日輪草の傍らに咲く
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『日輪草の傍らに咲く』第四幕
※一部の人にかなり泥をかぶってもらう感じになりますごめんなさい
※モブ名前あり
※ちょっと暴力的な表現あり
※流血注意
タソガレドキ城内の地下。埃っぽく、恐らく昼間でさえ日当たりも僅かであろう薄暗いその部屋から、剣呑な声が響き渡る。
「この、大人しくしろ!殿がご所望の際には連れてくるようにとの命だ!」
「いやっ、離して!…助けてぇ!」
「おキヨちゃん!」
「どうかお願いです、連れて行かないで!」
「殿の側に呼ばれるなどこの上ない名誉なことだ!ありがたく思え!」
キヨ、というらしいその女性は、確かにタソガレドキの殿が"ご所望"するというのも納得できるほど、若く美しい容姿だった。
彼女が城兵に無理矢理部屋の外に引っ張り出されるのを、中にいた他の女性たちが必死で止めようとしている。
この人たちは分かっている。殿のお酌の相手と称して、女である自分たちの体に果たして何を求められるのかを。
ーーーーーーーーーーそして、タソガレドキ側は彼女たちが抵抗できない立場にあることを、よく知っている。
「くそっ、いい加減に…」
「いい加減にするのはあんたの方だよ。」
「…はあ?何だお前」
外で見張りをしていた眠そうな城兵から拝借した服で変装していた僕を、振り返ったその顔に。言葉をぶった斬るように左頬に加減なく喰らわすと、女の人の腕を掴んでいたその城兵は一発で倒れてのびてしまった。
女性たちは呆気に取られている。
「おいお前!何をして…」
僕の後ろにいた別の城兵が、捕らえようと手を伸ばしかけて、
その更に後ろからの回し蹴りをまともに喰らい、吹っ飛ばされる。
ふう、と息を一つ吐く、…今は僕の施したメイクで適当な男の顔に変装している、ひまり先輩に、
「それ、一生受けたくない技ですね。」
とコメントすると称賛と受け取ったのか、その顔はニヤリと笑ってみせた。
「き…貴様ら、この城の者ではないな?!即刻ひっ捕えて…」
こちらは倒れ込んでもまだ意識があったのか、気丈にも吠えるもう一人の城兵の前に彼女はしゃがんで。
「黙らないんだったら寝ててもらおうか。」
「…?!お前、女ーーーーーーーーーー」
そして、そいつが彼女の肉声を聞き気を取られた隙に、両手で作った拳骨を脳天からまともに喰らわせて完全に沈黙させる。
それぞれ目を覚ました時に大声で人を呼べないよう、布で轡を噛ませて手足を縛ってその辺りに転がした。
「あ…あの、あなた方は一体……?」
恐る恐る、先ほどキヨと呼ばれた方の女の人をまるで庇うように抱きしめている女性が、声をかけてくる。
ひまり先輩は変装を解き、素顔のまま彼女たちの前に片膝をついた。
「園田村の方々ですね。乙名の手潟さんからのご依頼で、皆さんをここから脱出させるために参りました。」
何も知らされていなかったであろう彼女たちに、今回のオーマガトキとタソガレドキの企みについて話をすると、やはり皆一様に驚いた顔をしていた。
「真実を知ってしまった園田村に対し、タソガレドキはその粛清のため兵を差し向けてきました。そのおかげで今、城の中はむしろ手薄となり動きやすくなっています。逃げるなら今の内です。」
もう奉公に上がる必要は無いのだということを説明すると、そのそれぞれの顔に喜びの色が差す。
彼女たちは一体これまで、どれほど不安だったことか。
言葉ではっきり明言されなくとも、察していたであろう。自分たちが抵抗すれば、村にも危害を及ぼされかねないと。
「我々が時間を稼ぐので、その隙に逃げてください。…村で、大切な人たちが待っています。」
「…ありがとうございます…!」
女性たちのうちの一人が涙ながらに声を震わせながら感謝を述べると、つられたように何人かも涙が溢れる目を覆う。また、それを隣から肩を抱いて「泣いてるヒマなんかないわよ!」と叱咤激励する人も。
ひまり先輩は立ち上がり、僕と目を合わせた。
「じゃあ、手筈通りに。」
はい、と返事をして僕は、先に立って歩き始める。女性たちが全員部屋から出たタイミングで、しんがりの先輩も歩き始めた。
「ばーかばーか、三郎のばーか!三郎なんか、変装のし過ぎで自分の顔忘れてしまえー!!」
