日輪草の傍らに咲く
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『日輪草の傍らに咲く』第三幕
避難している村の人たちを安心させるためなのか、ひまり先輩は普段は殆ど下ろすことのない覆面を顎下まで下ろしていた。
「村の方は現在、防御を固めています。陣営具も事前にある程度用意して下さっていたようですし。微力かとは思いますが、私たちで出来る限りのことはしていくつもりです。」
握り飯を配りながら、彼女はそう話しかける。
彼らも最初は見慣れない僕たちの姿に警戒していた様子だったが、手潟さんの代わりに来たと事情を話すと皆ホッとしたように表情を緩めた。
感謝の言葉を述べながら握り飯を受け取る彼らに、僕も彼女に倣って水を手渡していく。
そんな中。
「ほら、食べなさい。折角持ってきて下さったのに。」
貰った握り飯を手に持ったまま食べずに俯いている小さな男の子に、その父親と思われる人が隣から促すように声をかけていた。
それに気付いたひまり先輩は。そっと近付いていって、男の子と目線が合うようにしゃがむ。
「毒なんて入ってないよ。…いらないんだったら、お姉ちゃんが食べちゃおっかなあ?」
笑って、握り飯の頂きをつまみ取って、口に運んでみせる。
「んん、塩が効いてておいしいなあ。」
舌に広がる塩味、咀嚼するほどじわりと感じる米の甘み。……を、少し大袈裟なくらいその表情に表す。
思わずそれをじーっと見ていた男の子の、腹の虫が遂に鳴いた。
漸く、少しずつ食べるようになった彼に、ひまり先輩は優しく微笑んでいる。
近くに行って「先輩って、菩薩だったんですね」とボソッと挟むと、男の子の方を向いたまま彼女の拳が足の甲目がけて降ってきた。
その優しさを少しくらいこちらに向けてほしいものだと思いながら殴られた足を押さえる中、食べる毎に一口が大きくなっていく男の子は。
ふと、不安そうに顔を上げる。
「…ねえ、お姉ちゃん。」
「ん?」
「ぼくの母ちゃん、ずっと戻って来ないんだ…。」
「…え?」
その台詞に。恐らく僕もひまり先輩も同時に、周りを見回した。
「ちゃんと、帰ってくるかなあ。」
隣の父親らしき人が「こら」とたしなめる。
けれど、その声もどこか張りが無く。
「そういえば、女の人の姿が一人も見当たらないようですが。どちらかに出かけていらっしゃるのですか?」
彼女がその人に向けて訊いても、ーーーーーーーーその人も、或いは他の村人たちも。皆一様に、目を逸らして口を閉ざす。
異様な空気が漂う中、再びしょんぼりとしてしまったその男の子に、ひまり先輩は向き直って小さな肩に優しく手を置く。
「…大丈夫。きっと帰ってくるよ。君のお母さんだって、絶対君に会いたいはずだから。」
男の子は消え入りそうな声で「うん」と返事をしたが。その曇った表情が晴れることは最後までなかった。
村に戻ろうと山を降りていく時、ひまり先輩は一度振り返って何か考えるように立ち尽くしていた。
「どうかしたんですか?」
「…いや。」
首を振って再び麓を目指す彼女に、その時の僕もそれ以上は何も声をかけなかった。
ーーーーーーーーーー
日もとっくに落ちた村の中を、見張りの松明がポツポツと照らす。
既に村のすぐそばまでタソガレドキの兵士が多数迫り、夜明けを待っている。忍術学園の先生だけでなく生徒も含めて交代で、その警戒のため見張りを行っていた。
見回りをしていた雷蔵は、ふと辺りに目を遣り首を傾げる。
「…うーん…。あ、ねえ、三郎見なかった?」
丁度通りがかった兵助と八左ヱ門に声をかけると、彼らも眉をちょっと上げて。
「勘右衛門と一緒に出かけたんじゃないのか?」
兵助に訊かれた雷蔵は、首を横に振る。
「いや、庄左ヱ門と伊助の護衛は勘右衛門一人だけで行くって言ってたから。」
「じゃあ、厠にでも行ってるんじゃないの。」
頭の後ろで手を組みながら、八左ヱ門も言う。
「でも…夕食の時からずっと見当たらない気がするんだよ。」
