アラバスタの守護神に恋をした

ときおり鼻をくすぐるこの香りは何だろうか。甘く深く脳まで届き、内側から身を焦がすような感覚を覚えるそれ。これは一体なんなのか、おれは知りたい。

悪魔の実を食してから匂いに敏感になった。
「ペル、悪魔の実を食べてから変わった事はないか?」
同じ動物系の悪魔の実を食した同僚に聞いてみる。おれがおかしいのか、悪魔の実のせいなのかをまず知りたかった。
「変わった事か…あると言えばあるが…」
「教えてくれ」
すると彼は嫌そうな顔をした。
「…教えてやってもいいが、笑うなよ」
「わかった」
「……餌付けをしたくなる」
彼はしばらく迷った後、ぼそりと言った。
「…ふっ」
「笑うなと言っただろう!」
「いや悪い!あまりにも可愛らしくてな」
真っ赤な顔をして怒る同僚をなだめる。
「いいじゃないか。〇〇は喜ぶだろう」
「そうかもしれないが、調子に乗る」
そう言って大きなため息を吐く彼には、特別な部下兼恋人がいる。
「たまにはいいんじゃないか?」
「……考えておく。で、どうしてこんな事を聞いたんだ」
「いや、それがな…」
彼と比べると厄介な内容に言い淀む。
「人に聞いておいて自分は言わないのか」
「言うとも。気を悪くするなよ」
「今更だな」
「ひどいな。まぁいいか、実はな鼻がよく効くようになったんだ」
彼は一瞬目を見開くと、顎に手を当て何かを思案する。
「…ふむ、それはいい事だな。不審物や侵入者の匂いに気付けるし、ビビ様の匂いを覚えれば居場所もすぐに掴める」
おれは仕事馬鹿な彼に聞いたのは間違いだったと思った。
「…あのな、おれが言いたいのは」
「どの範囲までの匂いならわかるんだ?」
おれはこのオマケの能力に興味を示した同僚の輝いた目を見てため息をついた。

ペルに言われ、この鼻の良さを活かせるように自分なりに努力してみる。おかげで人の香りを嗅ぎ分ける事ができるようになった。しかし欠点があって、女性達のつける香水が混ざると全く効かなくなるのだ。香りが強すぎて、それに全てが支配される。だから今日みたいなパーティーは、鼻の効くおれには地獄みたいだった。
(くっ…食事の匂いに香水の匂いも混ざって頭がおかしくなりそうだ)
カオス状態で今にも倒れ込みたいのを必死に我慢し、笑顔を作り客人と会話をする。やっと客人から解放されて、会場の端に避難した。
(こうなってしまうと国王様やビビ様の位置もあやふやだな…もっとピンポイントに絞れるようにならないと)
練習だと香りに意識を集中させた。すると目の前を派手な衣装の女性達が通る。
「…くっ」
彼女達の色々な香水が混ざった香りを思いっきり嗅いでしまい、思わず眉間を押さえた。失礼な顔を見せないよう慌てて身体の向きを変える。
(しまった、余計に気分が…)
一度退室するかと悩んだが、護衛対象から離れるわけにもいかない。なんとか落ち着かせようとするが、ぐらぐらと視界が揺れる。
「…あ、あの」
すると、すぐ近くから自信なさげな声が聞こえた。
「チャカ様、大丈夫ですか?」
その声に顔を向ければ、この宮殿に勤める給仕係が心配そうな顔をして立っていた。
「水をお持ちしました。よければどうぞ」
「…あぁ、ありがとう」
おれは水の入ったグラスを受け取ると一気に飲み干した。少しだけ気分が落ち着き、あまり香りを嗅がないよう呼吸を抑える。
「顔色があまり良くないように見えます。気分でも悪いですか?」
「…少しな」
「では、窓を少し開けましょう。この時間なら涼しい風も入ってきますので」
彼女は俺の近くにあった窓を開けた。すると心地よい風と共に流れてくる甘い香り。おれは目の前の彼女を見た。
「いかがでしょうか」
おれが知りたくてしかたなかった香りの正体。
「…あぁ、ありがとう。助かった」
おれは恥ずかしそうに微笑む彼女に笑いかけた。

「ご機嫌だな、チャカ」
「あぁ、お前のおかげでこの能力の使い道が広がったんでな」
相変わらず香水の匂いは苦手だが、嗅ぎ分ける事が少しずつできるようになってきた。
(…ん、今日は来客室に人が来ているのか)
ここからは見えない来客室へと顔を向ければペルもその視線を追う。
「今日は国王様のご友人が来られる日だったな。わかるのか、チャカ」
「あぁ、なんとなくだが」
「いい能力だ」
「苦労する事もあるがな」
この前みたいに気分が悪くなったりと思い出していると、ほんの一瞬甘い香りが鼻を抜ける。その香りに意識を集中すれば、反対側の廊下を歩いている彼女を見つけた。
(遠いな、もっと近くで…)
「チャカ、どうした?」
ペルに声をかけられ、慌てて目線を外す。
「いや、なんでもない」
「そうか」
(…危ない。おれは一体何を考えていたんだ)
危険な方向へ進みかけた思考を慌てて振り払い、先に歩き出した彼の後を追いかけた。


ここ最近感じていた香りの正体がわかり、それが訓練中の決まった時間に漂う事もわかった。そしてその居場所も掴めるようになり、おれはその相手に声をかけてみる事にした。
(この時間、彼女はほぼ毎日ここへ来る。そしておれ達の訓練を見て、少し離れた倉庫の裏へと移動する)
