露草を抱く
* * *
「——小平太、侵入口までの斥候を」
懐に地図を仕舞い込んだ仙蔵は、口布越しに任せろと頷く小平太を送り出した。
仙蔵たち六年生はオシロイシメジ城へと乗り込み、件の謀反を引き起こそうとしている家臣の証拠文書の捜索と奪取が課題となっていた。
商人の取り押さえは山田先生が担当すると聞いており、監督として現地にくノ一教室の山本シナ先生がどこからか見ていると聞いてはいるものの、実質六年生だけでことを遂行しなければならない。もちろんこれは試験であるのだからそれは当然のことだが、一つだけ疑問が浮かぶ。
それは妙な時間制限が設けられていたことだ。
下弦の月が昇るまでに家臣の手から奪えという、なんとも奇妙な時間制限だ。
これまでにも似たようなことがあったものの、それには説明が伴っていた。しかし、今回は詳細は知らされず、これには堪らずに文次郎が質問すれば居合わせれば分かるとの言葉のみ。
思わず首を傾げそうになる六年生だが、気を弛めて良い時と場合は弁えている。行動に移れとの指示に承知の短い声を上げると即座に動き出し、そうして今に至るのだ。
夜陰に紛れて行動する様は卵といえどもまさに忍びのそれで、仙蔵は小平太の合図に頷くと、言葉なく視線を背後に向ければ文次郎を先頭に続々と走り出す。
殿を務めるかたちで仙蔵も潜入口に辿り着き、一寸の間を置いて気付かれていないかに耳を澄ませる。
ふるふると首を振る小平太は敵に勘づかれていないことを確認すると、文次郎が手にした袋槍の柄をこんこんと小さな抜け口を塞ぐ戸に音を立てる。
しかし、そこから返事が返ってくることはなく、文次郎は留三郎と頷いて槍を構える。留三郎が音を立てないようにと慎重に戸をズラして開けると、もちろん中には誰の姿も無かった。
ふぅと、一先ずの息を吐いた面々だが直ぐに気を取り直し、そこへ小平太を先頭に潜り込んで行く。
最後に長次が身を入れ戸を閉じてしまえば、狭く小さな通路は闇に閉ざされる。しかしそこは忍びである六人、ましてや先頭は小平太である。
迷いなく経路を進んで行く後ろをついて行き、広い城内を探し回るには効率を考え、三手に分かれることとする。当然分かれ方は自然と同室の者同士となっていた。
仙蔵は別れ際に懐にあった鳥の子を各二個ずつ渡すが、伊作の分は留三郎に預けた。若干涙目で小さく唸る伊作に、これも仕方ないことだと全員が不運体質に首を振る。
六人は目を合わせ合うと三手に散って城内の探索にあたる。探す人物の顔は事前に頭に叩き込んであるため、無論一目見ればすぐに分かる。
しかし、城というものは入り組んでいて人も多く、見付けるのには多少の時間を要するだろうと仙蔵は外へと窓から夜空を覗く。
時間はまだ猶予があるが、悠長にしていればあっという間に刻限だ。
気合いを入れ直してことに当たろうとしたところへ、文次郎が仙蔵に見ろと視線を投げて寄越した。促されるままに目を向けると、そこには件の家臣の姿があり、今まさに会合を終えた家臣団の集まる部屋から抜けようとしているところだった。
仙蔵は文次郎と再度目を合わせると、後を付けるべくして天井裏を音もなく進む。
件の家臣は祐筆であり、懐に何やら文書を他者の目を気にしながら忍ばせると、そそくさと急ぎ足でどこかへ向かう。途中居合わせた他四人も直ぐに眼下の家臣を認めると、一行は家臣に続いて城を後にする。
人目につくことを恐れるかのような振る舞いで、暗闇に紛れるようにして城を出た件の家臣だが、ずっと尾行している仙蔵たちには丸分かりだ。そうでなくとも素人のする隠密行動は忍術学園の一年生よりも劣る大層粗末なものである。
足早に城下へと向かう家臣に、一定の距離をとっていた仙蔵らは一度止まった。
大方屋敷へと戻るのだろうが、念の為、小平太を後につけさせて仙蔵は空を見上げる。
未だ月は昇ってはいないことを確かめる。
「文書を取るだけなら直ぐに奪えば良かったのではないか?」
留三郎がわざわざ泳がせる必要があるのかと問う。
仙蔵はそれには静かに首振り、そして目を細めて笑む。
「お前たちは刻限の理由を知りたくは無いのか?」
「そら知れるのなら知りたいが、それで刻限を逃して試験に落ちるのは本末転倒じゃないか?」
仙蔵にそう言って眉を顰めたのは文次郎だ。
ふむ、と確かにそうだと顎を撫でる仙蔵だが、存外芽生えた好奇心に抗えない性格をしているのも確かだ。