「そうなのか…それはちょっと、心配だな。」
「うーん。まあでも、そのうち戻ってくるだろ。あいつ、結構気まぐれだし。」
「…だと良いけど。」
ーーーーーーーーーー彼らの間でそんな会話が繰り広げられていたことを、三郎本人は知らない。
そこに、既に居ない三郎は。
ーーーーーーーーーー
園田村からタソガレドキ城に続く道を、タソガレドキの見張りに見つからないよう注意しながらしばらく行くと。
探していた相手を漸く見つける。
相手も、こちらの気配に気付いたように纏う雰囲気を尖らせる。
「……先輩。手裏剣から手を離して下さい。」
木の陰から姿を現した僕に、目を見開く彼女、ーーーーーーーーーーひまり先輩。
その瞳に映る僕の顔は、悪戯っぽく笑う。
「…ああ。僕は、鉢屋三郎の方ですよ。」
彼女がいつまで経っても口を開かないのでそう言い添える。すると、彼女は眉根を寄せた。
「不破じゃなくお前だというのは声を聞いた時点で分かっている、あまり私を見くびるな。それから、ーーーーーーーすぐ引き返せ。」
「お断りします。」
そう言われるであろうことは分かっていた。そして彼女もまた、僕がそう返すことを半ば予想していたのだろう。これ見よがしに、額に手を当てて大きなため息をついている。
「先輩、誰にも何も言わずに村を出て行かれたでしょう。」
「…分かっているんだったら、」
「だから、尚更お一人で行かせるわけにはいきません。ーーーーーーーーーー先程、手潟さんと話していたのを聞いてしまったので。」
……と言うより、わざと聞いていた。
きっとこの人は居ても立ってもいられなくなるのだろうと、予想できたから。
村人に会った時に感じた違和感を解き明かすため、手潟さんに訊きに行くはずだと。
そして、自分が疑問に思い納得しないことがあるなら必ず行動に移すだろうと。
「お手伝いしますよ。僕、意外と使える後輩でしょ?」
「手伝いなど要らない。帰れ。」
「…分かりました、言い方を変えます。」
頑なな彼女の目を、真っ直ぐ捉える。
「先輩、僕を利用して。」
その瞳が、一瞬揺れたように思う。
どの口が言うのか、と自分でも可笑しくなる。
都合良く利用しないでと願っておきながら。…それでも。
今は、その気持ちを押してでも。
「使えるものは何でも使うのが忍者じゃないですか。…言っておきますけど、先輩に僕の行動を非難する権利なんて無いですよ?先輩ご自身が自由意志で動いている以上は。」
あくまで、自分の意志を貫き通す。
それは彼女とて同じだろう。
けど、張って良い意地とそうでないのとがあるのもまた事実。
僕は、彼女がたった一人で解決しようとするのを見過ごす訳にはいかなかった。そして、誰かがそのサポートにつくことを、望んでいるのは彼女のことを知る人の中にきっと少なくないはずだ。自分が適任かどうかはさておいても。
「……もし、お前が危険な目に遭っても助けたりなどしない。それでもいいなら勝手にしろ。」
押し問答で徒らに過ぎる時間を、惜しんでのことかもしれない。
折れたように、素っ気なく言いながら再び目的地のある方向に向く彼女の背中を。
まだ日も昇らない暗がりの中、僕は、今度は見失わないようしっかりと追いかけた。
移動の最中。時間が経つごとに、まるで氷が表面から少しずつ溶けていくように。
遅れも取らず足を引っ張ることもなく付き従う僕に、周囲を警戒しつつ先輩はポツリポツリと呟くように話してくれるようになった。
「ーーーーーーーーーーずっと考えていた。私がここにいる意味って何なんだろうって。…誰の、何の助けにもならないんじゃないかって。」
僕は、下手に相槌を打って思考を止めさせたくなかった。黙ったまま、彼女の話を聞く。
「…昨日遭った、タソガレドキの忍組頭に言われたことがずっと引っかかっていたんだ。」
木の陰に身を潜め、前方に注意を傾けたまま後ろ手で『待て』と僕に指示を出す。
やがて、警戒していた人の気配が通り過ぎると、彼女は再び口を開く。