この数日、香りの動きを観察して掴んだ行動パターン。彼女は何か目的があってここへ来ている。
(護衛隊の誰かの知り合いか…)
とにかく知りたくて、おれは彼女がいる場所へ向かう。近づけば近づくほど、香りが濃くなり動悸が激しくなる。
(香りのせいなのか、それとも声をかけるのに緊張しているのか…どっちだろうな)
それなりに歳を重ねているというのに、護衛隊に入りたての頃を思い出すような緊張感に苦笑いを浮かべた。さて、なんと声をかけるか。すると彼女が何かを取り出した。
(…ふむ、紅茶か。いい香りだ)
これはいいきっかけになりそうだと、彼女がいた事に気づいていなかったふりをして声をかける。
「…えっ、チャカ様!?」
おれに驚いた彼女の頬が桜色に染まる。
(あぁ、これは…)
思い上がりかもしれないと考えたが、彼女はおれに少なからず好意を持っている。
(これは好都合だ)
彼女がおれを想ってくれているなら近づく事は容易だと。しかし恥ずかしがり屋な彼女はおれを避けようとする。近づきたいはずなのに理解し難い。
(難しいものだな…)
もっと近づきたいのに距離は一向に縮まらない。それにモヤモヤしながらペルのお気に入りのお転婆娘と手合わせをする。今日も彼女が見ているが、視線はおれではなくお転婆娘へ。嫉妬かと期待したが、そうではないらしい。純粋に憧れの視線である事に、こちらが嫉妬の念を燃やす事となった。
「これでは埒が空かないな」
もっと彼女との関係を深めたい、そう思い行動へと移す。配膳から調理へと移ったという情報を手に入れると、そこの管理をしているイガラム隊長の奥様であるテラコッタさんに協力を依頼した。
「確かにあの子はいい子だね。面白そうだから協力してあげようじゃないの」
「ありがとうございます」
まずは接触回数を今以上に増やす事にした。おれに慣れてもらい、彼女の緊張を和らげる。地道に行くしかない、そう思った。


スンと漂う香りに神経を研ぎ澄ませる。客人との会食を終え、ビビ様を部屋へと送り届けた後だった。いつもの時間とは違うのに、彼女の香りがあの場所から漂う事に首を傾げる。不思議に思いその場所へと向かえば、壁にもたれて彼女がぐったりとしていた。
「!?」
何かあったのかと慌てて近寄れば、規則正しい寝息をたて熟睡しているだけだった。
「…よかった。寝ているだけか」
とは言ったものの、外で寝るとは無防備すぎると思った。宮殿内といえど絶対に安全とは言えない、襲われでもしたらどうするのかとため息をついた。おれは羽織りを彼女へかけると隣へ腰掛けた。
(今日は特に忙しかったんだろう…あと十分くらいなら寝かせていても構わないか)
そうして彼女の体温を隣で感じながら、自分も肩の力を抜く。これが続けばいいのにと思いながら懐中時計を確認し、時間になった所で彼女に声をかけた。目を覚ました彼女はひどく動揺し、おれの羽織を持って困っていた。
「気にしなくていい。さ、仕事へ戻るんだ」
そう何度も言うのに、おれの羽織を布団代わりにした事を気にしている。
「なら、今度おれに紅茶をご馳走してくれないか」
「え?そ、それでいいんですか?」
「あぁ」
確実に彼女と会える口実ができたのなら、充分である。おれは不思議そうにしていた彼女の肩に触れ、その背を軽く押してやる。
(守ってやりたくなる子だ…)
離れていく姿を見て、きゅっと胸を締め付けられのだった。


おれは早速仕事の予定を確認したが、朝から晩までびっしりと埋まったスケジュールを見て唸った。
「む…これは困った」
全く空き時間のない事にどうしようかと考え込む。
「なにを悩んでいるんだ?」
声のする方を向けばペルが不思議そうにおれを見ており、そこで閃いた。
「ペルか。丁度良かった、お前に頼みたい事があってな」
「頼みたい事?」
「この日のビビ様の護衛を変わってもらえないか?三十分、いや十五分だけでもいい」
「それは構わないが…何かあるのか?」
「あぁ、詳しくは言えないが大切な約束があってな」
理由をはっきりと言わないおれに不満気な彼だったが、一応引き受けてくれ一安心する。
「そう言えば、雛鳥にあの事を聞いたのか?」
『雛鳥』というのはペルの部隊にいる例の彼女の事。小柄な身体でペルの後ろをちょこちょことついていく様を見て、おれが勝手に呼ぶようにした。
「あぁ、聞いた」
「あれはなんと答えた?」
おれ達は国に命を捧げた身。どんな事があろうとも国を優先する自分達を周りはどう見るか、その疑問を聞いてみたかった。好きな相手が自分よりも大切なものがある場合、その事を理解してくれるのかはとても大事な事だと思ったからだ。
「彼女も護衛隊の一人だからな。国を守る事が優先だと答えた」
「…そうか」
「だが『国を取った』ではなく『国ごと守ってくれた』と」
ペルは嬉しそうに答えた。
「なるほど、あの子らしい答えだ」
雛鳥の無邪気な笑顔が脳裏に浮かんだ。彼が大切にしたいと思う気持ちがなんとなく理解できる。
なら護衛隊ではない彼女はなんと答えるだろうかと、ペルが変わってくれた時間に彼女とのお茶の時間に聞いてみる事にした。
「例えばの話だが、君に護衛隊の中に好きな相手がいたとしよう」
