枯れぬ杜鵑草
木枯らしが肌をさらりと撫で上げ、その拍子にぶるりと身震いをしては鼻が出そうになるのをズズっと啜ってみる。幾度となく垂れそうになる鼻だが、垂らすまいとするのは級友であり同室の友と揃いになるのは避けたかったからだった。
あんなにも心地の好い風は、今じゃすっかり肌寒く、冬の報せを急かして連れて来る。
何度目かの身震いの後に伸びをしていれば、おーいという声とともに走って来る人影が見える。
ちゃりんちゃりんと音を響かせてやって来た人物は、くノ一教室の六年生で先輩だった。彼女はきり丸とともにガマの穂を集めるバイトに来ていたのだ。
そんな二人は今しがたバイトを終えたところであり、先輩である彼女は依頼主からアルバイト代を受け取って来ている間、通りの隅に枯葉を集めておくようにと頼まれていた。
彼女は両手を丸めて持っていた火種を枯葉に落とすと、次第に煙がもうもうと立ち上がり始めた。
「いやぁ、熱かった熱かった」
ふぅふぅと手のひらに息を吹き掛けた彼女は、次いで懐から二つの甚五右ヱ門芋を取り出した。随分と立派なその芋をにやりとすると、ポイッと火の燃え上がる枯葉の中へと放り投げた。
きり丸は枯葉の他に集めておいた短い枝をぽいぽいと放り入れ、芋を転がす先輩に顔を向ける。
「随分と立派なおまけを貰っちゃいましたね、先輩!」
「そらぁものすっごーく頑張った私たちを見ていたら、ほんの少しの恵みでも与えてやろうと言うものよ」
ぱちぱちと小枝の弾ける音が耳に優しく、二人してしゃがみ込んだままに火を見詰める。
冷たい風が背中を擽り、火が優しく頬を撫でる。寒さが寄り添い、熱さに招かれる心地に、きり丸はズズっとまたも鼻を啜った。
そんなきり丸に彼女は目を見開くと、次いでへらりと笑って懐から塵紙を取り出した。
おいで、と手招く先輩に気恥しさがこみ上げるも、無下にすることも出来ずにおずおずと近寄れば、彼女はきり丸の鼻に塵紙をあてがった。かと思えば、ほら、ちーんとしてごらん、と言うもので、脳内でしんベヱに羨ましがられながらも、ちーんと言われるがままに鼻をかむ。
「もうすぐ冬だものね、寒かったでしょ?」
こちらに来なさい、と言う先輩は、きり丸を自分の前に座らせると、背中を冷やす風を遮る役目を務めてくれる。
前には焚き火のちらちらとした熱が、仄かな焦げ臭い香りとともに浮かんでおり、背後からは何やら優しい香りが鼻を擽ってくる。
「きり丸はあったかいなぁ」
そう言ってきり丸を抱え込むようにして頭に頬をつけてくる彼女に、きり丸はカチコチと体が固まってしまう。女の人にこうして抱き締められるというのは、早くに親を亡くしたきり丸にとっては経験が乏しい。
故に、どのようにするのが正しいのか分からず、押し黙ったままに好きにしてくれとばかりに思考を停止させる。
「——頑張ったねぇ、きり丸。ちゃんと土井先生連れて帰って来れたの、嬉しいね」
彼女は赤子をあやす様にゆらゆらと揺れながら、不意にそうぽつりと零した。
きり丸は思わずもにょもにょと、口元がむず痒くなるが、はい、と小さく頷くので精一杯だった。
「みんなも無事に帰って来て良かった。きり丸が無事に先生と会えて良かった」
彼女の言葉は雨粒のようにきり丸に降る。
ぽつりぽつりと、良かったね、嬉しいね、と零していく彼女に、きり丸はその度に何度も頷いた。
彼女は六年生だが、くノ一教室であるがために今回の忍務には同行しなかった。残された忍たまの四年生以下や、くノ一教室の生徒たちの面倒を見るようにとの忍務を与えられたのだ。
くノたまの六年生は最早彼女しか残っておらず、同級の忍たまの六年生が慌ただしく出て行くのを見送るしか無かった彼女を思えば、きり丸はぎゅっと服の裾を強く掴んでいだ。
「もうすぐ冬だね」
木枯らしは時折思い出したかのように道沿いに落ちる木の葉を巻き上げ、そうして冬が来るぞと頻りに騒ぎ立てる。