「確か、山本シナ先生が監督しておられるのだよね? もしかしたらあの子が関わっているのかもしれないよ」
伊作の言葉に四人の頭に浮かぶのは彼女であり、そう言われればそうだと返すことも出来ない。
くノたまの後輩が負傷したことを踏まえれば、救出作戦だろうかと長次が口にする。
しかし、それならば見たら分かるなどと勿体ぶった言い方をするだろうか。救出は窮地に陥っていることを指し、先生方が生徒の窮地に対してそんな悠長に構えることはないと断言出来た。
「どちらにせよ、最早家臣は文書と共に屋敷に戻った頃だろう。万一刻限を過ぎ試験が落第となった場合は、私の独断によるものとし、お前らの採点には再考していただく打診を行うさ」
そう言った仙蔵が立ち上がれば、その背を文次郎の手が叩いた。
「何を言っているんだ、バカタレ。俺たちも好奇心に負けた、それなら全員同じ処遇を受けるのは当たり前だろう」
「そうだよ、仙蔵。ひとりだけ落第になんてさせないよ」
伊作の言葉に留三郎と長次も頷き、仙蔵が馬鹿力の馬鹿文次郎がと笑った頃、小平太が夜陰に紛れて木々を伝って戻って来た。
途端スっと空気が変わり、仙蔵たちの目が忍務を遂行する忍びの目へと変わった。
「——屋敷には?」
「戻った、守備が薄い。近々抜ける気でいるのだろう」
小平太は短く報告を終えると、着いてこいと先に来た道を戻り出す。
文次郎と留三郎が続き、長次と伊作、最後に仙蔵が続いて追い掛ける。
六つの影が木々を縫うようにして城下へと向かい、建物の影から影へと潜んで進む彼らに気付く者はいない。
小平太の言葉通り守備は薄く、難なく屋敷へと潜り込んだ六人は、下人らが話す言葉に耳を傾けた。
「またあの部屋にお篭もりに?」
「ひゃー、随分とあの女に惚れ込んでるんだな」
「まぁ見目は良いし愛想も良い、おまけに教養もあると来た。……まぁ何より、夜の相手が大層良いのだろうよ」
下世話な話にうつつを抜かす下人らに、思わず飛び掛りそうになる文次郎と留三郎と長次だが、各々の同室が羽交い締めにしてなんとか止める。
まだ彼女と決まった訳では無いのだが、既に彼女のことだと悟っているのを誤魔化しつつも、ザワつく心に落ち着かないのは六人とも同じだった。
「にしてもよォ、ほら、この間城にくノ一が忍び込んでたって噂だろ? あの女も本当はくノ一なんじゃないのか?」
「ははっ、かもしれんな! なんせくノ一は男を愉しませるあらゆる術を心得ていると聞く。あんな女にしなだれかかれでもしてみろ、天にも昇る気持ちになるのも無理はない」
「抱かせてくれとは言わんが、ほんの少し裸体を拝ませてくれりゃあ俺らもマスかきに事欠かねぇってのによォ」
「やめろやめろ、イカ臭いお前なんかと一緒にしてくれるな!」
げらげらと下品な笑い声を上げる男どもに、今度は仙蔵と小平太、伊作がそれぞれ焙烙火矢と苦無、包帯を投げ付けようとするのを同室が同様に止めに入る。
言葉なく目だけで言い合いをする六人は、ここにいてはいずれ誰も止められなくなると早々に移動することを決め、音もなく移動を始める。
広い屋敷は中までも人気を少なくしており、六人にとっては都合が良いことこの上ない。
移動した六人は耳に男の低い声が聞こえてきたのを確認し合うと、一室の前に辿り着く。そこは忍び込む隙間もないほどに密室と化した造りをしており、襖に耳をそばだてると微かに女の嬌声が漏れていた。
上擦った声は確かに男を悦ばせるのには十分に甘美なものであり、家臣と思われる男の声が聞こえてきた。
「お前も連れて行こう、お前はワシと共に来るのだ。お前を置いてなど行けるものか!」
そう言って己の欲望のままに女に溺れる声は、聞いていて気持ちのいいものではない。
「もうすぐだ、ああ、もうすぐで——」
途端、ぱたりと男の声がしなくなる。
次いで女の嬌声も同様にぱったりと止んでしまい、六人はまさか気付かれたのかと額に汗が浮かぶ。
しかし、中からは異常な静けさだけが響いてくるだけで、状況を把握しようにも襖を開けるしかその術はない。
どうするかと瞬時に目配せし合う六人だが、やむを得ないとの判断を下したのは窓から月がこちらを見ていたからだ。
仙蔵は頷くと、責任を取るつもりで襖へと手をかける。傍らには文次郎と留三郎が各々の武器を構えており、小平太も後ろで苦無を構える。
意を決して仙蔵が襖を開けると、中には女がひとり背を向けていた。流した髪が白い背中を隠しているが、一糸まとわぬ女にだらりと垂れ下がる手が見て取れた。