「ばーかばーか!ひまり先輩なんか料理で大失敗して好きな人にこっぴどくフラれちゃえばいいんですよー!!」
「何だとこのやろー!鏢刀で珍しく怪我して、しばらく立ち直れなくなれえぇ!!」
思いつく限りの罵詈雑言を、わざわざお互いに距離を空けて、千里先にも届かんばかりに叫びまくる。
そんな僕たちが城の敷地内にいるのを、また別の見張りが発見する。
「いたぞ!あそこだ!」
「逃すな!」
追ってくる気配を確認して、ひまり先輩が頷く。
「…よーし、これくらいでいいだろ。そろそろ逃げるぞ。」
「了解でーす。」
お互い既に、変装用に拝借していた服は脱ぎ捨てて、いつもの制服姿に戻っていた。
村の女性たちは城の関係者に見つからないよう、目立たない場所から先に逃がしている。後は、自分たちが敵を引きつけつつ逃げるだけだ。
夏の夜明けは早い。日はまだまだ姿を見せないけれど、それでも辺りの草木もうっすらと輪郭を取り戻しつつある。
僕と先輩はひたすら走った。
「ところで先輩、さっき手裏剣本気で投げてきてませんでした?」
「そんな訳ないだろ、気のせい気のせい。」
「僕の顔見て言ってくださいよ。はい、拾っときましたからね。」
「おっ、流石。」
そんな軽口を叩き合いながら。
息を整えがてら、茂みに身を隠し遥か後方に小さく見えている追っ手を伺う。先輩も、一旦覆面を下ろして息をついていた。
「…城から結構離れたのに、まだ追ってきてますね。しつこいなあ。」
「まあ、それだけこっちに意識が向いてるなら成功と言えるし、いいだろ。……あの人たち、無事に村に着くといいけど。」
盗み見た、すぐ隣の横顔。
…ああ、この目だ。
自分より他人を優先する目。忍を目指す者にあるまじき情。
初めて出会った、そして、言葉を交わした時からこの人は一つも変わっていない。
最初に彼女に抱いた感覚は、間違ってはいなかったのだろう。
忍のくせに、無条件で人を信じろと言うのか、と。
心を打ち明け、本心で接すれば、相手も同じように応じてくれるはずだとどうして無邪気に信じられる?
意味が分からない。
気持ち悪い。
関わってなるものか。
目に映してなるものか。
ずっと、頑なにそう思っていた。
だけど。去年の、"あの日"ーーーーーーーーーー
「……三郎。」
後ろを伺う体勢のまま声をかけられて、ギクリとする。
顔を見ていたことを、気付かれて何か言われるだろうか。そう、身構えていた僕に。
覆面を下ろしたまま、先輩は少し緊張の解けた顔で笑いかけて。
「誰も巻き込みたくないと思ってたけど、……助かった。お前が来てくれて、良かったよ。」
喉が詰まったように、一瞬何も返せなくなった僕を、可笑しそうに小さく吹き出しながら先輩は言う。
「…何だよ、本当にそう思ってるんだぞ?ほら、急いで村に戻るぞ。」
僕の肩を叩いて立ち上がり、再び走り出す、その後を追いながら。
先に立つその背中を見つめながら。
胸の内で彼女の放った言葉を反芻しては、唇を噛む。
ーーーーーーーーーー『お前が来てくれて、良かったよ。』
……やめてくださいよ。
最初だって僕が食い下がったら嫌そうにしてたくせに。帰れって言ったくせに。
そうやってその目が、望みなんか持たないはずのこの心をかき乱していることを、あなたは全然知らない。
…助けになんか、やっぱり来なきゃ良かった。
(嬉しい。)
ああそうですよね、便利ですもんね、僕。
(嬉しい。)
(…ひまり先輩。
僕、先輩のこと、)
その背に手を伸ばそうと腕を持ち上げかけた、
その時僕は、何も考えたくないと思った。
誰にも、何にも遠慮しないでーーーーーーーーーー
「ーーーーーーーーーー先輩伏せて!!」
その刹那。闇空を裂くように頭上から降りかかる矢の、僅かな音に突如意識を叩き起こされる。
僕の声に振り返りかけたひまり先輩を庇うように後ろから覆いかぶさる。地面に倒れ込みながら、二の腕に受けた燃えるような痛みに顔が歪む。
「っ、…」
「三郎っ?!」
刺さりはしないが、思ったよりもかなり深く当たったようだ。とにかく、彼女に当たらなかったことに僕は一番、安堵していた。
何よりそれが一番、大事なことだった。…それ以外なんてどうでもいいとさえ思えてきてしまうほどに。
「…ったく、ここまでしなくても。ほんと、しつこくて陰湿ですねえ。」