きり丸は彼女の手から枝を取り去ると、ごろごろと燻る芋を転がした。
「きり丸は、どの季節が嫌い?」
もう少し焼こうか、と続けて言うのに従い、きり丸はまた彼女の手に枝を戻すと、ぽすりとその頭を彼女の胸元に預けた。
柔らかい感触と、ふわりと立ち上る女人特有の柔らかい香り。思い出せぬ母を彷彿としてしまいそうになるのを内心で振り払いながらきり丸は、えへへ、と笑う。
「んー、冬ッスかねぇ。雪でも積もったら稼ぐどころじゃなくなりますから」
頬に落ちる雪は溶けることもなく、見上げた先の灰に染まる空からは、とめどなく降り注ぐ死への誘い。くるまった筵が防げるものなど何も無い。
けれどただじっと、見上げた空から降り注ぐ雪を見ていた。いつかそこに、先に逝った親の手が混じってくるものだと夢想して、死を感じることも無く冷え切るのを待っていた。
「だから反対の夏がいちばん好きです。夏は、土井先生が迎えに来てくれた季節だから……」
きり丸は肩に回された先輩の腕をとり、自分を抱き締めさせる。
土井先生が姿を晦ましたのは最早ひと月以上前のことであり、今でも時折またいなくなってしまうのではないかという不安が過ぎるのだ。もう二度と、あんな思いはごめんであるときり丸は鼻の奥がツンとし始めるのを誤魔化すように顔を上げた。
「先輩は? 先輩の好きな季節と嫌いな季節はなんですか?」
「ふふ、よくぞ聞いてくれましたきり丸くん」
ぎゅうぎゅうと押し潰すようにきり丸を抱き締める彼女は、何が楽しいのかけらけらと笑い声を上げるものだから、きり丸もつられて、やめてくださいよ、と笑い出す。
「冬は好きだ、雪でも積もればより一層静かになる。——けれどね、夏は嫌いだ、煩くて嫌いなんだ。蕩けた肉から滲む脂に鼻がおかしくなることも、湧いた蛆虫が這い回る痒さも、焼けた肌の熱に魘されることも、全部煩くて仕方ない」
彼女は滔々と寝物語を語るようにそう言った。
きり丸と彼女は、境遇がよく似ていたのだ。きり丸がこうしてバイトをするのは学費を稼ぐためであるのだが、彼女もまた自身の学費を自分で稼いでいた。
きり丸とは反対の季節を好き嫌う、きり丸と同じ孤児の先輩は、同じ季節に拾われたのだと言う。
「好き嫌いは反対かもしれないけれど、同じだよきり丸、同じなんだ。私の一等嫌いな季節が、私の一等大好きな人を連れて来た」
彼女がきり丸の頬を掴み、優しい力で上向かせる。上から覗き込む彼女の目は爛々と輝いており、同じだね? とにっこりと笑みを浮かべる先輩に、きり丸は思わずごくりと喉を鳴らした。
パッと手を離した先輩が、そろそろ良いみたい、と芋を転がして火から出すと、焦げて真っ黒になった皮は湯気が立っていた。
「まだ熱いから、少し冷まそうか」
彼女の提案にはもちろん賛成であり、元気な返事をしてみたものの、妙な気まずさがきり丸の胸にあった。
きり丸は彼女が同じような境遇を生きてきたことを知っているが、詳しくは知らない。
けれど、きり丸を覗き込む彼女の瞳を見てからというもの、聞いてみたいという欲求がうずうずと湧いてくる。
「先輩……先輩の出会った人は、どんな人ですか?」
おずおずとそう切り出したきり丸に、彼女はにんまりと笑んだ。
ころころと芋を転がして冷ます彼女は、もう片方の手できり丸の頭を優しく、殊更に優しく撫でた。
「丸い頭が陽の光を反射する、眩しい人だよ」
彼女は芋を枝で引き寄せて、指先で何度かつついてから皮を剥く。剥いだ皮を焚き火の中へと放り投げ、表れた実はほくほくとした湯気を立ち上らせていた。
きり丸に剥いたものを与えると、もう一つを手繰り寄せてまた剥き始めた彼女を、きり丸がじっと待っているのに気付くと、熱いうちに食べなさいと促した。
言われるがまま、未だに湯気の出るそれへと口を寄せ、恐る恐るかぶりついて見せれば、内側の熱いところが舌の上で跳ね上がり、はふはふと何度も口内で転がして熱を冷ましていく。