女は背を向けたままに立ち上がると、垂れ下がっていた手が落ちてそれが家臣のものであったと気付くのに遅れてしまう。目を見開いたままに動かぬ骸と化したその家臣は首と頭から血を流しており、訳が分からないという表情で固まっていた。
女は真っ白な小袖を羽織ると、前を閉めることもなく振り向いた。
「ごめんね、私の方が先だったみたい」
申し訳なさの欠けらも無い顔でそう告げるのは、くノ一教室の六年生であり、六人のよく知る彼女である。いつも結い上げている髪は、情事の痕の色濃く残る様を見せ付けるように下ろしており、小袖の開いた前から覗く裸体には浴びた鮮血が模様のように飛び散っていた。
目を見開いて固まる仙蔵と、他の五人も同じ顔である。
漏れ出ていた嬌声は、普段聞く彼女の声とは似ても似つかず、心のどこかで彼女とは違うのだと安堵をしていたのだ。しかし、開けてみれば出て来たのは彼女であり、横殴りを受けたかのような衝撃に六人は間抜けな顔をして固まっていた。
実る乳房もくびれた腰も、まるで隠すことの無い彼女は、いつの間にか仙蔵の前に来ていたのか、上目遣いに覗き込んでその肩に手を置いた。血が付いたまま拭うこともせずに置かれた仙蔵の肩に、家臣のものであろう血がべったりと付けられた。
「ふふっ、悔しいって顔に書いてある」
してやったと、そう言いたげな彼女にようやく我に返った仙蔵は、窓の外を覗くとギリギリ月が昇り切る前のこと。
仙蔵はわなわなと震えたかと思えば、手をスっと出して彼女の脳天に一撃をお見舞いした。
常よりも加減のない力で撃ち落とした渾身の拳骨に、彼女はうっと呻いてその場に蹲る。
頭を抱えて悶える様にようやく他五人も我に返ったものの、言葉を紡ぐことが出来ないでいた。
「な、なんでさ〜」
涙目混じりに見上げてくる彼女へ、仙蔵が眉間に皺を寄せる。
「この阿呆が! お前が刻限を守らねば私たちの試験はどうなる!」
「だから謝ったのに〜」
べそをかく彼女に、はぁと呆れが多分に混じった溜息を吐けば、伊作が家臣へと近寄ってその生死を確認する。既に男は事切れており、首を振った伊作の脇で、散らかった彼女の着物を集めた小平太が手招きをする。
すんすんと鼻を鳴らして嘘泣きをする彼女を後目に、仙蔵は文次郎と留三郎、長次に文書を纏めるようにと指示を出して自身も他の密書やらがないかを探し出す。
「お前、いつの間にそんなもの手にしてたの?」
小平太が着付けをしている中、男の遺体を探ったあと、彼女の脳天に出来たたんこぶを診ながらそのまま手を取った。
そこには中指に留めた寸鉄が握られており、ついでとばかりに流れたままの彼女の髪をまとめ始めた伊作が問う。
「この間五年生の手合わせに付き合った時、久々知兵助に借りたの。ちゃんと帰って返せたら、あの子の豆腐を食べるって約束で」
くノ一の装束と違い、遊女の装いは華美に着飾るものであり、小平太は弟妹たちを気付けする要領で手際よく飾り立てていく。
伊作は彼女の髪を結い上げると、その首筋に浮かぶ家臣の男の所有痕をなぞった。擽ったいと身を捩る彼女は、先程までの艶かしい声とは違い、いつものようにけらけらと笑う。
「それにしても、もう少し我慢してくれりゃあ俺たちの試験は無駄にならなかったってのに」
「仙蔵に殴られることも無かったぞ」
文机を漁る文次郎と留三郎が、当てこすりと揶揄いの言葉を投げて寄越した。
そう言われると申し訳なさも多少込み上げてくるもので、仙蔵の拳骨を思い出して痛む頭に手を当てる彼女は唸る。
「いやほら、ちょっとそんなじっくり聞かれるとは思わなくて、思わず、ね?」
「……もそ」
「思わずで刻限を破るなだって!」
長次の言葉を代弁した小平太が、出来たぞと告げるとその背をトンと叩く。
手に付いた血は伊作が既に拭ったが、体に付いた血は拭うことなく付いたままだ。その気持ち悪さが居心地の悪さを呼び起こすが、今更褥を覗かれて頬を赤くする生娘でもない。
けれど、どれだけ表情を取り繕ったところで、胸中には確かな羞恥を覚えたのだ。
「さっさと乗り込んで来てくれれば良いのに、なんだって盗み聞きみたいな真似するかなぁ」
「それは他責というものだ、バカタレ。お前の堪え性のなさのせいだろう」
肩を落としてさめざめと嘘の涙を流し始める彼女に、ぴしゃりと言い放つのは文次郎だ。
酷い物言いだ、事実陳列罪だ、と喚く彼女は小平太に泣き付くと、頭をぽんぽんと大きな手が撫でる。