「矢を喰らったのか?!見せてみろ。」
「大したこと、ありませんよ……それより先輩、早く、先に逃げてください。」
「…置いて行けって言うのか?馬鹿言うな!」
「追っ手が来てしまいます、いいから早く…僕は…平気ですから…っ」
ああ、なんだか、嘘も下手くそになってしまった。痛みに耐えかねる表情も、乱れる呼吸も流れる汗も血も隠すことができなくて。それでも、早く、彼女がここから離れてくれたなら。
そう願っていたのに。
胸ぐらを掴まれ、「……私はな、三郎。」と唸るように低い声で。
「ここでお前を見捨てなきゃ助からないような奴なんかじゃない!私を馬鹿にするな!」
思わず、息を呑む。
荒げた呼吸と、涙が張る瞳の奥に湛えているのは、怒りの色。
見たことのないその色に、痛みすら忘れかける。
彼女の逆鱗に触れたのだと、知った。
掴んだ時と同じように乱暴に胸ぐらを解放されたかと思うと、彼女は怪我していない方の腕を引っ張り上げるようにして、姿勢を低くしたまま、僕を背負った。追っ手の追撃を避けるためなのだろう。
鍛えているとは言え、女の体で、背丈も同じくらいの僕の体を運ぶのが楽な筈がない。まして、匍匐前進と変わりない体勢で。多分、一人の方がマシなくらいの速さでしか進めてなくて。それでも、歯を食いしばるように。
ーーーーーーーーーーお淑やか、とは、程遠いんだよな。
ぼんやりとしか、思考が働かない。
痛みのせいなのか、それとも、背負われている先輩の背中から移る熱に浮かされているからなのか、僕にはよく分からない。
…捨ててけばいいのに。
ほんと、馬鹿ですね。先輩。
やっぱり忍者、向いてないですよ。
そういうとこ、まるで、お人好しの誰かさんみたいです。
遠くからの銃声が、頭上の空に木霊して先輩の動きが一瞬止まる。
音のした方向は、前方だった。挟み撃ちにされたのだろうか。
二人とも息を殺して、しばし身動ぎせずにいると。
急に自分の体が宙に浮き、誰かに担ぎ上げられた。
けど、……敵意を感じない。
「おい何をする?!離せっ!」
すぐ近くで、暴れている様子の先輩の声も聞こえる。彼女の腕か足が当たったのか、彼女を担いだ者らしき声も。
「いって!お前、背中を蹴るな!」
「尊奈門、お前の運び方が悪い。」
「組頭あ!それはないでしょう!」
訳が分からないまま、ドサリと降ろされたのは川の近く。
僕のすぐそばに彼女も降ろされると、近くの地面に大きな影が落ちた。
見上げると、目の前に立ち並ぶタソガレドキ忍軍。そしてその、忍組頭ーーーーーーーーーー包帯だらけの大男、雑渡昆奈門。
「やあ。また会ったね、忍たまのお嬢さん。…おっと、今日はもう何もしないよ。そんなに警戒しないで。」
無言のまま片手で僕を庇うように、そしてもう片方の手で苦無を構えるひまり先輩に対し、そいつは得物を持っていないことを証明するように両手の平をこちらに向けてくる。そして、こんなことを言った。
「あの恋人の彼に、後でお礼を言っておいた方が良いよ。タソガレドキ忍軍が忍術学園の者に手を出さないよう、約束させたのは彼だからね。…いや何、彼とは以前一度会っていてね。合戦場で私や部下の怪我を手当てしてくれたものだから、言うなればこれはその恩返しといったところかな。」
警戒と疑いの目つきを緩めない彼女に飄々として言うその組頭の男は、部下の一人を振り返り「その子の手当てを。」と指示する。その集団の中では比較的年かさに見受けられる、部下の男が一歩こちらに近付くと、
「触るな!」
と、鋭く叫んで先輩はそちらに向けて更に上段に苦無を構えた。そして、忍組頭の方に再び視線を戻す。
「…助けてくれたことには感謝する。だが、それ以上近付くな。…私の後輩だ。」
恐らく彼女を担いできた、その中で一番若い見た目の部下が「こいつ…!」と表情を険しくさせる。組頭はそれには構うことなく、彼女の意志に対し分かった、とでも言うように一つ頷き、部下たちを振り返って、
「先に行って、待ち伏せをしろ。」
と今度は全体に向けて命令した。
一番若い部下の男を除き、全員が一瞬にしてその場から姿を消していった。
「尊奈門、お前も…」
「ダメです!組頭が残られるのでしたら、私も残ります!」
「はあー。ほんとにお前はワガママさんだねぇ。ま、いいけど。」
雑渡昆奈門は改めてこちらを振り返った。