熱々で甘いものの、皮の焦げ臭さが染み込んでいるのか、やや苦味も伴う芋にきり丸は目を輝かせる。こんなに美味しいものならば、あとで売っても良かったのにと思いつつも、この甘美な味わいには頬が弛まずにはいられない。
あふっ、と頭上で漏れ出た息にきり丸が顔を向ければ、はくはくと上を向いて口の中の熱を冷まそうとする先輩の顔があり、目を瞑って必死なその姿にきり丸はもう一度芋にかぶりつく。
「……もそ」
そんな芋を頬張る二人の元へ、突如そんな小さな声が降り注ぐ。
顔を見上げた二人は口の中の芋を思わず飲み込むと、同時に詰まったのか一緒になってドンドンと自身らの胸を叩く様は、合わせているのかと聞きたくなるほど見事に揃っている。
「おい、俺たちが必死になってバイトをしている間に、お前らは呑気に芋を齧っているだと?」
そう言って腕を組んで身を乗り出し、彼女を睨め上げるのは忍たま六年い組の潮江文次郎だ。
ゲホゲホと未だに噎せる彼女の背をさすりつつ、その片手にあった芋にかぶりついたのは六年ろ組の七松小平太であり、もそもそと小声で苦言を呈しているのは同じく六年ろ組の中在家長次であった。
「わっ! こら、小平太! 一口がデカい!」
「なかなか美味い! だが少し焦げていないか?」
「良いんだよ、この苦味が美味しいの。小平太のお子様な舌にはまだ早いってことだね」
ちっちっち、と指を振る彼女に、小平太はむむむと唸る。
もう一口食べてやろうとすれば、それを察した彼女がスっと芋を持つ手を移動させ、カチンっと彼の歯は空を食む。カチンカチンカチンっと、続けて三度鳴るのを見詰めていたきり丸だが、長次の手がきり丸を抱き上げたかと思えば、胡座をかいてその膝の上に乗せた。
彼女のように柔らかくはないものの、けれど同じように温かい背中の熱に、きり丸は手元の芋を見詰めてから長次に差し出した。
「あのぉ、食べかけっスけど要ります?」
「……気持ちだけいただこう。お前のために彼女が持って来た芋だ、お前の糧としなさい」
長次は優しくて気遣いの出来る後輩の頭を大きな手で撫でてやると、むず痒そうに口元を歪ませたきり丸は、はーい、と返事をして芋にかぶりつく。
そんな中、いそいそと削った枝に茸を刺していた文次郎は、消えそうになっていた火にふーっと息を幾度となく吹き掛け、そして枯葉と枝を適度に足すと火は勢いを取り戻していく。
そこへ炙るような形になる仕掛けを器用に枝で作っていくと、彼女の歓喜の声が上がった。
「流石文次郎、学園一ギンギンに忍者してるだけあるねぇ。茸は甘くて大好きだよ!」
「へーへー、適当に煽てやがって」
彼女は小平太の胸板に頭を預けると、片手の芋を小平太の口元へ持って行き、小平太はまむりと先程よりも小さな口で食んだ。そして残りをぽいと口に放り込んだ彼女は、ぺろりと指先を舐めとると、未だに芋を懸命に頬張るきり丸を眺めて微笑む。
「あんまり急いで食べると、また喉を詰まらせるよ」
「きり丸、ちゃんとよく噛んで食べなさい」
彼女の忠告に続いた文次郎は、そう諭しながら懐の吸筒を取り出すと、長次が受け取って口を開けてやる。きり丸は残りの芋をいっぺんに口に入れて、よく噛んでから吸筒を受け取り、こくこくと中身を飲んで喉の奥へと芋を押し込んだ。
ありがとうございます、ときり丸の礼儀正しいお礼には長次が頭を撫でてやり、茸の何ともいえない食欲を誘う香りが漂い始める。
じゅるりと垂れそうになる涎を拭うのは彼女と小平太であり、まだ駄目だと待てをさせるのは文次郎である。
早く早くと二人で文次郎を急かすものの、よく火を通さないで食べて腹を壊せば保健委員長に泣きつかれると、二人の催促をさらりと受け流す。
きり丸は先程までの微かな居心地の悪さがたち消えていることに、人知れずほっと息を落とす。けれど、そこは先輩の膝の上であり、長次はどうしたとその顔を覗き込む。
「……先輩方が来てくれて、助かったって思っちゃったんです」