「私もお前が刻限を守らなかったのが悪いと思う!」
「えぇ!? 味方じゃないの!?」
小平太の裏切りの発言に即座に身を離し、よろめく彼女の肩を支えたのは伊作の手で、もう片方の手を取り上げると握ったままの寸鉄を離すように指を解いていく。
知らぬ間に、手が固まったように離せなくなっていた寸鉄だが、伊作が触れていくとすんなりと離れていく。
じっとそれを見ていれば、不意に留三郎がぷっと吹き出した。
「お前の今の顔、母親の仕草を見詰める子供みたいだぞ」
その言葉にカチンと来た彼女は解かれた指を再度握り直して寸鉄を構えると、今にも留三郎に飛び掛らんとした。
しかし、飛び上がりそうな彼女を押さえつけたのは小平太であり、長次が代わりに留三郎の頭に軽く拳を落とした。長次に怒られたことで留三郎は作業に戻るが、彼女の怒りは収まってなどいない。
「子供!? この私に向かって!? おいそこの爺さんを善がらせてたのは私だぞ! 留三郎、あんたも抱いてやろうか!?」
暴れる彼女の声が大きくなりそうなところを小平太の手がその口を塞ぎ、もがもがと尚も抗議する彼女に伊作が再度手を握る。
意地になって離さない寸鉄に、伊作が困ったように眉を下げる。
「ほら手を離して、汚れたままでは錆びてしまうよ。後輩から借りた大事なものを駄目にしても良いのかい?」
そう説かれてしまえば抗うこともようやくやめ、大人しくなった彼女に小平太も口を塞いでいた手を離した。
伊作の言葉にとことん弱い彼女は、おずおずとした声を上げる。
「伊作、今度からお母さんて呼んでもいい?」
「あはは、僕はお前を産んだ覚えなどないよ」
辛辣だ、と伊作のきっぱりとした断りに唸り声を上げた彼女に、小平太がなら私が母になろう! とにっかりと笑う。
「小平太は兄だよ、それか父」
彼女がそう即答すると、小平太は暫く悩んでからとんでもないことを口にする。
「お前が近親となるとお前を孕ませられん」
その言葉にバキリと文机が割れる音がし、文書を漁っていた面々へと目を向けると、じとりと小平太を睨む顔が四つ。伊作も思わず彼女を腕に招き入れて小平太から離し、咎めるような視線を送っていた。
「なんだ、なにか間違っているか?」
「うーん、間違ってはいないけれど、はっきりと口にすることでは無いことは確かだね」
伊作がそう告げると分かった! と素直に頷く小平太だが、本当に分かっているのかと問いたくなる程に笑顔だった。
そんな当の本人である彼女と言えば、柄にもなくぽっと頬を色付かせ、伊作の胸に寄り添い目を閉じて小さく呟く。
「これが母の温もり……」
「僕は男だよ!?」
忍び込んだ屋敷で緊張感のないやり取りを繰り広げている面々に、仙蔵は弛んだ空気にどうしようもない奴らだと笑みを零した。しかし、忍務中であることを忘れていては、大事に至りかねない。
仙蔵は手早く密書をまとめると懐に入れ、口布を引き上げる。それが合図となり、全員の表情がスっと引き締まる。
小平太は直ぐに一足先に斥候として逃走経路の確保に出て行くと、続いて文次郎と留三郎が周辺の人の動きを探るために出て行く。
長次は入口を見張り、伊作が周辺の痕跡を消しつつ片付けをする。
くノ一は潜入忍務が多く、その大半が単独行動だ。故に連携したその動きには素直に感心させられ、ほぅと思わず息を吐く。
どうしたのかと耳を寄せる仙蔵に、彼女は堪らず子供のようにはしゃぎそうになる声を抑えて口を寄せた。
「あんたたち、なんだか忍びみたいだね」
くすくすと声を抑えて笑う彼女に、仙蔵を目を瞬かせるとつられたように目を細めて笑う。
「なんだ、そんなことも知らんのか。私たちは間違いなく忍びだよ」
未だたまごの身だけれどな、と付け加える仙蔵の手が目の前に差し出される。
彼女はふっと笑んでその手を取ったかと思えば、仙蔵の指先にちぅとわざと音を立てて口付けを落とす。
「あんたも知らないんだね、仙蔵。私ってくノ一なんだよ?」
まだたまごだけれど、と。
途端に今度は目を瞬かせる仙蔵の手を、ぱっと離した彼女は長次の後ろに続いて先に出て行く。
残されたのは片付けを終えた伊作と、呆けた状態の仙蔵だけ。
「わぁ、仙蔵。お前って本当に赤が映えるね」
頬を赤くしているのが口布を介していても分かり、目元に滲む喜色は隠しようもない。
伊作がほら行くよと促してようやく足を踏み出したが、その足取りはいやに軽く感じるほどだった。