「あ、さっきのはこっちの話だから。村の女の人たちとは関係ないよ。こちらはこちらで作戦があってね。」
「ああ、だからもう、そういう機密をペラペラと喋らないで下さいって…。」
黙って彼らの様子を伺っていたひまり先輩は、睨みつつ、ゆっくりと苦無を下ろした。
そして、僕に向き直る。
「三郎、手当てするから腕出して。」
僕は素直に従う。僕が袖を捲る間、先輩は荷物から空の水筒を取り出して川の流水を汲んだ。その水を、少しずつ傷口にかけて汚れを落とす、彼女は。
荷物の中から、僕が渡した痛み止めを手に取った。
「…それ、」
「私にって、持ってきてくれただろ?でもごめん、今はあんたの方が重症だから。」
自分の中にいる、聞き分けのない僕が弾かれたように叫ぶ。
そんなのいらない。
善法寺先輩がひまり先輩のために作った薬なんか、いらない。
でも、言葉は喉から先に出てこなかった。
先輩は指に取った薬を丁寧に塗りながら、まだ立ち去っていなかった忍組頭の男に向けて話しかける。
「…さっきのも、あんたが撃たせたのか?」
「そうだよ。それがどうかしたかい?」
「同じ城の者なら、仮にも仲間を撃ったことになるんじゃないのか?手を出さない、の範疇を超えていると思うが。」
「お前!助けられておきながら…」
純朴そうな部下の男が窘めようとしたのを、雑渡昆奈門は手で制する。
「急所は外させているさ。そもそも威嚇が目的だし。それに、城の者がすることを妨害するな、…とは殿からも命令されていない。」
「物は言いよう、だな。」
「言っておくけど、君たちを助けることまでは恋人君には頼まれていないよ。…まあ、それに関しては気まぐれってとこかな。」
先輩は小さくため息をついて、薬を塗る手を一度止めて、顔を彼らに向ける。
「…もう一度だけ言うが、感謝はしている。」
「もともと恩返しのつもりだったんだから、君からの感謝は不要だよ。とにかくこれで、彼への借りは返せた。」
最後まで威嚇するように睨み続ける部下の背中を叩き、その忍組頭は踵を返しながら片手を振ってみせた。
「では、縁があったらまた会おう。」
二つの影が消え去ってから、更に暫く時間を置いて、二人のいた場所を向いたまま先輩は忌々しそうに呟いていた。
「…縁などあってたまるか。」
どうやら、徹底的に嫌ってしまっているらしい。
再びこちらを向き直った彼女は、それとはうって変わって優しい目つきで「ごめん、途中だったな。」と治療を再開する。
「持ってきておいて良かった、保健委員会特製の包帯。」
「…乱太郎から聞きましたけどそれ確か、褌じゃありませんでしたっけ?」
「しかも懐に入れてたから私の汗若干吸ってる。」
「うわもう最悪ですよ…」
「文句垂れるな、手当てできるだけありがたいと思え。」
包帯を巻かれながら、僕は自嘲気味に笑う。
「……これじゃ、お手伝いに来たなんて言えないですね。ーーーーーーーーあの時と何も変わらない。」
「ん?」
どうせ覚えていないと思ったから、半ば投げやりについ口にしていた。
僕が惹かれるばかりの向日葵が向くのは、どうしたって太陽の方で。
こっちになど見向きもしない。
いつもいつでも、そんなのは最初から分かりきっていることだ。
「…去年よりは成長したんじゃないのか?鉢屋三郎。」
きっと覚えてなんかいない。
そう、思っていたのに。
「あ、これじゃ圧迫されすぎるかな。巻き直そ。……三郎?」
僕が四年生の時。
実習中、偶然耳にしたある城の忍術学園への襲撃計画。
己を過信し、単独で探ろうとして逆に敵に追われた僕の腕を引いて。
安全な所まで連れて行くその途中で、まるで気遣うように一瞬だけ振り返った目と。
連れてこられた、当時の実技担当教師にその場で叱咤され拳骨を喰らう僕には構わず、腕を離すや学園への先触れに走る背中。
決して、僕に振り向かないくせに。
どうして気付くんだ。
何でまた助けるんだ。
そのことが、本当に腹が立つくらいーーーーーーー
「……ッ、」
「…ごめん、そんなに痛かった?すぐ巻き直すから待って。」
熱い涙が溜まっていく目を、片手で覆う。
隠せないなら、もう、そういうことにしておこう。
もう先輩も、理由を深く訊いたりはしない。
「包帯は、しっかり巻いてもキツすぎず、だっけね。」
穏やかに笑みさえ浮かべて、包帯を丁寧に巻き直すその手つきはどこまでも温かいものだった。