耳を傾けた長次へと、きり丸は声を潜めてしょげた声音で告げる。
改めて言葉にするととても失礼なことを考えたと、きり丸は眉を寄せて唇をへの字に曲げた。せっかく似た境遇の者同士なのだからと、アルバイトを紹介してくれたり、今日のように手伝ってくれたりと、良くしてもらっているというのに、彼女が覗かせたきり丸には理解し難い感情を前に、足が竦む思いでいたのだ。
ましてや彼女の腕の中に捕らわれているような感覚さえ抱いてしまったのだから、無意識にきり丸は服の裾をぎゅっと握ってしまう。
「……他人のことを理解し尽くすことなど到底出来ようもないし、人は理解出来ないものを恐れる生き物だ。だから、彼女はお前を労いたかった——それだけを覚えていれば良い」
長次はぽんぽんと軽く頭を叩くと、きり丸は、はい! と元気な返事をする。
仲の良い図書委員会の二人を横目で見ていた彼女は、ふと顔を上げて小平太に問い掛ける。
「ふむ、そこな小平太くんや」
「むむむ、なんだ!」
「私も本を読めば、あのように懐かれると思うかね?」
「無理だ!」
「即答するな!」
飛び上がった彼女は振り向きぺちりと小平太の額を軽く叩くが、小平太はまったく効いていないと声を上げて笑う。
酷い酷い、としくしくと泣き真似をしながら文次郎に近寄った彼女は、我関せずな態度の文次郎に良しの合図を寄越せと言う。
「まぁもうそろそろ良いだろう。ほら、火傷しないように気を付けろよ」
串を上げた文次郎は彼女に渡すと、残りの串をそれぞれに分けて渡して行く。
目を輝かせた彼女が柔らかくも蕩けそうなほどに焦げ目の付いた茸を齧り、じゅわりと僅かに汁気が出てくるのを啜りながら噛みちぎる。熱々の汁気に舌が焼ける感覚はビリビリと痺れるようで、けれど味わうにはこう熱くなくてはと悶えて耐える。
文次郎や小平太、長次は熱さなど感じていないのか、涼しい顔して食べている様を見て、きり丸がまだ小さい口を大きく開けて茸にかぶりつくのを見てから頷いた。
「あんたら可愛げ無いわ」
唐突にそう落胆の声を漏らした彼女に、六年生三人が顔を上げる。
何を言い出すのかと怪訝な顔をする面々を無視し、はふはふと口の中を冷まそうとするきり丸を指さした彼女は、すかさず長次に人を指さすなと咎められ、手のひらできり丸をさし直した。
「あんたら舌が麻痺してるの? 熱さとか感じないの?」
「そんなわけあるか。耐性は人それぞれだろうよ」
「はぁ、仙蔵や伊作だったら可愛く食べるのに。ねー? きり丸?」
「いやぁ、どうなんすかね。立花仙蔵先輩なら確かに完璧な所作で食いそうですけれど、善法寺伊作先輩は火傷した拍子に茸を落として、それから見かねた食満留三郎先輩に分けて貰うんじゃないすか?」
きり丸はつらつらとそう上げ連ねては、その様子は容易に想像出来る光景であり、六年生一同が、おー、と感嘆の声を上げる。
「やだこの子ったらよく知ってるわね。可愛い子だ、可愛い子には茸を分けてやりましょ」
彼女はそう言うと、自身の串を残りの茸ごときり丸にあげた。申し訳なさそうにするきり丸に半ば押し付けると、彼女は朗らかな笑顔を見せる。
有難くいただくことにしたきり丸は、少し冷めて食べやすくなった茸に遠慮なくかぶりついた。咀嚼に合わせて膨らんだ頬が動く様はさながら鼠のようで、彼女の細い人差し指がきり丸の前髪をさらりと撫でた。
「きり丸は良い目を持ったね」
「へへっ、ドケチなおかげです」
「商才かな」
「いえ、生存戦略です!」
違いない、と彼女ときり丸はけらけらと笑う。
文次郎と小平太、長次はその様子を口内の茸を咀嚼して見ていたが、各々の串に最後の一つが残ったところで、三本の串が彼女へと向けられる。
彼女は立ち上がってそれらを受け取ると、再度きり丸に顔を向けた。
「分け合う友を持つことも、生き抜く術のひとつだね」
そうして喜色満面に茸に齧り付く彼女に、文次郎のゲンコツが降り注ぐ。
