枯れぬ杜鵑草
* * *
彼女が茸を食い終えるのと、きり丸が最後の一口を飲み込んだのは同時のことだった。
きり丸に合わせてくれていたことをおくびにも出さない彼女は、持っていた串をポイッと既にとろ火となった焚き火の中へと放り込む。それに倣うようにきり丸は串を投げ入れ、ぷすぷすとした音を立てた火が少しだけ強くなる。
充足感が腹を満たし、夕飯をきちんと食えるのだろうかという一抹の不安が過ぎる。
けれど、食堂のおばちゃんの栄養とボリュームの満点な食事を思い出せば、きっと大丈夫だろうと根拠の無い自信に胸がいっぱいとなった。
「秋が終わるねぇ」
傾くのが早くなった日が影を伸ばし、遠くで山へ帰る鳥の声が聞こえる。
彼女の寂しさを乗せた声に全員が頷き、小さくなっていく火を見つめている。
いつもなら煩いほどに元気な先輩たちの静かな様子に、きり丸は焚き火を見ているフリをしながら盗み見る。
文次郎と小平太は、常になく穏やかな顔をして彼女を見ており、背後の長次が何を見ているのかはきり丸にも想像出来た。きり丸は一度焚き火に視線を戻すと、瞬きの後にちらりと彼女を見た。
「きり丸、これ渡しておくよ」
見ていたことがバレた羞恥よりも、突然小銭を入れた袋が宙に弧を描くことに驚いて、咄嗟に伸ばした手でそれを手に取った。ちゃりんと、軽い音が鳴るその袋は、今日の分のアルバイト代が入っているのは分かるが、それにしたって少し重い気がした。
きり丸が顔を上げて彼女に問おうとするより先に、彼女はよしっという掛け声とともに立ち上がる。
「小平太、裏山行ってから学園まで戻るの競争しない?」
「おお! 良いぞ、いくつだ?」
「三十でどう?」
「その心意気やよし! だが四十だ、四十数えたら私が追い掛ける」
「私の気遣いを強がりだなんて……文次郎たちは?」
準備運動を始める彼女と小平太に、きり丸は声を掛けるべきか悩む。
けれど、彼女はそんなきり丸を気付いているだろうに、言葉を掛けさせる隙を与えない。
「いや、俺と長次はきり丸を連れて先に戻るさ。くれぐれも途中で手合わせなんか始めるなよ?」
「分かってるって、今日は走るだけだから。そっちこそ、戻ってすぐ留三郎と喧嘩するんじゃないよ〜」
彼女はそう言い残し、颯爽と駆けて行く背中を、きり丸はぽかんと口を開けて見送ることしか出来なかった。
後に残ったのは文次郎と長次、それに数を数えている小平太で、きり丸は手の中の小銭入れをぎゅっと握った。
「あとで分けておけば良いのかな……」
自分の仕事分より重たい小銭入れは、きり丸と先輩の分も入っており、分けておいてくれと頼まれたのだと考えに至る。手の中から減る銭を数えるのは悲しいが、人の分まで盗み取るというのは道理に反することだ。
そんなきり丸の呟きに、長次は吸筒を文次郎へと投げてから口を開いた。
「……いや、全てがお前の分なんだろう」
「え、でもこれ僕の働いた分より多いっすよ」
「お前がキャンセルしたバイト、あいつが全部拾ったんだよ」
目を丸くするきり丸に、文次郎が吸筒を逆さにしながら続けた。
「きり丸のおかげで稼げたから、そのお礼がしたいって言ってたぞ。だからそれは貰っておけ」
「……もそ、きり丸がバイトをキャンセルしなかったら、授業料が足らなかったかもしれないと、彼女は深い感謝をしていた」
「まぁ、キャンセルした理由が理由だからな。感謝として渡すには忍びないと考えたんだろうな」
文次郎は水を被って火の消えた焚き火あとを踏み付け、完全に火が消えたことを確認すると立ち上がる。
長次もまた立ち上がろうとするのに合わせ、きり丸はその足の上からひょいと飛び起きる。
きり丸がアルバイトをキャンセルしたからか、彼女はそれらを拾って銭を稼げた。それら全てからほんの少しずつ抜いてきり丸に返したのだと、彼らは言った。
土井先生という、きり丸にとっての大事な人の行方不明騒ぎに、きり丸はアルバイトなんてしている暇は無かった。授業料を自分で稼いでいるきり丸にとっては死活問題なのだが、それよりも土井先生に会いたいという気持ちが強かったのは、今でもまた置いて行かれることに耐えられなかったからだ。