※一部の人にかなり泥をかぶってもらう感じになりますごめんなさい
※モブ名前あり
※ちょっと暴力的な表現あり
※流血注意
タソガレドキ城内の地下。埃っぽく、恐らく昼間でさえ日当たりも僅かであろう薄暗いその部屋から、剣呑な声が響き渡る。
「この、大人しくしろ!殿がご所望の際には連れてくるようにとの命だ!」
「いやっ、離して!…助けてぇ!」
「おキヨちゃん!」
「どうかお願いです、連れて行かないで!」
「殿の側に呼ばれるなどこの上ない名誉なことだ!ありがたく思え!」
キヨ、というらしいその女性は、確かにタソガレドキの殿が"ご所望"するというのも納得できるほど、若く美しい容姿だった。
彼女が城兵に無理矢理部屋の外に引っ張り出されるのを、中にいた他の女性たちが必死で止めようとしている。
この人たちは分かっている。殿のお酌の相手と称して、女である自分たちの体に果たして何を求められるのかを。
ーーーーーーーーーーそして、タソガレドキ側は彼女たちが抵抗できない立場にあることを、よく知っている。
「くそっ、いい加減に…」
「いい加減にするのはあんたの方だよ。」
「…はあ?何だお前」
外で見張りをしていた眠そうな城兵から拝借した服で変装していた僕を、振り返ったその顔に。言葉をぶった斬るように左頬に加減なく喰らわすと、女の人の腕を掴んでいたその城兵は一発で倒れてのびてしまった。
女性たちは呆気に取られている。
「おいお前!何をして…」
僕の後ろにいた別の城兵が、捕らえようと手を伸ばしかけて、
その更に後ろからの回し蹴りをまともに喰らい、吹っ飛ばされる。
ふう、と息を一つ吐く、…今は僕の施したメイクで適当な男の顔に変装している、ひまり先輩に、
「それ、一生受けたくない技ですね。」
とコメントすると称賛と受け取ったのか、その顔はニヤリと笑ってみせた。
「き…貴様ら、この城の者ではないな?!即刻ひっ捕えて…」
こちらは倒れ込んでもまだ意識があったのか、気丈にも吠えるもう一人の城兵の前に彼女はしゃがんで。
「黙らないんだったら寝ててもらおうか。」
「…?!お前、女ーーーーーーーーーー」
そして、そいつが彼女の肉声を聞き気を取られた隙に、両手で作った拳骨を脳天からまともに喰らわせて完全に沈黙させる。
それぞれ目を覚ました時に大声で人を呼べないよう、布で轡を噛ませて手足を縛ってその辺りに転がした。
「あ…あの、あなた方は一体……?」
恐る恐る、先ほどキヨと呼ばれた方の女の人をまるで庇うように抱きしめている女性が、声をかけてくる。
ひまり先輩は変装を解き、素顔のまま彼女たちの前に片膝をついた。
「園田村の方々ですね。乙名の手潟さんからのご依頼で、皆さんをここから脱出させるために参りました。」
何も知らされていなかったであろう彼女たちに、今回のオーマガトキとタソガレドキの企みについて話をすると、やはり皆一様に驚いた顔をしていた。
「真実を知ってしまった園田村に対し、タソガレドキはその粛清のため兵を差し向けてきました。そのおかげで今、城の中はむしろ手薄となり動きやすくなっています。逃げるなら今の内です。」
もう奉公に上がる必要は無いのだということを説明すると、そのそれぞれの顔に喜びの色が差す。
彼女たちは一体これまで、どれほど不安だったことか。
言葉ではっきり明言されなくとも、察していたであろう。自分たちが抵抗すれば、村にも危害を及ぼされかねないと。
「我々が時間を稼ぐので、その隙に逃げてください。…村で、大切な人たちが待っています。」
「…ありがとうございます…!」
女性たちのうちの一人が涙ながらに声を震わせながら感謝を述べると、つられたように何人かも涙が溢れる目を覆う。また、それを隣から肩を抱いて「泣いてるヒマなんかないわよ!」と叱咤激励する人も。
ひまり先輩は立ち上がり、僕と目を合わせた。
「じゃあ、手筈通りに。」
はい、と返事をして僕は、先に立って歩き始める。女性たちが全員部屋から出たタイミングで、しんがりの先輩も歩き始めた。
「ばーかばーか、三郎のばーか!三郎なんか、変装のし過ぎで自分の顔忘れてしまえー!!」
「ばーかばーか!ひまり先輩なんか料理で大失敗して好きな人にこっぴどくフラれちゃえばいいんですよー!!」
