かせるのも悪いと、彼女を抱きかかえた。
「に、ニンジャさん!あの…!」
「口を閉じておれ、舌を噛むぞ」
「え」
俺は彼女を抱えたまま、地面を蹴り飛び上がった。そのまま、次へ次へと建物の上を走り飛び移る。そして目的地に到着し店の前へと飛び降りると、放心状態の彼女をゆっくりと降ろした。
「着いたぞ」
「は、はい…」
少し震えている彼女を先頭に、店の中へと入った。
「さっきは驚きました。やっぱり超人ってすごいですね」
運ばれてきた料理に舌鼓をうちながら、彼女の言葉に相槌を返すだけ。会話は全て彼女からであり、はたして楽しいのだろうか。そう思っても、こちらには何の話題もないためどうしようもできない。
「…ごめんなさい…私ばっかり話してしまって」
ついには、謝らせてしまう始末。これを知られたらあの二人にとやかく言われるのが目に見えた。
「いや、こちらこそ申し訳ない。立場上、あまり身の上話ができんのだ」
「それはやっぱり、忍だからですか?」
「そうであるな」
顔を上げれば、きらきらと憧れの眼差しが向けられている事に気づく。
「すごいです…本当に忍がいるなんて!」
(お主もそうなる一人だったんだがな)
記憶がなくても、昔も今も変わらず忍に憧れているのかと小さく笑った。
「あの風を起こす術ってどうやってるんです?」
「身の上話もできんと言うのに、教えてもらえると思うか?」
「そ、そうですよね!つい、気になってしまって…」
「まぁ教えてやってもいいが」
「えっ!?」
「冗談よ。教えた所でお主にはできまい」
「ふふ、ニンジャさんも冗談を言われるんですね」
「意外か」
「いつもあの二人と一緒の時は、保護者のようでしたから」
「あれは彼奴らの落ち着きがないからだ」
そう言ってお互い笑い合う。酒が良い感じに効き出したのか、先程までの気を使っている感じがだいぶんと砕けてきた。
「自身の話はしてやれんが、彼奴らのヘマならいくらでも話せるぞ?」
「意地悪な人ですね、怒られますよ?」
「聞きたくないか」
「聞きたいです」
「ならお主も共犯という事だな」
これまでの仕返しという事で一つ二つあの二人の残念な話をしてやれば、楽しそうに笑っていた。
それから二、三時間程度話し込み、思っていたより時間が経っていた事に最初の不安が嘘のようだった。
「家まで送ろう」
そう言って、来た時のように抱えていこうとすれば逃げられてしまう。
「どうした?心配せずとも酔いは覚めておる」
「そう言うわけではなくて…もう少し、お話したいなと…」
「ならぬ」
酒のせいで赤くなった頬をさらに赤く染め、言葉を紡ぐ彼女にぴしゃりと言い放つ。
「夜ももう遅い。お主、明日も仕事があるのだろう。なら早く帰るべきだ」
「…は、はい」
俯いた彼女を抱き上げる。
「…なに、拙者とはいつでも会えよう。しかし、お主はそうはいかぬ。お主を待っている者があそこにはたくさんおるからな」
「…」
顔を上げた彼女の目に憂いがない事を確認すると、地面を蹴り飛び上がる。月明かりに照らされ、建物の屋上に自分達の影が映った。
「…また、会ってもらえますか?」
「…お主が望むなら」
なんと情けない。彼女に決断を押し付けるような狡い言葉を口にしたものだと思った。
彼女の家へと辿り着き、玄関前に彼女を降ろす。
「今日はありがとうございました。たくさんお話しできて良かったです」
「こちらこそ。誘っていただき感謝する。では…」
軽く頭を下げ背を向けると、彼女が俺の左手を掴んだ。驚いて振り返れば顔を真っ赤にして、握った手を見つめていた。
「あの…またお誘いします、ので…」
「…承知した。楽しみにしておる」
「は、はい!」
俺の返事に安心したのか、顔を上げ嬉しそうな笑顔を見せる。
「引き止めてごめんなさい。また、連絡します。おやすみなさい」
握っていた手が離れていく瞬間、引き止めるように指を絡めると彼女がぴくりと肩を震わせた。
「…あぁ、おやすみ」
今度こそ手を離して、地面を蹴り飛び上がる。去り際に一度だけ彼女の姿を確認すれば、ぼんやりとこちらを眺めていた。
(次はもう、お主を手放してやれんぞ…)
木々の中を駆けながら、彼女の手の感覚が残る左手を強く握りしめた。