文次郎に座って食べなさいと叱られた彼女は、痛みに唇を尖らせ渋々といった様子で小平太の足の間に収まった。
あんなにも心地の好い風は、今じゃすっかり肌寒く、冬の報せを急かして連れて来る。
何度目かの身震いの後に伸びをしていれば、おーいという声とともに走って来る人影が見える。
ちゃりんちゃりんと音を響かせてやって来た人物は、くノ一教室の六年生で先輩だった。彼女はきり丸とともにガマの穂を集めるバイトに来ていたのだ。
そんな二人は今しがたバイトを終えたところであり、先輩である彼女は依頼主からアルバイト代を受け取って来ている間、通りの隅に枯葉を集めておくようにと頼まれていた。
彼女は両手を丸めて持っていた火種を枯葉に落とすと、次第に煙がもうもうと立ち上がり始めた。
「いやぁ、熱かった熱かった」
ふぅふぅと手のひらに息を吹き掛けた彼女は、次いで懐から二つの甚五右ヱ門芋を取り出した。随分と立派なその芋をにやりとすると、ポイッと火の燃え上がる枯葉の中へと放り投げた。
きり丸は枯葉の他に集めておいた短い枝をぽいぽいと放り入れ、芋を転がす先輩に顔を向ける。
「随分と立派なおまけを貰っちゃいましたね、先輩!」
「そらぁものすっごーく頑張った私たちを見ていたら、ほんの少しの恵みでも与えてやろうと言うものよ」
ぱちぱちと小枝の弾ける音が耳に優しく、二人してしゃがみ込んだままに火を見詰める。
冷たい風が背中を擽り、火が優しく頬を撫でる。寒さが寄り添い、熱さに招かれる心地に、きり丸はズズっとまたも鼻を啜った。
そんなきり丸に彼女は目を見開くと、次いでへらりと笑って懐から塵紙を取り出した。
おいで、と手招く先輩に気恥しさがこみ上げるも、無下にすることも出来ずにおずおずと近寄れば、彼女はきり丸の鼻に塵紙をあてがった。かと思えば、ほら、ちーんとしてごらん、と言うもので、脳内でしんベヱに羨ましがられながらも、ちーんと言われるがままに鼻をかむ。
「もうすぐ冬だものね、寒かったでしょ?」
こちらに来なさい、と言う先輩は、きり丸を自分の前に座らせると、背中を冷やす風を遮る役目を務めてくれる。
前には焚き火のちらちらとした熱が、仄かな焦げ臭い香りとともに浮かんでおり、背後からは何やら優しい香りが鼻を擽ってくる。
「きり丸はあったかいなぁ」
そう言ってきり丸を抱え込むようにして頭に頬をつけてくる彼女に、きり丸はカチコチと体が固まってしまう。女の人にこうして抱き締められるというのは、早くに親を亡くしたきり丸にとっては経験が乏しい。
故に、どのようにするのが正しいのか分からず、押し黙ったままに好きにしてくれとばかりに思考を停止させる。
「——頑張ったねぇ、きり丸。ちゃんと土井先生連れて帰って来れたの、嬉しいね」
彼女は赤子をあやす様にゆらゆらと揺れながら、不意にそうぽつりと零した。
きり丸は思わずもにょもにょと、口元がむず痒くなるが、はい、と小さく頷くので精一杯だった。
「みんなも無事に帰って来て良かった。きり丸が無事に先生と会えて良かった」
彼女の言葉は雨粒のようにきり丸に降る。
ぽつりぽつりと、良かったね、嬉しいね、と零していく彼女に、きり丸はその度に何度も頷いた。
彼女は六年生だが、くノ一教室であるがために今回の忍務には同行しなかった。残された忍たまの四年生以下や、くノ一教室の生徒たちの面倒を見るようにとの忍務を与えられたのだ。
くノたまの六年生は最早彼女しか残っておらず、同級の忍たまの六年生が慌ただしく出て行くのを見送るしか無かった彼女を思えば、きり丸はぎゅっと服の裾を強く掴んでいだ。
「もうすぐ冬だね」
木枯らしは時折思い出したかのように道沿いに落ちる木の葉を巻き上げ、そうして冬が来るぞと頻りに騒ぎ立てる。
きり丸は彼女の手から枝を取り去ると、ごろごろと燻る芋を転がした。
「きり丸は、どの季節が嫌い?」
もう少し焼こうか、と続けて言うのに従い、きり丸はまた彼女の手に枝を戻すと、ぽすりとその頭を彼女の胸元に預けた。