「——小平太、侵入口までの斥候を」
懐に地図を仕舞い込んだ仙蔵は、口布越しに任せろと頷く小平太を送り出した。
仙蔵たち六年生はオシロイシメジ城へと乗り込み、件の謀反を引き起こそうとしている家臣の証拠文書の捜索と奪取が課題となっていた。
商人の取り押さえは山田先生が担当すると聞いており、監督として現地にくノ一教室の山本シナ先生がどこからか見ていると聞いてはいるものの、実質六年生だけでことを遂行しなければならない。もちろんこれは試験であるのだからそれは当然のことだが、一つだけ疑問が浮かぶ。
それは妙な時間制限が設けられていたことだ。
下弦の月が昇るまでに家臣の手から奪えという、なんとも奇妙な時間制限だ。
これまでにも似たようなことがあったものの、それには説明が伴っていた。しかし、今回は詳細は知らされず、これには堪らずに文次郎が質問すれば居合わせれば分かるとの言葉のみ。
思わず首を傾げそうになる六年生だが、気を弛めて良い時と場合は弁えている。行動に移れとの指示に承知の短い声を上げると即座に動き出し、そうして今に至るのだ。
夜陰に紛れて行動する様は卵といえどもまさに忍びのそれで、仙蔵は小平太の合図に頷くと、言葉なく視線を背後に向ければ文次郎を先頭に続々と走り出す。
殿を務めるかたちで仙蔵も潜入口に辿り着き、一寸の間を置いて気付かれていないかに耳を澄ませる。
ふるふると首を振る小平太は敵に勘づかれていないことを確認すると、文次郎が手にした袋槍の柄をこんこんと小さな抜け口を塞ぐ戸に音を立てる。
しかし、そこから返事が返ってくることはなく、文次郎は留三郎と頷いて槍を構える。留三郎が音を立てないようにと慎重に戸をズラして開けると、もちろん中には誰の姿も無かった。
ふぅと、一先ずの息を吐いた面々だが直ぐに気を取り直し、そこへ小平太を先頭に潜り込んで行く。
最後に長次が身を入れ戸を閉じてしまえば、狭く小さな通路は闇に閉ざされる。しかしそこは忍びである六人、ましてや先頭は小平太である。
迷いなく経路を進んで行く後ろをついて行き、広い城内を探し回るには効率を考え、三手に分かれることとする。当然分かれ方は自然と同室の者同士となっていた。
仙蔵は別れ際に懐にあった鳥の子を各二個ずつ渡すが、伊作の分は留三郎に預けた。若干涙目で小さく唸る伊作に、これも仕方ないことだと全員が不運体質に首を振る。
六人は目を合わせ合うと三手に散って城内の探索にあたる。探す人物の顔は事前に頭に叩き込んであるため、無論一目見ればすぐに分かる。
しかし、城というものは入り組んでいて人も多く、見付けるのには多少の時間を要するだろうと仙蔵は外へと窓から夜空を覗く。
時間はまだ猶予があるが、悠長にしていればあっという間に刻限だ。
気合いを入れ直してことに当たろうとしたところへ、文次郎が仙蔵に見ろと視線を投げて寄越した。促されるままに目を向けると、そこには件の家臣の姿があり、今まさに会合を終えた家臣団の集まる部屋から抜けようとしているところだった。
仙蔵は文次郎と再度目を合わせると、後を付けるべくして天井裏を音もなく進む。
件の家臣は祐筆であり、懐に何やら文書を他者の目を気にしながら忍ばせると、そそくさと急ぎ足でどこかへ向かう。途中居合わせた他四人も直ぐに眼下の家臣を認めると、一行は家臣に続いて城を後にする。
人目につくことを恐れるかのような振る舞いで、暗闇に紛れるようにして城を出た件の家臣だが、ずっと尾行している仙蔵たちには丸分かりだ。そうでなくとも素人のする隠密行動は忍術学園の一年生よりも劣る大層粗末なものである。
足早に城下へと向かう家臣に、一定の距離をとっていた仙蔵らは一度止まった。
大方屋敷へと戻るのだろうが、念の為、小平太を後につけさせて仙蔵は空を見上げる。
未だ月は昇ってはいないことを確かめる。
「文書を取るだけなら直ぐに奪えば良かったのではないか?」
留三郎がわざわざ泳がせる必要があるのかと問う。
仙蔵はそれには静かに首振り、そして目を細めて笑む。
「お前たちは刻限の理由を知りたくは無いのか?」
「そら知れるのなら知りたいが、それで刻限を逃して試験に落ちるのは本末転倒じゃないか?」
仙蔵にそう言って眉を顰めたのは文次郎だ。
ふむ、と確かにそうだと顎を撫でる仙蔵だが、存外芽生えた好奇心に抗えない性格をしているのも確かだ。