ここはとある病院、今日も多くの患者が医者の元へと訪れる。
「はい、検査結果は良好です。このままいけば三日後には退院できそうですよ」
「ありがとうございます、先生」
「では、病室に…」
「あの先生、ひとつお願いがありまして」
「はい?」
患者である男は姿勢を正し、目の前の女医に向き合う。
「退院する前に、先生の連絡先を教えて下さい!」
「え…ご、ごめんなさい。勤務中なので、プライベートな事はお答えできません」
「そこをなんとか!先生、お願いしま…」
すると突然、男の身体から力が抜けだらりと椅子にもたれかかった。
「…この不届者は、外にでも捨て置いてやろうか」
どこから現れたのか、いつの間にか青い忍び装束の男が気を失った男性の背後に立っていた。
「患者さんなので、病室に戻していただけるとありがたいのですが…」
「…承知した」
不服そうな顔をして気絶した男をやや乱暴に担ぎ上げると、診察室から出る。病院の廊下を歩けば、看護師達がまたかと言うようにくすくすと笑っていた。
「ニンジャさんがまた男の人担いでる」
「その人何したのー?」
この病院に入院している子供達が、自分に近寄ってくる。
「お主らの先生に迷惑をかけていたので、捕らえたまでよ」
「またかー!」
「ありがとうニンジャさん!」
子供達も慣れたもので、気絶した男を指で突き笑っていた。

男を病室に寝かせ、休憩中の彼女の元へと戻る。
「いつもすみません、ニンジャさん」
俺用にお茶を入れ、差し出す彼女から湯呑みを受け取った。
「あの者は後三日で退院と言ったな。最後にまた食い下がってくるかもしれん。もう状態は良いのだろう、他の者に任せたらどうだ」
「そうはいきません。担当になったからには、最後まで付き添うのが決まりです」
「…」
渋い顔で茶を啜ると、彼女が困った顔で笑った。以前病院で暴れていた患者を大人しくさせて以来、困った患者を医者や看護師の代わりに鎮める手伝いをしている。患者の中には超人もいるので非常に助かっていると、ここの院長に頼まれこのように様子を見に来ている。
「最近はこの手のものばかりだ。お主も何か対策を考えよ」
「と、言われましても…お断りするしか方法がないですよ」
最近は彼女に言い寄る男共を、片っ端から退ける事が多い。医者という立場上、患者に寄り添うのが勤め。己が弱っている時に優しく声をかけられれば、誰でもそのような気持ちになるのはわからなくもない。しかし、あまりにも不快である。彼女が男共に近寄られないようにするにはどうしたらいいか。
「少し待っておれ」
良い案が思いつき持っていた湯呑みを置くと、窓から部屋を飛び出した。

目的の物を手に入れて病院へと戻ってくると、彼女は午後からの診察の準備をしていた。
「どこに行っていたんです?」
「気にするな。それより、左手を貸してくれるか」
「左手ですか?」
彼女は言われた通りに左手を俺の方に差し出した。その手を掴み、持っていた物を彼女の薬指に通す。
「…ニンジャさん、これ…」
「なに、最初から相手がおるとわかれば言い寄ってくる者もおるまい」
彼女は驚いて左の薬指に輝く指輪を見ていた。
「診察の時であれば、着けておっても問題なかろう」
「で、でもこれ…あの、いくらして…」
「気にする必要はない、お主の身の安全を守るためなら安いものよ」
激しく動揺している彼女の肩に手を置き、落ち着かせる。
「しかし気をつけよ。いくら男避けと言っても、本命の相手の前ではするでないぞ。誤解を招く可能性があるからな」
「は、はい…ありがとう、ございます」
彼女の左手の薬指に輝く指輪を見て、俺は満足そうに頷いた。

ある日、ブロッケンJr.の叫び声が響いた。
「やべぇ!大変だ!大変だ!」
「うるっせぇな、何だよ」
「今日たまたま外歩いてたら、先生と会ってよ。そ、そしたら左手の薬指に指輪してたんだ!」
「あぁ?見間違えだろ」
「見間違えじゃねぇって!あ!これ、ニンジャには黙ってた方がいいか?」
「もう遅い。そのように大きな声で叫べば嫌でも耳に届く」
せっかく出かけようとしていたのに、彼女の指輪の話が聞こえ勝手に勘違いして下手な事をされるのは困るとわざわざ立ち寄った。
「お、お前どうすんだよ!先生、結婚してたぞ!!」
「何を取り乱しておる。それは拙者が渡した物だ」
そう答えると二人が顔を見合わせ、バッファローマンとブロッケンJr.が俺を挟んで肩を組んだ。
「なんだよお前!いつの間にそんな所まで進展してたんだよ!」
「心配して損したぜ!式はいつやるんだ?」
「…何を言っておるのだ。拙者は男避けにとあれを渡したのみ…婚姻など結んでおらんし、そもそも恋仲にすらなっておらん」
「「は?」」
またしても二人が顔を見合わせた。
「え、じゃあお前…付き合ってもないのに指輪を渡したのか?」
「そうだが?」
「…これだから日本人ってのはよぉ!控えめなくせにやる事が振り切ってんだよ!プロポーズだろそれ!」
牛が大袈裟に叫び、青二才は理解できていないのかまだ呆けた顔をしていた。
「話は済んだな。拙者は出かけてくる」
そんな二人を放置して、俺は部屋を出た。