柔らかい感触と、ふわりと立ち上る女人特有の柔らかい香り。思い出せぬ母を彷彿としてしまいそうになるのを内心で振り払いながらきり丸は、えへへ、と笑う。
「んー、冬ッスかねぇ。雪でも積もったら稼ぐどころじゃなくなりますから」
頬に落ちる雪は溶けることもなく、見上げた先の灰に染まる空からは、とめどなく降り注ぐ死への誘い。くるまった筵が防げるものなど何も無い。
けれどただじっと、見上げた空から降り注ぐ雪を見ていた。いつかそこに、先に逝った親の手が混じってくるものだと夢想して、死を感じることも無く冷え切るのを待っていた。
「だから反対の夏がいちばん好きです。夏は、土井先生が迎えに来てくれた季節だから……」
きり丸は肩に回された先輩の腕をとり、自分を抱き締めさせる。
土井先生が姿を晦ましたのは最早ひと月以上前のことであり、今でも時折またいなくなってしまうのではないかという不安が過ぎるのだ。もう二度と、あんな思いはごめんであるときり丸は鼻の奥がツンとし始めるのを誤魔化すように顔を上げた。
「先輩は? 先輩の好きな季節と嫌いな季節はなんですか?」
「ふふ、よくぞ聞いてくれましたきり丸くん」
ぎゅうぎゅうと押し潰すようにきり丸を抱き締める彼女は、何が楽しいのかけらけらと笑い声を上げるものだから、きり丸もつられて、やめてくださいよ、と笑い出す。
「冬は好きだ、雪でも積もればより一層静かになる。——けれどね、夏は嫌いだ、煩くて嫌いなんだ。蕩けた肉から滲む脂に鼻がおかしくなることも、湧いた蛆虫が這い回る痒さも、焼けた肌の熱に魘されることも、全部煩くて仕方ない」
彼女は滔々と寝物語を語るようにそう言った。
きり丸と彼女は、境遇がよく似ていたのだ。きり丸がこうしてバイトをするのは学費を稼ぐためであるのだが、彼女もまた自身の学費を自分で稼いでいた。
きり丸とは反対の季節を好き嫌う、きり丸と同じ孤児の先輩は、同じ季節に拾われたのだと言う。
「好き嫌いは反対かもしれないけれど、同じだよきり丸、同じなんだ。私の一等嫌いな季節が、私の一等大好きな人を連れて来た」
彼女がきり丸の頬を掴み、優しい力で上向かせる。上から覗き込む彼女の目は爛々と輝いており、同じだね? とにっこりと笑みを浮かべる先輩に、きり丸は思わずごくりと喉を鳴らした。
パッと手を離した先輩が、そろそろ良いみたい、と芋を転がして火から出すと、焦げて真っ黒になった皮は湯気が立っていた。
「まだ熱いから、少し冷まそうか」
彼女の提案にはもちろん賛成であり、元気な返事をしてみたものの、妙な気まずさがきり丸の胸にあった。
きり丸は彼女が同じような境遇を生きてきたことを知っているが、詳しくは知らない。
けれど、きり丸を覗き込む彼女の瞳を見てからというもの、聞いてみたいという欲求がうずうずと湧いてくる。
「先輩……先輩の出会った人は、どんな人ですか?」
おずおずとそう切り出したきり丸に、彼女はにんまりと笑んだ。
ころころと芋を転がして冷ます彼女は、もう片方の手できり丸の頭を優しく、殊更に優しく撫でた。
「丸い頭が陽の光を反射する、眩しい人だよ」
彼女は芋を枝で引き寄せて、指先で何度かつついてから皮を剥く。剥いだ皮を焚き火の中へと放り投げ、表れた実はほくほくとした湯気を立ち上らせていた。
きり丸に剥いたものを与えると、もう一つを手繰り寄せてまた剥き始めた彼女を、きり丸がじっと待っているのに気付くと、熱いうちに食べなさいと促した。
言われるがまま、未だに湯気の出るそれへと口を寄せ、恐る恐るかぶりついて見せれば、内側の熱いところが舌の上で跳ね上がり、はふはふと何度も口内で転がして熱を冷ましていく。
熱々で甘いものの、皮の焦げ臭さが染み込んでいるのか、やや苦味も伴う芋にきり丸は目を輝かせる。こんなに美味しいものならば、あとで売っても良かったのにと思いつつも、この甘美な味わいには頬が弛まずにはいられない。