「確か、山本シナ先生が監督しておられるのだよね? もしかしたらあの子が関わっているのかもしれないよ」
伊作の言葉に四人の頭に浮かぶのは彼女であり、そう言われればそうだと返すことも出来ない。
くノたまの後輩が負傷したことを踏まえれば、救出作戦だろうかと長次が口にする。
しかし、それならば見たら分かるなどと勿体ぶった言い方をするだろうか。救出は窮地に陥っていることを指し、先生方が生徒の窮地に対してそんな悠長に構えることはないと断言出来た。
「どちらにせよ、最早家臣は文書と共に屋敷に戻った頃だろう。万一刻限を過ぎ試験が落第となった場合は、私の独断によるものとし、お前らの採点には再考していただく打診を行うさ」
そう言った仙蔵が立ち上がれば、その背を文次郎の手が叩いた。
「何を言っているんだ、バカタレ。俺たちも好奇心に負けた、それなら全員同じ処遇を受けるのは当たり前だろう」
「そうだよ、仙蔵。ひとりだけ落第になんてさせないよ」
伊作の言葉に留三郎と長次も頷き、仙蔵が馬鹿力の馬鹿文次郎がと笑った頃、小平太が夜陰に紛れて木々を伝って戻って来た。
途端スっと空気が変わり、仙蔵たちの目が忍務を遂行する忍びの目へと変わった。
「——屋敷には?」
「戻った、守備が薄い。近々抜ける気でいるのだろう」
小平太は短く報告を終えると、着いてこいと先に来た道を戻り出す。
文次郎と留三郎が続き、長次と伊作、最後に仙蔵が続いて追い掛ける。
六つの影が木々を縫うようにして城下へと向かい、建物の影から影へと潜んで進む彼らに気付く者はいない。
小平太の言葉通り守備は薄く、難なく屋敷へと潜り込んだ六人は、下人らが話す言葉に耳を傾けた。
「またあの部屋にお篭もりに?」
「ひゃー、随分とあの女に惚れ込んでるんだな」
「まぁ見目は良いし愛想も良い、おまけに教養もあると来た。……まぁ何より、夜の相手が大層良いのだろうよ」
下世話な話にうつつを抜かす下人らに、思わず飛び掛りそうになる文次郎と留三郎と長次だが、各々の同室が羽交い締めにしてなんとか止める。
まだ彼女と決まった訳では無いのだが、既に彼女のことだと悟っているのを誤魔化しつつも、ザワつく心に落ち着かないのは六人とも同じだった。
「にしてもよォ、ほら、この間城にくノ一が忍び込んでたって噂だろ? あの女も本当はくノ一なんじゃないのか?」
「ははっ、かもしれんな! なんせくノ一は男を愉しませるあらゆる術を心得ていると聞く。あんな女にしなだれかかれでもしてみろ、天にも昇る気持ちになるのも無理はない」
「抱かせてくれとは言わんが、ほんの少し裸体を拝ませてくれりゃあ俺らもマスかきに事欠かねぇってのによォ」
「やめろやめろ、イカ臭いお前なんかと一緒にしてくれるな!」
げらげらと下品な笑い声を上げる男どもに、今度は仙蔵と小平太、伊作がそれぞれ焙烙火矢と苦無、包帯を投げ付けようとするのを同室が同様に止めに入る。
言葉なく目だけで言い合いをする六人は、ここにいてはいずれ誰も止められなくなると早々に移動することを決め、音もなく移動を始める。
広い屋敷は中までも人気を少なくしており、六人にとっては都合が良いことこの上ない。
移動した六人は耳に男の低い声が聞こえてきたのを確認し合うと、一室の前に辿り着く。そこは忍び込む隙間もないほどに密室と化した造りをしており、襖に耳をそばだてると微かに女の嬌声が漏れていた。
上擦った声は確かに男を悦ばせるのには十分に甘美なものであり、家臣と思われる男の声が聞こえてきた。
「お前も連れて行こう、お前はワシと共に来るのだ。お前を置いてなど行けるものか!」
そう言って己の欲望のままに女に溺れる声は、聞いていて気持ちのいいものではない。
「もうすぐだ、ああ、もうすぐで——」
途端、ぱたりと男の声がしなくなる。
次いで女の嬌声も同様にぱったりと止んでしまい、六人はまさか気付かれたのかと額に汗が浮かぶ。
しかし、中からは異常な静けさだけが響いてくるだけで、状況を把握しようにも襖を開けるしかその術はない。
どうするかと瞬時に目配せし合う六人だが、やむを得ないとの判断を下したのは窓から月がこちらを見ていたからだ。
仙蔵は頷くと、責任を取るつもりで襖へと手をかける。傍らには文次郎と留三郎が各々の武器を構えており、小平太も後ろで苦無を構える。
意を決して仙蔵が襖を開けると、中には女がひとり背を向けていた。流した髪が白い背中を隠しているが、一糸まとわぬ女にだらりと垂れ下がる手が見て取れた。