「ええっ!?」
彼女は驚いた声を出すと顔を真っ赤にする。
「例えばの話だ。それとも該当する相手が?」
彼女の気持ちをわかっているのにわざとそんな事を聞く。性格が悪いなと自分でも思った。
「え!いや、その!チャカ様がそんな事を聞くとは思っていなくて…」
誤魔化そうとする彼女が可愛くてつい意地の悪い事をしたくなるが、本題はそこじゃない。
「ははは!冗談だ。さて本題だが…君がその相手が結ばれ、幸せな生活を送っていたとしよう。ある日国に危機が訪れ、彼は君を残して亡くなってしまった時…君はどう思う」
彼女は俯き指を擦り合わせ、眉間に皺を寄せる。こちらに失礼のないように悩んでいるのだろう。
「この問いに正解はない。君が思うように答えてくれ」
「…その、彼の役目を考えれば国のためにその行動は間違いではないと思います」
「ふむ」
「でも…彼が帰ってこないなら悲しいし、引き止めれば良かったと後悔しそうです。きっと私はいつまでも帰りを待つと思います」
少し潤んだ瞳を見て、ぎゅっと心臓が締め付けられるような感覚を覚えた。
「…そうか。答えてくれてありがとう。例え話なのに辛い思いをさせてすまなかったな」
彼女が考え答えた時その相手がおれであれば嬉しいと思った反面、決して死んではならないなと強く思った。
「これは心配だな。君を一人残すような事はしたくない」
おれは紅茶を飲み干し、立ち上がる。
「日々鍛錬だな。強くあれば国も大切な者も守る事ができる」
「チャカ様なら、きっと皆を守れます」
「君がそう信じてくれるなら、そうなってみせよう」
その答えに迷いはない。おれは真っ直ぐに彼女の目を見てそう答えた。


少しばかり重たい頭を押さえて宮殿内を歩く。夜勤明けから朝の会議終え、午後の会議まで部屋に戻って仮眠をとるほど時間はなく、眠気覚ましにと散歩をしていた。
「…会議が終わったら執務室で少し寝るか」
椅子の上で寝ると首が痛くなるので控えたいが、さっと寝るにはそれが一番手っ取り早い。ふらふらと歩いていると、すんと甘い香りがした。
「…彼女か」
その香りに誘われるようにして進めば、大きな荷物を持ちぶつぶつと何か悩んでいるような彼女を見つけた。
「困り事か?」
「ひっ!?チャカ様…」
驚き頬を染める彼女に笑いかける。それだけで少し癒された。
「私の事より…チャカ様、目の下にクマが…」
いつも通り振る舞っているはずなのに、よく見ているなと思った。部屋に戻り寝る事を勧められたが、せっかく彼女に会えたのだからもう少しそばにいたい。そう思い、彼女が持っていた荷物を奪い取った。
「チャカ様!?」
驚いた彼女を置いて歩き出す。荷物を取り返そうと遠慮気味におれに触れる。
(小さな手だ。よくこんな大きな荷物を持っていたな)
そんな事を呑気に考えながら調理室まで歩く。
「開けてくれないか」
「チャカ様に手伝わせたなんて、テラコッタ様になんて言われるか」
「大丈夫だ。君が怒られる事はない」
あの人はおれが好んでやっている事だとわかっている。苦言を言われるならおれの方だ。
「チャカ、うちの子の仕事を取らないでちょうだい」
「ほらな」
おれは荷物を置いて笑った。その後はテラコッタさんのフォローのおかげで、彼女が準備してくれた寝床で仮眠をとる事ができた。目が覚め、調理室へと顔を覗かせる。いたのはテラコッタさんだけだった。
「おはようございます」
「おはよう。もう夜だけどね」
「彼女は?」
「何時だと思ってんだい。帰らせたよ」
「そうですか」
もし残ってくれていたなら家まで送ろうと思っていたのにと、肩を落とした。
「なんだい。寝起きにあたしの顔を見るのがそんなに嫌かい?」
「いえ。そんな事は…」
「だったらこれ持って、早く夜の護衛へ行きな」
そう言ってテラコッタさんがボトルと弁当箱をおれに押し付けた。
「ありがとうございます。申し訳ありません、夜食まで用意していただいて」
「それはあたしが用意したんじゃないよ。お礼ならあの子にいいな」
おれは思わず受け取った物を見た。おれのために彼女が作ってくれたのだと思うと頬が緩む。
「副官様がそんな腑抜けた顔で仕事してると部下が変に思うからやめな」
「…!?失礼しました。気をつけます」
おれは頭を下げると早足に調理室を後にした。
彼女からの差し入れを楽しみに、仕事に集中する。何事もなく休憩時間を迎え早速包に手を伸ばして広げれば、さすが調理担当といえる品々が入っていた。そしてボトルを開ければ良い香りが漂う。
「彼女を…迎えたいな」
こぼれた言葉は誰にも拾われる事はない。
「明日、朝一で彼女の元へ行こう。これのお礼とおれの気持ちを伝えたい」
早く彼女に会いたい、そんな気持ちで東の空を見つめるのだった。


仕事を終えると、すぐさま調理室へと向かう。まだ朝早い時間だったので調理室には誰もおらず、椅子に腰掛けた。
(一番に来るとしたらテラコッタさんだろうな。理由を説明して少し時間をもらおう)
まだ少し時間があるので軽く寝ようと目を閉じた。するとあの香りが鼻をくすぐり、すぐさま立ち上がる。
(まさか…彼女か?)