「『こんな所に居ては、君も女として搾取されるだけだよ』、って。最初は、私が女だから戦場では足手纏いだって意味かと思ってた。まあ…それもあるんだろうけど。」
けれどそれが、彼女の中に一つの可能性を示唆することになったらしい。
その可能性を確かめに、彼女が手潟さんに直接話を聞きに行ったのがつい先刻のことだ。その時の僕は、障子に影が映らないよう注意を払いつつ、気配を消してその行く末を聞いていた。
「ーーーーーーーーーー村の女の人たち、随分と長くこちらに戻られていないようですね。」
手潟さんの家の、閉め切った部屋。
静かな彼女の問いかけに、向かい合っているであろう手潟さんは戸惑ったようにしばらく言葉を返さなかった。
そして、それと同時に気付き、感じていたもう一つの違和感、ーーーーーーーーーー残った村人たちが自分たちの土地の守りを固める作業にすら関わることができない、という点についても、彼女は切り込んでいく。
「戦闘そのものは慣れた者に任せる、というのは確かに分かります。けど準備すら手伝えないと言われたことが疑問でした。…私が見た限り、残っている村の人の中にはとても非戦闘員とは思えないほど体格の良い方もいらっしゃいましたので。」
「……」
そもそも、いくさに参加する雑兵は殆どが農民だ。農民だから非戦闘員だ、というのは通用しない。まして、自分たちの村が狙われている状況ならば尚更だ。
やがて彼女は、核心を突く。
関われない理由は、村の女の人が戻ってきていないことと関係しているのではないですか?ーーーーーーーーと。
「…ある子供は、母親がずっと帰ってこないと言っていました。とても、寂しそうでした。……その子のお母さんは、いえ、他の女の人たちも皆、ご家族や大切な人がいるはずです。なのに、どうして皆その人たちの側にいることができないのでしょうか…?」
揺さぶる、けれどもその声は優しい。
しばらくの沈黙の後。
手潟さんは観念したように、重い口を開く。
村の女の人たちは皆、園田村出身であることを隠してタソガレドキ城に奉公に上がっているのだと。
「……それが彼女たちにとってどれほど危険かは分かっていました。身元を隠しているとは言え、何しろ敵方に行くのですから。しかしながら、そうする以外に方法がありませんでした。」
いざという時のために貯めていた金も、タソガレドキ側の要求に従い続けた結果早々に底を尽き、それでも日々の暮らしを守るため、何とかして工面しなければならなかったのだろう。
オーマガトキ側は負け戦のため、いつ敵が城に雪崩れ込んでくるか分からない。それよりはまだ戦況の有利なタソガレドキ側に、との判断はどれほど苦い決断であったか。
お気持ちお察し致します、と慮る彼女に、手潟さんは「ですが、」と急ぐように付け加える。
「これはあくまで私たち園田村の中での問題。どうかこのことは先生方には…」
「いいえ。私が気付くぐらいですから、恐らく先生方も薄々気付かれているかと。」
「………」
「…ただ、私は一人で手潟さんとお話をすると決めてきた以上、他の学園関係者の誰にもこのことは、私の口からは話さないつもりです。そして私自身も、今は忍術学園の生徒として話しているつもりはありません。」
それまで座っていた体勢を変え、…恐らく、片膝を突く気配。
「私を、一人の忍としてお使い下さい。」
静かな部屋に、意志の強いその声は凛として冴え渡る。
「忍術学園はタソガレドキから園田村を守るために来ました。それは土地そのものだけでなく、そこに住む人たちも含めるものと私は考えます。…身元を偽っているとは言え、タソガレドキ側も彼女たちが園田村の人間だということは分かった上で受け入れているでしょう。」
つまり、タソガレドキにとって園田村の女の人たちは、今となっては人質も同然なのだ。
表向きは城への奉公として働きに上がっているのであっても、身柄は常に拘束されているのと変わらない。
彼女たちの身の安全を盾にされたとすれば、ーーーーーーーーーーその可能性がある限り、園田村は無抵抗を強いられ続ける。