「何だとこのやろー!鏢刀で珍しく怪我して、しばらく立ち直れなくなれえぇ!!」
思いつく限りの罵詈雑言を、わざわざお互いに距離を空けて、千里先にも届かんばかりに叫びまくる。
そんな僕たちが城の敷地内にいるのを、また別の見張りが発見する。
「いたぞ!あそこだ!」
「逃すな!」
追ってくる気配を確認して、ひまり先輩が頷く。
「…よーし、これくらいでいいだろ。そろそろ逃げるぞ。」
「了解でーす。」
お互い既に、変装用に拝借していた服は脱ぎ捨てて、いつもの制服姿に戻っていた。
村の女性たちは城の関係者に見つからないよう、目立たない場所から先に逃がしている。後は、自分たちが敵を引きつけつつ逃げるだけだ。
夏の夜明けは早い。日はまだまだ姿を見せないけれど、それでも辺りの草木もうっすらと輪郭を取り戻しつつある。
僕と先輩はひたすら走った。
「ところで先輩、さっき手裏剣本気で投げてきてませんでした?」
「そんな訳ないだろ、気のせい気のせい。」
「僕の顔見て言ってくださいよ。はい、拾っときましたからね。」
「おっ、流石。」
そんな軽口を叩き合いながら。
息を整えがてら、茂みに身を隠し遥か後方に小さく見えている追っ手を伺う。先輩も、一旦覆面を下ろして息をついていた。
「…城から結構離れたのに、まだ追ってきてますね。しつこいなあ。」
「まあ、それだけこっちに意識が向いてるなら成功と言えるし、いいだろ。……あの人たち、無事に村に着くといいけど。」
盗み見た、すぐ隣の横顔。
…ああ、この目だ。
自分より他人を優先する目。忍を目指す者にあるまじき情。
初めて出会った、そして、言葉を交わした時からこの人は一つも変わっていない。
最初に彼女に抱いた感覚は、間違ってはいなかったのだろう。
忍のくせに、無条件で人を信じろと言うのか、と。
心を打ち明け、本心で接すれば、相手も同じように応じてくれるはずだとどうして無邪気に信じられる?
意味が分からない。
気持ち悪い。
関わってなるものか。
目に映してなるものか。
ずっと、頑なにそう思っていた。
だけど。去年の、"あの日"ーーーーーーーーーー
「……三郎。」
後ろを伺う体勢のまま声をかけられて、ギクリとする。
顔を見ていたことを、気付かれて何か言われるだろうか。そう、身構えていた僕に。
覆面を下ろしたまま、先輩は少し緊張の解けた顔で笑いかけて。
「誰も巻き込みたくないと思ってたけど、……助かった。お前が来てくれて、良かったよ。」
喉が詰まったように、一瞬何も返せなくなった僕を、可笑しそうに小さく吹き出しながら先輩は言う。
「…何だよ、本当にそう思ってるんだぞ?ほら、急いで村に戻るぞ。」
僕の肩を叩いて立ち上がり、再び走り出す、その後を追いながら。
先に立つその背中を見つめながら。
胸の内で彼女の放った言葉を反芻しては、唇を噛む。
ーーーーーーーーーー『お前が来てくれて、良かったよ。』
……やめてくださいよ。
最初だって僕が食い下がったら嫌そうにしてたくせに。帰れって言ったくせに。
そうやってその目が、望みなんか持たないはずのこの心をかき乱していることを、あなたは全然知らない。
…助けになんか、やっぱり来なきゃ良かった。
(嬉しい。)
ああそうですよね、便利ですもんね、僕。
(嬉しい。)
(…ひまり先輩。
僕、先輩のこと、)
その背に手を伸ばそうと腕を持ち上げかけた、
その時僕は、何も考えたくないと思った。
誰にも、何にも遠慮しないでーーーーーーーーーー
「ーーーーーーーーーー先輩伏せて!!」
その刹那。闇空を裂くように頭上から降りかかる矢の、僅かな音に突如意識を叩き起こされる。
僕の声に振り返りかけたひまり先輩を庇うように後ろから覆いかぶさる。地面に倒れ込みながら、二の腕に受けた燃えるような痛みに顔が歪む。
「っ、…」
「三郎っ?!」
刺さりはしないが、思ったよりもかなり深く当たったようだ。とにかく、彼女に当たらなかったことに僕は一番、安堵していた。
何よりそれが一番、大事なことだった。…それ以外なんてどうでもいいとさえ思えてきてしまうほどに。
「…ったく、ここまでしなくても。ほんと、しつこくて陰湿ですねえ。」
「矢を喰らったのか?!見せてみろ。」
「大したこと、ありませんよ……それより先輩、早く、先に逃げてください。」
「…置いて行けって言うのか?馬鹿言うな!」