きり丸はありがたいような、それでいて申し訳ないような心地に、口元をもにょもにょと歪ませる。
「四十! いけいけどんどーん!」
そんな中、小平太が数を数え終えると、彼女が消えて行った方を猛突進で駆けて行くのに驚いて、きり丸は肩を跳ね上げた。
文次郎と長次は同様にその背を見送ると、さっさと学園の方へと向き直って歩き始めてしまう。
あっ、と零して小銭袋を懐にしまったきり丸が文次郎と長次の背を追い掛けると、二人は歩調をきり丸に合わせてくれる。
「——ところできり丸」
文次郎がにやりと笑って振り返り、きり丸は身構える気持ちで、なんですか、と問い返す。
「お前はどちらに賭ける?」
は? と思わず素でそう口から疑問の音を転がして、慌てて口を手で塞ぐも、文次郎の大きな手が頭を何度もぽすぽすと叩いた。
「四十で足りると思うか?」
「……足らんな。小平太に速さと持久力で勝てる奴はそういない」
「じゃあきり丸、お前は小平太に。俺と長次はあいつに賭けといてやろう。誰も入れないんじゃ賭けにならんからな」
そう言って笑う文次郎に、きり丸は頭に疑問を浮かべるばかりだが、長次が手を差し出したことでおずおずとその手を握った。大きな手はごつごつとしていて、潰れた豆が擽ったく感じられ、きり丸は歯を覗かせて笑う。
「ははっ、先輩方ってば負け戦がお好きなようで」
きり丸の言葉に文次郎と長次は一度顔を見合わせると、フッと笑みを零してきり丸を見た。
夕暮れを浴びた二人の顔はやけに凪いでいて、優しい声音は黄金の稲穂を揺らす風のようにきり丸の耳に響く。
「良いんだよ、それで」
「……誰も叶わないのだから」
大きな二つの背中を見上げたきり丸は、空を見上げて木枯らしがまた吹き付けるのを肌で感じた。
今年もきっと雪が降れば良い、と。
彼女が茸を食い終えるのと、きり丸が最後の一口を飲み込んだのは同時のことだった。
きり丸に合わせてくれていたことをおくびにも出さない彼女は、持っていた串をポイッと既にとろ火となった焚き火の中へと放り込む。それに倣うようにきり丸は串を投げ入れ、ぷすぷすとした音を立てた火が少しだけ強くなる。
充足感が腹を満たし、夕飯をきちんと食えるのだろうかという一抹の不安が過ぎる。
けれど、食堂のおばちゃんの栄養とボリュームの満点な食事を思い出せば、きっと大丈夫だろうと根拠の無い自信に胸がいっぱいとなった。
「秋が終わるねぇ」
傾くのが早くなった日が影を伸ばし、遠くで山へ帰る鳥の声が聞こえる。
彼女の寂しさを乗せた声に全員が頷き、小さくなっていく火を見つめている。
いつもなら煩いほどに元気な先輩たちの静かな様子に、きり丸は焚き火を見ているフリをしながら盗み見る。
文次郎と小平太は、常になく穏やかな顔をして彼女を見ており、背後の長次が何を見ているのかはきり丸にも想像出来た。きり丸は一度焚き火に視線を戻すと、瞬きの後にちらりと彼女を見た。
「きり丸、これ渡しておくよ」
見ていたことがバレた羞恥よりも、突然小銭を入れた袋が宙に弧を描くことに驚いて、咄嗟に伸ばした手でそれを手に取った。ちゃりんと、軽い音が鳴るその袋は、今日の分のアルバイト代が入っているのは分かるが、それにしたって少し重い気がした。
きり丸が顔を上げて彼女に問おうとするより先に、彼女はよしっという掛け声とともに立ち上がる。
「小平太、裏山行ってから学園まで戻るの競争しない?」
「おお! 良いぞ、いくつだ?」
「三十でどう?」
「その心意気やよし! だが四十だ、四十数えたら私が追い掛ける」
「私の気遣いを強がりだなんて……文次郎たちは?」
準備運動を始める彼女と小平太に、きり丸は声を掛けるべきか悩む。
けれど、彼女はそんなきり丸を気付いているだろうに、言葉を掛けさせる隙を与えない。
「いや、俺と長次はきり丸を連れて先に戻るさ。くれぐれも途中で手合わせなんか始めるなよ?」