おれは鼻に神経を集中させ彼女だと確認すると身だしなみを整えた。
「おはようございます」
「おはよう。早いな」
彼女はおれを見ると驚いて部屋の外へと出てしまう。
「そんなに驚かなくても…少し悲しいぞ」
「ご、ごめんなさい。失礼しました…」
そろりと入ってきた彼女を見て微笑めば、頬を染めて俯く。
「あの、どうされましたか?」
「昨日のお礼を言いたくてな。夜食を用意してくれたんだろう、ありがとう。美味しかった」
「よ、喜んでいただけてよかったです」
「紅茶も美味しかった。今度の会議の時に出したいんだが、どうだろう」
「えっ!?そ、それはおやめになった方が!」
「何も問題ないと思うが」
「チャカ、その子の仕事の邪魔をしてないで帰って寝たらどうだい」
慌てる彼女を見て笑っていると、テラコッタさんが大きな鍋を抱え調理室へ入ってくる。
「そうしたいのは山々ですが、この後会議がありまして」
「またかい?過労で倒れるよ」
そんな話をしていれば、先程まで困った顔をしていた彼女が不安そうな表情へと変わる。彼女がテラコッタさんを説得し、前回使わせてもらった休憩室で休む事になった。悪いなと思いながらも、甘えたい欲が勝ってしまう。
「すまない、わがままを言ってしまって」
「そんな…私達が平和に過ごせているのはチャカ様達のおかげですので、少しでも休んでほしくて…」
照れて俯く彼女へ伸ばしそうになる手に力を込めてその場に留める。
(いくら好意を持たれているからといって、突然触れるのはいけないだろう)
なんとか我慢し寝床に転がればすぐに睡魔に襲われ意識を手放した。


「チャカ様、起きてくださいチャカ様」
「う…」
ぼんやりとした視界に彼女の顔が入り少しだけ驚く。
(そうか、ここで仮眠を取っていたんだった)
状況を思い出し安心したのか大きな欠伸が自然と出る。彼女がそんなおれを凝視した。格好が悪かっただろうかと思ったが、惚けるような表情に思い違いとわかった。そして彼女に身支度を整えるのを手伝ってもらい、彼女の手料理を食べ、彼女と共に食器を片付ける。まさに夫婦の姿と言っても過言ではない。事情を知っている調理室の人達は気を利かせて外へと出ていってくれた。告白するなら今だと思った。
「おれの妻になってくれないか」
順序を飛ばした告白だとは思ったが、そうなりたいと強く思うが故の言葉だった。案の定、彼女は困り理由を聞いてきた。
「君の香りだな」
正直に答えたのだが良くなかった。彼女はさらに困り顔をして話が進まない。結局時間切れとなり、曖昧な形で別れることとなる。
「むぅ…掴みは良かったと思ったんだが」
仕方なくテラコッタさんの助言通りにイガラムさんへアドバイスをもらう事にした。ついでにペルにも。
「なにを真剣に悩んでいるかと思えば…」
「そうは言うがお前も大概だったぞ」
呆れ顔でおれを見るペルにそう言い返せば顔を赤くしてそっぽを向いた。
「…まぁ一応話を聞こう。何と告白したんだ?」
「君の香りが好きだから妻になって欲しいと」
すると二人がゲンナリとした顔をしたので、おれは首を傾げた。
「それはなんというか曖昧な…」
「引かれてないか、それ」
「なんと…!」
二人にそう言われショックで俯いてしまう。いい香りだからそう言ったのに、喜ばれないとは思わなかった。
「嫌われてしまったでしょうか…」
「まぁ相手次第だな。しっかり誠意を見せれば問題ないだろう。元々相手もお前に気があるのだろう?」
「はい」
「随分な自信だな…」
「花束でも用意して、はっきり好きだと伝えれば問題ない」
「それでいいのですか?」
「あぁ、下手な事をして失敗するより正当なものが一番だとも」
二人に礼を言うと、早速花束を用意した。そして彼女の香りを探り、いつもの場所へと向かった。
「お疲れ様だな、隣に座ってもいいだろうか」
「ど、どうぞ…」
おれがここへ来る事をわかっていたのか、いつものように驚かなかった。おれは彼女の隣に腰掛ける。
「あの…チャカ様はなぜ私がここにいるとわかったんですか?」
「ん?あぁ、おれは鼻が効いてな。君の香りを追って…」
そこで先ほどの彼らとのやりとりを思い出す。
「いや、今のはなかった事にしてくれ。イガラムさんやペルに気持ち悪がられると言われたばかりだった」
しまったと眉間を押さえた。彼女に引かれてしまえば、告白どころではないというのに。
「…私の匂いって、そんなに良いんですか?」
おれは驚いて彼女を見た。恥ずかしがってはいるものの、嫌がってはいない。
「…あぁ、心が落ち着く。香水などの作られた香りではなく、君の自然な香りにな」
彼女にはわからないようで、おれは苦笑いを浮かべた。そして隠していた花束に手をかける。
「こんな話の後であれなんだが、朝のリベンジをさせてもらえないだろうか」
彼女が驚いて肩を震わせたのを見て笑う。
「君が好きだ」
そう言って花束を差し出す。言葉はシンプルに下手な事はしない、そう教わった。彼女は花束をじっと見つめて、手を出したり引いたりと迷っていた。
(やはりこうなるか…)
ペルが『お前の想う相手がどこの誰なのか知らないが、立場が違うという事を理解しておいた方がいい。どうやらおれ達はかなり神格化されているらしいからな』と言っていた。守護神と言われる事もあるがただの人間。悪魔の実の力で他より突出した能力があるのみ。護衛隊の副官といえど同じ人なのに理解し難い。言いたい事はたくさんあったが、おれは辛抱強く待った。そしてやっと彼女の指先が花束に触れ、おれはすぐさま彼女を抱き寄せた。ずっと触れたかったものが手の中にあるという感覚に安堵の溜息を漏らす。
「これで堂々と君に触れられる…」
すんと鼻で空気を吸えば甘い香りが広がり、今ジャッカルの姿であれば尻尾は激しく揺れていただろう。
「君も好きにしてくれ。おれ達は恋人なんだからな」
そっと頬に触れる。もっと早くこうしていればよかったと思わずにはいられない。ご機嫌に彼女に触れていれば、腕の中で彼女が慌ててもぞもぞ動いた。