「追っ手が来てしまいます、いいから早く…僕は…平気ですから…っ」
ああ、なんだか、嘘も下手くそになってしまった。痛みに耐えかねる表情も、乱れる呼吸も流れる汗も血も隠すことができなくて。それでも、早く、彼女がここから離れてくれたなら。
そう願っていたのに。
胸ぐらを掴まれ、「……私はな、三郎。」と唸るように低い声で。
「ここでお前を見捨てなきゃ助からないような奴なんかじゃない!私を馬鹿にするな!」
思わず、息を呑む。
荒げた呼吸と、涙が張る瞳の奥に湛えているのは、怒りの色。
見たことのないその色に、痛みすら忘れかける。
彼女の逆鱗に触れたのだと、知った。
掴んだ時と同じように乱暴に胸ぐらを解放されたかと思うと、彼女は怪我していない方の腕を引っ張り上げるようにして、姿勢を低くしたまま、僕を背負った。追っ手の追撃を避けるためなのだろう。
鍛えているとは言え、女の体で、背丈も同じくらいの僕の体を運ぶのが楽な筈がない。まして、匍匐前進と変わりない体勢で。多分、一人の方がマシなくらいの速さでしか進めてなくて。それでも、歯を食いしばるように。
ーーーーーーーーーーお淑やか、とは、程遠いんだよな。
ぼんやりとしか、思考が働かない。
痛みのせいなのか、それとも、背負われている先輩の背中から移る熱に浮かされているからなのか、僕にはよく分からない。
…捨ててけばいいのに。
ほんと、馬鹿ですね。先輩。
やっぱり忍者、向いてないですよ。
そういうとこ、まるで、お人好しの誰かさんみたいです。
遠くからの銃声が、頭上の空に木霊して先輩の動きが一瞬止まる。
音のした方向は、前方だった。挟み撃ちにされたのだろうか。
二人とも息を殺して、しばし身動ぎせずにいると。
急に自分の体が宙に浮き、誰かに担ぎ上げられた。
けど、……敵意を感じない。
「おい何をする?!離せっ!」
すぐ近くで、暴れている様子の先輩の声も聞こえる。彼女の腕か足が当たったのか、彼女を担いだ者らしき声も。
「いって!お前、背中を蹴るな!」
「尊奈門、お前の運び方が悪い。」
「組頭あ!それはないでしょう!」
訳が分からないまま、ドサリと降ろされたのは川の近く。
僕のすぐそばに彼女も降ろされると、近くの地面に大きな影が落ちた。
見上げると、目の前に立ち並ぶタソガレドキ忍軍。そしてその、忍組頭ーーーーーーーーーー包帯だらけの大男、雑渡昆奈門。
「やあ。また会ったね、忍たまのお嬢さん。…おっと、今日はもう何もしないよ。そんなに警戒しないで。」
無言のまま片手で僕を庇うように、そしてもう片方の手で苦無を構えるひまり先輩に対し、そいつは得物を持っていないことを証明するように両手の平をこちらに向けてくる。そして、こんなことを言った。
「あの恋人の彼に、後でお礼を言っておいた方が良いよ。タソガレドキ忍軍が忍術学園の者に手を出さないよう、約束させたのは彼だからね。…いや何、彼とは以前一度会っていてね。合戦場で私や部下の怪我を手当てしてくれたものだから、言うなればこれはその恩返しといったところかな。」
警戒と疑いの目つきを緩めない彼女に飄々として言うその組頭の男は、部下の一人を振り返り「その子の手当てを。」と指示する。その集団の中では比較的年かさに見受けられる、部下の男が一歩こちらに近付くと、
「触るな!」
と、鋭く叫んで先輩はそちらに向けて更に上段に苦無を構えた。そして、忍組頭の方に再び視線を戻す。
「…助けてくれたことには感謝する。だが、それ以上近付くな。…私の後輩だ。」
恐らく彼女を担いできた、その中で一番若い見た目の部下が「こいつ…!」と表情を険しくさせる。組頭はそれには構うことなく、彼女の意志に対し分かった、とでも言うように一つ頷き、部下たちを振り返って、
「先に行って、待ち伏せをしろ。」
と今度は全体に向けて命令した。
一番若い部下の男を除き、全員が一瞬にしてその場から姿を消していった。
「尊奈門、お前も…」
「ダメです!組頭が残られるのでしたら、私も残ります!」
「はあー。ほんとにお前はワガママさんだねぇ。ま、いいけど。」
雑渡昆奈門は改めてこちらを振り返った。
「あ、さっきのはこっちの話だから。村の女の人たちとは関係ないよ。こちらはこちらで作戦があってね。」
「ああ、だからもう、そういう機密をペラペラと喋らないで下さいって…。」