「タソガレドキとオーマガトキの陰謀が明るみに出た今、彼らに黙って従う義理など無い。皆さんを無事に連れ戻して参ります。…どうか、ご命令を。」
「……あなたは、どうしてそこまで…」
「正しくないことは見過ごせない質なもので。」
優しい彼女は、きっと、手潟さんに向かって微笑んでいるのだろう。
「それに、もし私がその女の人たちと同じ立場だったらと思うと、居ても立ってもいられませんでした。…大事な人の前に、自分を盾にされるというのは辛いことですから。」
やがて。手潟さんが深く頭を下げるのを遠慮する彼女の声が聞こえてきた辺りで、僕はその場をそっと離れた。
「ーーーーーーーー"君も"女として搾取される、ですか。」
「……敵にヒントを与えられるとは癪なものだ。だが、そうも言ってられない。」
先輩は自嘲気味に笑う。その頃には、タソガレドキ城にかなり近付いた距離まで迫っていた。
城の警護に注意を払いながら、身を隠せるギリギリの距離にある木に登り、俯瞰で中の様子を伺う。
「あの男がどういうつもりだったのかは分からないけど、…お前の言う通り、使えるものは何でも、だからな。おかげで昼間の謎が解けたというわけだ。」
城の中は、いくさに殆どの人員を割いている関係だろう、最低限の見張り役しか配置されていないようだった。
「まずは、女の人たちがどこに囚われてるか、ですね。」
うん、と短く頷く先輩。
「自分が役に立たないから動かないなんてやっぱりできない。意味が無いかもしれないけど、…何かをせずにはいられないんだ。」
「付き合いますよ。僕、天才ですから。」
軽い口調で、彼女に目配せする。僕がその時指さしていたのは、眠そうに欠伸をする城兵。
彼女の目を見たまま、拳を小さく前に繰り出すジェスチャーを送る。
「…誰も巻き込みたくなかった。」
「分かってます。だから、これは僕の自由意志です。万が一失敗したらその時は、逃げて下さいね。」
先輩は、返事をしなかった。
音を立てずに塀に飛び移る僕をずっと見守る視線を背中に感じながら、顎下の覆面を鼻の上まで上げた。
避難している村の人たちを安心させるためなのか、ひまり先輩は普段は殆ど下ろすことのない覆面を顎下まで下ろしていた。
「村の方は現在、防御を固めています。陣営具も事前にある程度用意して下さっていたようですし。微力かとは思いますが、私たちで出来る限りのことはしていくつもりです。」
握り飯を配りながら、彼女はそう話しかける。
彼らも最初は見慣れない僕たちの姿に警戒していた様子だったが、手潟さんの代わりに来たと事情を話すと皆ホッとしたように表情を緩めた。
感謝の言葉を述べながら握り飯を受け取る彼らに、僕も彼女に倣って水を手渡していく。
そんな中。
「ほら、食べなさい。折角持ってきて下さったのに。」
貰った握り飯を手に持ったまま食べずに俯いている小さな男の子に、その父親と思われる人が隣から促すように声をかけていた。
それに気付いたひまり先輩は。そっと近付いていって、男の子と目線が合うようにしゃがむ。
「毒なんて入ってないよ。…いらないんだったら、お姉ちゃんが食べちゃおっかなあ?」
笑って、握り飯の頂きをつまみ取って、口に運んでみせる。
「んん、塩が効いてておいしいなあ。」
舌に広がる塩味、咀嚼するほどじわりと感じる米の甘み。……を、少し大袈裟なくらいその表情に表す。
思わずそれをじーっと見ていた男の子の、腹の虫が遂に鳴いた。
漸く、少しずつ食べるようになった彼に、ひまり先輩は優しく微笑んでいる。
近くに行って「先輩って、菩薩だったんですね」とボソッと挟むと、男の子の方を向いたまま彼女の拳が足の甲目がけて降ってきた。
その優しさを少しくらいこちらに向けてほしいものだと思いながら殴られた足を押さえる中、食べる毎に一口が大きくなっていく男の子は。
ふと、不安そうに顔を上げる。
「…ねえ、お姉ちゃん。」
「ん?」
「ぼくの母ちゃん、ずっと戻って来ないんだ…。」
「…え?」