「あ、あの!チャカ様、お願いがありまして」
「ん?あぁ、君の頼みならなんでも聞こう」
欲しい物かそれとも行きたい場所でもあるのか、なかなか時間は取るのは難しいだろうがなんとかしてみせよう。おれは上機嫌に彼女の言葉を待つ。
「そ、その…言いにくいのですが、私達が恋人である事は他の方には内緒にしておきたいのですが…」
その時雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。
「…り、理由を聞かせて欲しい」
なんとか声を絞り出し彼女を見た。想いが通じ合い恋人になれたというのに、どうして隠さなければならないのか。
「チャカ様は名のあるお方ですので、私みたいな使用人が恋人なんて噂が流れたらなんと言われるか…」
「そんな事は…いや君が不安に思うならそうなのだろう。しかしこれからを考えればいつまでも黙っておく事はできないのでは?」
「その時はここの使用人を辞めます。そうすれば、そこまで言う人はいないですから」
彼女が先の事まで考えてくれている事は嬉しかったがあまりにも極端すぎる。しかしいい考えも思いつかなかったので、ひとまず彼女の言う通りにしようと思った。
「わかった、そのようにしよう」
ほっとする彼女を見て、おれは早急に対策を考えようと思ったのだった。


「とっとと結婚しな、結婚!」
「…は」
ひとまず彼女の上司であるテラコッタさんに話を伺えば、そう言われてしまい思考が停止する。
「と言われましても彼女とはまだ恋仲になったばかりで…」
「いい子だよ。細かい所に目はいくし、ここの給仕係やってんだから家事は問題ないさ」
「それは存じております。彼女はとても良い妻になるでしょう」
「ならいいじゃないかい」
「ですが…」
「しっかりしな。あの子が周りの目を気にしてそう言ったんなら、そうならないようにすればいいだけさ。早くしないとあの子が気にしすぎて離れちまうよ?」
「…!それは困ります」
「ならとっととやれる事をやりな」
「はい、ありがとうございます」
おれはテラコッタさんに頭を下げてその場を後にする。そしてわずかな休憩時間を使って彼女を迎えるための準備をする事にした。
「君にこれを」
「これは…?」
彼女に一枚の紙を渡す。有名な料理店の招待状でおれの知り合いが店主をしている。
「家族で行くといい。とても美味しくてな、おれのお気に入りなんだ」
「そんなチャカ様が行くような場所に…」
「そんなに気負う場所じゃないから安心してくれ。きっとご家族も喜ぶ。行く前は予約をしてからがいいぞ」
そう言ったのは、自分もその場に居合わせるため。家族同士の顔合わせを偶然を装いやってしまおうと考えた。強引だとは思ったが、これも彼女を安心して迎えるため。幸いうちの家族も協力的ですんなり了承してくれた。店の店主から彼女が予約した時間を聞き、それに合わせておれ達は家族が向かう。
「△△じゃないか、奇遇だな」
「チャカ様!?」
彼女に声をかければいつもは結っている髪がほどかれており、ふんわりと広がって甘い香りがいつもより強く香った。
「どなた?」
「おれの恋人です」
彼女の家族はそれを聞くと、座っていた椅子から転げ落ちる。うちの家族は知っていたのでにこにこと笑うのみ。
「丁度いい、挨拶も兼ねて一緒に食事をしましょうか」
戸惑う彼女一家をいい具合に丸め込み、両家顔合わせを始める。最初は戸惑っていた彼女のご両親も我が家のフレンドリーさに次第と打ち解けてきた。
「護衛隊の副官様がうちの娘と恋人なんて」
「おれの一目惚れです。初めて見た時、まるで雷に撃たれたかのようでした」
おれは包み隠さず全てを伝えた、ここで次へと駒を進めるために。
「チャカ様なら安心です」
「これからもうちの娘をお願いします」
「はい、大切にさせていただきます」
そしてご両親の了承を得る事ができ外堀は埋めた。
次に一枚の誓約書を持ち、国王様のいる部屋へと向かう。
「国王様、チャカです。数分ほどお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「どうしたチャカ。急用か?」
おれは国王様の前に一枚の紙を差し出す。
「この度ある女性と婚約を結びたく、こちらに国王様のサインをいただきたいのです」
国王様は紙を取ると首を傾げた。
「チャカよ。相手の方は何も書かれてないぞ」
「はい。彼女にはまだ書いてもらってはいませんが、後日必ず」
「なにを焦っている。お前なら引くて数多だろうに」
「私には一人しか見えておりませんので」
「随分と一途だな」
国王様は苦笑いを浮かべると、書類にサインをしてくれた。
「くれぐれも強引に迫るでないぞ。余裕のない男は格好が悪く見えるからな」
「は、ご助言感謝します」
おれは国王様に礼をして部屋を出る。書類に不備がない事を確認するとほっと一息ついた。
「次は住まいか」
護衛隊の副官ともなると、もしもの時にすぐ駆けつけられるよう宮殿の近くに住む場所があてられている。
「部屋の広さは申し分ない…子供が産まれても一人二人なら余裕だな。とりあえず生活用品くらいを…」
おれは宮殿の侍女に必要な物をあらかた聞いて用意してもらうよう頼んだ。
「よし、これで準備はいいだろう」
後は彼女に婚姻を申し込むだけとなった。


賑やかな会場、豪華な食事。今日は国王様の誕生日の式典。様々な匂いが充満する場所は苦手であったが、最近克服しつつある。
(今日は特に大忙しだろうな)
大量の料理が並んでいるのを見て、今頃調理室で忙しく仕事をしているだろう彼女の姿を思い浮かべた。
(さすがにもう外で寝る事はしないだろう)
あの時は本当に肝が冷えたと思い出していると、なぜか彼女の香りがする。思い過ぎて香りまで思い出すようになったかと自嘲すれば、少し離れた場所で配膳をしている彼女の姿を見つけた。
(調理担当の彼女がなぜ?)