女は背を向けたままに立ち上がると、垂れ下がっていた手が落ちてそれが家臣のものであったと気付くのに遅れてしまう。目を見開いたままに動かぬ骸と化したその家臣は首と頭から血を流しており、訳が分からないという表情で固まっていた。
女は真っ白な小袖を羽織ると、前を閉めることもなく振り向いた。
「ごめんね、私の方が先だったみたい」
申し訳なさの欠けらも無い顔でそう告げるのは、くノ一教室の六年生であり、六人のよく知る彼女である。いつも結い上げている髪は、情事の痕の色濃く残る様を見せ付けるように下ろしており、小袖の開いた前から覗く裸体には浴びた鮮血が模様のように飛び散っていた。
目を見開いて固まる仙蔵と、他の五人も同じ顔である。
漏れ出ていた嬌声は、普段聞く彼女の声とは似ても似つかず、心のどこかで彼女とは違うのだと安堵をしていたのだ。しかし、開けてみれば出て来たのは彼女であり、横殴りを受けたかのような衝撃に六人は間抜けな顔をして固まっていた。
実る乳房もくびれた腰も、まるで隠すことの無い彼女は、いつの間にか仙蔵の前に来ていたのか、上目遣いに覗き込んでその肩に手を置いた。血が付いたまま拭うこともせずに置かれた仙蔵の肩に、家臣のものであろう血がべったりと付けられた。
「ふふっ、悔しいって顔に書いてある」
してやったと、そう言いたげな彼女にようやく我に返った仙蔵は、窓の外を覗くとギリギリ月が昇り切る前のこと。
仙蔵はわなわなと震えたかと思えば、手をスっと出して彼女の脳天に一撃をお見舞いした。
常よりも加減のない力で撃ち落とした渾身の拳骨に、彼女はうっと呻いてその場に蹲る。
頭を抱えて悶える様にようやく他五人も我に返ったものの、言葉を紡ぐことが出来ないでいた。
「な、なんでさ〜」
涙目混じりに見上げてくる彼女へ、仙蔵が眉間に皺を寄せる。
「この阿呆が! お前が刻限を守らねば私たちの試験はどうなる!」
「だから謝ったのに〜」
べそをかく彼女に、はぁと呆れが多分に混じった溜息を吐けば、伊作が家臣へと近寄ってその生死を確認する。既に男は事切れており、首を振った伊作の脇で、散らかった彼女の着物を集めた小平太が手招きをする。
すんすんと鼻を鳴らして嘘泣きをする彼女を後目に、仙蔵は文次郎と留三郎、長次に文書を纏めるようにと指示を出して自身も他の密書やらがないかを探し出す。
「お前、いつの間にそんなもの手にしてたの?」
小平太が着付けをしている中、男の遺体を探ったあと、彼女の脳天に出来たたんこぶを診ながらそのまま手を取った。
そこには中指に留めた寸鉄が握られており、ついでとばかりに流れたままの彼女の髪をまとめ始めた伊作が問う。
「この間五年生の手合わせに付き合った時、久々知兵助に借りたの。ちゃんと帰って返せたら、あの子の豆腐を食べるって約束で」
くノ一の装束と違い、遊女の装いは華美に着飾るものであり、小平太は弟妹たちを気付けする要領で手際よく飾り立てていく。
伊作は彼女の髪を結い上げると、その首筋に浮かぶ家臣の男の所有痕をなぞった。擽ったいと身を捩る彼女は、先程までの艶かしい声とは違い、いつものようにけらけらと笑う。
「それにしても、もう少し我慢してくれりゃあ俺たちの試験は無駄にならなかったってのに」
「仙蔵に殴られることも無かったぞ」
文机を漁る文次郎と留三郎が、当てこすりと揶揄いの言葉を投げて寄越した。
そう言われると申し訳なさも多少込み上げてくるもので、仙蔵の拳骨を思い出して痛む頭に手を当てる彼女は唸る。
「いやほら、ちょっとそんなじっくり聞かれるとは思わなくて、思わず、ね?」
「……もそ」
「思わずで刻限を破るなだって!」
長次の言葉を代弁した小平太が、出来たぞと告げるとその背をトンと叩く。
手に付いた血は伊作が既に拭ったが、体に付いた血は拭うことなく付いたままだ。その気持ち悪さが居心地の悪さを呼び起こすが、今更褥を覗かれて頬を赤くする生娘でもない。
けれど、どれだけ表情を取り繕ったところで、胸中には確かな羞恥を覚えたのだ。
「さっさと乗り込んで来てくれれば良いのに、なんだって盗み聞きみたいな真似するかなぁ」
「それは他責というものだ、バカタレ。お前の堪え性のなさのせいだろう」
肩を落としてさめざめと嘘の涙を流し始める彼女に、ぴしゃりと言い放つのは文次郎だ。
酷い物言いだ、事実陳列罪だ、と喚く彼女は小平太に泣き付くと、頭をぽんぽんと大きな手が撫でる。