その台詞に。恐らく僕もひまり先輩も同時に、周りを見回した。
「ちゃんと、帰ってくるかなあ。」
隣の父親らしき人が「こら」とたしなめる。
けれど、その声もどこか張りが無く。
「そういえば、女の人の姿が一人も見当たらないようですが。どちらかに出かけていらっしゃるのですか?」
彼女がその人に向けて訊いても、ーーーーーーーーその人も、或いは他の村人たちも。皆一様に、目を逸らして口を閉ざす。
異様な空気が漂う中、再びしょんぼりとしてしまったその男の子に、ひまり先輩は向き直って小さな肩に優しく手を置く。
「…大丈夫。きっと帰ってくるよ。君のお母さんだって、絶対君に会いたいはずだから。」
男の子は消え入りそうな声で「うん」と返事をしたが。その曇った表情が晴れることは最後までなかった。
村に戻ろうと山を降りていく時、ひまり先輩は一度振り返って何か考えるように立ち尽くしていた。
「どうかしたんですか?」
「…いや。」
首を振って再び麓を目指す彼女に、その時の僕もそれ以上は何も声をかけなかった。
ーーーーーーーーーー
日もとっくに落ちた村の中を、見張りの松明がポツポツと照らす。
既に村のすぐそばまでタソガレドキの兵士が多数迫り、夜明けを待っている。忍術学園の先生だけでなく生徒も含めて交代で、その警戒のため見張りを行っていた。
見回りをしていた雷蔵は、ふと辺りに目を遣り首を傾げる。
「…うーん…。あ、ねえ、三郎見なかった?」
丁度通りがかった兵助と八左ヱ門に声をかけると、彼らも眉をちょっと上げて。
「勘右衛門と一緒に出かけたんじゃないのか?」
兵助に訊かれた雷蔵は、首を横に振る。
「いや、庄左ヱ門と伊助の護衛は勘右衛門一人だけで行くって言ってたから。」
「じゃあ、厠にでも行ってるんじゃないの。」
頭の後ろで手を組みながら、八左ヱ門も言う。
「でも…夕食の時からずっと見当たらない気がするんだよ。」
「そうなのか…それはちょっと、心配だな。」
「うーん。まあでも、そのうち戻ってくるだろ。あいつ、結構気まぐれだし。」
「…だと良いけど。」
ーーーーーーーーーー彼らの間でそんな会話が繰り広げられていたことを、三郎本人は知らない。
そこに、既に居ない三郎は。
ーーーーーーーーーー
園田村からタソガレドキ城に続く道を、タソガレドキの見張りに見つからないよう注意しながらしばらく行くと。
探していた相手を漸く見つける。
相手も、こちらの気配に気付いたように纏う雰囲気を尖らせる。
「……先輩。手裏剣から手を離して下さい。」
木の陰から姿を現した僕に、目を見開く彼女、ーーーーーーーーーーひまり先輩。
その瞳に映る僕の顔は、悪戯っぽく笑う。
「…ああ。僕は、鉢屋三郎の方ですよ。」
彼女がいつまで経っても口を開かないのでそう言い添える。すると、彼女は眉根を寄せた。
「不破じゃなくお前だというのは声を聞いた時点で分かっている、あまり私を見くびるな。それから、ーーーーーーーすぐ引き返せ。」
「お断りします。」
そう言われるであろうことは分かっていた。そして彼女もまた、僕がそう返すことを半ば予想していたのだろう。これ見よがしに、額に手を当てて大きなため息をついている。
「先輩、誰にも何も言わずに村を出て行かれたでしょう。」
「…分かっているんだったら、」
「だから、尚更お一人で行かせるわけにはいきません。ーーーーーーーーーー先程、手潟さんと話していたのを聞いてしまったので。」
……と言うより、わざと聞いていた。
きっとこの人は居ても立ってもいられなくなるのだろうと、予想できたから。
村人に会った時に感じた違和感を解き明かすため、手潟さんに訊きに行くはずだと。
そして、自分が疑問に思い納得しないことがあるなら必ず行動に移すだろうと。
「お手伝いしますよ。僕、意外と使える後輩でしょ?」
「手伝いなど要らない。帰れ。」
「…分かりました、言い方を変えます。」
頑なな彼女の目を、真っ直ぐ捉える。
「先輩、僕を利用して。」
その瞳が、一瞬揺れたように思う。