あふっ、と頭上で漏れ出た息にきり丸が顔を向ければ、はくはくと上を向いて口の中の熱を冷まそうとする先輩の顔があり、目を瞑って必死なその姿にきり丸はもう一度芋にかぶりつく。
「……もそ」
そんな芋を頬張る二人の元へ、突如そんな小さな声が降り注ぐ。
顔を見上げた二人は口の中の芋を思わず飲み込むと、同時に詰まったのか一緒になってドンドンと自身らの胸を叩く様は、合わせているのかと聞きたくなるほど見事に揃っている。
「おい、俺たちが必死になってバイトをしている間に、お前らは呑気に芋を齧っているだと?」
そう言って腕を組んで身を乗り出し、彼女を睨め上げるのは忍たま六年い組の潮江文次郎だ。
ゲホゲホと未だに噎せる彼女の背をさすりつつ、その片手にあった芋にかぶりついたのは六年ろ組の七松小平太であり、もそもそと小声で苦言を呈しているのは同じく六年ろ組の中在家長次であった。
「わっ! こら、小平太! 一口がデカい!」
「なかなか美味い! だが少し焦げていないか?」
「良いんだよ、この苦味が美味しいの。小平太のお子様な舌にはまだ早いってことだね」
ちっちっち、と指を振る彼女に、小平太はむむむと唸る。
もう一口食べてやろうとすれば、それを察した彼女がスっと芋を持つ手を移動させ、カチンっと彼の歯は空を食む。カチンカチンカチンっと、続けて三度鳴るのを見詰めていたきり丸だが、長次の手がきり丸を抱き上げたかと思えば、胡座をかいてその膝の上に乗せた。
彼女のように柔らかくはないものの、けれど同じように温かい背中の熱に、きり丸は手元の芋を見詰めてから長次に差し出した。
「あのぉ、食べかけっスけど要ります?」
「……気持ちだけいただこう。お前のために彼女が持って来た芋だ、お前の糧としなさい」
長次は優しくて気遣いの出来る後輩の頭を大きな手で撫でてやると、むず痒そうに口元を歪ませたきり丸は、はーい、と返事をして芋にかぶりつく。
そんな中、いそいそと削った枝に茸を刺していた文次郎は、消えそうになっていた火にふーっと息を幾度となく吹き掛け、そして枯葉と枝を適度に足すと火は勢いを取り戻していく。
そこへ炙るような形になる仕掛けを器用に枝で作っていくと、彼女の歓喜の声が上がった。
「流石文次郎、学園一ギンギンに忍者してるだけあるねぇ。茸は甘くて大好きだよ!」
「へーへー、適当に煽てやがって」
彼女は小平太の胸板に頭を預けると、片手の芋を小平太の口元へ持って行き、小平太はまむりと先程よりも小さな口で食んだ。そして残りをぽいと口に放り込んだ彼女は、ぺろりと指先を舐めとると、未だに芋を懸命に頬張るきり丸を眺めて微笑む。
「あんまり急いで食べると、また喉を詰まらせるよ」
「きり丸、ちゃんとよく噛んで食べなさい」
彼女の忠告に続いた文次郎は、そう諭しながら懐の吸筒を取り出すと、長次が受け取って口を開けてやる。きり丸は残りの芋をいっぺんに口に入れて、よく噛んでから吸筒を受け取り、こくこくと中身を飲んで喉の奥へと芋を押し込んだ。
ありがとうございます、ときり丸の礼儀正しいお礼には長次が頭を撫でてやり、茸の何ともいえない食欲を誘う香りが漂い始める。
じゅるりと垂れそうになる涎を拭うのは彼女と小平太であり、まだ駄目だと待てをさせるのは文次郎である。
早く早くと二人で文次郎を急かすものの、よく火を通さないで食べて腹を壊せば保健委員長に泣きつかれると、二人の催促をさらりと受け流す。
きり丸は先程までの微かな居心地の悪さがたち消えていることに、人知れずほっと息を落とす。けれど、そこは先輩の膝の上であり、長次はどうしたとその顔を覗き込む。
「……先輩方が来てくれて、助かったって思っちゃったんです」
耳を傾けた長次へと、きり丸は声を潜めてしょげた声音で告げる。