黙って彼らの様子を伺っていたひまり先輩は、睨みつつ、ゆっくりと苦無を下ろした。
そして、僕に向き直る。
「三郎、手当てするから腕出して。」
僕は素直に従う。僕が袖を捲る間、先輩は荷物から空の水筒を取り出して川の流水を汲んだ。その水を、少しずつ傷口にかけて汚れを落とす、彼女は。
荷物の中から、僕が渡した痛み止めを手に取った。
「…それ、」
「私にって、持ってきてくれただろ?でもごめん、今はあんたの方が重症だから。」
自分の中にいる、聞き分けのない僕が弾かれたように叫ぶ。
そんなのいらない。
善法寺先輩がひまり先輩のために作った薬なんか、いらない。
でも、言葉は喉から先に出てこなかった。
先輩は指に取った薬を丁寧に塗りながら、まだ立ち去っていなかった忍組頭の男に向けて話しかける。
「…さっきのも、あんたが撃たせたのか?」
「そうだよ。それがどうかしたかい?」
「同じ城の者なら、仮にも仲間を撃ったことになるんじゃないのか?手を出さない、の範疇を超えていると思うが。」
「お前!助けられておきながら…」
純朴そうな部下の男が窘めようとしたのを、雑渡昆奈門は手で制する。
「急所は外させているさ。そもそも威嚇が目的だし。それに、城の者がすることを妨害するな、…とは殿からも命令されていない。」
「物は言いよう、だな。」
「言っておくけど、君たちを助けることまでは恋人君には頼まれていないよ。…まあ、それに関しては気まぐれってとこかな。」
先輩は小さくため息をついて、薬を塗る手を一度止めて、顔を彼らに向ける。
「…もう一度だけ言うが、感謝はしている。」
「もともと恩返しのつもりだったんだから、君からの感謝は不要だよ。とにかくこれで、彼への借りは返せた。」
最後まで威嚇するように睨み続ける部下の背中を叩き、その忍組頭は踵を返しながら片手を振ってみせた。
「では、縁があったらまた会おう。」
二つの影が消え去ってから、更に暫く時間を置いて、二人のいた場所を向いたまま先輩は忌々しそうに呟いていた。
「…縁などあってたまるか。」
どうやら、徹底的に嫌ってしまっているらしい。
再びこちらを向き直った彼女は、それとはうって変わって優しい目つきで「ごめん、途中だったな。」と治療を再開する。
「持ってきておいて良かった、保健委員会特製の包帯。」
「…乱太郎から聞きましたけどそれ確か、褌じゃありませんでしたっけ?」
「しかも懐に入れてたから私の汗若干吸ってる。」
「うわもう最悪ですよ…」
「文句垂れるな、手当てできるだけありがたいと思え。」
包帯を巻かれながら、僕は自嘲気味に笑う。
「……これじゃ、お手伝いに来たなんて言えないですね。ーーーーーーーーあの時と何も変わらない。」
「ん?」
どうせ覚えていないと思ったから、半ば投げやりについ口にしていた。
僕が惹かれるばかりの向日葵が向くのは、どうしたって太陽の方で。
こっちになど見向きもしない。
いつもいつでも、そんなのは最初から分かりきっていることだ。
「…去年よりは成長したんじゃないのか?鉢屋三郎。」
きっと覚えてなんかいない。
そう、思っていたのに。
「あ、これじゃ圧迫されすぎるかな。巻き直そ。……三郎?」
僕が四年生の時。
実習中、偶然耳にしたある城の忍術学園への襲撃計画。
己を過信し、単独で探ろうとして逆に敵に追われた僕の腕を引いて。
安全な所まで連れて行くその途中で、まるで気遣うように一瞬だけ振り返った目と。
連れてこられた、当時の実技担当教師にその場で叱咤され拳骨を喰らう僕には構わず、腕を離すや学園への先触れに走る背中。
決して、僕に振り向かないくせに。
どうして気付くんだ。
何でまた助けるんだ。
そのことが、本当に腹が立つくらいーーーーーーー
「……ッ、」
「…ごめん、そんなに痛かった?すぐ巻き直すから待って。」
熱い涙が溜まっていく目を、片手で覆う。
隠せないなら、もう、そういうことにしておこう。
もう先輩も、理由を深く訊いたりはしない。
「包帯は、しっかり巻いてもキツすぎず、だっけね。」
穏やかに笑みさえ浮かべて、包帯を丁寧に巻き直すその手つきはどこまでも温かいものだった。
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