どの口が言うのか、と自分でも可笑しくなる。
都合良く利用しないでと願っておきながら。…それでも。
今は、その気持ちを押してでも。
「使えるものは何でも使うのが忍者じゃないですか。…言っておきますけど、先輩に僕の行動を非難する権利なんて無いですよ?先輩ご自身が自由意志で動いている以上は。」
あくまで、自分の意志を貫き通す。
それは彼女とて同じだろう。
けど、張って良い意地とそうでないのとがあるのもまた事実。
僕は、彼女がたった一人で解決しようとするのを見過ごす訳にはいかなかった。そして、誰かがそのサポートにつくことを、望んでいるのは彼女のことを知る人の中にきっと少なくないはずだ。自分が適任かどうかはさておいても。
「……もし、お前が危険な目に遭っても助けたりなどしない。それでもいいなら勝手にしろ。」
押し問答で徒らに過ぎる時間を、惜しんでのことかもしれない。
折れたように、素っ気なく言いながら再び目的地のある方向に向く彼女の背中を。
まだ日も昇らない暗がりの中、僕は、今度は見失わないようしっかりと追いかけた。
移動の最中。時間が経つごとに、まるで氷が表面から少しずつ溶けていくように。
遅れも取らず足を引っ張ることもなく付き従う僕に、周囲を警戒しつつ先輩はポツリポツリと呟くように話してくれるようになった。
「ーーーーーーーーーーずっと考えていた。私がここにいる意味って何なんだろうって。…誰の、何の助けにもならないんじゃないかって。」
僕は、下手に相槌を打って思考を止めさせたくなかった。黙ったまま、彼女の話を聞く。
「…昨日遭った、タソガレドキの忍組頭に言われたことがずっと引っかかっていたんだ。」
木の陰に身を潜め、前方に注意を傾けたまま後ろ手で『待て』と僕に指示を出す。
やがて、警戒していた人の気配が通り過ぎると、彼女は再び口を開く。
「『こんな所に居ては、君も女として搾取されるだけだよ』、って。最初は、私が女だから戦場では足手纏いだって意味かと思ってた。まあ…それもあるんだろうけど。」
けれどそれが、彼女の中に一つの可能性を示唆することになったらしい。
その可能性を確かめに、彼女が手潟さんに直接話を聞きに行ったのがつい先刻のことだ。その時の僕は、障子に影が映らないよう注意を払いつつ、気配を消してその行く末を聞いていた。
「ーーーーーーーーーー村の女の人たち、随分と長くこちらに戻られていないようですね。」
手潟さんの家の、閉め切った部屋。
静かな彼女の問いかけに、向かい合っているであろう手潟さんは戸惑ったようにしばらく言葉を返さなかった。
そして、それと同時に気付き、感じていたもう一つの違和感、ーーーーーーーーーー残った村人たちが自分たちの土地の守りを固める作業にすら関わることができない、という点についても、彼女は切り込んでいく。
「戦闘そのものは慣れた者に任せる、というのは確かに分かります。けど準備すら手伝えないと言われたことが疑問でした。…私が見た限り、残っている村の人の中にはとても非戦闘員とは思えないほど体格の良い方もいらっしゃいましたので。」
「……」
そもそも、いくさに参加する雑兵は殆どが農民だ。農民だから非戦闘員だ、というのは通用しない。まして、自分たちの村が狙われている状況ならば尚更だ。
やがて彼女は、核心を突く。
関われない理由は、村の女の人が戻ってきていないことと関係しているのではないですか?ーーーーーーーーと。
「…ある子供は、母親がずっと帰ってこないと言っていました。とても、寂しそうでした。……その子のお母さんは、いえ、他の女の人たちも皆、ご家族や大切な人がいるはずです。なのに、どうして皆その人たちの側にいることができないのでしょうか…?」
揺さぶる、けれどもその声は優しい。
しばらくの沈黙の後。
手潟さんは観念したように、重い口を開く。
村の女の人たちは皆、園田村出身であることを隠してタソガレドキ城に奉公に上がっているのだと。