改めて言葉にするととても失礼なことを考えたと、きり丸は眉を寄せて唇をへの字に曲げた。せっかく似た境遇の者同士なのだからと、アルバイトを紹介してくれたり、今日のように手伝ってくれたりと、良くしてもらっているというのに、彼女が覗かせたきり丸には理解し難い感情を前に、足が竦む思いでいたのだ。
ましてや彼女の腕の中に捕らわれているような感覚さえ抱いてしまったのだから、無意識にきり丸は服の裾をぎゅっと握ってしまう。
「……他人のことを理解し尽くすことなど到底出来ようもないし、人は理解出来ないものを恐れる生き物だ。だから、彼女はお前を労いたかった——それだけを覚えていれば良い」
長次はぽんぽんと軽く頭を叩くと、きり丸は、はい! と元気な返事をする。
仲の良い図書委員会の二人を横目で見ていた彼女は、ふと顔を上げて小平太に問い掛ける。
「ふむ、そこな小平太くんや」
「むむむ、なんだ!」
「私も本を読めば、あのように懐かれると思うかね?」
「無理だ!」
「即答するな!」
飛び上がった彼女は振り向きぺちりと小平太の額を軽く叩くが、小平太はまったく効いていないと声を上げて笑う。
酷い酷い、としくしくと泣き真似をしながら文次郎に近寄った彼女は、我関せずな態度の文次郎に良しの合図を寄越せと言う。
「まぁもうそろそろ良いだろう。ほら、火傷しないように気を付けろよ」
串を上げた文次郎は彼女に渡すと、残りの串をそれぞれに分けて渡して行く。
目を輝かせた彼女が柔らかくも蕩けそうなほどに焦げ目の付いた茸を齧り、じゅわりと僅かに汁気が出てくるのを啜りながら噛みちぎる。熱々の汁気に舌が焼ける感覚はビリビリと痺れるようで、けれど味わうにはこう熱くなくてはと悶えて耐える。
文次郎や小平太、長次は熱さなど感じていないのか、涼しい顔して食べている様を見て、きり丸がまだ小さい口を大きく開けて茸にかぶりつくのを見てから頷いた。
「あんたら可愛げ無いわ」
唐突にそう落胆の声を漏らした彼女に、六年生三人が顔を上げる。
何を言い出すのかと怪訝な顔をする面々を無視し、はふはふと口の中を冷まそうとするきり丸を指さした彼女は、すかさず長次に人を指さすなと咎められ、手のひらできり丸をさし直した。
「あんたら舌が麻痺してるの? 熱さとか感じないの?」
「そんなわけあるか。耐性は人それぞれだろうよ」
「はぁ、仙蔵や伊作だったら可愛く食べるのに。ねー? きり丸?」
「いやぁ、どうなんすかね。立花仙蔵先輩なら確かに完璧な所作で食いそうですけれど、善法寺伊作先輩は火傷した拍子に茸を落として、それから見かねた食満留三郎先輩に分けて貰うんじゃないすか?」
きり丸はつらつらとそう上げ連ねては、その様子は容易に想像出来る光景であり、六年生一同が、おー、と感嘆の声を上げる。
「やだこの子ったらよく知ってるわね。可愛い子だ、可愛い子には茸を分けてやりましょ」
彼女はそう言うと、自身の串を残りの茸ごときり丸にあげた。申し訳なさそうにするきり丸に半ば押し付けると、彼女は朗らかな笑顔を見せる。
有難くいただくことにしたきり丸は、少し冷めて食べやすくなった茸に遠慮なくかぶりついた。咀嚼に合わせて膨らんだ頬が動く様はさながら鼠のようで、彼女の細い人差し指がきり丸の前髪をさらりと撫でた。
「きり丸は良い目を持ったね」
「へへっ、ドケチなおかげです」
「商才かな」
「いえ、生存戦略です!」
違いない、と彼女ときり丸はけらけらと笑う。
文次郎と小平太、長次はその様子を口内の茸を咀嚼して見ていたが、各々の串に最後の一つが残ったところで、三本の串が彼女へと向けられる。
彼女は立ち上がってそれらを受け取ると、再度きり丸に顔を向けた。
「分け合う友を持つことも、生き抜く術のひとつだね」
そうして喜色満面に茸に齧り付く彼女に、文次郎のゲンコツが降り注ぐ。
文次郎に座って食べなさいと叱られた彼女は、痛みに唇を尖らせ渋々といった様子で小平太の足の間に収まった。
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