何かあったのかと不安になり、近くにいた兵士を呼び様子を見に行かせた。
「どうやら給仕係が足りないらしく、手伝いをされているようです」
「そうか、わかった。ありがとう」
兵士にお礼を言うと、新たに料理を持ってきた彼女を見つめた。
(おれも自分の仕事をしなければな)
後で労いの言葉でもかけようと、自分の役目を果たす事にした。そうして時折彼女の香りを確認しながら自身も客人の相手をしていると、彼女の香りがその場に止まる。ちらりと視線を向ければ、なにやら男性達に囲まれていた。何を話しているのかと耳に意識を集中する。嗅覚と同様、聴覚もよくなり少し離れた場所の会話も聞こえ非常に役立っている。なんだか盗み聞きをしているようで気が引けたが、彼女の不安そうな顔は見過ごせなかった。
「俺達と少し話さない?」
「すみません、仕事中ですので…」
さすが仕事熱心な彼女だと感心する。これで男達が下がってくれればと思っていたが、なかなかしつこく離れてはくれない。
「他の子達に比べたら少し色気がないけど、相手してあげるよ」
挙げ句の果てにはそんな失礼な言葉を彼女に浴びせる始末。
「少し離れる」
「あぁ」
近くにいたペルにそう告げると、テーブルにあった酒瓶を持って彼女の元へと向かう。祝いの席でトラブルを起こすわけにはいかないため、必死に笑顔を作り殺気を抑えた。言い寄ってきた男に酒を注ごうとしていた彼女を制止する。
「私が注ぐ酒でよければどうぞ」
返事も聞かずに、男のグラスに赤いワインを注いだ。
「この度はわざわざ国王様のために足を運んでいただきありがとうございます」
「ど、どうも…」
「国王様もお喜びです」
注ぎ終わった酒瓶をゆっくりとテーブルに置いた。
「ですが、残念だ。国王様の知り合いに私の妻の仕事を邪魔し、失礼な言葉を吐くような奴らがいるとは…」
腰元につけていた剣に手をかける。
「…どうする。帰り際に斬られる覚悟でこの場に残り続けるか、おれが動けないうちに帰るか」
少し睨みつければ男達は顔を真っ青にしていた。
「本当ならこの場で斬り捨ててやりたいが、国王様の手前だ。選ばせてやる」
何も言えずふらつきながら部屋を出ていく男達を見送る。後で名前を確認して次からは出入り禁止にしようと思った。
「ふぅ、ダメだな。せっかくの祝いの席だというのに…まだまだ修行が足りないようだ」
振り返れば困惑した表情の彼女がおれを見ていた。
「すまない、怖がらせたか…ついカッとなってしまって…それに勝手に妻だと言ってしまって申し訳ない。口が勝手にな」
「いえ、あの…助かりました。ありがとうございます…」
また余計な事を言ってしまっただろうかと、少しだけ不安になった。今の彼女の表情からは混乱しているとしかわからなかった。
「さ、仕事の途中なんだろう。テラコッタさんに怒られないうちに」
「そ、そうでした!チャカ様ありがとうございます」
「あぁ」
そう言って慌てて離れていく彼女の背中を見送った。


「チャカ、さっきはどこへ行っていた」
祝宴が終わり国王様を部屋へと送る途中、そう問いかけられる。
「少しいざこざがありまして、それを止めに。国王様から離れてしまい申し訳ありません」
「別に咎めてはおらん。お前の好みはああいう子なのだと思ってな」
楽しそうに笑う国王様に何も言えず困っていると、騒がしい足音が近づいてくる。
「チャカ!いい所にいたね!」
「テラコッタさん?」
音の方へ顔を向ければ、テラコッタさんと彼女に耳を引っ張られているイガラムさんがこちらへと近づいてきた。
「ほら国王様ならうちの旦那が見とくから、あの子を追いかけて家まで送ってあげな」
「え?」
「話は聞いたよ。あの子、変な男どもに絡まれたらしいじゃないか。もしかするとまだ近くにいるかもしれないから、危ないと思ってね」
「ぐっ…しかしだな、チャカは護衛隊で…」
「馬鹿だねアンタは!国民一人守れない人間が、国王様を守れるかって話だよ!」
「いだだだだ!!」
「チャカ、行きなさい」
「しかし…」
「はは!早くしないとイガラムの耳がもげるぞ」
「なに呑気に笑っとんだ国王!ええい、チャカ行ってかまわん!本当に耳が取れる!」
「…っ!ありがとうございます!」
国王様とイガラムさんに深く頭を下げると、すぐさまジャッカルへと変身し宮殿を飛び出した。テラコッタさんの口ぶりだと宮殿を出てそこまで時間は経っていないはず。そう思い鼻を効かせれば彼女の香りを見つけた。そしてテラコッタさんの言っていた通り、今日の男達もその近くにいる事がわかった。
(女の勘というやつか…さすがだな)
そんな事を考えながら移動速度を上げる。何事もないようにと祈っていたが、そう上手くはいかなかった。風を切る音の中で彼女の苦しそうな声を拾い、耳に神経を集中させる。
「やめろって、副官の女だろ?そいつ」
「そんな訳ないだろ、ただのメイドだぜ?こんなの選ぶか?俺達をビビらせようと言っただけだって!」