「……それが彼女たちにとってどれほど危険かは分かっていました。身元を隠しているとは言え、何しろ敵方に行くのですから。しかしながら、そうする以外に方法がありませんでした。」
いざという時のために貯めていた金も、タソガレドキ側の要求に従い続けた結果早々に底を尽き、それでも日々の暮らしを守るため、何とかして工面しなければならなかったのだろう。
オーマガトキ側は負け戦のため、いつ敵が城に雪崩れ込んでくるか分からない。それよりはまだ戦況の有利なタソガレドキ側に、との判断はどれほど苦い決断であったか。
お気持ちお察し致します、と慮る彼女に、手潟さんは「ですが、」と急ぐように付け加える。
「これはあくまで私たち園田村の中での問題。どうかこのことは先生方には…」
「いいえ。私が気付くぐらいですから、恐らく先生方も薄々気付かれているかと。」
「………」
「…ただ、私は一人で手潟さんとお話をすると決めてきた以上、他の学園関係者の誰にもこのことは、私の口からは話さないつもりです。そして私自身も、今は忍術学園の生徒として話しているつもりはありません。」
それまで座っていた体勢を変え、…恐らく、片膝を突く気配。
「私を、一人の忍としてお使い下さい。」
静かな部屋に、意志の強いその声は凛として冴え渡る。
「忍術学園はタソガレドキから園田村を守るために来ました。それは土地そのものだけでなく、そこに住む人たちも含めるものと私は考えます。…身元を偽っているとは言え、タソガレドキ側も彼女たちが園田村の人間だということは分かった上で受け入れているでしょう。」
つまり、タソガレドキにとって園田村の女の人たちは、今となっては人質も同然なのだ。
表向きは城への奉公として働きに上がっているのであっても、身柄は常に拘束されているのと変わらない。
彼女たちの身の安全を盾にされたとすれば、ーーーーーーーーーーその可能性がある限り、園田村は無抵抗を強いられ続ける。
「タソガレドキとオーマガトキの陰謀が明るみに出た今、彼らに黙って従う義理など無い。皆さんを無事に連れ戻して参ります。…どうか、ご命令を。」
「……あなたは、どうしてそこまで…」
「正しくないことは見過ごせない質なもので。」
優しい彼女は、きっと、手潟さんに向かって微笑んでいるのだろう。
「それに、もし私がその女の人たちと同じ立場だったらと思うと、居ても立ってもいられませんでした。…大事な人の前に、自分を盾にされるというのは辛いことですから。」
やがて。手潟さんが深く頭を下げるのを遠慮する彼女の声が聞こえてきた辺りで、僕はその場をそっと離れた。
「ーーーーーーーー"君も"女として搾取される、ですか。」
「……敵にヒントを与えられるとは癪なものだ。だが、そうも言ってられない。」
先輩は自嘲気味に笑う。その頃には、タソガレドキ城にかなり近付いた距離まで迫っていた。
城の警護に注意を払いながら、身を隠せるギリギリの距離にある木に登り、俯瞰で中の様子を伺う。
「あの男がどういうつもりだったのかは分からないけど、…お前の言う通り、使えるものは何でも、だからな。おかげで昼間の謎が解けたというわけだ。」
城の中は、いくさに殆どの人員を割いている関係だろう、最低限の見張り役しか配置されていないようだった。
「まずは、女の人たちがどこに囚われてるか、ですね。」
うん、と短く頷く先輩。
「自分が役に立たないから動かないなんてやっぱりできない。意味が無いかもしれないけど、…何かをせずにはいられないんだ。」
「付き合いますよ。僕、天才ですから。」
軽い口調で、彼女に目配せする。僕がその時指さしていたのは、眠そうに欠伸をする城兵。
彼女の目を見たまま、拳を小さく前に繰り出すジェスチャーを送る。
「…誰も巻き込みたくなかった。」
「分かってます。だから、これは僕の自由意志です。万が一失敗したらその時は、逃げて下さいね。」
先輩は、返事をしなかった。
音を立てずに塀に飛び移る僕をずっと見守る視線を背中に感じながら、顎下の覆面を鼻の上まで上げた。