「分かってるって、今日は走るだけだから。そっちこそ、戻ってすぐ留三郎と喧嘩するんじゃないよ〜」
彼女はそう言い残し、颯爽と駆けて行く背中を、きり丸はぽかんと口を開けて見送ることしか出来なかった。
後に残ったのは文次郎と長次、それに数を数えている小平太で、きり丸は手の中の小銭入れをぎゅっと握った。
「あとで分けておけば良いのかな……」
自分の仕事分より重たい小銭入れは、きり丸と先輩の分も入っており、分けておいてくれと頼まれたのだと考えに至る。手の中から減る銭を数えるのは悲しいが、人の分まで盗み取るというのは道理に反することだ。
そんなきり丸の呟きに、長次は吸筒を文次郎へと投げてから口を開いた。
「……いや、全てがお前の分なんだろう」
「え、でもこれ僕の働いた分より多いっすよ」
「お前がキャンセルしたバイト、あいつが全部拾ったんだよ」
目を丸くするきり丸に、文次郎が吸筒を逆さにしながら続けた。
「きり丸のおかげで稼げたから、そのお礼がしたいって言ってたぞ。だからそれは貰っておけ」
「……もそ、きり丸がバイトをキャンセルしなかったら、授業料が足らなかったかもしれないと、彼女は深い感謝をしていた」
「まぁ、キャンセルした理由が理由だからな。感謝として渡すには忍びないと考えたんだろうな」
文次郎は水を被って火の消えた焚き火あとを踏み付け、完全に火が消えたことを確認すると立ち上がる。
長次もまた立ち上がろうとするのに合わせ、きり丸はその足の上からひょいと飛び起きる。
きり丸がアルバイトをキャンセルしたからか、彼女はそれらを拾って銭を稼げた。それら全てからほんの少しずつ抜いてきり丸に返したのだと、彼らは言った。
土井先生という、きり丸にとっての大事な人の行方不明騒ぎに、きり丸はアルバイトなんてしている暇は無かった。授業料を自分で稼いでいるきり丸にとっては死活問題なのだが、それよりも土井先生に会いたいという気持ちが強かったのは、今でもまた置いて行かれることに耐えられなかったからだ。
きり丸はありがたいような、それでいて申し訳ないような心地に、口元をもにょもにょと歪ませる。
「四十! いけいけどんどーん!」
そんな中、小平太が数を数え終えると、彼女が消えて行った方を猛突進で駆けて行くのに驚いて、きり丸は肩を跳ね上げた。
文次郎と長次は同様にその背を見送ると、さっさと学園の方へと向き直って歩き始めてしまう。
あっ、と零して小銭袋を懐にしまったきり丸が文次郎と長次の背を追い掛けると、二人は歩調をきり丸に合わせてくれる。
「——ところできり丸」
文次郎がにやりと笑って振り返り、きり丸は身構える気持ちで、なんですか、と問い返す。
「お前はどちらに賭ける?」
は? と思わず素でそう口から疑問の音を転がして、慌てて口を手で塞ぐも、文次郎の大きな手が頭を何度もぽすぽすと叩いた。
「四十で足りると思うか?」
「……足らんな。小平太に速さと持久力で勝てる奴はそういない」
「じゃあきり丸、お前は小平太に。俺と長次はあいつに賭けといてやろう。誰も入れないんじゃ賭けにならんからな」
そう言って笑う文次郎に、きり丸は頭に疑問を浮かべるばかりだが、長次が手を差し出したことでおずおずとその手を握った。大きな手はごつごつとしていて、潰れた豆が擽ったく感じられ、きり丸は歯を覗かせて笑う。
「ははっ、先輩方ってば負け戦がお好きなようで」
きり丸の言葉に文次郎と長次は一度顔を見合わせると、フッと笑みを零してきり丸を見た。
夕暮れを浴びた二人の顔はやけに凪いでいて、優しい声音は黄金の稲穂を揺らす風のようにきり丸の耳に響く。
「良いんだよ、それで」
「……誰も叶わないのだから」
大きな二つの背中を見上げたきり丸は、空を見上げて木枯らしがまた吹き付けるのを肌で感じた。
今年もきっと雪が降れば良い、と。
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