低い音が喉の奥から響き、毛が逆立つのがわかった。
「あぁ悪い『こんなの』って言ったけど、俺達は別に気にしないからさ」
彼女の腕を掴んでいた男の頭を掴み、人がいない方向に投げ捨てる。わずかに理性が残っていてくれて助かった、危うく握り潰すところだった。
「テラコッタさんの言う通りだな。追いかけてきて正解だった」
大きく深呼吸をして呼吸を整えると、驚いて固まっている彼女に笑いかけ優しく抱き上げた。そして男達に向き直る。
「…お前達の匂い、覚えたからな」
そう冷たく言い放ち、建物の上を軽快に飛び移っていく。すると放心状態だった彼女が腕の中で暴れ始めた。
「離して、離して下さい!」
「ん?高い場所は苦手だったか」
高所恐怖症だろうかと立ち止まれば彼女はおれの事を怯えた目で見つめており、そこでやっと気がつく。
「おっと、おれの変身した姿は見た事がなかったのか…すまない、怖かったな。おれだ」
「チャカ様…?」
「あれが悪魔の実の能力だ。驚いただろう」
変身を解き人の姿へと戻れば彼女の瞳から雫が零れ落ち、やってしまったと身体をこわばらせた。
「ほ、本当にすまない!怖がらせるつもりはなかったんだ、どうか泣き止んでくれ」
「ごめんなさい…チャカ様のせいじゃ…」
「しかし今日は大変だったな、無理にでも家まで送るべきだった…」
優しく抱きしめて背中をさすれば、落ち着いてくれたのか泣き止んでくれた。心臓に悪いと今度からは気をつけようと思った。
「ごめんなさい。私のわがままでチャカ様に迷惑をかけてしまって…」
「迷惑だと思った事はない。君を守るためだ」
「でも…」
無言の時間が続く。彼女は俯いて何かを考えているようだった。
「やっぱり私では…」
おれはその先の言葉を言わせないように、強引に口付けた。
「他人の言葉に惑わされる事はない。おれにとって君はとても魅力的だ。だからいつも心配で君を見守っている…不思議だな。今までは君がおれを探していたのに、今はおれが君を探している…それに、興味のない相手に時間を割くほど暇じゃない事は知っているだろう?それが答えだ」
惚けている彼女の頬を撫でる。またさっきの続きを言おうものなら何度でも塞いでしまおうと思っていたが、その心配はなさそうだ。
「さぁ、家まで送ろう。おれの能力の凄さを君に見せたい」
姿を変え、建物の上を駆け抜けていく。
「すまない、少しだけ寄り道だ」
そう言って、見晴らしのいい場所へと駆け上がる。
「見てくれ、いい景色だろう」
柔らかな光を放つ夜景を二人で見つめる。
「少し前までは見られなかったものだ…大変な事もあったが、取り戻す事ができて嬉しく思う」
少し前の出来事を思い出す。あの時は本当に辛く苦しい日々だった。
「チャカ様…」
「いつまたこれが失われるかはわからない。だからかな、この平穏な日々を一日でも無駄にしたくないと思っている」
人の姿へと戻り、彼女を見た。
「おれの元へ来てくれないか…まだ早いと思うだろうが重々承知だ。だがおれは今この時を、君と共に過ごしたい」
「本当に私で…?」
「あぁ、君以外いないとも」
何も不安に思う事などない。おれ達の事を祝福してくれる人達がたくさんいるのだから。
「わ、私…一生懸命チャカ様に仕えます!」
「はは、おれは使用人が欲しい訳ではないんだが」
「え、えっと…つ、妻としてあなたを支えます…」
「それが聞きたかった」
彼女を抱き寄せられ、今度は優しく口付ける。
「早速明日籍を入れよう。もう国王様には許可を取ってある。君の部屋も用意しているんだ」
「…え?」
「そうだ、式はいつにする?テラコッタさんに頼んで君の衣装を見繕ってもらおう。きっと似合うものを選んでくれるはずだ」
「チャカ様、そんな急では…」
「そんな事はない、おれはいつでも君を迎えられるように準備をしていたんだ。明日からは宮殿で共に過ごそう」
これからの事を話しているとあっという間に家へと到着し、放心状態の彼女を降ろした。
「すまないな。どうやら今日の事で我慢の限界を超えたみたいだ。周りの言葉は気にしなくていい。もし失礼な言葉をあびせる者がいたら言ってくれ。おれが処置をする」
とりあえずさっきの男達は適正な処置をしようと思った。
「じゃあ、おやすみ」
最後にそっと額に口付け、理性が保てるうちに彼女から離れた。あのまま近くにいれば宮殿まで連れて帰ってしまいそうだった。
(焦らなくても明日から…)
年甲斐もなく浮かれているのか、身体がやけに軽く感じたのだった。


次の日の朝。おれは夜勤明けでそのまま彼女の家へと向かう。
「おはよう。おれだ。開けてくれないか?」
「チャカ様!?待って下さい!私、今起きたばかりで…!」
扉の向こうで慌てる彼女に頬が緩む。少ししてゆっくりと彼女が扉から顔を覗かせた。宮殿ではきっちりと整えられている髪が、寝癖のせいで所々無造作にはねている。許された者だけが見る事のできる姿にさらに頬が緩んだ。