後日、いつものように休憩中の彼女の元へと立ち寄る。
「今日は暴れる患者がおらんから良いな。いつもこれだと良いのだが」
「そうですね。あ、でも午後から超人の方の診察が三つほどあります」
「…大人しくしてくれる事を祈ろう」
大きなため息をつくと、困ったように彼女が笑いながらカルテを取り出した。その時、彼女の左手が視界に入り、先日渡したはずの指輪がない事に気づいた。
「お主、指輪はどうした?常日頃から身につけておけと言ったであろう」
ついこの間、ブロッケンJr.が見た時にはあったはずである。返答を待っていると、彼女が頬を染め俯いた。
「…ちゃんと、ニンジャさんに言われた通りにしてますよ?」
「そうか」
それならいいと息をついたが、彼女がそわそわと落ち着きがなくなってしまった。
「いかがした」
「…ニンジャさんって、ちょっと…いやかなり鈍感…」
「何?」
今の会話の流れで、どこにそんな事を言われる事があったのか。頭の中でもう一度、今の会話を繰り返す。そしてそれに気づいた瞬間、今度は自分も落ち着きをなくす。
「…っ、お主それは…」
「ご、誤解を招きたくない相手の前ではつけるなとおっしゃっていたので…」
顔を真っ赤にして俯く彼女との間に、微妙な空気が流れる。その時、誰かが部屋のドアをノックしすぐさま姿を隠した。
「〇〇先生、午後の検診なんですけど…」
「えっ、あ、はい!何でしょう?」
彼女の手伝いをする看護師が、午後からの仕事について相談をしにやってきた。そして打ち合わせが済むと、すぐに部屋から出ていった。
「…あ、ニンジャさんまだ部屋にいますか?」
「いるが」
「あの、そのまま隠れててもらっていいですか?私、一度見つけてみたかったんです」
「…わかった」
突然のかくれんぼが始まり、彼女が部屋の中をウロウロし始めた。
「何かに変身してますか?」
「しておらん。それに、そちらにはおらんぞ」
自分がいる反対側を必死に探し続ける彼女に痺れを切らして、ヒントを与える。
「え、こちらですか?何も変わってないように見えます」
「当たり前だ。簡単に見破られては意味がない」
「そうですよね。ん〜?」
ペタペタと壁に手を触れながら、近づいてくる距離に心臓が騒ぎだす。
「…あ、わかりました!ここですね!」
彼女の手が触れ、身を隠していた物を取り払った。
「…お見事」
「ふふ、本当にすごいですね。これだけ近くに来ないとわからないなんて」
彼女が言った言葉に、ぴくりと肩を震わせた。今なら簡単に手が届く距離に彼女がいる。しかし、自分の身の上を考えれば安易に手を取る事はできない。この先どうなるかわからない自分と一緒になれば、彼女の生活を壊してしまいそうで怖かった。
「…ごめんなさい、迷惑でしたか?」
はっとして顔を上げれば、彼女が悲しそうな顔をしていた。
「いつも助けてもらっているのに困らせてごめんなさい…それでも私、はっきり断られない限りアプローチしてみようって…」
「…すまない…拙者の事は知っておろう。いつどうなるかわからぬ自分と一緒にいては、迷惑がかかるのはお主だ」
「そんな事はわかりません。現に貴方は悪魔超人と呼ばれていましたが、とても優しい方なのをここにいるみんなが知っています」
そう言われると返す言葉がない。
「…やれ、超人相手の医者となるとここまで逞しくなるのか」
「人間も超人も変わりありません。相手にするのはいつも大変です」
困ったように笑う彼女を見て、日頃の様子を思い出し小さく笑った。
「…もう一度聞く。お主の幸せを奪う事になっても、拙者と一緒にいたいか?」
「はい、私は一緒にいたいです。ニンジャさんは悲観的過ぎます。もっと楽しい事を考えましょう?」
そう言って笑う彼女と見つめ合い、少しいたずら心が芽生えた。
「そうか…では楽しい事とは?」
「例えばこうして近くで話せるだけでも、私は楽しいです」
「わからぬな。それだけで十分なのか?」
じりりと距離を詰めると恥ずかしくなったのか、先ほどまで見つめ合っていた彼女の視線が自分から逃げ始める。
「どうした、近い方が嬉しいのではないのか?」
「ニンジャさん、少し意地が悪いです…」
「悪魔超人だと知っているのだろう。この程度、可愛いものよ」
彼女は何か言いたそうにしていたが、勝てないとわかると悔しそうに自分を見た。
「さて、そろそろ診察の時間ではないか?準備をしなければ、患者が待つ事になるぞ」
「大変!本当ですね。急いで準備しないと…」
彼女が慌てて準備を始めるのを見ていると、ふとこちらを振り返った。
「…あの、結局私の告白の答えはどうなったんですか?」
「お主の左手を見てみろ」
「左手?」
首を傾げ左手を見た彼女は、いつの間にかついていた指輪に飛び上がって驚いていた。
「え!?箱の中にしまっておいたのに!?」
「よく見るといい。前に渡したものとは違うはずだ」
「え?…あっ、ほんとだ!」
「それが拙者の答えだ」
以前渡したものより輝きの増えた指輪を見つめ、放心状態の彼女の背に手を添える。
「さ、仕事だ。皆がお主を待っておる」
優しく背中を押して、彼女と共に部屋を出た。
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