「私もお前が刻限を守らなかったのが悪いと思う!」
「えぇ!? 味方じゃないの!?」
小平太の裏切りの発言に即座に身を離し、よろめく彼女の肩を支えたのは伊作の手で、もう片方の手を取り上げると握ったままの寸鉄を離すように指を解いていく。
知らぬ間に、手が固まったように離せなくなっていた寸鉄だが、伊作が触れていくとすんなりと離れていく。
じっとそれを見ていれば、不意に留三郎がぷっと吹き出した。
「お前の今の顔、母親の仕草を見詰める子供みたいだぞ」
その言葉にカチンと来た彼女は解かれた指を再度握り直して寸鉄を構えると、今にも留三郎に飛び掛らんとした。
しかし、飛び上がりそうな彼女を押さえつけたのは小平太であり、長次が代わりに留三郎の頭に軽く拳を落とした。長次に怒られたことで留三郎は作業に戻るが、彼女の怒りは収まってなどいない。
「子供!? この私に向かって!? おいそこの爺さんを善がらせてたのは私だぞ! 留三郎、あんたも抱いてやろうか!?」
暴れる彼女の声が大きくなりそうなところを小平太の手がその口を塞ぎ、もがもがと尚も抗議する彼女に伊作が再度手を握る。
意地になって離さない寸鉄に、伊作が困ったように眉を下げる。
「ほら手を離して、汚れたままでは錆びてしまうよ。後輩から借りた大事なものを駄目にしても良いのかい?」
そう説かれてしまえば抗うこともようやくやめ、大人しくなった彼女に小平太も口を塞いでいた手を離した。
伊作の言葉にとことん弱い彼女は、おずおずとした声を上げる。
「伊作、今度からお母さんて呼んでもいい?」
「あはは、僕はお前を産んだ覚えなどないよ」
辛辣だ、と伊作のきっぱりとした断りに唸り声を上げた彼女に、小平太がなら私が母になろう! とにっかりと笑う。
「小平太は兄だよ、それか父」
彼女がそう即答すると、小平太は暫く悩んでからとんでもないことを口にする。
「お前が近親となるとお前を孕ませられん」
その言葉にバキリと文机が割れる音がし、文書を漁っていた面々へと目を向けると、じとりと小平太を睨む顔が四つ。伊作も思わず彼女を腕に招き入れて小平太から離し、咎めるような視線を送っていた。
「なんだ、なにか間違っているか?」
「うーん、間違ってはいないけれど、はっきりと口にすることでは無いことは確かだね」
伊作がそう告げると分かった! と素直に頷く小平太だが、本当に分かっているのかと問いたくなる程に笑顔だった。
そんな当の本人である彼女と言えば、柄にもなくぽっと頬を色付かせ、伊作の胸に寄り添い目を閉じて小さく呟く。
「これが母の温もり……」
「僕は男だよ!?」
忍び込んだ屋敷で緊張感のないやり取りを繰り広げている面々に、仙蔵は弛んだ空気にどうしようもない奴らだと笑みを零した。しかし、忍務中であることを忘れていては、大事に至りかねない。
仙蔵は手早く密書をまとめると懐に入れ、口布を引き上げる。それが合図となり、全員の表情がスっと引き締まる。
小平太は直ぐに一足先に斥候として逃走経路の確保に出て行くと、続いて文次郎と留三郎が周辺の人の動きを探るために出て行く。
長次は入口を見張り、伊作が周辺の痕跡を消しつつ片付けをする。
くノ一は潜入忍務が多く、その大半が単独行動だ。故に連携したその動きには素直に感心させられ、ほぅと思わず息を吐く。
どうしたのかと耳を寄せる仙蔵に、彼女は堪らず子供のようにはしゃぎそうになる声を抑えて口を寄せた。
「あんたたち、なんだか忍びみたいだね」
くすくすと声を抑えて笑う彼女に、仙蔵を目を瞬かせるとつられたように目を細めて笑う。
「なんだ、そんなことも知らんのか。私たちは間違いなく忍びだよ」
未だたまごの身だけれどな、と付け加える仙蔵の手が目の前に差し出される。
彼女はふっと笑んでその手を取ったかと思えば、仙蔵の指先にちぅとわざと音を立てて口付けを落とす。
「あんたも知らないんだね、仙蔵。私ってくノ一なんだよ?」
まだたまごだけれど、と。
途端に今度は目を瞬かせる仙蔵の手を、ぱっと離した彼女は長次の後ろに続いて先に出て行く。
残されたのは片付けを終えた伊作と、呆けた状態の仙蔵だけ。
「わぁ、仙蔵。お前って本当に赤が映えるね」
頬を赤くしているのが口布を介していても分かり、目元に滲む喜色は隠しようもない。
伊作がほら行くよと促してようやく足を踏み出したが、その足取りはいやに軽く感じるほどだった。