おれは持ってきた婚約届を彼女に渡し、書いてもらう間に部屋の中を探検する。そして彼女のベッドが視界に入ると、吸い寄せられるようにして倒れ込んだ。
「チャカ様!?大丈夫ですか!?」
「…くっ、これはいけない」
大きく息を吸い込み吐き出す。
「君の香りがたっぷり染み込んだ寝具…新しく用意しているが、これを手放すのは惜しい…おれが貰ってもいいだろうか?」
「いい訳ないでしょう!起きて下さい!」
「これがあればすぐ眠れそうなんだが、それでもダメか」
「ダメ!」
「はぁ…残念だ」
なら今のうちに堪能しておこうと、すりすりと頬を擦り寄せた。
(また引かれるぞと言われるだろうか…だがおれは本気でそう思っているのだが…)
そんな事をぼんやりと考えているうちに、意識が少しずつ遠くなっていった。
「チャカ様?」
自分を呼ぶ声に目を覚ます。どうやらいつの間にか寝てしまっていたらしい。ぼんやりと視界に彼女が写り、無意識に手を伸ばし腕の中に閉じ込めた。
「すまない、少しだけこうさせてくれ」
首筋に顔を埋め、すんと鼻を鳴らす。
「…ん、やはり本体の方が香りが濃いな」
「何嗅いでるんですか!離れて下さい!」
「しまった…言うんじゃなかったな」
少し前まで顔を赤くして戸惑っていた彼女にが、おれを強引に玄関へと押し出した。
「今度勝手に匂いを嗅いだら、香りの強い香水をつけますからね」
「それは勘弁してくれないか。あれは強すぎて鼻をやられるんだ…」
「じゃあやめてください」
「……わかった」
姿を変え彼女を抱き抱えると宮殿へと向かう。
「やれやれ、おれが尻に敷かれる身になるとは」
自身の上司の顔が思い浮かび、苦笑いを浮かべる。
「…だが、何故だろうな。不思議と嫌じゃない。君だからかな」
「そんな事言っても許可しませんよ」
「はは!バレたか、いや今のは本心で言ったんだ。あわよくばと思ったまで」
「……これから一緒なんですから、焦らなくたっていいじゃないですか」
おれは驚いて彼女の顔を見る。しかし手で顔を隠しているため、表情はよく見えなかった。
「…あぁ、そうだな。これからはずっと一緒だ。共にこの国で平和な時を過ごそう」
顔を覆っていた手を剥がし、優しく微笑んだ。
「チャカ様…」
「……朝からおめでたいな、チャカ」
「ペルちょうどいい所に。以前言っていたおれの妻だ」
そうは言ったが、彼を見つけたので紹介しておこうとわざわざ立ち寄ったのだ。
「仲が良くていい事だな」
「だろう?」
「話を聞いて下さい!」
腕の中で暴れていた彼女を降ろしてやると、ペルが彼女に優しく微笑んだ。
「どうか顔をあげて下さい。大体の展開は予想できていますので…あなたも大変な人に好かれたものだ」
「お恥ずかしいところを…」
「いえいえ。もし困った事があれば、私に聞いて下さい。彼とは長い付き合いですので」
「ありがとうございます」
なぜだかのけ者にされたように感じ、ペルを睨む。
「どうしたチャカ」
「それは仕返しか?」
「何の事かわからないな」
にこにこと作り笑いを浮かべる彼にさらに苛立ちが募る。そうして睨み合っていると、バタバタと足音が近づいてきた。
「ペル様ーっ!朝の手合わせしましょうよー!…って、喧嘩してるんですか?」
現れたのは雛鳥だった。
「喧嘩ではない。チャカの奥方様に、彼で困った事があれば聞いて欲しいと伝えただけだ」
「必要ない」
「えっ!チャカ様もう結婚したんですか!?この前、話聞いたばっかりなのに!?」
「お前いつの間に…いつだ。いつ会ったんだ」
ペルから笑顔が消え、嫉妬の宿った目で雛鳥に詰め寄る。
「ペル様、もしかして嫉妬深いって言われたの根にもってたんですか?」
「違う」
図星を突かれたのか、なんとも言えない表情をした。
「それより手合わせしましょう、ペル様!」
納得のいかない顔をしながら雛鳥に手を引かれてペルが離れていくが、曲がり角の直前でこちらを向いた。
「よかったな、チャカ」
「…あぁ、ありがとう。最初からそれだけで良かったんだがな」
「お前には散々揶揄われたからな、仕返しの一つくらいしたくなるだろう」
今までの事を思い出し、少し反省する。
「…悪かった」
ペルはその返事に満足そうな顔をしてその姿を消した。
「…おれも嫉妬深い方だったんだな。気をつけてくれ、おれを嫉妬させると多分面倒だぞ」
「自分で言うんですか…」
「あぁ、最初に言っておく」
そうでなければここまでするものかと、改めて思った。しかしあまり束縛しすぎると嫌がられるのではと不安が過ぎる。
「大丈夫ですよ、私にはチャカ様だけですから」
彼女の言葉に目を見開き、そして優しく微笑んだ。そんな言葉を言われてしまえば、余計にでも手放せなくなる。
「おれも君だけだ」
そもそも手放すつもりはないがと、彼女の手を握りしめた。
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